使い魔から手渡された制服に腕を通し、襟を整える。
「メイジの属性は使い魔で決まるって聞くけど」
ぺろりと唇を舐め上げる。ルイズはクリームも口紅も塗らない。
「ラッキーって何系統なのかしら」
「へい?」
肩口で戯れる髪をなおざりに払って、ラッキーを正面から見据えた。
「系統よ、系統」
「系統ですか?」
「そ、四大系統」
火、水、土、風の四つからなる四大系統は、学院では進路、専攻にあたるもので、在籍する生徒は必ずどれか一つを選ぶことになっている。そしてそれは生徒の自由意志ではなく、召喚の儀で喚びだした使い魔の属性によって決められる。
ただ、使い魔の系統は生徒の申告に拠るうえ、歴史ある貴族のほとんどが、家が得意とする系統を持っているので、使い魔とは別の理由で決められることもある。長男や長女なら生まれたときから決まってしまっていると言っても良い。
ルイズは三女なので、しきたりに倣う必要はなかったが、彼女も自分の家の系統である風に、誇りと憧れを持っていた。
「あいにくあんたの、ゴブリンって種族はあんまり資料がなくて良くわかんないのよ」
だから本人に聞いてみようと思ったんだけど、とルイズは言ったが、当のラッキーが首をかしげているのを見て腕を組んだ。
「こう、火が噴けるとか空を飛べるとか、水の中で動けるとか……いろいろあるのよ」
「おいらにゃどれも無理ですね」
「そうよね。ゴブリンってみんなそうなの?」
「あ、そうだ。手から火を出せるゴブリンはいます」
「ほんと!?」
「おいらにゃ無理ですけど」
ルイズは深く首を傾げると、早めに食堂に向かうことにした。
宴はまろやか
「初歩の初歩の初歩の初歩、ぼんばか」
忙しなく朝食をかき込む中年教師、コルベールは、学院では珍しい熱意ある教師だった。慌てて朝食を取るのは一時間目の準備のためだ。彼は本当に今の職が好きだった。
おや、とコルベールは食事の手を止める。彼は自分が熱意を持て余しがちで、そして大多数の生徒からは嫌われずとも、苦手意識を抱かれていることを知っていた。それでも彼は本当に教職が好きだったから、普段通り食堂の隅で他の生徒たちよりも一足早い朝食を取っていた。だが今日は、席に着き始める生徒たちの間を縫って、彼の元にやってくる一人の生徒が居た。
「おはようございます、ミスタ・コルベール」
ルイズは先ず頭を下げ、ここまで引いてきた使い魔の手を離してその手でラッキーの頭を押さえつけた。使い魔の下がる頭に合わせて彼女ももう一度礼をする。
「朝食中にすみません」
「いや、構わないよ。それで何かな?」
「実は四大系統についてなんですが」
コルベールは、少し待ってくれと言うように手を上げて、それから一口で最後のパンを口の中に詰め込み、呑み込んだ。
こういった貴族らしかぬ動作も生徒から距離を置かれる一因なのだが、彼にその意識は全くない。ルイズも定期的にテーブルの上に手を伸ばすラッキーを叩くのに忙しかったので、それを見て眉を顰めるようなことはなかった。
「あー、それは、つまり、進路相談みたいなものかね?」
恐る恐るコルベールが尋ねる。
「はい。その、この子の系統が……」
「そうだね。けれど私にも、使い魔の彼が何の種族だかすら」
「ゴブリンって言うんだそうです」
「ゴブリン?」
「へい、ゴブリンです」
コルベールは人語を話すラッキーを見た。知らない種族だが、言葉が通じるとなれば話は別だった。
「よし、じゃあゴブリンの……ええと」
「ラッキーです。ミスタ・コルベール」
「そう、そのラッキー君にいくつか質問しても良いかな」
「へい!」
よし解った、とコルベールは頷いた。根っからの研究者だった。
彼の質問は多岐にわたった。
「召喚される前はどんなところに?」
「山で寝て起きてやした」
「ふむ。近くに海は?」
「ありやした。煙が酷くて」
「……煙?」
「へい。あれをぶっかけると人間が変な声を出しやす」
「有毒なのかい?」
「こう言うのは人間くらいですね。"アッチー! アッチー!"」
「それはただの熱湯だね」
「へい」
「そうだ、火を噴く山があったりは?」
「おいらんとこの山は全部そうですね」
その土地に聳える山は全て活火山で、時には溶岩がゴブリンたちの家の傍まで寄ってくることもある。
「あの……どうですか?」
「ああ、恐らく火、もしくは土だと思うよ。そうだ、ゴブリンという種族は、縄張り争いみたいなことはしているのかい?」
「へい! 三回めし食って寝たらそれの時間です」
「それはどんな風に?」
「そいつは勿論、ぼんばかぼんばかと」
「ぼんばかぼんばか? それは一体どういう……あ、いや」
一層詳しいことを聞こうとしたコルベールだったが、何かに気づいたように口を閉じた。それから彼は、いぶかしむルイズに向かって、周りを見たまえと言った。
「あっ、もう時間が」
「ミス・ヴァリエール、急いで朝食を食べてしまいなさい。授業の後ならいくらでも付き合うよ」
「は、はい! ありがとうございます。では!」
「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ……」
教壇では、シュヴルーズと名乗った小太りの女性が生徒たちの使い魔を眺めて満足そうに笑っている。
ルイズは熱心で模範的な優等生で通っていたので、いつものように行儀良く授業を聞いていたのだが、如何せん隣に座るラッキーに落ち着きがない。彼女は授業が始まる前に、授業中は静かにしていなさい、と言うのを忘れていた。
「ちょっとラッキー、お願いだからきょろきょろしないで。
落ち着かないじゃないの」
「へい! すいやせん」
「あっ、ばか! 声が大き……」
「ミス・ヴァリエール!」
「はいっ」
「授業中は静かに」
「はい、すみません」
「よろしい。では、前にでてこれをやってもらいましょうか」
シュヴルーズはルイズを手招きすると、教卓の上に乗せた石を指した。この石に錬金の魔法を使ってみせろ、ということだった。
錬金の魔法は土系統の魔法だ。ルイズはどんな魔法も失敗させてしまう、実技が酷く苦手な生徒だった。だが、今朝のコルベールの言葉を信じるなら、ラッキーは火か土に属する使い魔だ。自分に土系統の才能があるのなら、もしかしたら成功するかもしれない。
ルイズは日々の予復習を欠かしたことがなかったので、呪文だけは簡単に唱えることができる。
ルイズは勢い良く杖を振った。
石は轟音を立てて爆発し、すぐ傍に居たシュヴルーズとルイズを吹き飛ばす。二人とも壁に突き飛ばされ、魔法の失敗に慣れていたルイズは意識を保ったが、シュヴルーズは気絶した。
教室中から非難の声が上がる。
「また失敗かよ! ゼロのルイズ」
「もう退学にしてくれ!」
沢山の厳しい言葉が彼女に向けられていたが、ルイズは、言い返すわけでもなく、落ち込むわけでもなく、その上気にするような素振りすら見せずに、ただ手のひらをぽんと叩いた。
それから得心がいったという風に呟いた。
「あっ、わかった」
ぼんばかってこれだ。
誰が呼んだのか、シュヴルーズを介抱しに来た教師に命じられ、ルイズは散らかった教室の片付けを始めた。教室を壊した罰ということで、魔法の使用は禁じられていたが、元々ルイズはこの惨状を元に戻せる魔法など使えなかった。
「ねぇラッキー、ぼんばかって、これのこと?」
「へい!」
半分に割れた椅子を細い腕で持ち上げて、ルイズはラッキーに尋ねた。ラッキーはそこかしこに散らばった木片を拾って一箇所に纏めながら答える。
何度やっても爆発するルイズの魔法は、今まで失敗と言われ続けてきた。だが、使い魔の属性がまさにこれだと言うのなら、失敗ではないのかもしれない。
魔法が一つも使えないことと、一つだけしか使えないことの差は大きい。ルイズは少しだけ嬉しくなった。
「火をつけて玉を持ったら、向こうに投げる。すると相手がぼんばか吹っ飛ぶ。これがおいらたちの戦い方です」
「ふぅん。過激ねぇ」
ルイズはぼんやりと呟きながら、机にすっぽりと挟まってしまった教卓の欠片に手をかけた。上手くはまってしまったのか、なかなか抜けない。折れ目がささくれ立っていたので、強く握る訳にもいかない。
「ちょっとラッキー、見て。これどうしようかしら」
「へい! すっぽりはまってやすね」
「そうね、はまってるわね」
「へい、はまってやすね」
ルイズは人差し指で、ラッキーの額をごつんごつんと繰り返し突いてから、眉を寄せた。
「ひっかかっちゃって取れないわ」
「取れないですね。あ、大将! あれですよ、こいつのここをちょっとぼかんと」
「あっ、なるほど。何気にあんたって結構気がつくのよね」
軽く杖を振る。腹に響く音と共に木片が消し飛んだ。そして優雅に顎に手を当てる。
「無くなっちゃった。なんていうか、そうだわ。ごみ捨て場まで持っていくより、こっちの方が楽ね。そう思わない?」
「へい! そうですね」
ルイズは淑女然と手のひらの下に口元を隠してから、下品ににやりと笑った。
「ぼんばかって便利な魔法だわ」
教室のごみはすぐさま一掃された。
モンモランシーが、上機嫌で学院を徘徊する胡乱なルイズ・フランソワーズと中庭で出会ったのは昼食前のことだった。ギーシュを探して歩いていたのだが、食後の歓談に使われるこの場所で、昼食時に探し人に会えると思っていたわけではない。ぐるりと目を通すだけ通して、さっさと別の場所に行こうとした矢先だった。
「モンモランシーじゃないの。探し物?」
人の居ない場所で、視線をあちこちに飛ばしていればそうも見えるだろうか。モンモランシーは、ギーシュと付き合っていることを隠していたので、その勘違いを利用することにした。
「え、ええ。ちょっと落し物なんだけど。あっ、もう昼食だし、食堂に行きましょ」
「やーね、そんなに急がなくても良いわよ。そうだわ! 私も手伝ってあげる」
思わず顔が歪もうとするのをなんとか隠し通して、モンモランシーは大丈夫だから、と手を振った。しかしルイズは止まる素振りすら見せずに、あろうことか杖を取り出した。
「ちょっと、ルイズ! あなた何やるつもり?」
「見てなさいな。いくわよぉ」
ルイズが杖を何度も何度も振り下ろす。気まぐれに何種類もの呪文を唱え、そしてあちこちに杖の先を飛ばした。唱えられた魔法はどれも同じ現象を引き起こす。テーブルが爆発し、椅子が爆発し、そして青い草が消し飛んだ。
このままでいたら耳がばかになる。そう思ったモンモランシーは慌てて両耳を塞ごうとしたが、ルイズが優雅な手つきで杖を懐に仕舞ったのを見て、手を下ろした。一瞬の出来事だった。
「これなら探しやすいわね。どお? 私の魔法も結構役に立つでしょ」
「え、え……ええ、うん。そうね……」
「でしょ? 自分でもなかなかのものだと、って、あれはあなたの香水じゃない?」
土の色をむき出しにした広場で、紫色の瓶がきらりと陽光を受けてきらめいた。ルイズが拾い上げたそれを見て、モンモランシーは思わず叫びそうになった疑問の声を呑み込む。今朝も部屋に置いてきたはずなのに。
「はい。もう落とさないのよ。じゃ、私はこれで」
モンモランシーはルイズから香水の瓶を受け取ると、それがギーシュに贈った物であることに気づいて口元を引きつらせ、そして改めて中庭の惨状を見て唖然とした。
全て吹き飛んでいた。
級友の探し物を見つけたことに気を良くして、ルイズはラッキーと共に塔の中を歩いていた。今日は、闇雲に続けてきた魔法の研鑽の先に、小さな光が見えた素敵な日だった。この魔法の有用性を皆に知らせたくて仕方がない。
ルイズは廊下の先に、緑色の髪を払って佇む女性を見つけた。
「ミス・ロングビルじゃないですか。宝物庫の前でどうしたんです?」
「え? は、はい。ミス・ヴァリエールですか。こんにちは」
「こんにちは。宝物庫の整理とかですか? 学院長の秘書も大変ですね」
「そ、そうなんです。でも鍵を忘れたので、取りに戻ろうかと。それでは失礼しますね」
「あっ、そうだ。私が開けましょうか?」
慌しく去ろうとしたロングビルだったが、ルイズの言葉に思わず動きを止め、眉を寄せる。ルイズは彼女の前で揚々と杖を振った。ぼかん。
宝物庫の扉にかかっている錠前を狙ったのだろう、その魔法は少し上に逸れて扉の表面を削った。盗人対策の頑丈な固定化ごと崩れたことにロングビルは驚いた。
「ま、まぁ。ありがとうございます。そうだ、私が鍵を忘れたことは内密にお願いできませんか?」
「解りました。ちょっと待ってください、上手く鍵に当たらなくて……」
「ええ」
ぼかん、ぼかん、と断続的に爆音が響く。その大きい音に人が着てしまうのではないか、と慌てだしたロングビルが、ルイズの肩に手を当てて止めようとした。
突然肩を掴まれたルイズは驚いて、すっかり見当違いの方向に魔法をかけてしまった。
ぼかん。天井に穴が開いた。そしてルイズとロングビルは、その穴から落ちてきた人物を見て縮こまった。
「下が騒がしいと思えば全く……何をしとるかバカもん!」
宝物庫の上は学院長室なのだ。
「ミス・ヴァリエール!」
「は、はいっ!」
ルイズは縮こまって返事をした。
「君にはやらねばならんことがあるはずじゃ」
「はい?」
「ほら、なんだ。教室の片付けがあったじゃろう」
「は?」
思わずぽかんと口を開けて尋ね返す。教室の掃除なら、もう随分前に終わったはずだ。
不思議そうなルイズに向かって、学院長オールド・オスマンは悪戯っぽく言った。
「あれな、私が昼に散らかしといた」
「はああ?」
「こらこら、ボケ老人の戯れだとか生徒いびりだとか思っとるじゃろ」
「そ、そんなこと思ってません! 私が考えたのは前の方……あ! なんでもないです」
ちなみにもう半分はラッキーが思っていた。
「まったく……。ほれ、よーく思い出しなさい。教室の片付けは、罰として魔法を使ってはいけないことになっとったはずじゃ」
ルイズは驚きの声を上げた。それから小さくなって、羞恥で真っ赤になった顔を隠して頭を下げた。
「うむ。よしよし、では行って良いぞ」
「はい! 失礼します」
「それでミス・ロングビル。一体なんでまたこんなことに」
「そのっ、実は私とミス・ヴァリエール、つまらないことで口論になってしまい、そのまま廊下で喧嘩を……。す、すぐに責任を持って元に戻しますので!」
「いやいやそれには及ばんよ。私が直しておこう。
君はそのかわり私の机の上の書類を全部じゃ」
「そんなっ!」
片付けのためにすす汚れた肌をルイズは浴場で、ラッキーは使い魔用の水場で落としてから、部屋で一日を振り返っていた。
「ぼんばか、使ったら学院長に怒られちゃったわ」
「へい!」
「使いどころが難しいのよね」
「へい!」
「よし、決めたわ。罰としてあんた今日は半分の藁で寝なさい。
私にぼんばかを使わせた罰」
「へい! わかりやした」
「じゃあ、半分は私が使うから。やだなぁ絶対明日肩とか痛いわ。やだなやだな」
「へい! どうぞ」
「おやすみ」
「おやすみなせい」