「え、それで終わり?」
カイリが口をつぐんでしまったので、ツカサは思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。
「つまり、彼氏がいないってのは嘘で、本当はいたってことね」
「違う。後輩は嘘をついていなかった」
「いるわよねー、どんな異性が相手でも思わせぶりな態度を取っちゃうタイプの女。あたしの苦手なタイプだわ……って、嘘はついてないの?」
頭の上に疑問符を浮かべているツカサへ、カイリはドヤ顔で種明かしをした。
「聞いて驚け。実はな、後輩はバイセクシャルだったようなんだ。すなわち、彼氏はいないが彼女はいたんだよ」
「何それ。推理小説みたいな叙述トリックね」
なるほど、確かに後輩は嘘をついていない。ただ、真実を述べていることが非常に分かりづらかっただけだ。
後輩が百合マンガを愛読していたのは、自身も「彼女」がいる側の人間だったから、というわけか。色々と共感する部分も多かったのかもしれない。カイリとはまた違った楽しみ方をしていそうである。
「いやー、俺もびっくりしたぜ。二次元だけで満足するような人生を送ってきたけど、三次元にも百合的なものは実在するんだな」
「驚くところ、そこ⁉」
デートに誘って振られたのに、残念ではないのだろうか。あるいは、残念な気持ちよりもオチの意外性の方が勝っていたのか。
「ていうかあんた、百合が好きなのに百合カップルを諦めて良かったわけ?」
「分かってねえな」
ネギまを食しながら、カイリは首を振った。
「百合好きはな、百合の間に挟まっちゃいけないんだ。この串を見ろよ。ネギの間に挟まる肉、肉の間に挟まるネギみたいな真似はさ、絶対にしたらダメなんだぜ。俺はネギま大好きだけどさ」
「わかる。あたしも好きよ、ネギま」
推しの間に挟まりたくないという思いは、ツカサにも理解できた。今推している二条悟と石黒恵のカップルに対しては、遠くから密やかに見守るのが彼女のスタンスである。若い二人は、仲良くネギまを食べた。
バイセクシャルの後輩の話が終わり、その内容を自分の中で十分に咀嚼するだけの時間的余裕が生まれると、ツカサは「それにしても」と呟いた。
「ナオヤくんは婚活、カイリは後輩とサシ飲みかあ。皆色気づいちゃって、馬鹿みたい」
「それを言ったら、サシ飲みしてるのは今日の俺らもだろ。意識しすぎなんだよ」
「何よ。あたしはただ……」
反射的に言い返しかけて、「あれっ?」と彼女は顔を赤らめた。あたしはただ、何だというのだろう。
そうだ。今まで全く意識していなかったが、二人の置かれている状況は「異性とのサシ飲み」以外の何物でもない。ある程度心を許した相手とでなければ、普通はこういう状況にならないはずだ――ちょうど、カイリと後輩のように。
なお、ツカサはこれまでの人生がBL一筋だったため、異性とのサシ飲みは実は今回が初めてだった。
実際のところ、異性と二人きりで飲む場合の距離感は人によって違うし、飲み会の後で特に何も起こらないケースも決して珍しくない。ただ、彼女は「ゲイカップルの片方がサシ飲みで酔い潰れ、もう一人が甘々な介抱をする」というBL小説を昨日読んだところだったため、サシ飲みとはすなわちいちゃいちゃすることだと思い込んでいた。間違った認識である。
(もしかしてあたし、カイリに恋愛対象として見られてない……?)
ツカサと一対一で飲みながらも、彼はバイセクシャルの後輩の話をためらわずにした。それはつまり、ツカサが眼中にないからではないのか。恋愛対象の異性と話しているときに、他の異性の話をするのはご法度である。躊躇なく禁じ手を使ったのは、彼女を「異性」として認識していないからでは?
(どうしてか分からないけど、悔しい)
カイリが「異性」として認識した後輩と、されなかったツカサ。無自覚のうちに、後者は前者に対抗心を燃やしてしまっていた。もしや、自分は女としての魅力でその後輩に負けたのか。
もやもやとした感情が渦を巻いていたせいか、それとも単にアルコールが回ってきたせいか。ツカサはその後、何をカイリと話したかほとんど覚えていない。趣味について語り合ったことだけは、断片的に記憶している。
「そうそう、後輩の話をしてて思い出したけど、新刊が出たんだよ。先輩と後輩の百合で、昼と夜で攻守逆転するやつ。あれ、めっちゃ良かったぜ」
「王道のシチュエーションね! BLでも似たようなのがあるわよ」
お互い、百合とBLの推しがいる。ジャンルは違えどコンテンツへの愛は同じだ。共通点の多い二人は気が合い、自然と話が弾んだ。
百合派とBL派の対立が終わった今、彼らを阻むものは何もない。ビールと焼き鳥を食したこの数時間で、二人の心の距離はぐっと縮まった――気がした。
会計は割り勘で済ませた。
「美味かったな」
「ええ」
ツカサは当然、この後は駅で解散するものだと思っていた。しかし、カイリは思いもよらぬ行動に出たのである。
「なあ。もし良かったらだけどさ、今夜……」
刹那、言い澱み、子犬のような目で彼女をじっと見つめる。
「へっ?」
虚を突かれたツカサは、僅かながら頬に朱が差したことを自覚していない。一体、カイリは自分をどこに誘おうというのか。何かを期待する気持ちが半分、もう半分は何かを恐れる気持ちだった。いつもは自信ありげに振る舞うカイリが今日に限って躊躇していることも、ドキドキを加速させる。
彼だって、一人の男性だ。後輩を飲みに誘ったのはオタクトークをするためだと言っていたが、本当に下心がなかったのだろうか。今自分をどこかへ誘おうとしているのにも、そういう狙いが一切ないとは言い切れないのではないか。恋愛脳のツカサは緊張した。
仮にそうだとすれば、彼は自分を(一応は)恋愛対象として見ているのかもしれない。後輩への劣等感や対抗意識が束の間払拭されて、少し安心する――なぜそんな気持ちが自分の中に湧いてきたのかは、ツカサにはまだ分からなかった。
はたして、カイリは次のような提案をした。
「今夜、レイトショーの映画行かねえ? 気になってるホラー映画があるんだ」
怖いの苦手だったらやめとくけど、と付け足す。さっき言い澱んでいたのは、ツカサにホラー耐性があるかどうか、判断できなかったからだろう。
「ホラーなんて何でもないわ。さっさと行くわよ!」
「お、おう。やけに積極的だな?」
期待して損したと思ったからか、ツカサは半ばやけくそになって提案に乗った。カイリをぐいぐい引っ張って、駅近くのホテルの敷地内にある映画館へ連れていく。
「……だから、何でもないってば」
眠らない街、というほどでもないかもしれないが、品川は夜でも明かりを絶やさない。日付が変わる一歩手前の闇はネオンサインで中和されていて、真っ赤になった彼女の顔を隠しきれない。
「おい、引っぱりすぎだぜ。服に皺がついたらどうするんだ。そうせかせかせず、笑えばいいと思うぜ」
「悪いわね、カイリ。あたしはあんたを引っ張らなくちゃいけない。引っ張らなきゃ気が済まないのよ」
ぷいっとそっぽを向いたのは、拗ねているからでもあり、恥ずかしいからでもある。
「もう。何で男の子って、こう馬鹿でスケベなのかしら?」
その表情はプンプン怒っているように見えて、どこか嬉しそうで照れているようにも見えた。乙女心は、精巧な騙し絵みたいに複雑なのだ――たとえ、彼女が腐女子であっても。
「ホラー映画なんてワンパターンで、全然怖くないわよ」
チケットを購入し、カイリと並んで座席に着くやいなや、ツカサは強がってみせた。上映開始まではまだ少し時間があったのだ。
「だって、幽霊もゾンビも皆、ホラー映画のお約束に縛られて動いてるんだもの」
「お約束って?」
「ほら、敵の数が主人公たちよりも圧倒的に多いのに、動きがゆっくりでしょ? 何ていうか、主要キャラを終盤まで生き延びさせるための舞台装置的なものを感じるのよ」
「めんどくせえ奴だな。ホラー映画はな、頭を空っぽにして見るのが最高なんだよ。ジェットコースターに乗るとき、『次のポイントではどのくらいの角度で急降下するのだろう』なんて普通は考えないだろ? ただ純粋にスリルを味わえ」
「めんどくさいとは何よ!」
二人がいつものようにギャアギャアと言い争っていると、上映開始を知らせるアナウンスが流れた。それで、借りてきた猫のように大人しくなった。
なお、映画「サバイブ新幹線ファイナルベント・エクスプレス」が始まってから三十分ほど経つと、超高速移動できるゾンビがスクリーン狭しと大暴れした。ホラー映画に対する先入観を粉砕されたツカサは、恐怖のあまり何度も絶叫していた。
彼女は知らなかった。韓国のゾンビ映画にはゆっくり動くゾンビがほとんど登場せず、皆猛ダッシュで襲いかかってくるということを。
戦士たちにも日常はある。
これは、アメリカでロリーニンジャーたちが高次元生命体と戦っている間に百合・BLレンジャーたちが過ごした、何でもない日の大切な一ページである。
今回、ご迷惑をおかけした作品
・新幹線ファイナル・エクスプレス
・仮面ライダー龍騎