さて、あれから裕介と美明日はどうなったかというと、湘南の賃貸物件へ無事に引っ越しを終えていた。新店もオープンし、初日からまずまずの客入りを見せている。
そんなある日。実質的な副店長ポジに収まった美明日は、他のスタッフよりも早く出勤していた。エプロンに着替えてタイムカードを切り、軍手と大きなビニール袋を用意して外に出る。
「今日も今日とて草むしり。頑張りますか」
自分を鼓舞するように独り言ち、彼女は駐車場の隅で生い茂る雑草と格闘しに向かった。
オメガ珈琲では、店の内外の清掃が重要視されていた。「掃除が行き届いていない店舗に、お客様は絶対に良い印象を持たない」というのが久保社長の考えで、社員一同も研修でそれを叩き込まれる。
昨日の夜に小雨が降っていたからだろうか。土がほどよく湿ってほぐれており、雑草が抜きやすい。美明日はてきぱきと草を抜き、ビニール袋へ放り込んでいった。
よく見ると、色んな草が生えている。さっき引っこ抜いた、やけに独特な臭いを放っていたのはドクダミかもしれない。今抜いたシュッと背の高く細いのは、何という植物なんだろう。
「あら、クローバーも」
さすがに四つ葉のはなかったけども、三つ葉のクローバーが群生していた。
小さくて可愛らしい葉っぱたちだが、ちょっと量が多い。これだけ一箇所に固まって生えていると、お客様の目に留まる可能性は低くないだろう。そう思い、心を鬼にして抜こうとした美明日の手が、ぴたりと止まった。
「こんなところに蝶々……」
二匹の蝶が、クローバーの葉で羽を休めていたからである。一匹は淡い紫色の、もう一匹は薄い茶色の羽を持つ。昆虫学は美明日の専門ではないが、パッと見で「モンシロチョウの仲間かしら?」と思った。
夫婦なのか、そうでないのかは不明。二匹は仲睦まじく、ゆっくりと羽を開いたり閉じたりしている――なお、正式な蝶の数え方は「一頭、二頭」らしいけれど、門外漢の美明日にとってはやはり「一匹、二匹」の方がしっくりくるので、これで行こうと思う。
(私にこのクローバーが抜けるだろうか。いや、抜けない!)
眼鏡にポニーテールのリケジョは、文系みたく反語で思考した。
(ここに止まっている蝶たちだって、一生懸命に生きているのにね。……ごめんなさいね、あなたたちの羽休めスポットを奪おうとしてしまって)
美明日の脳内に、一つのイメージが浮かんだ。ひらひらと舞う蝶々へ、何者かが光線銃のようなものを向ける。その銃口からビームが放たれ、命中すると、蝶は無惨にも爆散してしまうのである。
命を散らした蝶を見て、悲鳴を上げる三人の若者。対して銃を撃った犯人は、二人の仲間とともに走り去っていく。そして、「友よ、君たちはなぜ、悪魔に魂を売ったのか?」とナレーション。
その後、若者たちが海辺を走ったりスケボーをしたり、一輪車に乗ったり、ボクシングをしたりする謎の映像がなぜか脳内再生されそうになり、美明日は慌てて現実へ意識を引き戻した。
「こんなに健気に生きている小さな命を虐めてまで、オメガ珈琲が店を綺麗にする意味はあるのかしらね……」
「いや仕事なんだからしょうがなくないか⁉」
しみじみと呟いた彼女へ、少し遅れて出勤してきた裕介がツッコミを入れる。
「そこまで考えなくてもいいだろ。いちいち気にしてたら、キリがないぜ」
「それもそうね。じゃあ、思いっ切りいくわ。大事に……決めるわよ!」
意を決した美明日は腕を伸ばし、群生しているクローバーをまとめて引っこ抜いた。驚いた二匹の蝶が、いそいそと飛び去って行く。
「容赦ねえな⁉」
蝶々を見送りながら、裕介は肩をすくめた。
「俺もそろそろ書類仕事を片付けますか……って、ん?」
店の中から、電話が鳴っている音が聞こえる。まだ開店時間ではないので出なくても文句は言われないだろうが、万が一、本社からの大事な電話だったりしても困る。一応、出ておこうか。
早足で店内へ戻り、まずは電話口で「大変お待たせいたしました!」と謝るところから始めた。
「オメガ珈琲湘南店、早川が承ります」
『あ、もしもし⁉ そちらは人間界の、百合・BLレンジャーのうちの誰かでよろしいか?? 小生、レジスタンス組織「イーシュ・バール」で、お菊殿の補佐をしている者であります!』
「いやどこからかけてんだよ」
おかしい、朝っぱらからツッコミが追いつかない。あまりに追いつかないので、もはや敬語で応対するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
「あ、ちなみに俺はオメガ珈琲シルバー、早川裕介だ。どうぞよろしく」
『今、超次元界の「電話屋」からかけているでござりますです!』
相手はかなり緊張しているらしく、鉢植えの中のマンドラゴラみたいな喋り方になっている。
「電話屋……?」
『ハッ。町外れで「ヤンデレンワニ」という者がやっている店でして、お金さえ払えば、次元の壁を越えて古代も未来もどんな場所でも、どんな人とでも連絡を取れるのであります! あっ、すみません、さすがに古代も未来もは無理でした』
「要は、音声しか飛ばせない貴族専用ゲートってことか」
レジスタンスのメンバーによると、「ヤンデレンワニ」は名前の通り、ヤンデレ性癖を持った超次元生命体らしい。ワニが二足歩行になって、頭にダイヤル式電話とヤツデの葉っぱを取り付けたような姿をしているんだとか。どんな姿だよ。ちなみに口癖は「ベルベル~!」らしい。
「で、何でまた百合・BLレンジャーに連絡しようと思ったんだよ」
『実はかくかくしかじかで』
原理はレジスタンス構成員たちにも不明だが、ダレンに勝負を挑んだ超次元生命体の能力により、誤ってビッグ・ファーストが復活してしまったという。復活した第一位は大暴れし、ダレンやお菊は窮地に陥った。
自称お菊の補佐をしている男は「避難誘導に専念しろ」と言われたものの、放っておけず、ふと思い立って「電話屋」に駆け込んだ。そして、ヤンデレンワニの頭に付いている電話を借りて、「誰でもいいから百合・BLレンジャーのメンバーに繋いでくれ! 至急、増援を頼みたい!」と言ったらしい。
「あのビッグ・ファーストが復活したのかよ……」
事情を聞き終え、裕介は渋面をつくった。第一位と第三位のコンビネーションには、彼自身、散々苦しめられた覚えがある。
「正直、俺たちでも倒せるかどうか分からねえぞ。何せ、今まで倒せたことがないんだからな」
『そんなこと言わないでほしいでござりますです⁉ 皆々様のお力をぜひお借りしたく!!』
「まあ落ち着け。とりあえず、先輩方や後輩に連絡を取ってみるよ。準備が整い次第そっちに行くから、誰か貴族専用ゲートを開ける奴を待機させといてくれねえか?」
『あ、ありがとうございます! ではさっそく、BLACON・SUN殿を呼んでくるであります!』
「おう、頼んだぜ」
そういえばそんな奴いたなあ、程度に思いつつ、裕介は一旦受話器を置いた。続いて、東京のBL警察本部へ電話する。
忙しくなりそうだった。ひとまず、店は五人の高校生バイトに任せるとしよう。