見えているか、あの眩耀の空が   作:ジャミゴンズ

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一話 (アタマ)突然変異

 

 

 

 走ることを宿命づけられたサラブレッド―――競走馬。

 数多の血が絡み合い、才知を決定づける遺伝子スポーツ。 それが競馬。

 欧州から始まったそれは、深い歴史を持っていて多くの人間を魅了し連綿と紡がれている。

 そう、世界中。 世界中で。

 

 そしてまた、命が生まれてくる。

 命の中には時折、人が想定することが出来ない変わった物が混じり、生命の神秘を開花させ驚嘆を齎す。

 そうした事象を、人は 『突然変異』 と呼んだ。

 

 

 

            U 00

 

 

 いつからか、身の回りをうろついているニンゲンと総称する奴らが何を言っているのか大まかに理解することができた。

 最初は何も気にならなかったが、俺の身体が大きくなっていき、ニンゲンを見下ろすことになり始めた頃だ。

 俺の周りの世界がいかに狭っ苦しく、歪んだ場所であるのかが分かってしまった。

 だからその時は、とてもイライラした。

 自分が何をするのか分からなかったし、この場所に生まれてきてからずっと『世話』をされている事に気が付いてからはニンゲンがとても気に入らなくなった。

 暴れまわってしばらく、自棄になっていた自分にも嫌気がさして出される飯を食わなくなるとニンゲンたちが矢鱈と周りにうろつくようになった。

 奴らの向ける顔は様々だったが、一番印象に残っているのはぐにゃりと変形した、所謂しかめっ面というのものだった。

 或いは何か意味の分からない声を挙げながら、笑っていると言われる表情だった。

 あまりに鬱陶しかったので飯は食う事にした。 よくよく考えれば別に死にたいわけでもない。 飯を食わないと腹が減る。

 それはきっと生きることに必要だから、身体が求めてしまうものだ。

 そうして飯を食い始めてしばらく、様子見された後にだんだんとニンゲンがうろつく回数は減った。

 だが、ニンゲン相手に気分を害してしまう俺は、事あるごとに反抗した。

 飯を貰う時も、水を貰う時も、外に出される時も、身体を触られる時もだ。

 特に朝、ケツにタイオンケイをぶっ刺される時は本気を出して拒否してやった。

 とにかく事の大小に関わらず暴れまくったのである。

 そしたらその内、小さな別の動く何かを俺の暮らすバボウに入れられた。

 俺はニンゲンが入れて来た動く変な物がとても気に食わず、威嚇し、嘶き、それでも中々出て行かないので軽く頭で小突き、脚で突き飛ばしたら、小さい奴は動かなくなった。

 パーソナルスペースから口を使ってバボウの外に放り出し、俺はようやく人心地ついた。

 それが生物の死であることに俺はその時はまだ気付かなかった。

 夜が明けてニンゲンがやってくると『セントサイモン・セントサイモン』と連呼しはじめた。

 他にも色々と言っていた気がするが、ニンゲンは音を出すのが早すぎて聞き取りが難しいことがある。

 理解不能である音も多く、よく使われる言葉くらいしかすぐには理解できないのがもどかしい所だ。

 今、目の前で『カサ』という、上から水がいっぱい降ってくる時にニンゲンが使う道具を出したり閉まったりしている。

 そいつは俺の周りに毎日ずっと居る奴だ。

 トミ、トミオ、トミっさん、などと他のニンゲンに呼ばれているから、それがこのニンゲンの個体の呼ばれ方だ。

 コイツはなかなか気の利くやつで、俺もコイツが周りに居るのは気にならない。

 気が付いたころから傍に居たから、ニンゲンというよりかはトミオと言う感じだ。

 カイバだけでなく、不思議な味のするニンジンという物やコオリという物、リンゴやバナナなどというものを何処かで手に入れては俺に差し出す。

 『世話』されていて唯一の良いところはオヤツがあることだ。

 一番好きなのはリンゴだ。 トミオはよくリンゴを持ち歩いていて俺にくれる。

 ……しかしニンゲンは良く分からない生き物だ。

 変な物は沢山あるし、それを使って何かすることが多い。

 そして俺と同じ姿をしているウマとか、なんとか号とか言ってるやつらはニンゲンに連れられて同じ場所をぐるぐる回ったり広くて餌が地面にいっぱい落ちてる所に居たりする。

 当然、俺もウマだから同じような事を何度もされる。

 俺はなんとなくバッサバッサと音をやかましく出している傘が嫌になり、視界になるべく入らないようにして上を見上げた。

 眩しい陽の光が大地を照らしている日で、水は落ちてこない日だ。 なんでトミオはカサなんか持っているんだろう。 遊んでいるのか?

 とにかくニンゲンが居なければあの広い餌のある場所にずっと居るのに、俺はそれがニンゲンのせいで出来ない。

 そうかもしれないが、この狭い場所で俺はニンゲンが居なかったら生きていけないのか。

 地面の餌が無くなったら、食べる物がなくなっちまうのは分かるからな。

 ニンゲンと仲良くしないといけないのだろう、という事は『世話』されてるから理解ができてしまう。 

 明るくて眩しくて目を瞑っても光っている、空に浮かぶ奴を少しだけ羨ましく思った。 アイツは何も考えず空に現れて何処にでも行ける。

 ……トミオまだやってるな。 鬱陶しいぞ。

 俺はその日から、少しだけニンゲンに歩み寄るようになった。 

 

 

            U 01

 

 

 ニンゲンたちは俺をサイモンと良く呼ぶ。

 トミオ以外のニンゲンも総じてそうだった。 よくよく耳を立てて聞いていると他のウマにはダイちゃんとかケンボウとか言っていた。

 ニンゲンはニンゲン、ウマはウマでしかないと俺は思うが個体ごとに名を変えて呼んでいることに、まぁきっと意味があるのだろう。

 一番可能性が高いのは区別している、という所だろうな。

 最近は良く、ウマ達と同じ囲いの中に入れられて朝から夕方。 もしくは夜から朝まで餌のある場所に放置されている。

 バボウの中に居るのも餌地に居るのも特に居心地は変わらない。

 ウマたちはだいたい纏まって行動していた。 アイツらは俺と同じウマなのに、俺と違って主体性が皆無だった。

 ニンゲンが居なければ何も出来ないような奴らばかりだ。 まぁそれは俺もそうだが……とにかく最初はアイツらと一緒に餌地をうろついていたのだが、途中から気付いたのだ。

 ウマたちはウマたちで上下を決めようとしていた。 明確に何かの指標があるわけでもない。 それでも意地を張ったり大きく見せたり、無意味に威嚇をしたり顔を突き合わせたり。

 とてつもなく下らない行動に俺は思えた。 ニンゲンの言いなりになっているお前たちが狭い世界の中で上と下で関係を固めようとしているのが。

 そんな事は無意味だ、やめろ。

 そう声をかけても見たが、奴らは特に俺の意見を聞き入れる訳でもなく―――そもそも俺の言葉すら理解しているのかどうか分からん―――奴らの無意味な争いは止まらなかった。

 少し身体が大きいウマがリーダー気取りで構ってくることもあったが、俺は特に必要に感じなかったのでそいつとも距離を取った。

 結果として、俺は誰からも距離を離して過ごす事が多くなった。

 突っかかるのも突っかけられるのも面倒臭い。 

 面倒見ようと近づいてくる大きなウマの奴らも、俺と同じくらいの大きさのウマにデカイ顔をしてるから好きじゃない。

 ホウボクチでやってはいけない事を教えようとしたり、ニンゲンに気を使うように言ってきたり、何とも謙った性格のウマたちだ。

 こっちに近づいてくるウマ達が一時あまりにしつこく付き纏うものだから、後ろに来た同じくらいのチビウマを蹴飛ばしてみたら、ニンゲンが騒いだ。

 ニンゲンの奴らも俺達と距離を取りたいのか、それとも構ってほしいのか良く分からない動きばかりしている。

 この樹で出来た柵の囲いの中に、俺達ウマを毎日毎日放り込んで、時間が過ぎるとバボウに戻す行動はいったい何の意味があるのだろうか。

 どちらかというと俺はホウボクチにずっと居る方が解放感があって好きだ。

 特にタイヨウが出ている間は暖かくてリラックスできて、気分が良い。

 囲いが無ければもっと良かったが。

 わざわざバボウに移動する必要性が理解できない。

 繰り返す日々の中でその疑問は俺の小さなストレスとなっていた。

 ある日、ふと気付く。 

 この一連のニンゲンの行動は何か意味があるのだ。

 ウマとニンゲンは、何か関係があってこの様な行為を……言ってしまえばウマの管理を行って共生関係を築いている。

 とはいえ生活している中では判断に足る材料は見当たらず、いつしか異様にむしゃくしゃして、俺は囲いの柵を脚で蹴っ飛ばして壊すことにした。

 この柵の外に答えが、もしかしたらあるのかも知れないと俺は気づいたからだ。

 こうして囲っているのはニンゲンが何かを隠しているのだ。

 ウマが囲いの外に出るのが不都合だから、道具を使って柵を立てているに違いない。

 バボウの中と、ホウボクチしか知らないから、俺が―――いやウマとニンゲンがどういう形で寄り添って暮らしているのかを知れないのだ。

 群れて毎日を無意味に過ごしている主体性の無い同じウマたちと俺は違う。

 結構な音を響かせて、毎日毎日少しずつ蹴飛ばしていた柵が割れた。

 俺は少しだけストレスから解放され、ちょびっとだけご機嫌に柵を乗り越えて囲いの外に出てやった。

 ふと視線をやれば群れているウマたちが、なんだなんだ、とこちらに注意を向けていた。

 ふん、腑抜けたお前たちより先に、俺が真実を突き止めてやろう。

 感謝しろよ。 ニンゲンとの付き合い方が分かったら、俺は優しいからお前たちにも教えてやるからな。 

 

「んんぅん!? アァッ!? サイモンおめーか!?」

 

 しまった、トミオだ。

 意気揚々と囲いの外に出て探索をしようとしたところだった。 壊した柵にニンゲンが近づいてきたな、と思ったらトミオだったのだ。

 思わず俺は顔を逸らす。

 ぐぅーっと顔を伸ばして空に浮かぶ眩しい奴を見上げて、素知らぬふりをしてみた。

 

「またそれかお前、ツーンってやつか、悪びれねぇなぁ、ほんとよぉ、ほらほら、こっち来い」

 

 視界の端(どうしても見えてしまう)でそう言ってトミオは俺に近づいてきた。

 その手には中々うまそうなリンゴが乗っかっている。 ほうほう、俺にリンゴを持ってきたのか。

 ツイっと首を下げそうになってハッとする。 違う、俺は囲いの外でニンゲンとウマがどうして一緒に生きているのかを知る為に此処に居るのだ。

 トミオにリンゴを貰いに来た訳ではない。 いや、でもリンゴは貰っても……いやいや違う、待て、トミオは俺を囲いの中に毎日連れてくるんだから、また囲いの中に入れられてしまう。

 僅かな葛藤(おおよそ3分)を経て、俺はトミオから距離を取るべく少し早歩きで囲いから離れ始めた。

 と思ったら何かに引かれて頭がトミオの方へ向き直されている。

 な、なに……トミオの奴、何時の間にトウラクを……なんて早業だ、くそ、卑怯だぞ!

 

「うおっ! 暴れるな、落ち着けサイモン!」

「ブヒュヒュヒュン!!!」

「だめだこりゃ! おーい、ちょっと手伝ってくれ!!」

 

 うおおおお離せ馬鹿! トミオの馬鹿野郎! 俺はこの囲いの中に戻るわけには行かんのだ!

 

「なんちゅう暴れん坊だ! いい加減落ち着いてくれー!」

 

 その日俺は結局、囲いの中にも戻されずにバボウの中にトミオを含むニンゲン4人がかりで押し込まれた。

 おのれ、数に物を言わすとは卑怯なニンゲンどもめ。 許さん、いつか必ずあの餌地の囲いから脱出してやるぞ。

 俺は崇高なる目的を忘れ、脱走することそのものがその日から暫く目標になったのであった。

 

 

 何度も日時をかけ柵を壊し、囲いの外に出ては連れ戻される日々がしばし続いた。

 そろそろ俺も分かってきた。 この囲いの外に気付かれずに出るのは中々難しい。

 ニンゲンが居ない時を見計らっても、柵を壊すとなぜかニンゲンが近くに現れるからだ。

 俺の視界の無い場所からでもすぐに飛んでくるので、何処かで監視をしている。 それもニンゲンが直接見る必要がない方法だと思う。

 何かの絡繰りがある、多分だがニンゲンは色々な道具を使うことができる。

 例えばそう、遠くを見れるような、そういう道具があるのだろう。 

 そう判断した俺は柵を壊すのを止めることにした。 どうせ見つからずに壊すことが難しいなら意味がないからだ。

 そうして諦めると不思議な物で、風と雨が物凄く吹き荒れた次の日、水浸しになった餌地の囲いが何故か一か所だけ壊れていた。

 当然ながらバボウの中に入れられて嵐をやり過ごしていたので、俺が壊した場所ではない。

 普段から柵の近くをぐるっと回る習慣が着いていたので、いち早く囲いの異変に気が付いた俺は、自然と柵を乗り越えて外に出てみた。

 俺はしばらくニンゲンが居ないか周囲を観察した。

 ふむ、居ない。

 どうやら雨と風で柵は勝手に壊れて囲いが崩壊していたらしい。

 何時も餌地まで連れてこられる道から少し逸れて、別の道を使って歩いてみる。

 こうして何物にも邪魔されず林道を歩くのは中々気持ちがいい。

 空で燃えて眩しい奴の光も、木々が遮ってほどよい明るさであった。

 坂を下っていくと見慣れているバボウが見える。 角度が違うせいか、どうにも違う場所に思えて不思議な気分だ。

 ここまで歩いてきてもニンゲンは見当たらなかった。

 しかし近くの建物からはニンゲンの声が聞こえる。 普段聞いている声とは違う、なんだかやけに籠った声だ。

 俺は気になって音の震源地を探した。 マドと言われる建物に空いた穴からのっそりと顔を出して覗き込む。

 ニンゲンは居なかった。 しかしニンゲンの声は聞こえた。

 その声は向かいの壁の近くから発されているようであり、チカチカと光る箱のような物体から出ているようだ。  

 

『―――4角を回って先頭はスナスキンフライ、ビックトラット、アンダーシャツが続く。

 直線向いて残りは400、インタラクティブ良い脚だ、その外からコンゴウバショウ追い込んでくるが内々を突いて2500のスペシャリスト、アイブッチャーマンが伸びてくるぞ―――』

 

 なんとも忙しなく回る口である。 何を言っているのかまったく分からん。

 チカチカと光る箱に焦点を合わせていると、妙な生き物が動いている姿ばかりが映されていた。

 そいつは少しばかり俺達ウマに似ている。 だが背中? 胴体? から妙な物体が生えて動いているからウマでは無かった。

 そんな不思議生物がグルグルと何かの周りをまわっている。

 その光景はなかなか興味深く映った。 

 ニンゲンとウマ、そして小さな幾つかの生物以外で初めて見るイキモノだったからだ。

 しばし箱の中のイキモノを見ていたが、声の意味もまったく分からなかったので次第に飽きてきたので俺は別の場所へと歩き出した。

 少しすると大きな建物の影からニンゲンが出てきた。

 一瞬焦ってしまったが、どうも俺には気づいていないようで建物の奥を覗き見ると、さきほど箱の中に居たイキモノが存在しているではないか。

 あの謎のイキモノの周りにはニンゲンが3人ほど居て、その周囲で会話をしているようだった。

 やがてイキモノの背中にあった影が動いてニンゲンが4人に増えた。

 そして謎のイキモノはウマになった。 

 

……??????

 

 俺は混乱した。 ボロも出た。

 謎のイキモノはウマとニンゲンに別れた。 あの謎の生き物がウマとニンゲンを産んだのか?

 いやしかし、俺が生まれた時は母ウマが近くに居たような???? うん……? 

 

あ、そうか、ニンゲンを産んだのか。

 

 ニンゲンはああやって生まれるのか、なるほど……つまり、ニンゲンを増やす為にウマは居るということか?

 なるほどな……理解した。

 と思ったら何時の間にかニンゲンが一人消えて、また謎の生物になっていた。 

 

「ぶひゅん!」

 

 なんでだよ! なんでまたニンゲンが消えて謎の生物が生まれたんだ?????

 あまりに良く分からない事象に漏れてしまった声が聞かれてしまったのか、ニンゲンたちは俺の居る場所に一斉に視線を集め、なんだか騒ぎ始めた。

 そして俺に向かって声を挙げながら走ってくるものだから、本能的に俺は逃げた。

 道が良く分からないし謎のイキモノによって混乱してしまったので、とてつもなく必死になってしまった。

 気が付いたらバボウに戻っていたし、物凄く身体が疲れていた。

 収穫はあったが、衝撃も大きかった。

 俺は少しばかり普段の生活を楽しんで、ゆっくりと今回の事について考えようと心に決めたのだった。 

 

 

            U 02

 

 

 あれから月日が経って、餌地ことホウボクチで過ごす日々にも新鮮さが失せた頃。

 空から白い粉のような物が雨の代わりに良く降ってくるようになった。

 俺は真実に気づいていた。

 あの謎のイキモノはニンゲンがウマに乗った姿である。

 まぁ、その事実に気付いたのは謎のイキモノがいきなり現れて、俺達のような小さいウマを追い回し始めたからなんだが。

 何で俺達ウマを、ニンゲンとウマが合体した奴が追いかけてくるのか。 

 その答えも朧げながら俺は理解し始めている。

 それはあの時に見た箱の中の奴だ。 ニンゲンとウマが一緒になって集団で走っていたのだ。

 俺のようなウマはニンゲンを乗せて集団で走るようになる。 それだけしか今は分からないが、こうして俺のようなウマを追い回すのはそれが関係しているのだ。

 どうにも気に入らない。

 何が気に入らないってなんでニンゲンを乗せなければいけないのかという事。 乗る必要ないだろ? ないよな? ニンゲンだって自分で歩けるし、なんなら俺を追いかけて走ってる時もある。

 ウマも自分で歩けるし走れる。 ていうか今普通に追いかけられて走ってる。

 しかもニンゲンと一緒に走って何の意味があるんだ? それいるか? てか何で追われてるんだよ、走るのは嫌いじゃないが無理やり走らされるのは何でなんだ? 理由があるなら説明しろ。

 俺は無性にいらついてある時、追われている最中に逆走してやった。 

 追いかけてくるウマは俺よりもかなりデカイ。

 走る姿に迫力もあるし、俺より結構な時間、長く生きているということが直感的に分かる。

 だから追われるのも、こうしてそいつに向かって行くのも結構な恐怖を感じるが……それよりも良く分からないまま走るという行為による怒りの方が勝る。

 ニンゲンとでかいウマは逆走を始めた俺を器用に追い立てようとし、一緒に走っているウマの群れに戻そうとしてくる。 

 そんな意図が読めないとでも思っているのか? 馬鹿め、身体はでかいかも知れんが小回りではこちらが上だ!

 ステップを踏み、柵沿いに身体を滑らせて、そして華麗にウマとニンゲンを交わし抜け出した―――が、俺はウマの群れの中になぜか戻っていた。

 馬鹿野郎! 逆走を始めた俺の方についてくる奴があるか!

 俺は同じくらいの身体の大きさのウマたちを怒鳴りつけた。

 これじゃあ俺がただの馬鹿みたいだろうが、糞が。 許さねぇ、こいつら全員引き離してやる。

 怒りに任せて俺は疲れる事を承知で、こいつ等全員を置き去りにしてやることを決めた。

 デカイのも俺と同じくらいのも確かに速さでは殆ど変わらないが、本気で走ればこいつらくらい幾らでも引き離せるハズだ。

 さぁ、追いつけるもんなら追いついてみやがれ! 二度と追う気にならんくらいぶっちぎってやる!

 

………

……………

 

「いやぁ、サイモン、凄いですね。 常に群れの先頭に立とうとしますし、まだ身体が出来てない歳とは思えない運動量とパワーです。

 ブッチャー(乗ってた馬)に接触しかけた時がちょっと怖かったですが、彼に釣られて周りも彼に着いていこうと全体のテンションが上がりましたね。

 あまりに気合いが入ってたので、思わず一周多く走ってしまいました」

「おまえ誤魔化すなよ、ブッチャーもサイモンもアレ、めっちゃ危なかったぞ。 うちの唯一の重賞馬と未来ある若駒に何かあったら始末書じゃ済まねぇだろうが」

「あっはっは、いやもう、マジあの時は必死だったんで、はい。 申し訳ないです。 周回数間違えたのもそのせいです。 すんません」

「ったく、何事もなくて本当になによりだよ」

 

 談笑するニンゲンを尻目に、俺はとてつもなく悔しかった。

 くそが、本気で走ったのにちょっとしか離せなかった。

 俺と同じくらいのチビどもは引き離せたのに、このでかい奴は簡単に追いついてきやがった。

 あーくそ、疲れた、思うような結果も出せない上に結局追い回されただけで終わったっていう事実が俺を最高にイラつかせる。

 思わず、デカイやつ―――ブッチャーとか呼ばれてたウマを睨みつけてやる。

 俺は相当に疲れていて鼻から大きく息を吸っているが、奴は大して息も乱れていなかった。

 それがまた、何とも言えない怒りを俺の中に育んだ。 涼しい顔して俺の本気に着いてきたっていうのも非常に気に入らない。 思わず吐き捨てる。

 

―――ムカつく野郎だ

―――なんだ、思ったよりもまだ元気だな

 

 ブッチャーは俺が睨んでいることに気が付いたのか、少し頭を振ってこちらを伺ってきた。

 意外な事に、ブッチャーは俺に話しかけてきた。

 それは俺にとって衝撃だった。 ウマからハッキリとしたレスポンスが返ってきたことが無かったから驚いて一瞬だけ怒りを忘れた。

 驚いているとブッチャーは踵を返してニンゲンどもと離れようとしたので、慌てて俺は奴とニンゲンの間に割り込んだ。

 

―――待ておい! なんで俺らは走るんだ! なんでニンゲンを乗っけるんだ! 何か意味があるのか!?

―――意味はないさ

―――意味がないなら、俺たちウマは何でニンゲンと生きているんだ!?

―――さてな だが、一つ言えるなら

 そこまでが俺に聞けたことだった。

 俺とブッチャーが騒いだことで、ニンゲンどもも慌てて俺とブッチャーを引きはがしたからだ。

 大事なところで邪魔をされて、俺は更にボルテージが上がっていった。

 どうして邪魔をするんだ! ウマはニンゲンは、何のために一緒に走る、それを聞きたいだけなのに!

 俺自身が騒いでいたのとニンゲンが滅茶苦茶大声で会話を遮ってきたので、結局俺は答えを知り得ることなく離されてバボウに戻された。

 

 俺はバボウの中から空を見上げて眩しいやつをじっと見つめた。

 箱の中で走っていたやつら。

 ニンゲンとウマ。

 何かの理由があってニンゲンはウマを囲いに入れ、バボウに入れて管理して、そして。

 ウマに乗るニンゲン。

 

 そうか。

 ウマは走るのだ。

 ニンゲンは乗るのだ。

 そして恐らく、まだ絶対にそうだと決まったわけではないが、きっと―――競うのだ。

 ウマにとって意味があるなしに関わらず、ニンゲンにとって意味があるなしも分からず。

 漫然と決められた世界の規則であるかのように。

 あの空に居る眩しい奴が現れて、やがて色が変わって沈む時のように。

 なぜか、そう確信を持って俺は理解した。

 俺はニンゲンがあまり好きじゃない。 意味のない事をするし、意味を教えてくれない。

 俺はウマもあまり好きじゃない。 ニンゲンとの関係を漫然と受け止めてるだけで、それ以上を考えないからだ。

 

 今はただ、俺はブッチャーの残した言葉だけが脳裏に焼き付いて離れない。

 

 

   ―――俺達は 命を 揺らしているんだよ

 

 

 今の俺にはブッチャーの言ってる事が分からなかった。

 

 あの後、結局ブッチャーと逢えたのは一度だけ。 空から水が降り注いでいた日だった。

 その一度の邂逅に、俺は同じ質問を繰り返し、ブッチャーは答えた。

 言葉ではなく、ニンゲンたちを振り切って。 「ホウバー」とニンゲンたちは騒いでいたが、俺は無視してその背中を追いかけた。

 答えを得ることを期待していた俺はブッチャーを必死に追った。

 どんなに脚を動かしても、早く追いつこうと身体を前に進めても、俺はブッチャーに追いつくことが出来なかった。

 それどころかどんどんとその背中が遠のいて、身体の底から走る鼓動の音しか聞こえなくなって、気が付いたらホウボクチの近くでブッチャーは立ち止まって俺を迎えていた。

 何時の間にか雨は上がっていた。

 

 

    ―――答えなんてないのさ

   ――――

    ―――気張って走りな、ボウズ

 

 

 結局、ブッチャーはそれだけを言って、それ以上は何も話さなかった。

 俺はブッチャーと話そうとしたけれど、応えるだけの力が残っていなかった。

 やがてニンゲンたちが追いついて、俺はバボウに戻されてブッチャーがどうなったのか分からない。

 逢うことが無かったから、この囲いやバボウの近くには居ないのだろう。

 ああ、まったく。 意味は分からない。

 だが一つだけ分かったことはある。

 俺はバボウの中から沈み始める眩しい奴を見上げて。 

 

「ぶひ」

 

 漏れだすように何が分かったのかも分からないのに、分かった、と答えた。

 

 

            U 03

 

 篠田牧場は戦前には畜産業を営み、昭和30年代にサラブレッド生産を始め現代でも営みを続けている老舗だ。

 祖父・父と繋ぎ、今3代目となる篠田徹(しのだとおる)が牧場長を務めている。

 かつては天皇賞(春)と宝塚記念を制したイワトミ号を輩出するなど、名馬の産地としてテレビ局に取り上げられたこともあった。

 それから15年以上も長らく重賞馬に恵まれなかったが、主取りとなってしまった生産馬のアイブッチャーマンが目黒記念・アルゼンチン共和国杯を立て続けに制覇し牧場全体で盛り上がった事が記憶に新しい。

 小さな牧場であることは篠田も分かっているし、種付けできる種牡馬も高額な物には手がでない。

 繁殖牝馬は全体で9頭。 購入したばかりの海外の繫殖牝馬を除けば、いずれも高齢に差し掛かっていて不安は尽きない。

 そんな中、重賞馬が出てきてくれるというのは幸運と馬自身の努力の結果であることを忘れてはならないのだろう。

 主流な血統も取り入れ、古い血も残していく。 祖父・父から受け継がれた意思と経済状況に常に気を配っていかねばならない。

 篠田徹がもひとつ幸運なのは、学生時代に出会った腐れ縁が居た事である。

 今の時代に走るとは思えない、零細の血統の幼駒を毎年、庭先取引で購入していく馬主が3人もいる。

 柊 慎吾という男はその3人の中の一人で同じ釜の飯を食った学生仲間で部活仲間。 信頼し気の許せる友人が自分のビジネスにおいても関係があるというのは心強いものだった。

 そんな柊は、冬が明けて幼駒が生まれようか、という雪解けの時期に篠田牧場へと足を運んでいた。

 

「お? おーおー忙しいところよく来てくれたな、慎吾」

「よぉ、徹。 ちっと仔馬を見てから来させてもらったよ。 遅くなったな」

「ははは、いいさ。 多分そうじゃないかと思ったんだ」

「なかなか面白そうな子が居たな」

「へぇ、どいつだ?」

「富雄のおっさんが見てる馬だよ。 猫を殺しちまったんだって?」

「あ~~、サイモンかぁ」

 

 応接室で篠田が直接応対し、柊は勝手知ったる様子で冷蔵庫から冷えたビールを取り出していた。

 会話は間断なく続き、柊のビジネスのことや世間話を挟み、最初に出てきたサイモンの話に移っていった。

 深く腰を落ち着けて、椅子にどっしりと体重を下ろし、窓の外を眺めながら話は進む。

 

「いやはや、聞けば聞くほどエピソードに事欠かないじゃないか」

「あの富雄さんが手を焼いてるくらいだからなぁ。 俺の親父の代から気性難の子を見続けた人が掛かりっきりなんだから」

「おっさんも歳なんだから、何人かつけてやれよ」

「サイモンはなぁ~、下手な子に任せると怪我しかねなくて、どうにもなぁ」

「まったく、それで、サイモンの資料はこれか? 種は、えっとこれか、父エッピリティーアルメント? ああん? なんか全然知らない馬ばっかだな」

「そうだね、母方は南アフリカから輸入された若い牝馬だから。 今年生まれたのはサイモンだよ。 今後は日本で流行してる種つけて、そこからに期待してるんだ」

「なんでまた、そんなとこから」

「うちの牝馬たちは高齢ばっかりだし、血統的に付けづらい子が増えてきたからしょうがないんだよ」

「てことは何だ、サイモンは南アフリカでつけた種なのか? ってことは安かったってことか」

「そうだよ。 もともとサイモンはお腹に入ってた子だね。 資金が潤沢なら色々選択肢はあるけど、そうもいかないからな」

「なるほど、まぁ買うか……身内びいきで算盤して……あー、500万くらいでいいか? 遡ったらリボーの血は入ってるみたいだし」

「本当かい? 友達料で100万くらい色付けてくれないかい?」

「おい、割引じゃなくて高くなるのおかしくないか? まぁ良いけどさ」

「毎度ありがとうだ、助かるよ。 でも気性的に競走馬になれるか分からないぜ」

 

 笑みを隠さずに茶化してくる篠田に、柊は同じように冗談めかしてどんな馬もそりゃあ同じだと答えた。

 病気や怪我、あるいは身体的な理由で競走馬になれない馬も多い、経済事情も絡んでくるし場合によっては競走馬として運用されない仔もいる。

 サイモンは気性が問題視されているが、それが競馬の世界で悪い事かと言われると必ずしもそうではない。

 闘争心として転換できれば武器にもなる。

 まぁ、気性が悪すぎて競走馬になれない馬もまま居るのだが。

 どんな理由、どんな事情であれサラブレッドが競走馬となるには一定以上の質が求められるのである。

 

「どこで走らせるんだい?」

「気の早い奴だな、そうさぁなぁ……まぁ地方のどこか適当なとこで。 中央には二頭、今年は入れるからな」

「へぇ、景気の良い話だな」

「業績はともかく、持ち株が当たってくれて俺個人はそこそこ潤ったんだ。 今年は5頭を目途に購入するつもりだから、それでサイモンも買ってやるんだぞ」

「いや有難い話だよ、まったく。 じゃあ地方でやってる知り合いの調教師さんが居るから、何人かに声はかけてみるよ」

「ああ、まぁ飼い葉代だけ咥えてくりゃそれで良い……ってそりゃ流石に失礼か?」

「あははは、まぁそうだな、母馬は買ったとはいえウチの牧場の大事な牝馬に、大事なとねっ子だ。 活躍してくれると嬉しいんだがね~」

 

 こうしてサイモンの引き取り主は、早い段階で柊慎吾に決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 






登場人物

幼名・サイモン
 (アタマ)突然変異のサラブレット。 主人公。

木野崎 富雄
 生まれたばかりの頃からサイモンを担当している。60歳を越えるベテラン牧夫。

篠田 徹
 サイモンが生まれた篠田牧場の牧場長。

柊 慎吾
 サイモンの馬主。 アタマが薄い。

アイブッチャーマン
 篠田牧場生産馬では15年ぶりの重賞馬。 
 セリで売れずに主取りとなってオーナーブリーダーとして活躍することになる。
 インパクトの強すぎる馬名で一部の競馬ファンから話題になった。 
 6歳で引退、篠田牧場で暮らしている。 
 飽和した血統、ステイヤー方面での才能ということもあり、種牡馬登録はしているものの人気は余り無い。 
 サイモンと出会ったのは7歳の頃。
 目黒記念・アルゼンチン共和国杯・日経賞で勝利を上げており
 ジャパンカップ5着、有馬記念を2着として6歳年明けに骨折、引退した。
 いずれも2500mの重賞で活躍していることから、芝2500のスペシャリストと呼ばれていた。

主な勝ち鞍 : 目黒記念 日経賞 AJCC杯 阿寒湖特別


 サイモンについて纏めた手記 ・ 木野崎 富雄
・母馬と別れてから、それまで特筆することもなかった気性が悪化。 
 経過観察。
・機嫌がすぐに悪くなり、馬房柵や馬房の壁を蹴飛ばしたり、身体を激しく打ち付けたりするようになる。 
 なるべく人を付け声を聴かせて落ち着かせてやること。
・馬房には監視カメラとマイクを設置し、他の子よりもモニタでマメに観察すること。
・小動物は余計にサイモンを苛立たせることになる(なった)ので、なるべく遠ざけること。
・かのセントサイモンと同様、傘の開閉で気をそらす事ができるので従業員はサイモン帯同の際に傘を持参する事。
・母馬と合わせてみても悪化した気性は治らなかった。 
 離乳そのものは出来ている。
・同世代の群れの中からはぐれて一頭で居る事が多い。 
 カメラに映らない場所に陣取ってることも多いので現場で確認も小まめに。
・放牧地の柵を破壊することを覚えて癖になっている。 
 怪我をしないかよく見ること。 
 脱走癖がついているので現場を見回る時は複数人で動くことを心がけてください。 
 他の子が真似しないか心配です。 
・暴れだすと気が済むまでとにかく止まらない。 
 リンゴが好物なので、これで止まらない時は取り押さえる必要がある。 
 成長してくると非常に難しい問題に発展するので早目に矯正しなくてはならない案件。
・馬房から脱走することは今までに一度も無いので、暴れたらまずは馬房に誘導すること。 
 馬房の中で暴れることは稀にあるので、中の清掃には気を使う必要あり。 
 怪我をしないように注意すること。
・追い運動では幼駒の中でも抜群の動き。 
 今まで見て来た中でも随一の負けん気と勝気を持っている。 
 手が掛かってるのでぜひとも大成して欲しい
・太陽に向かって顔をツーンと伸ばす不思議な癖がある。 
 その時だけは表情も相まって本当に可愛らしい姿です。
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