休日。裕介は美明日の家へお邪魔していた。
二人とも名古屋で生まれ、名古屋で育った。ゆえに、お互いまだ実家暮らしの身である。ご両親に挨拶をして上がらせてもらい、彼女の部屋で二人になる。
「で、話ってのは何だ?」
「神奈川の物件についてなのだけど、内見の予約を入れていた賃貸物件、一旦キャンセルすることは可能かしら」
「えっ」
キャンセルということはつまり、裕介との同棲を取りやめたいのだろうか。俺、何か美明日の機嫌を損ねるようなことしたっけ。記憶にございません。
裕介がそわそわしていると、彼女は「通常の賃貸で契約するのを見直すってことよ」と言い足す。
「最近、不動産について調べていて、『分譲賃貸』というものがあることを知ったの。住む家のグレード、少し上げてみても良いんじゃないかしら」
「分譲賃貸……って何だっけ」
聞き慣れない単語に困惑する裕介を前に、美明日は「よくぞ聞いてくれたわね」と、机の上のノートパソコンを起動した。パワーポイントの資料を開き、スライドショーを開始して説明する。大きな文字ではっきり書かれた、見やすい資料だった。
「分譲賃貸とは、本来分譲マンションとして購入されたものが、何か事情があって賃貸物件として貸し出されたもののことを指すわ」
やけに用意がいい。俺が不動産に無知なのを見越してたってわけか。教えてくれてありがたいような、自分の知識のなさが恥ずかしいような、複雑な気持ちだ。
「要は、普通なら高い初期費用に加えて何十年か住宅ローンを払い続けないと住めないような物件に、家賃を毎月払うだけで住めるってことか」
「そうよ。けど、そこら辺の賃貸マンションとはわけが違うわ! 元々購入用に作られているから、設備がしっかりしていて、耐震性、防音性、防犯性も高い。部屋も広くて、楽器やペットOKの場合もあるらしいの!」
美明日が、眼鏡の奥の目を輝かせている。きっと、俺と一緒に暮らす日々を思い描いているんだろう。犬とかも飼いたいんだったりして。さっきは一瞬疑って悪かったよ。
てか、こんな風にお願いされたら、すげえ断りづらいよな。
「良いことずくめみたいだけど、デメリットはないのか?」
「……家賃は高いわね」
夢ではなく現実を直視したように、美明日は目を細めた。
「ただ、私たちの給料から半分ずつ出し合えば、全然払える額ではあるわ」
「……ちなみに、具体的にはいくらくらい?」
「湘南エリアで、オメガ珈琲の新店ができる土地にほど近いところで探すと、十万円前後だったわ」
「十万か……」
ノートパソコンの画面に、湘南エリアの分譲賃貸の検索結果が次々と表示される。安いところで九万、高いところだと十万円台前半だった。
東京都心に近いところだと、独身者向けワンルームマンションを借りるだけで、家賃が月十万かかることもあると聞く。それとほぼ同額で、設備の整った物件に二人暮らしできるのであれば悪くない話だ。
「うん、全然出せるな」
「あとは、『定期借家』といって住める期間が決まっているものがあるのと、物件数自体が少なめなのが難点といえば難点かしら。とはいえ、きちんと下調べして選べば大丈夫じゃないかと思うけれど」
スライドショーが終了する頃には、裕介はすっかり乗り気になっていた。
「そうと決まれば、さっそく候補を絞って内見しようぜ。この前見てた賃貸物件は、後回しでいいや」
「ええ。私もそのつもりよ」
美明日は微笑み、先刻表示した検索結果をもう一度出した。
「湘南エリアの分譲賃貸は、全部同じ不動産屋が管理してるみたいね。ここに電話してみようかしら」
「……『阿久瀬(あくせ)不動産』? 何だか珍しい名前だな」
なかなか電話が繋がらないので、話し合いの結果「こうなったら現地に行くしかない」ということになった。
二人で予定を合わせ、二泊三日で神奈川へ行けるように有休を取る。で、問題の「阿久瀬不動産」を訪ねてみて、それでもダメなら、他の不動産屋に行って普通の賃貸物件を紹介してもらうつもりだ。
名古屋から横浜まで、新幹線で一時間半と少し。そこからさらに電車を乗り継ぎ、裕介と美明日は茅ヶ崎駅に降り立った。サ○ンオールスターズの出身地として知られる街である。
「江ノ島ってこの辺りだったかしら?」
「藤沢駅から江ノ電に乗れば行けるはずだぜ。ま、今日中に分譲賃貸の内見を済ませて、明日明後日は観光メインで楽しもう」
駅南口から少し歩くと、看板が見えてきた。「不動産屋の使命は、人々を守ること。だから、分譲賃貸も俺が守る! 家賃を爆上げ! 阿久瀬不動産」と書いてある。
やけに使命感の強そうな不動産屋だった。あと、頼むから家賃は爆上げしないでほしい。
「すみませーん」
裕介が入口ドアを開けると、中には受付らしい女性が一名いるだけだった。黒のスーツを着た眼鏡女子で、無表情というか無愛想というか、とにかくあまり歓迎されていないムードだけは伝わってきた。ネームプレートには「西部」と書いてある。読み方は「さいぶ」だろうか、それとも「せいぶ」か。
「何でしょう」
パソコンのキーを叩く手を止め、西部さんが顔を上げる。
「あのー、そちらで管理されている分譲賃貸に興味がありまして。それで、よろしければ詳しい話を聞かせていただいて、内見なんかもしてみたいのですが」
「アポイントメントは取られていないのですか」
アポイントメントを「アポ」って略さない人、初めて見たかもしれない。どうでもいいけど。
「いや、それが、何回か電話したんですが繋がらなくて。急に来てしまって申し訳ないです」
頭を掻きながら言う裕介を一瞥し、眼鏡の女性は「はあ」とため息をついた。
「左様ですか。アポイントメントなしですか」
そして、手元のスマートフォンを操作し、どこかへ電話をかけた。
「お疲れ様です。ええ、アポイントメントなしのお客様が二名。ええ。はい、よろしくお願いいたします」
会社の偉い人への報告だろうか。弱ったな、と裕介は思った。面倒なことにならなければ良いのだが。
だが悪い予感というのは、得てして当たるものである。
『ブオン!』
「……ん?」
『ブオン、ブオーン!』
「……なあ美明日。今、遠くで車のエンジン音が聞こえた気がしたんだが」
「奇遇ね。私もよ」
『ブオン、ブオン、ブオーン!』
「……だんだん近づいてきてる気がするんだが」
「私もよ」
否、エンジン音だけではない。何者かの足音も、この阿久瀬不動産へと真っ直ぐに接近していた。
『爆上げ家賃! GO・GO・GO!』
やがて変身音まで聞こえてきて、バアン、と入口ドアが大きく開け放たれた。黒いタイヤを頭に被ったような、奇妙な格好のヒーローが押し入ってくる。
「た、タイヤ人間⁉」
美明日が悲鳴を上げたのも無理はなかった。彼の頭部には、ホイールが八方向へ伸びた形状の大きなタイヤ型パーツが備わっていたのだから。顔の8割がその黒いタイヤと言っても過言ではない。
肩にはパトランプのようなパーツが、胸部には車のメーターを思わせる紋様がある。しかし全体的にアーマーはゴツくなく、動きやすそうな感じだった。
「――ブ~~~ン、ジョウ、ブラック!」
力強いポーズを決めて名乗った彼に、受付の女性が一礼する。
「お疲れ様です、社長」
「うむ」
タイヤ人間は軽く頷き、裕介たちへ向き直った。
「俺の名は『分譲ブラック』。湘南エリアの分譲賃貸は、すべて俺が支配している。俺の許可なく分譲賃貸を内見しようとする奴は、絶対に許さん!」
「いや、ちょっと待ってくれよ。電話でアポ取ろうとしたけど繋がらなかったんだって。てか何者なんだよお前」
作者が多忙なため、8月中は更新をお休みさせていただきます。
次回の更新は9月上旬を予定しております。お待たせしてしまい申し訳ないですが、よろしくお願いします。