やっとこの子のことが分かった気がします。
「……だから別に、徹のこと心配したわけじゃないの」
「なんじゃそりゃ」
キッとブレーキを引く音と共に、隣の透がジトッとあたしを見た。
ちょうど横断歩道の前で、その困ったような呆れたような表情は街灯と赤信号の光に照らされてる。
けど理由を促すように細められた視線は優しくて、少し嬉しい。
すっかり日の暮れて寒くなった通学路を、あたしたちは自転車を押して歩いていた。
車の通り過ぎる音に紛れながら、中学の──徹と会うまでのことを透に話した。
もちろん話したくないこともたくさんで、色々と掻い摘んだ脈絡のない話になってしまったけど、透はずっと聞いていてくれた。
「……ただ、同じ感じがしたから……。この子なら分かってくれるかもって。……だから、ホントに、ただ、自分のため」
「ふーん」
自転車のハンドルに頬杖をついて、白い息と一緒に透はそれだけ言う。
その気の抜けた返事が、ゆぃには一番ありがたかった。
ゆぃは、徹に助けて欲しかった。
誰も自分のことを分かってくれない苦しみを分かってほしかった。
この子ならその苦しみをどうにかする勇気をくれると思った。
きっと分かり合えるあなたと、一緒に立ち直りたかった。
けど、先に徹に声を掛けたのはあたしの方。
皆に求められる正しいあたしは、俯いた不良な家出少年を心配して元気づけようと明るく近づいた。
ただ興味と気まぐれで声をかけた普通の子として。
そして、そんなあたしが徹と話すほど、その傷ついた表情を見つめるほど、ゆぃはより強く確信を持った。
この子はゆぃと一緒だって。
「……そんなに人の視線に疲れちゃった?」
目の前の子が心配なあたしと、寄りかかりたいゆぃが混ざる。
手を伸ばして撫でた。
少しでも慰めてあげたかったから。その気持ちが痛いほど分かって、仲間だと思えて嬉しかったから。
舌打ちされて睨まれても、それでも心配だと伝えた。
あんなひどい顔しててほしくなかったから。ようやく出会えた分かり会えそうな人に嫌われたくなかったから。
鞄を奪ってまで明日会う理由を取り付けた。
気休めでも明日まで生きていける理由をあげたかったから。唯一の理解者になってくれそうな人を手放したくなかったから。
「いーでしょ?どーせアンタ暇そうだし。じゃ!またね金髪クン!」
そう言い放って走って逃げた。後ろから追いかける音が聞こえていたけど、すぐに聞こえなくなる。
人気のない場所まで辿り着いて、ゆぃは荒い息のまま、1人暗がりで鞄を抱きしめた。
知らない匂いを胸いっぱいに吸い込むと、鼓動は更に上がるのに心は落ち着いていく。
また明日会える。きっと。だって約束したもん。今日はダメだったけど、明日こそは。明日こそは、ゆぃのこと話せるはず。ゆぃで話せるはず。
だってあの子は、ゆぃのこと分かってくれるはずだから。
けど。
『母さん 不在着信(5)』
『徹。大丈夫だから、いつでも帰ってきて』
『ばあちゃん 不在着信』
『いつもごめんね』
あの子のスマホには、そんな通知が次々に届いていた。
ママと夕飯を食べて家に帰った頃には通知は止まっていて、あの子が家に帰ったんだろうことが分かった。
こんなメッセージを送ってくれる、優しいお母さんの元へ。
財布、飴玉、チラシとぐちゃぐちゃの鞄の中を探ると、生徒手帳が出てきた。南二中だから、駅を挟んで向かいの中学。
めくっていけば、あの子の名前が書かれたページにたどり着く。
「…………
金髪クン、なんて誤魔化した呼び名じゃなくて、やっとちゃんと名前を呼べたことに胸が高鳴った。
湊徹、みなといたる、ミナトイタル……。
みなと、いたる。
飴みたいに口の中で転がしながら、生徒手帳を読み進める。
湊徹は、今年で中3の男の子。同い年だ。
誕生日は……2月4日?遅生まれなんだね。確かに、ちょっとぽかったかも。
住所はやっぱり同じ市。建物の名前的にマンション住みかな。
載っていた誕生日をスマホのパスワードに打ち込んでみる。
……さすがに弾かれた。
次は西暦も付けて8桁で。
「…………全く」
ホーム画面が開いて、半分呆れたため息が出る。
通知の溜まってるLINEを開くと、一番上に『母さん』がいた。
既読を付けないようにトークを覗けば、息子に向けた優しく心配する言葉がつらつら続いている。
「……ふふ」
今どこにいるの……って、やっぱ家出だったんだ。悪いコだなぁ。
連絡だけでいいからください。あーあー、酷いヤツ。それくらいしてあげなよ。
いつもごめんね、だって。お母さんにこんなこと言わせるなんて全く、普段何してるのさ湊徹。
怒ってないから、帰ってきて。はは、『怒ってない』だって。お母さんだいたいこれ言うよねー。
……でも、きっとこのお母さんなら、本当に怒らないんだろうな。
「ふふ…………」
いいな。
いいな、そんなに心配してもらえて。寄り添おうとしてくれて。気持ちを思いやる言葉をもらえて。分かろうとしてくれる人がいて。
「…………」
湧き上がる思いを抑えようと、ぐっと深く息を吸った。握りしめた手にスマホのフレームが食い込む。
嫌、嫌、嫌。
返したくない、絶対に。こんなもの壊してしまいたい。この言葉があの子に届かないでほしい。
あなたを分かってあげられるのは、ゆぃを分かってくれるのはあなただけだと思っていたのに。
でも、けど、あの子に返してあげなきゃいけない、絶対に。こんな温かい思いを受け取れないなんて、そんな酷いことない。
あなたを分かろうとしてくれている人の手を引き剥がすなんて、しちゃいけない。したくない。
「………………だめ」
しばらくスマホを抱き締めて考えた後、ゆぃは首を振った。
やっぱりだめ。ゆぃ、そんな酷いことする人になりたくない。
でも、きっとこれを返したらあの子は救われちゃう。ゆぃと同じじゃなくなっちゃう。
なら、それなら……。
「……」
「ダメだよ金髪クン。これはダメ。
ごめん。からかいすぎたのは謝るから。
でもダメだよ、アレは。あんただって怪我するかもしれなかった。
もう誰にも、絶対にしちゃダメ。
……分かった?」
「…………っ、なんで」
「あんたが心配だから」
押さえている肩が震える。見開かれた目に涙が溜まっていく。
それと目を合わせれば、あたしの目論見が上手く行っていることが分かった。
緊張を気取られないように声を強めて続ける。
「心配なの、昨日からずっと。そんな顔のあんたのこと放っておけない。
だからこんな危ないことしないで。悪い子になろうとしないで。
ヤケにならないで。お願い」
顔や雰囲気を伺って、正解の行動をする。
ちょっとした言葉の端や視線から求めてるものを推測して、その通り口から出す。
期待を感じ取って、それを乗り越えて見せる。
あたしの得意なことだった。
湊徹は約束した通り、カバンを取り戻すためやってきた。まさかナイフを向けられるとまでは思っていなかったけど。
けどあたしに怒りをぶつけてくるのは想定内。刃の裏を向けられたことに安心しながら、上がった心拍を押さえつけてあたしは彼にそう伝えていた。
湊徹がお母さんの優しさを受け取るべきなら、それでゆぃと同じでなくなってしまうなら──、あたしも同じことをすればいい。
あたしだってあなたが心配で、分かってあげられる人間だと、最初に示してしまえばいい。
お母さんと同じ位置に立ってしまえばいい。
同じ唯一無二に。
湊徹は堪えるように唇を噛んだ。その幼い横顔に、皆心配してるんだよと伝えてスマホを返す。
寄せられたメッセージを追っていく表情が徐々に、あふれる感情に耐え切れず歪んでいく。堪えていた涙がついに溢れて頬を伝っていくのが見えた。
なんなんだよ今さら、と苦し気に吐き出して顔を覆う姿を見て、あたしはホッと息を吐いた。
良かった、あの優しい思いやりの言葉は、ちゃんとこの子に届いたんだ。
ゆぃは嬉しかった。
分かるよ、今更でもこんな言葉が欲しいよね。ゆぃもそうなの。やっぱりゆぃと一緒だね。
感情が抱え切れなくなったのか、湊徹がスマホを投げ捨てようとする。
それをキャッチして横へ置き、顔を覗き込む。あたしの出来る限り完璧な、優しい顔で。
「……ね、あたし、また明日ここ来るからさ。そしたら聞かせてよ、あんたの話。約束。良いでしょ?」
「……」
「明日は財布返してあげるからさ。ね?」
うるんだ眼と見つめ合ってそういえば、湊徹はやっと落ち着いた目をする。目の前のあたしをしっかり見つめて。
「……………………なんでログボ方式なんだよ」
照れ隠しのその言葉さえ嬉しい。
それにあたしは、ゆぃは思わず笑みがこぼれた。
──ああ、この子の心の内に入り込めた。恩が売れた、と。
「いーでしょ、別に。これから一個っつ返してあげるから、それまであたしとお話ってことで」
「…………メンドイ女」
「そ、あたしメンドイ子なの。来なかったらマジ怒るからね。だから…………また明日ね。金髪クン」
ナイフを返し、印象に残るように背を向けそう言う。
" また明日 "って、きっと今の彼が一番心に来る言葉を選んで。
湊徹、まずはあたしが助けてあげる。だから次は、ゆぃを助けてくれるよね。
信号が青に変わる。
横断歩道を越えて言葉が固まったのか、透はしばらく黙った後口を開いた。
「……まぁ、つってもさ、良いんじゃねーの別に。結果的に徹は立ち直ったんだしさ。別に良くね」
「…………でも」
「でもじゃなくてさぁ。アイツお前のお陰でバカなこと辞められたっつってたぜ、理由はアレでもさ。あと、学校誘ってくれたのも。結果オーライってカンジじゃん。
なら別にいいじゃんかよ」
「…………けど……」
投げやりな言い方だけど、思いやりのこもった言葉だった。
透らしい優しさに、あたしはそれだけしか返せない。
だって──。
徹とはその後、毎日夕暮れ時に公園で会って話した。
徹のことを知りたくて。徹の力になってあげられる人間だと示したくて。あたしのことも知ってほしくて。
最初はほとんどあたしが話してばっかりだったっけ。
4日目にやっと徹から喋ってくれた時は嬉しかったな。
優しくてカッコいいお母さんのことが好きな、普通の男の子だって知れて嬉しかった。
それを認められないのか黙った徹が、最後には頷いたのも。
それからはぽつぽつ家の事とか過去の事とか話してくれるようになった。
大好きだったお母さんとお祖母さん。仲の良かった友達たち。
お父さんが居なくても、お母さんとあんまり話せなくても、毎日楽しかったと。
「…………でも皆言うんだ。お前はかわいそうだって」
「……だから諦めた。
すっげーんだよ、マジ。何しても皆許してくれんの。
おれが『かわいそう』だからって、勝手に納得してくれる。
楽だったし楽しかった」
「……………………本当は、叱られたかった」
湊徹は、ゆぃと真逆で一緒。
湊徹は叱られたかった。
『かわいそうな子』として自分の幸せを否定されて苦しくて、皆の思うようにかわいそうな子として暴れてみたけど、誰も止めようとも叱ってもくれなかった。
ゆぃは褒められたかった。
『出来る子』として悲しみも苦しみも否定されて、それでも皆の思うように出来る子でいたら、それが当たり前になって褒められることさえ無くなってしまった。
誰も分かってくれない。皆のためにって我慢して頑張ってきたゆぃたちを否定するばかり。
『かわいそうじゃない子』にはしてくれない。
『出来ない子』でいさせてはくれない。
「大丈夫」
だからあたしはあなたへそう言う。あたしだけがあなたへそう言ってあげられる。
「大変だったね。たくさん頑張ったね。大丈夫。金髪クンは悪くないよ」
「金髪クン辛かったね。皆の視線に疲れちゃったんだね。
自分の嬉しいも楽しいも、誰にも分かってもらえなくて。
そりゃヤケになっちゃうよ。仕方ないって」
「大丈夫。金髪クンは幸せな子だよ。あたしはそう思う」
あたしだけが、あなたの全てを肯定してあげられる。意固地になったあなたを壊してあげられる。
だってゆぃたち一緒だから。ゆぃもそう言ってほしいから。ゆぃも助けてほしいから。
「他の人なんかどうでもいいじゃない」
だからあなたもあたしを見て。ゆぃを知って。ゆぃを助けて?
あなたに寄り添うのは、理解するのは、お母さんの他にゆぃだけで良いでしょう?
「大丈夫。あたしは分かるよ。あなたのこと」
手を重ねて。目を合わせて。甘えるように肩へ頭を乗せて。
あたしはそう伝える。だからあなたにはあたしだけだと。
ゆぃはそう囁く。だからゆぃを見て、と。
だって、あなたが好きなの。
──あたし、徹を立ち直らせてなんかいない。
あたしは失敗したんだよ、透。
徹を好きになっちゃった。
あたしもゆぃも、最初の目的なんか忘れて、自分の恋心を優先して動いてしまった。
湊徹が、朝風百合に恩を、感謝を、親しみを、愛しさを抱くように。
救いは朝風百合だけだと思うように。
朝風百合だけ見てくれるように。
朝風百合を、好きになってくれるように。
いつの間にか行動の軸がそれになって、あたしは徹を助けることも、ゆぃを助けてもらうことにも失敗した。
だって立ち直るって、なんでも肯定して分かってくれる唯一の存在に支えられることじゃない。
なんでも肯定して分かってくれる人って、理解者なんかじゃない。
そんなの、ただの依存だ。
徹が急に来なくなって、あたしはそれに気がついた。
今日こそ来てないかって一人徹のカバンを抱えながら、ずっと考えていた。
もしかしてあたし、あんなこと言うべきじゃなかったんじゃないかって。
あたしのせいなのかもしれない。
良くない方法で背中を押して、何か失敗して、来なくなってしまったんじゃないかって怖かった。
けど、一方で──喜んでいる自分もいた。
もしそうなら、救いはあたしだけだと思っているのなら……絶対ゆぃのところに戻ってきてくれるって。
そんな期待と恐怖を抱えながら、毎日ベンチに座っていた。
夏休みが明けて、学校が始まっても徹は来なかった。
放課後すぐに帰っちゃうから、友達から付き合いが悪いと思われるようになった。
勉強の息抜きしてきた、なんて言って夜に帰ってくるから、家族から色々と心配された。
それでも行くことを止められなかった。
ただ、徹に会いたくて。
「な、なぁ!ねぇ!!お前!」
待って待って、2ヶ月が経って、ようやく徹はそんな風に叫びながらやって来た。
濁った金じゃない髪の間から、すっきりした顔を覗かせて。
今すぐにも抱き着きたい思いを押さえて、何でもないような顔で手を振ったっけ。
会えて、どんなに嬉しかったか。
コロコロ変わる表情がどんなに愛おしかったか。
やっと目を見て名前を呼べてどれほど胸が高鳴ったか。
あたしはその全部を隠して徹を出迎えた。
『久しぶりにあったあの子』として罪悪感を抱かせないよう、完璧な姿で。
「……おれがもう来ないとか思わなかったの?」
「全然?」
「だって、あんた絶対来るって思ってたもん」
「なんで」
「勘?」
「勘って……」
「ま、生徒手帳なんて大事なもん返してないのに来なくなるわけないし。そもそもカバン自体返してないし。
……それにさ」
サラッと誤魔化して身体を寄せると、徹は応えて同じように寄せてくれる。
一層高まった期待と恐怖を吐き出すように、あたしは聞いた。
「あたしだけ、でしょ?あんたのこと分かるの」
徹は薄く目を見開いて、あたしと目を合わせてくる。
沈黙が怖くて追加で聞けば、徹はニヤリと笑って答えてくれた。
「……どーせ学校の子たちは手のひら返しって感じだったでしょ?」
「うん。マジそんな感じ」
「……嫌じゃない?」
「いや?だって楽だもん。皆バカだから勝手に納得してくれるし」
手が触れ合う。
暖かい徹の手が、迷いなく冷えたあたしの手を包みこむ。
どちらとも分からない心臓の音と共に、徹の言葉が耳を打った。
「お前と母さんが分かってくれた。おれはそれだけで良いよ」
「……、」
高鳴っていた心が握りつぶされたように、くっと息が詰まった。
握った手をすりと撫でてくれたその手つきが、『それだけで』と言った甘ったるい言い方が、
──ああ、失敗したんだ。
湊徹は、自分のことを全て分かってくれる
それは湊徹の一つの支えにはなったけど、完全に立ち直らせることには繋がらなかった。
湊徹は、
依存。
あまりに不確かで、危うくて、歪んだ立ち上がり方をした男の子が朝風百合を見つめていた。
同じ学校に誘ったのは、その責任を取ろうとしたから。
あたしは徹の苦しみをあたしの存在と恋心で塗りつぶしただけ。
ならその先の辛さも悲しみも、あたしで染め上げて無くしてしまおうと思った。
だって、好きな男の子には笑っていて欲しいじゃん。
苦しかった過去なんか忘れるくらい、楽しい学校生活を送らせてあげたい。
例え歪でも、それで救われているのなら守ってあげたい。
それに──
「……ゆぃ、徹と一緒にいたかっただけだもん……。それだけで、なんにも……」
ただそれだけ。
色々と理由は付けられるけど、やっぱりそれが一番大きかった。
いっぱい頑張ったな。
徹が合格できるように時々連絡して、冬休みには一緒に図書館で勉強したこともあったっけ。お陰で勉強見る約束してた友達何人かに切られちゃったけど。
受かったら受かったで、お母さんに迷惑掛けるなって入学手続きを一緒に確認したり、春休み課題とかの面倒見たり、入ったら色んな事をしようって励ましたり。
入学式で同じ制服を着て会えた時の嬉しさったら、今でも昨日のように思い出せるくらい。
クラスに駆けて行けばいつでも徹に会えて。
名前を呼べば、嬉しそうに走り寄ってくれて。
手を伸ばせば抱きしめられそうなほど近くに居れて。
毎日が嬉しくて楽しかった。
毎日少しずつ徹の事を知って、その分好きになった。
──けど。
『百合』
『百合!』
『ね、良いでしょ百合!』
『百合~……助けて~……!』
徹がそう呼んでくれるのは、ゆぃじゃなくてあたし。
嬉しそうに駆け寄るのは、一緒に居て楽しそうにしているのは、輝いた目で頼りにしてくれるのは、全部あたし。
『…………百合』
来れなかったお母さんの代わりにあたしのママが写真を撮ってあげた入学式に。
まだ人の少ない教室で、緊急連絡先の父親欄が空白の書類を見つめている朝に。
ゴールデンウィーク開け、皆の家族の話を聞いている昼休みに。
暗く遠い目で
君は何でも出来る、君は何でも分かってくれる、君だけがおれを肯定してくれる──。
ゆぃが何より嫌だった無責任な期待の視線は、ゆぃが誰より助けて欲しかった人から向けられるようになっていた。
でも、それに背を向けられない。
徹に嫌われたくない。あなたにとって唯一で完璧でありたい。
例え、その目が
矛盾と苦痛で出来た幸福を手放したくなくて、ただゆぃはこの2年を過ごしてきた。
「さっきから言ってるでしょ。あたしが徹にしてきたことは、全部自分のためだったんだって……」
「だーから!別にそれでもいーじゃんって話を……。…………そんな気にする?」
丁度街灯の下を通り過ぎた。
うんざりしたような声色が収まって、小さくなった問いがブレーキ音の隙間から聞こえた。
「……する。あたし、徹に何も出来てない。しようともしてない。
……ほら、この前だってあたし、何にもしなかった……」
「あれは……、あー、うん。まぁ、そうだけどさ」
「でしょ。……徹を本当に立ち直らせたのは、明里と透だよ。二人のお陰」
「……別に、俺は何も……」
ずっと近くで見てたもん。徹が抱いてたコンプレックスなんてずっと前から分かってた。
文化祭に向けて皆で練習を始めてからは余計に強くなっていったのも。
仲のいいあたしの家族。
文句ばっかりだけど練習に付き合ってくれる透のパパ。
休日に家にいて友達をもてなしてくれる明里のパパ。
皆がずるい、おれには無いのにって悩んでる気持ちが溢れそうなの分かってた。
行き場のない気持ちを肯定してほしそうな視線を向けられていたから。
それが苦しくて、でも下手なことを言えば機嫌を損ねて嫌われそうで、怖くて何も言い出せなかった。
だからあたしは徹が怒りそうな事をした。
健人くんにわざとらしく話しかけて、膨らんだ怒りと悲しみに針を刺した。
あたしの思い通りそれは破裂して、徹は駆けていった。
でも、それを追いかけたのは明里。
怖くてついていけなかったあたしに次の日突きつけられたのは、今まであたしが見たことないくらい、晴れやかな徹の笑顔。
隣にいたのは、明里と透。
あたしが塗りつぶすことしかできなかった徹の苦しみを、二人はまるで魔法のように取り払ってしまった。
「……ね」
「ん」
何か言いたげに口をへの字に結んでいた透を呼ぶ。
クールぶった表情で心配を隠した優しい目と目が合う。
その、
「ありがとね」
「何だよ」
「徹を助けてくれて。ありがとう」
──あたしの徹なのに。ゆぃの徹なのに。よくも。
吹っ切れた徹を見て、真っ先に浮かんだのはそんな醜い感情だった。
自分で爆発させておいて、行かないことを選んだくせに。何にもしようとしなかったくせに。
──なんで徹を助けちゃうの。ゆぃより徹のこと知らないのに。ゆぃのことは助けてくれないのに。
ゆぃと違って、徹を咎めて自分と向き合わせて、一歩前へ踏み出せるようにした二人。
そんな二人がズルくて、羨ましくて、憎くて恨めしくて……もっと憧れた。
本当はね、もっと前から二人のこと知ってたんだよ。
徹からバンドに誘えそうな子がいるって教えてもらって、二人の事見てたから。
明里が健人くんのこと好きなのも、透がそのどう見ても上手く行かない恋を見届けようとしてるのも知ってた。
だから明里が健人くんに告白した日──二人で前を向いたあの日、あたしは扉の向こうでそれを聞いていた。
『一個も後悔してない』
なんでそんなに前を向けるの?
なんで、自分を苦しめる恋心をちゃんと捨てることが出来るの?
どうしてそう言い切れるの?
だって、ゆぃは徹を好きになったことを──。
だから二人を誘った。あたしも二人みたいになりたかった。
結局、一つとして出来なかったけど。
「それからさっきも。あんな告白断ってくれて、良かった」
ずっと抱えてきた嫉妬も恨みも悔しさも恋心も全部吐き出してしまいたかった。だからあんなこと言っちゃった。
あれは甘え。透なら、あたしが恨むほど憧れたあなたなら、絶対に断るって分かっていたから。
ごめんなさい、明里、透。ゆぃ、二人のことだって好きなのに。
言葉に
透がはぁと深くため息をついてそれを破る。あからさまに「やれやれ」って雰囲気を出して口を開く。
「…………別に。俺は他の男が好きって散々泣くヤツと付き合いたくなかっただけだし」
「……あっは、言えてる」
「あとフツーに、ダチの好きなヤツと付き合うとかありえないから。フツーに。ジョーシキ的に考えて。
ホントマジ二度とすんなよな。そんな徹が好きなんなら」
わざと嫌な奴らしくウザったい口調で言う透に思わず笑ってしまう。ちょっとカッコ悪い。
ホント、照れ隠し下手くそなんだから。
そうだね、ゆぃ、結局徹が好き。
きっと何をしても諦められない。他の何にも比べられないくらい、徹が好き。
あの腕の中に飛び込んでみたい。
華奢だけどちゃんと筋肉の付いた腕。ゆぃとは違う男の子の手。
それに力強く抱きしめられたなら、胸に顔を埋められたなら、広い背に手を回せたなら!
優しく手を添えてキスしてほしい。
髪と頬をゆっくり優しく撫でて。それからちゃんと名前を呼んでから目を合わせて、顔を近づけて、飛び切りロマンチックに。
愛してるって言ってほしい。
腕の中に閉じ込めて耳元で囁いて。肩に手を置いて見つめて言って。ふと目が合った瞬間に呟いて。全員に聞かせるように叫んで。
何度でも何度でも、ゆぃが満足するまで。
だからね透。あたしね、ゆぃね、もう少し頑張ってみる。もう少し苦しんでみる。
いつか背伸びをやめて、徹の前でゆぃでいられるように。
ゆぃを好きになってもらえるように。
そして、恋が終わったら乗り越えられるように。
二人のように、後悔してないって言えるように。
「うん。もう言わない。ホントにありがと。色々さ」
「あっそ。…………あーもう、やめろって。分かったから」
感謝を込めてじっと見つめていれば、透はひらひら手を振って目を逸らした。
「なに、ひどいの。お礼を言ってるのに」
「だからもういいって。こーいう雰囲気好きじゃないの。別にいらねーってそういうの」
「そう。……っふふ、そう。はいはい分かった、もう言わない。それに、あたしもうお礼したもんね」
「……はぁ?」
「だって、明里が好きって気づかせてあげたでしょ?」
一瞬フリーズした透は、しばらく黙った。
車がいくつか通り過ぎて、やっとエンジン音に紛れて舌打ちが聞こえた。1回じゃ足りなかったのか、2回3回と嫌そうに顔を歪ませる。
「まーたそんな顔してー。そんな嫌?」
反比例して、あたしはニヤニヤ口元が緩む。
「うるさい。マジうるさい。ホント無い。あーやってらんね」
「はいはい。分かった、分かったって。大丈夫、あたし絶対内緒にするから」
「だから何が?はー、うざ。ガチでメンドイ」
メンドイって、アンタがそれ言う?
なんて思わず吹き出せば、透は更に目つきを鋭くする。動揺を隠す威嚇みたいで余計面白い。
そういうのマジダサいよ、って言いたくなるけど、さすがに言いすぎだから心の奥にしまう。
全くもう。見てれば分かるよ、透。
だってアンタ、あたしと手が触れたりするとすぐに明里の方見るんだもん。焦った顔で、勘違いされてないかな、なんて顔で。
見当たらないと滅茶苦茶つまんなそうにして、見かけたら嬉しそうに笑っちゃってさ。
そういう意味で好きになったのは最近でしょ。
文化祭の練習をするうちに、ステージの上で声を合わせるうちに、修学旅行で話すうちに、少しずつつ好きになっていったでしょ。
友達でいたい思いが強くて、必死に気づかないでいたみたいだけど。
そんな不器用さが、必死さが、ゆぃとちょっと似てて。
仲間を見つけたみたいで嬉しかったの。
「あっは、ウケる。知ってるしそんなの」
透。
あたしの友達。
好きな子どころか自分の思いにすら素直になれない、バカで、カッコ悪くて、けど優しいカワイイヤツ。
助けてくれないなら一緒に苦しんで。
たった一言で終わる思いを抱えて、一緒に辛い日々を過ごそう。
この世界一最悪で最高な恋を、一緒に。
「メンドイよ。アンタもあたしもね」