大本営からの手紙に目を疑った。書かれていたのは大規模作戦への参加命令。この鎮守府の役目は囮部隊だった。
いくら戦況が切羽詰まっているとはいえ、後方の鎮守府に出撃命令が下るなんてどうかしている。それに……
「うっ……」
急に激しい吐き気に襲われた。耐えきれずに水道に向かって吐いた。ムカムカする感触とともに酸っぱい物が口の中から出ていく。あの時と同じだ。
もう、三年以上前のことになるだろうか? 自分は任務で大失敗をした。
遠方の軽空母艦隊を撃破するだけの簡単な任務のはずだった。だけど、慢心やミスが重なり待ち伏せを受けた艦隊は壊滅した。生存者は一人だけ。それが今の秘書艦の霞だった。
あの日を境に自分の軍事キャリアは終わった。優秀な若手指揮官として期待されていた自分は後方の鎮守府に左遷され、それ以降は後方任務をやっている。後方任務は地味だったが大きな失敗はなく、日々をこなしていた。霞に怒られることは多かったが誰かの生死をあまり気にしなくてよいし、失敗がトラウマになっていた自分にとっては都合が良かった。
それなのに、どうして今更……?
思考がまとまるのと同時に冷や汗が流れる。体がガタガタと震えた。あの時の失敗をまた繰り返すかもしれない。いや、間違いなく同じことをする。誰かを殺す前に逃げなければ……!
幸いなことに秘書艦の霞は艦娘の訓練を見に行っているし、室内は自分一人だ。今なら逃げ出せる。執務室のドアに手をかけた。
「どこ行こうとしてんのよ!」
開いたドアの向こうに立っていたのは霞だった。
「か、霞……」
「質問に答えなさい! どこに行くつもりなの?」
「ちょっと外の空気を吸いに……」
適当な言葉で誤魔化そうとしたが、机の上の書類が目に付いたのか霞がそれを手に取った。
「大規模作戦の出撃命令? まさか、逃げようとしてたなんて言わないわよね?」
慌てて逃げようとしたが物凄い力で服を掴まれた。
「自分だけ逃げようたってそうはいかないわよ! 責任を取りなさい!」
「い、嫌だ……!」
必死になって抵抗したが、人と艦隊の力には圧倒的な差がある。執務室の中に引きずり込まれてしまった。
「前々からクズだと思っていたけど、筋金入りね。司令官の義務すら果たせないの?」
「これ以上、誰かを殺すのが嫌なんだ! 霞、一生に一度の願いだ! 逃がしてくれ!」
「ふざけんじゃないわよ!」
霞が怒鳴り声をあげた。
「何甘えたこと言ってんの!? そんな覚悟で司令官になったの? そんなんだから皆を殺すのよ! こんな奴に殺された朝潮姉さんが本当に不憫だわ!」
始まったと心の中の自分が呟いた。
自分は霞に恨まれている。何かと言うとあの時に彼女の姉妹艦の朝潮を死なせたことを言われる。そのことを指摘される度に罪悪感で死にたくなるし、下痢になるし吐く時すらある。
あの戦いの後、彼女だけが自分について来ているが彼女なりの復讐なのではないか? とさえ思う。
「司令官ならそれ相応の責任を取りなさいよ! 貴方の仕事は私達を戦場に送ることでしょ? そんなこともできないの? いったいどこのお坊ちゃまよ!?」
言っていることは正論だと理解している。だけど……言い方があるじゃないか。
「黙れ!」
思わず出た大声に霞は小さくため息をついた。
「逆ギレ? 本当にみっともないわね。いい歳して何やってんのよ?」
「黙れと言ってるだろ!」
彼女の胸倉を掴んだが、彼女は顔色1つ変えずに僕の顔を見ていた。
「それで勝ったつもり? 私を殴っても罪は消えないわよ」
「つっ……」
手の力を緩めた。
ダメだ。何をしても霞を黙らせることはできない。責められて苦しむことしかできない。
「司令官なら司令官としての責任の取り方があるでしょ? いつまでへこたれてるつもりなの?」
うるさいと叫ぶ気力すらなれない。何も言わない自分に霞がまた、ため息をついた。
「生き残ったなら、生き残ったなりにできることをするのが贖罪なんじゃないの?」
「えっ……?」
霞の言葉に耳を疑った。
「貴方は苦しまなきゃいけないの。苦しみながらもやれることをやらなければならない。それが、司令官という立場よ。そんなことも分からないの?」
死なしてしまった子達の為にも前を向け。そう言われた気がした。
「で、でも……」
「失敗が怖い? また繰り返すかもしれない? それも覚悟するのが司令官の仕事よ」
返す言葉が無かった。恐らく、自分はまたあの時と同じことをする。誰かを殺し、苦しんで……それでも自分が死ぬか発狂するまでそれを繰り返さなければならない。それが義務であり死者への最大の弔いなのだから……
「言っておくけど、逃げるのは許さないわよ。逃げたら、貴方どこまでも追いかけて私が殺す。許されるなんて思わないことね」
話が終わった。慰めなんかじゃない。むしろ、殺されたくなければ覚悟を決めて地獄に落ちろという罵倒だ。
一瞬、逃げるふりをして彼女に殺された方が楽なのかもしれないと思った。だけどそれはあの日、自分を信じて戦場に向かった彼女達への裏切りとなる。
逃げ道なんてない。自分は戦わなければならない。失敗するとしてもまた霞に怒鳴られるとしても戦わなければならない。
自分自身の責任を取るためにもう一度、指揮をとろうと決意した。
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作戦の立案に色々言いながらも霞は付き合ってくれた。何度も何度も見返したし、不測の事態をいくつも想定してそれへの対応も考えた。
ただ、どれだけ考えても不安は消えなかったし、時間だけは無慈悲に過ぎていく。寝不足にもなり、衰弱しきった体のまま当日を迎えた。
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作戦は成功した。
囮作戦は上手くいき、海域の離脱にも成功した。たけど、たった1人戦死者が出た。戦死報告を通信機で聞いた時に肩の力が抜けた。
「霞……」
戦死したのは霞だった。彼女が殿を務めた結果、深海棲艦の集中砲火を浴びたらしい。彼女の死があったからこそ、作戦は成功したという話だった。
いつも自分に罵声を浴びせながらも、秘書艦として支えてくれていた彼女はもういない。実感が湧かなかった。今すぐにでも「何サボってんのよ!? このクズ!」等と言われそうな気すらする。だけど、彼女の戦死は紛れもない事実だった。静まり返った執務室がそれを物語っていた。
静かな現実が霞の戦死を直視させる。彼女の戦死を事実として受け入れるにしたがって、自分の中に後悔の気持ちが生まれてきた。
自分のせいだろうか? いい加減な作戦を立てたから? 作戦に見落としがあったのか? 彼女は怒っているだろうか? 殺したいと思われているだろうか?
自分を責める言葉ばかり浮かぶ。霞がいたなら「いつまでもグズグズしてないで、仕事をやりなさい!」とでも言っただろうが、その声は聞こえてこない。改めて、彼女の存在の大きさに気付かされた。
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どれぐらい時間が経ったのだろうか? ふと、出撃前に艦娘全員から遺書を預かっていたことを思い出した。当然ながら霞からも預かっているし、自分にはそれを開ける義務がある。金庫の中のそれを取り出して机の上においた。「霞」と書かれた無機質な茶封筒だった。
中には何が書かれているだろうか? 開けるのが怖い。責められるかもしれないし、恨み言まみれなのかもしれない。封筒を開けようとする手に力がはいらない。だけど、開けなければならない。司令官として覚悟を決めた。
司令官がこれを読んでいるってことは私はもうこの世にいないのだと思う。
まず、最初に。本当にごめんなさい。
あの日、司令官がしたことはわざとじゃないって分かってた。許さなきゃいけないって頭で理解してたし、許してあげたかった。でも、私は弱いからそれができなかった。どうしても朝潮姉さんのことが忘れられなかった。
司令官が全てを失ったあの日、貴方が心配だった。1人で壊れてしまいそうで怖かった。司令官からしたら迷惑だったかもしれない。だけど、放っておけなかった。
あの日以降、貴方は抜け殻みたいだった。毎日、私に怯えながら仕事をする日々を見るのが辛かった。でも、司令官なら必ず立ち直れると信じていた。
でも、これが読まれてるってことはそれが叶わなかったのだと思う。悔いなく生きてきたつもりだけど、それだけが心残りなのかもしれない。
私の戦死には、気に病まずに司令官には前を向いてほしい。とても辛い茨の道を進ませていることは分かっている。だけど、司令官なら立ち上がれると私は信じている。
さよなら、私の大好きな司令官。幸せになりなさいよ。
目から涙がこぼれ落ちた。
霞は自分を恨んでなかった。むしろ、支えようとしていたし立ち直らせようとしてくれていた。
僕は過去を引きずって、彼女に怯えてばかりで……いつまでウジウジしているのだろうか?
この戦いの前に、生き残ったら生き残ったなりにできることをやれと言われたことを思い出した。あれは、彼女の本音なのだと思う。叱責という形ではあるけども、僕を立ち直らせようとしてくれていた。立ち直ってほしいと願ってくれていた。それなのに……何もかもが手遅れだった。
しばらくの間、泣き続けたが気持ちが一段落した。涙を拭いて、遺書を机の中にしまった。
この戦争がどうなるか分からない。自分は戦死するかもしれないし、人類は深海棲艦に負けてしまうかもしれない。だけど、僕は戦い続けなければならない。それが今の自分にできることだし、死んでいった艦娘達への唯一の償いなのだから。
戦い続けなければならない。すべてが終わるその日まで……