俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

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お待たせしました。42話です。


第42話 ありものねだり ――サンプリング・ザ・パスト――

 まっっったく暑さの和らぐ気配がしない、8月中旬も終わり。

 

 真上から照らされて揺らめいてるコンクリートの道を行けば、いつもの矢ノ川駅が見えてくる。

 

 シェードの下、自販機の隣にレモンイエローのワンピースが立っていた。

 最近お気に入りらしいその装いに手を振ると、控えめに手を振り替えしてくれた。

 

 

 

「早えよ、いつからいんだよ」

 

「ついさっき。お父さんにポストに手紙頼まれたから早く出ただけだよ」

 

「ああそう」

 

 

 

 ちょっと汗ばんだ顔で笑う楠木さんを見て、こっそり胸を撫でおろす。

 こんな「死!!!!」ってカンジの中待たせてたらどうしようかと思った。

 

 とっとと行こうと促し、俺たちは再び地獄の炎天下へ繰り出した。

 

 

 

「ていうか、赤坂くんすっごい焼けたね。どこか行ったの?」

 

「蓮也たちと海。曇りでこれだぜ?やべーよな」

 

「海かぁ、良いなあ。どこの海?」

 

「千葉。昔住んでたとこの近く」

 

「キレイだった?」

 

「微妙」

 

「えー」

 

 

 

 東京湾側だから仕方ない。

 でも、久々に3人で遊んで楽しかったから全く気にならなかった。

 

 顔面に砂掛けたり海に沈めたり浮き輪で殴り合ったり、全力でやれんのはやっぱあいつらしかいない。

 

 

 つーか蓮也のヤロー、知らないうちに彼女作ってやがった。

 県大会にあと一歩で届かず敗退、それで保留にしてた子にOK出したらしい。

 

 そのくせ匂わせ投稿とかはしないのがマジ蓮也ってカンジ。歩夢もちったぁ見習え。

 

 ちなみに遼太郎は逆に振られてた。しかも2回。付き合うことなく撃沈。

 

 そこそこ傷心ってカンジだったけど、それよかアイツは成績を気にしたほうがいいと思う。

 話聞いたら片岡レベルになっててウケた。

 

 

 

「そーいう楠木さんはどっか行ったん?」

 

「私は……特にどこも行ってないなぁ。お祖母ちゃんの家に行ったくらい。

 

あ、その分宿題は進んだかな」

 

「宿題なら俺だって進んでるし」

 

「私、もう英語全部終わったよ」

 

「うわマジか!早えなクソ」

 

「でしょ」

 

 

 

 駅から出て目の前の交差点を左へ。

 小さなコンビニを通り過ぎ、俺の家とは逆方向へ。

 

 こっちは通ってた小学校の方。楠木さんの家の方だ。

 

 

 

「あっ、そうだ!聞いたよね?那賀川くんの結果!試合の!」

 

「聞いた。ありゃ相手が悪かったな」

 

「ね。でも大健闘だよ」

 

 

 

 那賀川所属する東雲附属バスケ部は、当然のように県代表へ。

 

 1回戦は余裕で勝ったけど、2回戦はギリ勝ち。

 そして3回戦で結構な差で負けた。

 

 ちなみにその相手チームが優勝校。相手が悪かったってカンジ。

 

 そうして3年生は引退し代替わり。次の部長は那賀川。

 那賀川部長の指揮のもと、もう新生バスケ部として活動してるらしい。

 

 ……って投稿を見た。ついでにLINEで言ってきた。

 

 

 

「切り替え良いよなぁ、あいつ」

 

「ね、できるなら『前』もやってよってかんじ」

 

「なー」

 

 

 

 楠木さんも言うようになった。

 あの那賀川クンにこんなドギツく言えるのは多分、俺らだけの特権。

 

 

 そう話しながら、俺は楠木さんに着いていく。

 勝手知ったる地域とはいえ、楠木さん家行ったことないし。

 

 今日はいつも通り湊の家で練習のはずだったんだけど、エグい散らかり具合でとても呼べる様子じゃないらしい。

 

 お小遣いで色々買って遊んでたらヤベェことになっちまっただとかナントカ。

 

 じゃあライブハウスとか行っちゃう?ってなったけど急すぎて空いてない。

 

 百合ん家。お父さんが夏風邪で寝てるらしくパス。

 

 俺ん家。悟が友達と宿題(ぜってぇ嘘)したいからダメ。

 

 って訳で、楠木さんの両親がOK出したのもあり、今日はこの子の家で練習することになったのだった。

 

 で、悟の友達襲来でひと足早く追い出された俺は早めに楠木さんと合流したってわけ。

 

 

 ……女子の家行くって緊張が無いわけじゃない。

 

 つーかめっちゃある。クソ緊張してる。

 小学生が最後じゃないか女子んち行くのって。

 

 いやまぁ別に何もしないんだけどさ。

 練習ってデケェ目的があんだけどさ。

 

 やっぱなんかアレじゃね。こう。アレ。

 

 

 と、ぐちゃぐちゃ言い訳する心を吹き飛ばすように周囲を改めて見ると、懐かしの光景が広がっていた。

 

 やっぱりここらへん変わってない。

 

 怖そうな高校生のお兄ちゃんたちがたむろってたバスケゴールのある公園。

 その代わりに皆で遊んでたせっっっまい公園。

 人がいるところ見たことない9割廃屋の空き家。

 その隣の驚異的にぼろい自販機。

 ボール買いに行っただけなのにエグイ塩対応された雑貨屋。

 

 あ、潰れてる。ざまぁ見やがれ。

 

 

 

「……すっげぇ懐かしいな」

 

「あ、そっか、小学校ここなんだっけ」

 

「そ。ほらあれ」

 

 

 

 家々の間から2年間通った小学校が覗いてる。

 そして今歩いてるこの道を行けば、前住んでたアパートがある。

 

 

 

「あの公園水浸しにして怒られたことあったなぁ」

 

「な、何してるの……」

 

「水まいたら涼しくなるかなって。

 

あぁあと、東屋独り占めしてたやつの3DS奪って砂場に埋めたりしたな」

 

「ヒドい!」

 

「ずぅーっといたあいつらが悪ぃんだよ。低学年の子たち叩いたりしてたし。俺らは『豪族』って呼んでた」

 

「……で、退治したの?」

 

「そう。あ、もう一人のはさっきの自販機の上に投げた」

 

「なんで!?」

 

「あそこ出るって噂だったから」

 

 

 

 暗くなると、あの自販機はぼやーっと怪しく光った。

 

 眩しさにくらんだ目で廃屋の横を通り過ぎれば、ヒビ入った窓ガラスの向こうに、自分の虚像を透かして何かが……なんて、当時のガキは皆ビビってた。

 

 悟から聞いたけど、さすがに自販機はもう光らないらしく、それはそれで不気味らしい。

 

 

 

「確かに、ここらへん夜怖いけど……」

 

「で、それで凝りたのかそいつら来なくなって、東屋奪還作戦は成功したってカンジ。

 

うわっ、あのブランコまだあんだ!俺アレですっげぇ怪我したんだよ懐かしいな」

 

 

 

 ちょうど小学校の横を通れば、フェンスの向こう、ペンキがハゲすぎて錆色になったブランコが二つだけある。

 

 アレがまだまだ黄色かった頃、立ち漕ぎでぐんぐん高く漕いでいった遼太郎が急に足を滑らせほぼ頂上から落下。

 

 その反動で大揺れしたブランコが俺の額に激突。

 

 俺が倒れながら振った腕がカードデッキを持った蓮也に当たり、カードはぶち撒けられ砂まみれに。

 

 そうして蓮也は、友達二人とカードが散らばるほぼ遊戯王みたいな休日の校庭に、大人を呼びに駆けずり回ることになったのだった。

 カードはポケカだったけど。

 

 

 なんてアホのピタゴラスイッチのことを話すと、楠木さんは笑って良いのか呆れたほうが良いのか、しらーっとした目を向けた。

 

 

 

「……赤坂くんって、もしかしてすごいやんちゃだった?」

 

「いい子じゃ無かったな」

 

「そういえば、中学の頃も天井の時計壊してたよね」

 

「はぁ~?あれ俺じゃねーしー、そもそもギリ壊してねぇしー」

 

 

 

 随分懐かしい話を振ってくれる。

 

 身長がぐんぐん伸びる中学生の頃。

 その有り余る身体能力を試したくて、俺たちはいつも標的を探してた。

 

 柄の長い箒とか、デケェ三角定規とか、16段の階段とか、良い高さにある廊下の時計とか。

 

 助走を付けて思い切りジャンプし、タッチするだけ。

 

 なんなら小学校の頃からやってたその遊びに再熱し、周りでちょっとブームになった。

 

 

 楠木さんが言ってた『壊した』ってのは、信久が全力で叩いてグラつかせたブーム終焉の時で、マジで俺じゃない。

 

 

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「まぁ煽ったの俺だけど」

 

「ちょっと!」

 

「うわ見ろよアレあの家!昔あの家の犬がさぁ……」

 

 

 

 2年半とはいえ小学校高学年を過ごした町には思い出がたくさんで、数メートル歩く度に俺はその痕跡を見つけられた。

 

 クソうるせぇ上に凶暴だった犬が住んでた家。

 アシナガバチに追いかけられた細道。

 めちゃくちゃデケェ水たまりができる大道路。

 いつもオッドアイの猫が覗いてた家。

 雪で遊んだガラッガラの駐車場……は、潰れて小さいアパートになってたけど。

 

 大小色んな思い出が散らばってて、マジ小学校の帰り道を思い出す……。

 

 

 

「ってかフツーに俺の登下校の道じゃん」

 

「えぇ!?」

 

「マジマジ」

 

 

 

 何となく察してたけど、この暑さでボーっとしながら歩くこの坂道。

 あの頃プール帰りに3DS取りに走ったのと全く同じだ。

 

 

 

「なんだよ楠木さん、すっげぇ近くに住んでたんじゃん。あれ、でも小学校違ぇよな」

 

「あーほら、私、中学入学の頃引っ越してきたから」

 

「そういや言ってたっけ。てことは入れ違いか……あ、」

 

「ね。ほら、」

 

 

 

 ここ俺んち。

 

 そう指差して言った言葉が、なぜか揃った。

 

 横を見れば、同じ4階建てアパートを指差して楠木さんがポカーンとこっちを見ていた。

 

 

 

「えっ」

 

「……えっ?」

 

「…………えっ?」

 

「えぇ?」

 

 

 

 ……そういえば、俺が引っ越したの小学卒業あたりで、楠木さんは中学入学?ってとこは……?

 

 そうして汗が目に入ってきそうになるほど固まった後、俺は口を開いた。

 

 

 

「楠木さんって、引っ越したの中学じゃん?」

 

「うん」

 

「んで俺は?」

 

「小6だよね」

 

「で、家がここ」

 

「うん」

 

「じゃあ何階?」

 

「2階」

 

「てこたぁ部屋番号は20……?」

 

「「2!」」

 

 

 

 声が揃った。それが何を意味するか、俺たちは一瞬で分かった。

 

 

 

「えーっうわマジ?マジで?」

 

「マジだよ!っふふ、ウソー、こんなことある?」

 

「な、な、それな!マジかよ!ありえねー!」

 

 

 

 信じられない偶然に二人で腹抱えて笑うと、楠木さんは興奮冷めやらぬまま、ぱっと顔を上げた。

 

 

 

「えっじゃあもしかしてアレ赤坂くん?押し入れに変な紙仕込んだの!」

 

 

 

 そう言われて、俺の脳裏に悟との悪ふざけが一瞬で蘇った。

 

 

 引っ越す頃、悟は図書室から借りてきた変なホラー漫画にドハマりしてた。

 

 で、似たようなことして次の入居者をビビらせてやろう!っつってことになった。

 二人でちぎったカレンダーの裏に赤いクレヨンで

 

『アケテアケテアケテアケテアケテ』

 

『タスケテタスケテタスケテタスケテ』

 

とかびっちり書いて、押入れの上(天袋っての?)に突っ込んだんだった。

 

 その後何も音沙汰なかったから、すっかり忘れてた。

 

 

 

「ごめんそれ俺!」

 

「やっぱり!!もう、皆でびっくりしたんだよ!」

 

「えぇだって気づいたんアレ?マジで?ビビった?」

 

 

 

 まさかその次の入居者が楠木さんちで、あんな変なとこ隠した呪いの紙を見つけてたなんて。

 5年ぶりの続報に胸が躍る。帰ったらぜってぇ悟に教えてやろ。

 

 楠木さんは全然迫力ない怒った顔をして笑う。

 

 

 

「皆でお掃除してたら出てきたの!『ドッキリ大成功!!』じゃないよもう」

 

「うーわ懐かしい書いたわそれ」

 

 

 

 翌月分のカレンダーまで怖い言葉で埋まってきた頃、さすがに怒られるかもって怖気付いた俺が寸前で滑り込ませたんだっけ。

 

 衝撃の真実と懐かしさに包まれたままエレベーターホールに入れば、5年前と全く同じ涼しさが追加。

 

 

 

「うあー変わんねぇ~!!」

 

「もしかして、ここのエレベーターすっごい遅いのも昔から?」

 

「そうそう昔から!」

 

 

 

 だから荷物が格別重いとかじゃない限り、大抵の住人は階段を使う。

 

 相変わらずヒビだらけの階段を昇れば、ここで皆で鬼ごっこした思い出が蘇る。

 

 

 

「鬼ごっこの時はアレ使うといい感じにかく乱できたんだぜ」

 

「……ここ、アパートだよ?」

 

「子供がそんなん気にする訳ないじゃん」

 

 

 

 住人の方々には多大なるご迷惑をお掛けしただろうが、建物でやる鬼ごっこほど面白いものはない。

 

 テレビで逃走中がやった次の日は絶対こうやって遊んだものだった。

 

 駐輪場が牢屋、鬼は二人まで。

 5、6人くらいでやると『見張り』とか『おとり』とか、役割がばらけてめちゃくちゃ楽しかった。

 

 

 そう説明すると、良い子な楠木さんはいつもの八の字眉で曖昧に笑った。

 

 

 

「赤坂くん、本当に元気な子だったんだね……」

 

「そんな引くなよ。

 

あっ、そうだ。ほら、ここの駐輪場ってさ、変にへこんでるとこあんじゃん?」

 

「あるけど……」

 

 

 

 階段を登り切り、駐輪場を見下ろせば、俺の思い出通り駐輪場の天井は数か所へこんでいた。

 

 そしてここの塀の端には、足掛けるには完璧な高さの消火器置き場。

 

 

 

「まさか」

 

「いやぁこっから飛び降りるとすっげぇ早くてさー!俺が見つけたんだぜ、これ!」

 

「……」

 

 

 

 楠木さんはさらに八の字を強め、こっちを見ていた。

 その視線には、人生で一番と言っていいほど『呆れ』が込められていた。

 

 正直母さんに怒られた時より心に来る視線だった。

 

 

 

「バカ」

 

「……若気の至りってヤツだし」

 

 

 

 いや、まあ、確かにバカでした。

 やっぱ『昔はワルだった』自慢とかするもんじゃねぇな。

 

 大きくため息をついて行ってしまう楠木さんの背を追いかけ、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 202号室のドアは表札が『楠木』に変わっている以外、何も変わっていなかった。

 

 強いて言えば、ペンキを塗り直したのか、ちょっとキレイになってるくらい。

 

 

 楠木さんがドアノブに手を掛けると、ドアがすっと開いて冷気が顔を覗かせる。

 

 鍵かけてないなんて随分不用心だな……と、思った瞬間楠木さんはとんでもないことを言った。

 

 

 

「お父さん、ただいまー」

 

「おかえりー」

 

 

 へぇー、お父さん。……お父さん!?

 

 状況を理解した途端奥から初詣以来の姿が見え、俺は慌てて背筋を伸ばした。

 

 

 

「わぁ、いらっしゃい赤坂くん。久しぶりだね」

 

「えっ、あっ、ハイっ、お久しぶりです!」

 

「あはは、どうぞ上がってー」

 

「はい、お邪魔しますッ!」

 

 

 

 随分家庭的なエプロン姿が引っ込んでいくと、どっと汗が噴き出すのが分かった。

 

 えっ大丈夫だよな?失礼じゃなかったよな!?

 

 上がった動悸のまま、のんびり靴を脱いでいる楠木さんに声を抑えて突っかかる。

 

 

 

「ちょ、楠木さん!お父さんいるなら先言えよ!」

 

「え?だって今日お休みだし……そんなにびっくりした?」

 

「したわ!しないやついねぇから!」

 

「お父さん赤坂くんのこと知ってるから大丈夫だよー。

 

……あ、お父さーん、ね、聞いてー」

 

 

 

 そういう問題じゃねぇよ!!

 

 もっともっと色々詰めたかったのに、楠木さんはさっさとキッチンの方へ行ってしまう。

 

 いくらただの友達で練習しに来ましたっつっても、娘が男連れてきたらアレだろ!

 つーかそれだけじゃなくて女子の家行ったら父親がいた男がどんだけ気まずいと思ってんだよあのバカは!

 

 

 なんてぐずぐず玄関に居たのが悪かったのか、廊下を抜けてリビングの方へ行った瞬間俺は楠木さんのお父さんに腕をしかと掴まれた。

 

 

 

「赤坂くん!」

 

「ハイッ!?」

 

「あれ、君だったんだね!」

 

 

 

 やべっ、ぜってぇあの呪いの紙じゃん。

 話しやがったなコイツ!

 

 隣の楠木さんの表情で察し、血の気が引く。

 

 シバかれる!と思った俺の予想はしかし良い方に裏切られ、お父さんは満面の笑みで口を開いた。

 

 

 

「ありがとう!一回お礼を言いたかったんだよ!」

 

「エッ」

 

「いやぁアレのお陰で引っ越したての気分がいい感じに和んでね!楽しく新生活を始められたんだよ!ありがとう!」

 

「エ、ア、はい、良かったです……?」

 

「何か飲むかい?お茶とコーヒー、どっちが良いかな?」

 

「何でも大丈夫です……」

 

「じゃあコーヒーでいいかな?最近ハマってしまってね……あ!座ってていいよ!ギターも下ろして」

 

 

 

 なんてキッチンへそそくさと戻ってしまうお父さんを唖然と見つめていると、楠木さんは耐えきれないってカンジで噴き出した。

 

 おずおずとギターを下ろしてソファーに座ると、小さな声で言ってきた。

 

 

 

「ごめんね、お父さん嬉しいみたい。お友達もてなすの初めてだから」

 

「ああ、そう……」

 

「あと二人も来るのにね」

 

 

 とりあえず楠木さんのお父さんがフレンドリーで安心したけど、二人には早く来てほしい。

 俺が耐えらんない。

 めっちゃ緊張するんだけど。

 

 

 

「はーいお待たせしましたー、クッキーもお好きにどうぞ」

 

「やったー」

 

「はい、いただきます……」

 

 

 

 お父さんは慣れた手つきで、俺と楠木さんの前にアイスコーヒーのグラスとクッキーの乗った皿を置く。

 

 すげー、喫茶店みてぇ。

 って思ったら、大学時代喫茶店でバイトしてた、と本人が教えてくれた。

 

 

 ……なんか、全然帰ってくれない。

 

 お盆を抱えて俺の顔をじーっと見てくるお父さんの視線に心音が跳ね上がりながら、俺はおずおずとアイスコーヒーを飲んだ。

 

 あ、旨い。

 酸味がちょっと強くて、苦みは控えめ。

 良く冷えてるし、クソ暑かった外を歩いてきた身体には最高だった。

 

 熱い視線に応えて、感想を一言。

 

 

 

「……美味しいです」

 

「おお、本当!?良かった。後味もスッキリしてて今の季節にピッタリでしょ」

 

「は、はい。苦さもちょうどいいし……」

 

「でしょう!ふふ、ありがとう。家族以外の意見も聞きたくてね。

 

二人とも『おいしー』しか言ってくれないから……」

 

「だーってそれしか言うことないもん」

 

 

 

 楠木さんはミルクも砂糖もたっぷり入れ、ちょっと聞き飽きたように言う。

 

 それを聞いて困ったように笑うお父さんの笑顔が、びっくりするくらいそっくりだった。

 

 

 おかわりが欲しかったらいつでも、とようやくキッチンに戻ってくれ、俺は息を吐いた。

 あさーい感想だけど、満足してくれたらしい。

 

 

 クッキーも一枚貰って、食べながらあたりを見渡す。

 

 インテリアが変わるとこんなに印象違うんだ。

 

 良く知ってる間取りだけど、部屋の雰囲気が全然違うから『元・俺んち』って感じは完全に消えていた。

 

 少なくとも、キッチンは絶対今の方がキレイだ。

 休日にゴム手袋付けてシンクを掃除してくれる父親とか羨ましすぎ。

 

 こんな良いお父さん居て、なんで俺んちが羨ましいんだか。

 

 

 と、同じタイミングで俺たちの携帯が鳴った。

 てことは、多分百合か湊だろう。楠木さんが先に画面を見る。

 

 

 

「あ、百合ちゃんたち1時位に向こう出るって」

 

「早く来いって言っとけ。……よ」

 

 

 

 お父さんの前で娘に話しかける口調にしちゃ荒っぽすぎるか、と慌てて付け足す。

 

 

 時計を見れば12時半過ぎ。二人が来るまであと1時間くらい。

 

 コーヒーも飲み終わったし、そろそろ練習するか。

 楠木さんも同じように考えたらしく、二人分の空のグラスを持って立ち上がった。

 

 カウンター越しにお父さんに話しかける。

 

 

 

「じゃー私たちそろそろ練習するね。あと、おかわりちょーだい」

 

「はいよ。リビングかい?」

 

「ううん。自分の部屋でするよ。邪魔しないでよね」

 

「えっ」

 

 

 

 やっぱ家族だから口調が余計ガキだなー、とか思ってた瞬間にコレ。

 

 えっ、自分の部屋?

 楠木さんの部屋ってこと?

 そこで練習すると?

 この俺が入ると?

 

 いや、ダメだろ。さすがに良くねぇだろ。

 それは良くねぇって。女子の部屋入るのは。

 人生で1回もないぞ。無茶言うな。

 

 お父さんがどんな顔すると思ってんだ。

 

 

 

「うん。分かった」

 

「ええぇ!?」

 

 

 

 いや止めねぇのかよ!!

 ひっくり返った俺の声に、二人がきょとんとこっちを見る。

 

 

 

「赤坂くん、どうかした?」

 

「?」

 

「いや、あの、だってさ」

 

 

 

 しどろもどろになりながら、楠木さんのお父さんを見る。

 

 助けを求めて視線を送ったが、お父さんは何が不思議なのか分からない顔で言った。

 

 

 

「僕が近くに居たら、やりにくいでしょ?」

 

「…………はは、」

 

 

 

 あー、なるほど、そういう感じ。遺伝てやつ。そっくりだね。マジ。

 

 

 

「じゃあ、ソウシマス……」

 

 

 

 湊、百合、早く来てくれ。俺をこの空間から助けてくれ。

 

 

 あと1時間の辛抱だと言い聞かせ、俺は楠木さんの部屋にギターを引きずっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女子の部屋ってキレイに片付いてて、カワイイのばっかりで、多分いい匂いがする。

 楠木さんの部屋は、そんな童貞の考えを具現化したような存在だった。

 

 

 元俺ら兄弟の部屋は、すっかり女の子らしい部屋になっていた。

 

 入った瞬間柔軟剤みたいないい匂い。

 優しいピンク色のカーテンに、丸いクッション以外何もない片付いた床。

 

 学習机の上にはオシャレな白いライトと、いつだか3000円位溶かして取ってた小さなぬいぐるみ。

 窓際の電子ピアノの上にもぬいぐるみ。

 

 レシピ本や絵本やらが入った本棚の上にもぬいぐるみ。

 あとなんかキラキラしてる飾り物。

 

 花柄のベッドカバーが掛かったベッドにもぬいぐるみ。

 

 楠木さんをクレーンゲームにハマらせてしまった原因の、コック姿の熊のぬいぐるみが俺を睨んでいる。

 

 

 

「……」

 

 

 

 別に俺だって、入りたくてお前の持ち主の部屋に入ったんじゃねえよ。

 

 圧倒的に気まずさが占めるドキドキを抑えるように、俺はギターケースの紐を握りしめて突っ立っていた。

 

 

 

「赤坂くん、座らないの?」

 

「……座ります…………」

 

「なんで敬語?」

 

「敬語にもなるわ……」

 

 

 

 座っても全然落ち着かない。

 

 楠木さんは何で俺がこんなんなのか何にも分かってなさそうににこにこしている。

 申し訳なくて開けっ放しにした引き戸の向こうからは、キッチンに立つ楠木さんのお父さんの視線がやってくる。

 

 

 そんなに優しい視線で見ないでほしい。

 

 『わぁ、娘の友達が遊びに来てる~』じゃない。

 もうちょっとその大事な娘が男と同じ部屋にいる脅威を感じてほしい。

 

 まだ思い切り睨んでくれた方がマシだった。

 

 

 だからと言って今更閉じに行くのも失礼極まりないし、俺は大人しく二つの優しい視線にサンドイッチにされていた。

 

 

 

「…………ピアノ弾くんだ」

 

 

 

 今練習しても絶対上手く行かない。なんか良い話題が無いか探して、とりあえず最初に目についたものを口に出した。

 

 どうやら正解だったらしく、楠木さんはぱっと顔を明るくさせる。

 

 

 

「聞きたい?」

 

「じゃあ」

 

 

 

 せっかくだし。気まずいのから逃げてぇし。

 

 そう頷くと、楠木さんは楽しそうに立ち上がった。

 低い椅子を引いて、楠木さんはイヤホンを片方だけ付ける。

 そして片方を俺に差し出した。

 

 受け取って耳に着けると、電子ピアノ特有の抑揚のないドレミが左耳に届く。

 

 

 

「ね、何聞きたい?」

 

「なんでも」

 

「じゃ、まず一曲」

 

 

 

 楠木さんはもう一度椅子を引き、背筋を伸ばす。

 鍵盤へ伸ばされた手が軽やかに動き、音が曲になってイヤホンから流れてくる。

 

 うわ、すっげぇ聞いたことあるこれ。

 

 

 

「……なんだっけこれ」

 

「聞いたことない?」

 

「あのー、なんか、アレ。そうだ!!電話の保留のやつ!」

 

「ぶふっ」

 

 

 

 よどみなく流れていた曲が乱れる。

 楠木さんはすぐ元に戻して、曲名をすらすらと答えた。

 

 

 

「ベートーベン、エリーゼのために」

 

「ああ~……言われりゃわかる」

 

「じゃ、こっちは?」

 

 

 

 今度はもっとすげえ聞いたことがあった。ワンフレーズだけで覚えがある。

 

 

 

「うわなんだっけこれ!……アレ!アレだ!昔映画で聞いた!あと年末!!」

 

「なにそれー。

 

……交響曲第9番、歓喜の歌。これもベートーベンだね。第九って言った方が有名かな?」

 

「それなら分かる」

 

「ふふ、じゃあこれは?」

 

 

 

 段々このクイズが楽しくなってきた。

 

 今度は随分軽やかな曲だ。普通に知らねぇ。

 

 

 

「……風呂が沸いた音?」

 

「モーツァルト、ピアノソナタ第16番第1楽章。

 

もう、確かに似てるけどさ!はい、次!」

 

「あ、これは分かる!くるみ割り人形だろ!」

 

「正解!チャイコフスキーの行進曲。やっとだね」

 

「うっせぇ。次は?」

 

「じゃあ、これ」

 

「……CM!薬!」

 

「そ、そんなCMあったっけ?24の前奏曲より第7番、イ長調……ショパンだよ。

 

じゃあ、これは?」

 

「…………病院の曲」

 

「あっはは、すっごい分かる!これもショパン、ノクターン第2番」

 

「へぇ〜」

 

 

 

 楠木さんの爪弾くクラシックを聞き、俺がボケる。

 

 楠木さんの滑らかに動く指を見て、ゆったりとした曲を聞いていると緊張が解れてきた。

 

 

 つーか楠木さんピアノめっちゃ上手いじゃん。

 昔習ってたのは知ってたけど、今からキーボード係の百合と変わっても問題ないくらいだ。

 

 

 そうしてクイズに興じていた時、扉の向こうで着信音が聞こえた。

 俺でも楠木さんでもない。てことは、楠木さんのお父さんか?

 

 

 二人で振り返った時、電話に出たのか着信音が途切れた。

 

 

 

「……何の用です?」

 

 

 

 低く冷たい声。

 

 それがさっきのにこやかな声と同じと気付くのに、しばらくかかった。

 

 電話を繋いだままもう一つの部屋に入ったけど、それでも声は聞こえてくる。

 最低限な返答だけだけど、穏やかな会話じゃなさそうだった。

 

 

 ふと、楠木さんがイヤホンを外して立ち上がる。

 つかつかと歩き、開きっぱなしだった引き戸をぴしゃりと閉めた。

 

 

 

「楠木さ……、」

 

 

 

 きっと悲しんでると思った。

 

 さっきまで楽しく過ごしてたのに、急に優しいお父さんが電話で口論を始めたから。

 気持ちは分かるし、似たような経験もあった。

 

 

 だから俺は、ゆっくり振り返ったその顔を見て、何も言えなくなってしまった。

 

 すわった目に、まっすぐ引き絞られた唇。きつく結んだ拳。

 

 

 それは俺が初めて見る、楠木明里の怒りの表情だった。

 

 

 

「……」

 

「…………あー、あはは」

 

 

 

 黙って見つめていると、楠木さんはしばらくしてゆっくりまばたきし、バツの悪そうに笑った。

 

 少しずつ俺の知る『楠木さん』に戻っていく。

 

 

 

「ごめんね。たまにあるの、アレ」

 

「そう……」

 

 

 

 だけどそう微笑んだ顔は固くて、やっぱりかける言葉が見つからない。

 

 

 楠木さんは大きくため息をついてピアノに戻り、鍵盤に手を追いた。

 すっと変わった雰囲気に、目が離せない。

 

 

 ダーン、と重苦しい音が左耳に響く。

 

 そうして弾き始めたのは、なんか暗い曲。

 でも、暗さ一辺倒じゃなくて明るかったり力強い感じもあるような……なんて、せっかくいい曲なのにくだらない感想しか出てこない。

 

 最初はゆっくりだったのに、急に激しくなる。

 素人の俺でも分かるくらい難しい。

 手がもつれたのか、いらない音が混じる。

 

 弾き続ければドミノ倒しのようにミスが増えていって、楠木さんは「あーあ」と笑って鍵盤を雑に叩いた。

 

 ジャーンという不協和音と共に、くつくつと声を抑えて笑う。

 

 

 

「もう。ホント、お祖父様も困っちゃうよね。マジメンドイ」

 

 

 

 楠木さんはもう一度最初から弾き直す。ダーンという音がまた左耳を打つ。

 

 

 

「さっきの電話ね、お祖父様。またお父さんに戻ってこいとか言ってるんだよ、多分」

 

「……何?」

 

 

 

 お祖父様。おじいさま。オジイサマ。

 

 

 俺の頭は、ドラマかアニメでしか聞いたことのないその呼び方を、『楠木さんが言った』ということを認めなかった。

 

 鳴り響くピアノにせっつかれても動かないままで、対して楠木さんの口は良く回る。

 

 

 

「今更帰るわけないのにね。

 

叔父様、あ、お父さんの弟ね。が、遊んでばっかりだからさすがに焦ってるのかも」

 

「…………どういう」

 

「ね、聞いてよ赤坂くん」

 

 

 

 俺を置いていったまま、楠木さんの言葉と一緒に流れていたピアノが黙る。

 手を止めた楠木さんが俺を見る。

 

 ──目が合う。

 

 その凪いだ瞳をにんまり細めて、彼女は言った。

 

 

 

「私たちね、家出中なんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベートーベンのピアノソナタ8番『悲愴』第1楽章。

 

 さっきの続きから再開して、楠木さんは明るい声で口を開いた。

 

 

 

「この曲はね、小学校最後のコンクールでやるはずだったの。お祖母様が目立つからこれにしろって。

 

さっき弾いたのは全部そう。全部私がコンクールで弾いた曲。

何回か賞も取ったんだよ、すごいでしょ?

 

他にも色々やったなぁ……。

 

書道に、華道、茶道でしょ、声楽に筝曲に、バイオリンと日本舞踊……は、下手すぎてやめさせられちゃったんだっけ。

高学年からは塾も行ってた。

 

ふふふ、毎日忙しかったな。

 

ご飯の用意は私とお母さんの仕事だったから、皆の朝ご飯用意して、皆が食べ終わったら後片付けして、学校行って。

 

帰ったらすぐ習い事に行って、お夕飯の準備でしょ、それから習い事の復習して、宿題して、おしまい。

 

いつからかは覚えてないけど、ずっとそんな毎日だった」

 

 

 

「元々お父さんとお母さんは東京の近くに住んでたんだけど、なんかね、お祖父様に『戻ってこい』って言われたんだって。

私がまだまだ小さい頃の話。

 

だから多分、10年?くらい、九州に住んでたってことになるのかな。

 

お祖父様は一帯の地主でね、お家もすっごい大きくて……ふっふふ、私、これでもお嬢様だったんだよ?」

 

「……へぇ、楠木さんが……」

 

「そ、私が!」

 

 

 

 楠木さんに合わせて口角を上にあげるけど、全然笑えない。

 

 俺のなけなしの軽口に気分を良くして、楠木さんはさっきミスしたところを難なく弾きあげ、先を続ける。

 

 

 

「誰よりイイ暮らしだ、こんな生活なかなかできない……って、お祖父様とお祖母様の口癖だったな。

 

私もそう思ってた。

クラスの誰と比べても、私が一番幸せだと思ってた。

 

皆のお話も楽しそうだったけど、私には縁のない世界だったから。

 

ずーっとそんな『イイ暮らし』のまま、過ごすと思ってた。だけど……」

 

 

 

 ピアノは続けながら、楠木さんはふと顔を上げる。

 

 レースカーテンを透かし柔らかくなった日に照らされて、俺の知らない高嶺の少女が写っている。

 

 次の言葉が浮かんだのか、手元へ視線を戻した時にはその姿は掻き消えた。

 

 

 

「……お友達と同じ中学、行けなくなっちゃって」

 

「……私立ってこと?」

 

「そう。お祖父様が決めちゃった。いつものことだったもん。文句なんか無かったよ。

 

でも、やっぱり、お友達と離れるのは寂しくて。それをお母さんに言ったらね…………なんか家出することになってた」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 沈んでいた気持ちが沈黙で浮かび上がる。

 あれ、今、なんて言った?

 

 

 

「えっ」

 

「なってたの」

 

「なってた」

 

「そう。家出することに」

 

「…………はぁ!?」

 

 

 

 思わずデケェ声が出て、自分でも驚く。

 

 待てよ、何だ『なってた』って。

 さっきまでもっと何か、深刻ってカンジだったじゃねえか。

 

 諸々の言葉と感情がすっ飛んだ俺を見て、楠木さんは軽快にピアノに合わせてけらけら笑った。

 

 

 

「ね、ね!びっくりするでしょ?」

 

「えっ、いや、な、急!!」

 

「でしょー?お母さんすごいんだよー」

 

 

 

 奏でる悲しげな音色とは正反対に、楠木さんは本当に可笑しそうに笑う。

 その笑顔に、俺はやっぱりついていけない。

 

 

 

「ホントにすごかったなあ。

最初はお祖父様を説得しようとしたんだけど、やっぱりダメでね。そしたら、『逃げちゃおっか!』って!

 

で、ホントに逃げてきちゃった。

お母さんそんな人だと思ってなかったから、びっくりしたな。

 

しかもね、お母さんだけじゃないの。

 

逃げるときね、すんでで叔父様に止められちゃうところだったんだけどね、お父さんが味方してくれたの!

今まで私たちに関心0だったのに、だよ?

 

で、まさか私たちに逃げられると思ってなかったお祖父様たちはあんな電話ばっかかけてくるって訳!

 

っふふふ、ね、どう?すごいでしょ?」

 

 

 

 鳴り響いていたピアノが終わりを告げる。

 余韻も残さずピタリと止まったその過去に、どんな顔をしていいのか分からない。

 

 

 そんな一気に伝えられても受け止めきれない。

 そんな明るく言われても、俺の心は明るくならない。

 

 いっそのこと、全部冗談だって言ってほしかった。

 

 

 だけど、この1年半で見てきた行動や言葉の端々が思い出されて、ピタリと話に噛み合って、間違いなく楠木さんの過去は『そう』だったんだと、頭が言っていた。

 

 でも心が認めようとしない。

 

 だって、本当だとしたら、楠木さんはどんな小学生時代を送ってきたんだ。

 

 両親と逃げてきたって言ってもチャラにできるものじゃない。

 

 自由なく押し込められて、遊ぶ暇もなくて。

 俺がさっきベラベラ話したような、最高にバカで楽しかった日々は、この子には無かったっていうのか。

 

 

 もしそうなら、それは、余りにも……

 

 

 

「……違うよ」

 

「っ」

 

 

 

 聞きなれた声に顔を上げれば、落ち着いた表情が俺を覗き込んでいた。

 

 ゆっくりイヤホンを外し、憑き物が落ちたようにため息をつく。

 

 

 

「ごめんね、急にこんなこと話して。びっくりしたよね」

 

「……ほんとだよ」

 

「ふふ、だよね。……でもね、ごめんなさい、違うの。

 

……私……私、この話をしたのは」

 

 

 

 楠木さんはピアノの電源を落とす。

 

 目を閉じて、言葉を探して口をもごつかせる。

 苛立つように眉を吊り上げ、息を深く吸って、そして彼女は、俺に言った。

 

 

 

「……あなたに、かわいそうって思ってほしかった訳じゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この話ね、中学でもしたことあるんだ」

 

 

 

 すっかりぬるくなったコーヒーを飲んで、楠木さんは壁の一角を見て言った。

 視線の先には寄せ書き。

 多分、吹奏楽部引退の時にもらったもの。

 

 

 

「部活、入ったばっかりの頃だったかな。

 

暇になっちゃって、パートの先輩たちに小学校の頃何してた?って聞かれたからそのまま話したの。

 

そしたら、すっごい引かれちゃって。あっという間に『家庭環境激重の闇一年』なんて噂が広まっちゃった」

 

 

 

 仕方ないよね、というように笑って続ける。

 

 

 

「でも皆優しかったから、『かわいそうだね』『大変だったね』って言ってくれたよ。先生も思いやってくれたし。

 

だけど、私、……そんなつもり無かったのに」

 

 

 

 空になったグラスをつついて、楠木さんはじっと何処かを見つめる。

 

 

 

「だって私、楽しかった。

 

私なりに、頑張って、楽しく過ごしてた。

いい思い出だってたくさんあるんだよ。

 

……それを、それを、勝手に、私のこと分かったみたいに、かわいそうとか闇とか重いとか言われるのは、嫌だ。

 

嫌だったんだよ。赤坂くんでも、嫌だ」

 

 

 

 言葉を選ばず、とうとうと楠木さんは語った。

 俺を透かし、自分自身と話していた。

 

 なんとなくしっくりこないのか、フルフル頭を振って、視線をさ迷わせる。

 今度は言葉を選んでいる。

 

 俺はそれをゆっくり待った。

 彼女が頑張って探している言葉を受け止めたかった。

 

 この子はかわいそうなんかじゃないと、俺も納得したかった。

 

 

 

「……赤坂くん」

 

 

 

 名前を呼ばれる。顔を上げる。合わせた目には、俺が映っていた。

 

 

 

「私、私ね、多分…………すごいって言ってほしかったんだと、思う」

 

「……すごい、」 

 

「あれは、さっきのはね、自慢話なんだよ。赤坂くん」

 

 

 

 ようやく固まった思いが、目を合わせて伝えられる。

 

 

 

「色々できてすごいって言ってほしかった。

頑張ったねって、言ってほしかった。

 

だって私、ピアノが好き。

皆に色んな曲を聞かせてあげられたから。

 

キレイな字が書けるようになれたから、書道も好き。

 

お茶もお花も好き。お掃除も、お料理だって大好き。楽しかったし、頑張ったもん。

 

あの時の私を、肯定してほしかったんだよ」

 

「……そっか」

 

「うん」

 

 

 

 やっぱり、楠木さんは強い。

 

 きっと俺に言わなかっただけで、辛いことも嫌なこともたくさんあったと思う。

 小さい頃だったなら尚更。

 逃げだした後だって、すぐ今の仲良し家族になったわけじゃないだろう。

 

 

 それでも彼女は折り合いをつけて、前を向く。

 『楽しかった』って、いつもの笑顔で言う。

 

 その鮮烈な明るさは、誰にも負けない、彼女だけの誇り。

 

 

 

「……すごいよ、楠木さんは」

 

 

 

 俺の自慢は、そんな君が友達でいることだ。

 

 

 

「お前のそういうとこ、マジで最高」

 

「……でしょう?」

 

 

 

 喜びを一筋流し、楠木さんはいつものハの字眉で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楠木さんは晴れやかな表情で息を吐き、くっと伸びをした。

 そして机に置いていた楽譜を手に取る。

 

 

 

「……なんか、すっきりしたからやる気出てきちゃった」

 

「いいことじゃん」

 

「改めて、ステージに立つのって良いなって思って」

 

「何だよ、この前は3人で緊張してたくせに」

 

「別に、本番始まったら大丈夫だよ、私。それにさ、」

 

 

 

 にやり、と少しガラ悪く笑った楠木さんは言った。

 

 

 

「実は私、小さい頃の夢アイドルだったんだよね」

 

「嘘ォ」

 

「まじまじ」

 

 

 

 いつだか百合が言ったことは、あながち間違いじゃなかったってことか。

 

 目を輝かせ、楠木さんは楽譜を日に透かす。

 

 

 

「小さい頃の夢が叶えられるんだよ。こんなに面白いこと、ある?」

 

「ねぇな」

 

「頑張ろ、赤坂くん。私、今なら何でもできる気がする」

 

「言われなくても」

 

 

 

 と、俺たちのスマホが同時に鳴る。

 

 今度は俺が先に画面を見れば、湊が『ついたー』と、矢ノ川駅の写真を送っていた。

 

 なんか、ちょっと腰折れ。

 そんな可笑しさも、目を合わせれば伝わる。

 

 

 

「とりあえず、こいつら迎えに行こーぜ」

 

「だね」

 

 

 

 引き戸を勢いよく開ければ、シンク磨きに戻っていた楠木さんのお父さんが目を丸くしてこっちを見ていた。

 

 

 

「お父さん、私、お友達迎えに行ってくるね」

 

「俺も行ってきまーす」

 

「えっ、ええ?い、行ってらっしゃい!」

 

 

 

 返事もそこそこに行けば、ふいに呼び止められた。

 

 

 

「えっとあの、赤坂くん!」

 

「はい!」

 

 

 

 振り返れば、不安と困惑が少しと、

 

 

 

「……ありがとう」

 

「当然っす!」

 

 

 

 恥ずかしいくらいの感謝。

 

 それにはっきり返事を返す。

 だって俺は、楠木さんの友達だ。

 

 その自信を込めて笑いかければ、お父さんはそっくりな笑顔で答えてくれた。

 

 

 

「おら待て楠木ぃ!」

 

「ぎゃあ待って!追いかけっこじゃ勝てないって!」

 

「『なんでもできる』んじゃなかった?」

 

「それはそれ、これはこれだってば!」

 

 

 

 ふざけあって駆ければ、暑さなんて何でもない。すぐに追いついて、お前の隣に。

 

 

 

 絶対言ってやらないんだけどさ、俺だって、お前といれば何でもできる気がするよ。

 

 明里。

 

 

 

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