夏だからって、健康管理は怠らないようにしましょう。
──中央暦1639年5月12日 日本国 古明地ホテル──
朝の光が窓から差しこみ、重厚な木のテーブルを照らす。その上には日本の歴史書が広げられていた。
ムー連邦の技術士官『マイラス・ルクレール』と戦術士官『ラッサン・デヴリン』は真剣な表情でページを追っている。
目的はただ一つ。前世の記憶と現世の歴史がどれだけ食い違っているかを見つけることだ。
ヤムート時代から変化していないか、紀元前の頃からじっくりと見ている。
「やはり、昭和までは前世の記憶通りか。日清戦争、日露戦争、そして第二次世界大戦。高度経済成長を経て、バブル景気へと向かう」
マイラスはつぶやきながら、手元の資料をめくる。紙の擦れる音が、静かな部屋に響いた。ページを繰るたびに、前世の記憶が鮮明に蘇る。
(あの頃は日本語を読めず、口頭の説明に頼りきりだったな。今思えば苦労の連続だった。でも、それ以上に楽しかった。一言で言えば、極上の地獄体験か)
マイラスの口元にふと笑みがこぼれる。隣席のラッサンが静かに付け加えた。
「しかしバブル景気は崩壊、日本経済は大幅に失速。そこから長期の停滞期に入る。1990年代から始まる、いわゆる『失われた20年』だ」
ここまでは前世の記憶とあまり変わらない。せいぜい人物名や企業名が変わっているくらいだ。しかし、次のページを開いた瞬間、2人の表情が凍りついた。
(おかしい。あまりにも違いすぎる)
「なんだ、これは?」
マイラスが思わず声を漏らす。
歴史書の記録によれば、日本経済はバブル崩壊から数年でV字回復を遂げていた。
国内企業がIT産業やバイオテクノロジー分野で革新的な技術を次々と生みだし、国際競争力を取り戻している。
「少子高齢化、環境問題、貧困格差……数々の社会問題を迅速に対応している。当時の政局を考えれば、実現が難しいものさえも」
ラッサンの口調は冷静だったが、どこか信じられないといった響きがあった。
「まるで、未来の状況を予想しているかのように。未来人が国の舵取りをしているみたいだ」
「偶然にしては出来すぎている。ここまで完璧な回復はありえない」
マイラスは資料から顔を上げ、ラッサンをまっすぐに見つめた。
「特定個人がこれだけの社会変革を短期間で成し遂げたのか? 政治、経済、技術、社会システム……そのすべてに精通しているとか?」
「いや、1人では無理だろう」
ラッサンは即座に首を横に振る。
「だが、集団なら可能かもしれない。複数の転生者がそれぞれの専門分野を分担し、計画的に歴史を書き換えている。その可能性が高い」
「複数の転生者か……我々太陽会みたいだな」
マイラスの瞳が鋭く光る。彼らは確信した。現世の日本にも、自分たちと同じような組織が存在するのだと。
──1時間後──
マイラスとラッサンはタブレット端末を操っていた。部屋は静まり返り、聞こえるのは指先が画面をなぞるかすかな音だけだ。
転生者の歴史改変が経済や社会システムだけでなく、安全保障分野にも及んでいるという、マイラスの仮説を検証するため、インターネット上の軍事資料を調べていた。
「まさか、ここまでやっているとは」
マイラスは思わず、タブレットの画面を指差す。そこに表示された情報が信じられないのか、何度も目を瞬かせた。
「見てくれ。陸上自衛隊の主力戦車、35式戦車のスペックだ。主武装に120mm電熱化学砲を採用している。前世の同時期では、この技術はまだ研究段階だったはずだ」
「このサイトによれば、威力は140mm滑腔砲と同等以上。貫通力は1200mm前後!? 信じられない。導電性の化学反応物質を使うことで、誘爆のリスクさえ最小限に抑えているだと……」
ラッサンの口元からため息が漏れる。額にうっすらと汗がにじんだ。
「さらに無人砲塔とアクティブ防御システム。レーダーと光学センサーが360°カバー、死角は全距離で存在しない」
「ディーゼルエンジンと全固体電池、そしてゴム履帯の組み合わせで、従来型以上の隠密性と継戦能力を有している」
マイラスは一度言葉を切り、深く息を吐き出した。タブレットのページを切り替える。
「驚くのはこれだけじゃない。海上自衛隊の資料を見てくれ」
海上自衛隊の兵器が詳細な写真とスペック付きで掲載されていた。前世の転移前では持ちえないものも混じっている。
「信じられるか? 4隻の航空母艦が既に就役済み。しかも、全艦が電磁カタパルトを装備している」
「攻撃型原子力潜水艦、前世では憲法解釈の議論すらされていないぞ。現世では当たり前のように保有しているが」
2人は顔を見合わせた。日本の国防政策は専守防衛を掲げ、攻撃的な兵器の保有には慎重だったはずだ。しかし、現世の自衛隊は明確に保有している。
(ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾侵攻、イスラエルのパレスチナ侵攻……これらの紛争が日本人の思想を変えてしまったのか? いや、それだけではないだろう)
マイラスはさらに画面をスクロールする。
「これは純国産艦上戦闘機のF-3、第5世代戦闘機だ。無人随伴機のFQ-1というものもある。有人機が低リスクな役割を担当し、無人機は高リスクな役割を担う。この組み合わせは素晴らしい。まさに未来の戦場を想定しているな」
そして、極めつけは最後の項目だった。
「自衛官の定数を見てくれ。前世では約24万人だったのが、現世では約40万人。軍事予算もGDP比2%を優に超えている。もはや、名ばかりの専守防衛ではない」
2人は言葉を失った。
これは単なる技術革新や政策変更ではない。日本の国家観そのものまで変えてしまったのだ。
「ああ、やはり……この裏には複数の転生者が関与している。単なる個人の行動ではなく、組織的な活動だ。彼らが持つ知識を分担し、日本の未来を思い描いている」
ラッサンは力強く頷いた。
目前の資料はもはや単なる歴史の記録ではない。転生者組織が日本の未来をどのように描き、実行してきたのかを示す、壮大な設計図そのものだった。
「私たちはとんでもないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない」
ラッサンはマイラスの言葉に答えなかった。
ただ、2人の瞳にはこの謎を解き明かすまで立ち止まらないという、強い決意が宿っていた。
──同日 夜間──
マイラスとラッサンは自室のベッドに横たわっていた。窓際の机上には歴史書やタブレット端末が無造作に転がっている。
「どうする、ラッサン。このまま無為に時を過ごすか? それとも、私たちは彼らの痕跡を追い続けるか?」
マイラスが漆黒の夜空を見つめながら呟いた。
「もちろん、追うに決まっているだろう。俺たちは太陽会の一員だ。歴史の謎を見過ごすことなどできない」
ラッサンは冷静な口調で答えた。その時、静寂を破って部屋の扉が控えめに数回叩かれる。
「はい」
マイラスが扉を開ける。そこには古明地ホテルの従業員が立っていた。彼は1枚の封筒を差し出す。
「お客様、郵便物が届いております。先ほど配達されたばかりでして」
「この時間に? 珍しいですね」
マイラスは首を傾げながら封筒を受け取った。
その瞬間、なぜか胸騒ぎがした。封筒の表側には、自分たちの名前が日本語で書かれている。
「誰からだろう」
マイラスが封筒を裏返す。
差出人の欄には東京郊外の住所が記されていた。その真下に地球の言語ではないもの。ムー連邦の公用語で奇妙な言葉が添えられていた。
(極めて達筆な文字だ……なんだこれ?)
『人類に黄金の時代を』
マイラスは驚愕に目を見開き、封筒を強く握りしめる。そして、ラッサンの方に振り返った。
ラッサンも彼の表情からすべてを察し、静かにベッドから立ち上がる。
「見つかったのか……いや、違う。彼らは最初から私たちの存在を知っていたんだ」
マイラスが震える声で言った。従業員は何も知らない様子で会釈して、悠々と去っていく。
しかし、2人は確信していた。このホテルやインターネットだけではない。日本中が彼らの監視下に置かれていると。
「日本の転生者組織が俺たちを呼んでいる」
ラッサンは静かに結論を述べた。
封筒の中には1枚の地図が入っていた。それは東京郊外の住宅街を指し示している。地図の隅には簡潔なメッセージが添えられていた。
『この地で待つ』
彼らは太陽会の一員である2人の存在をすでに把握、接触してきたのだ。
もしかしたら、この日本視察の予定も、彼らによって仕組まれたものだったのかもしれない。
マイラスとラッサンは顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。
その瞳には恐怖ではなく、未知の存在との対決に挑む、強い決意が宿っていた。
【用語解説】
『電熱化学砲』
実在の技術(研究段階) 導電性の化学反応物質を蒸発させ、超高圧のプラズマガスを生成、その圧力で砲弾を発射する。
初速は1500~2500m/s。従来型の火砲とレールガンの中間的な存在だと言える。
どういう訳か、日本国内の知名度は非常に低い。なぜ?