「落ち着いて聞いて下さい」
険しい表情で、医者は言った。
「ムーヴォちゃんは、無貌ではないかもしれません」
「……えっ?」
ツカサとカイリは、きょとんとして顔を見合わせた。
話は二時間前に遡る。
「ムーヴォは無貌の幼少期の姿に違いない」という考えでムーヴォを保護した二人だったが、BL警察上層部には慎重な意見もあった。「その仮説は本当に正しいのか」と疑問を呈する者もいた。そこで、一度反対派にきちんとしたデータを提出しておこう、ということになったのである。
ムーヴォ本人には「健康診断に行くわよ!」と言い、実際は(ついでに健康診断もやったが)病院で精密検査を受けさせた。ツカサとカイリは今、その検査の結果について医師から話を聞いていたところだ。
なお、二人が席を外している間は、ケイイチロウとサクヤ、トウマとウミカがムーヴォの子守をしてくれる手はずになっていた。もし何かあっても、あの四人なら大丈夫だろう。
「無貌じゃないかもしれないって、どういうことだよ」
「彼女の血液を調べたところ、性癖王のカードや無貌の残した灰に含まれていたのと同一の遺伝子情報は、全体の約五十%ほどでした。残りの半分は、誰か他の、男性の超次元生命体の遺伝子情報のようです」
カイリの問いに、医者はよどみなく答える。
「待てよ、ということは……」
「はい。ムーヴォちゃんは、無貌が他の超次元生命体との間にもうけた、子供である可能性があります」
人間界のヒーローたちには知るよしもなかったが、レベッカは記憶を失う前、生まれるはずだった子供の復元プログラムを用意していた。自分の命が消えるとき、その最後の輝きを使い、五枚のカードを依り代として我が子の遺伝子情報を構築するプログラムだ。
(貴族たちに復讐を果たせたとしても、失われた夫や子の命が戻るわけではない。その上、私の記憶もなくなるでしょう。せめていつの日か、子供に新しい命を与えられたら……)
そんな思いを胸に秘め、レベッカは全てを捨てたのだった。ネトルトに指摘されるまでもなく、彼女自身、復讐の虚しさを理解していた。
名前が無貌に似ていたこともあって勘違いしていたが、ムーヴォは無貌の娘だった。
「無貌が幼少期の自分を復元した」のではない。「無貌が我が子を、もし生まれていたら今頃このくらいの年齢になっているだろうという成長レベルで復元した」が正しい。
もちろん、ツカサたちは無貌の夫・ルーカスのことも知らないし、無貌がどんな思いで子供を復元したのか正確に理解したわけではない。ただ、「彼女もかつては普通の超次元生命体だったのかもしれない」「愛し合った存在がいたのかもしれない」程度の把握はできた。
ちょうど、今の自分たち二人が寄り添っているように。
「おかしいとは思っていたんだ。仮に自分を復活させたとしても、こんなに幼い姿じゃ戦うこともままならない。何のために蘇らせたんだろうってな」
そんなに驚いた様子も見せず、カイリはうんうんと頷いた。
「無貌の遺伝子が半分しか含まれていないって伝えたら、上層部も少しは安心してくれるかしら。……まあでも、誰の子だろうと、遺伝子がどうだろうと、ムーヴォちゃんはムーヴォちゃんだけどね。これからも、うちで育てるつもりよ」
台詞の後半からフレッシュな笑顔を弾けさせ、ツカサも前向きな意見を述べる。
ありがとうございました、と一礼し、若いカップルは診察室を後にした――否、現状を鑑みて「夫婦」と言うべきだろうか。
「俺、とりあえず上に連絡しとくよ」
「ありがと! あたしは……そうね、ムーヴォちゃんについて情報提供してくれた人にも、一応お礼をしておかなくちゃ」
待合室でムーヴォと再会を果たす前に、今後の方針を簡単に決めておいた。
無貌が育てることの叶わなかった子供は、二人の元へやって来た。ある意味、責任重大である。
尊い命が二度と失われることのないことを願いつつ、ツカサとカイリの育児は続く。
早朝のランニングも、今やすっかり日課になっている。
名古屋某所。いつもの河川敷を、早川裕介は軽快に走っていた。
河川敷は良い。信号がないから、走りを中断させられることがない。道幅が広いから人とすれ違うときにぶつかる心配もなく、自分のペースで走れる。
(……嫌なことを思い出しちまったな)
あの日も、このコースを走っていた。ランニング中に原典無しと出会い、そしてアマエマックスの攻撃を受け、彼が命を散らした日だ。原典無しを守れなかった悔しさと無力感に涙した裕介は、厳しい修行を経て「BANG・解」を習得。強敵たちと戦い、勝利し続けてきた。
(けど、決して忘れてはいけないことだ。俺が強くあるために)
そうして自らを意識的に奮い立たせないと、最近の裕介は何事にもいまひとつ身が入らなかった。
かつて彼は、女にモテることを目標にしていた。そのために他人の真似ばかりしていたら志穂怜奈にフラれ、失恋をきっかけに自分らしく生きることにした。オリジナリティーの探求が始まった。
しかし、今の彼はどうだ。来部美明日という恋人を得た時点で、女にモテる目標は達成されている。社会の中で自分が果たすべき役割に、誇りも持っている。修行の末に自力で「BANG・解」を会得したことも、一種のオリジナリティーと言えるかもしれない。
既に目的は果たした。毎日の仕事にやりがいも感じるし、「オリジナリティーを追求しなければ」という焦りは特にない。
「その仕事は君にしかできないのか。他にもできる人はいるのではないか」と尋ねる人もいるかもしれない。社会を構成する部品、歯車の一つに過ぎないと言われれば、そうかもしれない。だが、だとしても、今この瞬間に目の前のタスクを片付けられるという意味では、仕事は一種のオリジナリティーになり得る。カフェ店員の仕事も、オメガ珈琲シルバーとしての救助活動も、充実していた。
(……俺も、相応に歳をとったってことなのかな)
作家を志す類の人間は、年齢を重ねると小説を書けなくなることが少なくないという。それも、技術的に衰えたから執筆できなくなるのではなく、小説を書くモチベーション自体がなくなってしまうのだとか。
このご時世、文筆業だけで飯を食える人間はほんの一握りだ。大半の作家は、サラリーマンとして働きながら執筆している。やがて結婚して家庭を築き、社内で責任ある地位につき、自分が背負うものが増えてくると、「書きたくない」と感じる人も出てくる。
暇な時間を持て余している学生のうちは、まだ良い。創作をしている学生の多くは、表現してみたい世界がたくさんあって、社会に対して言いたいことも山ほどある。自己表現をしたくてしょうがない。
けれども、歳をとると話は別だ。平凡だが幸せな家庭を持ち、会社でも人並みに出世して、だんだんと自分の人生に満足してしまう。「もう、良いんじゃないか」と思ってしまう。小説を書くという作業には、物凄いエネルギーを使う。そんな大変な思いをしてまで、書き続けることはないんじゃないか。私は私の人生に満足しているし、世の中に大して言いたいことも特にない。自分らしさを表現し続けるのにも疲れた。仕事と育児で、体力的にもちょっとしんどい。もういいや、と思う。
早川裕介はまだ二十代だが、歳をとった作家の心境に似た、やや老成した思考を持つようになっていた。つまり、自分の人生にある程度満足しかけていた。
(もう、良いんじゃないか? 無理に自分らしさを求めなくたって……)
もちろん、恋人を得たからと言ってそこがゴールではない。自分磨きを続けることは必須だろうし、より良い関係を模索しなければならない。が、今の裕介はオリジナリティーへのこだわりをなくしつつあった。
BL警察のツカサから着信があったのは、そんな折だった。
参考にした作品
・「響(ひびき)~小説家になる方法~」