「お……」
面白いっ、とツカサはつい声に出していた。彼女は今、BL警察の女子寮の一室で少年漫画に読みふけっていたところである。
最近では卍帝国による洗脳の影響もいよいよ薄れてきて、書店に百合・BL本が所狭しと並んでいるような光景は過去のものになってしまった。一抹の寂しさを覚えつつも、「じゃあ、たまには一般向けの漫画も買ってみようかしら」と考えた次第だ。
白髪の主人公は割と好みのキャラだ。まだ序盤だからか何を考えているのか分からない部分もあるが、力だけでなく頭脳で敵をねじ伏せる姿はかっこよかった。
読み進めていくうちに、主人公の前に強敵が立ち塞がった。分離させて様々な戦法をとれる弓を使う主人公を、武器はナックルダスターのみのスキンヘッドの男が追い詰める。言うなれば、汎用型と特化型の戦い。頑張ってほしい、とツカサは一読者として思う。
次に、刀身を飛ばせる刀を扱うヒロイン。喋り方が自分と似ているのは気のせいだろうか。もっとも、ツカサはこんな騙し討ちのような戦い方はしないし、何なら自分の方が可愛いとさえ思っている――たぶん、このヒロインの方が胸は大きいと思われるけれども。
そして何と言っても、ツカサのお気に入りは「五天剣」を操る関西弁の男。ストーリーが進むにつれて主人公のライバルポジションに収まった彼は、強い上に色気がある。読者による人気投票でも、上位五位以内に毎回食い込むという超絶人気っぷりだ。
(主人公と関西弁の男のカップリング……うん、ありかもしれないわ)
腐女子的な思考回路は相変わらずで、ツカサは机に向かい、コミックとにらめっこしながら時折にへらにへらと笑みをこぼす。そんなとき、部屋のドアが不意にノックされた。
(誰かしら?)
土曜日の昼過ぎにいきなり訪ねてくるような人物に、彼女は心当たりがなかった。ひょっとして郵便屋さんだろうか。注文しておいた本が何冊かあるのだ。
書店には並んでいなくとも、インターネットの海の中には素晴らしい同人誌がまだまだたくさん販売されている。ネット社会、万歳。
「はーい。今開けるから、ちょっと待っててよね」
玄関に向かって声を掛け、ツカサが椅子からよっこらしょと立ち上がったのと同時、勢いよくドアが開かれた。
「よっ」
「よっ、じゃないわよ!」
片手を挙げて挨拶してきたのは、カイリだった。びっくりして、ツカサは腰を抜かしそうになった。
「ここが女子寮なのは知ってるでしょ⁉ 男子禁制なのに、何であんたが堂々と侵入してきてるのよ!」
「なんか裏口が開いてたから、そこから入ったぜ」
「入ったぜ、じゃないわよ。ていうか、思ったよりセキュリティがガバガバだった⁉」
いつも通りツッコミを入れたところで、ツカサはようやく「今の会話が他の住人に聞かれたらまずい」と気づいた。この寮では異性を連れ込むことが固く禁じられていて、もし違反した場合は即刻退寮になってしまうのだ。住民に「ツカサさんの部屋から男性の声がしました!」と通報されたらどうしよう。「ごめんなさい、BLアニメを大音量で見ていたんです!」と言い訳しようか。いや、苦しすぎる。絶対バレる。
「とにかく、話は中で聞くわ」
早口でそう言い、ツカサはカイリを部屋へ入れ、ドアに鍵をかけた。
せめてもの礼儀としてお茶を出してやり、ワンルームで丸テーブルを挟んで向かい合う。腕組みをした彼女は、ぷんすか怒っていた。なお、腕を組んでもほとんど胸が強調されないのがちょっと悲しい。
「まったく、信じられない。あたしが寮から追い出されちゃったら、どうしてくれるの? 東京の家賃は高いのよ。安っぽくてボロくてお洒落じゃない寮にでも入らなきゃ、やっていけないわ!」
「台詞の後半、女子寮に対しての不満を隠せてないぞ⁉」
こいつ、本当はもう少し良い物件に住みたいんじゃなかろうか、とカイリは思った。経済的な事情で、今はここに住まざるを得ないのだろうが。
そして、おもむろに居住まいを正した。
「心配するな。いざとなったら、小綺麗なアパートでも借りて二人で住めばいいだけの話だろ。何とかなるさ」
「二人で、って……」
ツカサは耳まで赤くなった。腕組みをやめ、顔のほてりを冷まそうとするように必死に手で扇ぐ。
「ば、馬鹿。同棲だなんて、あたしたちにはまだ早いわよ。だって、そりゃデートは何回かしたけど、まだキ、キスまでしかしてないのに……」
「いざとなったらの話だろ。先走ってんじゃねーよ」
そう言うカイリも、照れたように頭を掻いていた。
「まあともかく、突然押しかけたりして悪かった。特にデートの約束とかはしてなかったけど、なんか急に会いたくなっちまって」
「もう。しょうがない人ね」
一応、ツカサは機嫌を直したようだった。ぱたぱたと扇いでいた手を止める。
「あたしたち、こうして付き合ってるわけだし、特別に許可してあげなくもないわ。どうする? デートの予定は日曜日だったけど、今日にする?」
「何なら、土日両方デートしてもいいぜ」
「両方って……つまり、泊まりでってこと?」
またツカサは赤面してしまった。ああ、とうとうこのときが来たのか。男と女が一線を超える、禁断の瞬間が訪れるのか。色々な感情が一挙に押し寄せてくる。彼と一つになれる喜びももちろんだが、Bカップの至極平均的なスタイル(と自分では思っている)に彼は満足してくれるのかという不安、裸体を晒す恥ずかしさ、経験のなさゆえの心もとなさ、その他諸々。
「おう。あ、でも、やっぱり深夜に百合アニメをリアタイ視聴するのは外せないから、泊まりはなしだな。また今度にしようぜ!」
「爽やかな笑顔でサムズアップしてんじゃないわよ⁉ 期待させてからすぐキャンセルするのやめてよね!」
しかも、キャンセルする理由が「アニメをリアタイ視聴したいから」ってどうなんだ。ツカサはリアルタイムで見ることへのこだわりが薄いため、「録画すればいいじゃない」と思ってしまう派だ。
しかし、こんなことを言うと論争が起きかねないため、あえて口にしない。友人や恋人に対しても、ある程度の線引きは必要だ。相手の考え方を否定せず、受け入れなければ、良好な関係を維持することはできない。
「じゃあ、デートは明日改めてってことでいいのね?」
「おう」
二つ返事で頷いたカイリの視線が、机の上の一冊のコミックへ吸い寄せられる。
「おっ、『パンダー×パンダー』じゃん」
タイトルにはどこか聞き覚えがある気がしないでもないが、作品の中身はほとんどオリジナルの人気漫画。凄腕の暗殺者たちがトーナメント方式の大会で激しいバトルを繰り広げ、優勝者に贈られるパンダの高級ぬいぐるみを手に入れようとする物語である。
無貌を倒したことにより、人間界からは原典の影響が少しずつ薄れ、元の平和な姿を取り戻しつつある。完全にオリジナルの作品が発表される日も、そう遠くはないだろう。
「カイリも読んでるの?」
「ああ。俺のお気に入りは、第十巻だな。関西弁のあのキャラが、『五天剣』に当たる光を遮ることで天候を曇りだと誤認させ、新技『曇天斬』を発動するシーン。あれはもう、鳥肌が立つくらいかっこよかったぜ!」
「ナチュラルにネタバレしてんじゃないわよっ⁉」
よりによって、推しのかっこいいシーンをネタバレされるとは。ツカサは悲鳴を上げた。
「さすがに今のはないでしょ。責任取りなさいよね!」
「お、お前、何でまたそんなナチュラルに、エロ漫画のワンシーンみたいな台詞を……」
何を想像したのか、カイリはやや引き気味である。
「ラブコメ漫画って言いなさいよ⁉ 普段、どういう本を読んでたらそんな卑猥な発想ができるわけ? 信じられない!」
「百合の同人誌に決まってんだろうが!」
「キリッとした顔で言う台詞じゃないわよね⁉ あたしもBL読んでるから、あんまり人のこと言えないけど!」
近隣住民への配慮も忘れ、異性を部屋に上げていること自体が規則違反になっていることもこの瞬間だけは忘れ、若いカップルは会話に花を咲かせていた。
例のごとくぎゃあぎゃあと言い合っていたので、ツカサはスマートフォンの振動に気がつくのが一瞬遅れた。着信が来ているのを見て、すぐ電話に出る。
「もしもし」
『ケイイチロウだ。たった今、脱獄した東京卍帝国の元構成員らが、市街地で暴れているとの通報があった。休日に呼び出して悪いが、ツカサもすぐ向かってくれ!』
「分かったわ。戦士に休日はないものね」
通話を終了すると、カイリと目が合った。
「呼び出しか?」
「そうよ」
当然あんたも来るわよね、と目で問うと、恋人は頷いた。
「惚れた女を側で支えるのは、男の絶対条件だぜ。……それより、急ぐぞ。おばあちゃんが言っていた。戦いの時間に遅刻するような奴は、空き缶ほどの価値もないってな」
「いや、おばあちゃん何の戦いに参加してたのよ」
「分かんねえ。バーゲンセールとか、スーパーの特売とかじゃね?」
「戦いのスケールが小さい⁉」
ともあれ、無法者のバーゲンセールを見過ごすわけにはいかない。二人はなるべく物音を立てず、他の住民に出くわさないよう注意を払いながら、女子寮の裏口から脱出した。
今回、ご迷惑をおかけした作品
・HUNTER×HUNTER
※今回が、年内最後の更新です。年末年始はお休みをいただきます。読者の皆様も、良いお年を!