U 24
―――俺達は 命を揺らして走ってる
俺は空を見上げて
世界に彩を与えて行くタイヨウが
水平線の向こうから顔を出していく様子をじっと見つめた。
ああ、そうさ。 こうして俺達ウマは繋がっていく。
そうだろう。
あの光の先に到達することが出来るかもしれない。
俺が見れなかった領域へと、脚を踏み入れるかもしれない。
そんな期待なんて、してはいないが。
こうして切っ掛けをくれることが、ウマとして生きることに繋がる事を俺は知っているから。
なぁブッチャー。
何かを言いたそうにしてるのに、息の整わない葦毛のちびに、俺は苦笑しながらこう言った。
―――ま、気張って走りな、ちびすけ
だから、俺はニンゲンの隙を伺って、時折あんたの真似をする。
こうして俺達ウマは繋がっている。
そう思っているからな。
通じているのかそうでないのか。
葦毛のちびすけからは視線を外し、俺は脱走していた放牧地に向けて脚を進める。
まぁ、あまり戻りたくは無いんだが
―――なーなーなーなー、何してたんだよ、何してたの? もうさー俺はもうマジでめっちゃ暇だったんだけど
―――黙ってろなんて言うのやめてよ~、俺はアニキと喋りたいよ~もっと構ってくれよ~
―――おうよ、俺はあほうよ……そろそろアニキ、あほうって意味教えてくれんか? あほうって何? まぁアニキが言うから俺はあほうだろうけどさ。 ってかこの草うめぇよアニキ、超おススメだから一度は食った方が良いって、ほらほらコレ、うまっ、美味い! マジうまい!!
もう何度も何度も食べ飽きるほど食べてる草を、実に美味しそうにモリモリ食っているのはクリムゾンカラーズとかいう阿呆だ。
種牡馬生活ってやつを始めてから暫く、俺はこのカラーズの阿呆と共に居ることが日常になった。
最初に再会した時はレースが始まるのだと勘違いしてカラーズは俺に絡み、違うと分かっても併走にしつこく誘ってくる。
まぁ走る事そのものはストレスの解消に丁度いいので何度か付き合ってやっている。
実際にカラーズは頭の具合は残念だが、走ることそのものの才能は俺が見て来たウマの中でも飛びぬけて突き抜けている奴だ。
ハッキリ言って、この阿呆ほど速いウマは稀有だろう。
阿呆だから速いのかもしれん。
なんでか分からんが、光の領域を目指してムキになっていた俺がぐるぐるでは不思議と勝利していたようなのだが、負けていてもそうだろうな、としか思えないくらいには脚が速い奴だ。
仮にもう一度レースで勝て、と言われても無理だろう。
そこだけは認めている。
だが
―――ああ、そうだ、俺また明日タネツケってやつまたやらされるんだって、うわぁぁ、俺もう嫌だよぉ
―――あ、アニキそういえば最近あんまりタネツケしてねぇよな? はぁ? ずるいんですけどー、ちょっとずるくないですかぁ? ほんとマジ困るんですけどぉ?
―――ん? 背中に虫がいるよ、取ってやるぜ、おらおら、アニキによぉ~くっつく虫は俺が全部取るぜ、口に咥えてやるぜ、おらっおらっ!
痛ぇなおい! やめろ阿呆が!
―――痛いよアニキ!? 俺は、俺は虫を取ってあげようとしただけなんだよぉっ…………っ!
首に噛みついてきたので頭で小突いてやると物凄くショックを受けた顔でカラーズが落ち込み、柵に向かって頭をこすりつけている。
見ての通りコイツはとんでもなく喧しい。
喧しい上に物理的接触が途轍もなく多い。
感情表現が豊かだ、という言葉では足りないくらいに騒がしいのだ。
端的に言って煩わしい。
一人きりで居てもとにかく独り言が多く、何かに気を取られた瞬間、それまでの会話が次元の彼方に消え去って新しい話題に集中し始める。
なので、俺はこのクリムゾンカラーズというウマの事を阿呆だと認定した。
まぁ物事を教えてやればある程度覚えている事ができるので、本当の馬鹿ではないのは確かだが、実害を被るので何度ブチ切れそうになったか分からない。
ニンゲンも大変だ、カラーズが何かやらかす度にバタバタと建物から出てくるからな。
俺がカラーズを蹴飛ばしたり押し飛ばしたりしてる理由だけじゃないはずだ。
どうしてこんなに懐かれたのかというと、心当たりはまったくない。
初顔合わせの時に顔を寄せてきたと思うと、カラーズの阿呆が一人でワチャワチャ暴れだして、何故か分からんが俺がコイツの兄貴分ってことになっていた。
実際の年齢でも俺の方が年上みたいだし、などとニンゲン達もなんか良く分からないが納得していたが、俺が納得してねぇよ。 阿呆を押し付けるなニンゲンども。
……とはいえ、カラーズの阿呆はこれでも大変な身だ。
流行血統って奴の筆頭種牡馬って感じで、タネツケを日を殆ど置かずに色んなメスに行う仕事をこなしている。
ストレスは相当溜まっているだろう。
俺だってこの牧場に来てから数年間は、ニンゲンにメスと交尾するように促された。
今でもちょいちょい交尾することになるが、その数はここ数年でめっきり落ち込んでいる。
ただまぁ、カラーズの方はな。
需要ってやつだろう。
ニンゲンのウマの扱いを鑑みるに、俺の子供やカラーズの阿呆の子供を作って、またぐるぐるを走るウマを増やそうとしているってことだ。
ウマの交尾がどういう結果をもたらすのか、余程の馬鹿じゃない限りは自然と判るという物だ。
カネが大部分を占めているのは間違いない。
それに、カラーズの阿呆の子供は、ぐるぐるで勝ち星を挙げていると予測できる。
比して俺の子供はそれほど勝てないと思われる。
思うところがないでは無いが、ハッキリと自分に関係するわけではないから特段それについては気にしていない。
―――なーアニキ、なーなー、アニキアニキ! タイヨー見てないで俺と走ろうぜ、俺走るの好きだよ、ちょっと付き合ってよねーねー
ったく、明日もタネツケなんだろうが、余計な体力を使わない方が良いんじゃねぇか
―――そうだよ! 俺は明日もタネツケだったんよ! あーもーやだよー、毎日毎日さー、もういいじゃん、一杯子供作ったと思う! ね? そうだよね?
最初は喜んでたじゃねぇか
―――もう今は相手によるよね! 前は誰でも良かったよ! 気持ちよかったし! おお、そうだよ、タネツケ気持ちいいんだよなぁ、頑張るかぁ! おっしゃかかってこい!
なんだこいつ……
いきなり元気になってヤル気満々になりやがった。
それはそれとして併走をその後2時間に渡ってお願いされ続けた俺は、流石にムカついて来たのでカラーズの腹を蹴飛ばしてやった。
大袈裟にぶっ倒れる阿呆。
ニンゲン達がワラワラと10人以上の塊となって、俺とカラーズの元に駆け寄ってくる。
おやおや、レースでもしてるのかい? ニンゲン様も大変なこって
俺は理解しながらすっ惚けて、ホウボクチの真ん中でタイヨウをずっと見上げ続けた。
あまりに暇な時間を持て余して、ある時俺は地面に脚を使って文字を書いてみた。
ニンゲンが使っていてそれらを熟知している文字は英語と日本語だけだ。
なので、まず日本語で 「おはよう」
そして英語で 「hello」 と地面に記載してみたのだ。
その横に、興味本位で 『計算』 という物を試してみる。
例えば3という数字に1という数字を加えると4という数字になることを俺は知っている。
文字の形状に含まれた意味を解読するのに手間が掛かったが、一度理解をしてしまえば計算そのものを演算することは容易かった。
つらつらと地面に4桁の数字の足し算、引き算、そして掛け算や割り算の答えを適当に並べ立てて答えを記載する。
その日は丸一日かけて、ホウボクチに漢字と英語の単語。
そして無軌道な計算結果を地面に書いていった。
特に意味を求めて始めたわけでは無かったが、ニンゲンの真似をして文字を大地に描くのはなかなか楽しかった。
翌日になるとニンゲンたちがとんでもない顔をしながら叫び狂乱していた。
あまりに恐ろしいテンションを向けてくるので、俺は久しぶりに驚きと戸惑いにニンゲン達から距離を取ろうと暴れてしまった。
原因は言うまでもなく、暇つぶしで描いてた文字と計算結果のせいだった。
さらにそこから数週間、カメラなどを抱えたニンゲンを含め、何百人、何千人とわらわら沸いてくる。
そして俺に紙やペンを差し出したり、計算問題の映ったモニターなどが並べ立てられたりした。
う、うぜぇ
なんてうざい連中なんだ。
はっきりと嫌悪の感情を示しても、しつこく迫ってくる。
とにかく俺は何があったのか分からない振りをした。
それでも俺に構ってくる、取材を申し込むニンゲン達はしばらく止まなかったらしい。
騒がしいニンゲン達の終わりを告げたのは、俺の真似をしたカラーズの阿呆が地面に謎の文様を刻みまくって、誇らしげにニンゲン達へふんぞり返ることを繰り返した後くらいだった。
なんかクリムゾンカラーズの描いた文様として、額縁に飾った絵にしたら結構売れたらしい。
何時の間にか俺が書いた地面の文字や計算結果は、誰かのイタズラということで収まり、やがて風化していった。
たまには役に立つじゃないか、お前。
もう二度と地面にニンゲンの使ってる字は書かない
ちょっと、怖かったからな
アメリカの牧場、空気に慣れ、そしてアメリカの言語を読み書き会話、文法やスラング言葉など、すべてを解読し終わった頃。
カラーズの阿呆は毎日、俺を併走に誘ったり、猫を見つけて興味本位で全力で追いかけまわして柵にぶつかって転倒したり、虫に尻を刺されて激昂しながら全力で追いかけまわしたり、水と草を同時に摂取することを思いついて美味みの無限ループ戦法を編み出して事あるごとに咽てニンゲンが大騒ぎし、獣医を呼ばれたりして平和な時間が緩やかに過ぎて行った。
タネツケの回数も俺はほぼ皆無となり、カラーズの阿呆の頻度も少なくなった。
腐るほど沸いてきたニンゲンの観光客も、随分と訪れる人数が減ったように思う。
そう考えるとタネツケだけじゃなく、中々騒がしい日々が種牡馬生活にも用意されていたなと俺は思い返していた。
ホウボクチはカラーズと一緒では無くなり、隣に引っ越すことになった。
毎日変わらない日々。
毎日変わらない音。
やがて俺はウマの終着点に辿り着いた事を察した。
ニンゲンが求めるウマの役割を果たし終えたという事だ。
これからはニンゲンに世話を続けてもらうだけ。 そう、あの幼き日々を、何も知らなかった頃に享受していた時に巻き戻ったかのように。
未知や不明に挑む日々が終わりを告げたのだ。
草を食む。
自らが咀嚼する音を聴きながら、遠くで空を飛ぶ鳥を眺めて。
俺は幸せなのだろう。
ウマとして生まれ、ウマらしく走って、ウマを産ませて、草を食める。
だからこれは幸せの一つの形だ。
用意された物とはいえ、ニンゲンにとって理想の一つ。
俺が生きているこの時代。
その前にぐるぐるを走っていたブッチャー。
そして、もっと前に走っていた、ウマを産んできたウマ達。
ニンゲンの残した競馬の歴史に、蹄の後を刻み付けて、そうしてニンゲンに整備されてきた安寧の場所。
ウマがウマとして生きる事の到達点の一つ。
この牧歌的な景観を泰然と受け入れることが出来るのならば、それは一つの幸せの形なのは認めるべきだ。
ウマは、ニンゲンと共に生きているから。
ニンゲンに愛され、そして恵んでもらう世界が答えの一つだから。
意地を張らずに受け入れれば、そこが終わりなんだ。
俺はホウボクチの囲いの先をじっと見つめた。
カラーズのホウボクチのさらに奥には、ウマの子供が教導馬代わりのリードホースって奴に連れられてホウボクチをうろついている。
じっとそれを眺めていると、カラーズの阿呆が近づいてきた。
―――アニキ、走りたいの?
俺はカラーズの阿呆を無視してタイヨウを見上げた。
今、俺の胸に去来するものは悩みという奴だろう。
いっそこのまま囲いの柵をぶち破り、ホウボクチを駆け抜け、牧場の外に出てみようか。
ニンゲンの町がすぐに広がってくるだろう。
そうして飛び出していったところで、すぐにニンゲン達の優れた文明の利器によって牧場に舞い戻ることになるのは目に見えている。
仮に誰にも気づかれず、どこか遠くに行けたところで生きていけるかどうかは微妙だ。
肉食動物という存在が居て、俺達のようなウマを食べる為に捕食することもあるらしい。
世話されていると同時に、俺達ウマは野生からニンゲンに守られてもいることを俺は知っている。
それでも、この未知の無い場所に留まり続けるのは、俺にとって彩が薄いものだ。
ニンゲン達の話に聞き耳を立てれば、俺はもうしばらくしたら篠田牧場に帰る事になるらしい。
ずいぶん長くこの場所で過ごしたが、カラーズの阿呆とも別れの時が来たようだ。
場所を変えたところで、何かが変わるかなんて期待できないだろうが。
―――ちぇー、なんだよなんだよぉ~、ちょっとくらいさぁ、構ってくれもいいじゃん? もう併走も柵が邪魔してあんまりできないしさぁ、もぉーホントアニキはもーだよ、もう!
おい、カラーズ、走るか
―――そうだよ、俺と併走するくらいは……え! ホント!? いえーい、俺が勝つぜ! アニキ以外にはあんまり負けたことがねぇんだ、俺ってば結構速いぜ、ふへへへへ!
俺は鼻息を一つ吐き出し、柵を思い切り蹴っ飛ばした。
芸術的と言ってしまえるほど美しい蹴りだ。 柵を蹴る際に、どういう力学で最も効率よく破壊できるのか。
威力・腐敗が進んだ場所などを計算した甲斐があるってもんだ。
小気味よく連続で蹴り脚を繰り出し、カラーズの囲いも破ってやる。
―――アニキすげぇ! 俺もやる! 柵壊しかっこよすぎだろ! 俺もやるわ!!
おい、その前に併走すんぞ、ニンゲンどもが来る前にな。
ゴールはホウボクチを抜けて牧場入り口の看板まで、スタートはここからだ。 いいな?
オラ行くぞ、よーいスタートだ。
―――あ、ずっこい! アニキずっこい! 俺は知ってる! そういうのずっこいって言うんだ! 待て待て! 俺が勝つ! 今度は俺がアニキに勝つぞ!
喧しい、いいから速く追いついて来いよ、俺が【逃げ】でお前が【差し】だ
結局カラーズの阿呆に最後は抜かれるかと覚悟した所で、観光客の持っているバナナに気を取られて行き脚が止まり、俺が勝利した。
お前が逃げの作戦だったの絶対その性格のせいだ。
レースでもなんでもない、お遊びの併走だから別に気にしてねぇけど?
でもまぁ、勝ちは勝ちだからな。
篠田牧場に帰る迄、しばらく弄ってやるぜ、このネタで。
あともう二度とこの阿呆とは併走しねぇ。 お前は永遠に俺のケツに追いつけない敗北者だ。 判ったな。
カラーズの阿呆は3日後、思い出さなければ良い物を柵を狂ったように蹴りだして盛大にずっこけると、股間を強打して悶絶していた。
そしてニンゲン達のレースがまた始まった。
俺は苦笑を零してその様子を見守ってやったのだった。
【衝撃】 ワイルドケープリ・クリムゾンカラーズが放牧地から脱走して併走!!
ウェスタンウッドホースの管理体制どうなっとん?
別の放牧地に離してた二頭が併走してるのなんなんだ……?
うおおお、ワイルドケープリ勝ってる!
クリムゾンカラーズに2度も勝った馬
ゴールどこやねん
動画の迫力ありすぎて草wwww
画面が豪華すぎる
なんて贅沢な光景
そりゃ観光客もバナナ落とすわwwww
カラーズがバナナ食ってる
ワイルドケープリの顔www
なんか不満そうな顔してるwwもしかしてバナナ好きなのか
バナナが食べたかったワイルドケープリ
これはバナナ食べれなかったワイルドケープリの敗北では……?
もしかして放牧地から抜け出したのってバナナを……まさかな
ワイルドケープリ「バナナは俺のだ」 クリムゾンカラーズ「いや俺のだ!」
ウェスタンウッドホースBANANAステークス 天候・良 芝 1600 【バナナ】クリムゾンカラーズ 2着 ワイルドケープリ
現役の頃を彷彿させる、気合の乗った併走を見せるGⅠホースがバナナをめがけて争っている訳ないだろ! いい加減にしろ!
俺こんど向こう行くときはワイルドケープリにバナナ買ってくわ
そうして俺は種牡馬生活を終えて、篠田牧場に、俺とブッチャーが生まれた故郷へと帰る事になった。
篠田牧場にはトミオが居なくなっていた。
俺を産んだ母親も、どこにも居ない。
随分と長い間、故郷には帰って無かったからな。
トミオの代わりに、トミオの息子が俺の世話の担当になった。
見知らぬウマがずらりと並んで、俺を見るなり顔を突き合わせてくる。
相変わらず他のウマ達は自分たちで上下を決めるのが好きな奴ばっかだな。
無視していたら、いつの間にかボス扱いされていた。
勝手に持ち上げたって俺は誰の面倒もみねぇぞ。
しかしまぁ、考えると、ウマもニンゲンも変わらないな。
誰かが居なくなって、代わりに誰かが働いて。
誰かが走らなくなって、代わりに誰かが走り出す。
蹄跡、か。
上手い言葉もあったもんだ。
俺は久しぶりの日本語を堪能しながら、前脚を掻いて鼻を鳴らした。
そういや久しぶりに故郷に戻ってきたら、観光客がアメリカに居た頃よりも多く訪れるようになった。
俺なんかを見て、ニンゲン達の何が満たされるんだか。
もうレースは走って無いこと位は知ってるだろうに。
ま、見世物みたいなもんか。
判っちゃいるが、付き合う義理もねぇ。
今は牧場に急にぽこじゃか配置されたyobiboとかいうクッションの謎を追っているんだ。
わざわざ手間暇をかけてニンゲン達がせっせと設置した置物だ。
何かの理由があるはず。
俺が興味を示したからか、他のウマ達もわらわらと俺の真似をしてyobiboに近づいてくる。
まさかニンゲンの奴らはウマがクッションを使用するのを期待している訳ではあるまい。
あれはニンゲンがリラックスするのに使用する道具の一つだからだ。
この形状でウマはリラックスできんだろう。
いやどうなんだ?
なんにせよ一番yobiboが設置された可能性が高いのはスポンサーってやつか?
だが、他に理由はあるかもしれん。
その謎の解明をしなければいけない。
ああ、ちょっとだけワクワクしてるぜ。
おい、邪魔だけはするなよお前ら。
どけ。
まずは俺がコイツを調べる。
さて、まずはニンゲンと同じように使えるか試してみるか。
なるほど、蹄触りは……特に何にも感じねぇな。
さて、じゃあちょっと横になって頭を……ほう、なかなかフワフワじゃねぇか……
っと、寝てる場合じゃない。
俺はこのyobiboの謎を解かないとならないのだ。
さて、じゃあちょっと踏んでみて弾力を測るとするか、なかなかフワフワだったからな……
ワイルドケープリは後にかつての名馬のように、ネットCMに出演することになった。
…
……
幾年月すぎたか。
しとしとと、雨が降る。
だんだんと小さくなっていく雨音に、俺は予感に顔をあげる。
馬房から見上げた薄闇と星の瞬きを彩る空を赤々と染め上げ。
俺はそっと太陽を見つめる瞳を閉じた。
あぁ、また今日も陽が、昇っていく。
気が付くと俺は小さなぐるぐるに立っていた。
ニンゲンも居ない。 ウマも居ない。
静かなぐるぐるだった。
辺りは音もしないし周囲は明かりすら無く真っ暗だ。
おかしい、馬房の中にこんな暗い場所なんて記憶にないぞ。
俺の周りだけはぼんやりと灯るように照らされて視界がきく。
だからぐるぐるということだけは分かった。
なんだなんだ。
俺はまた随分と懐かしい場所に居るじゃないか。
思わず俺はそのぐるぐるを歩き出した。
最近、少しばかり歩きずらかったのが嘘のようにスッと前脚が上がる。
思わぬ抜群の身体の反応にバランスを取る。
身体が軽い。
不思議な体験だった。
ぐるぐるは近くに無いし、牧場の空気や匂いはあるのに視界に映るのは見たことすら無い記憶に残らない、ぐるぐるだ。
結構ぐるぐるを走ったから、大概の場所は知っているはずなんだが。
気が付いたら俺の前にゆっくりと、しかし何処か見た力強い足取りで前を歩くウマがいた。
その後姿は脳裏に焼き付いて離れなかった、もう遠い遠い昔に見た影であった。
俺をぐるぐるに送り出した大きな背中。 俺がブッチャーの見つけた世界の先を見に行くためにぐるぐるを走る事を決意した―――偉大な背中が。
ブッチャー、なんでこんな場所に?
俺は声を上げていた。
ぐるぐるを囲むニンゲン達の影が僅かにどよめき、小さな音として俺の耳朶に響く。
何時の間にニンゲンが集まっていたんだ?
顔も見えないニンゲン達が、パドックで見るように俺達を遠巻きに見守っていた。
いや、顔は見えないが判る。
このニンゲン達は、かつて俺が走っていたぐるぐるに居た者たちだ。
スターのガキを、ブライトを。
かつて俺と競馬をしていた時に集まって、俺の競馬を見守ってきたニンゲンたちだ。
何故この場所に?
そんな疑問を抱いた俺を他所に、ぐるぐるの周りには熱気が溢れていく。
一つ。 一つと周囲に光が戻ってきて。
そして、その光の先にはウマ達がたくさんぐるぐるを回っていてた。
立ち止まっていた俺の横を通り過ぎていく。
ちびだった。
このぐるぐるに集まったウマ達全員、俺は知っていた。
普通、パドックではキュームインとかが一緒にぐるぐる回るのに、今日はウマだけで回っている。
おかしいぞ、記憶にあるぐるぐると違うぞ。
いや、そもそもこのぐるぐるは―――
俺は情報を集める為に何故か設置されていた電光掲示板へと視線を移す。
1枠1番 アイブッチャーマン
1枠2番 ワイルドケープリ
2枠3番 ラストファイン
2枠4番 クリムゾンカラーズ
3枠5番 ネビュラスター
3枠6番 シャカロック
4枠7番 ダークネスブライト
4枠8番 ヒートコマンダー
5枠9番 クアザール
5枠10番 ディスズザラポーラ
6枠11番 ――――――
見えている範囲にひしめく、俺と共にぐるぐるを走った事のあるウマ達。
どいつもこいつも、気合が入って、見る影も無かった馬体が若々しく―――そう、仕上がっていた。
多分。
俺は気づいていた。
ああ、そうか、という納得が頭の奥、もっとも深い場所で『理解』していただろう。
顔をぐるぐるに戻すと、パドックが終わっていたのかウマ達は俺を見ていた。
ブッチャーもちびもカラーズの阿呆も、みんな俺を待っているかのように、立ち止まって俺を見ていた。
今は懐かしい、頬面がチリチリ疼いて俺は口をモゴモゴとさせた。
ああ、やっぱりあるじゃないか。
俺の口の中にはハミがある。
ゼッケンや鞍も乗っていた。
顔は見えないが一人のニンゲンが俺の背に何時の間にか乗っている。
バランスの取り方で判る。 俺の背中に乗る奴はやっぱりコイツが一番しっくり来た。
まったく、いつもそうだ。
ぐるぐるを走るのに無駄に真剣で、むき出しの魂をぶつけてくるんだ。
もうちっと肩の力を抜いて楽しめば良いものを。
勝ち負けなんて意味、ニンゲンにしか価値の無い娯楽にすぎないんだぜ。
お前らはどうか知らないが、俺はただぐるぐるで一着を獲るんじゃなくて、先の世界を見たかっただけだったんだ。
まぁ、そりゃあ負けるのは嫌だから少しはそこも必死にもなったかも知れねぇ。
光の先を求めてムキになっていたから、たまたま一着を獲ることも何度かあったさ。
でも、俺が知らない世界は其処にしか無かったからソイツが欲しかっただけなんだ。
光の先にしか、俺の理解できないことは無かったから、それしか求めていなかったんだ。
お前らは違うかもしれんし、ニンゲンからすりゃ、ちっとばかしカネや人生が動く事でもあるかも知れないけどな。
ちびが俺に向かって前脚を掻いた。
カラーズの阿呆が派手に嘶いてニンゲンたちを沸かしている。
ブライトがじっと俺を見つめ
スターのガキが威嚇してふんぞり返った
そして
ブッチャーが一つ鼻息を漏らし頭を降って、地下馬道へと踵を返していった。
ああ、まったく
どいつもこいつも
―――ほんとに、しょうがねぇなぁ
俺は空を見上げた。
何も見えないのに、眩しくもないのに、目を細めて。
そのまま暫く、ぼうっと立っていた。
それにしてもこの場所、ぐるぐるでっていうのは何かの皮肉かい?
この一歩が、次の一歩で。
名残惜しさなんてそれほど無いが、それでもやっぱり考えちまう。
ブッチャーの後ろを、レースが始まる場所までぞろぞろとウマ達が追うのが視界の端に映る。
ああ、そうだな。
まぁ、行くか。
このぐるぐるなら、俺はきっと光の先へと行ける。
根拠も理論もないが、それは確定した未来で間違いなかった。
俺はゆっくりと、前脚を踏み出した。
一歩踏み出せば、後は止まらなかった
薄暗い地下馬道を抜けて
輝いた星空の下を潜り抜けて
ゆっくりと閉じかけていた目を開けば収まったゲートの中で声なき音が合奏していた。
隣り合ったブッチャーとちびから、見えない感情の気炎が吹きあがる。
俺は鼻をひとつならして―――
ゲートから飛び出した。
ブライトを引き離し
ちびを置いていき
カラーズをぶち抜いて
先頭を走るブッチャーを千切り捨て
俺は走った
無限に続く疲労とは無縁のこの身体を持ち上げて
長く長く続く光の道を、ただ只管に駆け上がる
何時か見た太陽へ。
その光の先へ向かい脚は止まらなかった
ぐるぐるから続くこの大地から
闇夜を切り裂いて昇る陽めがけて
光の先の 『領域』 へと、俺は到達したのだ
そう
天つ空へと
陽がまた、昇るように
―――さぁ、今日はどこへ行こうか
ワイルドケープリ 21歳 7月初頭
夜空が東雲に照らされる、雨上がりの朝であった。
「ほら、あなた。 どうしてこんな日に寝坊するのよ、もう」
「寝坊じゃない、10分遅く起きただけだよ」
「馬鹿言ってないで急いで、大事な日なんでしょう、まったくもう」
妻の美代子に押し出されるように、玄関口へ荷物を纏められる。
結局50歳まで騎手を続けて、なんだかんだその後の進路を調教師として働く事を決めて、ようやく。
林田厩舎を開業することに漕ぎ着けたのが、今日という日だ。
調教師試験を合格するのに手間取った。
諸々の手続きを終えるのに我慢が必要だった。
だが、ようやく、林田 駿は亡くなった父の背中に追いついた。
そして、篠田牧場に戻ってきたという。
駿にとって忘れられない、あのワイルドケープリに胸を張って会いに行くことができる。
寝坊をしたわけじゃない。
もう少し長く、余韻に浸って居たかっただけだ。
柄にもなく感傷的になってしまったんだろう。 駿はワイルドケープリと駆けていた、人生においても忘れられない栄華の頃を夢に見ていたから。
なんだかんだ、林田厩舎開業のこの日を迎えて、高揚していたに違いない。
スーツを着込んで、必要な手荷物のチェックを終えると、玄関口に立つ妻に笑いかける。
「いってらっしゃい」
「ああ、ありがとう。 行ってくるよ」
ワイルドケープリの訃報を駿が受け取る、2時間前のことだった。
玄関を開け、上がったばかりの陽が駿の顔を照らした。
夏の入り口に差し掛かる、粲然と降り注ぐ太陽の。
思わずその眩しさに顔を上げる。
―――見えているか
「あぁ……綺麗な虹だな」
雨上がりの空には、美しい虹の梯が、空に一本。
薄雲が広がる蒼穹の、昇りきった太陽の輝きに照らされていた。
見えているか、あの眩耀の空が
終
すべての感想、評価をくれた方に。
お気に入り登録、ここ好きなどをくれた方に。
ここまで読んでくれた皆様に。
嬉しかったです。
深く感謝を致します。
読了、ありがとうございました。