宴はまろやか   作:LAC

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始めに

 

 いつもより空が高い日だった。

 トリステイン魔法学院の生徒たち、とりわけ今年度から二年生となる生徒たちは朗らかだ。入学したての一年生だったころから、上級生の連れ歩く多種多様な使い魔への憧れを抱いて一年間過ごしてきた。大多数の生徒たちにとって、その日の朝食がとても美味だったことは想像に難くない。

 誰も彼もが頬を赤く染めて、大仰な身振り手振りで自分が召喚することになるだろう使い魔の姿を語っていた。皆一様に能天気な顔をしている。

 喧しく大広場に集まる生徒たちを窺って、オスマンは息を吐いた。彼ら彼女らの祖父や祖母、曽祖父や曾祖母がここで学んでいた頃が否応なく思い出される。己が家名に恥じぬ使い魔を召喚せねばと強く意気込む者、もしもこの一生ものの魔法に失敗してしまったらと必死に復習する者。昔はそんな生徒が多かった。オスマンはそんな若者たちを、こっそりと学院長室から見守るのが好きだった。

 今どきそんな風に、気張る者など居ない。魔法を使える貴族は、平民とは違って楽をするのだ。オスマンもそうは思うが、楽をするための魔法に怠慢を持ち込むのは違うと考える。それから余談だが、今どき、という言葉を彼はあまり好いてはいなかった。

 自分の若い頃は、誰も彼もが魔法の研鑽に必死だったというのに。オスマンは自分が抱えた学院の現状を恥ずかしく思った。最近生まれたばかりのこの国の王女様や、その少し前に生まれたばかりの王妃様なんぞには、この体たらくを見られても一向に構いやしない。だがもしも、彼なりに信奉する魔法そのものや、その体現である伝説のブリミルを前にしたら、恥ずかしくて縮こまってしまうかもしれない。

 今のトリステイン魔法学院は、魔法学院として、あまり好ましくはない。

 オスマンはまた息を、今度は露骨な溜息を吐くと、広場の隅で必死に口を動かして、何度も呪文の復習をする少女に目を動かした。

 桃色の髪が快晴に良く映える少女だった。トリステインの大家、ヴァリエール公爵家の三女で、ルイズ・フランソワーズという。オスマンはその少女のことを非常によく知っていて、彼女は学院始まって以来の落ちこぼれだ。

 他の生徒たちの気楽さの一部は、彼女に因るのかもしれない。

 王家に最も近いと言われるヴァリエール公爵の三女で、自分たちとは比べ物にならない程に魔法の才がない女。ルイズはまさにそれだった。机を共にする誰もが、魔法への慢心を抱いてしまっても無理はないのだろうか。

 願わくば、結ぶことなくとも、決して今日の日まで研鑽を欠かす事のなかったひたむきな彼女に素晴らしい使い魔を。

 オスマンは軽く杖を振ると、遠見の鏡を閉じた。広場を映していた鏡面が彼の顔を映すのを確認し杖を置く。

 そして、広い椅子に深く腰掛け、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。彼の皺くちゃの瞼の裏には、使い魔のねずみが見ている沢山の生徒たちと、今年の召喚の儀を監督する教師の姿が映っていた。

 

 

 

 宴はまろやか・始めに

 

 

 

「あんたってば本当に、見栄っ張りでどうしようもない娘」

 使い魔召喚の儀当日の朝だった。ルイズは顔を洗うよりも先に鏡と向き合って呟いた。

 彼女の毎日は、平坦な毎日だ。魔法学院には沢山の行事があったし、そこに集まった沢山の貴族の子女たちは皆個性豊かだった。ただ、一年前からルイズの魔法は変わらない。

 感激屋の多い彼らの中に取り残されて、ルイズの感性はとてもフラットに纏まっていた。尖ってみせることもあったし、隠れて枕を濡らすこともあった。だが、どれも些事だ。

 憤慨と、嘆きを彼女の魔法が代言する。ルイズは唇を噛む。今日の日の意気込みは、諦念から体をベッドに預けてしまわないための知恵だった。召喚の儀を越えれば何かが変わるのか。魔法が成功しなければ何も変わるまい。

「今日もきっと失敗する。明日は昨日より惨めな私が居る。明後日の辛さは明日と変わらないかもしれないけれど。

 でも、ちょっと、やだなぁ」

 二年生になっても、良いことはきっと来ないだろう。三年生になったらもっと辛くなるかもしれない。卒業したらどうだろうか。やはり辛いのだろうか。魔法が使えなければ、いつまでたっても変わらないのだろうか。

 ルイズの心は諦めを知っている。それが一瞬の油断で、自分の広いとはいえない心の殆どを占めてしまうことも。きっと、それは仕方のないことなんだろう。

 生まれてから僅か十七年だが、一生この気持ちと付き合って生きていくことを覚悟している。才能っていうのは、そういうものだ。死ぬまで自分と歩いていくもの。

 取り留めなく浮いては消える雑念とは別に、ルイズの手はいつの間にか身嗜みを整えていた。そろそろ部屋を出ないと、朝食に間に合うまい。

 ノブに手をかける。召喚の儀に意気込むルイズ、を顔に貼り付けて彼女は思った。もう、一生分の諦めと覚悟は用意してしまったけれど。

 もしかしたら、もしかしたら今日は良いことがあったり、すると、良いのにな。

 

「あら、おはようルイズ。相変わらずぶさいくな顔。昨日あれだけ大口叩いてくれたんだから、今日はさぞかし大層な使い魔を召喚するんでしょうね?」

「うっさいわね! 見てなさい、あんたなんかとは比べ物にならないくらいすっごいの召喚してやるんだから!」

 

 

 

 召喚の魔法は、何度も失敗した。繰り返される爆発と、吹き荒れる煙に生徒の誰もがルイズから距離を取っていた。監督のコルベール先生は何か召喚するまで止める気はないようで、腕が上がらなくなるのを億劫に思いつつ、彼女は何度も杖を振る。

 そして最後に、緑色の肌をした貧相な亜人を召喚した。

 風貌は教科書に載っているオーク鬼やトロール鬼に通じるものがあったが、酷く小さい。召喚の魔法は作動したものの、成功とはいえないだろう。自分の魔法の限界に項垂れるルイズをそのままに、彼はきょろきょろと挙動不審に周りを窺っている。契約するなら今しかなかった。召喚魔法がどんなものであれ、鬼の類は本来人間と相容れない。

「我が名はルイズ・フランソワーズ……」

 早口でコントラクト・サーヴァントを唱えてキスをする。蔓延していた煙が晴れ、ルイズが召喚した使い魔を指差して周囲の生徒たちが笑ったが、ルイズは顔が綻ぶのを感じていた。

 ルイズのキスに、きゃあきゃあと嬉しそうにその鬼が跳ねて回ったのだ。この学院に来てから、一度も女性として褒められたことはなかった。こんなちっぽけな事で舞い上がってしまうのは、なんだか本当に小娘のようで癪だったが。

 それからもう一つ、嬉しいことがあった。

「よ、よよよよよよ、よよろおしくお願いします大将!」

 ルイズが召喚した彼女に好意的なこの鬼は、人語を解する程度の知恵があった。とても足りているとは言えなかったが、辞書に載っていない彼の種族がゴブリンということが解っただけでも収穫だ。

 人語が通じることに気を良くしたルイズは先ず、彼に名前を尋ねた。

 ところが彼が言うには、ゴブリンで一番偉い人は王。一緒に何かやるゴブリンの中で少し偉い人は大将。自分と一番目によく話をするゴブリンはおまえ。二番目に話をするゴブリンはあいつ。自分は、大将からも仲間の誰からもおまえと呼ばれていた、と胸を張って言った。

 ルイズは自室に戻る道を歩くなか、実に三十歩分の時間をこめかみをほぐすことに使った。そして、彼をラッキーと呼ぶことに決めた。

 

「あんたって本当にばかね!」

「へい、すみません」

「でも嫌いじゃないわ!」

「へい、ありがとうございやす」

 

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