──中央暦1643年8月1日 ムー連邦艦隊 旗艦『ラ・カサミ』──
ムー連邦艦隊司令官『ブレンダス』はCIC内部からメインモニターに視線を走らせた。その視線は艦体各部のリアルタイム映像に向けられている。
彼はコンソール脇のリモコンを手に取り、無言でチャンネルを操作した。飛行甲板の様子を確認するためだ。
幸いなことにまだ何も起きてはいない。しかし、この静寂は若干息苦しい。これから始まる嵐の前の張り詰めた空気に他ならなかった。
作業員たちは訓練通りに寸分の無駄もなく動き回り、艦載機の発艦準備を進めている。細部には若干慌ただしいところも見受けられるが、数十年ぶりの本格的な戦争なのだ、それも無理はない。
(よし、このまま順調に進んでくれれば……)
その時、彼の背後から声が響いた。
「司令官、艦載機の発艦準備は計画通りです。ただ、艦長として一言申し上げたい」
ブレンダスは振りかえらなかった。彼はあくまでモニターを見つめ続け、思考を途切れさせないよう率直に応えた。
「何だね、ミニラル艦長」
ラ・カサミの艦長『ミニラル』は自身の席を離れ、ブレンダスの隣数歩手前で立ち止まった。
「司令官。我々は数十年ぶりの本格的な戦争に臨んでいます。兵士たちの士気は高い。ただ、今回の相手はラヴァーナル帝国の置き土産。その技術力はなかなか侮れません。今までの敵以上に対抗してくることでしょう。マリンではいささか分が悪いのではないでしょうか?」
ブレンダスは淡々と答えた。己の決断を言葉で再確認するように。
「それは分かっている。だが、ミニラル。我々にはこれしかない。マリンは間違いなく現時点の最新兵器だ。今の技術力ではこれ以上のものはまだ作れない。今のところはな」
「まさか、新型機の計画はすでに……なるほど、マイラス君たちには頭が上がりませんね。そういえば司令官はどこまで把握しているのですか?」
「数ヶ月前、試作機が実証飛行したところまでだ。マイラス曰く、ラヴァーナル帝国戦には間に合わせるというが……いまいち分からん。技術的な話はさっぱりでな」
「そうですか。そうであれば心配ご無用でしょうね。ケネディスさんやマイラス君を信じま──」
《射出準備完了!》
カタパルト射出準備完了のコールが響き渡った。さっそく、艦載機が蒸気カタパルトへと据え付けられたようだ。
ブレンダスとミニラルは顔を見合わせ苦笑した。そして、モニターに視線を戻す。
既にジェットエンジンは火を入れられており、非常に甲高い作動音をまき散らす。その排気口からは燃焼ガスが炎の如く微かに揺らめいていた。
(マリンはほぼ別物になってしまったな。前世の時はレシプロ機だったのに)
ブレンダスの脳裏に機体の出自がよぎる。
ムー連邦の主力戦闘機。その外観はアメリカ合衆国のF/A-18E/Fスーパーホーネットに極めて酷似している。理由は単純明快だ。
マイラス曰く、在日米軍機を丸ごとコピーしたらしい。ただ電子機器やエンジンは独自技術で改良されており、本家仕様を超えているとか。
そのため、F-3以前の日本国戦闘機ならば圧倒できるようだ。流石に誇張していると思うが。
戦闘機のパイロットは親指を立てて、発艦合図を送る。甲板士官が射出信号を発信。次の瞬間、機体は凄まじい加速と共に紺碧の空へと弾き出されていった。
ブレンダスは静かに目を閉じ、太陽神に祈りを捧げた。攻撃隊が誰一人欠けないようにと。
この作戦の成果に介入できないのかもしれない。気休め程度の願掛けだが、この状況下ではやらないよりはマシだ。
その瞬間だった。
突然、レーダー観測員が警戒を呼びかけた。
「ブ、ブレンダス司令、日本国戦闘機の機影を確認しました! 識別信号は友軍の航空宇宙自衛隊及び在日米軍。識別信号の数からして約150機規模。そ、その座標は艦隊上空です。今まさに通過しています!」
「何だと!? 馬鹿な!!」
ブレンダスの声がCICに響き渡る。
「この距離になるまでまったく探知出来なかったとはな。ステルス性の次元があまりにも違いすぎる」
ブレンダスはモニターのレーダー情報を凝視する。まるで幻を見ているかのように呆然としていた。
レーダー上の識別信号には確かに『航空宇宙自衛隊』『在日米軍』と表示されている。彼らは極めて友好的な友軍だ。
だが、その事実でも打ち消せなかった。純粋な恐怖と自身の無力感が心の奥底からわき上がることを。
「レーダーだけではありません。光学カメラでも捉えました! 多数の機影が雲を突き破って……」
ミニラルは顔色を真っ青に染めていた。そして感情を押し殺すよう、静かに口を開いた。
「これが日本国の実力……我々がマリンの発艦準備に意識を向けていたとはいえ、意図もたやすく艦隊上空を通り過ぎて行った。いくら友軍と言えども、これほどの技術格差を見せつけられると。恐ろしいものですね」
ブレンダスは奥歯を強く噛み締めた。その歯軋りだけが彼の平静を破る唯一の音だった。
「ああやはり、日本国は恐ろしいな。その底が我々にはまったく見えない。前世の時でも現世の時でも……」
──ムー連邦海軍 攻撃隊──
紺碧の空には真っ直ぐな飛行機雲が幾筋も描きだされていた。数百機のマリンは精密な編隊を組み、ブランシェル大陸の海岸線を目指す。
ムー連邦海軍パイロット『メルティマ』は任務の重要性を冷徹に再確認する。
我々の任務はただ一つ。
アニュンリール皇国の残存戦力、特に航空戦力を徹底的に叩きつぶすこと。
(そう、これが全ての始まりだ)
そうすれば、後続の爆撃部隊は産業基盤とインフラを容易に破壊できるようになる。攻撃の精度はより高く、味方の撃墜の可能性は更に減る。この作戦は必ず成功させなくてはならない。
彼は顔を若干しかめる。身体が微かに痛むのだ。発艦時の衝撃で少なからずダメージを受けていたのだろう。
それでも機体と一体になるように動き、意識的に編隊の右翼に自機をピタリと収めた。
《全機発艦完了。これより、本隊との合流地点へ向かう》
編隊長の声が聞こえる。いつもの陽気な様子とは違い、かなり強ばっている。やはり、あの人でも流石に緊張するらしい。
我々第7航空団は全攻撃隊の先導役。極めて重要な役割を担っている。編隊長ほどではないにしろ皆一様に緊張しているのだ。
メルティマはコックピットの中で静かに息を吐いた。飛行速度を上げ、一際大きく旋回する。艦隊上空を最後の見納めのように見渡す。
1000隻以上の戦闘艦が威容を誇りながら進んでいる。その光景は鋼鉄の都市のようでもあり、壮大な観艦式のようにも見えた。
この巨大な力があれば負けるはずない。なぜか、無意識にそう思えてしまう。
《第2航空団より全機。空軍部隊と予定通り合流するぞ!》
メルティマは前方に目を凝らした。視界が固定される。多数の機影が魚群のように湧き出てきた。世界連合の空軍部隊だ。
彼らは世界各地からの長距離飛行の末、メルティマたち艦載機部隊と完璧なタイミングで合流する。
巨大な攻撃編隊は一瞬で形成される。太陽光を遮るのではないかと思えるほど、空を埋め尽くす。その質量感は鋼鉄の壁であり、圧倒的な暴力の予感だった。
《目標を確認。全機気を緩めるな。我々は今この瞬間、敵の領域へ踏み込む。真の抵抗はここから始まるぞ!》
編隊長の声は一気に緊迫感を増した。確かにアニュンリール皇国の戦略防空基地は沈黙したかもしれない。
しかし、彼らは誇り高く、獰猛な有翼の戦闘種族だ。必ず地上から航空機から、血の滲むような意地の抵抗を仕掛けてくるだろう。
メルティマはスティックを汗ばんだ手で強く握り直す。そして、計器板を戦闘前の習慣として再び見渡した。レーダーは問題なし。武装や燃料残量も万全、全ては計画通り。
(覚悟しろ、有翼人ども。貴様らが高慢に舞っていた空は、今日我々が永久に頂いていく!)
今回は用語解説をお休みします。