連日のように、二人の携帯電話に着信が相次ぐ。
いちいちそれに対応するのも面倒だし、本部に出向いて直接話し合いたいと思わなくもなかった。ただ、ムーヴォを置いて外出することには一定のリスクが伴う。万が一、彼女が元々の無貌として復活を遂げてしまうようなことがあったら、ツカサとカイリの管理責任が問われるからだ、
あれから彼らは、ムーヴォと一緒に三人で、仮の家族として新生活をスタートさせている。住んでいたアパートと女子寮から、少し広めのマンションへ引っ越した。なお、その際の費用はBL警察が負担した。
すやすやとお昼寝しているムーヴォをよそに、今回はカイリが電話対応をしている。
「それで? 上は何て言ってるんだ?」
『俺やサクヤ、トウマとウミカは概ね賛成だ。記憶を失った少女を殺すなどというむごい真似をするのは気が進まないし、しばらく様子を見てもいいと思う。しかし、お偉方の中にはいまだに納得していない者もいる』
ケイイチロウが電話の向こうで苦い顔をしているのが、目に浮かぶようだった。
『無貌は、これまでに起きたすべての事件の黒幕だ。奴が原典の力を支配し、高次元生命体を操り、侵略戦争を仕掛けてきた。処罰を保留して経過観察とは甘すぎるのではないか、との声もある。少しでも危険性があるのなら排除すべきだ、という声もな』
「まあ、気持ちは分からなくもねえけどよ。俺たちが今考えるべきは、なぜ無貌はそんなに力を求めたのかってことじゃないのか」
ソファベッドでごろんと横になったムーヴォは、「ははとおでけけ、たのしい~」と寝言を言っている。こんな小さな子が、どうしてあんな風に成長してしまったのだろう。
『確か、環境汚染された世界から移住する先を探すため、武力で他の世界を攻めようと考えたんだったか』
「何て言うか、ストイックすぎる気がするんだよな。普通、力を得るために自分を虚無に近づけるとか、そこまでやらねえだろっていうか。無貌を突き動かしていたものは、他にあるんじゃないか」
『心当たりがあるのか?』
「いや、全くない!」
カイリはきっぱりと言い切った。
「でも、これから突き止めてみせるさ。そうすれば、ムーヴォが悪い方向へ成長する未来も回避できて、全部解決するだろ」
ほどなくして通話を終了し、カイリはムーヴォの元へ戻った。側では、ツカサがその可愛らしい寝顔を見守っている。
「幸せそうに寝てやがる」
「何か、楽しい夢でも見てるのかしらね」
まるで本当の夫婦のように、二人は微笑み合った。
ツカサとカイリは、ムーヴォがどんな夢を見ているのか知らない。たとえそれが、自らの前世に関するものだとしても。
元々、彼女はごく普通の超次元生命体だった。特別な力は何も持っていなかった。性格は穏やかで家庭的。戦士として忙しい日々を送る夫を支える、献身的な妻だった。
「原典無し」が早川裕介に与えた情報によれば、超次元生命体は「空に浮かぶ雲みたいに、決まった形を持たずにのんびり生きとった」らしい。が、高度な知能を得るため、人型に近い姿を取る者も一定数いた。原典のイメージ付与が行われたのちは、元ネタのヒーローがほとんど全員人型だったため、人型に変化する者の数は数倍に増えたという。
この頃の彼女は、まだ「無貌」という名前を持たなかった。名はレベッカ。夫はルーカスといった。
ある日、ルーカスは支配層からの命を受け、異なる次元に存在する世界の一つ――人間界を視察しに行くことになった。目立たぬよう、部隊はなるべく少人数で編成するとのことだった。
当時、超次元界を統治していたのは貴族たちであった。日本の江戸時代のような身分制度が根強く残った社会で、身分が上の者の言葉は絶対。逆らうことは決してできない。
「危険だわ。未知の世界へ行くのに、ほんの数人の仲間しか連れて行けないなんて」
にもかかわらず、出発の日、レベッカはルーカスを引き止めた。シャツの袖を掴み、目を潤ませ、必死に訴える。
「……わがままな女だと思われるかもしれないけど、私、貴方には行ってほしくない。任務を断って、超次元界に残ってほしい。お願いよ」
「心配するな、レベッカ。俺なら大丈夫さ」
妻の手を優しくほどき、ルーカスは朗らかに笑った。
「何も、原住民とやり合うわけじゃない。今回の任務は、移住先の世界の候補の一つとして、人間界を視察するだけだ。観光旅行みたいなものだよ。俺たちはただ、原住民の姿をコピーして社会に溶け込み、数日間過ごせばいい」
「でも……」
「それに、俺たちに与えられたのは、名誉ある任務なんだ。荒廃し、住める土地がほとんどなくなった超次元界からの移住先を探すことはすなわち、超次元の民の未来を切り拓くということでもある。俺たちの肩に、この世界の行く末がかかっているのさ」
レベッカを抱きしめ、口づけを交わした後、ルーカスは「行ってくるよ」と手を振って出発した。大気汚染から身を守るために造られたシェルターを離れ、防護服を纏って歩き出す。
これが妻との今生の別れになるとも知らずに、ルーカスは王宮を目指した。