親バカ魔女日誌   作:赤桃猫

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契約は破るもの

 

 

 ステラと魔女は、大きなベッドに手を繋いで並んだ。

 

 二人分が寝転んでも余裕のあるベッドだ。まるで物語に出てくる作り物のようだとステラは思っている。

 布団からは、ほんのりと甘い香木の香りがする。この匂いに包まれていると、あるはずのない郷愁が胸を満たす気がした。

 

 コツコツと、古時計が時間を刻む。

 その音に耳を貸している内に、どれだけの時間が経っただろうか。

 

「眠れないのか」

 

 唐突に掛けられた声は、真横からだった。

 ついと視線をそちらに向ければ、魔女は無表情のまま天井をじっと眺めている。

 

「はい」

 

「そうか」

 

 返事は簡潔でそっけない。それからまた暫く古時計の音だけが響く。

 

「……初めて、ここに来た日と同じですね」

 

 ふと、ステラは魔女の手をきゅっと握り返す。彼女の手はひんやりとしていて、その冷たさが彼女がここにいるのだという実感を与えてくれる気がした。

 魔女は変わらず、天井を見つめたままだ。

 

「ずっと落ち着かなくて眠れなかった私に、手を繋いでくれて」

 

 握られた手の温度は、あのときと全く変わらないように思う。冷たいけれど、不思議と暖かくなる。そんな手だ。

 

「朝日が登るまで、ずっと一緒に起きてくれて」

 

「気の所為だ」

 

 食い気味な返事がステラの言葉を遮る。

 思わず笑ってしまいそうになるのを、ステラはどうにか堪えた。

 気の所為だなんて、そんなこと。

 突然見ず知らずの場所に連れて来られ、未知の不安で横になることさえ恐ろしかった夜。

 蹲るステラの手を取り、何も言わず側に居てくれたことの何処が『気の所為』だと言うのだ。

 

「……一年、という契約だった」

 

 次に口を開いたのは、意外にも魔女からだった。

 いつも以上に掠れた小さな声色からは、その言葉を言うことへの迷いを感じる。

 

「魔女にとって契約とは絶対。違えようものなら、それは魔女ではない」

 

 ──そしてそれ故に、どんな約束事に関しても魔女は必ず守る。守らなくてはならない。

 一年の日々の中で、何度も何度も彼女が教えてくれたことだ。

 だからもう、そんなことを態々教える必要などないだろうに。

 ステラにはそれが独り言のように思えてならなかった。まるで自分自身へ向けた、戒めのように。

 

「ステラ」

 

「はい」

 

「お前は明日自由の身となる」

 

 だから、と魔女はこちらを一瞥もせずに言葉を続ける。

 

「どうしたいかは、自分で選べ」

 

「……はい、先生」

 

 それきり、魔女は何も言わずステラの手を握り続ける。

 古時計の音が、コツコツと耳の奥に響いていた。

 

 

 

「………………ステラたんもう寝た? 寝てるね?」

 

「…………」

 

「アッ寝顔かわっ、ンンンンン──てか今日で見納めじゃん。え、嘘、明日ホントにお別れ? ヤバい(ツラ)っ──」

 

 あと、隣の魔女の身悶える小声も。

 ステラは努めて寝たフリをしながら、長い夜を明かした。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「荷物は全て持ったな?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 数日分の食料に、旅道具、それとある程度のお金。

 山奥にあるこの家から、最も近い街へ降りて滞在するには十分すぎるものだ。

 

「護符も……機能しているな」

 

 ステラの首に提げた硬貨状のタリスマンを睨み、魔女はゆるりと頷く。

 それから彼女は顎に指を宛て思考に耽り──「ああ、そういえば」と何処からともなく小さな布袋を取り出した。

 

「獣避けの香だ。余り物だからくれてやる」

 

 そう言って、ステラの背負う鞄の側面に布袋を吊り下げた。

 こんな感じの一連のやり取りを、朝から既に五回は行っている。

 

「お前が死んだところで興味はないが、一年を無駄に帰すのは癪だ」

 

 仏頂面でそんなことを言って、魔女はステラにあれもこれもと色々なものを手渡してきた。

 はっきり言って過保護のそれである、とステラでさえ理解できた。

 

 だが、少なからず行動に出てしまうくらいにステラの身を案じていることが、嬉しく感じる。

 そもそも、昨日『どのお守りを”ステラたん”に持たせるか』といった内容の一人事を散々聞かされていたわけだから、彼女の『興味ない』という発言が照れ隠しにしか聞こえなかった。

 

「それじゃあ、そろそろ行ってきます」

 

「……ああ」

 

 このままだと荷物の半分をお守りで埋め尽くされそうだ。

 背負った荷物の感触を確かめながら、魔女に別れを告げる。

 作り笑いは苦手だが、それでも精一杯の笑顔を込めて。

 一瞬、魔女が(多分興奮で)震えたのに気付かないフリをして、背を向けた。

 

 玄関の扉を開く。風が頬を撫でる。足を一歩踏み出し、敷居を跨ぐ。その瞬間、ふっと背筋に入った一本の糸を引き抜かれたような喪失感を覚えた。

 

「ステラ」

 

 その糸が繋がる先は考えるまでもなく。ステラの背へ向けて、名を呼ぶ声がする。

 振り返り──ああ、やっぱりと。泣きたくなるような”熱”が胸を締め付ける。

 

「……いってらっしゃい」

 

 魔女の顔はいつもどおりの仏頂面で。その顔には感情なんてものが備わってないんじゃないかとさえ錯覚する。

 けれど、その代わりと言わんばかりに──小さく、柔らかな所作で彼女は手を振っていた。

 それが精一杯の、魔女なりの見送りなのだろう。頑なに感情を見せようとしない彼女にとっての。

 

「はい──」

 

 やっぱりステラはこの魔女のことが大好きだ。

 無愛想なくせに心優しい彼女が、どうしようもなく。

 だからこそ。そのまま一歩進んだ。

 

「──ただいま」

 

 大好きな魔女の顔を見上げる。上げた手を硬直させ、ほんの微かに目を見開いた彼女がすぐ傍にいる。

 

 玄関を出て、後ろを向いて一歩──元の場所に戻るのは、当然のことだった。

 

「ぇ……いや、え、えぇ?」

 

「契約は、ちゃんと履行しましたよ」

 

 軽く素が出掛かっている魔女を落ち着かせながら説明する。

『一年経てば、ステラはこの家を出ていく』。それが契約の内容だ。

 だから契約の通り、玄関から家を出て──そこでもう条件は達成された。

 達成されたのだから、この契約は過ぎたこと。あとはもう、縛るものは何もない。

 少なくともステラは、この契約をそう()()した。

 

 ステラ自身”ギリギリ”だと思う暴論。魔女(先生)にとってこれが許されざることなのだとしたら、ステラはきっとこの家に二度と居られないだろう。

 契約を破っていたらどうしよう。もしかしたら怒られるかも。それ以上に失望されるかも。

 でも。

 

 ──どうしたいかは、自分で選べ。

 

 そう言ってくれたのは、先生だから。

 ステラは自分の意志で選んだ。この優しい先生と、もっと長く一緒に居たいのだという選択を。だから。

 

「わたしを、弟子にしてください。先生」

 

 今度は一年だなんて仮初めじゃなく、本当の──。

 

「……先生?」

 

 気がつけばステラは俯いていた。不安を押し殺し、伝えたいことをとにかく伝えるために。

 だから、しばらく待っても先生からの反応がないことに疑問を覚え、顔を上げた。

 いつの間にか、先生はステラから顔を背けていた。口元に手を宛て、何かを堪えるように。

 そして先生はボソリと、確かに呟いた。

 

「あかん泣く」

 

「え」

 

 都合よく聞き逃すとか、そんなことはない。

 先生は大体いつも声が小さいので、一言一句聞き逃すまいと意識していたらいつの間にか聴力が上がっていた。

 というか、聞き間違いじゃなければ思いっきり鼻を啜っている。半泣きしてる。

 

「え、ちょっ、やば……どうしよコレ、え、ステラたんやば、えぇぇぇ……」

 

 なんか語彙力が消し飛んでる。

 瞠目するステラを前に、『やばい』という言葉を連呼している。どうやら、素が飛び出るくらいに混乱しているらしい。けれど、その言葉に含まれる困惑は決して否定的なものには見えなくて。

 

「せ、先生、あの」

 

「気にするな。独り言だ」

 

 うわあ、急に落ち着いた。

 その変わり身の速さにステラも思わず驚く。

 だが、まだ目元が赤い。鼻先も赤い。なんなら頬も赤い。やはり仏頂面だが。

 

「それよりも」

 

「あっはい」

 

 何事も無かったかのように言葉を続けるものだから、ステラも気付かなかったフリをして合わせる。

 先生の顔は真剣そのもの。全てを見透かすような(カラス)の目に睨まれ、身が固まる。

 何を言われるだろうか。追い出されるのだろうか。もし、彼女にとって”契約”が全てを差し置いても大事な物なのだとしたら──。

 

「……おかえり」

 

「───」

 

 先生のその一言が、胸の中にすとんと収まる。

 

 何故なのかは分からない。ステラには、この感情を言葉にするだけの経験がない。

 けれど、喉の奥から迫り上がるこの”想い”に理屈はいらないと思うから。

 だからステラは、この名前を知らない感情を振り絞り口を開く。

 きっと今、自分は笑っている。何故だかそう思えた。

 

「──ただいま、先生っ!」

 

 

 

 そして先生は鼻を抑えて気絶した。

 

 

 

 

 

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