見えているか、あの眩耀の空が   作:ジャミゴンズ

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三話 泣くが糧

      U 03

 

 

 帝王賞を3着で終え、ワイルドケープリは放牧に出されることになり、ラストファインも帯同することが告げられる。

 そう連絡を受けたのは、調教助手として働いている橋本であった。

 橋本が記憶している限り、林田厩舎において管理馬がまったく居なくなる、という事は初めてである。

 巌調教師がラストファインとワイルドケープリの2頭を最後に引退をするという話は聞いていた。

 ラストファインが馬運車でワイルドケープリと合流する為に出て行き、厩舎の中に管理馬が居なくなると初めてそこで実感が生まれる。

 本当に、最後の2頭なんだ、と。

 ワイルドケープリの目的は完全なる休養と、リフレッシュ。

 ラストファインはテキの判断で一緒に居た方が良いとして、帯同することになったのだ。

 

 

 

      第三話   泣くが糧

 

 

 

「あ、橋本さん、事務所に居たんですね」

「ああ、ヤマ、稲葉君も。 お疲れさま」

「お疲れ様です」

 

 林田厩舎で働くスタッフの数は、現在では総勢で5名だけ。

 かつては15名を超える人数で林田巌の元に勤めていた事を考えると、随分寂しくなった気はした。

 調教師である巌、厩舎の専任である騎手の駿。

 ワイルドケープリの厩務員である山田は橋本と1歳違いの同期であり、厩舎で最も付き合いの長い友人でもある。

 同じく厩務員である稲葉は、4年前に此処へと入ってきた20代前半という若さの遊びたい盛りの青年であった。

 

「そういや、はっちゃん、稲葉君にも聞かれたんだけど、飼料の資料ってあったよな?」

「飼料? あったと思うけど、どうしたんだ?」

「あ、いえ。 その、ファインの飼い葉についてテキと相談があったんですけど……居ないので、先輩お二人に意見を聞いてもらいたくて」

 

 テキである巌調教師はワイルドケープリのオーナーである柊 慎吾氏との会合があるとのことで、園田には戻ってきていなかった。

 ワイルドケープリの主戦騎手である林田 駿も同様に、関東に滞在して戻ってこず、ワイルドケープリの放牧先へと出向することが伝えられている。

 話を詳しく聴いてみると、稲葉はラストファインの飼い葉に少し手を加えたいと考えているようだ。

 少し前に、橋本は稲葉からラストファインに使う鞍について相談を受けた事を思い出しながら、稲葉厩務員の熱心さに感心しきりであった。

 まだ身体そのものが競馬をするに成熟していないから、気を使うのは当然のことだが。

 しかし、この若さでは見落としてしまいがちな事も、良く気付く。

 同じ年齢の時に橋本が同様の配慮が出来ていたかというと、自信はない。 いいや、そんな事は出来ていなかっただろう。

 身体の成長に合わせて阻害しないように馬具を選ぶ、毎日気を使っていなければ出来ない事だ。

 ともすれば、今でもうっかり忘れてしまう事もあるかもしれない。

 稲葉厩務員は若く、4年前は本当に何も知らずにこの業界に踏み入れたばかりなのに。

 そういえば、稲葉が厩務員として担当馬を持つのはラストファインが初めてなのかと橋本は気づいた。

 資料を手渡し、雑談もそこそこに事務所を後にする稲葉を見送って、テーブルに置いた弁当を突きながら橋本は呟いた。

 

「よく馬の事を勉強してて偉いな……」

「テキに気に入られる訳だねぇ。 はっちゃんや俺みたいな不真面目なのとは違うや」

「そうだなぁ……俺はヤマよりはマシだとは思うけどな」

「言うねぇ」

 

 橋本は茶化すように話す山田に適当に相槌を打ちながら、予定の書き込まれたカレンダーへと顔をじっと向けた。

 食事をしながら、山田はスマホを取り出しながら口にする。

 

「そうそう。 管理馬もいないから、いい機会だし1週間くらい、旅行に行こうと思ってるんだよ」

「へぇ? 何処にいくの、ヤマ」

「北海道、海の幸と自然を楽しみに。 もし暇なら一緒に行こうぜ?」

 

 休日が重なった時などは、ときおり遊びに行く仲であったが、このタイミングでの北海道旅行とは。

 差し出されたスマホには旅行の行程が書き込まれていた。 それを見て思わず苦笑をする橋本に、山田は顔をにやつかせている。

 どうやら同僚も、稲葉の若いパワーと真剣さに当てられたらしい。

 普段は無いと言っても良い、長期の休みの日に仕事をしようだなんて、物好きな奴だ。

 ワイルドケープリの休養先であり、ラストファインも帯同していった篠田牧場に寄るつもりしか無いではないか。

 遊びに行くと言い張っているが、ただの照れ隠しにしか見えない。

 

「それじゃ、稲葉君には俺から声をかけとくか」

「橋本先輩の権限で連れてきてくだせーや、いやぁ、俺もそれとなく誘ってはみたんだけどさ」

「ファインの名前だしゃ一発だろ」

「わかってないなぁ、そこはね? サプライズしたいから黙っててくれよ」

「おいおい、めんどくせぇな、もう」

 

 それから丁度一週間が過ぎた頃、付き合いという形で渋々ながら稲葉は承諾し、3人は北海道旅行へと旅立って行った。

 

 

 

 ワイルドケープリは篠田牧場の放牧地を気ままに走り回っては、草を食み、ゆったりとした時間を落ち着いて過ごしている。

 巌の眼から見てもそれは間違いなく、データ上でも今までにないくらい調子が上向き始めていた。

 懸念は戻ってきた時に、やる気や闘志、勝つ気力が失われていないかどうかだが。

 篠田牧場の好意によって設置されたベンチに腰かけて、眼鏡の位置をなおして首を巡らせば。

 座っている反対側の道から、数人の男が顔を出し放牧地へと向かって行く姿を認めた。

 おや、と思いながら立ち上がる。 見学予定者の話は聞いていなかったからだ。

 不自然にならない程度に牧柵沿いに近づいて、話を盗み聞くと、どうやらラストファインの見学に訪れた者だった。

 少しばかり経緯が特殊な馬ではあるが、まだデビューすらもしていない若駒を、馬主とも違う者がわざわざ見学に訪れるとは。

 気になって話を伺うと、まだ生まれて間もないころにラストファインの世話をしていた事がある縁で、見学に来たという。

 確かに、ネット上で厩舎のお知らせとして、ワイルドケープリもラストファインも放牧していると記載してあるが、それでも追いかけてくるとは巌には信じられないことだった。

 彼らはラストファインがワイルドケープリの後を追って走る姿を見て、満足そうに帰っていった。

 その翌日も、そして、その翌日もワイルドケープリではなく、ラストファインを見学する者が続いた。

 そうした者たちが入れ替わり、立ち替わり、時には江藤オーナーを始めとした協会の馬主たちが見学に訪れ、その中で巌はうん? と思う。

 自信はまったく無かったが、どうにも見学者が訪れると、ラストファインの機嫌があまり良くない事があった。

 人嫌いゆえなのか、と思ったが、写真を撮ろうとスマホを構える人たちの前では、むしろ機嫌が良さそうに尻尾を揺らしてポーズを決めていた。

 決まって見学者を喜ばせて、そして最後に豪快な走りで去っていく姿を見せつけて満足させている。

 だが、その走り去っている時はどうにも厩舎で過ごす中、拗ねて居たり怒って居たりしている時に似ている様に巌には見えた。

 

 翌日になって林田厩舎の面々が、一同に介する事になる。

 休暇などあって無いような貴重な時間を、わざわざ馬の為に潰す馬鹿野郎どもが雁首揃えて集まったのである。

 巌は苦笑しながらも嬉しく思い、その日の夜に食事会を開くことにした。

 そこで巌は、丁度良いと口にした。

 

「稲葉、少し聞きたいんだが、ラストファインな」

「あ、はい」

「いや、俺も自信は無いんだが―――何か、特定の言葉に反応して機嫌を悪くしたりはしなかったか?」

「え? うーん……機嫌ですか……?」

 

 そう、巌はラストファインの見学に訪れた者たちは、しばらくラストファインを構ってから決まってその背景や血統の事について雑談し興じていた。

 別に馬を見る時にそうした話が出る事は珍しくもなんともないが、その話がされるたびにラストファインは放牧地の奥へと行ってしまう。

 そうした話が出た時にだけ、ラストファインは逃げるように走り去っていく。

 何かがあるのでは、と巌は感じていた。

 

「確かに……思い返してみると、そうだったような気もします」

「そうか……」

「馬がそんなこと判るんですかね」

「いや、ほら。 ちょっとした単語から連想してるんじゃないかな、そういう話は聞くし」

「何か、トラウマがあるとか?」

「分かりませんけど、そういうこともあるかも知れませんね」

「テキ、すいません、俺からも良いですか。 ファインは成長期ですし、坂での動きを増やして試したいんですが」

「稲葉の補足ですけど、そもそも馬体が小さいから、馬の背を作るのは重要だよなっていう話を飛行機の中でしていたんですよ。 ワイルドケープリと違って、人の体重負荷が厳しくなるのは当然ですから」

「なるほど。 どの時期から行うかは悩んでいたが、ワイルドケープリは賢すぎるし、馬体も頑丈だから、その辺も自分で調節してきた節がある。

 ファインを見ているお前らが揃って言うならラストファインは坂での運動を増やして飼い葉も変えるべきだろう。分かった、許可しよう」

「俺も手伝うよ、協力させてくれ」

「お願いします、駿さん……そういえば、ワイルドケープリの蹄鉄交換の話、なるべく早めにって装蹄の方に言われてるので時期を教えてくれるとありがたいです」

「ああヤマさん、分かりました。 ワイルドケープリの放牧が終わり次第だから、分かった時点で連絡を入れるよ」

「なんで北海道まで来て俺達は仕事の話だけしか、してないんだろうな」

「何ぼやいてんだ、橋本。 テキの飯が食えねぇってのか」

「そうは言ってないだろ。 俺もちゃんと仕事の話はあるよ」

 

 その日から林田厩舎には一つ、決まり事ができた。

 ワイルドケープリ、ラストファインの前ではルドルフ・テイオーを含めた他の馬の話を極力排除することだ。

 そして一つ一つの目標に確かにスタッフの気持ちが纏まったのを実感して、巌はワイルドケープリを放牧に出して良かったと改めて思った。

      

  

 

 ラストファインから見て、放牧を終えた後の調教は今までとまるで違う様子を見せていた。

 一つは食事の内容がハッキリと変わった事。

 そしてもう一つは、自分の傍を良くうろついている、稲葉という男が調教を行う前に必ず坂をゆっくりと登るのに付き合わされることだった。

 普通に歩けばいいものを、何故か時間をかけて歩かされる。

 これが終われば馬場を走ることができるのに、とラストファインはその生活の変化に最初は受け入れない姿勢を見せていた。

 稲葉は身体を使って示す、ラストファインの体当たり、脚の踏みつけや頭突き、飼い葉桶を利用した拒否を全力で受け止めた。

 擦り傷や打撲、鉄板が入って居なければ折れていたり罅が入ってしまったかもしれないと思えるような踏みつけを、我慢強く辛抱して。

 馬の背を作るのは普段の生活から決して疎かに、作る事を諦めたり毎日の行いを欠かしてはいけない事を、師である巌から直々に指導されたからだ。

 わざとゆっくりと坂道を歩くことによって、筋肉と脳を鍛え上げる。 馬はその事を意識して身体を扱わねばならないから、ゆっくりと歩く、というのは結果として体幹と筋肉に意識が向く。

 

 ―――少しデカくなったんじゃねぇか、ちび

 

 ワイルドケープリのそんな言葉に励まされたラストファインは、稲葉の行動にも我慢して付き合うことを是としたのも良かったのだろう。

 その効果は一ヶ月、二カ月と経るごとに、食生活の改善の助けも手伝って目に見えてきた。

 みすぼらしい、と言われてきた背中は大きく盛り上がり、しなやかで強靭な筋肉へと変化を遂げた。

 体幹が鍛えられたことによって人が背に乗った際にもバランスを取ることが容易になる。

 それは人、馬、どちらにも実感させるに足りて、時計という目に見える数字になって結果が出た。

 未だに馬体が一際小さいというのは否定は出来ないが、それでも競馬をするに足る身体が出来上がってきたのは確かだ。

 巌は調教助手の橋本から 夏を越えてから自信がついてきた、という言葉を耳にして、直後に電話をかける。

 その日からはワイルドケープリだけではなく、他厩舎に所属するデビュー前の若駒たちとの併走がメニューに加えられた。

 一日、二日。 そして三日。

 ラストファインはワイルドケープリの様に豪快な走りを見せていた。

 ずっと一緒に近くでワイルドケープリを見て来たからか、それとも身体が出来上がってきて元来の走りがそうだったのか、分からないが。

 巌はラストファインを追っていた双眼鏡を下ろして大きく頷き、稲葉は笑みを浮かべた。

 園田の能力試験を受ける予定が入れられたのである。

 一度目こそ緊張からか、散々な結果に終わった物の、ワイルドケープリが天皇賞(秋)で驚嘆の競馬を見せつけた3日後に無事、試験を通過した。

 

 

 能力試験をラストファインが終えて、園田の競馬場でデビューできる、という話を聞いた江藤オーナーは協会の定例会でその事を淡々と報告した。

 もともとは江藤が興味を持って、血統保護を題目に始めた話であるから、定例会に参加した馬主たちの関心は薄い。

 どちらかと言えば、人との交流を目的にして集まっている場でもあるので、殆どの人は一言声をかけることすらなく話題は流された。

 一応、付き合いの長い岸間社長だけは、話題性が出る様に騎手は人気の子を使った方が良いんじゃないかとだけは言ってくれたが。

 江藤はそんな経緯もあって、定例会後にほとんど独断に近い形でデビューの希望日を人づてに、林田厩舎へと連絡を入れて置いた。

 地方競馬、そして余りに古臭く廃れた血統と、お世辞にも良いとは言えない馬体。

 1勝でも出来れば、まぁ話題になるだろうという思惑もあって、今時代になっても数少ない女性騎手。 

 そして若手でその容姿から世間でも人気ある綾乃 由香騎手を主戦に推した。

 

 

 ラストファインの競馬が、始まりを告げたのである。

 

 

 ラストファインはパドックを回る最中、自分自身が非常に落ち着いている事に驚いていた。

 初めての競馬。

 もっと緊張や恐怖などを感じるものだと思っていたからだ。

 実際にこの場所を稲葉と歩いていると、己の為すべきことがハッキリしている分、他の馬達と比べて慌てることが無かったのだろう。

 そう分析できてしまうほど、ラストファインは心が落ち着いている事を自覚している。

 踏み足は軽く、一歩踏みしめるたびに全身が泡立つ。

 競馬に勝つためにきた。

 それ以外は等しく無価値で。

 夜を晴らす光がこのぐるぐるの何処かにある。

 目頭が熱くなって身体を震わせる。

 全身が燃える様に熱くなる中、ワイルドケープリの言葉が脳裏をかすめた。

 

 頭をあげて、ラストファインは熱を捨てるようにして息を吐き出す。

 緊張からか大袈裟に歩くことを辞めない馬、そして未知への恐怖から普段からは想像もできないほど萎縮している馬。

 何でもない様に歩く中で物見が止まらない馬。

 ラストファインを含む全11頭、それぞれの思いを抱えてパドックを回り終える。

 自身の上に乗る騎手と、調教師の巌が近づいてくるのを眼で追って。

 ラストファインは初めての競馬に臨んだ。

 

 

「園田競馬・第3R、1400m。 新馬戦となります。 ゲート態勢整い次第に発走です。

 続々とゲートに入っていきますが、少々4枠7番のアイルノートがごねついております。 

 一度外に出て……どうやら最後に回されました。 落ち着いた様子でラストファインが入ります。 大外、ウィンソルジャーが収まります。

 さて、アイルノートですが……おっと、もう一度入れ直して、ようやくゲートイン。

 っと! これは5枠9番のミドリミニッツ、放馬してしまいました。 一旦、全馬がゲートから出されます。 放馬の影響で発走が遅れそうです」

 

「大丈夫大丈夫、よしよし」

 

 綾乃騎手がラストファインを宥める様に首筋へと手を当てる。

 突然、ゲートが開く前に飛び出していった馬に驚いてしまって思わず後を追って飛び出そうとしてしまったが、ラストファインはそれでも落ち着いていた。

 ミドリミニッツの馬体検査の間も、脚を回しながら跳ねそうになる心臓に息を入れる。

 まだか。

 まだだ。

 逸る気持ちを言葉で打ち消す。 

 再び係員に誘導されて、ゲートへと入っていく馬達の後をついて、ラストファインはじっと自分の出番を待っていた。

 

「ミドリミニッツは馬体検査の結果、問題が見つからずこのまま発走となるようです。

 今度は枠入り順調な様子です。 アイルノートは最後にゲート入りします。 さて、ウィンソルジャー入りました。

 アイルノート、今度は上手く入れるでしょうか。 入っていきます。 大丈夫です。

 園田競馬、第3R。 まもなく発走いたします。

 スタートしました!

 出遅れました、ミドリミニッツ、アイルノート、二頭遅れてのスタートとなります。 先手を伺うのは①のオユワリハンマー、シャインガイ、アリアナビットラ辺りが前に前に出ています。

 さぁ、先頭集団最初のコーナーに取り付いたところでハナはシャインガイが行くか。 二番手にアリアナビットラ、そのすぐ後ろにオユワリハンマーが居ます。

 ④キレイデネイア、5番手位置に単独でジャーニーグリンク、その後ろを⑨ウィンソルジャーとラストファインで並んでいる。

 ⑧チタニア、鞍上の手が動いています。 出遅れたアイルノートが何時の間にか此処に、⑪サイルサイン、遅れてミドリミニッツ最後方です」

 

 800標識を通過して、ラストファインは外目から内へと身体を傾けた。

 調教時にも利用したことがあるこのコースの仕組みを理解している。

 既にワイルドケープリからゴールの存在とハロン棒の意味を教え込まれていたラストファインは、最短距離を選択して全力で勝利を得ようと動き始めたのだ。

 砂を浴びて視界が遮られるが、もっとも短い距離を効率的に進むのが一番勝利へ近づくことだと確信していたから。

 しかしラストファインは競馬を知らなかった。

 ここは競馬場で、馬が競い合う場所であることを。

 そして、そこには絶対に必要な、騎手という存在があることを。

 いや、知っていたからこそ、レースが始まってから忘れてしまっていた。

 内々を付いて加速を始めたラストファインを抑える様に、手綱が引かれた。

 綾乃騎手の思惑は、スタートをまずまずとして進んできたこの道中。 中団外目、他馬から邪魔を受けないままコーナーをやり過ごすつもりであった。

 コーナー手前から捲って差し脚で前目を捌こうと考えていたからだ。

 そんな考えなど知らぬとばかりに、ラストファインが内に凭れたことによって、鞍上はラストファインを控えさせようとしたのである。

 騎手に抑えられ、頭が上がってラストファインは苛立った。

 加速しようと思った瞬間だったから、猶更に気勢がそがれる。

 前の馬から跳ね上がる砂が全身に降り注ぐ。 加速をしようにも、もう前の馬に内を塞がれて最短距離は望めなくなった。

 食いしばってラストファインは今度は外に振ろうと身体を揺らしたところに、外目から上がってきたアイルノートにあわや、接触するかという程のすんでの距離を横切られ蹈鞴を踏む。 

 結局外にも回れずに進路を塞がれて、ラストファインの行き脚が鈍った。

 

「コーナーで内を付くよ!」

 

 綾乃騎手は行く気が萎えない馬を必死に御そうと、思わず声を挙げ鞭を見せて誘導する。

 その声の意味を解せないラストファインは、脚に沈む砂を、生まれて初めて重く感じた。

 加速と減速。 急な抑制と解放が決して丈夫ではない身体に負担を強いていた。

 

「最終コーナー、上がってきたのはアイルノートだが、前も止まりそうにありません。

 シャインガイは一杯か、直線入って鈍い。 シャインガイ粘ろうと鞍上追っているが、その横をオユワリハンマーが抜いていきます。

 オユワリハンマーが先頭、後ろからはウィンソルジャーとサイルサインが襲ってくるが3馬身リード保っている。

 ラストファイン追い出して5番手から上がっていく、アイルノートは限界か? 伸びがない、その横にジャーニーグリングと熾烈な争い。

 先頭はオユワリハンマーだ、サイルサインとウィンソルジャー追っているが間に合わない!

 これは間違いないでしょう。 オユワリハンマー、2馬身差まで詰められましたが問題ありません! 今、一着でゴールイン!

 2着はウィンソルジャーか。 3着はサイルサイン、4着にはラストファインが粘っているでしょうか。

 新馬戦、見事に勝ち上がったのはオユワリハンマーです。 先行策がドンピシャ、強い競馬でした」

 

 全身で息を整えて、ラストファインがレースが終わった事を察して脚を緩めた。

 前にどれだけ馬が居たのか。 その数をラストファインは覚えていた。

 3頭だ。 横にも1頭いた。

 それはつまり、敗北であった。

 なぜ負けたのか、ラストファインは分からなかった。

 首が沈んで、顔が熱くなる。

 こんな無様な結果、許されるわけがなかった。

 先頭でゴールした馬が何も分かっていないような顔で人間たちに引かれて行って、競馬に勝ったとして歓呼を受けている。

 観客席から疎らな拍手で称えられ、厩舎の人間と馬主たちから拍手が沸く。

 ラストファインは暴れたくなる気持ちを抑えてその光景を眺めた。

 眺めて、暴れたくなるのを我慢するのに、ただただ必死であった。

 

「残念だったけど、次は勝てる、大丈夫だぞ」

 

 稲葉厩務員に慰められるようにして声を掛けられて、そして口を引かれて林田厩舎へと戻る。

 陽が沈んで星が瞬いた頃に、ラストファインは敗北した事実を改めて実感し、そこでようやく感情を爆発させた。

 

 翌日のラストファインの馬房の外には、落鉄した蹄鉄が転がっていた。

 

 

「新馬戦、未勝利戦、未勝利戦……あららら、やっぱアカンか。 さて、次も乗ってくれるもんかねぇ」

 

 江藤オーナーは朝食を取りながら、持ち馬の事をまとめたデータを流し見していた。

 そういえばラストファインはどうなったかな、とスマホをタップしてみれば、走ったレースとその結果だけが表示されていく。

 初戦は4着。 その次は3着と順調に掲示板に載って順位を上げたと思ったら、その次の未勝利戦では7着と沈んでいた。

 まぁ、こんなものだろう。

 一応の役割として、ラストファインの事は任されているので馬主協会へと一報を入れておく。

 朝食を食べ終えて日課の散歩をしながら、江藤は電話をかけた。

 林田厩舎へと、ラストファインの今後について話をしておこうと思ったからだ。

 もうしばらく走らせてみて、組合馬主の面々からも否が無ければ血統を守る為だけに購入したラストファインは種牡馬に転籍しようと話をしておきたかった。

 大事なのは、勝たせることではなく血の保護だ。

 いずれ大成してくれる馬が出てくれれば、良いじゃないか。

 少なくとも、ラストファインに最初に興味を抱いたのはかつて自身が馬主となる前に最も大好きだった馬、トウカイテイオーの血統を繋げたいという個人的な私欲だけ。

 馬主との付き合いもあるし、芽が無いようならばガムシャラに走らせるよりも、怪我無く回って種牡馬になってほしい。

 そうして掛けた電話に出たと思ったら、物凄い騒音が鳴り響いて、江藤は身を引きながらスマホを落としてしまった。

 なんだなんだ、と顔を顰めながら、今度は耳に着けずにスピーカーで鳴らしてみると、厩務員と思われる男と巌調教師のワイルドケープリとかラストファインとか名前を呼ぶ大声と馬の嘶きが響き渡る。

 衆目の目を集めていることを自覚しながら、江藤はそっと電話を切った。

 大変そうだなぁ、と散歩の続きに戻って万歩計を眺める。 歩数が1000歩ほど上がった頃に、折り返しの電話が来た。

 

『すみません、江藤オーナー。 気付きませんでした』

「いえ、大変そうなところに丁度電話をしてしまったようで、こちらこそ申し訳ないです」

『はぁ、お恥ずかしいところを。 それで、ご用件の方は?』

「ああ、ラストファインの事なんですが」

『ああ、次走のことですよね? ええ、ラストファインですが、次走は期待して頂いて良いですよ。 勝てると思います』

「え?」

『え? 違うご用件でしたか?』

「あ、いや、そうですか。 それなら、ええはい。 じゃあ次は見に行こうかなぁ」

『ええ、是非見に来てラストファインを応援してください。 予定はご存知かと思いますが、今月19日の園田の4Rを予定していますよ』

「分かりました、ではお忙しいところを失礼しました」

『いえいえ、それでは』

 

 そうして思わず用件を濁して電話を切ってしまう。

 まぁ、行くと言ってしまった手前、行かないのも不義理になるだろう。

 特異な経緯を持つラストファインを押し付けてしまったのだから、一度くらいは見に行くのが筋だ。

 次に直接会った時に種牡馬への転用を考えている事を話せばいい。

 それにしても、随分と強気な発言だったなぁ、と江藤は思う。

 ワイルドケープリという地方馬のまま天皇賞を征した管理馬が居て、気が大きくなっているのだろうか。

 確かに途轍もない偉業を成したし、手放しで自分も称賛し、勝った事に驚いた。

 ワイルドケープリを称える声は大きく、園田競馬場では気が早い事にワイルドケープリのグッズや商品を多く開発しているというが……江藤オーナーは気持ちを切り替えて万歩計の針を進めることに戻った。

 

 流石に未勝利で燻っているラストファインに、そこそこ目立つ重賞で勝利し、世間にも人気をしている綾乃騎手は起用が叶わなかった事を後日知らされる。

 誰か馬に無理をさせない良い騎手は居ないか、と尋ねれば一人の騎手を斡旋された。

 ワイルドケープリにも騎乗したことがある、園田でもトップクラスのジョッキーの五良野 芳樹を紹介され、そのままヤネを五良野に任せることに決まった。

 

 

 馬鹿にされた。 ラストファインは悔しさを晴らすように調教帰りの林田厩舎内で暴れまわった。

 ワイルドケープリという馬はGⅠという最高の格付けの競馬を勝って天狗になっているのだ。

 林田厩舎の周りに集まる人間は爆発的に増えて、ラストファインの目の前で多くの衆目を浴びて称賛されている姿が毎日のように訪れている。

 そんな馬が競馬を三回もやったのに負けてばかりの自分を鼻で嗤ったのだ。

 許せなかった。

 最初の敗北の時に、ラストファインは暴れた。

 二回目の敗北の時に、自覚なく泣き叫んだ。

 そして三度目、それまでレースの事を聞いても何も言わなかった、言う事が無かったワイルドケープリが思いっきりラストファインのことを馬鹿にしたのだ。

 悔しかった。 そして苦しかった。

 散々に暴れまわって、五月蠅いと、ワイルドケープリに突き飛ばされて厩舎の壁に叩きつけられ、そこでようやくラストファインは吠える嘶きを止めた。

 山田と橋本にワイルドケープリと共に馬房の中に押し込められ、ラストファインは夜を迎えて鼻を啜った。

 稲葉が心配そうに事務所から顔を出しては戻り、顔を出しては様子を見る。

 そんな稲葉も月明かりが雲に隠されて、暗く冷たい夜が訪れると消えて行った。

 風が吹いて身体を冷やす。

 闇が全身を包むように視界が効かなかった。

 隣の馬房から呆れた声が掛かる。

 

 ―――また泣いてるのか、ちび

 

 泣いてなどいない。 

 ラストファインは閉じかけていた目を見開き、壁の向こうに居るはずのワイルドケープリを睨みつけた。

 もうすぐワイルドケープリは居なくなると告げられる。

 アメリカという場所に行き、そこで競馬をするのだという。

 ワイルドケープリは勝ったから価値を認められたのだ。 

 多くの人間に称えられ、認められ、だから此処から去っていく。

 人間達も、競馬を勝ったワイルドケープリについていき、負けた自分を忘れて去っていく。

 人間も馬も、勝たなければ意味の無い場所。

 それが競馬だからだ。

 ラストファインは自身の脚を覗きながら壁に頭を擦りつけた。

 競馬に勝てない。

 競馬で勝てない。

 考えているのに、考えないと勝てないと言われているのに、考えても勝てない。

 どうして。 どうすれば。

 暗くて冷たいこの世界に、いつまで。

 沈んでいくような感覚に頭が下がっていく。

 

 ―――バカがよ、同じことやってダメなら他を試せよ。 0と1しか無ぇのかお前の頭の中には。

 ―――100通りくらいパパっと好きにやって試してだめなら新しく考えろ。 それでダメなら調教にまた戻って来た時にもう一回100通り考えるんだ。 無駄何てことは意外とこの世には無いもんだ

 ―――判ったら 泣いてないで気張って走れよ。 もう勝負の場所に、居るんだろ

 

 泣いてなんかいない!

 ラストファインは声を挙げて否定した。

 ワイルドケープリの鼻息が漏れて聞こえる。

 夜中の間、話したり話さなかったりしながらラストファインへとワイルドケープリは声を掛け続けていた。

 ラストファインはやがて、馬房の外が明るくなったことに気付いた。

 何時の間にか空は白く染まり始め、空を覆う雲を照らしていた。

 ワイルドケープリはなんで競馬を勝てるんだ。

 それはこれまで付き合ってきた中で抱いていたシンプルな疑問。 

 決してラストファインが聞こうとしなかった、もしかしたらそれは意地だったかもしれない言葉。

 ラストファインは声に出して聞いた。

 

 ―――勝ち負けなんて星、どうでもいい。 俺は光にしか興味がない。 その為には競馬をしなくちゃいけないからだ。 結果なんで勝てるかってそりゃ、競馬が上手かったんだろ。

 

 光。

 ワイルドケープリが競馬する事になったブッチャーが言ったという。

 命を揺らす場所には光があるのか。

 ラストファインは顔を上げて馬房の外へと首を出す。

 そこに行ければ俺の夜を照らしてくれるのか。

 顔を上げたラストファインの眼には、もう涙は無かった。

 

 ―――らしい顔に戻ったじゃねぇか

 

 そう言ったワイルドケープリの傷痕の残る顔を思わず見て、ラストファインは何だか悔しくて無視することにした。

 

 

 

「大雨の中、園田第4R、砂の1230m戦。 初勝利に向けて若駒たちが競い合います。

 ……スタートしました! おおっ、素晴らしいスタートを決めたのは③のラストファインです。

 おっと、そのままゴーサインか鞍上の五良野、ぐんぐん前に出て行きます、これまでの控える競馬とは打って変わってラストファインがハナを主張しました。

 その後ろには同じくスタートが良かった②のヘッシュハラン。 この馬は逃げ馬です。 追走して⑧のミナミハシロイヤルと続いていきます。

 4番手⑦リベリオンサーガ、その横に馬体を合わせるようにして④アッシュクリボン。

 ここで逃げているラストファインに鈴を点けに行ったか、ヘッシュハラン、逃げ馬としては前は譲れないか。

 戻りまして後方3番手に①アムアスゴールド、④ネイヨンコーリア、最後方に⑤フィルス。

 最後のコーナーへと差し掛かって先頭は変わってヘッシュハラン。 ヘッシュハランが先頭です。

 好スタートを決めた③ラストファインは下げて二番手追走、後ろからミナミハシロイヤルここで前目を捉えようと鞭が入る。 勝負所、4角回っていきます2歳馬8頭、さぁ直線どうなるか」

 

 最後のコーナーを抜ける直前、加速を始めようとする他の馬達に遅れてラストファインはギアを上げる。

 首を押し始める五良野の手が、コーナー終わりで外に泳ごうとする身体を前に押し出してくれた。

 ラストファインは自身を抜かそうと迫ってくるミナミハシロイヤルへと視線をひとつ投げた。

 前を見て、抜かそうとしてくる馬だ。

 競馬に勝つために、敵となって立ちはだかる、ラストファインの敵だ。

 自然とラストファインは憤怒に瞳が揺れ、追い抜こうと加速しようとしているミナミハシロイヤルを睨みつけた。

 抜かせない。 抜かされたら負けるからだ。

 どけ、邪魔だ。

 俺の視界に入ってくるな。

 スタートで使った行き脚を休めることは十分に出来た。

 だから、ラストファインはもうミナミハシロイヤルを見る事はしなかった。

 途中から先頭に躍り出ようと躍起に脚を回し、すでに疲れ始めているのが分かるヘッシュハランだけしかラストファインの眼には映らない。

 あの馬さえ抜かせば。

 あの馬を抜けば。

 ヘッシュハランの跳ねあげてくる、水分をたっぷりと吸って泥となった砂を頭からかぶり、ラストファインはそれでも首を下げた。

 勝つんだ。

 競馬に勝つんだ!

 競馬で勝つんだ!

 暗い世界を、吹き飛ばしてやる。

 被る泥すら蹴散らして。

 ワイルドケープリの言葉が蘇る。

 悔しさその物をエネルギーへと変換させるように。

 地面に叩きつけた前脚が、反発力で後ろに跳ね上がって前に進む推進力に変わっていく。

 息を入れて脚を残すことが出来れば、後ろ脚を蹴り上げる苦は何も無い。 

 ダートという砂で脚の入りの角度は重要だった。 そして大雨の馬場に適応するということ。

 ラストファインはこのレースで少しばかり 『競馬』 を理解した。 

 

「ラストファインが抜け出した。 ラストファインが抜け出して、先頭を奪い返す。

 ミナミハシロイヤルは苦しいか、鞍上大野、懸命に叩いているが前にはちょっと行かないか。 ラストファインだ、ラストファイン完全に突き抜けている。

 2馬身は離れたか。 ネイヨンコーリアがようやく良い脚で前に上がってくるが、前とは離されている。 ラストファインで決着しそうだ。

 ラストファイン、嬉しい初勝利です。 今一着でゴールイン。

 二着は二馬身開いてネイヨンコーリア、三着はミナミハシロイヤル。 勝ったのはラストファインでした。 

 鞍上の五良野はしてやったりか、見事な競馬でした、ラストファインの勝利です」

 

 

 大雨の中、観衆は少なかった。

 少ない拍手と歓声に迎えられて、泥だらけになってラストファインは初勝利を飾った。

 口取りで写真を撮られ、普段はどこにも居ない江藤オーナーを始めとした数人の馬主達が笑顔で歓談している。

 稲葉は嬉しそうにラストファインの泥だらけの顔を拭いながら褒め讃え、同じく泥にまみれた五良野騎手が笑顔で拍手を贈ってくれた。

 

 これが勝利。

 

 数えられるくらいに少ない人数の祝福と拍手が、全身に沁みて心に行き渡るようだった。

 ラストファインはこの光景をじっと眺めて脳裏に焼き付けようとした。

 忘れないように。 忘れられない様に。

 

 

 その日、ラストファインは胸を張って馬房に戻っていった。

 ワイルドケープリがアメリカという場所に行く前に、競馬に勝ってやったと猛々しく伝えたのだ。

 

 ―――おまえ、他のウマをビビらせて勝つのはなんか違うんじゃねぇか? ……いや、まぁあるのか……? ルール違反じゃねぇしな……作戦の一つとして機能するなら、アリか?

 

 勝ったのに、文句や疑問ばっかりぶつけてくるワイルドケープリに、ラストファインは腹をたてた。

 睨みつけた程度で競馬を止めたその馬が悪いじゃないか。 何が悪いんだ。

 ならば、次の競馬こそワイルドケープリにぐうの音が出ないほどの、文句なしの勝利を飾ってやると息を巻いた。

 

 そして、ワイルドケープリはアメリカへと飛び立っていった。

 昇級直後に行われた競馬でラストファインは、もっと脚を溜めれば一気に他の馬を抜き去れるはず と思い込み、後方からじっくり進めた。

 結果、ラストファインは後方尽、最下位に沈みっぱなしとなり、ぐうの音も出ないほどの敗北を喫した。

 そしてワイルドケープリが居なくて良かった、と謎の安堵を感じて苛立ち馬房で暴れ、稲葉を困惑させたのである。

 

 そしてその夜にまた顔を濡らす。

 冷たく暗い夜の中を潜り、泳いでいく。

 泥に沈んだように。

 思考が真っ暗に塗りつぶされる前に、目を開く。

 何度も。

 何度でも這い上がってやる。

 負けじゃない。

 負けていない。

 これは未来の糧にすぎない。

 ただ競馬ができなかっただけだ。

 まだ競馬を知らなかっただけだ。

 耐えがたい屈辱からが始まりだなんて、この世界に産まれた時からだ。

 何度だろうと、何度でも這い上がってやる。

 負けない。

 絶対に逃げない。

 『光』 を必ず見つけ出してやる。

 

 そしてラストファインは気付かないまま、濡らした顔を上げるのだ。

 朝を迎えて陽が昇る頃に。

 橋本が現れ、そして少し遅れて稲葉が顔を出し。 その前にラストファインは立つ。

 立ってまた前に脚を進ませる。

 振り返らず、振り返って、何処までも探し続ける。

 

 暗い暗い闇の中を、闇雲に彷徨いながら。

 ひたすらに光を求め続け、ラストファインはどこまでも競馬に真剣に向き合っていた。

 

 

 

 

 余談だが、ワイルドケープリはアメリカでの初戦、ペガサスワールドカップで珍しく抜群のスタートを決めた。

 ところが、わざわざ他の馬の居るところまで下がっていくのだ。

 ジョッキーである駿は僅かに動揺したが、ワイルドケープリに全てを任せてやりたいようにやらせて見た。

 

 ―――おらおら、どうだこら。 怖いか? おらどうだ、舐めんなこら。 あっ、おい待て、くそがっ、全然ダメじゃねぇかこの作戦!

 

 睨みつけてビビらす作戦を試したワイルドケープリだったが、相手に余裕のガン無視をされて睨みつけた分だけロスとなった。

 ヒートコマンダーという怪物を相手に、ワイルドケープリは途轍もない苦戦を強いられたのである。

 

 

 

 

 

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