鉄の臭いが嫌いだ。
だから、もうダンベルを使うトレーニングはやめた。ここ最近は、ランニングを中心としたメニューに切り替えている。
以前は某ボディービルダーがYouTubeに投稿している動画を参考にして鍛えていたが、怜奈にフラれてからは他人の真似ばかりするのをやめた。今はただ純粋に、自分が好きなトレーニング方法を選んでいる、
室内で延々とダンベルやバーベルの上下運動をしていると、飽きてくる。途中から辛く感じる。音楽をかけながら取り組めば多少は集中力が上がるけれど、無味乾燥な時間を過ごしているという印象は否めなかった。
その点、ランニングは良い。走っていると見える景色が変わり、飽きが来ない。何日か続けるうちに顔見知りのランナーも増えて、すれ違うときに挨拶をする仲になった。
もう少し継続すれば、見目麗しい女性ランナーにも出会えたりして。これまでのところ中年男性ばかりとすれ違っている早川裕介だったが、今日も胸に希望を抱き、川沿いのいつものコースを走っていた。
「おはようさん」
すると、後ろから急に声を掛けられた。おそらく俺と同じくランナーだろうが、びっくりするのでやめてほしい。
若い男性の声だった。イントネーションが関西弁のそれだったことが気になる。名古屋へ引っ越してきたばかりなのか、それとも関西から観光しに来たのか――旅行先でもランニングするようなスポーツオタクは、滅多にいないだろうけど。
まあ、話し相手になってくれそうな人なら誰だっていい。
「おはようございます」
走るペースを落とし、裕介は振り返った。
声の主は、三メートルほど後方を規則正しいペースでジョギングしている青年だった。ヘアスタイルは金髪のマッシュ。細く長い、いわゆる「糸目」。服装はなぜか和服で、草履を履いていた。
まさか、それを履いた状態で今までランニングしていたのだろうか。変な奴に絡まれたかもしれないぞ、と裕介は思った。見たところ、青年は愛想のよい笑顔を浮かべているが、どことなく胡散臭さが漂う。
「精が出ますね。お互い、頑張りましょう」
ペースを元に戻し、怪しい男との距離を広げようとするのも束の間、青年はあっという間に裕介の隣に並んだ。
「まあまあ、そう急がんでもええやろ。『オメガ珈琲シルバー』さん」
「……お前、なぜ俺の正体を知っている?」
キュッ、と音を立て、裕介のシューズがアスファルト上で停止する。早朝ランニングを中断した彼は、青年の胸倉を掴んでいた。
「俺がシルバーであることを知っているのは、久保社長とロリーニンジャー、それにBLファイヤーだけのはず。店のスタッフに正体バレしかけたこともあったが、何とか誤魔化した。ついさっきまで俺と何の接点もなかったお前が、どうして知っている?」
「人の口に戸は立てられんて言うやろ。君が信頼している人物が、誰にも秘密を漏らさないとは言い切れんよ。約束は破られるし、秘密は漏れる。悲しいけど、それが世の常やさかい」
和服の胸元をぐいと掴まれても、青年は顔色一つ変えなかった。それどころか、ニコニコと微笑んでいる。
「まあ、冗談はそれくらいにしとこか。本当のことを言うとな、僕は君のことをしばらく観察しとったんや。誰から聞いたわけでもなく、君の正体は知っとるよ」
「観察だと?」
裕介は顔をしかめた。
「要するにストーカーか。いい趣味してるじゃねえか。さては、俺の正体をマスコミや週刊誌にタレこんで、一儲けしようって算段だな」
「誤解せんといてや。この世界の貨幣に、別段興味はない」
「『この世界の』……?」
そこで、ようやく裕介はピンときた。反射的に青年から手を離し、後ずさる。
「お前、超次元生命体だな!」
金髪マッシュのヘアスタイルも、この間倒したガードノイド・マッシュの同類だとすれば納得がいく。さしずめ、超モモタロウとガードノイド・マッシュの敵討ちか。別の世界から俺のことをずっと観察し、倒す機会を窺っていたのだろう。俺がよく通るランニングコースを突き止め、こうして待ち構えていたのだ。
しかし、不意打ちで倒すつもりなら、わざわざ「おはようさん」と一声かける必要はなかったはず。裕介には青年の本心が分からなかった。
「その通り。僕は超次元生命体や。せやけど、君に接触した理由は正体をばらすためでもないし、敵討ちのためでもない。――僕はな、オメガ珈琲シルバー。君に伝えたいことがあって来たんや」
青年はニヤリと笑った。
「僕の通り名は『原典無し(オリジン・ゼロ)』。超次元生命体の中でも、異端中の異端や」
原典無し(オリジン・ゼロ)に勧められるまま、裕介は彼と二人、河川敷の芝生に並んで座った。彼いわく「長い話になりそうやから、まあ掛けようや」ということらしい。相変わらず怪しさ満点だったが、少なくとも敵意は感じなかったので、裕介は了承した。
「さてと、どこから話せばええやろか。まず初めに、僕らの種族の歴史について説明せんとあかんかな」
「自慢じゃないが、俺はバリバリの理系でな。日本史や世界史の授業中は、居眠りの常習犯だった。俺が寝てしまわないように、手短に頼むぜ」
「心配せんでも、僕の喋りは歴史の授業よりおもろいで」
本当かよ、と思いつつ、裕介は話を聞いてやることにした。
それにしても、通り名が「原典無し(オリジン・ゼロ)」というのはどういうことだろうか。中二病感のあるネーミングだ。そんな仰々しい名前を名乗るなんて、二万年早いぜ!
「……元々僕ら超次元生命体は、優れた変身能力を持つ反面、想像力に乏しかった。他者の姿を模倣することは得意でも、オリジナルの姿を生み出すことは不得手だったっちゅうわけやな。そこで僕らは、別次元の世界で活躍していたヒーローたちに注目した。彼らの姿を真似して、原典に由来する能力を引き出せるようになったんや」
原典無しは淡々と続けた。
「同時期に、僕らとよく似た性質を持った別次元の生物にも接触した。彼らの王を泥人形とすり替えて操り、王やその部下にもヒーローたちの『原典』のイメージを与え、戦闘能力を付与したんや」
言わずもがな、その「よく似た性質を持った生物」というのが高次元生命体のことである。
「ちょっと待てよ。お前らに変身能力があったなんて、初耳だぞ」
「まあ、知らんのも無理ないわな。通常、超次元生命体は変身を完了してから戦場に出てくる。変身中は無防備になってまうから、わざわざ変身プロセスを見せるような奴は、僕の知る限りではおらんよ」
なお、剣の姿と戦闘形態を使い分けていたショタレンジャー、百合・BLレンジャーの目の前で「セイヘキ・ザ・ワールド」に変身したエンダーなど、高次元生命体には変身プロセスを見せつけてくる輩がたまにいた。
「超モモタロウとかいう奴はどうなんだ。目撃したうちのスタッフによれば、三種類の姿に変わったらしいじゃないか」
「あいつは少々変わり者でなあ。昔話『桃太郎』モチーフのヒーローを原典にしとるんやけど、それだけやなくて、他の原典の性質をも引き出すことができる。与えられた原典の能力が『歴代のヒーローに変身する』だったからこそ成せる業や」
つまり、超モモタロウが行っていたのは二段階の変身。基本形態である超モモタロウにあらかじめチェンジした状態で登場し、さらに他の原典の力を使った。無防備になる一段階目の変身プロセスは見せていなかったということか。
「なるほど。……で? 伝えたいことってのはそれで終わりか?」
「急かさんといてや」
半信半疑で尋ねた裕介を、糸目で金髪マッシュの青年はなだめた。
※一週間以上お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。