見えているか、あの眩耀の空が   作:ジャミゴンズ

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二話 灰色

 

 

 

            U 04

 

 ニンゲンは変な道具を身体に色々着けたがる。

 近頃は俺の身体に着けようとする物が増えてきた。 確かに、何も知らないとウマにとってイラつく出来事だろう。

 それらの行動が全て、ニンゲンを背中に乗せる為に繋がっている事を俺は知っているから、まだ我慢ができた。

 別に乗られて苦しいとか、辛いとかいう訳ではない。 そりゃ少しは思うがそんな事よりも『自由』を奪われる事の方がよっぽど嫌だ。

 それを伝えようとしてみたが、ニンゲンは俺達ウマの言葉を理解することができない、少し頭が悪いイキモノだった。

 いや、それとも理解しながらそんな事は関係ないと拒否されていたのかも知れない。

 まぁ仕方ないか。

 同じウマ同士でもブッチャー以外のほとんどのウマは話が通じないのだ。

 あっちに行ってとか、止めろ、とかそういうちょっとしたコミュニケーションは取れるが、細かい事になるとどうにも伝えることが難しくなる。

 そう考えると何とも退屈な―――色の無い世界だ。

 ニンゲンもウマも、誰も俺のことを理解できないし、逆に彼らの事も理解することが難しいからだ。

 バボウの中に置いてあるカイバオケに突っ込んでいた顔を上げると、ニンゲンが集まる近くのバボウ(休憩所)で談笑する声が聞こえてきた。

 ニンゲンたちが時折集まって話をする場所は、何時からかは覚えてないが俺のバボウの近くになっていた。

 

「サイモン、少し落ち着いてきたんですかね。 鞍やハミの馴らしは、かなり気を使いそうだと思ってたんですけど」

「他の子よりもスムーズだったな。 変なところで怒ったりする以外は」

「あ~、確かにちょっと触ろうとしただけで噛みついてきたり、後ろ脚で蹴ろうとしたり、最初はホントやべぇって思いました」

「トミオさんが居なかったら、時間かかったかもなぁ」

「意外と育成に一番乗りするかもしれないね」

 

 ブッチャーとの出逢いから幾分と時間が経ち、ニンゲンを乗せて走るという行為について考えてきたが、俺達のようなウマにとって意味などない、という考えしか俺には分からなかった。

 

 ブッチャーも意味なんかないと言ってたから、それはきっとそうなのだろう。

 ならば、俺達ウマにとっては意味がないのなら、ニンゲンには意味があるということになる。

 箱……そう、ニンゲンの集まるバボウにも設置されたあの箱は遠くのものを見る道具だ。

 俺がどんな時間帯、どんな日時に柵を壊して囲いの外にいても見つかったのは、あの箱からニンゲンが見ているからだ。

 このバボウにも俺を見る為の道具があるのだろう。 苛立たしいが、どうすることも出来ないので仕方なく受け入れている。

 個体の名を付け、わざわざ乗り、そして走らせてぐるぐる回される。 

 何の為にしているのか、仮説を何度も立ててみたがウマを比べている、ということになるのではないか?としか推測できない。

 体力なのか、速度なのか。 それとも別の何かだ。 ウマはニンゲンよりも早く走れるから、速度なのかもしれない。

 そうしたことにブッチャーは命を揺らしていると言った。

 命、というのはウマやニンゲンのことだ。 そして時折見かける小さい奴らのことだ。

 空に浮かんでいるアイツは、もしかしたら違うかもしれない。 奴はイキモノであってイキモノではないから。

 

「あれ、またサイモン太陽の方見上げてますね」

「なんか癖になってるんだって。 面白いよな」

「へー、かわいいですね」

「そうだな、そこは可愛いよな。 さて、戻してきますか。 夜間組はサイモンもそうだから準備しよう」

「ですねぇ、そろそろやりますかぁ」

「暴れないでくれよ、今日は~富雄さん居ないんだから」

「それトミっさん休みの時に毎回言ってますね」

「変わってくれてもいいんだぞ、ヤベー時はほんと手がつけられないんだから」

「十分知ってますよ」

 

 ブッチャーの言葉はずっと俺の脳裏によぎっている。

 寝て起きても、気付けば俺はあの言葉の意味を考えているのだ。

 それは分からない事を考え続けているという僅かなストレスを齎すものではあったが、それ以上に好奇心を刺激されるものであった。

 俺は知りたかった。

 あの速く、タフで、大きなブッチャーが認めていた世界の姿を。

 命を揺らすという言葉が、この色の無い世界で唯一興味を引かれるモノだからだ。

 このホウボクチとバボウ以外に、いずれ来ることになるだろうぐるぐると回る場所はどんな所だ? ニンゲンは何に意味を求めるんだ?

 ニンゲンは俺に乗る準備を始めている。

 癪だが、ニンゲンを乗せなければあの場所に行けないことは分かった。 

 

 なぁ、ブッチャー。

 俺も、命を揺らせるのかい?

 目指す価値がある場所なのか?

 

 俺は新しい世界を、一刻も早く知りたい。

 

 

 

            U 05

 

 

 いつしか俺はイクセイボクジョウという場所に移された。

 ニンゲンたちが良く使う俺達と同じくらいに速く移動する道具のクルマという奴に載せられて。

 ブッチャーはコイツに乗って、何処かへ行ったのだろうか。

 今はあのぐるぐると回る場所に居るのかもしれない。

 それにしてもクルマがあるのにウマに乗ろうとするニンゲンは愚かなんじゃないだろうか。

 この平らな黒い道はクルマを走らせる為に、ニンゲンが整地して出来た物だと思うのだが。

 などと俺はクルマに揺られながらに思ったが、その疑問はカイバを飲み込みながら腹の中に納めた。

 その事にニンゲンが気付いたら、俺がブッチャーの言っていた場所に行けないかもしれないからな。

 

 口の端でカラカラと動く棒に意思がのる。

 右へ、左へ。 或いは止まれ。 最初は口の中で動く存在が気持ち悪かったが、しばらくするとすぐに慣れた。

 そして口の中で動いている物が何を意図し、その意思を感じとるのに時間は必要なかった。

 簡単な動き一つで意思が伝わるからだ。

 確かにニンゲンの言葉を注意深く聴くよりも正確に素早く判断できる。

 背中に乗せることを考えれば、この道具があった方が効率が良いのは間違いないが、ニンゲンだけの都合に振り回されてる感じがして俺は好きではない。

 逆の道具があれば良いんだが、ウマは道具を使うことは無いからな。

 そう考えると、ニンゲンはなかなかやる奴らだ。 道具を作れば便利になる。 便利になれば効率が上がる。 効率が上がれば生活が捗る。

 もしかしたら思っている以上にニンゲンは俺達ウマと比べて賢い奴らなのかもしれん。

 待てよ、もしかしたらクルマとかもニンゲンが作ったのか?

 もしそれが本当なら、ウマが『世話』されているのも理解ができるな。

 ニンゲンはある意味で上位の存在に違いがないのだろう。

 身体は弱いが道具で補う。 この発想はなかなか面白いと俺は思う。

 それはそれとして、このイクセイボクジョウでは俺に対して高圧的に接するニンゲンが増えてイラつく事が多くなった。

 俺がボスだ、俺がお前に指示をする者だ、そういった感情をぶつけてくる事が目に見えて増えたからだ。

 ニンゲンが出す指示に甘さというか、容赦が無くなったという感じだ。

 この場所には俺以外にも多くのウマが集められてるが、そういう態度を取るニンゲンは目に見えて増えており、反抗する素振りがあったウマの奴らも日々経過するごとにニンゲンを上位者と認めるようになっていった。

 ニンゲンにとって間違ったことをすれば威圧感のある感情をぶつけ、正しい指示を行うと大袈裟に褒め、食べ物を与えたりする。

 なんともまぁ、分かりやすくウマそのもの、もしくはその感情をコントロールしようと試みるものだ。

 馬鹿らしすぎて冷めた感情を抱くと共に、俺は多大なストレスをため込んでいる事を自覚している。

 ブッチャーと出会った事、あの箱に映し出されたぐるぐるを見たことで多くの事が理解できるから、俺は従順にニンゲンと付き合ってやっているが、何も知らないウマ達は大変だろう。

 しかし、これだけ我慢してニンゲンを乗せ、走る場所がくだらない場所だったらアタマがおかしくなるかもしれん。

 最近になって思うようになった嫌な予感―――隠さずに白状すれば恐怖と言って良い感情を誤魔化すように、俺は空を見上げた。

 眩しいアイツは今日は出ていないようだ。 代わりに分厚い水を降らす奴が陣取っている。

 まさに今の俺のようだ。

 この灰色の空は彩の無いこの世界を象徴しているようで、目に映りこむ空の皮肉を、俺はしばしの間楽しんだ。

 

「あ、ワイルド君、またぐーっと首を伸ばしてますね。 空に何かあるんですかね」

「ははは、珍しい行動だな。 首を振る事は多いけど、ずっと見上げるなんて普通しないからな」

「物凄い気性難って聞いてましたけど、すごい御利巧な子ですよね。 問題児だったなんて信じられないなぁ」

「大人になってきたのかもな。 やんちゃな子ほど、成長すると落ち着くこともあるから」

 

 ここのニンゲンたちは俺の事をサイモンではなく『ワイルドケープリ』と呼ぶことが多くなった。

 呼び方に多少の変化はあるが、サイモンと呼ばれる事は無くなった。 呼称の変化、それが何を意味するかは分からない。

 俺は自分の脚を覗き込むように見た。

 ヒヅメと呼ばれる場所に何かを撃ち込まれたことがある。 ソウテイなどとニンゲンは言っていた。

 俺の脚の爪の中に何かが埋め込まれる、不思議な事を行う物だと俺は首を傾げていたが、しばらくして走る時にヒヅメを痛めることが少なくなった事に気が付いた。

 ニンゲンを乗せることは単純に負担だからな。 恐らくウマはニンゲンを乗せて走るとヒヅメが痛くなってしまうのだろう。

 そう考えなければわざわざウマの脚に道具を埋め込むなどという手間暇のかかることを行う理由が分からない。

 そうだな、ニンゲンに例えれば靴を履いたってところか。

 道具の存在は俺の興味を中々に面白く引いてくれる。

 最近は道具の事を考えるのが俺の暇つぶしである。

 

「ワイルドケープリはそろそろ次のステップにいけそうですかね」

「ああ、記憶にないくらい速いな。 身体が出来上がる前に終わってしまいそうだ」

「騎乗までこんなに速い子は珍しい」

 

 バボウの中でニンゲンが二人、俺の死角である真後ろに立ったりハミを装着したりしている。

 背に妙な道具を乗せられ、俺はその時にようやくこの日が来たかと息を吐いた。

 そう、ニンゲンが俺の背に乗ろうとしているのだ。

 道具の意味を教えようと無駄に時間をかけて、そろそろ柵の一本でもぶち破ってやろうかと思っていたところにようやくだ。

 少しばかりテンションが上がると、慌てるようにニンゲンが俺に落ち着くような指示を与えてきた。

 そんな指示を出そうとしなくても、俺の準備はもともと万端だ。

 初日でランジングと言っていたニンゲンたちの行動の意図は100%完全に理解していた。

 道具に慣れるのも全く時間はかかっていない。

 無駄に機材の上を歩かされたり、時間ばかりを費やしていたのはニンゲンたちの方である。

 だがまぁ、何も知らないウマたちは怯えたり興奮したりしていたので普通はああなるのだろう。 俺は理解するのも早かっただろうしニンゲンがウマに乗ろうとするのを知っていたからな。

 とにかく、いよいよ俺の背にニンゲンが跨ると思うと、多少俺が興奮を覚えてしまうのも止むを得ないのではないだろうか。

 間違いなく、目指す場所への一歩を踏み出せているという実感を我慢の末に手に入れたのだから。

 

「うわ、もう落ち着いた。 本当に最初の最初だけですね」

「よしよし、良い子だな。 お前みたいなのばっかりだと助かるんだがな~」

「でも本当に凄いですよ。 体重負荷も気にしていないみたいで……安定感もあります」

「ちょっと早いかもしれないが、鐙も用意してみるか。 どうする?」

「やってみましょうか」

 

 日を変えて同じことを2回ほど繰り返したあと、ニンゲンはついに俺に跨った。

 そして俺の横腹の当たりにある道具へとニンゲンは脚をかけている。 なるほど、アブミとかいう奴はタヅナと一緒に使って俺達ウマを動かすと共に、ニンゲンたちがウマの上でバランスを取るための道具のようだ。

 やがてニンゲンは脚を使って俺の腹をすこしばかり突いてきた。

 最初は意味が分からなかったが、これは前に進めということらしい。

 なるほど?

 俺は少しばかり前に脚を動かして、バボウの外へと出る。

 俺に載っていないニンゲンは口の当たりにある道具を持って一緒に着いてくる。

 リンゴをくれた。

 ふむ、やはりこれが正しかったようだ。

 シャリシャリと口のなかでリンゴを貪りながら、周囲を見回す。

 バボウの近くにニンゲンはいない。 跨っている奴とリンゴをくれた奴だけだ。

 なるほどなるほど、そうか、いよいよなのだな。

 俺は全てを理解した。

 騎乗したニンゲンがもう一度腹をちょんちょんと突く。

 指示は―――前に進め。

 来たか……分かったぜ。

 俺はニンゲンの指示に従って、後ろ脚に溜めていた力を解放し、硬い大地を蹴り上げて加速した。

 口の辺りを持っていたリンゴをくれた人間が吹っ飛んで視界から消え、タヅナを持っているニンゲンが慌てて俺の上で緊張しハミを通じて止まれと指示を出している。

 いや、俺はお前の指示通りに前に進んだだけなのだが? 急に止まれ等と言うなんて謎なんだが?

 まぁ良い、とにかくようやく来たチャンスだ。 俺はニンゲンを乗せて走る、という感覚を掴みたい。

 来るべきぐるぐるに備えて、色々と考えていたんだ。

 しばらくお前は俺に乗って居ろ、捕まってるだけでいい。

 いつもは俺が我慢をしてるんだ。 今日は少しくらい、俺が自由に動いたって良いだろう?

 

 バボウを飛び出して俺はニンゲンを乗せた状態でどれだけの速度が出せるのかをまずは調べた。

 全身の筋肉に力を漲らせて、大地を蹴りあげる。 

 流れる景色の中でニンゲンもウマも置き去りに、見たこともない建物を通り過ぎ、見知らぬ場所を通り越し、只管に前足を振り上げ、叩きつける。

 ニンゲンを乗せて走るのはかなり苦しい。 単純に重いし、走りずらい。 

 今は俺が自由に走っているから、止めようとしてくるので非常に邪魔だ。 恐らくちゃんと俺の走りに合わせてバランスを取って貰わないと最高速は出せないか。

 タヅナから止まれの指示がどんどんと強くなるし、実際に俺も少し疲れてきたが、それよりももっと感覚に慣れておきたいし、色々この状態でのことを調べておきたい。

 ニンゲンの焦り具合からして、チャンスはそう多くないだろう。

 だから今のうちに出来ることは全部試しておきたい。

 俺は引かれるタヅナの意思を無視し、もう一度力をため込んで後ろ脚を蹴り上げた。 

 

 無我夢中という言葉がふさわしいだろう。

 俺はバボウの中で考えていた検証を思いつくままに行って、気が付くとまったく見たことのない場所に俺は居た。

 上に跨っていたニンゲンも近くで声を発するわけでもなくクチトリを持ちながら所在なさげに蹲り、佇んでいる。

 うーむ、めちゃくちゃ疲れたから帰って寝たいんだが。 

 まぁまた騒がしくニンゲンどもがクルマとかに乗ってその内に迎えに来るだろう。

 俺は道端に生えそろった草を摘まみ、飼い葉食ったら寝るか、と実入りの多かった今日という日に満足し、心地いい疲労感にスッキリした気持ちでニンゲン達を待つことにした。 

 

 

「―――良い子ですよ、基本的には。 でも暴走している間に篠田さんの所でサイモンと呼ばれていた理由を思い知りましたよ。

   いえ、ほんの少し、意思の伝達の馴らしの為に腹を突いただけなんです、それでこんな場所にまで暴走するなんて思いもしませんでした……え、はい、まぁ……そうですね……途方にくれましたね……色々と」

「ワイルドケープリ号に何事もなく良かったとしか言えません。 そして申し訳ないとしか。

  ええ、追いついた時にはまた太陽をじっと見つめて首を伸ばしていたんですよ。 悪びれないなコイツ、とも思いましたが我々もまた反省しなくてはいけないですね」

 

 申し訳なさそうにワイルドケープリを担当していた者はそう言って、しかし一つだけ言葉を付け加えた。

 

「もしかしたら此処で一番大成するのは、ワイルドケープリかもしれません」

 

            U 06

 

 

 付き合いのある生産牧場から、馬主を一人紹介され、馬を預かることになった。

 よくある経緯、よくある話で厩舎にやってきた馬は同年代と比べても馬体が雄大で、この時期でもう体重も500kgに届こうかというほどである。

 時折、大柄な2歳馬も出てくるが、とりわけその馬は大きく見えた。

 名はワイルドケープリ号。 

 幼駒の頃から見せた荒々しい気性と、太陽を見上げる癖があるということでエジプト神話の太陽神ラーから名前を付けたと馬主の柊氏に出会った時に話されたことである。

 馬と関わり合いを持ってから50年弱。 中央にこそ縁は無いが地方競馬で厩舎を開いてから40年。

 林田 巌調教師はワイルドケープリ号を最初に見て、実際に競馬を教える為に最初の調教を行った際に、なんて賢い奴なんだと唸った。

 人は馬を見る。

 そして、馬は人を見る。

 それは生まれてから育成を経て、競走馬となるため、そしてレースを走るまでに人を見るように教育されるからだ。

 人と生きる教育を終えると、いよいよ調教を受けて競走馬となる。

 調教師という役職を頂くものは、受け入れた馬を競走馬に仕上げ、レースを教え、競馬をできるようにするのが本懐である。

 しかし、これは。

 ワイルドケープリはもうすでにレースを走ることを分かっている。 そして受け入れている。

 身体が作り、ゲート訓練さえ終わっていれば、このまま出走登録をしても何も問題がないだろう。

 ワイルドケープリの初調教を終えて林田は自然と喉が音を鳴らし、その音に気付いた事で初めて息を呑んでいたことに気が付いた。

 こんな事は長らく続けた調教師としての営みの中で初めての事だった。

 毎日同じ藍色の帽子を目深にかぶり、特徴的な丸眼鏡と唇の端に切痕がある顔を上げてトラックにまで出ていく。 

 

「あれ、どうした、親父。 馬場にまで出てきて」

「駿、いや、まぁな」

 

 息子であり、林田厩舎で騎手をしている林田 駿は普段とは違う父親の様子に首を傾げてワイルドケープリから降りた。

 ワイルドケープリは初めて受ける調教に若干の汗を馬体に滲ませ、じっと林田親子を見つめている。

 

「どうだ、駿、こいつは」

「あ? いやどうって、初めて乗るし、特にどうって感想はないけど」

「そうか、まぁそうだな。 つまり、俺次第ってことじゃねぇか」

「は?」

「おい、駿。 ちょっとそいつは良く見ておけよ」

 

 息子を困惑させるような事だけ言い残して、林田巌は一度ワイルドケープリをじっと見つめると、そのまま馬場から出て行った。

 普段見られない調教師としての父親の行動に呆気に取られ、その後ワイルドケープリへと視線を向けると空を見上げていた。

 癖があるとは聞いていたが、本当にじっと空を見上げるワイルドケープリに駿は苦笑する。

 

「なんだ、変な奴だな……親父も、お前も……でも、期待していいのか?」

 

 林田 駿は今年で30も半ばに差し掛かる年齢である。

 騎手としては大柄な部類に入り、減量は厳しいが元々の体質ゆえに太る事もない。

 細身の顔に濃い目の顔、何処にでもいるような中年男性だ。

 JRAの中央に騎手として30歳まで所属していたが、成績も振るわず地方出直しを心に決め、転籍の手続きを行い父親が営む厩舎の専属となって騎手を続けていた。

 若くして手に取った栄冠は無く、同期の出世頭となまじ付き合いがあった分、上がってくる成績に苛み、意地を張り続けていた20代。

 面倒を見ていた後輩にも成績は軽々と抜けれて、結局のところ営業も騎乗技術にも差があることを受け止め、しがみつく事を諦めて中央から身を引いて5年の月日。

 守るべき家族が増えた事も相まって、燻る思いに折り合いをつけて、落ち着く事ができ始めた時期だ。

 自分の事だから明確に分かる、消えたはずの火種がチリついた感情にしばし襲われ、駿は頭を掻いた振り払った。

 

「……初めての調教だったから、疲れただろ。 親父にも言われたし、しばらく俺が面倒みるだろうから、よろしくな」

「ぶひん」

 

 ワイルドケープリは分かっているのか分かっていないのか。 短く鼻息を荒げて駿と共に馬場を後にした。

 

 

      ―――俺達は 命を 揺らしている

 

 

 ワイルドケープリは自身の思惑はどうあれ、小さな頃に聞いたブッチャーの残した言葉が、糧であり意思であった。

 それは他の誰でもない、ワイルドケープリ自身が無自覚にブッチャーへと憧れ、標としたことに起因する。

 だからこそ、ハヤシダキュウシャという場所で走る準備を始めるに当たって、ワイルドケープリのスイッチは完全に入った。

 あのぐるぐると回る場所でニンゲンを乗せて走る日が、もうすぐ来る。

 イワオと言うニンゲンは時折、ワイルドケープリの元へ訪れて何かを話す。 じっと見て、ワイルドケープリとの対話を試みていた。

 何を言っているのか理解はできるが意味は分からない、しかし『ワイルドケープリ』という存在を理解しようとしていたことだけは確かだ。

 そんなニンゲンは初めてだった。

 優しい印象を抱く者たちは居た。 高圧的に指示しようとした者も居た。 傍に寄り添って安心させようとしたトミオも居た。

 だが、自分を理解をしようとするニンゲンは初めてだった。

 ワイルドケープリは自然、期待を抱くようになった。

 ぐるぐるを回ることで全てが変わっていくのだと、ぼんやりと明るい未来を描いていたのだ。

 

 そして、俺はその日を迎えた。

 ノウリョクシケンを終えて、いつもチョウキョウで使う場所とは違い、そこはニンゲンが溢れていた。

 そして、俺達ウマはキュウシャのニンゲンに連れられてぐるりぐるりと同じ場所を巡る。

 あの箱で見た光景に、今、自分が立っている事にワイルドケープリは気付いた。

 生まれて初めて、ワイルドケープリは緊張を身体全てに走らせた。

 だから、彼は最初の一回ではブッチャーが言っていた言葉の意味を考えることすら出来ず、良く分からない内に全てが終わっていた。

 ワイルドケープリは自身を恥じた。

 たった一回走っただけで全てを理解できるとは思っていなかったが、理解する努力すらできないほど身を強張らせていたことに反省したのである。

 

「園田競馬第5レース、ダート1400、若駒たちが躍動します2歳新馬、まもなく発走です。 ……スタートしました、ややバラついたスタート。 クラウンハットが良い出足か、ワイルドケープリやや遅れて最後方です。

 いいスタートを切りましたがクラウンハット、ここは抑えました。 交わして鼻を取ったのはアビリティキッス、二番手クラウンハット、ゴウリキが続きます。

 少し開いてネイヨンリバー、その外ビビットンがいましてゴールドタワーがその後ろ、この辺りで先頭集団、2コーナに差し掛かりました。

 後方三頭目にフィリップリング、一馬身遅れてメシウマネーチャン、最後方にワイルドケープリ。 前で少し展開が動いたか、ネイヨンリバーがゴウリキに並びかけてゴールドタワーもやや速めの仕掛け。

 出遅れたワイルドケープリもスパートに入ったか、残り400、前目につけたアビリティキッスまだ先頭、クラウンハットと並んで粘っているが苦しいか。 

 最後方から追い込んできたワイルドケープリ大外から鋭い差し脚、ゴウリキもその内で伸びているが脚色が違う。 残り200、ワイルドケープリ、アビリティキッスクラウンハットの争いを尻目に楽々ちぎった。

 2馬身3馬身、まだ伸びている、これは決したか、ワイルドケープリ、二番手はゴウリキ、三番手にはスルっとメシウマネーチャンが伸びてきていますが、ワイルドケープリです、最後は後続突き放してワイルドケープリが一着です」

 

 デビュー戦はやや出遅れた物の最後は4馬身差。

 ムチすら必要なく、追い出しただけで突き抜けて快勝した。

 二度目のチャンスはそう時間を置かずにやってきた。

 同じ失敗はしないと、俺はブッチャーの言葉を胸に刻みながら、レースに望みゲートを飛び出した。

 走りながら、ワイルドケープリはレースを観察した。

 レース直後の空気と砂塵舞うダートコースの匂いと風景を瞳に焼き付け、脳に沁み込ませた。

 

「スタートしました! 各馬揃ったスタートです、出遅れはありません。

 先頭なにが行くのか、12番チューザードリームがいきそうか、6番ヨシンバリオンも前目につけそうです。 さぁ、最初のコーナーに入りまして先頭は12番チューザードリームです。

 殆ど差が無く内に④ヨシンバリオン、外⑤クジラマックス、1馬身離れて⑦ワイルドケープリ、その外①ナイトロウ、その後ろ⑮番クリームチップ、⑩イラシタラ、ゼッケン2番ハイホームランナーです。

 すっと動いて③デザイア、交わされたのが⑧ヒットマウンテン、14番ヤマダイチバン、13番ネイヨングルームが続いて、その最後方に⑨パカパカです。

 チューザードリームとヨシンバリオン、殆ど並んで2コーナーへ、追いかけて7番ワイルドケープリ、前三頭になるのか。 後続に3馬身つけて後ろは縦長の展開。

 5番クジラマックス、クジラマックスやや後退したぞ、ナイトロウがそのまま並んで交わし、1000m60秒2、少しペースが早いでしょうか。 2コーナー抜けて残り600を切りました。

 先頭変わって7番ワイルドケープリ、最後方から3番デザイア、9番パカパカがじわーっとペースを挙げて中団から前目を捉える勢い、400切って直線入りました。 さぁ先頭はワイルドケープリ、逃げ態勢です。

 ヨシンバリオン、追っているがどうか、これは苦しいか、ナイトロウ交わして二番手、外からパカパカ、その更に外からデザイアが猛追してますが先頭ワイルドケープリ、200を切りました。

 パカパカ二番手まで上がってくる、デザイアがナイトロウを交わして三番手か、ワイルドケープリ先頭はそのまま変わらない、ワイルドケープリ、追いすがるパカパカを突き放してこれは決まったでしょう。

 ワイルドケープリが一着で今ゴールです!」

 

 続く2戦目も5馬身差を付けての圧勝だった。

 シュンは機嫌が良さそうだった。 イワオは俺の周りをうろつく回数が増えた。

 3度目のレース。 スタートの場所、そして距離を意味するハロンボウ、レースの終わりとなる印、ニンゲンが集まる理由。

 掲示板に示される文字の意味、そして―――カネ。

 ワイルドケープリは理解が早かった。

 中団からウマ込みを捌いて視野に邪魔な奴らが消え去った。

 シュンは俺の上で手を挙げる。 

 4戦目、5戦目と続き、ハヤシダキュウシャのニンゲンだけじゃなく、多くのニンゲンが俺の近くで集まって騒がしくなった。

 ウマヌシは笑っていた。 カネの話もまた多くなった。 

 

 ほとんど全てを理解し始めた6度目のレース。

 

 

「デビューから5連勝、波に乗っているワイルドケープリ、一番人気です。 二番人気はグッドルック―――

 

 ―――直線向いて残り300、ワイルドケープリこのまま期待に応えられるのか、逃げを打ってそのまま直線へ後続とは6馬身ほど。

 タイラントショー内から突き抜けそうだ。 グットルックは馬群に沈んでいる、しかしワイルドケープリ、ワイルドケープリ後続を突き放す。

 これは強い、ワイルドケープリ追いすがる同期の追い込み馬をあざ笑うかのように逃げる逃げる、タイラントショーは脚が止まった! パカパカ二番手に繰り上がるが、ワイルドケープリ止まりません。

 ワイルドケープリ、怒涛の6連勝、前の競馬でも後ろの競馬でも他馬を楽々ちぎっていく。 物が違うか、ダートの新星になるでしょうか、ワイルドケープリ6連勝だ!」

 

 

      ―――変わらない。 

     なにも変わらないぜ、ブッチャー

 

 ワイルドケープリは色の無い世界に戻った。

 

 園田・姫路競馬場で2歳新馬から同期よりも明らかに強く映えるデビュー6連勝。

 いずれも馬身差は3馬身を越えて、これは強いとネット上でもチラホラと話題にあがるほどであった。

 確信に至ったか、ワイルドケープリを傍で見て来た林田巌調教師は、次走を南関東3歳クラシック路線を提案。 

 馬主の柊氏も同様に、グレード1競争である羽田盃を望み、ワイルドケープリは走ることが決まった。

 ワイルドケープリは勝てる、期待して頂いて結構です。 中央の馬を含めて上で勝ち負けできる力があるでしょう。

 馬主である柊に、林田巌調教師は強気にそう答えた。

 

 だが羽田盃にて、初めて5着となる敗北となった。

 ワイルドケープリにおいて初めての敗着であり、その結果は林田調教師を愕然とさせるに値した。

 

「ワイルドケープリは初めて見た時から、賢い馬だということがすぐに分かっていました。 つまり、悪いのは馬じゃありません、私が愚かだったのです」

 

 レース後の短いインタビューに林田巌はそう応えた。

 園田で厩舎を営んでおり、馬主の意向に従う以外で挑戦と呼べるローテーションを提示したことが殆どない。

 そんな男が自ら馬主に対して嘯いた、中央でも勝てる力がある馬。 ワイルドケープリという馬そのものを知ろうとした男はワイルドケープリという馬の強さを確信していた。

 だから長く調教師を務めてきた巌にとっても後悔の残るものであった。 確信してしまったから。 気付いてしまったから。

 賢すぎる馬で、気付きすぎる馬だったからこそ、林田巌は分かった。

 

      ―――ワイルドケープリのスイッチは、もう入らない。

 

 華々しいデビューを飾り、園田で怪物誕生かと、頭角を表していたワイルドケープリは好走はしても敗着を繰り返すようになり、世間からは次第に忘れられるようになっていったのである。

 

 

 

 

 

 

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