難しい話し合いで凝った肩を伸ばしながらラルタを探せば、ラルタの執務室のソファーでだらしなく寝転ぶその姿があった。
俺が零した溜息に一緒に着いてきていたベニマルとリグルドは肩を竦めていた。
「ラルタ!起きろ!」
「............チッうるさいな、寝てるやつに向かってそんな大声ださないでよ」
「会談中も寝てたんだからもう睡眠時間は十分だろうが」
ラルタの心底うざったいと言いたげな態度にイラッとしながらも向かいのソファーに座る。
真面目な話だから起き上がれと言えば、渋々横にしていた体を持ち上げた。
「ラルタにはルイと戦って負けてもらう事にしたんだ」
「あ? ルイって...法皇か......っては? 負けてもらうって何、戦ってもいない相手に?」
「ルベリオスと国交を結ぶにあたって魔物に負けて脅されたと認識されたくないんだ。だったらこちらが負けたと思ってもらった方がいい。俺もヒナタに負けた事にしたんだ。その時...その少し口を滑らせちゃってさ、ラルタが転生者なのをバラしちゃったんだ。それは悪いと思ってる」
掻い摘んで会談で決まった内容を話せば、ラルタは小さく音にもならない引きつった声をあげて黙ってしまった。
顔を上げたラルタの目は普段では想像できないくらいに見開かれ、口をハクハクとさせた。
「...お前、ふざけてんのかよ。いやふざけてんな......つくづくお前は王様らしいじゃないか。はっはっ...はっ」
「ラルタ? その悪いとは思ってるんだ。お前からしたら──────」
ガシャン! と激しい音が俺の弁明を遮った。
ラルタが蹴り上げた机が俺の横を掠めて壁にぶち当たったのだ。机は見るも無惨に粉々になっていた。
「悪いなんて...思ってもいないだろうが」
ソファーから立ち上がったラルタの肩は少し震えていて、釣られるように声も揺れていた。
「お前は俺のプライドを一度も考えなかったのか? お前は人の秘密をペラペラと部外者に話したのか? ......ふざけんなよ! 悪いだ?思ってもいないくせに、お前は何も考えてなんてないだろ! お前はそういうやつだ...目の前の餌につられて何も考えずに人を蔑む! お前はルベリオスとの繋がり欲しさに俺を蔑むんだ! ハハッ...欲にまみれた王じゃないか。エドマリス王と大差ないな」
「ラルタ様、リムル様を馬鹿にするような発言は───」
「リムル様としか話せない低脳は黙ってろ!」
リグルドの言葉を遮って怒鳴り散らすラルタは歯を食いしばっているのか、歯同士の擦れる音がこちらまで聞こえてきた。
普段見ることの無いラルタの歯はよく見ると鋭い犬歯があることが見て取れた。
ラルタは言った、俺は何も考えてないと。
何も? そんなわけが無い。俺はこの国の事を考えて俺達がルベリオスとの戦いで敗北したという嘘を世間に流すことを決めた。
ラルタだってこの国を良くしたいと思っているはずなのに、どうしてそうも怒るのか。
もちろんラルタにもプライドがある事はわかっているし、転生者という秘密をバラしてしまったのは完全に俺の落ち度だ。
それでも───
「ラルタ、お前は頭がいいからどうして俺がその判断に至ったかくらいわかるだろ? 俺もお前もこの国の為に出来ることをしなきゃいけない。今できる最前がこれだったんだ」
「分かったらそれ納得したことになるの?」
「...はぁ、ラルタ。これはお前の為でもあるんだ。
「俺は...俺はお前の保護対象じゃない。
「会談中だったんだ。仕方がないだろう、ルミナスの機嫌は取っとかなきゃいけなかった」
「はっ! だから会談中に出ていった俺を追いかけなかったんだもんな? お前は俺じゃなくてルミナスを取ったんだもんな?」
「ラルタ! さっきから子供みたいに我儘を言うな! ...わかるだろ、これは───」
「“国の為なんだ”って言いたいんだろ? 自国思いの素晴らしい王様じゃないか。そりゃ自分の思うように作られたお前の為だけにある国はそりゃ守りたいし発展させたいよなぁ!?」
髪を掻きむしり声を上げるラルタが捲し立てて話す内容は、いちいち俺に対しての嫌味が含まれていた。怒りに任せて怒鳴るラルタにつられてか俺自身もイライラしてきている自覚がある。抑えろ、流されるな。今は俺が冷静になってラルタに今回の件を受け入れてもらわなきゃいけないんだ。
「お前はいっつもそうだ、国の為って言って俺を忘れる。お前は国を盾に俺を下へと突き落とす!」
「んなことあるか。お前だってこの国の一員だ。大切な友達だ、忘れるわけが無い」
「ハッハッハッ! わけが無いなんてよくもまぁ言い切れるなぁ...お前はファルムス王国が攻めてきた時俺を迎えに来なかった」
「“国王としてやるべき事をしろ”って言ったのはお前だ」
「そーだよ。あれは天秤だったんだよリムル。お前は片方に乗った死体と片方に乗った生きた俺を天秤にして死体にそれを傾けたんだ。お前は地面に寝そべるしかできなくなったシオン達を優先して俺を見捨てたんだよ。国の為にすることがお前の次に力を持った生きた奴を迎えに行くことじゃなくて死体に縋り付くことか?笑わせんな───」
「ラルタ!! それ以上喋るな!」
「......っ!」
ダメだ、怒るな、感情的になるな。
ダメだダメだ、頭ではわかってるのに心がついてこない。
今ラルタはなんて言った? 本当に今目の前にいるのはラルタか?
ラルタは今、一度死んだアイツらを馬鹿にしたのか? さも楽しげに死体と口にしたのか。
俺の名を呼ぶベニマル達の声がどこか遠くにある。体から漏れ出る魔王覇気が窓ガラスを割ったのを最後に、もう...歯止めが効かなかった。
本棚に並んでいた本が飛ばされたソファーとぶつかって崩れ落ちる。
いつも見上げていたラルタの顔がすぐ近く、俺の下にある。あぁ、俺は今ラルタを押し倒してるのか。
ラルタの肩に置かれた自分の手に酷く力が入っているのを何処か他人事に理解した。
「いくらお前でもシオン達を悪く言うことは許さない...!」
「俺に命令してんじゃねぇぞ!! 何が許さないだぁ? さっさとそこを退けクソ野郎。お前に許可を取らなきゃいけないことなんてひとつもないんだよ。俺に触んな!!」
「最近のお前は目に余る。昔から人を煽るやつではあったけど最近のは暴言だ。人を不快にする...お前変わったな。俺は昔のお前が好きだっ───」
好きだった、そう言い切る前に腹を蹴り上げられた。一度天井を仰いだ視界は壁にぶつかる衝撃と共にフラフラと立ち上がるラルタを捉えた。
「ゴホッゴホッ」
「リムル様!!」
「あーあ、可哀想に。あんなにお前を心配してるのにお前の魔王覇気のせいで近づけもできない。感情的になるななんて言わないよ、俺もなるからね。でも覇気を無闇矢鱈に出すのはオススメしないな、お得意の“国の為”ってやつに害する」
何か言わなきゃいけないのに、何も言えない。
ゆっくりと一歩一歩近づいてくるのは誰だ?
ラルタだ、わかってる。
そうだ、ラルタなんだ。
ずっとどこかで感じてた価値観の違いが、考え方の違いが、今露骨に現れてる。
「そりゃあ好きだろうさ。自分の思うがままに動いてくれるお人形を愛でないやつはいないだろうよ。都合よく、効率良く、絶対的に! 自分のためにある人形。それだけを必要としてればよかったのに、愛してればよかったのに。周りに有象無象を引っつけて。
俺はね、一途に思われたいの。だから色々やってあげたんだよ? しょーもない小鬼や犬っころをお前が寄せ集めた時も気に食わなくって仕方なかったのに、お前がいつかそんなのがガラクタだって気づいて俺だけを見てくれるんだって思ってたから、わざわざ守ってやってたんだ。“王様”のために“国民”を思ってやったんだ!求められた言動を求められたままにやってきた! それなのに、それなのに...お前は俺を選ばなかった。お前は友達じゃなくて国王になった。変わったんじゃない、辞めただけ」
唖然として起き上がることもできないでいる腹を跨いでラルタが俺を見下ろしていた。
───ラルタの目はこんなにも濁っていただろうか。
「変わったのはお前の方だろ? 力を持ってからのお前の変化は酷いものじゃないか。目の前にあるもの全てを欲しがって手を伸ばして囲い込む。力がお前を慢心させて傲慢にさせて強欲にさせた。力に溺れてお前はお前でなくなった。お前はどこかで何もかもを下に見て、自分が頂点だと錯覚してる。無駄に増えすぎたお前を賞賛する盲目な奴らの声がお前を躍らせてる。
ヴェルドラへの態度もいい証拠だよな? どれだけ威厳も欠片もなくてもあれは古来から生きる竜、それをお前は良いように操って満更でもないような顔をして“友達”と称した配下に仕立て上げたい」
「俺は...ただ心から魔物になっただけだ」
「そう...ならお前と俺はやっぱり相まみえないよ。魔物は力を持っているせいで全てを手に入れられると思い込んでる。たった一つの物の愛し方を忘れる。...俺はたった一つしか欲しいものなんてない。心から魔物になったリムルはそれをくれない」
言っていることが分かりそうで肝心なことは何も言ってない。伝わりそうで伝わらない。
このもどかしさが、俺を苛立たせて悲しませる。
俺の友達のラルタは最初からいなかったのか? 笑いあった日々は、俺が信じた友達は全部最初からなかったのか?
少しも、本当はないのか?
俺とラルタが見ていた過去の景色は同じではなかった。
俺にとって大切なラルタとの思い出をこいつ自身もそう思っていると、俺を見下ろすラルタからは感じられない。
ずっと、ずっとそうだったのか。
あぁ、どうして。ルベリオスとの関係が落ち着いてやっと一息つけると思ったのに。
一つ一つ積み上げてきた、これまで上手くいってきたのに、今俺は大切なものを失おうとしている。
別に別れの言葉があった訳じゃない、それでもラルタがこれから先テンペストにいる姿が想像出来なかった。
───そしてそれは現実になった。
身をかがめて顔を近づけたラルタがさっきと打って変わって穏やかな笑顔で笑った。
「リムル様が望まれる国に、死食鬼という種族がいると随分と面倒であるように私は感じております。なので、私から敗北を演じるよりも確実な方法をご提供いたしましょう」
ラルタの右腕が持ち上がり、横にすっと伸びる。その先にはリグルドがいた。
《告。個体名ラルタ=テンペストから攻撃意識を確認。》
「!...避けろ!!」
「ふっ無理だよ。お前の魔王覇気で体が動かいなもん」
何をしようとしているのか理解したベニマルが動いたが、俺が怒りに任せて制御出来なかった魔王覇気のせいでその動きはゆっくりだった。
間に合うわけがなかった。
手の先で揺れた黒い液体が針のように尖り、勢いよくリグルドへと飛んでいく。
それは腹を貫いた。血が飛び散ってリグルドの体が崩れ落ちた。
溢れる血が俺の顔のすぐ近くまで広がった。
「ラルタ!!」
「あぁ痛ましい。テンペストの宰相が仲間だった者に貫かれて倒れている! なんて悲しい裏切りか、やはり
ふざけた口調で話すその顔は楽しそうに歪んでいた。近づけられた顔に殴りかかればそれは軽々と避けられる。
ラルタはリグルドを治療しているベニマルを見てまた笑う。
そしてあっと声を上げて左手で自分の右手を撫でた。右手の小指、俺があげた時よりもボロボロになった指輪。
するりとラルタはその指輪を外し、血の水溜まりへと落とした。
金属と床のぶつかる音に少しの水音、そして間髪入れずに固いものが踏み潰される音がした。
きっと、それは俺達の縁のきれた事を表している。
「ご安心ください。宰相様を殺しなんていたしません。回復薬で簡単に治ります、どうぞご自身の手で愛しい国民をお救い下さいませリムル様」
折り曲げていた腰をさらに折ってラルタが俺へと近づく。
やけにゆっくりと見えるラルタの手の動きを処理の遅れた頭が処理しようと奮闘している。
小さな結晶を取り出したラルタはそれを俺の口に押し込み耳元で囁いた。
───さようなら、最初で最後の“お友達”。
瞬きをすればもう、そこには、誰もいなかった。最初からいなかったように。
口に入れられた結晶はラルタが姿を消すと同時に溶けて、数枚の花弁が口からこぼれ落ちた。
薄い紫色の名も分からぬ花弁。
「リムル様! リグルド殿の出血が止まりません!!」
「......わかってる、今治療するよ」
テンペストの住民としての最後。
ラルタ=テンペストはもう何処にもいない。最初からいなかった。
君には国王でいて欲しくなかった。全てを愛さなければいけない存在になって欲しくなかった。