「名古屋どころか愛知県内ですらなかった⁉」
自信満々に言い切った社長に対し、裕介は大きくのけ反った。
「俺は元々全国転勤アリって条件で社員になってるからいいですけど、美明日はどうするんですか。ダブルワークどころか、本業を辞めざるを得なくなるんじゃ⁉」
「問題ないわ、早川君。横浜市にある、今よりも条件の良い私大に転職することにしたから。私もキャリアアップするの」
「お、おう……」
今の生活に未練はないらしい。意外と、ということもないけれど、決断力があってサバサバした奴だ。さすがは大教授、判断が速い。
「ネトルはそれでいいのか? お前の相方は神奈川へ転勤する気満々だけど」
「むしろ大歓迎よ。私はね、早川裕介。関東への移住を機に、港区へ乗り込むわ。そして憧れの『港区女子』になって、毎日セレブな生活を送るの!!」
「……ん?」
港区って東京都だぞ。神奈川じゃないぞ。引っ越し先からは、まあまあな移動時間がかかると思うぞ。
教えてやろうとかとも思ったが、美明日が無言で首を振ったので黙っておいた。なるほど、理解した。ネトルの奴、美明日に上手いこと丸め込まれてる(騙されてるとも言う)な。まあ、今は放っておこう。
「俺たち、一応名古屋のローカルヒーローで、百合・BLレンジャーの助っ人的な立ち位置だったはずなんだけどな。神奈川勤務になったら、俺らのアイデンティティなくなりませんかね??」
この問いは、久保社長に向けてのものだ。はたして、彼は首を横に振った。
「たとえどこへ転勤になろうとも、君たちが背負っているのは紛れもなく、オメガ珈琲の看板だ。自信を持って、しっかりやってきなさい」
「……はい!」
社長の優しい励ましが決定打になり、裕介は湘南エリアでの店長職に就くことを承諾した。
かくして、オメガ珈琲シルバーと超次元ライダー来部は名古屋を離れ、神奈川県南部で勤務することとなった。これによって百合・BLレンジャーの先輩方に助太刀しやすくもなるのだが、それはまた別のお話。
さて、転勤が決まったら次に、住む場所を探さねばなるまい。裕介と美明日はそれぞれ、湘南エリアへの引っ越し準備を進めていた。
社員寮はない。オメガ珈琲と提携している不動産会社に連絡して物件を探し、月に数万円の家賃補助を貰いながら生活する感じになる。
不動産会社を訪れた二人は、渡された資料を眺めながらああでもないこうでもないと話し合った。
「資料の中には、木造や鉄骨造のアパートも多いわね。少し絞り込む必要があるわ」
小さく手を挙げ、美明日がよどみない口調でスタッフに申し出た。
「すみません。家賃は上限65,000円、バストイレ別、鉄筋コンクリート造、築20年以内の物件でお願いしたいのだけれど」
条件が細かいようでいて、押さえるべきポイントをことごとく押さえているようでもある。良い感じだ。
若いスタッフがパソコンを睨み、条件を満たす物件を探している間、他のスタッフが話しかけてきた。
「ご夫婦で住まれるんですか?」
「えっ」
聞こえるか聞こえないかくらいの叫び声を漏らす美明日。頬を赤らめ、裕介の方をちらりと見た。
「は、早川君……」
「な、何だよ」
ドキリとしつつも聞き返す。
いつもクールな彼女が、たまにデレたときの破壊力は半端ない。時々ボソッとロシア語でデレたりはしないけど、無学な俺にとっては日本語でデレてくれた方が分かりやすくていい。
「言われてみれば、土地勘のないところで別々にワンルームマンションを借りるというのも寂しい感じがするわ。だから……この際、私たち、一緒に暮らしても良いんじゃないかしら?」
裕介は唾を呑み込んだ。ややあって、頷く。
「ああ。そうだな」
断らなかったのは、断る理由がなかったから。彼女のことが好きだからだ。
思えば、美明日と付き合い始めたときも、向こうからグイグイ来たんだっけ。プロポーズするときくらいは、俺の方から行かなきゃな……なんて、気が早すぎるか。
そんなわけで、二人で暮らせる程度に広い物件を探し、候補を絞った。あとは時間を見つけて現地訪問し、内見して決めればいい。
家探しと同時に、家具・家電も用意を進めた。
サヤからは、電話で「中古屋さんでも未使用の家電が安く買えたりするで~」と教えてもらった。が、調べたところ、中古屋は配送してくれるエリアに限りがあるケースも多く、配送料も有料なので一長一短。結局、「いくら安くても配送料がかさんだら意味がない」ということで、今回は見送った。
どうせ住むなら家電量販店が近くにある方が便利かな、となどと考えているうちに、ふと実際の街並みを見たくなってきた。スマホを操作し、マップのストリートビューを起動する裕介。
湘南エリアを見ていくと、海に近づくにつれ、洒落たデザインの家や庭の広い家が増えてきた。自家焙煎珈琲や美容室など、個人経営の店も多い。マップ上に載っていない店も多いので、住民はクチコミなどを元に自分で近所の店を開拓していくのだろう……と想像する。
こういった環境下で、オメガ珈琲のチェーン店が生き残れるかどうかは分からない。
「ま、何とかやってみるさ」
まだ見ぬ未来へ思いを馳せ、裕介は独り言ちた。それはきっと明るく、楽しい未来に違いなかった。
ずっと中途半端にフラフラしていた自分がヒーローの端くれになって、恋人もできて、仕事でも責任ある立場を任されようとしている。恋人とも同棲することになりそうだ。これが幸せでなくて何なのだ。
少しだけ、春の匂いがした。