「Sile ea sula. Kaf yesilia zaf resulea.」
夜。
リコードが我先にと寝たサクスの家の一室で、少女の歌声が響く。声の主は『歌』の死神と混じり合った魂を持つ魔女、ヴィオラだった。小さな口から零れ落ちるは魔法言語。呪文や詠唱の形態は幾つもあり、必ずしも歌う必要は無いが、ヴィオラにとってはこの形が最も魔法をうまく使う事が出来る。
「Gyfu zaf qide ea puslav. Briongloid, reyuroa pusla lu nydu kaf.」
ヴィオラは更に歌を重ねる。今作っているのは魔法を使った眠り薬で、不眠症の改善にも、敵を無力化する道具としても使える。しかし用途はどうあれ、飲んだ相手を眠らせる目的である事は間違いない。眠るためには安息が必要だ。
ヴィオラは眠る相手を思い浮かべ、たとえ残酷な過去が存在したとしてもせめて今はそれらから解き放たれ安息の中に眠る事を祈る。
「おーい、調子はどうだ?」
ヴィオラに与えられた部屋にノックの音が響き、ヴィオラは作業を中断して来客に対応する。聞こえてきた声の通りに、来客はリュトであった。
「眠り薬はもうすぐで揃いますよ。少なくとも店頭に並ぶ分は」
ヴィオラはサクスの家に住む代わりに、彼が売る品物の一部を生産している。サクス自身は断ったが、ヴィオラが申し出たのだ。リコードよりも世渡り上手だとリュトは感心していた。何故なら、ヴィオラの性格も有るのだろうが、『只より高い物はない』という前提条件が染みついているが故の行動だったからである。
代理人の片手間で商売をしているサクスにとってはありがたい申し出だったので、強く断る事もしなかった。
「ん? その色の違う瓶は何だ?」
「惚れ薬です」
「……自意識過剰でなければ身の危険を感じるぞ」
リュトは少し引き気味に返答する。ヴィオラからリュトに向けられる好意は明け透けと言って差し支えない。このような行動に出る事もあり得ない話ではないのだ。
「ふふ、冗談ですよ。ただの蜂蜜酒です」
「あながち間違いでもないじゃねえかよ……」
しかし、揶揄うような表情でヴィオラは前言を否定する。しかし、精力増強と催淫効果のある蜂蜜とアルコールを原料とする飲料なので嘘というわけでもなかった。勿論売り物だが。
こういう仕草はアリアそっくりだとリュトが内心で葛藤していると、ヴィオラが新たな瓶と材料を取り出して提案する。
「疑うなら、作るのを見ていきます?」
「良いのか?」
「製法自体は良く知られてるものですし、私以外がいても魔法は使えます」
ヴィオラはそう言うと、材料を混ぜ合わせながら詠唱する。
「Dugha dine evileos. Gulna, midyeod, wine zaf biraod.」
「時が酩酊を作り出す。蜂蜜、酒、彼らの婚姻を祝い給え」というような意味だとリュトは当たりを付けた。この形態の魔法言語はそれほど詳しいわけではないが、多少は知っていたため何となく分かったのだ。
「ね? お酒だったでしょう?」
「そうだな。漏れ聞こえてくる単語もそれだった」
「珍しいですね。この魔法は今ではあまり使われないと聞いたことがあるんですが」
「何せ、それなりに年増なもんでね」
ヴィオラが使う魔法言語自体はともかく、この使用法は言葉に加え、歌の要素も追加されるためにあまり使用者は多くない。正に彼女のようなイレギュラーの為に存在するかのような魔法だった。
理解者を得た事に楽しくなったのか、商品を作り終えたヴィオラはもっと色々な魔法を見せたいと言った。彼女は笑顔でリュトの手を取り、歌う。
「Guslav an bileov ridaor, dicevise an sutha, muslav ea citheoty, zaf cige durrav qy zaf fisaos. Aer ha ahitel durrav te laf?」
初めて会った時に唱えていた変装の魔法を唱えたヴィオラ。今回はあっさり成功し、まるで講師のような格好になる。何処で見たのだろうとリュトは思ったが、学問の都であるムジカナムに立ち寄った事があるらしい。
この世の知識が全て保存されていると噂される街。自分の正体を知りたいヴィオラが赴く場所としては順当だろう。もしかしたら類似する記録が残っているかもしれない。結果は空振りだったようだが。
「Nireom ea sutha, ahcigel sutha, croy ahgithel.」
「この前も見た風の魔法だな」
「復習は必要なさそうですね」
「当たり前だ。さっきも言ったが年増なんでね」
では、とヴィオラは魔道具で点けた明かりを消して、新たな魔法を唱えた。
「Sulav, ahsilel ea dulav.」
ヴィオラがそう詠唱すると、彼女の指先に光が灯った。最初の単語は『光』を表し、次に動詞形にした後に活用して『闇の中で光る』と付け足している。
「これが炎だとDrithleogasとなりますね」
「ほお、多少知ってるとはいえ自分では使わねえから新鮮だ」
「まあ、便利な魔道具が存在する以上、日常生活ではあまり使わないですけどね」
リュトは夜目が効くからこの程度の明かりがあればほぼ全てを見通すことができる。それこそ、いつの間に歌ったのか分からないが、少し小綺麗なドレスに着替えて頬を染めたヴィオラの事など見逃すはずも無い。
「ねえ、死神さん。私と少し、踊ってくださいませんか?」
ヴィオラに自身は自分の過去を知る死神に近づくための策と思っている。しかし、彼女の頬と声は隠せない熱を帯びていた。人の心が無いと自覚する彼女だが、感情が無いわけではないらしい。
「旅をしている間に聞いたんです。貴族の人は親交の印にダンスを踊り、他の人も祝福に踊る事があるって」
「それが、なんだ?」
「白々しい反応は無しです。私は貴方の全てを知らない。でも、私は少しでも貴方を知りたいんです」
ヴィオラはそう言ってリュトをベランダに連れ出した。なお、この建物はそれなりに大きい。にもかかわらず貴族でもないサクスが購入できたのは、建物が乱立した事によって本来の正面玄関が使えなくなっているからだ。それによって相場の半値以下で購入できたのである。
閑話休題
ベランダに出た二人は貴族がワルツを踊るように手を取る。
「今更だが、俺の事を知りたいなら、ダンスで良かったのか?」
「貴方は何かを隠してる。でも、話してくれる気は無いんでしょ? だから、別のアプローチを試す事にしたの」
「それが……ダンス?」
そのような会話をしながら二人は踊る。アン、ドゥ、トロワとリズムを取るように二人は足を動かした。
一瞬の吸気と鼓珀一つで夜の舞踏は始まる。二人が動く以外の音は一切聞こえない。さながらこのベランダはミッドナイトブルーの密室だ。
「意外と馬鹿に出来ませんよ。ただ足を運んでいるだけでも、少し貴方のことが分かります。例えば、自由に見えて意外と規則正しいですし、少し攻撃的で、それでいてちょっと自分を守るように動いて。それに、ふふ、私の手を握る力。結構寂しがり屋さんですね?」
リコードが寝た後で良かったと思うリュト。もし聞かれていたら向こう50年はネタにされ続けていただろう。
ヴィオラに対抗するようにリュトが口を開くが、静かに離された右手の人差し指を口に当てられ、止められてしまう。
「ごめんなさい。今は何も言わないでください。ほんのひと時、たったひと時、静かな夜の舞踏会。許されるなら、永遠に続くように、噛み締めさせてください」
黙って見ているはずの星たちでさえ、今この瞬間は祝福しているかのように、不透明なこの世界が一瞬だけ透き通るように見えたヴィオラ。彼女に恋愛感情は分からない。しかし、それは逆説的に、未知の感覚を肯定してしまってもいた。
(……私はきっと、この死神さんが好き。たとえ違う出会い方をしても、きっとこうして瞳を奪われる)
残酷な解だ。
皮肉的な優しさで全てを覆い隠す死神に、その秘密を暴いた上で愛す。いっそ嫌いならよかった。嫌われていれば良かった。きっと、ヴィオラの魂に起きた異変が原因で恋をして、隠されているというのは予感していた。
だが、ヴィオラはリュトを好きになってしまった。そして、リュトもヴィオラを嫌ってはいない。それが、それ故に残酷だ。
(声が枯れるまで歌えば、脚が擦り切れるまで踊れば、貴方は私を愛してくれるだろうか。隣で歩幅を合わせて歩いてくれるだろうか。心臓の音を聞かせながら、眠ってくれるだろうか。そんなことばかり考えてしまう。夜が明けたら、私はもっと惹かれてしまう。だからせめて、今だけは……静かに手を取らせて)
黎藍の空を砕いてこの旋律を止める者が現れたなら、きっとヴィオラには耐えられない。きっとリュトはそれを望まないと分かっていても、ヴィオラはリュトが欲しくてたまらない。
(まだダメ……やめないで。もっと、ずっと、私と奏でて)
詠唱無きこの魔法が解ける前に、この静けさに咽る甘い時間を堪能しようと、ヴィオラは死神の涙に唇を近づける。
(どうか……どうか……忘れてくれ)
リュトはヴィオラにそう願わずにはいられない。
時が戻ればなどと思いながら、ヴィオラをアリアの思い出という檻に閉じ込めている。リュトからすれば、それはアリアとヴィオラへの侮辱に他ならない。そんな死神の矜持を守るために、リュトはヴィオラの気持ちに気付かないふりをする。
(どうして、俺の頬を撫でてしまう……頼むから、そんな一等星のような瞳で見ないでくれ)
許してくれとは言わない。リュトはどう行動しても、ヴィオラを傷つける。アリアが没した夜から、リュトの世界の廻転は止まってしまった。何処に行こうと、探し物が見つからなかろうと、澄んだ声で歌うアリアが頭から離れない。
この夜がいつまでも明けないから、リュトは次に進むことができない。彼女のおはようを聞く事は出来ない。
リュトの頬を伝う水滴を、ヴィオラが指先で綺麗に救う。目の前の魔女は、静かに毒を染み込ませる。蜜のような体温を与え続ける。苦しい、寂しい、しかし、それを満たすのは罪だ。
目の下の唇の感触を抵抗もできずに、死神はただ魔女の魔法に侵され続ける。
なんか設定書き連ねてるだけになった気が……あとヴィオラがチョロインとか言われそう。
はい、今までは日本語表記だったヴィオラの詠唱ですが今回めでたく私が作った架空言語になりました。因みに全部歌なのですが、発動だったりチャージだったり発射した後の制御だったりがこの歌の間に行われています。ただ、どちらかというとレチタティーヴォみたいな感じなので、あまりメロディーとかは無いかもしれない。文法は英語。発音は英語とゲール語とルーン文字合わせた感じ(もし発音を知りたい方がいればルビを振ります)。便宜上表記はアルファベットですが、実際の文字は違います。
理由として、最近はウェブ小説では無詠唱が多い(ほぼデフォルト)なのですが、この小説では何か嫌でした。最低でも技名は言わせたいのですが、英語や日本語の技名考えるのもこの世界観では癪だったのです。で、ムカついた果てがこの架空言語なんですね。自己満足もここまで来たら開き直れます。