ある日、ヒョウガは電車に乗っていた。大学からの帰り道だった。
ドアの側に立っていると、駆け込み乗車してきた女性がどしんとぶつかってきた。
「あんっ♡」
狐みたいに細くキュートな目をより一層細めて、彼女は小さく声を上げた。一七〇センチ弱ある長身の彼女の胸が、ヒョウガの胸の少し下、鳩尾の辺りに押し当てられる格好になっている。
が、幸いにもこの日の車内は比較的空いていた。身動きが取れないほど混雑してはいない。彼女は慌てて体を離すと、顔を赤らめた。
「ご、ごめんなあ、お兄さん。大丈夫やった?」
「いえ、全然」
イントネーションは関西寄りだった。カールした毛先を指で弄ぶ仕草にも、何となく見覚えがある。というか、全体的に既視感しかない。例えるなら、連続ドラマの最新話で「前回のあらすじ」が流れるのを見ているような感覚だ。
百合レンジャーvsBLレンジャー、前回の三つの出来事! 一つ、女子高生やお姉さんに化けた詩絵・リンダが、ヒョウガに接触。二つ、ヒョウガは詩絵・リンダの正体を見破り、戦いを挑む。そして三つ、ヒョウガが誤って詩絵・リンダを撃ってしまった! いや、誤ってはないな。狙って撃ちました。
まあ前回はそんな感じだったわけだが、それとほぼ同じような展開が今も繰り返されているのはどういうことだろう。
(……詩絵・リンダは実は生きていて、再度接触を試みたとか?)
さすがにあり得ない。一度見破られた変装を懲りずにやるほど、敵も馬鹿ではないだろう。
「つかぬことをお尋ねしますが、もしかして詩絵という名前の方ですか?」
恐る恐る聞いてみたところ、高身長グラマーお姉さんは頭上に疑問符を浮かべた。
「誰かと間違えとるん? うち、サヤって言うねんけど」
「サヤさん、ですか。失礼しました」
別人か。しかし、なぜ詩絵・リンダの化けていた姿と瓜二つの外見なのだろう。真相を知るため、ヒョウガは不自然にならない程度に探りを入れてみた。
「俺、ヒョウガって言います。この近くの大学で動物科学を専攻してます。サヤさんもこの辺にお勤めなんですか?」
「ううん。うち、今は無職なんよ~」
全然深刻そうではない声のトーンで、にへら~と浮かべる笑顔が可愛くて癒される。
そういえば、平日の昼間だというのにサヤはスーツ姿ではない。ゆったりしたデザインの私服を着ている。露出度は決して高くないのに、元々スタイルが良いからか女性としての魅力が全く損なわれていない印象を受ける。会社勤めをしていないというのは嘘ではないのかもしれない。
「うち、バツイチでなあ。歳の離れた人と結婚したんやけど、半年前に先立たれてしもて。お金目当てで愛のない結婚をしてしまったことも後悔しとるし、あの人の愛に十分に応えてあげられんかったことも後悔しとるんよ。そんなこんなで専業主婦から無職になってもうて、職探し中や」
サヤは身の上話を続けたが、内容は詩絵・リンダの口から聞いたものとほとんど同じだった。夫はサヤが自分を真に愛していないことに薄々気づいていたが、不平一つ漏らさなかった点。愛情に乏しい結婚生活だったけれども、その中で徐々に夫のことを愛しく思い、想いをきちんと伝える前に夫が亡くなったという点も共通している。
唯一違うのは、サヤに年下好きの性癖がないという点だった。少なくとも尋常でない距離の詰め方はしてこない。
(そうか。サヤさんが詩絵・リンダに似ているんじゃない。詩絵・リンダがサヤさんの姿を模倣していたんだ)
しばらく彼女を観察して、ヒョウガはこういう結論に至った。
先輩方から「超次元生命体は姿を自由に変えられる一方で想像力に乏しく、別次元の存在を真似てばかりいる」と聞いたことがある。詩絵・リンダは確かに変身能力を有していたが、あの姿は彼女自身がデザインしたのではなく、実在の人物をコピーしていただけだったのだ。男にとって都合の良い設定をちょっと足して、ヒョウガを誘惑するために。
たぶん、女子高生の方にもコピー元の人間がいたんだろう。できればメスガキ要素がない人だと良いな、とヒョウガは思った。
「そうですか。じゃあ、結構大変な状況なんですね」
「うーん、実を言うと、金銭的にはしばらく大丈夫そうなんやけどね? ほら、うちも一応、元夫の財産の一部を相続しとるから。ただ、ずっとこのまま働かずに生きていくわけにもいかんし、どないしょうかなて」
「だったら俺、紹介できるところあるかもです。大学で事務員さんが足りないらしくて、この間募集をかけていたんで。給料は割と良さそうでしたよ」
「ほんまに⁉」
サヤは目をキラキラ輝かせ、ヒョウガの手を緩く握った。思わずどきりとした。
「嬉しいわあ。もし時間大丈夫そうやったら、案内してくれへん?」
「も、もちろんです!」
熱を帯びた視線で至近距離から見つめられ、青年は頷いた。
「いやあ、ほんまに助かったわあ。ありがとうなあ」
「いえ。俺はただ、サヤさんを大学まで連れて行っただけですから」
小一時間後。二人は学生街にあるカフェのテラス席で、珈琲片手に談笑していた。オメガ珈琲の系列店だった。
学内を案内し、職員の募集要項が置かれているスペースまで連れて行くと、サヤから感謝感激された。やや強引に「うちに奢らせて♡」と言われて断れずに、現在に至る。
本当ならもう既に帰宅しているはずの時刻だったが、今日はバイトもサークルの用事もあるわけでなく、特に問題はなかった。むしろ綺麗なお姉さんと過ごせて楽しく感じた。
「でも良かったわあ。なかなか就職先が決まらんくて悩んどったんよ。面接も連戦連敗で、こうなったら株と仮想通貨で稼ぐしかないかとまで思い詰めとったわ」
「思い詰め方のクセがすごいっすね……」
しっかり者に見えて、この人意外とポンコツなのかもしれない、とヒョウガは思った。そういうギャップは嫌いじゃないけども。
「もしうちが事務員に採用されたら、学校でヒョウガくんに会えるかもしれんね。楽しみやわあ。おーい、って手ぇ振ってまうかも」
「恥ずかしいからやめて下さいよ」
ヒョウガが照れ気味に頭を掻く。
「え~? でも、うちにとって君は恩人やしなあ。とてもじゃないけど、珈琲一杯奢っただけで返し切れる恩やないわ」
いつか、もっと「お返し」させてや――会計を済ませて店を出るとき、彼女はそう囁いた。
詩絵・リンダ版のとき以上の破壊力だ。青年は赤くなった。