戦いを終え、早川裕介はオメガ珈琲の店員に戻った。平日は厨房で珈琲やサンドイッチを作ったり、お客様の注文を取ったり料理を運んだり、せわしなく働いている。
そして休日は、恋人と過ごすことが多い。といっても、いつもお出かけばかりでは疲れるので、今日は裕介のアパートでまったりしていた。
「ねえ、早川くん」
ソファに寝っ転がった美明日は、携帯ゲーム機をぽちぽち操作しながら言った。
「何だよ」
裕介はというと、ベッドでスマートフォンをいじってゴロゴロしている。
「私たちは今こうして付き合っているわけだけれど、そもそも『好き』という感情って何なのかしら。定義が曖昧だわ」
「どうした急に」
「仮に、『特定の相手と一緒にいるときに心拍数が上昇する現象』が、『好き』になっている状態に特有のものだとすると……」
出し抜けに、美明日はソファからすっくと立ち上がった。ゲーム機をテーブルに置き、眼鏡を中指でくいと押し上げる。
「今の私は、付き合い始めたときと比較して、早川くんの側にいることに慣れている。だから、心拍数の上昇は最初の頃ほどではないはず。とすると、今のこの状態は『好き』だと言えないのかもしれないわ」
眉根を寄せ、彼女は難しい顔で考え込んでしまった。
いや、俺にどうしろって言うんだ。マジで。あれか? 心拍数が上がるような超積極的プレイをしてくれって、遠回しに言われてるのか? でも、今真っ昼間だし、近所で子供たちが遊んでる声と、ママさんたちのお喋りがガンガン聞こえてくるんだよなあ……。そういうことをするムードは欠片もないぞ。
「もしもし? 美明日さん?」
裕介が呼びかけても、まるで反応がない。完全に自分の世界に入ってしまっている。
「『好き』の絶対条件は何なのか――難問ね。数学の三大難問に加えてもいいレベルの難問だわ。けど、頑張って必ず解き明かしてみせる。私は理系だから、恋に落ちたら証明しなきゃならないのよ!」
「……努力の方向性、間違ってねえか?」
ネトルを倒して元の彼女に戻ったのは良いことだが、研究好きな性格がたまに暴走しそうになるのが玉に瑕である。美明日のマイブームは往々にして一週間ほどで次のブームへ移行するので、裕介は「向こう一週間は『好き』の証明実験に付き合ってやるか」と腹をくくった。
一体、どんなことをさせられるのやら。大学院の研究室を借りて、白衣を着て、本格的なやつをするのだろうか。
(……ん? 冷静に考えると、これって科学じゃなくて心理学に近い実験じゃね? 俺や美明日の専門外だよな? てか、理系じゃなくて文系の領域では?)
と、そこまで考えたところでアホみたいな量のツッコミが脳内に湧いてきた。指摘した方がいいのかもしれないと思う反面、「野暮なことを言って恋人の機嫌を損ねたくない」という消極的で防衛的な考えも浮かぶ。
「好きだって思ったら『好き』でいいんじゃねえの。知らんけど」
とても理系とは思えないざっくりした回答を寄こし、裕介はスマートフォンでソシャゲを楽しむことにした。毎日やってると飽きてくる部分もあるけど、何だかんだで「ログインボーナス取っとくか」「デイリーミッション消化しとくか」「ついでに育成も一回だけしようかな」って惰性で遊んじゃうよね、ソシャゲ。
しかし、彼女を部屋に上げている状態で美少女ゲームをやるのは浮気にあたるのではないか。裕介はちょっとだけ真剣に考えた。こんなしょうもないことを真面目に考えてしまうあたり、やはり二人は似た者同士なのかもしれない。
何かを強く蹴り、砕いたような音が響いた。続けて二度、三度と衝撃が轟く。
若い男女がそれぞれ思索に耽る時間は、外から聞こえてきた爆発音で強制的に中断された。子供たちの楽しそうな声、主婦層の騒がしい話し声は今やもう聞こえず、悲鳴と叫び声に取って代わられている。
「早川くん」
「ああ」
瞬時に、二人は戦士の顔で頷き合った。窓を開け、ベランダに走り出て状況を確認する。
名古屋の街のそこかしこから、黒い煙が立ち昇っている。市街地の高層ビル群は、いくつかが損傷し、傾いていた。
「新手の敵かもしれない。とりあえず、現場に向かうぞ」
「ええ」
喫茶店の店員に戻ったとはいえ、裕介はまだ「オメガ珈琲シルバー」としての任を解かれたわけではなかった。不測の事態に備えて、久保社長は彼に戦士の使命を与えたままである。
銀色のバイクに二人乗りして、若きヒーローたちは破壊の中心へと急いだ。
道路に散乱している瓦礫の量が、名古屋中心部に近づくにつれて多くなる。これ以上バイクで進むのは無理か、と裕介は判断し、路肩に停車させた。衝撃や爆発音が聞こえる方向へ、パートナーと共に疾駆する。
「名古屋駅……許さん!」
やがて、なぜか名古屋駅に異常なほどの怒りをぶつけている怪人の姿が見えてきた。全身真っ黒で、バッタの特徴を備えている。アメリカに出現したという「超次元ライダーBLACON・RX」に少し似ているが、より禍々しいフォルムだ。
「やめろ。どうして名駅を攻撃するんだ!」
背中越しに裕介が投げかけた声を聞き、バッタ怪人は振り向いた。駅の外壁をキックで粉砕しようとしていたのを取りやめてくれて、美明日は少しほっとした。
「別に、名古屋駅に恨みというほどの恨みがあるわけではない。ただ、無貌様を倒した戦士の一人が、名駅から東京駅まで新幹線で移動したらしいと聞いただけだ。あのお方を倒すのに一役買ったものはすべて、俺が破壊する!」
おそらく、松本・オリジン・お菊のことだろう。それにしても、敵が使った移動手段さえ憎しみの対象とするとは、何て奴だ。やがては、新幹線に乗る前にお菊が駅弁を買った店まで襲いかねない。
「無貌様だと? お前、超次元生命体か」
「その通りだ」
裕介の問いに、バッタ怪人が大きく頷く。
「俺は『BLACON・SUN』。無貌様が倒されたことで原典のイメージ付与が薄れ、今はこの不完全な怪人態にしかなれないが、本来ならば超次元ライダーに変身できる。三武神『超ブラゴクウ』様に力を分けていただいた者の一人といえば、分かりやすいか?」
「なるほど。つまり、ブラコンレンジャーやBLACON・RXの超次元生命体バージョンということね」
恋愛脳モードからすっかり脱却した美明日は、一応納得したようだった。
「それで? 完全体になれない、いわば弱体化してしまった今のあなたが、なぜ人間界に侵攻してきたのかしら。超次元界を支配していた悪しき王、無貌は倒された。お菊さんたちレジスタンスは超次元界へ戻り、環境保護活動に励んでいる。二つの世界の問題は、概ね解決されつつあるはずよ。どうして私たちが、また戦わなくてはならないの?」
「……問題は解決されただと? ほざけ。お前たちに上から目線で押しつけられた平和など、反吐が出る!」
BLACON・SUNは、アスファルトへ唾をぺっと吐いた。「反吐じゃなくてただの唾液じゃねえか」と裕介は思ったが、まだ言い足りなさそうだったのであえてツッコまなかった。
「確かに、無貌様による原典のイメージ付与を拒む者が後を絶たなかったのは事実だ。しかし俺たちのように、原典の恩恵で得た強靭な肉体と、他を圧倒する戦闘力を誇りに思っていた者もいる」
千人以上の規模のレジスタンス組織が結成されるくらいだから、無貌の嫌われようは尋常ではなかったのだろう。けれども、一定数の支持派もいたようだ。
「無貌様がお隠れになった今、俺たちが授かった原典の力も少しずつ失われ始めている。――お前たちはあのお方を倒し、超次元界を救ったつもりになっているのかもしれないが、すべての民を救える指導者などいない。お前たちは多数派のレジスタンスを救った代わりに、少数派の俺たちを見捨てた。原典の力と、尊敬すべき王を俺たちから奪ったのだ。お前たちの忌まわしき所業、断じて許さん!」
雄叫びを上げ、BLACON・SUNは二人へ飛びかかってきた。
「無貌様の意志は、俺が継ぐ。人間界へ再侵攻し、あのお方を討ったヒーローどもを皆殺しにしてくれるわ!」
王を殺した者への復讐。ただその一心で、バッタ怪人は戦うのだった。
今回、ご迷惑をおかけした作品
・「理系が恋に落ちたので証明してみた。」
・仮面ライダーBLACK SUN