窓枠から降り立った少年は、俺の周りに転がるワインボトルを見て顔を顰めた。
「おいおい...一本金貨五十枚はするんだぞ、そのワイン」
「だったら何?」
「クレイマンに同情しそうだ...」
肩を竦めて呆れた声をあげる少年は、勝手知ったる様にワイングラスを取り出し、俺の正面に座った。注いだワインの香りを楽しむ様にグラスを回し、小さく笑う。
警戒している自分が馬鹿馬鹿しく感じて、唸り声をあげるアカ・マナフを体に戻した。
「お前、クレイマンの知り合いか?」
「まぁね」
「なんで俺のその名前を知ってる?」
「さぁ、なんでかな」
「お前の名前は?」
「秘密」
何こいつ、ウザイ......。
話がしたいんじゃないの?話し掛けられると怖気ずくタイプなの?めんどくさ......
足を組み替えて、目の前の少年を観察する。
見た目は俺と同い年くらいか、少し上か。顔がほとんど見えないが声とかからは好青年感がある。妖気なども特に感じないから、人間だとは思うんだが......酷い違和感を感じる。
何がと言われたら困るけど、ただの人間だとは思えない。
「それにしても、君の父親は随分と人使いが荒い。僕も色々忙しいんだぜ?伝言くらいなら適当な使いでも送ればいいのに」
「......父親?」
「神代誠司、知らないとは言わせないよ」
「..................お父様はなんて?」
「ははっ、誠司さんの名前を出した瞬間随分と大人しくなるんだな。躾が行き届いてる」
「...チッ」
クレイマンの城をどれだけ探しても出てこなかった父の手がかりが、こんな形で出てくるとは。
急に近づいた父の存在が俺の心を乱す。静寂であったはずの海に魚が飛び込んだ様な荒波。
変な話だ、魚は元々海にいたのに。
体が震えて手に持っていたワインがちゃぷちゃぷと音を立てる。恐怖と緊張、そして歓喜。
「伝言は?」
「『真なる魔王への進化、おめでとう』」
「──────は? それだけ?」
「そう!これだけ!だから人使いが荒いって話、わかってくれた?」
「あっ、うん......え?」
いや、まぁこんなもんか?伝言って。
あの人、昔から口数が少ないんだか多いんだか分かんない人だったからな...
でもこの伝言からみても、父が俺の魔王への進化に関わっているのは明確。理由は分からないけど、俺が強くなる事を父が望んでいるのは確か。お父様が俺を必要としてる?
「まぁ僕に託されたお使いはここまでなんだけど、流石にこれだけで帰ったら僕の利益が無さすぎる。だから、取引をしよう」
「取引?」
「そう、君と僕で情報交換をしよう」
「......取引の条件は?」
「リムル=テンペストにこの事を話さない。つまり、この取引を承諾するってことはリムルさんを裏切るってことになる」
「裏切り、ね...」
“裏切り”つまりはこいつが聞きたいことはリムル、もっと言えばテンペストについての情報。
確かに、その情報をリムルに内密で話せば明確な裏切りになる。
でも、俺が知りたいと思う情報も知ることが出来る。
今、俺の目の前には明確な分かれ道が存在している。この取引を受け入れれば、もう戻れない。リムル達と共に在ることはできない。
──────それでもいいかもしれない。
どうせ、俺という存在はリムルには必要ない。
いつからこうなったのか。
俺はリムルの横に立っていたかった。並んで、同じ景色を見ていたかった。
テンペストという名を持って、リムルとヴェルドラの友達なのだと胸を張って言いたかった。
それなのに、あいつは俺を置いていくんだ。
俺だけを残して前へ前へ進むんだ。
リムルを中心に広がる暖かな明るい円に、どれだけ走っても触れられない。入れない。
すれ違う意見が、追いつけない強さが、俺がリムルの横に立つ事を否定する。
今、テンペストには新しい力が加わった。ヴェルドラが復活して、ディアブロが仲間になって、ベニマル達が
もう自分の力を示して、隣に立ちたいと言うことすらできないのかもしれない。
もし隣に立てても俺は目を見れない、触れることも出来ない。笑い合えない。
先の会談、リムルは言った。
理想なき力は虚しいのだと。
ずっと考えてた。俺の理想を、この力の意味を。
──────俺は必要とされたい。
ああ、だから。だから......
必要としないなら、要らない。
要らないなら、目障りだ。
目障りなら、壊して、消してしまおう。
そうしたら、真っ黒な影はいなくなる。
リムルの大切なものを壊してしまおう。
大丈夫、隣に立ちたかったものがなくなっても、お父様が俺を必要としてくれているらしいから。
ごめん、ヴェルドラ。
旅に出ればテンペストの良さが分かるって思ってたんだ。でも、もういいや。
もう良さなんて分かんなくていいや。
俺は、テンペストをリムルを裏切るよ。
新しいワインを開けて、一気に飲み干す。
そして、空になった瓶を叩き割った。
「いいよ、取引をしよう」
「嬉しいよ。それで? 君が俺に提示する条件は?」
「人間を定期的に俺に寄越して。まだテンペストを離れる予定は無いんだ、利便性がいいからね。でもそうすると人間を殺して食べるのは難しいんだ。だから、俺の食料調達をして」
「定期的って事は長期の取引を僕としたいってこと?」
「したい? させてくれの間違いだろ?
テンペストの情勢の移り変わりは激しい。まさか、この情報交換で全てを知った気になれるとでも?」
「はぁ......わかった、その条件を飲もう」
「なら早速、取引を始めよう」
もう戻れない。
ねぇ、リムル...俺たちはどこで間違えたのかな。何かが違えば、俺はこの取引を断るって選択肢を選んだのかな。
それはないか...。
だってね、俺は思うんだ。
俺たちは友達になった事が間違いなんだって。
月も知らない、裏切り話。
罅だらけのガラスが砕け散るきっかけなんて、本当に些細なことでいい。