俺らの青春戦略   作:さんかくふらすこ

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遅くなりました、後編です。

書いているうちに徹の一人称は「僕」の方がしっくりくるなって思い始めたのですが、
そういうクソガキっぽいところも『らしさ』かなと思って「おれ」のままです。

そんな彼の外伝後編、よろしくお願いします。






Side.I 『オーバーライト⇄ライトオーバー』(後編)

「それはさすがにアウト……じゃない?」

 

 

 

 たばこをぐしぐしと踏みつけ、不敵に笑ったのはランナー姿の女の子だった。

 

 走りやすそうなスニーカー、スラリとした脚を登って見ていけば、短いパンツに包まれた太もも。

 

 きゅっとしたウエストに、同年代にしてはデカめの胸。

 

 おさげにまとめられた黒髪に縁取られた顔には、気まぐれな笑みが浮かんでいる。結構な美人だ。

 

 

 思わず見惚れていると、その子は続いてライターを拾いマジマジと眺めた。

 

 

 

「たばこなんてやめときなよー、まだまだ未成年でしょ?アンタ」

 

「…………なんだ、テメェ……」

 

「あっは、『テメェ』はひどいなぁ。

 

あたし、心配して声かけてあげたんだけど」

 

 

 

 カチ、と着いたライターの炎がソイツの顔を、瞳を照らす。

 

 街頭とは違う温かみのある光で浮かび上がった目と目が合った。

 

 

 

「…………」

 

「てか、ベンチがあんのになんでしゃがんでるわけ?ウケんだけど」

 

 

 

 その目をスッと細めると、ソイツはライターを弄びながら横のベンチに座った。

 それをぼーっと見ていると、べしべしと隣を叩く。

 座れってことらしい。

 

 

 メンドイのに絡まれた。

 

 かと言って逃げるほど居心地が悪い訳でもなくて、おれは距離を取って端に座った。

 

 ソイツは身体をこっちに向けて相変わらず話しかけてくる。

 

 

 

「で?金髪クンはなんでたばこなんか吸おうとしてたの?」

 

「……お前に関係ないじゃん」

 

「お、今度は『お前』にランクアップ?」

 

 

 

 いちいちうるさい奴だ。

 

 しれっと1マス近づいてきたから、左足を抱え込んで壁を作る。

 それでも注がれる好奇心の視線がうっとうしい。

 

 

 

「……ねえ、ほっといてくんない?疲れてんだよ」

 

「ふーん。どうして?」

 

「……なんでも良いでしょ」

 

 

 

 理由を言えるはずもなくてそう誤魔化す。

 おれが子供で最低な奴ってこと、余計突きつけられそうで。

 

 

 黙ったままでいると、ソイツはおれをしばらく見つめた。

 

 穴が空きそうなほど見つめられたあと、ソイツの声が耳を打つ。

 

 

 

「そんなに人の視線に疲れちゃった?」

 

「ッ……ぇ?」

 

 

 

 思わず息を飲んだ。

 

 伏せていた顔を向ければ、ソイツはおれに手を伸ばしてきた。

 

 

 絡まった髪が手ぐしでほぐされる。

 絡まりが取れたら、今度は耳。

 外周をくるりと、そして耳たぶをふにふにと遊ばれる。

 

 身体が更に寄って、ただでさえ暑い黄昏時が人の体温で余計暑くなる。

 

 

 

「うわー、やば。ピアスまで開いてる。金髪クン悪い子だね」

 

「っ、何」

 

「あは。疲れちゃった、かぁ。

 

ね、そんなに悪い子になりたかった?」

 

 

 

 吐息を感じるほどの距離。

 頭を撫でる優しい手のひら。

 そしてその言葉に、心臓の音が早まる。

 

 恥ずい、気持ち悪い、エロい、怖い、分かんない。

 

 感情がごちゃ混ぜになって、ソイツの手を弾く。

 ベンチから逃げれば、相変わらず気まぐれな笑みでこっちを見ていた。

 

 

 

「っ、な、おま、何なんだよっ、この……っ、このエスパー女!!」

 

「ふーん?『エスパー』……ってことは、もしかして当たり?」

 

「ッ……!」

 

 

 

 言い返せない。

 YESとNOどっちで答えるのも嫌だ。

 

 このムカつきを罵倒にしてやりたいけど、目の前の余裕面を見ているとそれすら出てこない。

 

 結局おれに出来たのは、舌打ちしてまた俯くことだけだった。

 

 

 

「……あーごめんごめん。バカにしてるワケじゃないの」

 

 

 

 エスパー女は弁解するようにそう言ったけど、その軽い言い方が気に入らなくて余計ムカつく。

 

 睨み付けたらさすがに反省したのか、眉を下げて申し訳なさそうにした。

 

 

 

「あー、あはは。その、ただ、そんな感じがしたってだけ。ただの勘だよ」

 

「……」

 

「えーとまぁ、……大丈夫?って話。

 

だって、さっき顔ヤバかったよ。マジ死って感じで」

 

「…………あっそ」

 

 

 

 一転どんどん元気が無くなっていくエスパー女の声色に、おれのイライラもゆっくり下がっていった。

 

 一応、どうやら本当に心配してくれたらしい。さっきの触り方はヤバかったけど。

 

 座りに戻るのもダサくて突っ立っていると、エスパー女はおれの顔を覗き込んだ。

 

 

 

「……ね、何があったの?あたしに話してみない?」

 

「なんでお前なんかに教えなきゃいけないんだよ」

 

「知らない人だから話せるってこともあんじゃん?」

 

「……」

 

 

 

 ──目が合う。

 

 ソイツの視線は気楽だった。

 あの嫌なべっとりした暖かさは無くて、今吹き込んでいる風みたいに穏やかだった。

 

 

 だけど、話したところで何になるってんだ。

 こんな良く分かんないやつにおれのこと話しても、何も変わらない。

 それどころか、経緯を話したらこの視線がまたアレに染まりそう。

 

 それだけは嫌だ。

 

 

 

「……さっきも言ったでしょ。ほっといてよ」

 

 

 

 だから拒否。

 

 もう疲れた。疲れたんだ。

 さっきコイツが言ったように、人の視線に左右されるのは。

 

 心配してくれたのだけはちょっと嬉しかったけど、もうおれはそれすら疲れた。

 

 お願いだから放っておいて。

 暴言吐いて傷つかせるのも、その様子を見ておれが傷つくのも嫌だから。

 

 

 ため息と一緒に吐き出せば、エスパー女は「そっかぁ」と同じようにため息と一緒に笑った。

 

 諦めてくれたのか、大げさな動きでベンチから立ち上がっておれの横を通り抜けていく。

 

 

 

「………………んじゃ、これ、貰ってくから!!」

 

 

「…………エッ」

 

 

 

 遠ざかる足音に一息ついた瞬間無駄に明るい声に振り向けば、ニヤッと笑ったエスパー女。

 

 そして、その手に掲げられたおれのカバン。

 

 

 

「は……。は!?ちょ、おいテメェ!返せ!!」

 

「はぁ?その辺置きっぱにして黄昏てたアンタが悪いんじゃん?」

 

 

 

 それはそうだけど!

 

 取り返そうと近づけば、エスパー女はひらりとおれの手をかわした。

 

 右、左、フェイント掛けてまた左。

 

 おれこういう取り合いで負けたことないのに、エスパー女はその名の通り完璧な読みでおれの手を避けていく。

 

 

 

「おま、ざっけんな!財布とスマホも入ってんだぞそれ!」

 

「あっそ。バカ大変じゃん?」

 

「ふざけんなよこの泥棒!」

 

「不良くんに言われたくなーい」

 

 

 

 近くでわちゃわちゃやってたのが、だんだん公園の広いフィールドを使ったものに変わっていく。

 

 木を中心にグルグル回ったり、さっき座ってたベンチを飛び越えたり。

 

 

 

「返せッ!!」

 

「おわっ!?やるぅ~!あっはは、良いよ、その調子!」

 

「テッメェ……!!」

 

 

 

 ランナー姿なだけあって、エスパー女の体力がヤバい。

 ぐるぐるぐるぐる、公園を走り回ってるのに全く疲れる様子がない。

 逆の意味でおれの体力もヤバい。

 

 おれとの距離がだいぶ離れると、エスパー女は出口に向かっていった。

 

 

 

「じゃ、あたし今日もう帰るねー」

 

「ふざ、ふざけんなっ!返せ!」

 

「えー、そうだなー。……じゃーあ、」

 

 

 

 出口のポールに飛び乗り、ソイツは振り返った。

 スポットライトのように街灯の光を浴びて、おれのカバンを掲げる。

 

 

 

「明日も来たら、返してあげる」

 

「は、はぁ!?」

 

「あたし、またこの時間に来るから。ね?約束!」

 

「約束って、お前、そんな、勝手に……!」

 

「いーでしょ?どーせアンタ暇そうだし。じゃ!また明日ね金髪クン!」

 

 

 

 語ってるうちに追いつけた、と思ったらエスパー女はポールから飛び降りた。

 その勢いのまま細道を駆け抜けていく。

 

 さっきまでの追いかけっこは完全に遊びだったらしく、ギアが変わったような速度で影はあっという間に見えなくなった。

 

 

 

「ま……待て……クソエスパー女……っ」

 

 

 

 ダメ、おれのHPが限界。

 

 すっかり鈍った身体に全力ダッシュは滅茶苦茶辛くて、おれはゼエゼエ言いながら公園のフェンスにもたれた。

 

 

 

「…………あぁーっ!もう!何なんだよーッ!!」

 

 

 

 遠くの暗がりで誰かが大声にビクッとしたようだけど、知ったこっちゃない。

 

 

 

 マジ何なんだよアイツ!!

 ふらっと来てタバコ踏み潰して頭撫でて変なこと言って、挙句カバン盗ってって!

 

 一人に戻って、さっきまでの辛さも悲しさもまだ心に残ってるのに、あの女へのイライラまで湧いてくる。

 お陰で頭がグッチャグチャだ。

 

 

 

「う"ぁ"~〜…………!!!」

 

 

 

 うめき声しか出てこない上に、自分の頭に響いて余計にムカついてきた。

 

 マジ絶対許すもんか。

 おれの邪魔したこと、おれのこと分かったような口きいたこと、カバン盗ってったこと全部後悔させてやる。

 

 

 

「………………帰ろ」

 

 

 

 どの道財布もスマホもないんじゃ何も出来ない。

 

 あんな飛び出し方しといて戻んなきゃ行けない恥ずかしさと気まずささえ、アイツへの怒りに変わる。

 

 明日絶対痛い目に合わせてやる。

 

 

 そんな意思を胸に、おれは仕方なく家へ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズボンのポケットに入れておいたお陰で、鍵だけは無事だった。

 

 重たいドアノブを引いて家のドアを開けると、その瞬間抱きしめられたのが分かった。

 

 

 

「徹!」

 

 

 

 ……久しぶりに抱きしめられた感想は、おれはいつから母さんより背が高くなったんだろうってことだった。

 

 昔はおれをすっぽり覆うくらい大きかった母さんは、いつのまにかおれの耳あたりまでの身長になっていた。

 

 そのくせ腕の力は変わって無くて、苦しくなってくる。

 お陰で声が出ない。

 

 詰まった喉を無理やりこじ開けて、おれは迷った末言った。

 

 

 

「……やめてよ」

 

 

 

 一言そう言えば、母さんは「ごめんね」なんて慌てて身体を離した。

 一歩引いて母さんを眺めれば、朝には気が付かなかった小さな違いに気がついた。

 

 いつだか『ちょっとダイエットしなきゃかなー』なんて言っていたのに、その必要無いくらい痩せてる。

 

 おれと違って真っ黒に近い髪に白が散らばってる。

 

 目の下のクマだって書いたみたいに濃い。 

 

 

 母さんは何かおれに言葉をかけながら、何処かに電話を掛けた。

 受け答えの単語を聞いてると、どうやら警察に捜索を頼んでいたらしかった。

 

 帰ってきたことを伝えると、母さんはちょっと話したあとおれにスマホを手渡した。

 

 

 

「ほら、警察の人も無事で良かったって」

 

「……」

 

 

 

 ぐいぐい促されて、おれはおずおずスマホを受け取った。

 

 

 

「……もしもし」

 

『湊徹くん、だね?』

 

「……はい」

 

 

 

 スマホの向こう側から聞こえてきたのは、中年らしい男の声だった。

 落ち着いた優しい声で続けられる。

 

 

 

『家に戻ってきたって聞きました。怪我とかはしてない?体調とかも大丈夫?』

 

「…………まぁ、別に」

 

『そっか!あぁ良かった!安心です』

 

 

 

 ホントは盗難被害に遭ってたけど黙っておいた。

 アイツにはおれ自ら鉄槌を下してやる。

 

 

 

『本当に、本当に良かった。今日はゆっくり休んでください。

 

あと、何か話したいことがあったら、いつでも相談しに来てくれて良いからね』

 

「…………そうすか」

 

『うんうん。本当だよ。遠慮しないで良いからね』

 

 

 

 そう言い終わると、今度は親に電話を戻すよう言ってきた。

 母さんにスマホを突っ返すと、また大人同士で色々話し出す。

 

 ぺこぺこ礼を言ってる母さんが見ていられなくて、おれはその横をすり抜けて自分の部屋に向かった。

 

 

 

「はい、はい、いえ!本当にありがとうございました!それでは。……はーい、失礼します。

 

……ま、待って、徹……!」

 

 扉を開けたギリギリで電話が終わったようで、後ろから母さんの声が掛かった。

 どんな顔してるかなんて見なくても分かって、振り返れない。

 

 

 

「…………朝は」

 

 

 

 この苦しさから逃げたくて、どうにか言葉を絞り出す。

 

 

 

「……朝は、ごめん。言い過ぎた」

 

 

 

 母さんが何か言う前に部屋に飛び込む。

 

 引っ掴んだヘッドフォンで耳を塞ぐ寸前、壁の向こうから「ごめんね」と聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 レーザー光線並みの日光で目が覚めると、時計の針はすっかり上を向いていた。

 ヘッドフォンはいつの間にか頭から外れていて、CDプレイヤーに繋がった線で危うく転びかける。

 

 ふらつく上にベタベタの身体をリビングにねじ込むと、テーブルの上に目が行った。

 野口英世が2人。

 手に取る気にはならなかった。

 

 

 ガランとした部屋におれの足音が鳴る。やっぱり母さんは今日も仕事みたい。

 昨日息子があんなことやらかしたのに休めないらしい。

 

 一瞬頭に浮かんだ『休んでくれないんだ』を水に流そうと、おれはシャワーを浴びに行った。

 

 

 濡れた髪のままベッドに戻ると、ベタついたままのタオルケットが身体にまとわりついた。

 

 日光に焦がされてるのにエアコンのお陰で涼しくて不思議な感じ。

 

 無意識にスマホを探そうとして、そう言えばあのエスパー女に盗られてたことを思い出した。

 

 ぼーっとしていた頭が冴えてきて、昨日の怒りが蘇ってくる。

 

 

 やっぱ許せねえ。

 おれのこと舐めやがって。おれの決心めちゃくちゃにしやがって。

 二度とあんなヘラついた口きけないようにしてやる。絶対。

 

 

 なんかビビらせる方法は……、としばらく考えて、昔摩子に自慢しようと買ったアレを思い出した。

 

 もし警察に見つかったら確実超厳重注意だろうけど、今はアイツにおれをコケにしたこと後悔させんのが優先。

 

 

 おれは立ち上がって、引き出しにしまっていたアレを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日と同じ、日が沈みかけで薄暗い公園。

 ベンチ上のシェードにはツタが絡まりに絡まっていて、古びた街灯の光は残念ながらあまり届いていない。

 

 そしてその分、エスパー女のスマホの光が目立っていた。

 

 

 

「お、来た来た」

 

 

 

 街灯の下に立てば、エスパー女はわざとらしくスマホから目を離してこっちに向き直った。

 

 

 

「あっは、良かったー。来ないかと思ってた」

 

「早くカバン返せ」

 

「うわ冷た。……っふふ、うーん、そうだなぁ」

 

 

 

 光の円から抜けて近づくと、エスパー女の周囲におれのカバンが無いことに気がつく。

 想定の範囲内だ。そう来ると思ってた。

 

 エスパー女が自分のスマホを指先で弄んでニヤニヤしているうちに、その横へ、後ろへ回り込む。

 

 

 

「返せっつってんだよ。そういう約束だったろ」

 

「うんうん、そうだったね。だけどさぁ、あたし考えたんだけ」

 

「返せ」

 

 

 

 エスパー女の声がピタ、と止んだ。おれの握った十徳ナイフが奴の喉元に向いている。

 左手で押さえた肩から呼吸が伝わる。

 

 やった。

 ついにコイツを黙らせることが出来た。

 

 ゾワっと薄暗い喜びが心に湧き上がる。

 

 

 

「…………金髪クン」

 

「なめんなよ。おれは本気だぞ」

 

「ね、金髪クン」

 

「分かったら早く渡せ。その顔に傷付けるぞ」

 

「……いやあの、ごめん。裏向いてるよコレ」

 

「……………………エッ」

 

 

 

 ……思わず覗き込むと、おれの手は全く刃の無い峰の方を向けていた。

 

 

 次の瞬間、力の緩んだ手を思い切り叩かれてナイフが飛んでいく。

 更に空いた右腕を掴まれて引き寄せられる。

 

 昔運動会でやった棒回しみたいに、おれはエスパー女を中心にぐるりとベンチを回らされた。

 

 勢いのまま背もたれに頭をぶつける。

 痛みにつむった目を開けると、エスパー女はおれの右手を膝で、肩を両手で押さえつけた。 

 

 

 ──制圧完了。

 

 おれの精一杯の不良行為は、目の前の女にあっという間にベンチへ縫い止められてしまった。

 

 

 

「……」

 

「ダメだよ金髪クン。これはダメ」

 

 

 だけど、あんまりにもダサいこの結末に恥ずかしさも悔しさも湧いてこないのは、エスパー女と目が合ったからだった。

 

 

 

「ごめん。からかいすぎたのは謝るから。

 

でもダメだよ、アレは。あんただって怪我するかもしれなかった。

 

もう誰にも、絶対にしちゃダメ」

 

 

 

 叱られてる。

 

 その久しぶりの感覚に、真面目な視線に、おれは呆然とエスパー女と目を合わせた。

 

 分かった?と聞いてくれる声で徐々に後悔が湧き上がってきて、なぜか目の前のエスパー女の顔が滲んでいく。

 

 

 

「……っ、なんで」

 

 

 

 おれが吐き出した、わざとどちらとも取れる様に吐いたその言葉は、完璧にエスパー女に拾われた。

 

 

 

「あんたが心配だから」

 

 

 

 肩を押さえた力が強くなって、だけど痛くも嫌でもなくて、おれはエスパー女の言葉を聞き続ける。

 

 

 

「心配なの、昨日からずっと。そんな顔のあんたのこと放っておけない。

 

だからこんな危ないことしないで。悪い子になろうとしないで。

ヤケにならないで。お願い」

 

 

 

 この期に及んで1ミリ残ったプライドが首を縦に振らせない。

 

 唇を噛んで横を向いたおれから、エスパー女が離れる。

 

 ウエストポーチから取り出したのは、おれのスマホ。

 それをグッと突き出した。

 

 

 

「あたしだけじゃない。皆心配してるんだよ」

 

 

 

 ぼうっと光るスマホを受け取ると、すごい通知の量。

 

 画面を開くと、昨日の朝から続く膨大な履歴が映し出された。

 

 母さん、母さん、母さん、祖母ちゃん、そしてまた母さん、多分警察のおじさんの知らない番号……。

 

 電話、メール、LINEの入り混じった皆の声がスマホに残っていた。

 

 

 母さんの残したLINEをスクロールしていって、最後のメッセージ。

 今日の朝送ってくれたもの。

 

 

 

『昨日は帰ってきてくれてありがとう。それだけで嬉しかったよ』

 

『今日は仕事だけど、何かあったらすぐ連絡してくれて大丈夫』

 

『話したくなったら、いつでも聞かせてね』

 

 

 

「……なんだよ…………」

 

 

 

 いくら瞬きしても滲みは収まらない。

 使えない視界を左手で覆えば、その手はどんどん濡れていった。

 

 

 

「なんなんだよ、今さら…………」

 

 

 

 学校行かせようとしなかったくせに。

 髪を染めるのもピアスを開けるのも止めてくれなかったくせに。

 叱ってくれなかったくせに。

 いつも勝手に納得して諦めたくせに。

 

 今さら。今さらだ。皆皆大っ嫌いだ。

 

 

 

「…………クソ……ッ」

 

 

 

 顔を両手で覆って、スマホの画面から目を背けても無駄だった。

 

 皆の優しさがずっと頭に残って、暗い視界にも光っていて。

 その分、おれの最悪さが際立って耐えきれなくて、息が出来ない。

 

 

 あぁ。あぁ、なんで、なんでおれ、こんなことしちゃったんだろう。

 なんでこんなバカな決心して、皆の望むようにかわいそうな悪い子になろうとして。

 

 なんで。なんでだ。分かんない……。

 

 

 ヤケになってスマホを投げ捨てた。

 いっそバキバキに割れてしまえば良かったのに、それは地面に落ちず、キャッチされた。

 

 エスパー女はスマホをおれの横へ置き、身を屈めて向き直った。

 

 

 

「……ね、あたし、また明日ここ来るからさ。そしたら聞かせてよ、あんたの話。約束。良いでしょ?」

 

「……」

 

「明日は財布返してあげるからさ。ね?」

 

 

 

 数回瞬きして、ようやくエスパー女の姿がハッキリ見えた。

 

 多分目ぇ腫れてて死ぬほどダサい顔してるだろうに、エスパー女はバカにすることなく優しく微笑んでいた。

 

 

 

「……………………なんでログボ方式なんだよ」

 

 

 

 そのまっさらな笑みに、めちゃくちゃだった心が少し軽くなる。

 

 それにちょっとムカついて、誤魔化すようにそう返せば、エスパー女は「ひひっ」といたずらっぽく笑った。

 まるでおれの心を読んだみたいに。

 

 

 

「いーでしょ、別に。これから一個っつ返してあげるから、それまであたしとお話ってことで」

 

「…………メンドイ女」

 

「そ、あたしメンドイ子なの。来なかったらマジ怒るからね。だから」

 

 

 

 転がったナイフを突っ返しながら立ち上がり、エスパー女は薄く微笑んだ。

 

 

 

「また明日ね。金髪クン」

 

 

 

 背を向けながら言われたその言葉に、しばらく呆然とする。

 手を振るエスパー女の影が遠くなって、おれはようやく気が付いた。

 

 『また明日』なんて、言われたのいつぶりだろう。

 

 

 

「…………また明日」

 

 

 

 そう返せた時には、エスパー女の姿は見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エスパー女は、おれと同じ中3。

 

 部活は陸上部で、この公園はいつもの自主練コース。

 通ってる中学は向川中。

 おれの南二中とは駅を挟んで正反対の方向にあるってことしか知らない。

 

 

 

「えー、知らない?去年とかバスケで南二中と結構いい試合したじゃん」

 

「違う部活の対戦相手なんか知るわけないだろ」

 

「マジ?こっちバカ有名だよ。なんかすっごいイケメンいたとかでさ。今部長やってるって人」

 

「だから知らないって」

 

 

 

 ぜってぇアイツじゃん。1年前見たあの笑顔を思い出してムカついて、顔をしかめる。

 エスパー女はそれを見てくすくすと笑った。

 

 

 あの日から毎日、おれはエスパー女と公園で話した。

 沈みかけの日が完全に隠れるまでの短い間だけ。

 

 けど、『聞かせて』と言った割には、ほとんどエスパー女が話しているだけ。

 内容も他愛も無い話ばっかりだった。

 

 部活の話に、学校の話。勉強。あと家族の話。

 生返事しか返さないおれに、エスパー女はいつだって楽しそうに語ってきた。

 

 

 財布。

 ポケットティッシュ。

 キーホルダー。

 

 4つ目の物が返された日、その一人語りはおれから話し出すのを待ってくれていることだってことに気がついた。

 

 

 

「……おれの母さんは」

 

「!」

 

 

 

 5つ目。いつカバンに入れたのか覚えてないあめ玉。

 

 エスパー女の、母さんは看護師で毎日大変で──なんて話に合わせるように、本当になんとなく、おれは口を開いた。

 

 

 

「……東京で働いてる。毎日新幹線乗って出社」

 

「えっ、え、え、マジ!?ヤバ!すご!なんの仕事してんの!?」

 

「公認会計士。外資系」

 

「ええ、ヤバ!バカエリートじゃん!」

 

 

 

 公園に響くようなエスパー女のリアクションに嬉しくなる。

 懐かしい。小さい頃はいつもこんな自慢してたっけ。

 

 当時の喋り方を思い出しながら、あめ玉を舐めつつ言葉を続ける。

 

 

 

「職場のビルさ、すっげえよ。めっちゃデカいの」

 

「だよねだよね!行ったことあんの?」

 

「小さい頃に一回だけ」

 

 

 

 小2の頃だった。

 

 久々の休みの日だったのに、どうしても出社して出さなきゃ行けない書類があるとかで、おれは母さんと一緒に職場に行くことになった。

 

 旅行らしい旅行をしたことなかったから、車より何倍も速い新幹線や人でごった返す駅、空を埋める高いビル、全部楽しかったのを覚えてる。

 

 

 母さんの会社のビルは他の何より大きくかっこよく見えて、ロビーで待ってる間全く退屈しなかった。

 

 忙しそうに大股で歩いていくスーツの人。

 その足音とエレベーターの音が一緒になって響いて、わんわん不思議な音がしていた。

 

 その一つ一つが、ここは『スゴイ場所』なんだっておれに教えてくれていた。

 

 そして、そんな場所から足早に出てきた母さんも――。

 

 

 

「…………そん時の母さん、なんかすっげぇカッコよかったって、話……」

 

 

 

 やべ。

 

 おれは慌てて口を塞いだ。ここまで話すつもりじゃなかったのに。

 というか話して何になるっていうか、なんで話して……。

 

 尻切れで言葉が出なくなって、エスパー女から顔を背ける。

 

 

 

「ふーん」

 

 

 

 そんなダサいおれを追いかけて、エスパー女の声が掛かる。

 

 

 

「金髪クン、お母さんのこと大好きなんだね」

 

「……ッ」

 

「いいなあ。マジカッコイイじゃん。自慢のママだね」

 

 

 

 大好きで、自慢。

 

 久々に突きつけられた子供っぽい感情に、おれは余計息が詰まった。

 昔なら、きっとそれに素直に頷けてた。

 

 じゃあ、今は。

 

 今おれは母さんのことどう思ってる?

 

 

 急に自分語りして黙り込んだおれの手に、エスパー女の手が乗る。

 

 夏の夕焼けと変わらない温度で暑苦しい。

 だけど、何処か落ち着いて跳ね除けられない。

 

 

 

「……でしょ?」

 

 

 

 会ったばっかりのニヤニヤ笑いはすっかりなりを潜めて、おれに向けられるのは優しい笑顔になっていた。

 

 そんな顔と一緒にそう言われてしまったら、おれはもう降参するしかない。

 

 

 

「………………かな」

 

 

 

 ボソ、と聞こえにくく呟いたその一言に、エスパー女は優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーホルダー2つ目。

 断線して入れっぱだった100均イヤホン。

 なんかのチラシ。

 

 一つ一つ返ってくる物に合わせて、おれは少しずつエスパー女に事情を話していった。

 

 

 小さい頃から母さんと二人暮らし。

 母さんはいつも仕事で忙しくて、おれは一人のことが多かった。

 

 祖母ちゃんはちょっと離れたところに住んでるし、足が悪いから簡単にはこっちに来れない。

 

 父親は居ない。おれが1歳の頃出ていった。

 

 

 

「……そうなの?」

 

「らしい。話しか聞いたこと無い。なんか、ミュージシャン志望だったって」

 

「………………それ、失礼かもだけど、ヒモってやつ?」

 

「そ。だからウチのマンションは楽器可って話」

 

「へぇ……。じゃ、金髪クンは何かやんないの、楽器」

 

「…………やりたくない」

 

「どうして?」

 

「…………」

 

 

 

 何回か母さんに『楽器やってみない?』って言われたことがある。

 だけど始めなかった。やりたくなかった。

 

 母さんがソイツのために選んだって言う楽器可の部屋。

 もしその通り始めたら、おれがまるでソイツの代わりになるみたいだった。

 

 おれの母さんに似ていない部分が大きくなっていきそうで怖い。

 おれたちを置いていったソイツへの、母さんの思いが見えそうで気持ち悪い。

 

 

 お父さんがいなくたって、おれの毎日は完璧に楽しい。それを崩したくなかった。

 

 

 

「……そっか。金髪クンは、毎日辛くも寂しくもなかったんだね」

 

「マジで毎日楽しかった、ずっと。ホントだよ。

 

でも皆言うんだ。お前はかわいそうだって」

 

 

 

 

 おれの思い出も、自信も、自慢も、全部全部否定した上に『思いやり』と『優しさ』で塗りつぶしていく。

 

 何を言ってもおれの幸せは許されない。

 認めてもらえない。

 

 だっておれは『かわいそうな子』だから。

 

 

 

「……だから諦めた。

 

すっげーんだよ、マジ。何しても皆許してくれんの。

おれが『かわいそう』だからって、勝手に納得してくれる。

楽だったし楽しかった。

 

…………でも」

 

「……本当は、嫌だった?」

 

 

 

 エスパー女の言葉に、あの時のあの視線への憎しみが蘇る。

 チラシを握りつぶしても、苛立ちは消えない。

 

 

 皆『かわいそう』って言ってきたくせに、本当に『かわいそうな子』になったら誰も助けてくれなかった。

 

 見かけだけの思いやりと優しさだけで、誰も本当に優しくなんかしてくれない。

 

 誰もおれのこと分かってくれない。

 おれを『かわいそうじゃない子』にはしてくれない。

 

 

 

「……………………本当は、叱られたかった」

 

 

 

 そう、この前のはただの逆ギレだ。

 

 何もしてくれてないって思ってた母さんに、わがままにキレた。

 心配してくれていた母さんに暴言吐いて、残ったのは潰されそうな罪悪感だけ。

 

 

 おれは逃げたいんだ。

 この罪悪感と不安から逃げ出して、慣れたあの『かわいそう』に帰ってしまいたい。

 

 

 ――でも。だけど。

 

 

 

「大丈夫」

 

 

 

 唇を震わせるだけのおれに、エスパー女はそう言って手を重ねた。

 

 

 

「ありがと、話してくれて。

 

大変だったね。たくさん頑張ったね。

 

大丈夫。金髪クンは悪くないよ。

 

確かにお母さんにひどいこと言っちゃったし、他の人にいっぱい迷惑かけちゃったけど、大丈夫」

 

 

 

 『大丈夫』なんて無責任な言葉だ。

 重なった手が暑苦しい。

 

 コイツはおれじゃないからそう言えるだけ。

 コイツだっておれのことなんか分かってくれない。

 

 

 だけど目が合う。

 その視線は、あの生温さに染まってはいなかった。

 

 ちゃんとおれを見てくれている優しいまなざし。

 

 見つめ合って、手を撫でながらそう繰り返されるたび、おれの心はゆっくり軽くなっていった。

 

 

 

「金髪クン辛かったね。皆の視線に疲れちゃったんだね。

 

自分の嬉しいも楽しいも、誰にも分かってもらえなくて。

そりゃヤケになっちゃうよ。仕方ないって。

 

大丈夫。金髪クンは幸せな子だよ。あたしはそう思う。

 

だって、あなたはそう思ってたんでしょ?お父さん居なくても、お母さんとあんまり一緒に居られなくても、そう思ってたんでしょ?

 

ならそれでいいじゃん。他の人なんかどうでもいいじゃない。

 

皆が分からなくても、あたしは分かる。あたしが保証する。

あなたはたくさん頑張った、超ハッピーな男の子だよ」

 

「………………お前、」

 

「大丈夫。あたしは分かるよ。あなたのこと」

 

 

 

 その言葉と共に、肩に心地いい重さが伸し掛かった。

 戸惑ったけど、同じように重さを預けてみる。

 

 もう夜だ。

 

 俯いていた視線を上げれば、公園はすっかり暗くなっていた。ベンチの周り、おれたちの周りだけが明るい。

 

 暑さの落ち着いた、湿気った空気を深く吸い込んだ。

 

 

 ああ、息がしやすい。

 

 おれ、今までずっと息苦しかったんだ。

 誰にも分かってもらえなくて。

 

 それだけじゃない。

 おれが意地になってただけだ。

 母さんはいつも言ってた。『話して』って。

 話せば分かってくれてたかもしれないのに、おれは諦めていた。

 

 チャンスは、いつだってあったのに……。

 

 

 

「…………おれ、やり直せるかな」

 

「当たり前じゃん」

 

 

 

 漏らした不安さえ、隣の女は完璧に拾ってくれる。

 話して通じあった、分かってくれた彼女には全部伝わる。

 

 

 

「まだ戻れるよ。お母さんだってあなたのこと思ってるはずだもん。

謝っておいでよ。あたしに話したこともさ。

 

大丈夫!あたしに話せたんだからさ、お母さんにも話せるはずだよ」

 

「……」

 

「大丈夫。絶対大丈夫。あたしがついてるよ」

 

「…………そっか」

 

 

 

 吸い込んだ空気が、隣の暖かさが、苦しかった色々を溶かしてくれる。

 

 重なった手を、そっと握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギャラギャラ音と光が散らばるゲーセンを歩く。

 9時に近いせいか、子供は少ない。

 大人のたまり場って雰囲気に包まれている。

 

 神月駅まで来たの久しぶりだ。摩子とつるんでた以来。

 

 

 

「……はぁ」

 

 

 

 おれのバカ。

 

 心と反対に身体はどんどん家から離れて、神月駅まで来てしまった。

 そのくせ目的もなくクレーンゲームの景品眺めてるだけ。

 

 

 だって、謝るって言ってもどうすればいいんだろう。

 

 味方が出来た。

 気持ちも決まった。

 言わなきゃいけないのも理解してる。

 

 だけど、やっぱり踏ん切りがつかなかった。

 

 

 なんて切り出せばいいんだろう。

 こんなことになるまで、母さんと喧嘩なんてしたことなかったから分かんない。

 

 

 ポケットの中には100円だけ。

 長く遊ぼうとダーツ筐体に向かった。

 

 横の酔っ払い集団がうるさい。

 それもあるし、考え事もあるしで、いまいち上手く飛んでいかない。

 的にも当たんない。

 

 

 まず、今までのことを謝らないと。それから、一番に伝えたいことは……。

 

 

 

「あ」

 

 

 

 あてもなく投げた矢は大きく外れて、的に跳ね返される。

 

 矢は勢いを失わず隣の筐体側に跳ねた。

 ダーツを回収してフラフラしていた男に軽く当たる。

 

 

 

「あ˝ぁ˝っ!?なんだぁ?」

 

 

 

 腕に当たっただけなのに、ソイツは真っ赤な顔でおれを睨みつけた。

 連れに笑われたせいで余計頭に来たのか、おぼつかない足取りでこっちへ向かってくる。

 

 

 

「テっメェこの……!ガキが!!何しやがるテメェ!」

 

「……いや、別に」

 

 

 

 やべ、やらかした。

 絶対めんどくさいやつだ。これ。

 

 えげつない酒臭さに思わず顔を背ける。

 それでも続けた「すんません」は、ソイツの怒号に上塗りされた。

 

 

 

「んだよその目はよ!だいたい何でこんな時間にお前みたいなガキがウロチョロしてんだ?あ?」

 

「おいおい、そろそろやめてやれって」

 

「黙ってろ!こーいうやつは根性叩きのめしてやらねぇとなんだよ!

 

おい、おいテメェガキ、こっち見ろ。あ?生意気なツラしやがって」

 

「……」

 

 

 

 連れは笑いながら止めたけど、ソイツの怒りは一向に収まらずおれに向けられる。

 逃げるのもムカついて、せめてもの抵抗で睨みつけた。

 

 すると、無精ひげの口元はへの字から緩んで、ニヤニヤとしたものに変わっていった。

 

 

 

「……はは、は、はーん?居場所なんかねぇみたいな顔しやがって。それで不良の真似事か?」

 

「ッ」

 

「お、図星か?どーせアホみたいなことで悩んで逃げてんだろ。はっ、育ちもワルそうだもんなァ」

 

「……なぁおい、やめてやれって」

 

「はっ、バカでかわいそーなガキ。親の顔が見てみたいぜ」

 

「…………っ、」

 

 

 

 その最後の一言に、何かがブツリと切れる音がした。

 

 背を向けかけたソイツの胸倉を掴む。

 大きく振りかぶった拳が風を切る。

 

 渾身の力を込めたそれは、ソイツの頬に思い切りめり込んだ。

 

 

 

「ガ……ッ、……な、はッ?、……あぁッ!?」

 

「うるさい!うるさいうるさいッ!」

 

 

 

 男は痛みと驚きで大きく目を見開き、尻もちをついたままへにゃへにゃと後ずさる。

 それを追撃しようと今度は脚を振り上げると、後ろから羽交い絞めにされた。店員だ。

 

 それでももがきながら、おれはソイツの脛に一発蹴りをお見舞いする。

 

 

「あだぁ!!っテメェこのガキィ!」

 

「お、お客さん落ち着いて……」

 

「うるせぇッ!おれは……、おれは……ッ!!」

 

 

 

 付近の憐みの視線が全身に突き刺さる。

 

 いつだって向けられて、振り切れなかった視線。

 それをはじけ飛ばすような絶叫が喉を突き破った。

 

 

 

「おれはかわいそうなんかじゃないッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれと酔った男は別々に事務室に引っ張っていかれた。

 

 男の方の連れが状況を説明したらしく、先に因縁をつけたのは向こう、喧嘩両成敗ということで決着した。

 一応謝ってくれた連れに引っ張っていかれ、ソイツはおれを睨みつつ去っていった。

 

 

 おれはというと、未成年てこともあって母さんに連絡がいった。

 どうやらもう家にいたらしく、30分もしないうちに母さんはおれを迎えに来た。

 

 

 

「この度は、大変申し訳ありませんでした!」

 

「いえいえ。相手は大人のお客様でしたし、大きなケガもなく済んで良かったです」

 

「そんな……!本当にご迷惑をおかけしてしまって……」

 

「お相手の方ともお話済みましたので、ご心配には及びません。

 

……ですが、その……当店としましては、暴力行為という点で、今後はご利用をご遠慮いただく形になります。

申し訳ありません」

 

「はい、はい!本当に申し訳ありません!」

 

「ご協力ありがとうございます。どうか気を付けてお帰りください」

 

「はい。ほら、徹も……。失礼します」

 

 

 

 母さんと一緒に頭を下げて背を向けると、店員さんから声が掛かった。

 

 

 

「あの、君!」

 

 

 

 振り向くと、その大学生くらいのお兄さんはおれをしっかり見つめて言ってくれた。

 

 

 

「もうこんなことしちゃダメだよ」

 

 

 

 さっきその人が買ってくれたコーラがおれの手の中でタプンと音を立てる。

 そのお礼を込めて頷けば、お兄さんはにっこり笑って手を振ってくれた。

 

 

 そうして乗り込んだ車内は無言だった。

 

 カーナビに映るテレビの話し声がつまらなそうに響いている。

 そのうち雨が振り始めて、ワイパーが動き出す。

 

 その定期的な音を聞いていると、抱いたコーラはどんどん温くなっていった。

 

 

 

「……本当に、ケガないの?」

 

 

 

 赤信号で止まる。

 最初に口を開いたのは母さんだった。

 

 それに頷く。

 殴った手にも押さえられてた身体にもケガはない。向こうの男も、若干あざになるくらいで済んでいた。

 

 本当に些細な子供の反逆。

 とは言え、人を傷つけたのには変わらない。

 

 多分その悲しさも含んで、母さんは深く息を吐き出した。

 

 

 信号が青に変わったけど、少ししか進まなかった。

 夏休みのせいか、こんな時間でもまだ駅前の道が混んでいる。

 

 

 一向に進まない車と同じように、母さんは歯切れ悪く続けた。

 

 

 

 

「何やってるの、……なんて叱る権利、ないよね……」

 

「…………」

 

「ずっと放っておいて、そんなさ……」

 

「……どうして?」

 

 

 

 そう言うと、母さんは短く息を飲んだ。

 

 しばらく運転しながら考えて、答える。

 

 

 

「……徹、ずっと良い子だったから。

 

小さい時からあんまり構ってあげられなくて、我慢させて、寂しい思いもいっぱいさせて……。

 

そのせいだって言うんなら、私に叱る権利なんか無いじゃない」

 

「……」

 

「徹、ごめんね。ずっと辛い思いばっかりで、ごめん」

 

 

 

 震える声と鼻を啜る音に、おれも思わず視界が滲んだ。

 

 だけど、だからこそ詰まった喉をこじ開ける。

 

 

 

「……違うよ」

 

 

 

 もうチャンスを無駄にはしない。おれは言わなきゃ、伝えなきゃいけない。

 

 お兄さんが買ってくれたコーラ。

 皆の思いの詰まったスマホ。

 そしてあの子の言葉。

 

 おれへの思いやりを支えに、言葉を探す。

 

 

 

「……どうして母さんは、おれが辛い思いばっかりだったって思うの?」

 

「……え?」

 

「おれ、そんなの一回も思ったことなかったよ。マジで毎日楽しかった。

 

ホントに、本当だよ。おれずっとそう言ってきたじゃんか。

母さんだってそう思ってくれてると思ってたんだ。

 

……信じてよ、母さん。

おれずっと楽しかった。1ミリだって寂しくなかった。

 

だから、そんな事言わないで叱ってよ。おれ悪いことたくさんしちゃったよ。

 

権利がどうとか言わないで、おれのこと信じてよ…………、」

 

 

 

 ──おれのこと、まだ好きでいてくれてるなら。

 

 

 そんな恥ずかしい言葉を言う前に、おれの身体は答えで包まれた。

 冷房で冷たくなった肌が触れ合って暖かい。

 赤い光が雫になってこぼれていく。

 

 

 

「……ごめん。ごめん……、ごめんね、徹……!」

 

 

 

 前の車のテールランプで赤くぼやける車内の中、おれは迷いなく母さんの背に腕を回した。

 

 もう二度と出来ないくらい難しいものだと思ってたのに、簡単に手が届く。

 こうするのはもう何年振りだっけ?

 

 後悔と嬉しさが混ざり合って、余計頬を濡らしていく。

 

 

 

「聞いてあげなくて、信じてあげられなくてごめんね」

 

「おれもごめん。

 

話そうとしなくてごめんなさい。ずっと無視して、ひどいことも言って、ごめんなさい」

 

「ううん、ううん、いいの。お母さんの方こそ、ごめんね」

 

 

 

 そう謝り合っていると、車内の赤が消えた。

 信号が青に変わったみたいだ。

 

 目が合えば、涙でぐしゃぐしゃの苦笑がお互いに映る。

 やっぱりそっくりな顔だ。

 

 

 車はゆっくり進み始めた。

 雨粒か涙か、雫のせいでライトの輝きが増して見える。

 テレビの音声も、心なしか明るく楽し気に聞こえ始めた。

 

 

 

「ね、母さん」

 

 

 

 泣き声に嬉しさが混ざるようになって、おれは母さんの方を見た。

 「ん?」と母さんはおれを見てくれる。

 

 おれはずっとずっと聞きたかったことを口に出した。

 

 

 

「母さんは、おれと居て幸せ?」

 

 

 

 母さんは笑ってくれた。

 また昔みたいに、おれの好きだった笑顔で。

 

 

 

「あなたがいれば、いつだって」

 

 

 

 あの子の言うとおりだった。

 

 ちゃんと話せば、母さんは分かってくれた。伝わった。

 おれはちゃんとずっと幸せだったって、母さんは分かってくれた。

 

 そして、背中を押してくれたあの子にも。

 

 

 

「おれも!」

 

 

 

 ああ、もう十分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、母さんにはしっかり叱られた。

 

 学校行かなくなったのも勉強しなかったのも、髪染めたのもピアス開けたのも、机蹴飛ばしたのもおっさん殴ったのも、一つ残らず叱られた。

 

 ……さすがに摩子との事は言えなかったけど。

 

 

 叱られてしまえば、メッチャクチャに子供っぽすぎて笑えてきた。

 テンプレなぞっただけのバカな反抗だ。

 

 その後悔と恥ずさも反省で包んで、おれと母さんは前に進み始めた。

 

 

 まず勉強。

 

 学校に戻るのを決めた……のは良いけど、おれは1年半ほぼ勉強してなかった訳で。

 同級生たちと大きく開いた溝を埋めるため、おれは夏休み一ヶ月間のほとんどを勉強に費やした。

 

 

 先生に謝りに行ってプリントや問題集を貰って、久しぶりに机に向かった。

 

 母さんは塾に行かせてくれるって言ったけど断った。

 だって散々金ドブしといてそんなの申し訳なさすぎる。

 

 おれは自戒も込めて、粛々と自分の部屋でノートを埋めていった。

 

 

 つっても、部屋にこもりっきりになってた訳じゃない。

 

 最初に行ったのは祖母ちゃん家。

 

 心配かけたし謝りに行ったら、すげぇ顔で叱られた。

 こんな叱られたのは保育園の頃ストーブの上のやかんに触ろうとしたとき以来だ。

 

 その分心配してくれていたのは痛いほど伝わって、おれの方もしっかり謝れた。

 

 

 それから母さんと旅行!

 県内の温泉旅館に泊まるだけの小さい旅行だ。

 

 温泉?渋くね?とか思ったけど、綺麗な古い和室でのんびりだらだら過ごすのは楽しかった。

 

 母さんが休み取れたのはその2日だけだったけど、他にも外食行ったりボウリング行ったり、この1年半出来なかった分遊んだ。

 

 

 って感じで、1ヵ月マジで忙しかった。

 

 だからあの子に会いに行かなくなったのも仕方なかった。

 ……というより、忙しさを言い訳にしてた。

 

 だって、いくら軽く済んだって言ってもおっさん殴って蹴りいれたのは変わんない。

 あの子が止めてくれた暴力って形で母さんと仲直りしちゃって、すげぇ気まずい。

 

 いや内緒にしてお礼言えばいいだけなんだけど、エスパー女に隠し事とか出来なさそうな感じするし。

 

 

 なんて悩んでるうちに、夏休みは明けていった。

 

 

 

「いやーマジ、心入れ替えたって感じだな!」

 

「それ!今の方が良いぜ、徹!」

 

「あの頃のお前トガりすぎだったもんな!大人になったじゃねぇの」

 

「湊くん、本当に戻ってきてくれて良かったよ」

 

「ね!勉強とか大丈夫?分かんなかったらいつでも聞いてよ」

 

 

 

「湊、お前成長したな」

 

「なんとかなるよ。これからが大事だからね」

 

「もうあんな馬鹿な事するなよ」

 

 

 

 友達、クラスメイト、それに先生……と口々に皆そう言った。

 

 制服黒髪に注がれる、優しい優しいその視線。

 おれはそれにそれらしく曖昧な笑顔(・・・・・・・・・・)で答えた。

 

 

 

「ははー」

 

 

 

 ああもう、マジで皆バカばっかり。

 

 おれがどうであろうと、こいつらには関係ない。

 ただ自分の解釈と親切が肯定されれば、相手の本心なんかどうだろうと構わないんだ。

 

 そんな奴らにおれの事情も感情も話してやる必要なんてない。

 こいつらにまで分かってもらおうとか、はなから思ってない。

 

 だからおれは笑って受け流す。

 そうしておけば勝手に皆味方になってくれる。こんな便利なことない。

 

 

 

「徹くん、好きだよ」

 

 

 

 ね?ほら。チョロすぎ。

 

 対して仲良くもなかったのに告白してきた女子に笑顔でYESを出す。

 

 おれの完璧だった人生はゆっくりと、かつしれっと元に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 随分日が短くなった。

 街灯に照らされてない部分はかなり暗い。ワイシャツ一枚で出てきたのは失敗だった。

 

 

 スマホの通知が鳴って画面を覗く。

 

 うーわまた百花(もか)だよ。

 『今何してる?』って、それ2時間前にも聞いてきたじゃん。

 ここで『何も』とか答えたらしばらくメッセ付き合わなきゃだから無視。

 

 付き合って2ヵ月経つけど、ノリでOK出したのマジで後悔してきた。

 やっぱ自慢したいだけで彼女作るもんじゃないわ。

 

 コイツと付き合って良かったの、那賀川くんのダサい話聞けたことくらいしかない。

 

 

 画面を暗くしてポケットに突っ込む。

 おれは今忙しい。そう足早に向かうのは、あの公園だった。

 

 

 そろそろ受験だ。

 

 猛勉強の末何とか皆に追いついてきたけど、それだけ。

 他の皆はおれより前からよっぽど頑張ってた訳だし、不利なのは変わらない。

 

 今のおれの学力考えると私立なら早成高、公立なら道永高ってところか──なんて考えてたらかなりヤバいことに気が付いた。

 

 生徒手帳がない。

 

 受験に必要なのにない。

 最後に使ったのはカラオケの値引き。あの時からカバンに入れっぱなし。

 

 つまり、エスパー女に盗られたままだ。

 一気に血の気が引いた。そうして飛び出して今に至る。

 

 

 というか、出てきたはいいけどどうしよう。

 

 あの公園に行ったところであの子がいるとは限らない。今日ちょっと遅いし。

 つーか時期的に部活引退だし、ランニングも辞めて、いない可能性の方が高い。

 

 会えなかったらどうしよう。

 

 生徒手帳って再発行してくれんの?

 でもただでさえ内申微妙なのに生徒手帳すらなくしてたら余計下がるよな。印象も悪いし。

 

 

 つーか、エスパー女にも言いづらいじゃん。

 

 おれ3か月くらい行ってないし、連絡先も知らないから事情も話せてない。

 せっかく心配して色々支えてくれたのに、会った瞬間「生徒手帳返せ!」はちょっと無さすぎる。

 

 お礼だってまだ言えてない。

 

 いや、でも元はと言えばアイツがおれのカバン盗ったのが悪いんだし……。

 

 

 

「……、うそ」

 

 

 

 ぐるぐる悩みながらたどり着いた公園。

 

 真っ暗な空間が街灯の明かりにくり抜かれてる。

 ツタが枯れて少し光の入るようになったシェードの下、ベンチに女の子が一人座っていた。

 

 身体が勝手に走り出す。

 声を掛けようとして、名前すら知らなかったことを思い出した。

 

 

「な、なぁ!ねぇ!!お前!」

 

 

 

 口を突いて出た酷い呼びかけに、女の子が顔を上げる。

 

 おれを見てパッと表情を明るくしたその子は、間違いなくエスパー女だった。

 

 

 

「あっは、久しぶりー」

 

 

 

 会った時と同じ、気まぐれな笑顔で彼女はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、えっ、おま、何でいんの!?」

 

 

 

 切らした息の勢いそのままそう言うと、エスパー女は噴き出した。

 お腹を抱えながら、傍らから何かを引き寄せる。おれのカバンだ。

 

 

 

「あっははは!来たくせにそれ言う?

これ全部返してないんだから当然じゃん?

 

何、それともいらないワケ?

……湊徹(みなと いたる)くん?」

 

 

 

 取り出したのはおれの生徒手帳。

 名前の部分を開いて、エスパー女はニヤッと笑った。

 

 おれはホッとしたやら申し訳ないやら、相変わらずのエスパーっぷりやらに呆然として、その場にしゃがみ込んだ。

 

 でっかいため息付きで。

 

 

 

「……あ˝ー…………」

 

「っははは!急に来なくなったのが悪いんじゃん?」

 

 

 

 ビミョーに棘を感じる言い方に顔を上げると、その子はおれの目の前まで来てしゃがみ込んだ。

 

 怒りと安堵の混ざった目と目が合う。

 

 

 

「このバカ」

 

「……それはごめん」

 

「へーえ、ずいぶん素直に謝るようになっちゃって」

 

「……お前のお陰じゃない?」

 

「あっそ」

 

 

 

 それだけ言えば満足したのか、エスパー女はふっと表情を緩めた。

 黄色くも長くもなくなったおれの頭をかき混ぜる。

 

 

 

「その方が似合うよ」

 

「でしょ」

 

 

 

 最後に一発小突いて、立ち上がってベンチに戻っていく。

 その背を追いかけると、エスパー女がいつものランナー姿じゃなかったことに気が付いた。

 

 細身のジーンズに短めのトップスが良く似合う。

 後ろで一つ縛りの髪がゆらゆらいたずらっぽく揺れる。

 

 少し振り向いた横顔が光に照らされて、その笑顔がより可愛く見えた。

 

 

 

「……お前さ」

 

「うん?」

 

「おれがもう来ないとか思わなかったの?」

 

「全然?」

 

 

 

 脚を組み、おれのカバンを膝に乗せて、エスパー女はさらりとそう言った。

 猫のようにおれのカバンを撫でて続ける。

 

 

 

「だって、あんた絶対来るって思ってたもん」

 

「なんで」

 

「勘?」

 

「勘って……」

 

「ま、生徒手帳なんて大事なもん返してないのに来なくなるわけないし。そもそもカバン自体返してないし。

 

……それにさ」

 

 

 

 隣に座るとすっと1マス距離を詰めてくる。

 おれも同じように詰めると、その子は頬杖をついてこっちを見た。

 

 

 

「あたしだけ、でしょ?あんたのこと分かるの」

 

 

 

 長いまつ毛に縁どられたその視線がおれを射抜く。

 

 学校の誰とも違う視線。

 見せかけじゃない視線。おれを分かってくれている目だ。

 

 

 

「どーせ学校の子たちは手のひら返しって感じだったでしょ?」

 

「うん。マジそんな感じ」

 

「嫌じゃない?」

 

「いや?だって楽だもん。皆バカだから勝手に納得してくれるし」

 

 

 

 近づいた手が触れ合う。

 少し冷えたその手に、おれの手を重ねた。

 

 

 

「お前と母さんが分かってくれた。おれはそれだけで良いよ」

 

 

 

 ぴく、と彼女の手が震えた。

 

 少しおれから視線をそらして、話題を変えるように口を開いた。

 

 

 

「そういえば、あんた高校はどこ行くの?」

 

「え?早成か道永で考えてるけど……」

 

「は?あんたならもっと上行けるでしょ」

 

 

 

 重ねた手が逃げて、彼女は立ち上がった。

 

 カバンと生徒手帳を見せびらかすようにして、おれの前に立つ。

 

 

 

「あんた、東雲付属受けなさい」

 

「え。は、え!?し、東雲付属!?」

 

 

 

 東雲付属って言ったら、この地域の私立高でも上の方じゃんか。

 確かにクラス分けで偏差値の幅は広いけど、それでもかなり──。

 

 言い返そうとしたおれにずいっと顔を近づけて、生徒手帳を押し付けた。

 

 

 

「あたし、そこ行く予定なの。だから来て。同じ高校行こうよ」

 

「え、な、ええ?」

 

「分かってくれない子たちと学校いてもつまんないでしょ?」

 

 

 

 勢いのまま生徒手帳を受け取ると、その子は満足げに微笑む。空になった手をそのままおれに差し出す。

 

 

 

「ね、あたしならそんなことしない。今みたいな思いさせない。

 

あんたの嫌だったこと、不安だったこと、全部塗り替えてみせる。

超完璧に、最高に充実した高校生活送らせてあげる!

 

ねぇ、だから来てよ湊徹!あたしと青春、してみない?」

 

 

 

 後ろの街灯に照らされて彼女の輪郭は薄く輝く。

 

 自信に満ち溢れた彼女の表情がおれを見下ろす。その愛しい目と、目が合う。

 

 吹き付けた涼しい風に背を押され、おれは迷いなくその手を取った。

 

 

 

「ああ、もちろん!」

 

 

 

 この子がいればおれは大丈夫。

 この子がいれば、おれは最高の青春を送れる。

 

 だって、この子はおれのこと分かってくれるんだから。

 

 

 おれたちは、繋いだ手を強く握り合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そういえば、お前名前は?」

 

「え?」

 

「ずっと聞いてなかったでしょ、お前の名前」

 

「ああ、そういやそっか。いつまでもエスパー女呼ばわりとかサイアクよね?」

 

 

 

 握手していた手があっという間に絡み合う。

 

 それを強調するように顔の横へ引き寄せて、彼女は微笑んだ。

 

 

 

「あたし百合。朝風百合。百合って呼んでよね」











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