どこまでも透き通る空、乱雑に散らかった机、足元に広がるコバルトブルーの水溜まり、そして吹き飛んだ壁から差し込む暖かな日差し。
漂う空気も、都会のあまり上質とは言えないモノとは違いとても清涼感がある。
眼科に広がる、信じられないような光景。例えるなら御伽噺の一ページを切り取ったかのような空間の中にてーーーー後ろ側の席に顔を突っ伏し、眠る少女が見えた。
「…………」
元太は無言でゆっくりと近づき、彼女の青空のような髪を一撫でし、白磁のようなまっさらな肌をふにふにと触った。
自他ともに認める程に馬鹿みたいなダメンズではあるが、腐っても三兄妹の父親だ。母性というか、父性というか、そんなものをこの少女に抱いていた。
「んっ、んんんっ………むにゃむにゃ……」
つつき回すと、(何故か)ノイズ混じりではあるが寝言を呟いている。
「う、うぅぅんっ……むにゃ……んもう……ありゃ?」
どうやら、ようやく少女は気づいたらしい。時間という概念から切り離されてるこの空間で言えることでは無いが、遅めのおはようである。
「やっ、おはよ。よく寝てたね」
「?あれ?あれ、れ
……も、ももももも、もしかして……この空間に入ってきたってことは……ま、ま、まさか先生……!?」
表情と頭上のヘイローをぐるぐる変えながら、少女は辛うじて言葉を絞り出した。
「へ…?あ、うわああ!もうこんな時間!?」
(時計なぞこの教室モドキにはないが何故か)ようやく真昼間だということに気付いたのであろう少女はあたふたとしながら頭を抱え、その場をぐるぐると回り始めた。
「ちょいちょい、落ち着いて、落ち着いて!とりあえず、まずは君の名前教えてくれないかな?」
元太は慌てふためく少女を落ち着かせ、まずは自己紹介をするよう誘導させることにした。
「……はっ!そ、そうですね!分かりました!
ーーーー改めて、私はアロナ!この『シッテムの箱』に常駐するシステム管理者であり、メインOS。そしてこの先、先生をサポートする秘書でもあります!本当に、やっと会うことができました!私はここで先生をずっと、ずーっと待っていました!」
来るかすらも分からない相手をただひたすらに待ち続ける。それも誰もおらず、何も無い、どこまでも青く透き通ったこの
それは一体、どれほどの苦痛であったのか。……ただ、元太が来るまで彼女はぐっすりと夢の世界へ旅立っていた。なので、意外と快適に過ごせていたのかもしれない。
まぁ、部外者である彼があれこれ考えたところでどうにもならない。真実は本人のみが知るであろう。
「……うん、分かった。それじゃあよろしくね、アロナ!」
「はい!よろしくお願いします!」
アロナは手を上にあげ、鼓舞するかのようなポーズを取った。擬音を付けるなら「えいえいおー」とでも付きそうである。
「……そうだ!まずは形式的なものになるのですが、生体認証をお願いします!」
「……え?触れ合うの?生体ってことは」
「あー……確かに少し恥ずかしいかもしれませんが、手続きだから仕方ないんです。こちらの方に来てください」
元太はそういうアロナに「うーん…」と苦笑を浮かべながら彼女に近付いた。
「えーっと、もうちょっと……」
「あ、遠かった?ごめんごめん」
するとアロナは元太の前で右の人差し指を上げた。なんだがここに指を重ねればあっという間に某SF映画の名シーンが完成しそうである。
「さぁ、この指に先生の指を当ててください。……ふふっ、まるで指切りしてるみたいでしょう?それで指に残った指紋を目視で確認するのですがすぐに終わります!こう見えて目はいいので!」
と、自信満々に(無い)胸を張るアロナ。大丈夫だろうか、お約束ではそういうとだいたい失敗するのか定石だが。さっきの居眠りと言い、ポンコツ臭がするなと
「どれどれ…………」
……。
「うう……」
…………。
(うーん……あんまよく見えないかも。でもまあ……これでいいですかね?)
凡そ秘書と言うにはあまりに適当すぎる思考である、それでいいのかシステム管理者。
というかAIの癖して妙に人間臭い。中にめんどくさがり屋のおっさんでもインストールされてるのだろうか。
「はい!確認終わりました♪」
「……おっ、ありがとね」
ちょっと腑には落ちないものの、これくらい別にいいかとスルースキルを発揮し、元太はアロナから指を離した。
「ーーーさて、では先生。まずは其方の事情というか、外で何が起きてるのかを話してもらってもいいでしょうか?」
茶番は終わり、ようやくここから本題に入る。やっとこさ、情報交換の時間だ。
ーーーーーー
「……なるほど、先生の事情はだいたい分かりました。
連邦生徒会長が行方不明、そのせいでタワーを御する手段がなくなった……」
ある程度話し終えると、アロナは頬に手を当て思案を巡らせる。
「所でさ……その連邦生徒会長って誰なの?」
元太は一番疑問に感じていたことを投げかけた。それはなぜか、キヴォトスを知り尽くした目の前の少女なら、何か知っているかもしれないという希望的観測である。
ーーー後、なぜか夢の中で垣間見た連邦生徒会長(らしき人物)に目の前のアロナがなぜか似ているというのもある。
「うーん……私はキヴォトスについては数多くの知識を持ち合わせていますが、連邦生徒会長については殆ど知りません。彼女が何者なのかさえ……」
「分からない……か」
やはり、彼女でさえ何も知らないらしい。ここまで情報がないとは予想出来なかった。とにかく、彼女に関しては少しずつ調べていけばいいかと割り切り、まずは目の前の問題をどうにかせねばと思ったがーーー
「はい……お役に立てずすみません。……ですが、サンクトゥムタワーの問題は解決できそうです!」
ーーーどうやら目の前の彼女が解決の一手を担ってくれるらしい。これは頼もしい限りだ。彼の中に芽生えてたポンコツお嬢ちゃんという称号が、少しはマシになった瞬間であった。
「じゃあお願いするね。アロナ」
「はい!分かりました!それではサンクトゥムタワーのアクセス権を修復します!少々お待ちください!」
ーーーーーー
「……サンクトゥムタワーのadmin権限の取得完了。先生。サンクトゥムタワーの制御権を無事取得できました。今、タワーは私アロナの統制下にあります。
今のキヴォトスは先生の支配下にあるも同然です!先生が指示さえしてくだされば、サンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管出来ますが……大丈夫ですか?連邦生徒会に渡しても……」
(え!?はやっ!二分も経ってなくない!?)と声を荒らげて元太は言いかけそうになった。想定よりも速すぎる。
そして目の前の少女、とんでもない提案をしてきた。この学園都市の支配者になれる片道切符をさも当然のように渡してきた。
もちろんただの一般市民である元太はあまりそういうのは要らない。そんな力持ってようが自分じゃ宝の持ち腐れである。
「……多分現状これが一番安全な選択だからね。うん、承認で」
元太は今の所一番信用出来るであろう連邦生徒会に全てを委ねることにした。
「分かりました。これよりサンクトゥムタワーの制御権を連邦生徒会に移管します!……では、先生。お疲れ様でした。一旦ここでお別れですね」
「へ?どういうこーーー」
ーーー瞬間、元太の意識はブツリと途切れた。
ーーーーーー
「ーーーーへ?こ、こは……?」
ぱちくり、と元太が目を開けるとそこは明かりの灯ったシャーレの地下室であった。
「……はい。分かりました」
「サンクトゥムタワーの制御権の確保を確に「うわぁ!?」……先生?」
「あ、君か……。ごめんごめん……」
元太は突然入ってきたリンに驚き、飛び上がってしまった。
「……?とにかく先生、改めて。これからは連邦生徒会長がいた頃のように行政管理を進められます。本当にお疲れ様でした、先生。キヴォトスの混乱を防いでくれたことに、連邦生徒会を代表して深く感謝します」
「……あ!そういえばここを襲った生徒たちって……」
「それならご心配なく。停学中の生徒たちについは、
「そっ……そっか」
元太は内心で驚いていた。学生による警察組織もあるとは。
いや、無ければこの世の終わりのような治安のキヴォトスで犯罪を取り締まる事は出来ないだろうから当然と言えば当然なのだろうが。
「それでは『シッテムの箱』は渡しましたし、私の役目は終わったよう……いえ、最後に一つだけ」
「ついてきてください。連邦捜査部『シャーレ』を紹介します」
ーーーーーー
リンに連れられ、辿り着いたのは『近々始業予定』と扉の前に雑に貼られた貼り紙が目立つオフィスであった。
「ここがシャーレのメインロビーです。……長い間伽藍堂でしたが、ようやく主人を迎えることが出来ましたね」
リンはそう言い、ガチャリと扉を開け、それに元太も続く。
「そして、ここがシャーレの部室です」
「……おお」
目の前に広がるのは様々な備品が置かれ、棚には銃や様々な小物がしっちゃかめっちゃかに置かれた広々としたオフィスのような一室。
「ここで先生のお仕事を始めるといいでしょう」
「仕事……ね。具体的に何をすればいいのかな?」
そう。先生としてここに放り込まれたのはいいとして何をすべきなのか。
「……シャーレは、権限だけはありますがこれといって目標がないので特に何をやらなければならない……といった強制力はありません」
「キヴォトスのどんな学園のどんな自治区にも出入りでき、所属に関係なく、先生が希望する生徒たちを部員として加入することも可能です。……捜査部とは呼ばれていますが、その部分に関しては会長もこれといって触れていませんでした」
「……本人に聞きたくとも、行方不明のまま」
「……だよ、ね」
「私たちは彼女の捜索に全力を尽くす為、キヴォトスで起こる問題に対応できるほどの余力がありません」
「リアルタイムで送られる連邦生徒会へのクレーム・苦情、部への支援要請、落第生の補習授業などなど……。」
「もしかしたら、時間の有り余ってる『シャーレ』なら解決出来るかもしれませんね。一応、書類はデスクに置いてありますので、時間があれば目を通してみてください。全ては先生の自由ですので」
(……先が……先が思いやられる……。でもまぁ、頑張るしかないか……)
「それではごゆっくり。必要な時にはまたご連絡いたします」
バタン
ーーーそう言い、リンは退室した。
「………………」
それを見届けた元太は、ジュラルミンケースからデストリームドライバーを取りだし、これからどうすべきか物思いに耽った。
「…………あー!とにかく仕事だ仕事!いつまでも湿気た気分でいても気持ち悪いだけだしな!」
何故ベルトがあるのか、何故キヴォトスにいるのか。疑問は尽きないがとにかく今は前を向いて自分の出来る事をするしかない。そう吹っ切れた元太は早速デスクに置いた『シッテムの箱』を起動させようと思ったーーーその時。
「……え?」
彼は、自身の体に起きていた異変にようやく、気づいたのであった。
「な、ぇ、は……………
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!??????」
目の前のタブレットの液晶に反射する自身の顔は、見違えるほどに
端的に言って意味がわからない。何故こうなっているのか、訳が分からない。何度もぺちぺちと自身の頬に触れても、それは嘗ての自分の顔そのものである。
「は、はは……。う、ウッソだろオイ……もう、何が一体…どうして……ワケわかんねぇよこんなん……」
ぐらりと、椅子に倒れ込んだ元太(純平ボディ)。もう、頭の処理が追いついておらず、出来るものなら寝落ちを決め込みたいものだがとにかく、まずはデスクに置かれたシッテムの箱を起動させるだけでもしよう、そうしよう、無謀な現実逃避のために。
『……んん?あ!』
タブレットに映るのは先程不可思議な空間で出会った可愛らしい秘書、アロナ。
『……あはは。なんだかとても慌ただしい感じでしたが……ある程度落ち着いたようですね。改めてお疲れ様で…………って、えぇ!?先生!だ、だだだだ大丈夫ですか!?』
数分ぶりにこちらの顔を見たアロナは、先程までの優男フェイスが消し飛び、亡者の如くげっそりとした彼の顔に驚愕と恐怖心を抑えきれなかった。一体、
「あは、ハハハ……。キニシナイデ……うん、頼むから。まぁ、俺のことはどうでもいいとしてそれより、アロナもお疲れ様」
『……え、あ、はい。ほ、ほんとに大丈夫なのかな……?でも、本当に大変なのはこれからですよ?これから先生と共にキヴォトスの生徒たちが抱える様々な問題をビシバシと解決していくのです……!』
『単純なようで決して簡単ではない……とっても重要なことです』
アロナは目をキラキラとさせながらそう言った。まさか小市民である自分が学園都市で先生になるとは予想だにしてなかった。気が重いが、子供たちの夢を守るライダーとして、成すべきことを成すだけだ。
『それではキヴォトスを、シャーレをよろしくお願いします、先生!』
「うん。こちらこそよろしくね!アロナ!」
倒れそうな体を叱咤しながら、元太はどうにかアロナに元気よく声を返した。
『はい!では、これより連邦捜査部『シャーレ』とし最初の公式任務を始めましょう!』
これにて長かったプロローグも終わり!閉廷!
ようやくほんへに入ります。長く待たせてしまい、申し訳ない……。