本丸を解体する。そう聞いた時も大して驚きはしなかった。そうするのが妥当であるし、そうなることは分かり切っていたことだ。
だが誤算は幾つもあった。
まずはあの女審神者、水野のことだ。あいつはやけに運がいい。この私が術を放っているにもかかわらず、何度もこの手を逃れてきた。
霊力測定機に術を仕掛けた時も、我が本丸におびき寄せた時も、悉く刀共から邪魔をされた。現に私の腕には髭切に斬られた傷がある。未だ塞がらぬそこには包帯を幾重にも巻いている。
髭切はあの女の刀ではないから尚の事治りが遅い。流石武田が育てた刀だ。霊力も練度も申し分ない。アレが何振りもいたら骨が折れたが、あの女にそこまでの霊力も育った刀もない。だから簡単に殺せるはずだと思ったのだが、思ったようにはいかなかった。
ふう、とため息を吐く私の足元で一振りの刀が頭を垂れる。廃れた本丸には刀剣男士と呼ばれる刀たちの姿はない。あるのはただ、彼らがいた痕跡だけだ。
自らの手で折り、また斬ってきた刀と同じ名前をした刀が顔を上げる。瞳に月を隠した男はようやく口を開いた。
「審神者は現在、現世の『病院』と呼ばれる施設にて保護を受けている様子。武田の説明によればもう暫くはそこに留まるものかと」
「そうか。あの病院か」
政府が審神者を管理するのに一役買っている特別病棟。あそこにいるのであれば忍び込むことは難しくない。
だが用心深い武田のことだ。自分か、もしくは部下の刀を数振り寄越しているはず。それらを跳ねのけアレを始末するのは少々面倒だ。あいつの刀であればまだ容易く折ることが出来るが、武田の刀は強い。最高練度に達していることもそうだが、持ち主と同じで霊力は高く、勘が鋭い。現にこちらと水野の本丸を繋いだ痕跡にも気づかれ暴かれてしまった。もう同じ手は使えないだろう。
折角用意したのにな。とため息を零せば、足元の刀がビクリと震えた。
「どうした。何を恐れる」
「いえ……」
報告を終えた一振りは再び頭を下げている。その額は畳につけられているのか、ピクリとも動かない。全く。あの忌々しい男のせいで殆どの刀が育っていないではないか。特に私が贈った刀たちは皆出陣を止められてしまっただけに憎らしさが募る。
それが霊圧に乗ったのか、もしくは私が寄生させた虫共が騒いだのか。足元の刀は「うっ、」と苦しそうな声を上げると、地べたに伏すようにして倒れた。
「貴様も大して練度は上がらなかったな。三日月宗近」
「ッ、」
天下五剣とは名ばかりの、か弱い刀にただ嗤う。
私の足元で膝をつき、倒れ伏す刀のどこが『誇り高い天下五剣』なものか。
わざわざ教えてやったというのに、結界を張ること以外では大した技は使えず、また審神者を殺すことすら出来ないでいる。真の主は“私”だというのに、水野と名乗る女を殺せぬ刀に価値などない。
だが今折ると後が面倒だ。使えぬ奴に生きる価値などないが、死ぬ寸前まではボロでも使ってやるべきか。
面倒だと思いながらも伏した刀を蹴り飛ばし、無駄に整った顔を上げさせた。
「下手な同情心など抱くなよ。あの女は確実に殺す。私の新たな依り代としてな」
「分かって、おります……」
練度が上がっていないことも要因だろうが、圧倒的な霊圧に押し潰され、呼吸することも苦しいのだろう。美しい顔を歪め、額に汗を浮かべ、必死に言葉を紡ぐ姿など虫けらのようだ。
“私”の刀がこんな弱者であってはならない。私の刀は常に強く、誰よりも多く血を吸い、その命を私のために捧げなければならない。それが出来ぬ刀に慈悲をくれてやる気はなかった。
「貴様のような鈍らでもまだ利用価値はあるからな。精々励むが良い」
「……はっ、」
緩慢な動作で、それこそ芋虫のように。頭を垂れる。「もう行け」と片手を振って伝えれば、三日月宗近はよろよろと立ち上がり下がっていく。
「しかしこの本丸を守らせていた前田藤四郎も折られてしまったな。また新たに鍛刀するか」
別に多くの刀は必要ない。所詮機能停止した本丸だ。資材は腐るほどあるが、増やすつもりは毛頭ない。私が欲しいのは“力”だ。刀ではない。自らを高めるためだけに奴らを利用するだけ。あとは新たな“器”さえ手に入ればそれで良いのだ。
「さて、どうしてやろうかな……」
放った呪詛の蜘蛛は大典太光世に断ち切られ、蜘蛛が呪詛の念を産み付けた測定機も砕かれた。瘴気を利用し生み出したもう一人の私は髭切によって断ち切られ、暫くは機能しない。幾ら影とはいえ本体である私とは所々リンクしている。水野を捕まえるために伸ばした腕は不自由なままだ。おかげで大した術が使えず苦労している。
当初の予定ならばすでに計画は終えていたものの、未だ難航しているとは情けない。
……いや、これもまた一興か。すぐに願いが叶っては楽しくないというもの。多少の苦難を乗り越えてこそ悲願達成の喜びがあるのだ。現にそれを手にする直前までは来ている。だからもう少し、あと少し努力をすればいい。あの女を殺すのに大した労はいらないはずなのだから。
「ああ、楽しみだ……。なぁ、『三日月宗近』よ」
武田の本丸へと帰っていく一振りの姿を鏡に映して笑う。己の姿が張り付かせた蜘蛛の瞳を通して常に監視されているなど知らないのであろう愚かな刀に、そっと笑んだ。
「水野を殺した暁にはその血を貴様にやろう。まぁ、貴様はその血に溺れながら死ぬのだがな」
適当にいなくなった振りをして武田の本丸へと入っていく三日月の横顔は、ここで見たものとは違い朗らかで穏やかだ。今にも死にそうな、蒼白な顔ではない。
憤るへし切長谷部に腕を掴まれ戻っていく姿からは誰も予想出来ないだろう。
――あの刀が、水野が顕現させた刀ではないということに。
「鶴丸国永、江雪左文字、鶯丸、大典太光世、そして三日月宗近……。お前たちが信じる主はあの女ではないのだよ。可哀相に」
それを知っているのは三日月宗近だけだが、あの四振りもいずれ知ることになるだろう。自身の本当の主が誰であるかを。
「その時どんな顔をするのか……。ククッ、楽しみだな」
もう一つの鏡には寝る準備を整えている水野の姿が映っている。今日の護衛は膝丸と堀川国広らしく、二振りは水野の傍でじっとしていた。今はまだ乗り込む時期ではない。だから精々呑気に過ごすと良いさ。
鏡に布を被せて立ち上がり、包帯を隠すために上着を羽織ってゲートを開く。
「さて、私も家に帰るとしよう」
立てかけていた『三日月宗近』を手に取り、私は本丸を後にした。
本丸の中に蝉の声が鳴り響く。あの日から時間が止まったままのこの場所は、いつまでも夕暮れのままだった。