肥沃な大地に足が埋まっていく。
列を作り歩いていたゴブリンのうちの一匹が、慌てて飛びのいた。足が埋まる土地について、彼らはいくつかの知識を持っていた。彼らの経験の中でそれらは常に、とんでもない猛毒を含んでいたり、耐えられないくらい熱かったりしたからだ。
それを見て、先頭を歩いていた、列の中で唯一黒い肌をしたゴブリンが言った。
「ああ、ここは沼地だからよ。たぶん歩きづらいけども勘弁してくれ」
「"ヌマチ"?」
先頭から四番目を歩いていたゴブリンが、すぐさま手の中の紙に「ヌマチ」と書き込む。
「おれにもよくわかんねーけどよ、婆が昔、教えてくれたんだ。土と川があわさると、沼地ってやつになるらしい」
やはり先頭から四番目のゴブリンが、手の中の紙に「ヌマチ 土と川の子供」と書き込んだ。
列の残りのゴブリンたちは、へえとか、ほうとか、彼らなりの感嘆の声を上げた。ここに来てから、真新しいことばかりだった。
「お、見えてきたな。あそこがおれたちの村だ。歓迎するぜ、シヴのゴブリン」
小間使いとして使節団に同行していた若き日のラッキーは、霧の中に薄らと見える猥雑だが、どこか趣きのある集落に目を奪われた。
「それでよ、おれはそのとき思い切ってこう言ってやったのさ。『お前の従兄弟がいなくなっちまう!』ってな」
「へえほう」
話し合いが始まるのを見送ってから、下っ端のラッキーは、集落までの案内役をしていたゴブリンの話に相槌を打っていた。
「そしたらそいつが何て言ったかって言うとだな。『俺の従兄弟がいなくなっても、俺の子供の従兄弟がいるじゃねーか』だとさ。
おれはそのとき、そいつはなるほど真理だ! って思ったね」
「ほうへえ」
「……。何かほら、その、あれだよ。聞きたいこととかない? 今のが一番盛り上がるところだぜ」
「じゃあ一つ聞いていい?」
「おう」
「"シンリ"ってどういう意味?」
「わかんね」
黒い肌のゴブリンは言った。
「他に何かない? おれが答えられるやつ」
「じゃあそれ。お前が食ってるそれの作り方教えてくれよ。さっきから見てたらさ、おいらは腹が鳴って鳴ってもうどうすりゃいいのか」
ラッキーは目の前で良い匂いを放つ、美味しそうなパイを指差した。黒い肌のゴブリンは、ぱくん、と片手に持っていたパイを口の中に詰め込んで立ち上がる。厨房はすぐ近くにあるようだった。
「よし解った。教えてやるよ。
こいつは"チューパイ"だ。すげえうまいよ。ここに住んでるやつはみんなこれが好きだ。だけど、欠点が一つある」
「欠点?」
「ああ。みんなこれが好きだし、作ってすぐ食べないとなくなる」
「なくなっちまうのかい?」
「ああ。作ってそのままにしといたら絶対どっかいっちまう」
「なるほどなぁ。そいつは致命的な欠点だな」
ラッキーはしきりに相槌を打った。これだけ美味しそうなら確かに納得できる。
「ところでおれも一つ聞いていい?」
「何でも聞きなよ」
「"チメイテキ"ってどういう意味?」
「わかんね」
宴はまろやか
「チューパイくすね」
むずむずしたので、大口を開けた。
ラッキーは眼前の空中の一区間を山羊の丸焼きに見立てて、勢い良く噛み付いた。咀嚼、嚥下の仕草をなぞり、肺に溜まった息を吐く。遠くを見れば、一本の細い木に鳥がとまっていた。足元に目を落とせば、形の良い石ころが落ちている。
物欲しそうに鳥をもう一度見てから、足元の石を拾い上げようと手を伸ばした。
ところがその石は、ラッキーの手が触れる寸前になって突然、地面の中に引っ込んだ。おや、とラッキーが石のあった場所に出来た穴を覗くと、一匹のジャイアントモールが彼の胃の中に納まる筈だった石を咥えている。
「とられた!」
ラッキーはしばらくそのジャイアントモール、ギーシュの使い魔であるヴェルダンデと睨み合う。ラッキーとしては、ヴェルダンデが背を向けて戻るか、あるいは石をそっと差し出すことを期待していたのだが、根負けしてついと視線を逸らしたのは彼の方だった。
周囲を見渡しても、目ぼしい石は他に見当たらない。
厨房を預かるマルトー親方から、忙しい時間帯でなければ厨房を借りても良いと言われていたことを思い出した。ラッキーは料理が全く出来ないというわけでもなかったので、どうにかして学院の庭から材料を幾つか見繕って、作ってみることにした。
厨房へ向かう途中で、ルイズと鉢合わせした。
「あ、あああんた、ラッキーじゃないの。何よどうしたの。この先は厨房しかないわよ」
「へい! ちょっとチューパイを作ろうかと」
妙なところで義理堅いところを見せて、厨房を借りる許可を貰ってから材料を集めることにしたのだろう。ラッキーは手ぶらだ。
「チューパイ? 何それ。ゴブリンの玩具? 珍しい遊び道具とか?」
「食いもんです。これがやたらうまいんです」
ルイズは細い顎にしなやかな指を添えて、少しばかり考える仕草を見せる。
「それって食べ物なの? コック長、忙しそうだったわよ。また今度にしたら」
「いや、おいらが作るんです。マルトー親方はぜんぜん関係ないです」
「じゃあそれ、出来たら半分頂戴。ちょっと興味あるわ」
小ぶりな唇を震わせて言った。ラッキーは人間の大将が自分の好物に興味を持ったことを嬉しく思った。それから、大将もお腹が空いているんだろうか、と思った。
「へい! わかりやした」
昼食の後片付けだろう、厨房では殆どの人員が皿洗いに勤しんでいた。
「失礼しやす! 厨房借りに来やした」
「あん? ラッキーじゃねえか。どうした」
「へい。ちとチューパイを作ろうと思ったんで」
「チューパイ? パイか。ああこらそこの鍋は触るな。よし、夕食の仕込みまではまだ時間があるから、好きに使って……」
出来上がったパイを日の当たるテーブルに置いて、ラッキーはルイズを呼びに行くことにした。
そして連れ立って戻ってきた一匹と一人は、チューパイから具がごっそりと抜かれていることに気づいた。
「え、うそ。これがチューパイ……? パイ生地だけじゃない」
口に手を当てて驚いてみせるルイズの隣で、ラッキーは真っ赤になった顔を持て余していた。慌てて周囲に視線を飛ばすが、見える範囲には人一人居ない。作ったらすぐに食べないとなくなる、これがまさかハルケギニアでも適応されるだなんて思っていなかった。
「具を乗っけたはずなんですが。ちくしょう、なんてこった」
ルイズは僅かばかり白い目を己の使い魔に向けた。ラッキーは指折り、自分が思いつく範囲での怪しい人物の名前を挙げていく。
「マルトー親方? 隣の部屋の赤毛? ぎ、ギーシュの旦那? そういえば、結局石は貰えなかったし、なんかおいらのこと嫌いみたいだし」
「ラッキー」
「へい!」
「あんた自分の名前も入れときなさい」
「へい! わかりやした。じゃあ怪しいのは親方と、赤毛と、旦那と、おいらと……おいら? なんでおいらが盗むんだろ。まあいいや、おいらと」
ちなみにあれ以来、下着盗難事件は起こっていない。
ルイズは腕を組むと、一度パイに視線を落として言った。
「仕方ないわね。チューパイはまた今度にしない? 今日は忘れましょ」
僅かばかり嬉しさを含んだ声音に、ラッキーは眉を寄せた。
「なんか大将、さっきからやたらと……。あっ、もしかして?」
すぐさまルイズは拳を振り下ろした。
「あいたっ!」
「馬鹿言ってんじゃないの! ああもう、解ったわよ。私も犯人探すの手伝ってあげる」
勢い良く使い魔の手を引いて、ルイズは先ほどラッキーが挙げた数人の、それぞれのアリバイを確認しようと一歩踏み出した。そして、気まずい雰囲気を払拭するように、あれこれと話を振り始めた。
「そういえば、チューパイってパイよね。なんでチューなの?」
「へい! こう、パイがチューチュー鳴くんです」
「え、あんたもしかして具はネズミですとか言ったりする?」
「へい、ネズミです。他にも色々入れるんですが、ネズミ以外捕まんなかったので」
「へ、へぇ。私は人間だから、ネズミは煮ても焼いても食べられないわね」
ラッキーは足を止めて言った。
「大丈夫! チューパイにはネズミを生きたまま入れるんで、ほら。大将も生なら大丈夫ですかい?」
「生? 生きたまんま?」
「へい! こう、パイがチューチューとですね」
ルイズは使い魔の頭に何度も何度も拳を振り下ろした。
ラッキーが調理法を教わったゴブリンの言葉をもう一度確認すると、チューパイは作ってすぐに食べないと、具がどっかいっちまうのである。
その日のラッキーの夕飯には、彼が生まれてから一度も見たことが無い程上等な肉が出た。そっと主人の顔を窺うと、彼女はぷいと顔を逸らして矢継ぎ早に言った。
「パイなんか食べちゃったら、あんたのお腹がいっぱいになると思ったんだもん!
だからね、私が半分食べたらあんたも、ちゃんと食べれるかと思って……。あんたは私の想像以上にばかだったけど」
「へい! ありがとうございやす」
「それから、これはエレオノール姉さまが勝手に送ってよこしたお肉なんだから、別にあんたのために取り寄せたわけじゃないんだからね!」
「へい! わかりやした」
「あと、そうだわ」
「へい?」
「ありがと」
「どういたしやして!」
「ちい姉さま、ご病気が良くなりそうなんだって」
ラッキーは何も言わず、上等な肉を口いっぱいに頬張った。