「……なあ。さっきまでいたところと全然違うんだが」
不機嫌そうに露鬼が漏らす。
一行が降り立ったのは城壁に囲まれた小都市などではなく、大自然のど真ん中であった。見渡す限りの森。眼前に屹立する、恐ろしく背の高い樹木を筆頭に、草木が生い茂っている。
「ごめん。間違えちゃった。」
例によって感情の起伏に乏しい顔つきで、エルフの魔法使いは謝った。
「でも、おかしいな。さっきは確かにこの木が一番高いと思ったのに、今見るとそうでもない。」
「遠近法という名の魔法のせいじゃないですかね」
クヴァルがため息をつく。
「一度、飛行魔法を使いましょう。上空から見れば、間違えることもない」
「そうだね。」
こくりと頷き、フィリーレンは魔法を発動した。ぐんぐん上昇し、やがてある一点を見つめて静止する。
「飛び抜けて高いのが一本ある。あれが、クヴァルが魔法をかけたやつだね。」
地面に降りてくると、電球頭の怪人に優しい微笑みを向けた。
「やっぱりクヴァルはすごいよ。他の魔法使いとは比べ物にならないくらい、高い木を育てていた。」
「あの葬送のフィリーレンにお褒めの言葉をいただくとは、ありがたき幸せ」
「遠近法に騙されなければもっと良かったんだがな……」
クヴァルはまんざらでもなさそうに、露鬼は複雑な表情で、各々リアクションを返した。
「さあ、行こうか。」
二人を連れて、エルフの魔法使いは元気に歩き出す。
長距離を移動するだけが目的なのであれば、飛行魔法で一気に飛べば良い。しかし、それでは「レジスタンスの情報を集める」という目的を果たせない。急がば回れ、地道にのんびり歩いていくのが一番良いのだ。
「他にもあれだけの数の木が育っていたということは、やっぱり超次元界にはまだまだ私の知らない魔法系の原典があるんだね。使い手だって大勢いる。楽しみになってきたよ。」
魔法が込められたカードがガセネタだったという失望はどこへやら。未知の魔法系原典に胸躍らせ、エルフは今日もまたコレクター魂を燃やすのだった。
露鬼とクヴァル、頼れる二人の仲間を引き連れて。
本人たちは気づいていない様子だが、一行は今日、レジスタンスの協力者「百合・BLレンジャー」のメンバーと一瞬すれ違っていた。人間界に行くのは寄り道のようで、意外に近道だったのかもしれない。
彼らの道が交わるのは、まだしばらく先のことだ。
ちなみにこの後、フィリーレン一行は元いた街に戻るために三日三晩を費やすことになる。思ったよりも距離が遠かったのだ。
だが、それはまた別のお話。
奇妙な巡り合わせの三人の旅は、これからも続く。
オメガ珈琲本店。その休憩室に、早川裕介は呼び出されていた。机を挟み、相手と向かい合って座る。
「話というのは何ですか」
「うむ、それはだな」
彼を呼んだ張本人、久保社長は小さく咳払いをし、告げた。
「今度新しくできる店舗で、君に店長職をやってもらおうという話が持ち上がっていてね。早川君はうちで働いて長い。経験豊富だし、そろそろキャリアアップを狙ってみても良いんじゃないか?」
「俺が店長ですか……」
いきなりの提案だったため、裕介は面食らった。色々言いたいこともあったのだが、社長は彼が反論する前に続けた。
「オメガ珈琲シルバーでもある君は、店に在籍しているだけで集客の要になる。事実、ここ本店もずいぶん助けられてきた。だが、だからこそ、早川君にはあえて新店に行ってほしいんだ」
「なぜです? 俺が抜けたら、本店の客足が落ち込んでしまうって可能性はあるんじゃですか?」
矛盾したような発言をする久保社長の思惑を、彼は読めていない。
「心配は無用だよ。喫茶店でもラーメン屋でも何でも、本店というのはそれだけで客が来るものだ。シルバーが去ったとしても、オメガ珈琲本店はきっとやっていける。早川君には新店の立ち上げを任せて、最高のスタートダッシュを切ってほしいんだよ」
「確かに、通な人は本店にも絶対来ますよね」
「だろう? ……あ、そうそう。もちろん店長手当ては出す。給料大幅アップだ。どうだい?」
社長は裕介の顔を覗き込んだ。一旦話が途切れたのを幸いと、裕介が反論をスタートする。
「店長を任せていただけるのはありがたいんですけど、俺でいいんですか? だって俺、やっぱりオメガ珈琲シルバーで、ヒーローの端くれですよ。何かあったら出動しないといけない。その場合、店をほったらかしにせざるを得なくなるかもしれません」
「その点はちゃんと考えてあるよ。――ほら、おいで」
不意に、久保社長が後ろを振り向いた。掃除用具入れとして使われているロッカーの金属製の扉が、内側から勢いよく開け放たれる。
「び、美明日⁉ 何でそんなところに隠れてるんだよ!」
「私なりのサプライズよ」
ポニーテールの眼鏡美人は、ミステリアスな微笑みを浮かべた。関係者以外立ち入り禁止のはずの休憩室に、なぜ彼女がいるのだろう。まるで分からない。
「隠していてごめんね、早川君。びっくりさせようと思っていたの。実は私、戦いがひと段落してから、オメガ珈琲系列の他のお店でダブルワークでバイトしていたの。それで能力が認められて、もし早川君が店長になるのなら、私がバイトリーダーとして副店長ポジになってもいいって」
「急展開すぎだろ……」
まあ、頭脳明晰な彼女が仕事できるのは間違いないし、あり得ない話ではないのだけれども。
「てか、美明日は大学の非常勤講師やってるんだろ? 収入的にはダブルワークしなくても問題なさそうだけどな」
「そうでもないわ。最近はオンライン授業が増えたせいか、少し安定しないのよ」
「……ツッコミどころはまだあるぜ」
一つ解決したと思ったら、新たなツッコミどころが出てくる。何か一つできても、またすぐ目の前に分厚い壁がある。悔しい。
「そもそも、俺が出動するときは大抵、美明日も出動してるだろ。副店長として補佐するってスタンスが成立しなくね?」
「大丈夫。ネトルを留守番させるわ」
「――私を何だと思ってるのよ⁉」
さすがに聞き捨てならなかったのだろう。美明日から分離したネトル本人が、頬を膨らませて猛烈に抗議した。美明日が普段白系の服をよく着ているのに対し、彼女は真っ黒なワンピース姿なので区別しやすい。
「まあまあ、落ち着きなさい。私の策は三段構えなんだ」
だいぶカオスな状況になりつつあった場を収めようと、久保社長が声を掛ける。
「早川君の代打は美明日さん、美明日さんの代打はネトル、そしてネトルの代打は、新店で採用が決定した5人の高校生バイトに頼もうと思っている。彼らはまだ若いが、若さゆえに仕事を覚えるのも早い。おまけに、毎日のように光るネットの波をくぐってサーフィンしてネット慣れしているから、店の広報やSNS運用を任せてもいいかなと思えるくらいだよ」
「へえ、そいつは頼もしいですね。じゃあ発注とか面倒な業務はその子たちに……」
「いや早川君、店長としての最低限の仕事はしてもらわないと困る」
「冗談ですって」
冗談でも言わなきゃやってられない。社長的には万全のバックアップ体制を整えたつもりらしいけど、ここまでの説明だと俺、新店でほぼ唯一の社員っぽいからだ。
喫茶店の仕事には、バイトでも誰でもできる接客などの仕事と、基本的には社員だけがやる事務的な仕事の2種類がある。美明日も手伝ってくれるんだろうけど、後者は俺メインでやるしかなさそうだ。責任重大。給料は上がるけどキツそう。
ああ、そうだ。肝心なことを聞き忘れていた。
「……で、どこにできるんです? その新店ってのは」
「えーとね、神奈川。もう少し具体的に言うと、湘南エリア。海が近くお洒落な街並みに、オメガ珈琲がさらなる彩りを加える!」