始業から秘書艦の叢雲の様子がおかしい。いつも通り俺の横に座って執務をしているが何となくソワソワしていて気が入っていないような雰囲気を感じる。
「おい」
秘書艦の叢雲に声をかけるとビクッと反応した。
「な、何よ!?」
「調子が悪そうだが大丈夫か?」
「私は至って普通よ!」
「体調が悪いなら早めに言ってくれ、言われんきゃ何もわからんからな」
「なんでもないってば!」
反抗するかのように大声を上げた叢雲に内心ため息をついた。大きな作戦が終わった直後で緊張がほぐれて気が抜けているのは分かるが仕事をやるからにはしっかりして欲しい。そんな事を口にした所で逆ギレされるだけだから口にしないでおくが……
叢雲とは着任してからの付き合いだ。初印象はあまり良いものでは無かったが、三年ほどする今では優秀な秘書艦として扱っている。着任した時からそれが合わず、一時は秘書艦を変えようかと悩んだ事もあるが、自分に反対する意見の持ち主をあえて傍に置いておく大切さを知ってからは常に傍に置くようにしていた。
今でも喧嘩は絶えないが彼女のおかげで物事を客観的に見れていると思う。反面、叢雲を近くに置き過ぎたせいで発言力が大きくなり、上下関係にすぎないと今まで避けてきた他の艦娘との距離も近づけざるをえないのだが……
バタン
執務室のドアが開いた。
「提督、おはようございます!」
部屋に入ってきたのは赤城だった。彼女は鎮守府初の正規空母でエースとして活躍している。
「執務室に入る時はノックをしろと言っているだろ……」
「あっすみません」
「それで、何の用だ?」
「これ、受け取って下さい!」
彼女は赤い包装で包まれた四角い五センチ四方程の小さな箱を机の上に置いた。
「ん?何だこれは?」
「忘れたのですか?今日はバレンタインですよ」
「そういえばそうだったな……」
赤城に教えられて、今日がバレンタインである事に気がついた。
「念の為言っておきますが、義理ですよ」
「だろうと思った」
自分はバレンタインとは無縁な人間だ。意識すらしたことが無い。この歳まで彼女なんていないし、これからも無いと思っている。自分でも分かるぐらい性格に難がある人間だし、恋愛に興味が持てなかった。
「私はいいですが、その発言は他の子に失礼ですよ。もしかしたら、本命の子だっているかもしれないじゃないですか」
赤城がムッとした顔をした。
「執務室に閉じこもって、ろくに顔を出さず指示を出すだけの上司相手にそれは無いだろ。そんな人間が好きな奴がいたら頭がどうかしていると思わないか?」
「あっ……すみません。用事を思い出しました。失礼します」
「あっ、ちょっと待て!」
赤城が急に顔を青くして逃げるように執務室から出ていった。ホワイトデーのお返しに何を返すか聞き損ねてしまった事に直ぐに気づいたが後の祭りだった。
叢雲に聞こうと思い、彼女の方を向くとソワソワしていた時とは打って変わって明らかに機嫌が悪そうな顔をしながらペンを動かしていた。
「どうした? 叢雲、機嫌が悪そうだぞ」
「別に……何でもないわよ」
嘘だとすぐに気づいた。叢雲は元々感情が分かりやすい人間ではあるが、ペンを握る手に力が篭り眉間に皺ができている。
「聞きたい事があるんだがいいか?」
「何よ」
「赤城にはホワイトデーの返しは何が良いと思う?」
「何で私がそんな事考えなきゃいけないのよ!」
「何でって……女の事は女に聞いた方が良いだろ? 俺だけだと自信が無いからな。叢雲の考えを教えてくれないか?」
「っ……」
しばらくの間、沈黙が流れた。
「……赤城は質より量よ。業務用スーパーで袋詰めのチョコレートでも買っておけばいいんじゃないの?」
「それで行くか。ありがとう」
叢雲は「ふん!」と少し得意気に声を出して、執務を再開した。
その後もチョコレートを渡しに来る艦娘が複数人現れた。どの艦娘もここ二ヶ月ぐらいで話すようになった艦娘だけで、どの艦娘も義理である事を主張していた。赤城の時と同じ失敗をしないようにホワイトデーに欲しい物は全員聞いてメモを取った。ただ、艦娘が執務室に来る度に叢雲の機嫌が悪くなるのは気になった。機嫌が悪くなった後はしばらくするとまた、ソワソワとした状態に戻る。
何かあったのだろうか? 基本的に部下のプライベートには踏み込まないつもりだが仕事に支障をきたすのは困る。それに、慣れているとはいえ機嫌の悪い人間がそばに居るとこちらまで機嫌が悪くなるし、定期的にソワソワされるのも気が散る。
「なぁ……いい加減にしてくれないか?」
我慢しきれなくなり、昼過ぎに声をかけた。
「何よ」
「やけにソワソワしているし、機嫌は悪いし朝から何なんだ?何か言いたい事があるなら直接言ってくれないか?」
「何!?私がいるのが気に入らないわけ!?」
「そんな事は言ってないだろ。俺に落ち度があるなら、黙ってないで話せと言っているんだ」
「話そうが話さまいが私の勝手でしょ?」
「じゃあソワソワするのを止めてくれ。気が散るし迷惑だ」
「私が何したっていいじゃない!」
叢雲の逆ギレにため息をついた。
「悪いが出て行ってくれないか?お前がいない方が仕事が捗るんだ」
「言われなくてもそうさせてもらうわよ!」
勢い良く立つと叢雲は部屋から飛び出した。
喧嘩がヒートアップして追い出すことは今までに何回かあったが次の日には何事もなかったかのようになるのがお決まりだ。放置しておけば良いだろう。出ていった叢雲を横目に執務を再開した。
コンコン
叢雲が執務室を飛び出して、数十分後、ノックする音がした。
「いいぞ」
開いたドアの先にはかしこまった顔をした赤城がいた。ドアをノックしたということは、真面目な話をしたいのだろうか?
「失礼します。提督、少しよろしいですか?お聞きしたいことがあります」
「何だ?」
「提督は叢雲さんの事をどうお考えになっていますか?」
考えるまでもない。
「性格に難はあるが優秀な奴だな。鎮守府の艦娘のリーダーのような立ち位置でよく俺に突っかかってきて……」
「申し訳ございません。質問を間違えました。人としてどのように見ていますか?」
「叢雲を?」
「はい。部下ではなく個人としてどのように見ているのかお聞きしたいです」
手を止めた。人間としての叢雲……。彼女との関係はあくまでも上下関係だけであり、それ以上の事は考えた事が無い。ただ……
「正直に言えば鬱陶しいと思っている」
鬱陶しい、その一言だった。叢雲は何かと口うるさいし、プライドが高いから定期的に顔を立ててやらないと機嫌が悪くなる。
「鬱陶しいと思っているのにも関わらず、何故叢雲さんを秘書艦にするのですか?」
「俺に歯向かうからだ。俺は鎮守府運営に自信を持っているが、それだけだと客観的な視点が不足する。それを補うためだな」
「先日の大規模作戦」
大規模作戦と聞いて嫌な予感がした。
「叢雲さんが中破した時に撤退を命じたのは何故ですか?」
予想通りの質問に激しい頭痛を感じた。
先日の大規模作戦で自分は目標海域直前で叢雲が中破した事で撤退命令を出した。普段はその適度の損害は無視してそのまま進撃命令を出すが、この日は撤退を命令した。俺ではなく初めて叢雲が立てた作戦で不安だった事もあるが、急に怖くなったというのが本当の理由だ。
何故、あの時そう感じたのかは今でも分からない。だけど、あの時の事は誰にも話していないし話したくない。臆病風に吹かれた事を知られる事が嫌だった。
「作戦続行が不可能だと判断したからだ。それ以上の理由がいるか?」
「本当にそうでしょうか?私見ですが提督はいつも中破を損害に含めずにお考えになっている節があります。当作戦に私は不参加でしたが、本当に作戦続行が不可能と判断したのですか?」
「何が言いたい?」
「本音を話していただきたいです」
「本音を話している。用が済んだら帰ってくれないか?執務に集中したいんだが」
「そういえば、先日の遠征のmvpの報酬、まだ受け取ってなかったですね。高級焼肉屋にでも連れて行ってくれませんか?」
「……引き換えに教えろとでも言うのか?」
「はい、そうです」
大食いの赤城に飯を奢っていくらかかるかは考えたくもない。教えるしか無さそうだ。
「……条件がある」
「何でしょうか?」
「お前と俺の間だけの話にしてくれ」
「分かりました。約束します」
ため息をついた。相手が比較的話しやすい赤城とはいえ部下の前で恥を晒す事になるし、弱味を握られる事にもなる。臆病者と思われるかもしれない。だけど、話さないという選択肢は許されなかった。
「みっともない話だが……怖かったからだ」
赤城が不思議そうな顔をした。
「失礼を承知で申し上げますが提督がそんな事を言うのは意外ですね」
「だろうな。俺もなんでそう思ったのか未だに分からない。一時の気の迷いだとは思うがな……」
話す度に声が小さくなっているのが自分でも分かった。右手に力がこもる。赤城の方を見ていられなくなり、顔を落とす。恥をかいた事を部下の前で自白するのは嫌なものだと改めて思った。
「あくまでも私見ですが、提督は叢雲さんを大切な人と思っているのではないでしょうか?」
「叢雲を?」
「はい。異性として見ているという事は無いかもしれませんが、大切で失いたくない人間だと思っているのだと思います」
「……そうか……」
大切な人。意識した事がない事だが妙にしっくりくる気がした。叢雲に対して異性としての好意が無いことは確信を持って言える。だけど、自分にとって必要な人間であるというのは事実なのかもしれない。それがあの時の恐怖心の正体だとしたら……
つい、一時の感情に身を任せてあんな事を言ってしまったが言い過ぎたかもしれない。叢雲が何に対してソワソワして苛立ちを感じていたのかは分からないが、それが嫌なら解決してやればいい。感情的にならずに冷静に話し合うべきだった。それが双方の為になるし、最善の解決策なのだから。
「叢雲を呼んできてくれないか?」
「承知しました」
満足そうに笑みを浮かべると赤城は執務室を後にした。
赤城が執務室を出て5分程して叢雲が現れた。部屋を飛び出した時とは違い、明らかに落ち着いていたが泣いたのか目の周りを赤くしている。
「何かあったのか?」
「なんでもないわ。それで、追い出しておいて何よ……」
涙声だった。
「すまん。執務が中々終わらなくてな……俺がどうかしていた。お前を追い出したのは間違いだった」
「ふんっ……!今更後悔したって遅いわよ!」
世辞を言ったが、叢雲の顔が少し明るくなった事から見るとそれなりに通用したらしい。
「本当に悪かった。夕飯を奢るから許して欲しい」
「仕方ないわね……。助けてあげるわ」
妥協を引き出したという事実に満足して食らえたらしい。叢雲の機嫌が直ってホッとした。
一時間ほどして執務が終わった。
「終わりだな」
「アンタが苦戦していた割には早く終わったわね」
「秘書艦が優秀なおかげだ」
「私をおだてても何も出ないわよ!」
口ではそう言っていたが、得意気な表情をしているのを見ると満更でもないらしい。お世辞な事はバレているかもしれないが。
「そういえば、何か困っている事があるんじゃないか?」
「薮から棒に何よ?」
「何か隠し事があるんだろ?無理にとは言えないが、困った事があるなら相談してくれ」
叢雲の頬に赤みがさした。
「ア……アンタがそんな事を言うなんて雨が降りそうね」
「隠し事が秘書艦との喧嘩の原因になるよりはマシだろ?」
沈黙が流れる。時間が経つにつれて叢雲の顔はどんどん赤くなっていく。
「叢雲……?」
初めは顔を少し赤くした程度だったのに今では顔だけでなく耳までトマトのように真っ赤になっている。恥ずかしいのか緊張しているのか分からない。何を考えているのだろうか?
「これが……!落ちてたのよ!」
叢雲が机の下からピンク色の包装に包まれた十五センチ四方ぐらいの箱を取り出した。
「うん?」
他の艦娘から受け取った物とは明らかに違うし、見た記憶が無い。落ちていたというのも、今日は朝からずっと執務室にいたから嘘だと思う。となると叢雲が……?
「私が買ったもんじゃないからっ!あんたのじゃないの……?」
「いや、こんなのは見た覚えが……」
「いいからはやく、持って行ってよ!」
「あ……ああ……」
「じ……じゃあ私は帰るから……」
叢雲の圧に押される形で受け取ると彼女は慌てた様子で執務室から出て行った。
叢雲以外のチョコレートの数を数えてみたが今日執務室に来た艦娘と同数だった。状況から判断して叢雲が作ったもので間違いないだろう。
本命というのはありえない。義理と考えるのが普通だろう。しかし、叢雲は何故、緊張していたのだろうか?義理なら義理と言えば良いのに何故言わないのだろうか?
少し考えてみたが無駄だと思い考えるのを辞めた。
「ねぇ」
次の日、始業前に叢雲に声をかけられた。
「何だ?」
「昨日のチョコレート……どうだった?」
「お前が拾ったヤツか?」
「そ……そうよ!」
間違いない。やはり、叢雲が作った物だ。あの状況で渡した他人が作った物の善し悪しを気にする時点で確定と言っていいと思う。
「美味かったぞ」
「本当に!?」
叢雲の顔に光悦の表情が浮かんだ。
美味かったというコメントは叢雲の機嫌取りの為に言ったのではなく事実だ。他の艦娘の物と食べ比べてみたが彼女から貰ったものが一番苦味があって自分好みの味だった。
「ああ。貰った物の中で一番美味かった。あのチョコレートを誰が落としたのか分かったら伝えておいてくれ」
「わ……分かったわ!」
その日は一日叢雲の機嫌が良かった。
叢雲は何故、嬉しそうにしていたのだろうか?プライドが高い叢雲の事だから、他の艦娘よりも上手に作れた事に満足しているのだろうか?それとも他に気に入った事があったのだろうか?
理由は分からないが、いずれにしても叢雲へのチョコレートは高めの物にしておこうと思った。