ダレンもその場を離れようとしたのだが、路上に何か、青い塊のようなものが落ちていることに気がついた。もしや、さっきの羅刹とかいう奴が使用していた原典のエネルギー体ではないだろうか。変身解除したときに落としていったのかもしれない。
「……さっきの連中、原典のポテンシャルに使い手自身の力量が追いついていなかったな。もったいないことをする」
回収すべきかどうか逡巡していると、通りすがりの男性がそれを拾い上げ、懐に収めた。
「こんなものでも、いつか使い道はあるだろう」
独り言ち、何食わぬ顔でまた歩き出そうとする男を、ダレンは「おい」と呼び止めた。
「原典は貴族階級が管理している。勝手に拾ったりして、大丈夫なのか」
「心配するな、俺は元貴族だ。今は平民だが、貴族だった頃の伝手がある。そいつに渡しておくさ」
「そうか。なら良いのだが」
実際のところ、男の言ったことは大嘘である。彼は「ラセツ」の原典を長い間ストックしていたばかりか、人間界の若者に与え、最終的にはその若者の命を奪ったのだから。
「ちょうど、その原典の処理をどうすべきか迷っていたところだ。手伝ってくれて感謝する」
ダレンが差し出した手を、男はしげしげと眺めていた。ややあって、思いの外強い力で握手が交わされる。
「私はダレンだ」
「……俺はルーカスだ」
どこか不敵な印象を与える笑みで、ルーカスと名乗る男は言った。
「なあ。手伝ってやった礼に、一つ知恵を貸してくれないか」
「何だ」
「……もしも、自分の心の最も深い部分を、自分の最も愛する人が受け入れてくれなかったとしたら、お前ならどうする?」
「何か、人間関係に悩んでいるようだな」
少し考えてから、ダレンはこう返した。
「すべての命は、皆少しずつ違っている。それが当たり前だと私は思っている。無理にすべてを受け入れてもらわなくても良いのではないか?」
彼の言葉からは、妻エリザベスへの深い愛情が感じられた。彼女と結婚してしばらく経つ。お互いの価値観の違いなど、相容れない点も多少はあっただろうが、今でも夫婦円満だ。
それは同時に、性癖「死体嗜好症」を隠して妻と生活していることへの後ろめたさや諦めを孕んでもいた。が、本人以外がそれを知るすべはない。二人の会話を聞いていたキャサリンは、ただダレンとエリザベスの強い結びつきを痛感するばかりで、胸がぎゅっと締めつけられた。
「……模範解答だな」
皮肉っぽく吐き捨てるルーカス。
「だが、それでは俺の心に空いた穴は埋まらない」
どういう意味なのか、とさらに問い詰めようとしたときには、男は集まってきた野次馬の中に溶け込むようにして消えていた。羅刹たちが暴れたのが騒ぎになり、ちょっとした人だかりができていたのだ。
「私たちも早く帰ろう」
キャサリンの手を引いて、ダレンも歩き出した。
「ごま団子は食べられそうにないが、代わりに杏仁豆腐でもどうだ? お土産に持って帰れば、エリザベスもきっと喜ぶ」
「……そうだにゃあ」
彼女が拗ねたような表情を浮かべていることに、気づかないまま。
杏仁豆腐の店に行き、街の東西南北に設置された中華風の門を一通り見て回って、小一時間が過ぎた。観光スポットらしきところは、大体見終わったはずである。
「お土産も買えたし、そろそろ帰ろうか」
金の装飾が付いた桃色の扉を、ダレンが顕現させる。このゲートをくぐれば平民用居住区に戻り、チャイナシティで二人で過ごす時間も終わってしまう。
もう少し一緒にいたい。
その台詞が喉まで出かかっていたのを呑み込み、キャサリンは無理に笑顔を作った。
「今日は助けてくれてありがとにゃ。またね!」
どことなく、悲しそうな笑顔だった。
お隣に越してきたダレンは、キャサリンに何か困りごとがあるとすぐに助けてくれた。優しくて誠実で頼もしくて、変人扱いされることが多い自分にもごく普通に接してくれた。
分かってはいるのだ。それだけ人格者であり、魅力ある男だから家庭を持っているのだと。でも、分かっていても、だんだん彼に惹かれていく自分の心を止めることができない。どうしようもなく、好きだった。
彼と一緒に買って帰った杏仁豆腐は、甘いはずなのにちょっと苦く感じた。
ダレン、キャサリン、そしてルーカス。すれ違うような形で三人が居合わせたチャイナシティに、蠢く影があった。
「……かなりの戦闘力を秘めていそうな連中だ。今度の調査部隊のメンバーとして徴兵するのに、ちょうど良いかもしれない」
建物の陰に身を隠し、貴族ネトルトは手帳に何か、素早く書きつけた。
このとき既に決意を固めていたルーカスに、ネトルトが人間界行きの機会を与えてしまったことがきっかけで、雪山の惨劇が起こる。
だが、それは少し先の出来事。今はまだ、超次元の民たちは束の間の平和を満喫していた。