弱小本丸の喪女審神者   作:minamonhhs

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いつか、また-1-

 

 彼氏いない歴=喪女審神者こと水野(仮名)、怪異に襲われた翌日、呆然と赤く染まった空を見上げていた。

 

 

 

『いつか、また』

 

 

 

 昨夜の怪異から数時間しか経っていないというのに、今度は何が起きようとしているのか。

 

 今朝方異変に気付いた刀たちに起こされた私は、刀に戻ったまま何の反応も示さない三日月宗近を見て嫌な予感をひしひしと感じていた。

 しかし政府と連絡を取ろうとパソコンを開いたが、パソコンはおろか携帯すら繋がらない。特に携帯は電源を切った覚えすらないというのに、充電が切れてしまったかのように画面は真っ暗だった。試しに充電器を指してみたが、思った通り何の反応も起きない。

 

「ダメだ……。完全に連絡手段が断たれてる」

 

 異常なのは天候や通信機器だけではない。万屋や合戦場へと赴くためのゲートも起動しない。それに普段ならば耳をつんざくように蝉の声が鳴り響いているのに、今はそれすらもなかった。それこそ水を打ったかのようにしんと静まり返っている。気温も暑いどころか生ぬるいほどで、それが余計に薄気味悪さに拍車をかけていた。

 

 認めたくはないが、私たちは完全に本丸内に閉じ込められていた。

 

「どうしよう……」

 

 三日月は刀のまま戻らない。

 一度大典太に見てもらったが、今の三日月からは何の力も感じないという。

 

 焦りが募るが、それでも負傷していた鶴丸と鶯丸の手入れは手入れ札を使ってすぐに終わらせた。今は小夜と三日月を除いたすべての刀と共に大広間で待機してもらっている。

 因みに何故小夜なのかと言うと、今日の近侍は元々彼だったからだ。本来なら初期刀である陸奥守に付き添ってもらった方がいいのだろうが、今はピリピリしている刀たちが大勢いる。彼らを纏めるのに小夜が力不足だとは言わないが、やはり陸奥守の方が適任だ。皆も異論がないようで、大人しく従ってくれている。

 

 ただ刀たちは陸奥守に任せることが出来ても私の方はそうはいかない。焦っては何も浮かばないと頭では分かっていても気持ちばかりが焦り、上手く思考が纏まらない。

 誰かに相談したくても武田さんと柊さんの連絡先は携帯の中だ。反応しない通信手段では連絡の取りようもない。ゲートも動かないのでどこかに逃げることも出来ず、完全に詰んでいる。

 

 どうしよう、どうしよう、と必死に考えていると、足元で鎮座していたこんのすけがふいに顔を上げた。

 

「主様、城門前に異変が」

「え? 城門?」

 

 本丸へと続く門の向こう。普段はそこでゲートを開くため使わない時は門ごと閉じている。しかし今はゲート自体反応していないはず。にも関わらずこんのすけはそこに「異変」を感じるという。

 

 ――瞬間、小夜が矢のように駆けだした。きっと広間にいる皆に知らせに行ったのだろう。

 

 私は一旦置いていた三日月を腕に抱え直し、ダメ元でもう一度パソコンや携帯の電源を入れてみる。だが案の定反応のない画面を見つめ続けていると、突然何かを叩きつけるかのような激しい音が本丸中に響き渡った。

 

「な、何?!」

「門を突き破ろうとしているのでしょう。大きな力を感じます」

 

 焦る私を尻目にこんのすけが冷静に分析する。相手は固く閉ざされた門を突き破ろうとしているのだろう。体の芯から揺さぶる様な激しい音に恐怖心を煽られるが、私は皆の「主」だ。何の指示も出さぬまま隠れるわけにはいかない。

 

 逃げたくなる気持ちを堪えて部屋を飛び出し広間へと向かえば、信じられない光景が飛び込んできた。

 

「逃げろ! 主!!」

「――え?」

 

 襖を切り裂き、飛び出してきたのは鶴丸だった。しかもその手には自身である「鶴丸国永」が握られており、その刃が赤い世界で鈍く煌めいていた。

 

「逃げろ!!」

「主様!!」

 

 切羽詰った表情の鶴丸と、足元のこんのすけが叫んだのは殆ど同時だった。私は振り下ろされた刀に咄嗟に腕に抱いていた三日月を掲げ、重たい一撃を間一髪で受け止める。

 

「うぐっ……!」

 

 ビリビリと手が痺れる。いや、手だけじゃない。肩から腕にかけて痺れが広がる。

 それもそうだろう。私は剣道なんて一度もしたことがないし、彼らと共に打ち合ったこともない。竹刀だって握ったことがないこの体に鍛えられた鶴丸の一撃は酷く重たかった。

 

「何やってるんですか、鶴丸!」

「主、こっち!」

 

 腕が痺れてもたつく私とは裏腹に、戦慣れしている鶴丸は既に二撃目を放っていた。だがその白刃を受け止めたのは最も鶴丸の近くにいた宗三だった。そしてその足元からは小夜が飛び出し、私の手を握る。

 

「小夜! 主を連れて逃げなさい!」

「宗三! 鶴丸!!」

「すまん、主、宗三……! 体が、言うことを聞かないんだ……!」

 

 鶴丸の一撃を受け止める宗三の背後で、またもありえない光景を目にする。

 

「ぐあっ!」

「長谷部!?」

 

 誰かに蹴飛ばされたかのようにして長谷部が庭に転がり落ちる。かと思えば鋭い一撃が周囲を薙ぎ払い、短刀や脇差、打刀たちも大広間から飛び出してくる。

 

「大典太様!」

「逃げろ、前田……!」

「私は、何故……! 戦いたくなど、ないのに……!」

「江雪兄様?! どうして……」

「避けろ長谷部!」

 

 咳き込む長谷部に向かって鶯丸が刀を振り下ろす。そのすぐ後ろでは大典太が自身を握る腕を片手で押さえつけ、江雪は柱に自身を突き立て息を荒げている。

 彼らの手は目に見えるほど震えている。浮かぶ汗は滝のようで、呼吸をすることすら辛そうだ。

 遠くからでも分かるほどに手の甲や腕、首元に血管が浮かび上がっており、相当な力で抗っていることが伺えた。

 

「主! 何をぼさっとしているんです! 早く逃げなさい!」

「で、でも、」

「主、ここは危険です! お下がりください!」

「長谷部! でも、」

「俺からも頼む……! 主、逃げてくれ……!」

 

 鍔迫り合いをする宗三と鶴丸の向こう、鶯丸も長谷部を傷つけぬよう必死に腕を押さえつけている。それでもそんな彼を嘲笑うかのように腕は異常な力で鶯丸の体を引っ張り、長谷部に向かって腕を振り下ろす。

 

「クソッ……! 鶯丸! 貴様どういうつもりだ?!」

「分からん、体が勝手に……! 言うことを聞かないんだ!」

 

 怒鳴り合うようにして状況を確認し合う長谷部と鶯丸の声に被さるようにして、木製の門に亀裂が走る。

 

「まずい、門が破られる……! お小夜! 主の傍に!」

「はいっ!」

「歌仙さん!」

 

 自分の意思とは裏腹に仲間と闘わなければいけない私の刀たち。あまりにも突然な、そして衝撃的すぎる事態に頭がちっとも追いつかない。

 それでも小夜に手を引かれるまま廊下を駆け抜け角を曲がろうとしたその瞬間、遂に門が壊された。

 

「どうして、遡行軍が……」

 

 現れたのは日頃刀剣男士たちが戦っている、私たちの戦争相手である歴史修正主義者が使役している“遡行軍”たちだった。しかもその数はぱっと見ただけでも二部隊分はいる。

 だけど呆然とする私を彼らから隠すようにして小夜が手を引いたため、まじまじと観察する暇はなかった。

 

「主、あなたは安全なところにいて。どこが安全かなんて僕には分からないけど、でも、あなたには絶対に近づけさせないから……!」

「小夜くん……」

 

 執務室兼私室に私を押し込めると、小夜は周囲を確認してから襖を閉める。

 静かになると余計に分かる。過度の緊張と恐怖で心臓がうるさい。そして呼吸も浅く早くなっており、深呼吸を試みるが上手くいかない。普段何気なくしている呼吸がこんなにも難しいことだなんて思わなかった。

 

 未だ戻らぬ三日月をギュッと抱えたまま小さくなっていると、小夜が自身の柄に手をかける。

 

「誰か来る……。主、隠れて」

「か、隠れるって……」

 

 隠れるところなんてどこにもない。押し入れの中も僅かにスペースは残っているが、そこに入れるほど細くはない。出来ることと言えば身長の小ささを生かして隅の方で固まり息を殺すことぐらいだ。

 それでもやらないよりマシかと音を立てぬよう移動し、三日月を強く腕に抱いて壁に背を押し付けた瞬間――小夜が自身を抜き、襖ごと斬ってきた刃を受け止めた。

 

「ッ……!!」

「おや、誰かと思えば“小夜左文字”か」

 

 抑揚のない声が響く中、転がった小夜が体勢を立て直す。横顔しか見えなかったけど、その瞳は手負いの獣のように鋭かった。

 普段私を見守るような穏やかさはどこにもない。彼は戦うべくして呼ばれた“刀剣男士”なのだ。

 日頃から出陣を共にしている皆なら何も思わなかっただろうが、私は初めて目にする姿に衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。だけどショックを受けている暇はない。小夜は私を守ろうとしてくれているのだ。ここで騒いで状況を悪化させるわけにはいかない。

 

 不安を抑えるようにして強く三日月を握りしめる。

 私にとって今の三日月は殆どお守りみたいなものだった。

 

「お前は誰だ」

「ふむ……。君の霊力のせいで水野の霊力が分からないな。どうせどこかに隠れているんだろう? 大事な刀を折られたくなければ素直に出てきて欲しいものだがね」

 

 小夜と会話をする気がないのだろう。私のところからでは姿が見えないが、この声はどこかで聞いたことがあるような気がした。でも、一体どこで? 演練会場か?

 考えるも、すぐには出てこない。

 

「主はいない。無駄足だよ」

「ははっ、この私が君の言うことを信じるとでも? 主に似て素直な子だねぇ。“小夜左文字”らしくない。惜しいことだ」

「ぐッ……!」

 

 ガン! と鉄同士がぶつかる激しい音がする。相手の力が強いのか、小夜は一撃を受け止めるごとに苦しそうに顔を歪める。だが今のところ大きな怪我はないようで、息を荒げるだけだった。

 

「弱い。弱いねぇ……。霊力もそうだが、力がない。これだから“短刀”は使い物にならない」

「はぁ……はぁ……」

「ウォーミングアップにもならないよ」

 

 余裕のないこちらとは違い、相手はまるで欠伸でもしていそうなほど間延びした声を出している。小夜は短刀の中で一番練度が高いが、それでも最高練度には程遠い。刀装だっていつかは壊れる。蓄積される疲労はともかくとして、受け止める一撃に対するダメージが大きいのは目に見えて明らかだった。

 

「さて。どうしようかね。このまま折ってもいいが……。それだとつまらんな」

 

 じりじりと身を焦がすようにして襲ってくる焦燥感。まるで鉄板の上で焼かれている気分だ。しかも徐々に部屋の中に入ってくる相手に対し、小夜は防戦一方。

 私がいるから存分に戦えないというよりかは、彼の振るう力に抗うだけの力が足りないといった感じだ。

 

 声の低さからして相手は男だ。小柄な小夜と力だけで比較すれば相手に軍配が上がるのだろう。であれば、長期戦になると小夜では不利だ。何かないかと目を配らせ、部屋の隅に設置されていたソレに意識が向く。

 一か八か、どうせ殺されるだけならやってみる価値はある。

 

「まぁいい。どうせ聞いたところで答える気はないだろうしな。ここで折ってしまおう」

「ッ、」

 

 私が立つ位置からソレまでの距離は対してない。走ればすぐだ。だがそこから相手へと向き直るまでの間、小夜が折られないかどうかが心配だ。幾らお守りがあると言えど、発動は一度だけ。二度目はない。広間で遡行軍と戦っている皆のことを考えれば失敗は許されない。

 

 一歩、二歩。相手の近づく音が聞こえ、ついにその足先が見えた瞬間、私は飛び込むようにしてソレを掴み、相手に向かってその口を向けた。

 

「喰らえ!! 伝家の宝刀、エクス火器バー!!!」

「なッ?!」

 

 いないと思っていた私が突然視界に入ったことで気が逸れたのだろう。一瞬だが動きの止まった隙に小夜が廊下に飛び出し、私は手にしたソレ――消火器を相手に向かって思いっきりぶちまけた。

 

「おらあああああ!!! 舐めんじゃねええええええ!!!!」

「ぶっ、ぐ、クソが……!!」

 

 ホラーゲームでおなじみの、そして会社やマンション、家庭などには最低でも一つは設置されているであろう。伝家の宝刀“エクス火器バー”改め消火器の威力は存外侮れないものだ。こうして中身をぶちまければ煙幕代わりにもなるし、中身が空っぽになっても鈍器として使える。まあ腕力がないので流石に殴り掛かるのは難しいが、一度ぐらいなら盾として使えるだろう。

 

「主!」

「小夜くん逃げて!」

「ぐっ……小賢しい真似を……!」

 

 相手の剣が煙幕を散らすようにして振り回される。それにビビりながらも小夜と共に後退する。だけどこの本丸に逃げ場などない。戻ってもいるのは遡行軍だ。むしろ白刃戦を繰り広げているであろう皆の邪魔になってしまう。

 誰かに操られている風であった鶴丸、鶯丸、大典太、江雪の安否が気になるところではあるが、今は他の事を考えている余裕などない。

 

「小娘風情が……!」

「ははっ、そりゃどーも。“おばさん”って言われるよりかは“小娘”って呼ばれる方がマシだからね」

 

 実際まだ二十代だしな! おばさんにはちょっと早い。それに“小娘”って言われると何かちょっと若い感じしない? 世間を知らない甘ちゃんって言われてるも同然だけど、ババアって言われるよりかは百倍マシだと思って笑ってやる。

 そんな私の態度が気に障ったのか、煙幕の向こうで男が口汚い言葉を吐き捨てる。だけどここでじっとしているわけにはいかない。現に小夜が私の手を取り走り出す。

 

「小夜く、」

「あそこにいちゃダメだ。あいつは僕がどうにかするから、主は隠れて」

 

 辿り着いたのは本丸の裏手にある花壇だ。そこには小夜と陸奥守が育てているマリーゴールドに加え、新たに向日葵も植えていた。背の高い向日葵は赤い世界の中でもしっかりと立ち、咲き誇っている。植えたばかりの時はあんなに小さかったのに、今ではすっかり私の身長を超していた。その向日葵畑の中に小夜は私を押し込む。

 

「どこに隠れても無駄だ!」

 

 男の声が響いてくる。煙幕が晴れて探し回っているのだろう。小夜は「奥の方まで行って。決して出てこないで」と言うと、止める間もなく走り出してしまった。

 

「どうして、こんなことに……」

 

 自分で言うのも何だが、私はそんなに誰かから怨みを買うような人間だったのだろうか? 確かに口は悪いし適当だし、ちゃらんぽらんだし人の話をちゃんと聞いていない時もある。だけど仕事は真面目にしてきたつもりだ。

 演練会場で余所の審神者に話しかけられた時は当たり障りない態度でやり取りしていたはずだし……いや。そりゃあ時には「こんにゃろうめ」と思うような人もいたけど、実際そういう人にはちょっと当たり強めっていうかドライな対応をしたりはしたけど、まさかそれだけでこんなに怨んでくる? そんなのだったら今の世じゃ生きにくくない? 大丈夫?

 なんて人の心配をする余裕なんて本当はないのだが、心当たりがなさすぎて不安と焦燥感で何か考えていないと死にそうになるのだ。

 

 だって今回は私だけが巻き込まれているわけじゃない。皆も巻き込まれているのだ。私一人だけが死ぬならまだいい。でも、私の目の前で、もし皆が折られてしまったら――。

 自分の無力さを噛みしめながら死ぬのは嫌だ。せめて一矢報いたい。でも私にはアイツを撃退するだけの霊力もなければ技術もない。剣だって扱えないし政府と連絡を取る手段もない。どう足掻いても結局は足手まといなのだ。私は。

 

「……助けて……。誰か……」

 

 武田さんの顔が脳裏をよぎる。あの人ならどうしただろう。武田さんは柔道をしていると言っていた。それに彼の本丸にいる刀は皆最高練度に達している。柊さんの本丸もそうだ。それに柊さんは昔フェンシングをしていたらしく、こんなことに巻き込まれたとしてもきっと「戦う」ことに関して怖気づいたりはしないだろう。

 

 だけど私は何もない。スポーツなんて縁遠い遊びだ。もし霊力が高ければ政府が時折開いている何某かの講習を受けたかもしれないが、それもない。

 ないない尽くしの今、私にできることとは一体何なのだろう。

 

 誰かに助けを求めてはみたが、それで解決できるだなんて微塵も思っていない。でも今は藁にも縋る気分なのだ。こんな弱い私が、果たして本当に遡行軍たちに勝つことが出来るのか。

 

 ――不安ばかりが、募る。

 

「……あれ?」

 

 そんな中、見たことのある姿が本丸内を歩いていた。ほっそりとした長身痩躯に、うりざね顔の薄い顔。スーツ姿のその男は誰かを探すようにして辺りを見回していた。

 

 あの姿は見覚えがある。そう、あの人は、以前担当だった人だ。

 

 助けに来てくれたのか。

 ほっとした瞬間、体が動いた。ガサリと傍に立っていた向日葵が揺れ、男の顔がこちらへと向く。

 

「水野さん。そんなところにいたんですね」

「あ、は、はい。小夜くんが隠してくれて……」

「そうですか。お怪我はありませんか?」

「はい。ありがとうございます。でも、どうしてここに?」

 

 こちらを安心させるように微笑む彼だが、一体どうやってここに来たのだろうか。

 政府に連絡はつかなかったし、連絡手段はそもそも絶たれていた。ゲートだって今は反応しない。というか今そこは戦場になっている。それなのに彼は無傷だ。

 それどころか着ているスーツは綺麗で、どこにも汚れた形跡がない。ゲートを潜っていないというのなら、本当にどうやって来たのだろう。

 首を傾ける私に、彼が説明してくれる。

 

「ああ、実はですね、水野さんの担当を外れてから別の部署へと移動になりまして。審神者個人の担当ではなく、本丸に異変がないかどうかを調査・監視・管理する部署にいるんですよ」

「はあ」

「そこで毎日全国津々浦々、どこかの本丸に異常が起きていないかチェックをしているのですが、今朝から水野さんの本丸に反応がなくてですね。心配になって政府だけが使える特殊なゲートを使って、あちらの裏門から入らせていただいたんです」

「ああ、成程。道理であの裏門って何しても開かなかったのか。政府専用の門だったんですね」

「はい。ご説明していなかったようで、申し訳ありません」

 

 丁寧に頭を下げる彼曰く、本丸前に設置されている城門が通常私たちが使うゲートで、本丸の裏手にある小さな裏門が政府が強制的に使用できるゲートらしい。そのため審神者の力だけでは開くことが出来ず、裏門は常に閉ざされている状態だった。

 

「見た通り水野さんの本丸は異常状態に陥っています。ですので早急に避難いたしましょう」

「はい。ありがとうございま――」

 

 伸ばされた彼の手を取り、向日葵畑から足を踏み出そうとした瞬間。私はある違和感に捕らわれその動きを止める。

 

「……水野さん? どうしました?」

 

 訝しむ彼の表情は相も変わらず穏やかだ。こんな状況下にあるというのに、こちらを安心させるためだけにいつまでも笑っていられるだろうか?

 それにもしこの本丸が「異常である」と判断したならば、単騎で、それも護衛の刀もつけずに一人で乗り込んでくるだろうか?

 私なら万全な状態で乗り込む。刀も、自分も。だけどこの男は塵一つ付いていない綺麗なスーツを着用している。刀を持っているようには見えない。可笑しい。それに何よりおかしいのは、

 

 

 ――私が、この人の名前を思い出せないことだ。

 

 

「……水野さん?」

「…………あなた、誰……ですか……?」

 

 おかしい。確かに人の名前を覚えるのがそう得意な方ではないけれど、担当者の名前を忘れるほど馬鹿じゃない。以前の担当とはいえ一年も二年も経っているわけではないのだ。たかが数ヶ月で人の名前を忘れたりなんかしない。

 それなのに、幾ら記憶を辿っても彼の名前を思い出すことが出来ないのだ。まるで、初めから知らされていなかったかのように――。

 

 

「……知らない。私、あなたを知らない」

 

 

 武田さんは名乗ってくれた。名札もつけていた。柊さんは名刺までくれた。だけど、この人は? この人から、私はどう自己紹介された?

 

 

 ――怖い。

 

 

 本能的にそう感じた瞬間、男の笑みが歪に歪んだ。

 

「ただの“小娘”かと思ったが、存外考える脳みそはあるようだな」

「ッ!!」

 

 向日葵畑の奥に逃げようとするが、伸ばされた腕に手首を掴まれる。当然男と女では力の差があるうえ、相手は私以上に本気だ。引きずり出された挙句、地面に叩きつけるようにして投げ飛ばされ、無様に乾いた地面の上を転がる。

 

「うッ……! いっ……たぁ……」

「大人しく手を取っていればよかったものの。無駄に考えるからこんな目に合うんですよ? 弱者は強者に従わなくてはいけない。これは当然のことですよ? 水野さん」

 

 どこにも持っていないと思っていた男の手に刀が握られている。一体どこに隠し持っていたのか。それとも何か特別な力で見えないようにしていたとか?

 痛みに呻く私に向かって男の足が飛んでくる。咄嗟に腕を交差させて庇うが、思いっきり蹴飛ばされ再び地面を転がる。その時衝撃で腕の中から三日月が転がり落ちるが、それを取るよりも早く男が三日月を蹴飛ばした。

 

「あなたを殺して贄にしたらもうこの本丸は用済みです。主がいなくなれば刀は姿を保てない。ただの鉄くずになるだけ……。よかったですね。無様に折られる彼らを見なくてすみますよ」

「この人でなし……!」

 

 私を狙っていたのはこの男だったのか。そしてあの「黒い影」も、三日月の本当の主も、棄てられた本丸も、そこにいた前田藤四郎の主も、全部この男だったのか。

 理由はどうであれ最悪な気分を味わっていると、男の手にする刀が『三日月宗近』だと気づきハッとする。だが私の三日月は先程男に蹴飛ばされ、離れた場所にある。あの『三日月宗近』は、私の刀ではない。

 

「おや。気づきましたか。ですがコレはあなたが持つ『三日月宗近』ではありません。コレは私が育てた、私の最高傑作である『三日月宗近』です。あなたが持つ何の役にも立たないゴミとは違いますよ」

「ふざけんな! 私の三日月だって、元はあんたが顕現させたんだろうが!」

 

 そう。私の元にやってきた『三日月宗近』は、決して私の霊力で顕現させた刀ではない。今はハッキリと感じることが出来る。三日月を顕現させた、三日月から感じ取ることの出来る力はこの男が持つ霊力そのものだ。

 圧倒的な、どす黒くて恐ろしい力。男はそれを聞きニヤリと笑う。

 

「まぁ、そうですね。厳密にいえばソレも私の刀です。ですがそれは元よりあなたの本丸に送り込むためのもの。育てる気なんてありませんし、どうなろうと知ったことではありません。折れようが砕けようが、痛くも痒くもありませんね」

「最ッ低……!」

 

 私は刀が傷ついたら悲しい。

 確かに折れても『次』がある彼らだけど、でも、それは今いる彼らと全く同じではない。記憶を引き継ぐわけでも、感情の機微が全く同じというわけでもない。

 余所の本丸に顕現した刀と同じように、皆それぞれ『個性』があるのだ。私たちと何も変わらない。見た目や名前、性能が一緒でも、彼らは『人』と同じ、私にとっては『たった一振り』の刀なのだ。例えそれが分霊だったのだとしても、私にとっては本家本元と何も変わらない。私にとって『三日月宗近』はこの一振りだけだし、他の皆もそうだ。

 だからそんな彼らが『死んでもいい存在』だなんて一度だって思ったことはない。それなのに、この男は……!

 

「“折れても次がある”というのは素晴らしいことです。幾らでも“実験”が出来ますから」

「実験? なに……? 何をしたの? あんたは、」

「おや。冥途の土産に聞きますか? 話せば長くなるんですが……。まぁ、気が向いたらお話しますよ。あなたのお墓の前でね」

「ッ!」

 

 抜かれた『三日月宗近』の刀身は黒く濁っている。そしてそれは男が掲げるままに天を仰ぎ、私を断罪するギロチンのように鋭い刃を光らせた。

 

「さようなら。水野さん」

 

 一瞬の躊躇すらなく、鈍く光る刃が振り下ろされる。

 先程まで手にしていた三日月は離れた場所に転がっている。手を伸ばしたところで届かないだろう。

 消火器だって先程小夜と逃げている間に置いてきてしまったし、武将のように『懐刀』を持っているわけでもない。このまま脳天を割られて死ぬのか、それとも首を落とされて死ぬのか。

 スローモーションのように振り下ろされる刀に対し、反射的に瞼を閉じ、腕で身を庇う。そんなことをしても意味がないだろうに、体は勝手に動いた。

 

 

 こんなことになるならもっと皆と話しておけばよかった。

 いつも私のこと大事にしてくれてありがとうって。一振り一振りの顔を見ながら言っておけばよかった。

 確かに皆は『刀』だけど、私にとって大事な『宝物』なんだよって、伝えていればよかった。

 

 そんな気持ちばかりが溢れる中、襲い来る痛みに構えてグッと奥歯を噛みしめる。しかしすぐさま襲い掛かってくるであろう衝撃は来ず、代わりに鉄同士がぶつかる鋭い音が頭上で響いた。

 

 

 

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