「夜になっても意外と明かりは灯ってるのね……」
リュト達と一端別れ、魔界が発生した場所に戻ったリコードはそう呟いた。数百年前は魔界なんぞが発生した日には誰も彼もがパニックになって逃げ惑っていたが、魔道具やら何やらの進歩によって、今では取るに足らない日常に成り下がっていた。
「あの魔女が原因なのかしら……?」
魔界の発生原因を探っていたリコードは最も手近な可能性を疑うが、過去の歴史からそれを否定する。
確かに異常ではあるし、滅多に起こらないのは確かだが、魔界が発生する程の歪みを引き起こすかと言われればそれは違う。精々、低級の魔物が少し出てくる程度だ。実際、リコードの脳内に『記録』された過去の歴史を検索してみれば、少ないながらもそういう事例はあった。そしていずれも程度の低い歪みで終わっていた。
「寧ろ下手に殺害する方が面倒なのよねえ……」
なお、そういう事例が大惨事に発展するのは殺害や破壊などの『余計な手出し』をした場合である。経緯はケースバイケースと言ったところだが、いずれも事態が拡大して収拾がつかなくなっていった。
「でも放置もできないわ。あの子はあの子で普通にきな臭いし」
とはいえ、ヴィオラが特殊な事情持ちである事に変わりはない。歴史を検索してみても彼女の情報は何一つ出てこないのだ。これは流石に異常と言わざるを得ない。
なお、リコードの脳内には全ての『昨日』、つまり歴史が記録されてるとは言ってもその全てを常時閲覧しているわけではない。そんな事をしたら流石に彼女の特殊な頭脳を以てしても処理できない。なので何かしら情報を得ようとする場合は『検索』しなければならないのだ。
「ただ、むしろ警戒すべきなのはあの子本人じゃなくてあの子を狙う勢力……と」
「珍しくちゃんと仕事してるじゃな~い? 普段からそうしてればいいのに~」
妙に甘ったるい声と共にリコードの前に一人の女性が現れる。
その女性はくすんだ金髪をボブカットにし、服装は身体のラインが出るタイプの黒いロングドレス姿で、処刑者の中でも無駄に持て余している(リコード談)凹凸の激しいボディラインが暗闇でもよく分かる。しかし、この人物の特徴で最も目を引くのは右眼を含めて顔の右上を隠すように付けられた仮面のような何かだろう。厳密に仮面なのかはリコードには分からない。リコードの時計の針や胸元の機構のように身体の一部なのかもしれない。とはいえ、着脱可能らしいのでやはり装飾品なのだろう。
「たまに働くからメリハリが出るのよ」
「うふふ、そうかもしれないわね」
「というか、もう着替えたの? 朝に会った時とは違う服装ね」
「ええ、さっきまでパーティーに出ていたの。でもしっかりと手順を踏んで抜け出してきたから心配は要らないわ」
それはどうやら本当のようで、グラスごとテイクアウトしてきたのであろうワインを上品に飲む謎の女。リコードは世間話もそこそこに用件を済ますべく口を開いた。
「とりあえず、貴女が欲しがっていた情報は調べてきてあげたわよ、ドルチェット。私が積極的に動くなんて珍しいんだから崇め奉りなさい」
「感謝はするけど崇拝はしないわぁ」
ドルチェットは人間のような見た目をしているが正体はリュトやリコードと同じ『処刑者』の一人、『墜落』の死神である。彼女の能力柄、主に非合法組織や繁華街などの人の闇が渦巻く場所での情報収集や粛清を行う事が多い。今夜も、おそらく組織間の親睦を深めるという名目のパーティーにでも出席していたのだろう。
死神に人間の善悪は関係が無い。絶対視するのは命の秩序という真理だけであり、それは人間が考えるような倫理だけで縛る事などできないのだ。とはいえ、ドルチェットにも境界線はあるらしく、全く以て話が通じないわけではないのだが。
リコードがヴィオラについての情報を伝えると、ドルチェットは鷹揚に頷き満足したような表情を見せる。
「聞くまでもないと思うけど、ご満足いただけたかしら?」
「ええ、大満足よ。むやみやたらに『狩り』と敵対する必要がなくなったもの。あの子加減を知らない上に強いから、闘いになったら嫌よねえ……」
ドルチェットはそこまで言って表情に憂いを浮かべる。
「でも……その魔女のヴィオラちゃん、ちょっと心配だわ? 真実を知って自棄を起こさないといいけど」
「……どういうことかしら」
「だってその子の視点では『狩り』が探し物の一つだったわけでしょう? ようやく見つけたのに『違う存在』としてつっけんどんな態度取られて……普通はこれだけでも絶望するわぁ。しかも、混ざっているアリアちゃんが『狩り』の元恋人で、意識しないようにしてるだなんて。ヴィオラちゃん視点では結局、自分自身の事は見てくれてないという事じゃない」
リコードはアムネシア戦の後のヴィオラの様子を思い出す。確かに、浅いとはいえ恋慕の情を抱いてしまっているのならドルチェットの言う内容は絶望でしかない。
「でも……アイツの価値観は死神としては間違っていないわ」
「珍しい事が続くわねぇ。貴女『狩り』の事は嫌いじゃなかったのかしら」
「五月蠅いわね。確かにアイツの事は嫌いだけれど、死神としては人格者だわ。何度アイツと共闘したと思ってるのよ」
少なくとも目の前の女よりは人格者であろうとリコードは思う。ドルチェットとは気が合う方だが、それでも好きになれない部分は有るのだ。
「そう、死神として模範的で、中途半端に人間的な倫理観に縛られているのが問題なの」
リコードは言葉を詰まらせる。ドルチェットから揶揄うような空気と笑顔が無くなり、いかにも処刑者然とした怜悧な表情を見せる。
「良く言えば、『狩り』はヴィオラちゃんを一人前のレディーとして認めてるって事ね。死別した恋人と同一視せず、過去に当て嵌めて歪んだ理想を押し付ける事は無い。結構な事だわ。これは珍しく皮肉ではないの」
「…………」
「でも、それでヴィオラちゃん本人を傷つける結果になるかもしれないという思考に行きつかない所が、『狩り』の甘さと言えるわね」
ドルチェットはワインを飲みながら口を虧月のように笑わせる。まるで非合法組織の頭目のように。
「いっその事、私がこの力を以て『狩り』とヴィオラちゃんの潜在意識を
「……それは私にとっての禁忌とだけ言っておくわ。秩序を守る処刑者が一人減る事になるわよ」
リコードは表情を消して威嚇の言葉を吐く。既に細剣を手に持っており、周囲に短剣を展開していた。それを見たドルチェットは、
「ふふふ」
「何よ」
優雅に笑っていた。だがそこに敵意や嘲笑の意図は見受けられない。
「貴女のそんなに怖い顔を見るのはいつ振りかしらね」
「ちょっと……今までの言葉が全て私を揶揄うためのものだったの!? 意地が悪いにも程が―――」
「残念ながら違うわね。今語った言葉は『処刑者』、『墜落』の死神としての嘘偽りのない本音よ。ドルチェット個人としては貴女や『狩り』の事を気に入っているし、ヴィオラちゃんとも仲良くしたいと思ってるの。でも、私達は時に非情な決断を下さなければならない立場でもある。『狩り』の甘さに引っ張られて、判断を誤るような事があってはならないわ」
「…………」
リコードは何も言えなくなる。論理的には反論のしようが無い。ドルチェットはあくまでも『処刑者』という、いちシステムとして動いている。ドルチェット本人の感情も絡むことはあるにせよ、だ。どれだけ悪人面をしようと、支配者然とした振る舞いをしようと、その根幹は揺らがない。
そんなリコードの様子を見て、ドルチェットは「ふふ」と笑う。
「心配しなくても、今言ったのはあくまで最終手段よ。そんな簡単に貴女の『喧嘩相手』を奪うような事はしないわ」
「……………はぁ。もういいわ。それで、何で貴女がこんな情報を欲しがるのかしら。もしかして人間達が何か企んでるの?」
「ええ、ちょっと厄介な組織が私達に歯向かおうとしてるのよねぇ。その活動の足掛かりにヴィオラちゃんを使おうとしているみたい。『狩り』は言わずともすっ飛んでくるでしょうけど、貴女にも協力してもらうかもしれないわ」
「良いわよ。乗り掛かった舟だもの」
「変なところで真面目よねぇ、貴女」
「勘違いしないで。途中でほっぽり出したら更に面倒になるからよ」
「そういう事にしておきましょう」
それでも仕事が増える事になったリコードは心底面倒そうな顔をする。ドルチェットも一部それに深く同意しながら情報を話した。
「それじゃあ話すわね。叛死神組織『シャローム』について」
♪♪♪
虚無が肌を、臓腑を撫でる。
ヴィオラの半生を振り返るとなると、こう言う表現が最も適当だった。記憶が無い。自分を産んだ両親の顔も、育った土地も、自分の本当の名前さえもヴィオラは知らない。
周りの言葉から、どうやら自分が魔女と呼ばれる存在で、不自然なほどに充実した知識や魔法の由来はそこだろうという程度は察する事が出来たが、それだけだ。
リュトの忠告から、自分は悪人からも狙われやすいのだと分かった。でも、それすらも自分を定義づける要素として歓迎してしまった。衣装替えの魔法を無意識に避けていたのは、きっと何者なのか分からない自分がこれ以上変質するのが怖かったからだ。戯言と思うかもしれないが、そんな迷信めいた事を真剣に考えるほどにヴィオラにとってそれは恐怖だったのだ。
虚無、記憶喪失。自分が何者なのか分からない。自分を知ってる人もいない。それが、怖い。それが、恐ろしい。
ヴィオラは何度か、ならず者に捕まった事が有る。口を塞がれ、手足を縛られ、牢に入れられ、下卑た視線を向けられてもヴィオラに恐怖は無かった。多少はあったが、それよりも聞いてみたいことがあったのだ。
「私が何者か、知っていますか?」
相手は「魔女で、女だ」と答えた。そして布を噛まされて放置された。ヴィオラは少しがっかりした。元々大して期待していなかったが、もしかしたら相手が自分の素性を知っている可能性に賭けてみたのだ。
失望したヴィオラは脱獄した。拍子抜けするくらい簡単だった。攫った人間の縄すら満足に縛れないなんて、悪人としてちょっと問題があるんじゃないかな? とか思っていたのは内緒である。真相は、服の中に飼っていた虫に縄を食べさせただけだ。大気を操作するわけでもなく、小虫を操るくらいなら詠唱しなくたって出来る。色々な意味で詰めが甘い悪人だったとヴィオラは可笑しくなった。
「捕まえたなら服も奪うべきだったね」
ヘアピンで牢屋の鍵を開けながら小声で独り言ちる。羞恥心の類は多少はあるが、この手の人種はそういう事を気にしないだろうとヴィオラは思っていた。
出口を探す中で荷物を取り戻し、路銀も少しくすねた。魔法で音を消したり、探知魔法を使って慎重に動いていたが、それでも見つかってしまった場合は相手を殺した。下手に情けをかけたらヴィオラ自身が危ないし、この世界では盗賊との闘いで殺し合いになる事は珍しくない。
因みに、死体は身ぐるみを剥いで溶解液で溶かしておいた。死体を発見されて騒ぎになっても面倒だし。因みに、例の如く魔法で弄った酸なので実質消滅に近いレベルで溶かせる。
殺人の恐怖もあまりなかった。元々、死が身近に存在する世界だというのもあるが、おそらく自分には致命的に何かが欠けているんだろうな……と、ヴィオラは他人事のように思っていた。だからこそ、死神に対する恐怖心等も存在しないのだが。
怖いと言えば、市井で子供たちと遊んだ時に恐怖を感じた。
子供たちに、ではない。
〝僕は狩人になる!〟
〝私はカワイイお嫁さんになる!〟
〝お姉ちゃんは何になりたいのー?〟
そんな無邪気な会話。言った本人でさえそこまで真剣には考えていないかもしれない言葉の数々。
だが、ヴィオラにはそれすらも無いのだ。夢も、希望も、絶望も、嫉妬も、過去も、未来も無い。未来を聞くなら教えてくれと思った。理不尽な怒りを子どもにぶつけたくなった。
自分にあるのは、人を気取った虚飾だけだ。夢に出てくる、誰にも共有できない死神だけだ。
塵になってゆく、風に流れてゆく。
指が、声が、涙が、肺が、心臓が
霞になってゆく、雨になってゆく、凍土になってゆく。
誰か私に心を与えて欲しい。欲望を与えて欲しい。正義を与えて欲しい。悪を与えて欲しい。光を見せて欲しい。闇を見せて欲しい。
もう虚飾を取り繕うのも限界だった。もう虚無に耐えられなかった。そしてその矛盾にも耐えられなかった。
『魔女』としての服装が誘拐を誘発した事は何となく察しがついていた。が、ヴィオラは期待していたのだ。もしかしたら攫いに来る人の中に自分を知っている人物がいるかもしれない、と。
だから、夢で見た死神を現実に見つけた時、嬉しさのあまり泣き崩れてしまった。思わず「愛してる」なんて嘘もついてしまった。でも、口から出まかせにしては随分と堂に入っていたような気がするのも確かだった。今までと違って頬が熱いし、動悸も激しいが、それが愛なのかもヴィオラには分からなかった。でも、離れたくもなかった。
多分、相手の死神の反応からするに自分と彼は浅からぬ関係なのだろうな、とヴィオラは思っていた。具体的にどういう関係なのかは分からない。もしかしたら恨まれている可能性もある。
どこか自分との関係を教えたくないと思っているらしい死神が何を思っているのか分からない。だが、自分を虚無から救ってくれるかもしれない相手だ。幸い、魔女である自分の寿命はまだまだ長いだろう事も死神が教えてくれた。気長に待とうじゃないか、とヴィオラは思った。
「無理に聞き出そうとは思わないけれど、言いたくなったら教えてね?」
ヴィオラは頬を染めながら、死神の手に口づけして与えられた部屋に行った。
いつの日か、自分に意味を与えてくれることを願いながら。
ドルチェットについてはまた捕捉するかも。それとリコードもただリュトの事を嫌ってるわけではないという感じですね。
それからヴィオラ。この子のテーマは『虚無』なんですよね。AIなどと違い、多少の感情はあるのですが、我々が心と呼ぶ感覚が希薄なんです。或る意味では真性のサイコパスとも言えます。リュト達と出会わずに長い生を生きていたら『ステレオタイプな悪い魔女』になっていた可能性もあります。ただ、行動に関してはファンタジー世界の住人としては普通の範疇かもしれないとも思います。
一応補足しておくと、ヴィオラが魔女装束をやめたのは自分を知ってそうなリュトに出会ったからです。単純に変な迷惑をかけたくないというのもありますが。