その瞬間、彼女の小柄な体から凄まじい殺気が放たれた。今にも攻撃を仕掛け、致命傷を与えてきそうな気配である。
「フィリーレン・ファイヤー」などの形態へは、今のところ変身するつもりがないようだ。重い鎧を着込まず、生身のままスピーディーに攻撃するつもりなのだろうか。
「私と倒すとでも言うのですか? 命が惜しければ、やめておいた方が良いかと」
かぎ爪を備えた両手をすっと掲げ、濡レドランも警戒心を露わにする。
「クヴァルと露鬼を解放したことで、Lサイズの箱には二人分の空きスペースが生じています。私がその気になれば、いつでも箱の蓋を開けてお前を吸い込めるのですよ?」
「……そうだね。」
「何っ?」
出し抜けに、フィリーレンが踵を返した。あれだけ威勢のいいことを言っておいて、まさか敵に背を向けるとは予想外。濡レドランは反応が遅れてしまった。
「許さないとは言ったけど、お前と戦うとは言ってない。」
露鬼らの手を取ると、再びテレポート魔法を発動して姿を消す。呆気ない幕引きに、濡レドランは思わず乾いた笑いがこみ上げてきた。
「……クハハハハハッ。何をするかと思えば、敵前逃亡か。Lサイズの箱の威力を聞かされ、恐れをなしたか!」
「逃げるとも言ってないよ。」
「え」
完全に油断していた。
クヴァルたちを離れた場所に移動させてすぐ、エルフの魔法使いは三度テレポートして濡レドランの背後へ出現していたのだった。逃げたと思わせて油断させ、隙を突くために。
フィリーレンのテレポート魔法には次元の壁を越える機能こそないが、同じ次元内であればどの座標へも瞬間移動できる。死角に現れた魔法使いは、しかし濡レドランへ攻撃を加えるのではなく、彼が持つ円筒形の箱を狙って杖を突き出した。
「自分と仲の良い人たちだけを助けて逃げるだなんて、寝覚めが悪いでしょ。他の二人も返してもらうよ。」
杖の先端が、箱の蓋を掠めた。数ミリだけ僅かにずれた隙間から、銀色の影が転がり出てくる。
「――星を浄める、宿命の騎士。イセイナイト!」
宙返りして華麗に着地を決め、銀と金の騎士はきちんと名乗った。なお、名乗る必要があったのかは不明である。この場にいる人たちは全員、彼と初対面ではないわけだし。
「おのれ、フィリーレン!」
濡レドランは慌てて蓋を元に戻し、両腕で抱きかかえるようにしてLサイズの箱を守った。追撃を断念したエルフは、イセイナイトの隣まで後退する。
奪われたクヴァルと露鬼の原典を取り戻したいというフィリーレンの思いに、嘘はない。だが、そのためにはまず、こちらの戦力を増やす必要がある。そこでイセイナイトたちを解放しようと試みたのだったが。
「……あと一人は助けられなかったか。」
不本意そうにこぼす、銀髪ツインテールのエルフ。
「同じ手を二度も食う私ではない。ヤンデレキラーを助けたければ、このチュパカプラの濡レドランを倒してみろ!」
先刻、濡レドランは「Lサイズの箱を使えばいつでもお前を吸い込める」というようなことを言っていた。しかし、フィリーレンには瞬間移動の魔法がある。上手く吸引をかわせさえすれば、理論上は互角に立ち回ることも可能だ。
「助けたいのは山々なんだけどね。」
「戦うとは言ってない。」との前言を撤回する選択肢を取るべきかどうか、フィリーレンは刹那、逡巡する素振りを見せた。
「……待て!」
彼女を制止したのは露鬼でもクヴァルでもなく、イセイナイトであった。
「濡レドランには、倒されるたびに名前と姿、能力を変えて復活するという力がある。仮に奴を倒せたとしても、状況が好転するとは限らない。深追いは禁物だ」
騎士自身、共に戦った仲間であるヤンデレキラーを助けたい気持ちは強い。それを理性で押し殺し、今は耐え忍ぶ道を選んだ。
「私たちも奴の第一形態は倒せたが、あの第二形態に負けてしまったのだ」
「そうなんだ。」
フィリーレンが攻撃をためらったのを見て、濡レドランは余裕を取り戻した。
「退き際を心得ているようですね、イセイナイト。私も退かせてもらいましょう」
背後にゲーミングっぽく発光するゲートを出現させ、扉を半開きにする。
「最も危険度が高かったヤンデレキラーはまだ私が封印していますし、クヴァルと露鬼も弱体化したままだ。戦果としては悪くありません。ここは、痛み分けということにしておこうではないですか」
「お前の提案に乗るのは癪だけど、どうやらそうするのが最善らしい。」
無表情で、エルフも頷く。
『テレポート・ナウ!』
彼女は露鬼、クヴァル、イセイナイトを連れて。チュパカプラの濡レドランは単身で、それぞれ魔法と高性能ゲートを使って戦場から離脱した。