俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

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マンガなら横が真っ黒になってそうなほど過去編が続いておりますが、お付き合いください。











Side.I 『オーバーライト⇄ライトオーバー』(前編)

──かわいそうにねぇ。

 

 

 なぜかおれの超ラッキーでハッピーな人生には、いつもその言葉がついて回った。

 

 

 一人っきり残った保育園の部屋で。

 

 小学校に上がって同じく一人になった学童で。

 

 隣の椅子が空いた授業参観の日の教室で。

 

 お気に入りのカップ麺とお菓子を買ったスーパーの中で。

 

 楽しみにしていた映画を借りに行った夜のレンタル屋で。

 

 

 おれは物心ついた時から、それが不思議でしょうがなかった。

 

 

 保育園で一人だけになれば、おもちゃも先生たちも独り占めできる。

 学童なら指導員のお姉ちゃんとお兄ちゃんを。

 

 授業参観に親が来なかったら、問題間違えても恥ずかしい思いなんかしなくて済む。

 

 他の子たちは月のお小遣いが1000円とかなのに、おれはほぼ毎日1000円分好きなものを買える。

 

 夕飯に嫌いな物を食べなくて良いし、アニメも映画もドラマも見放題。

 ちょっとご飯を我慢すれば、ゲームも漫画も好きなだけ買える。

 

 

 これのどこが『かわいそう』なんだって話。

 こんなのマジ、最高の暮らしじゃん?

 

 友達たちは皆羨ましそうにするし、ホント分かってない。

 

 

 中には『だって寂しくない?』なんて聞いてくる人もいる。

 

 いや、どこが?毎日色んな友達と夜遅くまで遊べるおれのどこが?

 

 それに、母さんは家に帰ればずっとおれと一緒にいてくれる。

 少しでも体調が悪ければ、仕事を休んで看病してくれる。

 

 一緒にゲームをするのも、お菓子を食べてテレビを見ながらのんびりするのも大好きだ。

 

 確かに母さんの朝は早いし帰りは遅いけど、帰ってきさえすればそんな時間が待ってる。

 寂しいなんてミリも思わない。

 

 

 だからおれは、それをぶつけられるたびいつも心の中で中指を立ててやった。

 

 皆バカばっかりだ。なんも分かっちゃいない。

 

 

 おれはかわいそうなんかじゃない。

 おれは、毎日幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 中学に上がって、おれはテニス部に入った。

 

 別に対して好きだった訳じゃないけど、小学校からの友達がテニス部行くって言うからついてった。

 

 これが思ってたより楽しい!

 小学校とは比べ物にならないくらい色んな人と仲良くなって、そんな人達と話していれば基礎練だってあっという間だった。

 

 唯一3年のクソみたいな先輩がウザかったけど、引退したらマジで欠点なし。

 

 ヘッタクソだろうが気にならない。

 ラケットを剣のように振り回し、おれたちは最高の部活生活をエンジョイした。

 

 

 勉強だって、そんなに悪くない。

 詰まったりしないし、平均点はよゆーで超える。

 なんなら勉強教えて!なんて言われちゃうくらい。

 

 

 お陰で男女満遍なくクラスに友達が出来た。

 

 毎日朝練から授業、昼休み、部活が終わるまで、おれは一人でいることなんか無かった。

 なんなら休日だって部活に遊びで暇しない。

 

 小学校から更に増えたお小遣いで遊びまくる。

 

 

 前途洋々。

 おれの人生、マジ順風満帆すぎない?

 こんな楽しい中学生活送っちゃって良いワケ?……なんて、毎日思わずにいられない。

 

 

 通学カバンを持って駆け出していく朝が好きだった。

 母さんに1日の出来事を話して寝るのが好きだった。

 毎日が自慢の1日だった。

 

 

 なのに。

 

 

 

「にしても、お前もかわいそうだよな」

 

「………………え?」

 

 

 その日は、課外活動で町の清掃ボランティアだった。

 

 親も一緒に参加できるタイプの行事で、おれたちは数人のお母さんたちを引き連れて軍手で遊んでいた。

 本当にそれだけ。

 

 何の変哲も無い時間に、何の脈略も無く、おれの友達はそう言った。

 

 

 親切心。訳分かんなくて見たそいつの顔には、それだけがあった。

 

 

 

「だって、お前のお母さん全然来ないじゃんこーいうの。小学校から」

 

「……え……、うん、そーだけど…………?」

 

「それに、帰っても一人なんでしょう?大丈夫?」

 

 

 

 言葉を継いだのは、中学からの友達のお母さん。

 隣のそいつと一緒になって、おれを心配そうに見ていた。

 

 

 

「え……、全然……?それに、今はもうおれも部活で遅いし、気になんないっていうか……」

 

「お夕飯とかは?用意されてるの?」

 

「…………自分で買ってる……」

 

 

 

 答えにお母さん同士の視線がかち合うのが分かった。

 そして、注がれるおれへの何かを含んだ視線。

 

 それが何か気持ち悪くて、持っていたビニール袋を振り回して叫んだ。

 

 

 

「もう!何だよ皆して!全っ然大丈夫なんだけど?見て分かんない?ほら!」

 

 

 

 おれは笑顔でそう言う。

 そんなおれへ友達たちとお母さんたちの視線が突き刺さる。

 

 優しさと哀れみ。

 それから心配と親切。

 

 11月の肌寒さを忘れるほど、温かい視線だった。

 

 

 

「無理すんなよ徹!」

 

「そうそう!オレらがいるからさ」

 

「いつでも遊び来て良いからな」

 

「うんうん。おばさん大歓迎よ」

 

「そーそー!エンリョしなくてOK!」

 

「あんたはちょっと遠慮しなさい!」

 

 

 

 友達の一人がお母さんにそう突っ込まれて、皆どっと笑い出す。

 

 おれも皆に合わせて笑う。うまく笑えない。乾いた笑いしか出てこない。

 

 

 

「ははー……」

 

 

 

 そこでようやく気がついた。

 

 今日親来てないの、おれだけじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 清掃ボランティアの後には、なんか結構重要らしい保護者会があったらしい。

 そういえば、そんなプリント渡した気がする。

 

 翌日渡された保護者会の資料を渡せば、母さんはげっというような顔をした。

 

 

 

「……もしかして、昨日結構大事な話だった……?」

 

「え、知らん……」

 

「…………これ修学旅行のお知らせじゃん……」

 

「げっ」

 

 

 

 母さんと同じように顔をしかめたら、目が合った。

 

 ──自分たちで言うのもアレだけど、おれらはすっげぇ似てる親子だ。

 お互い自分そっくりな顔を見たら、面白いが勝ってくる。

 吹き出すタイミングも一緒。

 

 

 

「もー、ばか!どうすんだよー」

 

「大丈夫大丈夫、お母さんが何とかしますー」

 

「頼むよもう」

 

「任せときなさいって」

 

 

 

 その言葉通り、お母さんは資料をあっという間に読み切って、何をすべきかすぐ理解した。

 

 ホントに何とかなっちゃうのが、おれの母さんのすごいところだ。

 

 

 

「にしても、もう修学旅行の話かぁ。あっという間ねー」

 

 

 

 修学旅行がどうにかなったら今度は洗濯物。

 

 母さんは乾燥機で乾いたばっかのふかふか暖かいタオルを畳んでいく。

 おれは横でだらだらゲームだ。

 

 

 

「ね!まだ2年も先だってのに金の話とか気ぃ早すぎない?」

 

「んーん、そうじゃなくてさ」

 

 

 

 洗濯物を畳む手は止めず、母さんは少し目を伏せた。

 

 

 

「あっという間におっきくなっちゃったなって話。

ついさっき中学に入学したばっかりだと思ってたのに。

 

もう次は高校ね……」

 

「もー、だから気ぃ早いってば!卒業2年後だよ?

それに、あっという間って、もう入学して半年も経ってるし!

 

マジ大人ってなんでそんな時間感覚狂っちゃうわけ?」

 

「はっ、あんたも大人んなりゃ分かるわよ」

 

「うわ出たっ!またそれじゃん」

 

「ほら、タオルしまってきて。もう寝なさい。明日も部活でしょ」

 

「……はーい」

 

 

 

 ゲームを止めて、畳まれたタオルを受け取る。

 

 ホンっト、大人ってこーいう話好きだよなあ。

 子供が大きくなった小さくなったって、そんな面白い話?

 

 母さんはおれが小さい頃からマジ全然変わんないから、そういう話されると余計変な感じする。

 

 

 

「……ね、母さん」

 

「んー?」

 

 

 

 おれは暖かいタオルを抱えて振り返った。

 母さんはいつも通り、微笑んでこっちを見てくれる。

 

 

 昔から変わらない、おれの自慢の母さん。

 

 東京のすっごい所で毎日働いてて、だけど家に帰ったらちゃんとおれの話聞いてくれる母さん。

 

 料理は壊滅的で、時々行事のこととか忘れちゃうけど、いつだって優しい母さん。

 

 

 

「おれさ、毎日楽しいよ!ホントにマジ!」

 

 

 

 そんな母さんが居てくれたら、友達に言われたことなんか全然気になんない。

 おれは毎日楽しくて幸せだって、自信を持って言えた。

 

 

 

「……ふふ、急にどうしたの」

 

「へへ、なんでもなーい」

 

 

 

 恥ずかしくて逃げるように洗面台に行こうとしたら、後ろからわしっと捕まえられた。

 

 

 

「うわ、はは、もう!ホントになんでもないんだってば!」

 

「もう、徹ってば」

 

 

 

 久々に頭をわしゃわしゃされて、余計口元が緩んでくる。

 母さんを見れば同じように、ゆるゆるの顔でおれの頭を撫でていた。

 

 

 

「ふっふふ、お母さんも徹が居てくれて毎日楽しいわ」

 

「えー、マジー?」

 

「まーじ」

 

 

 

 照れくさいけど、おれはそれに身を任せた。もう中一だけど、たまには良いじゃん?

 

 広々としたマンションの一室に、おれと母さんの笑い声が響く。

 これが幸せじゃないなら、何だって言うんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って言っても、それはあの子がかわいそうじゃないかい」

 

 

 明かりの向こうからそう聞こえてきて、廊下が急に寒くなった。

 止めた足の裏から、冷たさが身体に登ってくる。

 

 

 

「昇進って……。

 

余計、仕事にかかりきりになるってことだろう?いくら徹が中学生だからって」

 

「今さら断れないんだって。

 

期待もされてるし、給料だってずっと良くなる。今後のキャリアにも関わるの。

 

……あの子のためにもなるんだよ」

 

「って言っても、幸、お前ねぇ……」

 

 

 

 お正月からしばらく過ぎた1月半ば。

 

ようやく母さんの休みが取れて、親子二人で祖母ちゃんちに来ることが出来た。

 

 お正月にはおれ一人で会いに行ったばっかりなのに、祖母ちゃんはおれらを5年ぶりのように出迎えてくれた。

 

 

 お年玉くれたの忘れちゃったのかな?って思う額をこっそり貰って、3人で出前の寿司を食べた。

 

 玉子を最後に食べたりガリを残したりするおれらを見て、「あんたたちは本当に似てるねぇ」なんていつものように言う。

 

 これはおれの祖父ちゃんも同じだったらしくて、この後は祖母ちゃんの祖父ちゃん自慢が始まるのがお決まりだった。

 

 

 夜になっても風呂に入ってもまだまだ話し足りない祖母ちゃんと母さんを置いて、おれは一足早く寝室に行ってゲームやってた。

 そしてちょっとトイレ、と思って出てみれば、これだった。

 

 

 軋んで気づかれないよう、おれは数歩戻って壁にもたれる。

 

 薄い壁だ、こんなに戻っても二人の会話は良く聞こえた。

 

 

 

「お金は大事よ。そうでしょ。

 

片親だからって経済面で不利はさせたくないの。

お母さんにだってもっといいケアを受けさせてあげたいし」

 

「わたしは大丈夫よ。自分の貯金も年金も、お父さんが残してくれたお金だってあるんだから」

 

「……でも」

 

「……ねぇ幸?前から言ってるけど、徹と引っ越したらどうだい?もっと職場に近い所にさ。

 

わたしなら心配いらないよ。ヘルパーさんも来てくれるし、デイケアもあるんだから」

 

「…………駄目よ。出来ない」

 

「でも幸、それじゃあ徹が……」

 

「分かってる!

 

…………分かってる。

 

……小さい頃から、ずっと……、……徹、かわいそうな目に合わせてばっかりで…………」

 

 

 

 そこまで聞いてしまって、おれはようやく廊下を引き返した。

 

 戻ってきた寝室は暖房が効いていて、冷えた身体を暖めてくれる。

 布団にくるまれば、ふかふかと暖かい。

 

 それでも、バクバクとうるさい心はいつまでも冷たいままだった。

 

 

 ──かわいそう。

 

 

 そう言ってた。祖母ちゃんも、母さんまで。

 小さい頃からずっとって。

 

 二人ともそう思ってたの?

 

 子供のころから引っ付いてきたあの声みたいに、何にも分かってないバカたちと同じように。

 

 おれがかわいそうだって。ずっと。ずっと?

 

 

 喉の奥がグッとせり上がって、息が苦しくなった。

 だけど、鼻がツンと痛むことも視界がにじむこともなかった。

 

 

 ただおれは暖かさに包まれて、一人凍えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3学期はいつもの日常と一緒に、少しずつ進んでいった。

 

 優しい母さん。面白い友達。楽しい学校と部活。

 

 何も変わらない、幸せな、自慢の1日。

 

 

 だけど、なんだか肌に合わない。

 あんなに好きだった毎日がおれからズレていく。

 

 皆の視線が突き刺さるように感じる。

 『それ』を含んだ、おれが大っ嫌いだった視線が。

 

 

 

「湊、お前何したか分かるか」

 

 

 

 何でもない1日だった。

 ただちょっとおふざけがヒートアップして、押す力が強くなっただけだった。

 

 階段から落ちてったアイツだって、痛いより笑いの方が勝ってた。

 

 本当に、それだけの、ちょっとしたハプニング。

 

 

 

「……すいませんでした。

 

……えっと、その、ちょっと、力入っちゃって」

 

「……湊。お前、本当はイライラしてたんじゃないか?」

 

「え…………?」

 

 

 

 鬼の生徒指導で有名な先生に呼ばれてビビりながら行ってみれば、そう言われた。

 

 純粋に訳わからなくて顔を上げれば、その視線に思い切り射抜かれた。

 

 

 

「……ほら、お前、お父さんいないだろう。寂しかったんじゃないか」

 

「…………」

 

 

 

 ──落ちてったアイツは、父親と仲が良いことで有名な奴だった。

 だから、親のいないおれは、それに嫉妬した。

 

 

 そんなシナリオが、先生の視線に含まれていた。

 その中心は、心配と親切心。

 

 そんな優しさの目が、おれの頭を貫いた。

 

 

 

「…………、」

 

 

 

 ああ。

 なんだ、そういうことか。

 

 バカなのは、ズレてたのはおれの方か。

 

 

 おれはかわいそうな子なんだ。

 

 片親で、仕事が忙しくて構ってもらえなくて、お金だけ渡されて、夕飯も一人で、寂しくて、辛い毎日を送っている子。

 

 それに気づきもしないで、おれは幸せだなんだと喚いているバカな子。

 

 幸せからはズレている子。

 

 

 皆、ずっとずっと、おれのことそう思ってたんだ。

 

 

 

「………………そう、なんすかね」

 

 

 

 そう答えれば、目の前の優しさは更に勢いを増した。

 

 励ますように肩を叩かれて、『おれの動機』が決められていく。

 それを少しずつ、周囲のコーヒーの匂いと一緒に吸い込めば、なぜだか息がしやすくなっていった。

 

 

 認めてしまえば、こんなに楽なことは無かった。

 

 そうか、おれは、不幸な子だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれは次の日、学校を休んだ。なんとなく。

 電話フル無視で丸一日ゲームして、母さんに理由を聞かれてもはぐらかした。

 次の日の先生や友達の質問にも。

 

 数日通ったら、次は2日。3日。

 そして1週間。

 

 理由を聞かれても、それらしく曖昧な表情をしておけば、それぞれ勝手に納得してくれた。

 

 

 そんな日もあるよね。しょうがないよ。

 

 寂しかったんだよね?

 

 お前毎日大変だもんな。

 

 それくらい許されるよ。

 

 キツくなっちゃんたんだろ?わかるよ。

 

 

 その解釈とあの視線に、それっぽく憂鬱に笑っておけば、それで済んだ。

 先生も友達も、勉強や部活に引き戻そうと来たはずなのに、勝手に納得しておれの味方の顔をして帰っていく。

 

 

 そしてそれは、母さんも。

 

 

 

「……ねぇ、急にどうしちゃったの?」

 

 

 

 締め切った扉の向こうから声が掛かる。

 

 時間は夜の11時半。

 最近はずっとこんな時間に帰ってくる。

 

 何も答えず黙っていれば、母さんは勝手に言葉を続ける。

 

 

 

「……やっぱり寂しかった?ううん、今までもずっと、そうだったの……?」

 

「……」

 

「…………そう、だよね。寂しかったし、辛かったよね。

お母さん、徹のこと放っとくばっかりで。

 

学校の行事も全然行けなかったね」

 

「…………」

 

「……徹?」

 

「………………」

 

「……ね、話したくなったら、いつでも話してね」

 

 

 

 しばらくすると、母さんは扉の前から去っていった。

 

 ほら、母さんも勝手に納得しちゃった。

 なぜならおれはかわいそうな息子だから。

 

 

 かわいそうな息子への負い目で母さんは勝手に納得して、踏み込もうとしない。

 祖母ちゃんもそう。電話を掛けてきて、メールを送って、おれがなにもしなければ納得してくれた。

 

 

 不幸でかわいそうって、何しても許される。

 

 そう気づくのに、時間はかからなかった。

 

 かわいそうって楽だ。

 悪いことをしても、誰にも文句を言われない。

 

 学校に行かなくなっても、宿題を出さなくなっても、髪を染めても、夜遅く帰っても、皆それを許してくれる。

 

 人の愛情が欠けたかわいそうな子は、非行に走っても仕方ないから。

 

 

 気がつけば、学校にはほとんど行かなくなっていた。

 

 春の陽気を含んだ温かい風に金色の髪をひらひらさせて、一人町を歩き回る。

 

 

 自由だ。

 

 

 一度皆の視線を受け入れてしまえば、おれのやることなすこと世界は全部受け入れてくれた。

 

 皆これを教えてくれていたんだ。

 一人寂しくかわいそうなお前には、そうして良い権利が、特権があるんだって。

 

 

 ああ、なんでもっと早くこうしなかったんだろう!

 今まで頑張って良い子でいる必要なんか無かったんじゃん。

 

 こんな自由が許されるんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由を謳歌すること1ヶ月。

 ふと町に同年代の奴らが増えてるのに気がついて、春休みが始まってることに気がついた。

 

 てことはスカスカの学校見れんじゃね?って学校に行けば、哀れ忙しい中学生たちは校内にうじゃうじゃしていた。

 

 残念残念、おれと違って、皆はせっかくの長期休みなのに。

 

 

 吹奏楽部の演奏がうっすら聞こえる中、運動部が学校のあらゆる場所を占拠して練習。

 

 グラウンドには野球部に陸上部。

 その向こうの道場には剣道部。

 

 校舎の後ろを回れば卓球部の掛け声が聞こえる。

 ピンポン玉とは違うボールの跳ね返る音に目を向ければ、テニス部の皆が練習中。

 

 

 これ見よがしに緑のネットに近づけば、友達の一人が気がついた。

 

 

 

「あー!徹!徹じゃん!何してんの?」

 

「お散歩」

 

「うーわ何?クソ優雅じゃん、ざけんなよ」

 

「え、何、徹?」

 

「湊!」

 

「マジだ徹じゃん!久しぶりー!」

 

 

 

 同学年全員、2年の先輩約半分がフェンスの向こう側にわさっと集まってくる。ちょっとした有名人の気分だ。

 

 

 

「お前その髪やっっば!似合わねー」

 

「うっせぇ、いーじゃん別にー」

 

「てかお前アレは?通知表!センセが誰にも渡さなくて気になってたんだよ」

 

「ん?あー、デリバリー。送られてきた」

 

「は?すげぇ、VIP待遇!!」

 

「つーかめっちゃ元気じゃん面白。普段何してんの?」

 

「ゲームに決まってんじゃん」

 

「うーわ死ねマジで」

 

「ズッル!」

 

「ズルくねーし?先輩たちも休んじゃえばいーんじゃないですかー?」

 

「できたら苦労しねーわ!」

 

「そーだそーだ!」

 

 

 

 笑い声と視線が注がれて気持ちいい。

 

 それを割るように、遠くから声が掛かった。部長だ。

 

 

 

「こらー!お前らそろそろ戻れー!!」

 

「げっ」

 

「ヤベ」

 

「はいはい戻りますー!」

 

「悪い徹、またな!」

 

「じゃあな!」

 

 

 

 皆おれに手を振って離れていった。

 

 全員がぱらぱらと練習に戻っていくのを見届け、部長は更に声を張った。

 おれを呼んでる。

 

 

 

「湊ー!」

 

「え?はーい?!」

 

「気が向いたらいつでも来いよー!」

 

「……ぇ」

 

 

 

 その言葉に、皆がまたおれを見る。フェンス越しにあの視線が突き刺さる。

 

 最初におれに気が付いた友達が──おれが突き飛ばしたアイツが──、ニヤッと笑って言った。

 

 

 

「ま、メンバーまだ空いてっからさ。連絡しろよ」

 

「…………ははー、考えとく……」

 

 

 

 手の代わりにラケットを振って、ソイツは走っていった。

 

 おれが硬い笑顔で固まっていれば、何事もなかったように練習が再開。

 ボールの音を背に、おれはコートから離れた。

 

 

 そのまま学校の外を歩いていけば、今度は体育館が見えてくる。

 入り口前に自転車が大量に止まってる所を見るに、どっかの学校と練習試合してるらしい。

 

 走り回る音に、床を打つボールの音。

 時折挟まるキュッキュッという靴の音。

 

 バスケ部だ。

 

 

 体育館の目の前まで来ると、丁度大きい歓声とホイッスルが聞こえた。

 

 休憩に入ったらしく、体育着姿の奴らとその家族がぱらぱら出てくる。

 

 

「お兄ちゃん、お疲れ様!!めちゃくちゃすごかったよ!!」

 

「お疲れ健人。ほら、喉渇いたろ」

 

「お、やーった!ありがと父さん!恵も応援ありがとね」

 

 

 

 ……うわ、隣のクラスの那賀川健人くんじゃん。

 

 背が高くてイケメンでバスケ部のエースで有名。

 

 となると、隣のポニテの子は噂のかわいい妹。

 噂は誇張じゃなかったらしい。

 

 で、もう片方が父親か。

 多分昔はカッコよかったんだろーなって顔。

 

 『あの』那賀川くんの父親なのに、フツーのおっさんって感じ。

 息子に身長抜かれててウケる。

 あれが父親とか、嫌になんないわけ?

 

 

 

「あー健人ジュース飲んでる!!ずりーぞ!!」

 

「だってくれたんだもん、しょーがねぇじゃん!水筒にコーラ入れてきたやつに言われたくないぞ!」

 

「ああ、良かったら桜井くんも……皆さんもどうです?色々買って来たんです」

 

「ええーマジ!?良いんすか!おっしゃぁ!」

 

「皆!健人のお父さんがジュースくれるって!」

 

「うおお神!」

 

「ありがとうございます、那賀川さん」

 

「いえ、お気になさらず。保護者の方もどうですか?」

 

「まぁ、いいんですか?」

 

 

 

 はっ、飲み物でご機嫌取りしてら。

 そんなに息子の『いい父親』やりてーのかな。

 

 だいたい、練習試合ごときに親来るとか重苦しくね?妹はまだいいけどさー。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 背が高い分、那賀川くんは人だかりでもその顔が良く見えた。

 

 先生、友達、妹、父親。

 色んな人たちに囲まれて、那賀川くんは笑っていた。

 マジ幸せって感じの、緩んだ顔。

 

 見ていると、無性に殴りたい気分になった。

 

 何笑ってんだろ、ムカつく。

 休日なんかに部活で走り回って、家族の前で練習なんかしなきゃいけない癖に。

 

 

 

「……何か食い行こ」

 

 

 

 イライラを塀にぶつけて、体育館に背を向ける。

 

 こんなん見てても何にもならない。

 

 おれは自由の身なんだ。

 こんな部活に学校に縛られてるやつらのことなんか気にしてもしょうがない。

 

 おれは皆とは違う。

 

 おれは皆とは違って……、自由なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2年になっても学校には行かなかった。

 

 新しく担任になった先生は新任の人で、しょっちゅうおれのうちに来ようとした。

 まぁ入れてやんなかったけど。

 

 宿題だけでもってポストに突っ込まれたプリント類は全部見ないで捨てた。

 家庭訪問のお知らせもあったらしくて後から母さんに電話行ったらしいけど知らない。

 話すこととかないし。

 

 だいたい、母さんが家庭訪問の予定合わせるのどんだけ大変だと思ってんだ。

 皆が皆、簡単に休めるわけじゃない。

 

 

 母さんは時々おれと話そうとする。

 

 また11時半くらいに帰ってきて、おれの部屋の前で何かを話してる。

 面倒だからイヤホンして聞かない。

 

 だってどうせ、また勝手に納得して離れてくだけだ。

 実際そうだし。

 

 無視しておけば、いつの間にか母さんは自分の部屋に戻ってる。

 

 

 母さんと話しても何も変わらない。

 

 だって何話しても『かわいそうに』って思ってたんでしょ。

 じゃあそれでいーじゃん。

 

 かわいそうな息子にお金さえくれればOK。どーせ母さんはご飯も作れないんだから。

 

 

 貰ったお金を使って色んなものを買った。

 

 ゲーム。漫画。CD。DVD。服。靴。アクセサリー。

 

 部屋がおれの好きなもので埋め尽くされていくと、少し心がスッキリした。

 

 

 昔はよく友達を呼んで遊んだっけ。

 

 マリカにポケモンにスマブラにモンハンに、朝から晩まで。

 

 たまにソフト持ってないやつがいて、代わりに買ってやったこともあった。

 お返しなんかなかったけど。

 

 友達が帰った後、お気に入りのソフトやカードが無くなってたこともあった。

 別にすぐ買い直したけど。

 

 もう『友達のため』とか気にしないで好きなのを買える。

 誰に貸すとか考えないで、自分の欲しいものを好きなだけ。

 

 

 

「あっはは!あるよねー、そういうの」

 

「そ、だから今は好きなの買えるってワケ!最高っしょ?」

 

「さいこー」

 

 

 

 おれのベッドに我が物顔で寝転ぶ子──摩子はそうけらけら笑った。

 進撃の巨人読みながらおれのゲームプレイを見てくる。

 

 

 

「その点うちは気楽でしょー?トーカコーカンてやつで」

 

「うん。マジ気楽で助かってるわー」

 

 

 

 そう答えれば、摩子は満足げにそばかす顔を緩ませて漫画に視線を戻した。

 

 

 芥田摩子。

 小5の頃同じクラスだった。

 

 この前本屋で東京喰種立ち読みしてたら偶然再会。

 話してみたら同じく学校に行かなくなったらしくて、それからなんとなくつるんでる。

 

 等価交換てのは、時々摩子んちに泊まらせてもらってるから。

 

 母さんが休みだったり、先生が来そうな時は匿ってもらってる。

 その代わり欲しがってる漫画を買ってやったり、夕飯奢ってやったり。

 

 だから等価交換。

 

 

 

「……うちんち、パパはトラック運転手で、ママは記者で出張ばっかでさ。昔っから両方いないことの方が多かったんだよね」

 

 

 

 ある日、開け放った窓から吹き込む爽やかな風を浴びながら摩子は一人語った。

 

 

 

「んで、うちがいじめられてんのも気づかないわけ。

その癖学校行かなくなったら怒ってくるし、ワケわかんないよねー。

 

だからぁ、復讐で学校行かないの続けてんの」

 

「ふーん」

 

「あっはは、興味なさそー。

 

ま、お金は少ないけど貰ってるし、いたるんも家に呼べるし、良いことばっかじゃん?」

 

「うん」

 

 

 

 ああクソ、摩子が余計な事言うからミスった。

 

 『クエスト失敗』の文字を見ずに3DSを投げると、摩子が馬鹿にするようにクスクス笑った。

 

 

 

「……ね、いーたるん」

 

 

 

 おれの伸びた金髪を指にかけ、摩子は耳たぶを突っついた。

 

 爪と金属がぶつかるカツ、という音が鳴る。

 それと同時に走る、じくじくした鈍い痛み。

 

 思わず肩が震えると、抑えた笑い声が耳を打った。

 

 

 

「うちら、お揃いだね」

 

「…………っははー」

 

 

 

 おれの耳を弄ぶ手を辿って見れば、傷だらけの腕が続いてる。

 骨ばった摩子のその肩に頭を預けると、おれも笑えてきた。

 

 

 

「かもね」

 

 

 

 おれに父さんはいない。

 

 おれの父さんと言える人は、おれが一歳になる頃家を出ていった。

 あと、ソイツがミュージシャン志望だったから、うちは楽器可の部屋だってこと。

 

 それ以外は知らない。

 どんな顔だったのかも、母さんがなぜソイツと結婚したのかも、別れたのかも。

 

 でも、気にしてない。

 父さんなんかいらない。

 欲しくもない。

 

 おれにはこの時間が──自由が、あればいい。

 

 

 時々気が向いたら学校へ行った。もちろん金髪のまま。

 ピアスもネックレスも見せつけるようにして。

 

 こんな見るからの不良になっても、結局おれに注がれるのは例の視線だった。

 

 生徒指導の先生や教頭先生、校長先生は珍しく叱ってきた。

 

 珍しいこともあるもんだなぁ、と内心思いつつ黙っておけば、結局厳しい目はアレに変わっていく。

 

 何も変わらない。ホントチョロい。

 

 

 ……だけど時々その視線が、おれの自由を保障するその視線が、時々ぞっとするほど憎くなった。

 

 何への憎しみなのかもわからない。

 ただ何となくイライラして、耐え切れなくて、机に八つ当たりした。授業中でも。

 

 皆のあの視線が恐怖に変わるのが最高だった。

 それを摩子に話してやれば可笑しそうに笑ってくれた。

 

 

 その繰り返し。

 自由の喜びとイライラのサイクルを繰り返していれば、暑さも寒さも通り過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっははは!いやー、やるんじゃなかったね!マジ!」

 

「んねー」

 

 

 

 摩子は何が楽しいのか、けらけらと笑った。

 笑うしかないってのが正しいのかも。

 

 始める前にエアコンを止めたのにじっとり部屋が暑い。

 お陰で匂いがこもって最悪。

 

 だるい身体を引きずって窓を開ければ、摩子は「寒っ」と悪態をついて毛布を引き寄せた。

 

 

 

「なーんかさー、思ってたんと違ったねー。痛かっただけじゃん」

 

「いやそれなー。男の方まで痛いとか思ってなかったんだけど」

 

「はぁ?こっちはお前の数倍は痛かったわ」

 

「ああはいはいごめんって。良くもなかったからお揃いでしょ?」

 

「っはは!言えてるー」

 

 

 

 お互いもう捨てられないものを捨て合った高揚感で無駄に口が回る。

 世のオトナはこれのためにこういうことするのかも、なんて思うくらい。

 

 

 摩子の部屋は団地だから狭い。

 居心地悪いのか、痕跡は逃げるように窓から出ていった。

 

 街灯が眩しいだけで星も月も見えない夜空がビルの間から覗いてる。

 

 

 

「……こういうことやったら、何か変わると思ってたんだけどな」

 

「……何も変わんなかったねー」

 

「……ね」

 

 

 凍えるような風がお互い気持ちよくて、高揚感が少しずつ収まっていく。

 狭い窓の風景を眺めていれば、摩子も隣にやってきた。

 

 

 

「……前から思ってたけどさ。うちらって、そーいうんじゃなかったね」

 

「……んね。違ったみたい」

 

「あっはは、ざーんねん。初めて彼氏できると思ったのに」

 

 

 

 摩子が毛布を掛けてくれる。

 身体を重ねるより、毛布の中寄せ合った今の方が落ち着くってことは、きっとそうなんだろう。

 

 

 

「…………うち、引っ越すんだって」

 

 

 

 時計の針がしばらく進むと、摩子はふとそう口にした。

 

 

 

「ママとパパ、反省したって。ごめんって。仕事辞めてやり直そうって……。

 

……今更過ぎない?振り回しといてさー」

 

「……そうなんだ」

 

「っふふ、なんでそう言いだしたか分かる?

 

……いたるんと居るの見たから、だってさ」

 

「っはははは!そりゃそう言いたくもなるわ」

 

「でしょー?マジ何から何までいたるんのお陰ってワケ」

 

「ははー、感謝してよね」

 

「してるしてる、ホントにさ」

 

 

 

 摩子は毛布を全部おれに押しやって、くつくつ笑った。

 

 

 

「て訳で、もう会えなくなるから」

 

「うーわドライ。なんかもっと無いワケ?」

 

「あるわけないじゃん。うちといたるんだよ?」

 

 

 

 そう言いつつ、毛布越しに指が這う。

 

 太ももから腰。

 さっき引っ掛かれた腕から背。

 とっくの昔に定着したピアスホール。

 似合わない金髪。

 

 全部くすぐるように撫でて、摩子はおれを呼んだ。

 

 

 

「いーたるん」

 

「ん?」

 

「……ごめんね」

 

 

 

 簡素な街灯の光に照らされたその目と目が合った。

 

 その視線にあるのは、親しみと、罪悪感と、そして優越感。

 

 この1年一緒にだらだらと過ごしてきた親しみ。

 おれを置いて人生やり直す罪悪感。

 おれと違って親が心配してくれて行動してくれた優越感。

 

 お互い親しみ合い、傷をなめ合い、見下しあい、利用し合った関係性がその視線に表れていた。

 

 

 

「ホントそーいうんじゃないけどさ。いたるんのこと、結構好きだったよ」

 

「……あっそ」

 

「あっそって!あっはは、ヒッド!」

 

「……ありがとね」

 

「うわ!だからって素直になんないでよ気持ち悪いな」

 

「なんか欲しいのある?あげる」

 

 

 

 良い関係と言えなくても、おれと一緒に居てくれた摩子に何かお礼がしたくて、そう言った。

 金くらいしかないおれには、そう言うことしかできなかった。

 

 摩子はしめたとばかりにニヤッと笑い、そして言った。

 

 

 

「じゃ、いたるんちにあるワンピと青エク、全部ちょうだい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 摩子は居なくなった。

 

 漫画100冊くらい無くなった本棚はがらんとしたまま。

 青エクは買い直したけど、空いた分に新しい漫画を入れる気にはならなかった。

 

 棚に埃が被るように、季節は巡っていく。

 ピンクの花びらに顔を上げれば、すっかり桜の散る頃だった。

 

 

 最近、あんなに好きだった自由の味がしない。

 

 何をしていても楽しくもなんともない。

 唯一『かわいそう』の視線を向けないやつはいなくなってしまった。

 

 

 おれは何がしたかったんだっけ。

 

 なんで学校行かなくなったんだっけ。

 

 何にそんなにイライラしてたんだっけ。

 

 どうして友達と母さんを無視するようになったんだっけ。

 

 

 その理由はずっと頭の中にあった。

 形にならないまま脳みその領域を占拠してる。

 

 おれはそれが実体になるのを防ぐように、またゲームを起動する。

 

 だってそれが形になってしまえば、理由が分かってしまったら、おれは耐え切れない。

 あんまりに惨めで子供っぽい理由を受け止めることなんかできない。

 

 でも考えれば考えるほど、それは形を持って、言葉になっていく。

 

 

 嫌だ。

 いやだいやだ。認めたくない。それこそ死んでも。

 

 おれはそんなことない。

 そんなバカな理由でこんなことしてない。

 おれは自分に許された権利を楽しんでるだけなんだ。

 

 

 今日もゲームを起動して、画面を見つめる。

 セーブデータを読み込んで、全部忘れて遊びつくして、上書き保存する。

 おれの自由の象徴を積み重ねる。

 その日々を繰り返す。

 

 毎日。毎日。

 

 そういえば、今日は修学旅行の日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、徹?」

 

 数年ぶりに母さんの声で目が覚めた。

 

 カーテンから差し込む日差しが眩しい。昨日やってたゲームのレーザーみたいだ。

 

 時計を見ると、8時半。

 いつもだったらとっくに母さんは出てるはずだから、今日は休みらしい。

 随分珍しい話だ。お陰でイヤホンするのを忘れた。

 

 

「あの……。今日、お母さん休みなの。

……あはは、珍しいでしょ?

 

ね、一緒にどこか行かない?久しぶりにさ」

 

 

 

 母さん、こんな声だったっけ。

 というか、いるんだっけ。

 

 洗濯物が畳んであったり部屋が片付いたりしてたから存在は分かってたけど、声を聴くと久しぶりに母さんがいることを実感した。

 

 

 

「ねぇ、どこ行きたい?徹が行きたいところなら、どこでもいいよ」

 

 

 

 母さんが今日1日で連れていけるところなんてたかが知れてる。

 ならおれ一人で行った方が自由に行動できるし楽。

 一緒に行く意味なんかない。

 

 足音を立てないようベッドから降りてイヤホンを探した。

 なんかアガる曲でも聞いて気を紛らわそう。

 

 

 

「……なんて、今更だよね」

 

「…………」

 

「そうだよね。だって、お母さん、徹のこと…………」

 

 

 

 と、その次の言葉が分かった。

 

 いつかの寒さがぐわっと足から登ってきて、頭に上ったころには熱く変わった。

 

 

 

「うるさいっっ!!うるさいうるさい!!」

 

 

 

 扉越に母さんがたじろぐ。

 それすらイライラして、おれは勢い任せに扉を開けた。

 

 

 

「なんっなんだようるせぇな!!ふざけんな!

 

休みなんか知らねぇよ!いつも通り金だけ置いてけよ!!いつもみたいにっ!」

 

 

 

 そうまくし立てた目の前に母さんがいない。

 おれより背の小さいおばさんが驚きと恐怖で目を丸くしていた。

 

 ……この人誰だろう。

 見つめ合っていれば、おばさんの──母さんの目は、悲しさに染まっていった。

 

 

 

「……いたる」

 

「ッ」

 

 

 

 頭を揺さぶるその声に、おれはぞっと体温が下がった。

 怒りはどこへやら、急に怖くなる。

 

 おれは足元の鞄をひっつかみ、逃げるように外へ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏だ。

 

 外は夏だった。

 『熱い』なんて一言じゃすまされない日光がおれを焼く。

 母さんにひどいことを言った罰みたいに。

 

 

 違う、そんなつもりなかった。あんなひどいこと言うつもりじゃなかった。

 そうじゃない。おれの境遇を考えれば、あんなのひどいことのうちに入らない。

 そんなことない。どんな奴でも、言っていいことと悪いことがある。おれはその一線を越えたんだ。

 違う。先に超えてきたのは母さんの方だ。元はと言えば母さんが悪いんじゃないか。母さんがあんなこと言うから。

 それはおれを思ってのことじゃん。自分だって分かってるだろう。自分がそうなんだって。

 違う違う違う、違う!おれはそんなことなくて、だけどそうって認めれば何でも許してもらえて、違う、許してもらいたかったんじゃなくて、おれは、おれは──。

 

 

 おれは、叱ってほしかった。

 

 扉の向こうで話すんじゃなくて、無理にでも引っ張り出してほしかった。

 

 かわいそうのままじゃないって、証明してほしかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼーっとする頭で街を歩く。

 

 自分の顔を流れるのが汗なのか涙なのか分からない。

 自販機で買ったポカリが異様に旨くて、半分熱中症になってるみたいだった。

 

 

 デパートの椅子に座って、天井を見る。

 クリーム色の天井だ。

 前もこんな風にここの天井眺めて泣いたっけ。

 

 

 小さい頃、まだ祖母ちゃんの足がそんなに悪くなかった頃、3人でここに遊びに来た。

 

 すれ違った子が持ってた風船が羨ましくて、どこで貰えるか聞こうと思って追いかけた。

 だけど子供の足と頭じゃ後なんか追えなくて、おれは結局こんな狭いデパートで迷子になった。

 

 おれを見つけてくれたのはおれと同じくらいの娘を連れたお父さんとお母さんだった。

 店員さんのところに連れてかれて、やっと母さんと祖母ちゃんに再会できた。

 

 母さんは見つけてあげられなかったことをすごい謝ってきたけど、おれはそんなのどーでもよかった。

 母さんがおれのこと滅茶苦茶心配してくれてたのが、顔を見ただけで良く分かったから。

 

 

 おれはそれだけで良かった。

 

 背の高い優しいお父さんも、迷子の子を見つけてくれるお母さんもいらない。

 

 ただ、心配してくれれば。

 おれを思ってくれれば、それで良かった。

 

 

 あてもなく歩く。

 

 日差しを罰のように受けながら、どこへ行くでもなく歩き続けた。

 やけに歩いてる学生の数が多い……ああ、夏休みか。

 始まってるんだ、夏休み。

 

 

 

「ねぇねぇ、オーキャンどこ行くか決めた?あたしまだ一個も決まってないの!」

 

「えー!?うそ、あんたヤバいよ!先生から早めに決めろって言われたじゃん」

 

「う~、そうだけどさ!決めらんなかったの!だって進路だよ!?イコール人生だよ!?」

 

「う……。ま、気負う気持ちも分かるけどさぁ」

 

「でしょでしょ?ねーお願い!一緒に行ってい?」

 

「えぇ~?しょーがないなぁ」

 

 

 

 前を行く同い年らしき女の子たちの話が聞こえてくる。

 

 

 そっか、おれ今年で3年生ってことは受験じゃん。何にも決めてないわ。

 

 進路イコール人生って言えてる。

 あの子より何もないおれはお先真っ暗って話。

 

 母さんが仕事頑張ってたのは、おれがどんな進路にもつけるようにするためだったのに。

 おれはそれすらダメにしちゃったんだ。

 

 

 ただ歩く。

 

 強い西日に照らされて、街路樹の下で何かが光った。

 

 近づくと、たばこの箱のフィルムが反射していた。

 手に取って振ってみると、1本だけ中身が入ってる。

 

 湿気ってへにゃへにゃしていたけど、おれはそれをポケットへしまった。

 

 そのまま歩いていけば、100円ショップが見えてくる。

 飲み物を買うついでに、ライターを買った。

 こんな見た目なのに、店員は簡単にライターを売りつけた。

 

 あーあ、吸えるようになっちゃった。

 

 

 あたりが薄暗くなっていく。

 街灯に導かれるように歩いていけば、だだっ広い公園にたどり着いた。

 遊具一つない、広いだけの公園。東屋が2つあるだけだ。

 

 昔皆で東屋占拠してモンハンしたっけ。楽しかったなあ。

 

 そのうちの一人、おれがこの前まで遊んでたデータとそっくりのデータだったけど。

 お菓子とジュース代出してたの、ほとんどおれだったけど。

 

 それでも楽しかった。

 

 おれは毎日楽しかった。

 

 

 どんなに他の人からは「かわいそう」と言われるような暮らしでも、楽しかった。幸せだった。

 

 でも皆おれのそれを否定した。

 お前はかわいそうなんだ、不幸な生まれなんだ、そう言っておれの気持ちは塗りつぶされてきた。

 

 

 だから皆の言う通り、「かわいそう」になってやった。

 それらしい振る舞いをしてやった。

 

 皆これで満足なんでしょ?

 かわいそうな奴はそれらしく、自業自得な目に合っていればそれでいいんでしょ?

 

 だから誰も、おれの幸せを肯定してくれないんでしょ?

 

 

 湿気たたばことライターを取り出す。

 これでもう一回上書きだ。

 

 不登校の不良になって、母さんに暴言を吐いた。

 後残る悪いことって言えば、これしかないだろう。

 

 

 もう疲れた。

 これからまた「おれは幸せだ」なんて叫べる力残ってない。

 

 だから、慣れ親しんだ不幸の味にまた浸ってしまおう。

 どうせ誰も分かってくれないんだから。

 

 皆のお望み通りに、この通りに。

 

 

 

「……不幸で満足かよ」

 

 

 

 おれは、ライターに火を灯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっは。それ、吸っちゃうわけ?」

 

「っ」

 

 

 

 たばこの切っ先を火に付けようとした瞬間、頭上から声が掛かった。

 

 驚いて両方とも取り落とすと、声の主はそのままたばこを踏み潰す。

 

 

 

「さすがにそれはアウト……じゃない?」

 

 

 

 顔を上げる。

 にやり、と目の前の女の子が微笑む。

 

 

 おれはその日、天使に会った。

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