以下は、ルーカスたちが人間界への視察へ赴く以前の出来事である。
「お願いだにゃ、ダレン! 私をチャイナシティへ連れて行ってほしいにゃ!」
小柄でスタイルの良い女性に土下座して頼まれたので、ダレンはすっかり弱っていた。
何しろ、ここは平民用居住区の中心にある市場。通りすがる人々が、何事かと視線を投げかけてくる。
しかもダレンは、妻エリザベスを連れて買い物に来ていたのだ。妻が見ている前で、他の女性と遊びに出かけるなんて芸当は彼にはできない。たとえ、相手が仲の良いご近所さんであっても。
「チャイナシティは超次元界の東端にあってめちゃめちゃ遠いから、事実上、自由にゲートを開ける貴族専用の観光地と化してるんだにゃ。平民の私だけでは、生きているうちに一度行けるかどうかってところだにゃあ」
「顔を上げてくれ、キャサリン。……で、私に『本当にどこにでも行けるドア』を開いてもらえたら都合が良いというわけか」
平民のエリザベスと結婚した際、ダレンは貴族の居住区を引っ越し、エリザベスの実家に近い平民用居住区へ移っている。その新居のお隣さんがキャサリンだった。マイブームがせわしなく変わる変人気質ではあるものの、ご近所付き合いは良好である。ちなみに、最近は猫にはまっているようだ。語尾まで猫っぽい。
「それだけじゃないんだにゃあ。今なら何と、カップルで入場すると料金が半額! 明日だけでいいから、ダレンとカップルのふりしてチャイナシティで豪遊したいんだにゃ!」
「欲望に忠実だな、貴様は」
やれやれ、とダレンは肩をすくめた。どうしたものだろうか。
チャイナシティとは、人間界のいわゆる「チャイナタウン」を模して、金持ちの貴族が辺境に建造した街だ。超次元界版の横浜中華街みたいな感じ。
ただし、誰でも入れるわけではない。さっきキャサリンが言っていたように辺鄙な場所すぎて、「本当にどこにでも行けるドア」は必須だ。入場料も決して安くはない。平民のキャサリンにとっては、行くのは夢のまた夢みたいなところである。お隣に引っ越してきたダレンが元貴族だと知って、彼女が飛びつく気持ちも分からなくはない。
「ダレン様。明日はお休みなのでしょう? 私のことはお気になさらず、行って来て下さいませ」
困っているダレンを見かねてか、エリザベスが助け舟を出した。一見にこやかに微笑んでいるようだが、目が笑っていない。
「そうか? では……」
「ただし、くれぐれも変な気を起こさないで下さいまし」
自分というものがありながら、休日に他の女と二人きりで出かけるとは――彼女の不安は理解できた。明日はお土産をたくさん買って帰って、機嫌を直してもらわねばなるまい。
「付いて来てくれるにゃ⁉ やったー!! ありがとにゃん」
「うふふふ。二人でどんなことをしたのか、明日ダレン様の口から聞くのが楽しみです。うふふふ」
ガッツポーズしているキャサリンから熱っぽい眼差しを、妻からは冷ややかな視線を向けられて、ダレンは精神的に疲れた気がした。
そして、当日になった。
ゲートを開いたダレンの先導で、チャイナシティへ向かう。桃色の扉を抜けた先には、赤い中華風の門が立っていた。門の前に下級貴族らしき男性がおり、訪れる超次元生命体から入場料を預かっている。
「カップルでのご入場ですか?」
「見ての通り、正真正銘のカップルだにゃ!!」
食い気味に答え、キャサリンが本来の半額の料金を払った。既にご満悦の様子で、ダレンに腕を絡めて楽しそうにしている。演技なのだろうとは思いつつも、ダレンは少し気恥ずかしかった。
入場してすぐに「ちょっと待っててにゃ」と言って、彼女は衣装レンタルの店に消えた。約十分後、チャイナドレスに着替えて出てくる。
コスプレが趣味だとは聞いていたし、「現地でチャイナ服を着てみたい」とも昨日言っていた。露出多めの際どいのが出てくるかも、と危ぶんでいたダレンだったが、はたしてキャサリンが選んだのはほとんど肌を出さないデザインのもの。淡い緑色のドレスに身を包んだ彼女は幻想的で、まるで妖精のような美しさだった。
髪も、中華風におだんごにまとめている。扇子片手に決めポーズを取ってみせ、キャサリンは「どうかにゃ?」と小首をかしげた。
なお、超次元生命体は姿を自在に変えられるが、全く見たことないものをコピーすることはできない。ゆえに、チャイナ服のような超次元界で珍しい衣装を自力で真似るのは難しく、衣装レンタルに頼ることになる。
「良く似合っているぞ」
「本当⁉」
エリザベスのこともあるため控えめに褒めたつもりだったけれど、キャサリンは目に見えて喜んでいた。頬に朱が差し、嬉しそうに微笑む。
「やったあ。今日はあっちこっち連れ回しちゃうから、覚悟してにゃ!」
「ああ。多少のわがままなら聞こう」
隣を歩く彼女は、いつしか手を繋いできた。寒い日で、その手が冷え切っているのを感じたため、ダレンもあえて拒もうとはしなかった。