ハイスクール・イマジネーション   作:秋宮 のん

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頑張って書きました!
久しぶりに早くかけたかな?
あんまり待たせていなったら幸いです。
結構頭ひねって書いた自信作なので、喜んでもらえれば幸いです。


例の如く、添削がまだなので、煩わしい方は↓の表記が【添削済み】になるまで待ってください。
                  【添削済み】


一学期 第十試験 【決勝トーナメント 準決勝戦】Ⅱ

ハイスクールイマジネーション14

 

第十試験 【決勝トーナメント 準決勝戦】Ⅱ

 

 

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 理不尽などはどこにでも存在する。大の大人でさえ、理不尽の前には心が折れ、やさぐれたりだってする。時には大きな人生の岐路となり、外道に落ちる事だってあるだろう。

 夕凪(ゆうなぎ)凛音(りおん)もまた、嘗てはそんな理不尽に巻き込まれ、心に大きな傷を残した。それでも彼がまっとうな人生を歩もうと心に誓えたのは、その時に出会えた恩師のおかげだ。

 

『人は闇を持つもの、だから闇を消そうとするんじゃなくて、受け入れてあげるんだ』

 

 その言葉が、道を外れようとしていた凛音の胸に深く突き刺さり、今でもその言葉を胸に、まっすぐに生きようと努力している。

 イマジネーションスクールの試験に受かり、晴れて入学を果たした時、初めての寮生活の同居人が女性であった時は「何処のラノベ展開だっ!?」と、驚愕の声を上げてしまったが、この学園では結構あり得るシステムだったので、渋々受け入れることにした。

 同居人として出会った少女東福寺(とうふくじ)美幸(みゆき)はたれ目がちで柔和な顔立ちをしたブラウンのストレートヘアーをカチューシャで纏めた、抱擁感を感じさせるお姉さんだ。実際年齢も凛音より一つ上と言うこともあるせいか、アパートの美人大家さんとその入居者的な気分を抱いてしまう。Dカップの豊満な胸を持ち、全体的に肉感の強い彼女と、一緒の部屋で暮らすのは中々に思春期男子として大変なことも多かったが、美幸の人となりは、そんなマイナス面も含めて「幸福だ」と断言できる関係だった。

 そこそこ裕福な家庭で生まれたお嬢様のようだったが、自分より他人を気遣えるとてもやさしい心根を持っていて、どんなに注意していても、小さなほころびを見つけては気遣ってくれ、熟練夫婦の妻も顔負けの面倒見の良さを発揮している。

 そんな彼女がFクラスであり、自分がBクラスなのは、時たま疑問を抱いてしまうこともあるが、それは唯一、凛音が美幸に対して勝る物(っと、本人は思っている物)であり、同時にそこに関してだけは美幸の力になってあげられる場所だと確信していた。

 だから、Fクラスと言うだけで、彼女のことを罵る輩が現れた時、何が何でも自分が守らなければと使命感を抱いた。そうだ。彼女のために自分ができるものなど、このくらいの物なのだから。彼女の名誉を守らんがために、自分が戦って見せる。

 争いを好まない彼女のために、何よりも他人の幸福を願う優しき少女のために、夕凪凛音は光の剣を携え、傲慢な王へと立ち向かったのだ。

 

 

 そして、理不尽な現実は、この学園でも彼を再び襲う。

「はあ……、はあ……っ」

 自然と息が上がる凛音。周囲には彼の力でつけられた傷跡が残り、床も壁も柱も、いたる所に亀裂が走っている。

 全校生徒が出入りする寮の玄関口と言うだけあってそれなりに広く作られているのだが、戦闘となると少々手狭感を感じさせられる。特に大技が多い一年生イマジネーターにとって、室内戦と言うのは大変苦しい環境だ。後々、授業で習わされる訓練であったが、まさか喧嘩腰の決闘で最初に味わうことになるとは、さすがに思ってはいなかっただろう。

 だが、室内戦のやりにくさよりも、心が折れそうになるほどの苦悩が目の前にあった。

「おいおい失望させてくれるなよ? 貴様も仮にもAの次に強いBクラスの一員であろう? この身に一太刀といわずとも、せめて一歩くらいは動かして見せればどうだ?」

 不遜な物言いで腕を組む黒スーツの銀髪男、シオン・アーティアはつまらなさそうに一蹴する。

 これを聞いていた観戦者、明菜理恵は、決闘戦の様子に瞠目し、呆然とするしかない。

「いくら何でも……、これはないだろう……?」

 そう漏らした意味を語るかのように、凛音は再びシオンに向かって飛び出す。手にするのはこの学園の購買部で超安売りされている量産型の剣(弥生や菫も愛用してます)、その刃に己が能力を発現させ、眩い光を纏う。『極光の波動:剣閃(ライトニングウェイブ=スラッシャー)』凛音の派生能力『極光の波動』により並外れた剣速と切れ味を実現させた極光の剣。その輝きは“極光”の名に恥じぬ輝きと速度をもって奔り、一息に二十四の閃光を生み出す。

「くだらん……、芸もなく、またぞろそのお遊びか……」

 閃光が煌いた一瞬が過ぎ去り、光が止んだ先にいたのは、まるで何も意に介していないという風に冷めた視線を向ける、無傷のシオンだ。

 「また躱された……っ!?」そんな驚愕が凛音の表情に露わになって表れる。

 剣の届く距離にて、シオンは凛音を見下ろすだけで何もしてこない。彼の腰にも立派な装飾の施された剣が()かれているが、その柄に手も掛けようともせず、ただただ凛音のことを値踏みでもするように見るばかりだ。

「く……っ!」

 またも距離をとるしかない凛音。もう何度繰り返した変わらない攻防に―――否、攻防とも言えぬ霞を切るような感触に、気が変になりそうであった。

(確かに……っ! 確かにBクラスはAクラスより成績は下位だ! そう判断されたが故のBクラス! だが……っ! それにしたって……っ! ここまでなのかっ!? こんな一方的な状況になるほどに、俺達には実力差があるっていうのかっ!?)

 納得できない現実に、だが歴然と結果で見せつけられている事実に、凛音はどんどん追い詰められていく。一方的に攻めているのはこちらだというのに、いや、だからこそと言うべき、圧倒的な実力差に、もはや策らしい策すら思い浮かばない。

(冗談だろ……? これでもまだ、Aクラス筆頭じゃないっていうのか……?)

 不安、焦燥、精神的疲労、そして恐怖―――。

 イマジネーターとして多大な力を手に入れたと言っても、彼はまだ少年なのだ。ましてやつい最近まで普通の学生だった彼に、精神的支柱などは存在しない。憧れはある。大切な人間もいる。守りたいという意志も忘れていない。

 それでも霞む。

 イマジネーターの理想とする精神的成長を促されてなお、その心が霞み、身が竦む。震えが弱さとなって表れていく。

(の、呑まれるな……っ!)

 全力で頭を振って震えを払うが、それでも心にできた弱さまでは消えてはくれない。

 この状況を覆す手段が思いつかない時点で、自分はこの男に負けているのだ。その事実が彼の意志を蝕んでいく。

弱さ()を恐れるな。弱さ()を消すんじゃなく、受け入れて、前に……っ!)

 かつて送られた恩師の言葉を思い出し、必死に奮い立たせようとする。しかし、現実と事実と言う壁が、彼の思考を侵食し、その“意思”すらも奪っていく。

(受け入れて……? 受け入れてどうするんだ? それからどうしたら良い? 弱さ()を受け入れれば、やっぱり恐怖()に侵されるんじゃないのか? それは、強さ()を失うことになるんじゃないのか……?)

 普段ならしないような悲観的な思考。いつもなら、闇を受け入れ、その闇と共に光さす場所に向かうべきだという結論に至るところが、この一方的な展開に邪魔をされ、受け入れがたいものへと変わってしまう。

 冷たい汗が全身から流れ始める。もういっそリタイヤしてしまいたい気持ちが湧き出し―――そこで初めて自分の中で自分を殴りつけた。本当なら実際に殴ってやりたいところだったが、それは今は控えておいた。

(どこまで悲観的になってるんだ俺はっ!? 落ち着けよ! 俺は今、いったいなんのために戦ってるんだよ?)

 震えの収まらない体で、視線だけを美幸へと向ける。心配そうに両手を組んで祈るようにこちらを見つめる姿に、折れそうになっていた心をギリギリで繋ぎ止める。

(そうだ……! 例え勝てなくても、最後まで足搔かないでそうする? 最後まで全力を尽くさなければ、勝てる勝負も落としてしまう。俺は、美幸を『愚物』扱いしたコイツを、絶対に許さないっ!!)

 恐怖の中、消え去らぬ弱気を抱えながらも、凛音は剣を構え立ち上がる。せめて、この一太刀は与えて見せると、最後の切り札を切る覚悟を見せ、全身に極光を纏い始める。

「……くだらん」

 もはや言葉にすることさえ億劫と言いたげに、シオンが言葉を漏らす。

 続く言葉は聞かない。凛音は、己の全力をぶつける事だけを考え、力を開放して一気に飛び出す。彼本来の能力にして、最強の切り札―――『永遠なる極光(インフィニティライトニング):()開放(バーストライト)

 全身を纏うは眩いほどの燐光。全身の能力を格段に飛躍させ、五感全ても強化された全身―――いや、全能強化。Bクラスの予選では結局最後まで使うことのなかった力を開放し、光の速度をもってシオンへと斬りかかる。その速度は、おそらく一年生では最速と目される遊間(あすま)零時(れいじ)すらも置き去りにするかのような、刹那の閃光となる。

 

 ゆえに結果も、瞬きの間に起こり、誰にもその過程を理解することができなかった。

 

 気付けば破砕音が鳴り響き、夕凪凛音が床にたたきつけられ、仰向けに倒れている。

 凛音自身、研ぎ澄まされた五感をもってしても、その事実を受け入れるのに時間がかかった。

 いったい何が起こったのか? その事実は、神格化している立会人の迦具夜比売と、この結果を自ら起こしたシオン・アーティアにしか理解できていない。

「こんなものが切り札か? やれやれ本当にくだらんな。貴様もAクラスに届きこそしなかったものの次席のBクラス。ここまで無様を晒すとは何事か?」

 責めるような物言いに、しかし凛音は答えることができない。その質問は、むしろ凛音が自分自身に問いかけたい言葉だったのだから。

(俺は……っ! 俺は今まで、一体何をやっていたんだ……っ!?)

 強くなるためにここに来た。大切なものを守れるように、目標となる人に追いつけるように。そんな願いの下、彼はこの学園にやって来た。そこで与えられたBクラスと言う成績上位者のクラスに、誇りだって抱いていた。このクラスに配属されたことを、恥じることのないように立派な人間になろうと、決意していた。

 だというのに、どうして自分はここまであっさりやられてしまっているのか? その疑問は、彼の戦意を完全にへし折るには十二分に過ぎた。例え、まだこの学園にきて日が浅いが故に、力の差異が目立つだけだと解っていても、許せないと思った相手に負けるということは、その他の事情全てを押し流してしまうほどに自責の念にとらわれた。

「自分のくだらなさにようやっと気づけたか? 愚物とつるんでいるだけならまだしも、愚かしくも愚物に感化され、自らも愚物となる。それは愚かが過ぎる、ただのゴミだ。ゴミは早々に消え去るがいい」

 そう言って、いつの間にか抜いていた剣を振り上げるシオン。それを見上げながら、ダメージで全く動くことのできない凛音は、声も上げることもできず、振り下ろされる刃をただ見つめることしかできなかった。

 

「そこまで……っ!!」

 

 シオンが振り下ろす刃。動けぬ凛音。その間に割り込む着物姿の影。

 構わず振り下ろされた刃を、その身で受け止め、凛音を凶刃から救ったのは、立会人として戦いを見守っていた迦具夜比売であった。

()……っ! 立会人の権限をもって、この試合をシオン・アーティアの勝利と認めます! これ以上の殺傷行為はお控えくださいっ!」

 エキシビジョンマッチの時同様、剣で切られたところで大したダメージもないのか、迦具夜比売は凛とした佇まいで正面からシオンに立ち塞がる。

「ふんっ、やはり守ったか。普段のお前ならまだしも、月の仙女となった貴様では、他人を積極的に守りたがるらしい。しかしこれは決闘だ。勝敗は立会人が決める事ではなく当人たちが決める事。いかに相手が愚物の類であっても、(オレ)は自ら手を下していない相手を敗者などと認めるつもりはない。そこをどけ」

 剣を突きつけるシオンに対し、僅かに視線を彷徨わせた迦具夜比売は、相手の思考を読み取る様に表情を強張らせる。

「……未来視ですね?」

「……」

「最初の位置から全く動くことなく夕凪さんの攻撃を凌ぎ切ることなどできるはずがありません。例え圧倒的な実力差があったとしても、それを覆せるのがイマジネーター。非戦闘員のEクラスやFクラスでもない限り、このような事態に陥ることはありえません。例外として存在するのはただ一つ。圧倒的に相性の悪い能力を有しているか否かです。夕凪さんの最後の一撃は、さすがの貴方でもまともに受けるのは危険であり、なおかつ避けることは叶わない一撃のはずでした。それができてしまった以上、答えは一つ。最初から相手の攻撃の軌道を読めていれば、いかなる権能を用いられようと対処は可能。つまり、未来視があなたの能力の一つです」

 シオンは軽く口の端を持ち上げ微笑の形を作る。己が力を看破されたことを、むしろ喜ぶかのように。まだ続きがあるらしいことを気配で悟り、軽く切っ先を揺らして先を促す。

「その剣、学園の購買部で売っている頑丈さが取り柄の量産品ではありませんよね? 見るからに業物ではありますが、装飾が施されている。実用性を持たせつつも装飾が優先されているところを見るに宝剣の類。形は西洋剣の諸刃ですが、実用性のある装飾剣と言えば王族が所有する類のもの。しかし、私が知る限りで、そのような装飾が施された王剣は見たことがありません。ましてやこの現代で剣を所有するのは困難。更に、未来視などと言う能力を持っていても、それだけでここまで一方的な展開を作り出すのは本来不可能。この展開を作り出したのは、間違いなくあなたの戦術。それは、貴方が実際の戦いを存じ上げていたからこそ組み立てることができた証。ですがこれも、この現代では身につかない技術です。戦争自体が少ないこのご時世に、ましてや剣での戦い方を知ることなどできるはずがありません。仮にできたとしても、下界での経験は、イマジネーターにとって足枷になる要因の方が強い。しかし、貴方にはそれを見受けられない。それ等を踏まえた上で再度考え、導き出された答えは―――貴方は異世界の出身、それも戦場を駆け、王として君臨したことがある類の者ですね」

「ははっ!」

 迦具夜比売の推測を聞き終え、己の正体まで看破されたというのに、むしろそれこそが喜悦だと言うかのように、シオンははっきりと声を上げて笑う。

「面白い……! やはりこうでなくてはな! (オレ)のいた世界は(オレ)と釣り合いの取れる相手がいなくてな。やはり貴様もAクラス! 多少の変わり種だとは思ったが、俺の期待を十二分に満たしてくれるではないかっ!」

 今にも馬鹿笑いを始めそうなほど笑みを称えるシオンに、迦具夜比売は袖の中から薬箱をこっそりと取り出し、自分の体を陰にしつつ、それを凛音に向けて投げ渡す。倒れたまま動けずにいたい凛音だが、何とかその箱を受け取る。しかし、果たしてこの薬を使っていいものかどうか悩んでしまう。それは単純なプライドのようにも思えたし、退いてはならない一線のようにも思えた。なんだかんだと言ってもまだ子供の集団だ。誰もが正しい判断を下せるわけではなく、こう言ったとっさの判断に悩まされることもある。

 迦具夜比売も、ここは是が非でも使ってほしいというわけではなく、単なる気遣いのつもりだったので、使用するかどうかの判断は本人の意思に任せることにした。

 ―――いや、そんなことよりも何よりも、迦具夜比売は目の前の男から視線を逸らすことを恐れ、ひどく躊躇われていた。

 二人のやり取りに気づいているのかいないのか、シオンは抑揚のある態度で告げる。

「正直、愚物の相手など、最初から務めるだけ時間の無駄だ。この(オレ)自ら時間を割いてやるつもりなどなかった。適当にあしらい、試合を観戦している方がよっぽど有意義だったからな……」

 そこでいったん言葉を区切り、シオンはまじめな表情を作る。

「だがお前が立会人となった。この時点で(オレ)の興味はお前に移った。その意味が解るな……?」

 質問に答えず、迦具夜比売は身構える。先程からずっと、自身の防衛本能とも言える『魅了』が発せられているはずなのに、まったく効果が見られない。それが一層彼女に警戒心を持たせる。相手の戦意を削ぐほどの魅了。権能ではなく体質として存在するこれに、抗うことなどできない。例外と言えるものがあるとすればそれは―――、

(『魅了』した上での私を、求めるが故の戦意……!)

 美しさは人を魅了し骨抜きにする。だが、時と場合により、その美しさを貪欲に求めたものが、その美しさを自分の物にしようと災いを運ぶ。それと同じ現象が起きているのではないかと言う推測に、答え合わせをするようにシオンが邪悪な笑みを称える。

「そろそろ“コイツ”にも餌をやりたいと思っていたところだ。精々その愚物を守れよ? 貴様が戦いをやめれば、俺は容赦なくそいつを斬るぞ!」

 その言葉に、ようやく理解に至った理恵が叫び警告する。

「おいっ、やばいぞっ! そいつの狙いは迦具夜比売(アンタ)だっ! そいつ、アンタの神格を()()()()()()()()っ!!」

 美幸が慌てた様子で飛び出し、凛音が目を見開く中、シオンの剣が(ひらめ)く。

 両腕を交差するようにしてガードした迦具夜比売は、その攻撃を諸に受けるが、それは予想されるほどの威力とはならず軽減され、弾かれる。

「ん? (オレ)視た(、、)物より威力が劣っているな? なるほど。先に観測してしまえば、それが予想となり、期待となる。そう判断されてしまうが故に“期待通りの効果を発揮させない”と言う効果が重複し、さらに力を削ぐことができるのだな? これは未来視に対しては中々の“切り札(ジョーカー)”……。ならば未来を視ることなく、己の力で作り出すまで!」

 飛び出すシオンは、片手に持つ剣を振り翳し、連続で斬撃を放っていく。

 神格とはいえ戦闘に秀でているわけではない迦具夜比売は、これらの攻撃全てを受けきることはできない。仕方なく防御能力が付与されている着物の袖で刃を受け止めるが、その袖は切り刻まれ、下の皮膚にまで届く。浅く食い込んだ刃が鮮血を走らせ、宙に赤い軌跡を彩る。

 痛みから表情を歪ませつつ、連続する刃を何とか押しのけていく。その度に上がる鮮血は血飛沫の如く吹き上がり、彼女の周囲に鮮血の花弁が舞う。しかし、躱すことはできない。シオンの宣言通り、狙いは凛音に向けられている。迦具夜比売が防御から回避に行動を移せば、忽ち凛音が切り刻まれることだろう。だが、攻撃手段を持ち合わせていない迦具夜比売には、この状況を押し返す手段がない。『燕の産んだ子安貝』の効果で何とかダメージを抑えているが、その上からどんどん削られているのだ。ここでも同じ、一方的な展開になりつつある。

「……っ!」

 迦具夜比売は、一瞬の隙を突いて袖に手を忍ばせると、そこから白に近い黄色の玉を幾つか取り出し、無造作に投げ捨てる。

 それに危機感を覚えたシオンは瞬時に飛び退く。その玉は地面に数度接触すると、小さな閃光を放ち瞬時に消え去った。

「ほう……っ、今のは正体こそ解らぬが、神格を宿した宝具か?」

「そんな大そうな物ではありません。かつて、姉の樺井月姫(カバヰツキヒメ)に献上された一品で、神の目を楽しませる花火の類です。っと言っても、それはその花火の原材料に近しいもので、ご覧の通りコケ脅しにしかなりません」

 それであっても神格を宿した閃光。神の目をも眩ませる眩き閃光。自身は人の身であるシオンが正面から目にしてしまえば、数時間は目を焼かれ続けることになっていただろう。

「はっ! 面白い! さすがは月の仙女! 月の蔵に収められた宝具を使えば戦う手段がなくとも“戦えるかっ!?”」

「無茶をおっしゃらないでください。今のは私が使用を許されている物の中で、“限界まで引き上げて”使えた物です。蔵の預かり人でしかない私に、中身の使用を許されている物は、私に縁のある物だけです」

 そう言いつつ、迦具夜比売は袖の中にどうやって仕舞われていたのかも分からない大きめの和傘を取り出す。これにも神格が宿っているらしく、開いて構えれば子供の冗談のように楯として使用できる。どうやら徹底的に守りの態勢のようだ。

(……まずいっ! まずいぞカグヤッ! “今のお前じゃダメだ”!!)

 上階から様子を伺っていた理恵は、叫びたい気持ちを必死に堪える。彼女の危惧は、既に迦具夜比売も理解しているはずなのだ。解らせるために理恵は“そういう言い方”をしたのだから。だが、それでも打つ手がない。どうしようもなく相性が悪い。先程の凛音以上に“シオンは迦具夜比売の圧倒的な天敵なのだ”。

 シオンが口の端を釣り上げ、―――(わら)う。

「もう少し引き出しを探りたいところであったが、その様子ではこれ以上のものは出てこないか……? ならばそろそろ“食事”としよう! 起きろ、餌だぞフェンリル」

 告げ、剣を無造作に振るった刹那、迦具夜比売の差していた傘が崩壊した。

 それは分解とか破壊とか、そう言う現象とは次元を(かく)していた。斬撃が触れた瞬間に、和傘の神格が致命的な損傷を受け、その形状を維持できないとばかり崩れ去った。まさに崩壊したのだ。

 更にその一振りは傘にとどまらず、迦具夜比売の身を襲い、大量の加護を有していた衣がずたずたに引き裂かれ、素肌を露わにしていき、露わとなった皮膚には幾重もの傷跡が奔る。まるで獣の(あぎと)に喰い付かれたかのような生々しい傷がその柔肌に深く喰い込み、彼女の左半身を朱く染め上げた。

 衝撃が過ぎ去った後には、過ぎた激痛に悲鳴を上げることもできず真っ青な顔で倒れ込む、ひ弱な姫の姿が晒された。その姿はあまりにも無残で、美しい衣はボロ衣のように色を失い、無事なところを探す方が困難なほど引き裂かれ、晒された肌は、艶めかしさなど押し流してしまうほどに深紅に染め上げられ、痛々しさしか窺えない。それとは逆に真っ青に染まった顔色が、彼女が致命的な傷を負ったのだと物語っている。

 凛音も、美幸も、これを予想していた理恵でさえも、言葉を出せず見開いた眼で眺めることしかできない。美幸に至っては両手で口元を抑え、込み上げる感情に涙さえ浮かべていた。

「く、くは……っ! くははははははっ! これほどかっ!? これほどなのかっ⁉ いやいや驚いたぞっ!? まさかその身に一太刀浴びせるだけで、コイツがここまで満足するとはなっ!」

 笑い、声を張り上げるシオンの傍らには、いつの間に存在を現していたのか、巨大な狼らしき存在が、(シオン)に仕えるように佇んでいた。その巨大な咢は、丁度迦具夜比売の半身に喰い付いた傷跡に一致する。この獣が彼女を襲ったものの正体なのは明白だ。

(オレ)もまさか、コイツが姿を作り出せるとは思いもよらなんだぞ? それほどに貴様の神格は極上だったという事だろう! 誇っていいぞ!」

 そう言って、倒れた迦具夜比売を一頻り称賛した(笑った)後、改めて視線を凛音へと向ける。

「さて、あとはゴミ掃除を終えるとするか。なに、気にすることはない。こいつを満足させてもらった礼だ。この(オレ)が自ら骨を折ってやろうではないか?」

 そう言って歩を進め始めるシオン。彼に追従するように巨大な狼もゆらりと歩む。

 気付いた凛音は、慌てて受け取っていた薬を飲み、瞬時に身体を癒す。傷は治らなかったが痛みが引き、動けるようにはなった。これ以上の戦闘は意味がないと判断し、『永遠なる極光:開放(切り札)』を逃げの一手に使ってでも逃れようとする。

 ―――しかし叶わない。それすら叶わない。

 次の瞬間には狼の前足が自分を捉え、地面に押し付け、ガチリッと頭上で咢が鳴らされたと思ったら、凛音の身に宿っていた燐光が完全に輝きを失い消え去った。

 自分の身で受けてようやく理解した。これは“神格を喰う力”だと。そして、神格が宿っていなくても、神格以下の力の類は全てこの(フェンリル)の餌なのだと……。

「動くな。埃が立つ」

 煩わしそうに告げるシオン。その姿に、その眼に、凛音は確信する。こいつは自分達とは違う。自分達が歩んできた生活とは違う道を歩み、違う価値観の下に生まれ育った者であり、行動の全てに自分と言う柱を持って行動する存在だ。

 敵わない……! 少なくとも、今の自分ではどう足搔いても、この男とは決定的な何かで突き放され、絶対に敵わないのだと悟る。

(力とか能力とか、そんなんじゃない……っ! もっと別の、“何か”だっ! その“何か”が解らない限り、コイツには……っ!!)

 今の自分ではそれが理解(わから)ない。その悔しさに歯噛みしながらも、彼にできる事と言えば、決して心だけは屈服しないと睨みつける事だけだ。

 (フェンリル)が咢を開く。

 ここに至って、理恵は、実力云々など言ってられないと悟り、最低限の『強化再現』を行い、身を乗り出し、階下へと飛び出す。同じく美幸も、直接的な戦闘能力を持たない身でありながら、ルームメイトを守らんがために床を蹴って走り出す。

 Fクラスとは言え、さすがは二人ともイマジネーター。その速度は常人のそれとは比べるべくもなく、瞬時に目標に辿り着く。

 理恵は自身の能力を使い、(フェンリル)の力を削ぎ落し、顔面に抱き着くようにして動きを止めようと試みる。しかし、これを(フェンリル)は顔の一振りで簡単に払いのけ、理恵は近くの柱に皹が入るほどの勢いでたたきつけられてしまう。幸い、防御系の強化は施していたものの、それでも「がぼ……っ!?」っと、赤く濡れた声が喉から込みあがり、床に突っ伏してしまう。

 美幸は凛音を抑えている前足に飛びつき、何とかしようとしているが、彼女の非力な力ではいくら『強化再現』を加えても、微動だにしない。そもそもイマジネーターの『強化再現』は純粋な強化とは違い、強化している現象を再現しているだけにすぎない。だから能力である(フェンリル)に、基礎技術の『強化再現』で殴り掛かろうが掴みかかろうが、太刀打ちできる相手ではない。

「凛音さんっ! 凛音さんっ!? ……放してください! 凛音さんを放してっ! もう勝負はついた! もう充分ではないですかっ! これ以上、凛音さんを虐めないでくださいっ!!」

 涙を零しながら、必死に前足をどかそうと体当たりをしてみたり、人を殴ったこともない拳を振り回してみたりするが、まったく効果を得られない。既に彼女も能力『超幸福論(ウルトラハッピネス)』を発動しているのだが、効果らしい効果も見られない。おそらくはこの力さえ、食べられてしまっているのだろう。たった一つの長所しか持ち合わせていないFクラスにとって、その唯一の力を奪われてしまっては、もはやどうすることもできない。能力者同士の戦いでありながら、既にそこには見た目通り、巨大な獣に襲われる哀れな人間と言う現実が成立していた。

「煩わしい……。ここに至って、見せる抵抗がこの程度か……。やはり、貴様は愚物。もはやその姿も見るに堪えんわ」

 煩わし気にシオンが告げ、指示を出すために手をかざす。

「逃げえぼば……―――っ!?」

 咄嗟に叫ぼうとした理恵だが、込み上げてくる赤に言葉が濁され、咳き込み、ろくに声も上げられない。

 凛音はせめて美幸だけでも逃がそうと極光の槍を作り出そうとするが、それが完成する前に食べられてしまう。

 美幸に至っては、己にまで危機が迫っていると知りつつ、『直感再現』の警告も無視して、必死に(フェンリル)の足に拳を叩きつけている。しかしこれも、何の効果を発揮することはない。

 獣の咢が、美幸を一飲みにするかのように開かれる。

 理恵も凛音も、もはや目を見開き、覚悟するしかないと戦慄した時―――、突然(フェンリル)は身を翻し、明後日の方向に飛びつくと、宙を飛んでいた何かに喰い付き、一飲みにした。

 次の瞬間、(フェンリル)は腹痛でも起こしたかのように咳き込み、その足をよろけさせた。

「……何を、……いったい何を喰わせた?」

 笑みが、張り付いたような笑みが、狂気にも似た笑みが、シオン・アーティアの顔に浮かぶ。予想外の出来事が楽しくて仕方ないというかのように。まさか終わったと思った遊戯が、まだ続いていたと知って、はしゃぐかのように―――。シオン・アーティアはその笑みを向ける。左半身を朱に染め、顔色は真っ青のまま、美しかった黒髪は乱れ、瞳の輝きも失われたかのようにただ黒い。晒された傷も肌も、ろくに隠すこともできない出立で、迦具夜比売は、弱々しい病人のような笑みで、薄く微笑んだ。

(ちん)の肉に神格を宿した物ですよ。日本で(ぜん)と呼ばれています、猛毒を持つ(がん)の妖怪です。さすがに神を殺す獣でも、毒物には堪えましたか? 因みあの献上品は私の姪にあたる倭姫命(やまとひめ)に送られたもので、河豚と同じように毒の部分を取り除けば、食べられるものだったらしいですよ。味は珍妙なだけで美味ではなかったらしいですけど……、私が扱えるのは調理時に捨てられる毒の部分だけだったのですが、逆に幸いしましたね……」

 とても辛そうな声で語りながら、膝立ちの姿勢のまま、迦具夜比売は焦点が合わない眼をシオンに向ける。シオンは面白そうに視線を返す。

 この間に美幸が凛音に肩を貸し、慌てた様子で理恵の下にまで後退する。そのまま理恵の容態を確認しているようだが、こちらも重症らしく、美幸一人ではどうしていいのか分からず、一層涙を流していた。

 彼女自身も気づかぬことだが、彼女の幸運をもたらす能力がフェンリルに喰われながらも、微かに残ったおかげで、迦具夜比売がこの手を打つに至れたのだが、その能力の特性上、誰にもそれは気付けていなかった。偶然にも、凛音を救ったのは、シオンが愚物と侮った美幸だったわけだ。

 そして、そうとは知らぬシオンは―――、

「面白い……! 面白いぞ……っ! いやはや、これ以上はさすがに惜しい人材を失うと思い自重していたのだがなっ!? もはやここまでとはっ! さすがの(オレ)も大人げなくはしゃいでしまうと言う物っ!」

 シオンは剣を掲げる。獣の姿となっていたフェンリルがイマジン粒子となって剣に取り込まれる。元の能力へと還った剣は、その身が喰らった神格を帯び、ただそこにあるだけで威圧感を放っていた。

 切っ先を迦具夜比売へと向ける。

「ここから先は真剣勝負だ。精々俺を楽しませろよ」

 シオン・アーティアは、迦具夜比売に向かって突撃を開始した。彼が見せる本気の動き、本気の戦闘。

 対する迦具夜比売は、苦悶の表情を浮かべながら、収納性が残っているのかも怪しい袖の中から幾つかの宝具を取り出し、対抗する。それら全てが直接的な攻撃手段を持たず、直接的な防御手段を持たない、微妙な効果の物ばかりだったが、東雲カグヤとしての頭脳がそれを助け、上手くシオンの攻撃を掻い潜っていく。

 その身に宿った神格を幾多斬られながら、満身創痍の肉体を負傷する代償を払いながら、一撃一撃が必殺の刃を、凌いでいく……。

 彼女に勝機は―――微塵も残されてなどいなかった。

 

 

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 激流、津波、大獅子、魔弾の雨に岩石、おまけに毒……。いくつもの障害を受け、気が遠くなりそうになりながらも、八束菫は必死に剣を振るい抗う。操作した剣は全て出端を挫かれるように撃ち落され、津波と激流が自分を呑み込もうとそそり立つ壁の如く迫り、それを切り裂いても、獅子が飛びかかり、『牡牛』の怪力で投げ飛ばされてくる大岩にも地味に苦労させられる。何とか状況を打開しようと考えても、毒が回った頭は朦朧として思考が纏まらない。無理矢理接近戦に持ち込もうとしても、『山羊』の健脚と『魚座』の水泳が容易に回避と逃走を叶えてくる。『天体観測』を発動している正純には、一度に四つ以上の星座を使用することで起こるデメリットも相殺され、むしろ強化されてしまっている。誰の目にも彼女が勝てる見込みはなく、もはやワンサイドゲームに決着がつくのを待つばかりであった。

 ―――などと考えているのは観客だけだ。

 当人達は未だ、そんな甘い考えなどは捨て、精神力を振り絞り、現状の把握に努めている。

 獅子の体当たりを食らってしまいながらも、押し寄せる津波を、体を回転させる勢いを利用して『糸切り』で薙ぎ払い、水中に沈んでしまわないように努めながら、菫は表情を青くしながらも、鋭い視線を向ける。

(まだ……、大丈夫……。打つ手が無い、なら…、今作る……! 終わってないなら、諦めない……っ!)

 再び操作された剣群が動き、それぞれ行動を介しようとするが、それが本格的に動く前に、『射手座』の矢が次々と撃ち落し、地面に転がる。中にはついに耐久値が限界を迎えたのか、折れてしまったものまである。

 距離を取りつつ『天体観測』の俯瞰(ふかん)した視線で状況を把握しながらも、小金井正純は、油断なく戦場を支配し続ける。

(今、優位に立っているのは俺だ。だけど、油断はしない。この状況に持ち込む間だって、何度も覆されそうになった。次はどんな手を打ってくるかわからない以上、この優位性を保ちつつ、更に攻め手を用意できるだけ用意する!)

 足元がふらつく菫に目を向け、正純は周囲一帯に『射手座』の雨を降らせる。しかし、それは標的を定めていないかのように無造作に地面を抉っていくだけだ。いったい彼は何をしているのだろうかと観客が疑問を浮かべる中、菫は青い顔に、更に苦悶を浮かべた。

「く……っ!」

 急ぎ、手に持つ剣を『剣弾操作(ソードバレット)』で撃ち出し、その勢いに乗って戦闘位置を大きく変える。観客はさらに首を傾げる。

 

 

「あれ、一体何をやってるんだと思う?」

 戦況を控室で観ていた廿楽弥生が、ある程度予想はできているらしい声音で問いかける。

 問われたのはもちろん、控室に入れるもう一人、ジーク東郷。彼も予想はできているらしく、観戦用のホログラムを操作し、フィールドの視点を動かしながら説明する。

「地面を抉り、足場を悪くしているのだろう。菫は毒の効果で空中戦を演じるのは辛くなっている。そこに足場の環境を悪くすることで、更に動きに制限をかけさせようとした」

「ああ、やっぱり菫はそれに気づいて、場所を移動したわけか~。……ジークならこの状況どうやって覆す?」

「無意味だな。俺ならまず、あの程度の攻撃では傷つけられん。蠍の毒もおそらく届かないだろうしな。そう言う弥生はどうする?」

「ん~~……? 毒が回りきる前に斬る!」

「……君は実は脳筋なのか?」

 

 

 八束菫も、ただ逃げているわけではなかった。正純の次々と変わる絶え間ない攻撃の中でも、菫はいくつかの手をかすれる思考の中で組み立て、しっかり行動に移していた。ただ、菫の剣は、いくら操って四方から襲い掛かっても全て『天体観測』で感知されてしまうため、攻撃は取らない。なので、菫は考えられる手段として、最も有効な一手を打つために、その布石を撃ち込んでいた。

 幾多撃ち出す剣。しかし、その全ては動き出すタイミングを狙われ『射手座』に撃ち飛ばされ、四方へと散っている。更に津波が次第に包囲を狭め、菫の行動範囲を狭めていく。『糸切り』で何とか塞がった道を切り開くが、相手は水、いくら切り裂いても修繕など容易い。絶対的な防御力を打ち破る必殺の剣も、術者本人に当てられないのでは無駄打ちと同じだ。だが、その刃を向けようにも正純はしっかりとその攻撃を避けられる位置に移動し、常に警戒を密にしている。とてもではないが直接正純を狙うのが難しい。そもそも、いくら万物を切り裂く力を発揮する『糸切り』であっても、遠距離から切り裂くことには特化していない。津波の時は、斬った対象が繋がっていたからこそできた芸当だ。さすがに切り裂ける範囲にも際限はあるが、相手が津波程度なら端から端まで切り裂くのは容易かったのだ。

 だが、菫にも遠くから攻撃を当てる手段はある。そのための布石を敷いている。

 っとは言え、正純もそれ自体は何となく予想している。故に警戒も解かれない。

(狙えるチャンスは一度切り……。配置は、あと少し……。タイミングさえあれば……)

 狙いは近づきつつあるが、そのチャンスがない。絶え間なく続く攻撃に、菫は出あぐねていた。

(ううん……、違う……)

 しかし、菫は思考を断ち切り、己の考えを否定した。

(自分が、考えている、ように……、相手だって、しっかり考えてる……。チャンスなんて……来るはずがない……)

 ―――だから、っと、彼女は続ける。

(無茶でも無謀でも……っ! 無理やりにでもこじ開けるっ!!)

 イマジネーターの、特にDクラスの強みは、絶え間なく変化する手数の多さだ。たった一つの必勝法を持たず、代わりに使いきれないほどの戦闘手段を持つ。相手はその手数に翻弄され、うっかり付き合いでもすれば、忽ち引き出しを全て出し尽くされた上に、それを上回る手段で叩きのめされる。これがDクラスの恐ろしさだ。

 だから菫は、残りの精神力を全て総動員して攻勢に出る。道を遮る獅子も、矢も、全て正面から『糸切り』で叩き伏せ、無理矢理こじ開けるように道を切り開いていく。ただ愚直に、力押しで、正面突破を図る姿は、まるで自棄になって突進しているようにも映る。

 

 

「いいえ、それで良い」

 観戦していたサルナ・コンチェルトは口の端に微笑を潜ませながら呟く。

「毒を受け、空中戦を演じる体力もなく、空間把握でも相手に上をいかれている時点で時間を稼ぐだけ無駄。時間は相手の味方なら、その時が訪れる前に攻め切るしかない」

 無謀とも言える突進、それは勝機を見出すために最善となりえる最後の一手でもあることを看破する。

(『愚かな』……っとか言いかけてたっ!? 言い出す前に本当に愚かな行為なのかどうか考え止まってよかったっ!!)

 一人、黒の魔導書を自称する少女が冷や汗を大量に流していたりするのだが、それは別の話である。

 

 

 事実、その手はかなり有効だった。力任せの戦法故に、菫の疲労も激しかったが、確実に活路が開かれつつあった。正純もその進撃を止めようと『獅子座』『射手座』を操るが、それを叩き伏せながら菫が突進してくる。距離をとるのは難しくない。『山羊座』と『魚座』があるのだ。容易に距離は取れる。だというのに菫は追いかけるのをやめない。対処できないわけではないが、遅れれば間違いなく自分が不利になる。いや、一発逆転があるのがイマジネーターの戦い。それを理解できてしまっているが故に、正純にはプレッシャーがかかる。

 そう、つまり、一方的なプレッシャーをかけられていた菫が、正純にもプレッシャーをかけることで立場を同じにしたのだ。

 もちろんその代償は菫に多大な負担をかける。ただでさえ短いタイムリミットを更に縮めるような行いなのだから。だが、それだけの代償を払う意味はあった。

 実際、正純は隙を見せたつもりはなかった。津波も獅子も矢も、手に持つ剣一本で全てを薙ぎ払って、止まることなくひたすら前進してくるので対処に追われ、菫に本人に対して意識が集中し過ぎた。その一瞬に、菫は配置しておいた仕掛けを発動する。

「いけっ!!」

 菫の指示に従い、周囲に散っていた剣が一斉に射出される。弾かれる方向を計算し、とあるポイントに正純の『天体観測』を打ち破る仕掛けを用意していた。そして突進を仕掛ける覚悟を決めた時、そのポイントに正純を誘導していた。『天体観測』を使用し俯瞰した視界をもっていた正純なら、この異変に気づけたはずだった。だが、菫の特攻に気を取られ、せっかく広い視野を無意識的に狭めてしまっていた。そのため対処が遅れた。ましてや()()()()()()()()()()()ならなおさらだ。

 菫が使ったのは『剣弾操作(ソードバレット)』の最大出力。狙いは正純ではなく、正純を囲む地面。突き刺さった剣は、元が水底の土だけあり、完全に埋まってしまい、土の奥深く沈む。

「くむ……っ!」

 次の指示に僅かな抵抗感を感じつつ、渾身の思念を念じ、一気に剣を打ち上げる。突如爆発したかのように地面が膨れ上がり、大量の泥と砂塵が巻き上がる。

「しまった……っ!?」

 その事実に気づいた正純が表情を硬くした。

(アナタ、の、視覚を俯瞰……してみる能力……『天体観測』は、“天体を観測”するものじゃ、なく……“天体から観測”すること、で、視覚を得てる『天体の加護』を受け取ってるもの……なんでしょ?)

 正純の『天体観測』天体の加護を借りることで、全てを見定める力だ。ならばそれは、天を覆い隠してしまえば、普通に目隠しできてしまえるということだ。

 実際のところ、これはそれほど簡単な理屈ではない。『天体観測』は空が見えていれば何処からだって観測可能だ。それは、地平線が見える地形なら、“真横からでも”観測が可能と言うことだ。そのため、地上で同じことをしても、視界の一部が塞がれるというだけで、正純の視界全てを塞ぐことはできない。だが、そんなことは菫にも予想の範疇(はんちゅう)だ。運良く、ここは湖の底。真上以外に空を仰ぎ見る術はない。

 つまり―――、現在通常の視覚を失っている正純は、完全に目標を見失っている。

 この隙を突き、菫は剣群を操り自分の周囲に展開させる。

 この一撃で決めるために―――!

 

 

 菫は少しばかり過去を思い出していた。“過去”っと言うほど昔ではない。自分がAクラス代表に選ばれたと知った後、クラスが総出で訓練に付き合ってくれた時のことだ。時間待ちに飽きたクラスメイトが、突然一斉に襲い掛かり、菫一人でクラスメイト全員を相手にすることになった。

「( ̄∇ ̄ ハッハッハ! 逃げてばかりじゃ訓練になりませんよ~~っ!」

 武道(ぶとう)闘矢(とうや)の『武具再現』『再現:狙撃銃(スナイパーライフル)』で撃ち出される拳圧で、ライフル弾と見まごう空気の弾丸が飛来する。四方から襲い掛かってくる相手に剣群を大急ぎで対応させているため、闘矢の攻撃を躱すのも一苦労だ。体をひねりながら、床に背中が付きそうなほどに身をくねらせ、ひねりの勢いを利用して無理矢理態勢を整え、たたらを踏みながら必死に逃げる。いやもう必死だった。Aクラス全員の集中砲火なのだ。とても反撃などしてる暇がない。

 身体が突然重くなり、危うく倒れそうになる。視線を向ければ、天秤を持つ少女の姿が映る。伊集院(いじゅういん)三門(みかど)が使役する式神(イマジン体)、テミスの援護能力における加重圧だ。幸い、彼らの能力は『正義』に依存する向きが大きく、菫とはそれほど会話をしていないので、善悪の区別がついていない。そのため効果が薄いようだ。

 それでも動きが遅れたところにルブニールと言う名の少女が、能力で作り出した剣で斬りかかってくる。やむなく受けて立つが、剣術の腕は相手の方が上らしく、斬り合いはかなり苦戦させられた。菫の変色ステータスに剣術がなければ、あっと言う間に切り伏せられていたかもしれない。

(って言うか……、私も立派な剣士、スタイルなの、に……! 私より、剣術、上手い人っ! 多すぎ……っ!)

 何気に“剣技”の差では、カグヤにも負けていることは、菫にとって憤慨ものだったりするが、必死に隠している。

「そらそらっ! こっちの相手もしてくださいよ~っ!」

 一斉に襲われないよう、絶妙なバランスで操作していた剣群が、紗倉(さくら)秀郷(ひでさと)が『藤原秀郷』『勇猛なる将』による弓矢攻撃で次々と弾き飛ばされ、牽制されていた者たちの道を開く。

 「余計なことを~~~っ!!」っと叫ぶ暇もなく、真っ先に隙間を縫って突っ込んできた緋浪(ひなみ)陽頼(ひより)(女の子バージョン)に蹴り飛ばされ、待ち構えていた夜刀神(やとがみ)メリア、ティアナの双子姉妹に、それぞれ『蛇の女王(コアトクリエ)』『太陽の蛇(ウィツィロポチトリ)』の強力な火球と、『蛇使い(サーペンタ)』『灼熱の剣(ナーガラージャ)』による灼熱の剣を同時に浴びせられ、結構な負傷を追う。

 堪らず地面に倒れたところに織咲(しきざき)ユノリアの展開する『SOC』『シャイニングブロッサム』の桜色の花弁が自分を包囲しようと襲い掛かってくるので、慌てて転がりながら回避する。飛び起きて見れば、いつの間にかそこにいたらしい水面=N=彩夏(ミナモ エヌ サイカ)の『物質特性変化』『罠錬成』に引っかかり、思いっきり壁に磔にされた。

「むきゃ~~~っ!!」

 もう色々分からなくなって変な声を上げながら、操作した剣群に『糸切り』を追加して拘束を断ち切り、慌てて飛び出す。剣を足場に空中に逃げれば機霧(ハタキリ)神也(シンヤ)が、なんだか大きな砲台を複数向けて此方を狙ってくる。びっくりしている暇もなく、四方八方から他のクラスメイト達が襲い掛かってくる中、菫は咄嗟に思い付いた動きで剣群を操作し―――やってのけた本人が驚くほどの一撃で、クラスメイト全員を一度に薙ぎ払ってしまったのだ。

 

 

 そう、まさにその一撃こそは、能力で使用される技に、自分なりのオリジナルを加えた“業”と言えるもの。すなわち―――“必殺技”!

「剣よ……っ! (つど)いて貫け―――ッ!!」

(必殺……っ!)

 自分を中心に螺旋状に展開した八本の剣が『剣弾操作(ソードバレット)』の限界速度で同時に放たれ、菫が突く九本目の剣の切っ先に、一点集中で貫く。九つの剣がただ一点を貫く一撃―――!

(『九つに彩る装飾曲(ナイン・アラベスク)』―――ッ!!!)

 命名した技は、言ってしまえば能力の応用でしかない。だが、それ故に、それは能力を十全に使えるようになり始めたというのと同義だ。菫の『九つに彩る装飾曲(ナイン・アラベスク)』と名付けたこれは、九本の剣で突くという今の動作を指すものではなく、自分が持つ一本の剣を八本の剣で彩る様に操るパターンを『九つに彩る装飾曲(ナイン・アラベスク)』と名付けている。

 一点に集中して放たれた九本の剣は、咄嗟に正純が展開した『牡羊』の楯を容易く粉砕する威力を持っている。ダメ押しの『糸切り』を追加して、あらゆる防備を無効化した。

 

 

 視界零の中、小金井正純は冷静に思考していた。

(悪いな八束……、俺の練習相手の二人は容赦がなくてな……、この状況も体験済みなんだよ……)

 Dクラスのトップウィザードとも言える二人、桐島美冬と黒野(くろの)詠子(えいこ)は、二人掛かりで攻める時、本当に正純の嫌がることを執拗なまでに行った。菫に対してここまで有効な手を取り続けることができたのは、既に体験していて、対処法が確立した後だったからだ。

 『天体観測』を発動させた正純は、自分の力を十全に使え、充分トップウィザードとして成立する強さを持っていた。それでもさすがに二人相手では手を焼き、しかも菫同様に『天体観測』の仕組みを見破り、詠子の作った黒い霧を張られ、完全に視界を封じられてしまった。おまけに電撃を霧に流され、身動きを封じられ、『牡羊座』でも耐えられない氷と炎の組み合わせ攻撃(≪ニブルヘイム≫)をぶち込まれて、リタイヤシステムのお世話になった。

 そこまでして得た教訓は、ここでもしっかり発揮された。

 菫の必殺技は確かに楯を砕くのに充分な威力があったはずだった。だが、八本の剣は楯に阻まれ、甲高い音を鳴らしただけに止まり、最も威力を発揮していた手に持つ九本目の剣だけが切っ先を僅かに突き刺さる物の、楯を打ち破るには至らなかった。

「……っ!?」

 さすがに驚愕を隠しえない菫。彼女の視界からは牡羊の楯が邪魔で見ることはできなかったが、楯の内側では正純の手に『♎』の紋章が浮かび上がっていた。正純が発動したのは『天秤座』の魔法は、相手と自分の実力を完全に拮抗させるものだ。これにより圧倒的な力関係は相殺され、楯を打ち破るには至れなかったのだ。

 さらにこの隙を突いて『獅子座』の獅子が咆哮を上げ、その衝撃波で空に舞った砂塵を吹き飛ばしてしまう。視界が晴れた。

 楯から飛び出す正純。そのまま山羊の健脚を使って逃げようとする。

「……っ!」

 すかさず片手を剣から放し、別の剣を捕まえると、逃げようとした正純に対して投げつける。距離が近かったおかげで射手座に落とされることなく投擲された刃が正純の足を掠め、転倒させる。

 地面を踏みしめ、踵を返す。そのまま追撃を駆けようとした菫の―――背後にもう一人の正純(、、、、、、、)が現れた。『直感再現』でそれに気づいた菫は、転倒している正純の胸に『(双子座)』の紋章が浮き上がっているのを見つける。

(『双子座』!? 効果は分身……っ!?)

 驚愕しつつも冷静に効果を把握し、菫は素早く切り付けていた左の剣を操り、手の中で半回転、地に突き立て、それを足場にすることで跳ね返る様にもう一人の正純(本体)の方へと飛び掛かる。

(悪いが、そういう返しも経験済みだっ!)

 あの特訓の中で、美冬も同じように氷を足場にして跳ね飛び、正純の攻撃を躱したことがあった。それ故、正純は接近戦のできる者がこれをやった場合の対処も、前以って考えておいたのだ。

 正純の額に『(乙女座)』の紋章が輝き、微笑みを浮かべる。

「ひきゅ……っ!?///////」

 たったそれだけに、菫の心臓が飛び上がり、変な声が漏れた。相変わらず表情は、あまり変化しないが、よく見れば頬にうっすらと赤みが浮かび、瞳がウルウルうと揺らいでいた。

 菫は動揺しながらも、これが一体何なのかを瞬時に看破した。看破して驚愕し、これはズルいと、本気で叫びたくなった。

 『乙女座』の効果は単純明快な魅了。性別は関係なく、相手が人間の場合ならほぼ確実に惚れさせることができる。さすがに迦具夜比売の特性の様に、戦意すら削ぎ落すというわけにはいかないが、代わりに能力で発動している以上、相手に強制的な“一目惚れ”状態を作ることができる。恋の衝撃は、年頃の少女である菫にも未だ経験のないもの。それは想像以上に心を揺らし、頭で解っていても、正純の微笑み一つに動揺して、頭の中の行動と、現実の行動が上手くかみ合わない。その一瞬の隙を突き、正純は先手を打つ。

(お返しだ! くらえっ! 対近接戦魔法―――!)

花形に揃う射手座の星(ディバイン・サジタリウス)!! (仮)」

 正純の正面で『射手座』の閃光がいくつも輝き、花弁を開くか花の様に展開した。それは同時に突っ込んでくる菫に対し、射手座の射手で阻む形をとり、同時に、至近で放たれれば、回避不可能な範囲を狙っている。さながらショットガンを至近で構えられているのと同じような状況だ。しかも、刺付きの盾越しでだ。

 菫は何とか剣を振り下ろし、迎撃を試みたかったが、剣を振り下ろせるのは一回限り。それで射手を破壊できる数では自分のダメージの方が超過してしまう。かと言って相打ち覚悟で突っ込もうとも、僅かな時間差で、正純の方が早く射手座を放てる。打つ手がない。

 菫は覚悟を決め、自身の体に考え付くだけの防御術を全力で施していく。

 放たれる花弁の星。ショットガンの例えを裏切らない衝撃が爆音とともに響き渡り、菫の体を木の葉の如く吹き飛ばす。

 途中で態勢を整える暇もなく、空中で操っていた剣達も置き去りにして、菫は側面の壁となっていた切り立った津波の中に呑まれてしまう。すかさず正純が『水瓶座』で水を操る。

 一閃が閃き、流水が両断される。びしょ濡れになって出てきた菫が、明らかに重くなった足取りで、何とか一歩を踏み出す。

 更に畳みかけられる津波が、菫を中心に渦巻くように水の中に閉じ込める。

 両断される。そしてまた重い一歩を踏み出す。

 ……っが、すぐさま新しい流水が追加され閉じ込められる。

「……くぁっ!」

 両断し、苦しそうな呼吸音が漏れる。

 疲労が大きいのは明らかで、顔がうつむき加減になり、濡れた髪の影に表情が隠れてしまう。視界を確保するのも億劫なのか、髪の間から正純を見据え、また一歩を踏み出す。そして、そのタイミングを計ったかのように水に閉じ込められる。

 水の中。息苦しさと、度重なる疲労、最後に受けたダメージの大きさに、苦悶の表情を濃くしながら、『糸切り』で水の牢獄を両断する。

 また一歩を踏み出したところで閉じ込められる。

 両断して踏み出す。

 閉じ込められる。

 繰り返す。繰り返す。

 菫のペースが上がり、合わせて正純もペースを上げる。

 

 バンッ! ザンッ! バンッ! ザンッ! バンッ! ザンッ!

 

 断続的に繰り返される破裂音と、流水音。そのペースが……、次第に落ち始める。

 菫の表情に苦悶がどんどん濃くなっていく。

 立ったまま『水瓶』に集中している正純。

 彼の下まで辿り着くために、必死に足を踏み出し、水の抵抗を重く感じるようになった剣を振るう。

 次第に閉じ込められてから両断するまでの時間が長くなる。明らかに菫のペースが落ちている。

 それでもと、菫は足を踏み出す。

 もはや万策尽きていた。

 もはや体力も限界点で、勝機を計算する術も失っていた。

 それでも菫は疲労しきった身体を必死に動かし、『糸切り』を何度となく使い、水流を打ち破る。

 一歩、また一歩を踏み出す。

 せめてもう一太刀。Aクラス筆頭としての意地を見せようと、必死にもがく。

 

 

 その姿に、観戦していた者たちが固唾を呑んで見守る。

 もはや派手さのなくなった状況に、しかし誰もがこの試合で一番力の入った眼差しを送っていた。

 中には思わず手を合わせて強く握り、祈る様にする者も―――、

 中には拳を握り、静かに声援を送る者も―――、

 中には後ろの客の迷惑も忘れ、立ち上がって必死に叫ぶ者もいた。

 観戦中の七色異音(ナナシキコトネ)は、隣の(かなで)ノノカと、互いに手を取り合い、ハラハラした面持ちで見守っている。

「……がんばれっ!」

 絞り出すような声を思わず漏らしたジェラルド・ファンブラー。

 普段はどこ吹く風で微笑んでいるクラウドも、今は硬い表情で状況を見守っている。

 カルラ・タケナカは、膝の上の拳を強く握り、必死に頭の中で考えた。この状況下で菫が逆転する方法を―――、逆転してくる相手への対処法を―――、しかし、彼女の頭脳をもってしても、この先の展開はもうただ一つに集約しつつある。それ故彼女はこの展開に目が離せない。

 

 

 目が離せなくなっているのはカリスマチームもだった。元々口数の少ない者達であったが、この状況下ではむしろおしゃべりこそ不敬だと言わんばかりに黙り込み、誰もが真剣な表情で状況を見守っている。特にサルナ・コンチェルトは、珍しく表情を硬くし、組んだ腕に力が入ってしまっている。

 その瞳の奥に、もはや結果が揺るがぬ状況の中でも必死にもがく少女の姿が焼き付けられていた。

 

 

 菫は必死だった。勝機と言えるほどの可能性も残されていないのに、それでも足を踏み出し、確実に一歩一歩、正純との距離を縮めていく。

 水と疲労、呼吸困難が相まって、視界がぼやけていく中、それでも菫は正純から視線を外さない。

 剣が重い。足が重い。体が重い。

 それでも踏み込め! それでも進め! せめてこの剣が届く最後の一歩までっ!

 心の中で、言葉だけを羅列するように思い浮かべ、それを糧に奮起する。

 あと一歩! その距離に入った。

 剣を振るう。

 重い。重すぎる。

 剣は緩慢な動きで軌跡をなぞり、『糸切り』の効果で僅かに水流に亀裂を作るが、すぐに塞がってしまう。

 限界だ……っ!? ここまでだ……っ!

 誰もがそう確信する中、菫は臍下丹田に貯められたイマジンを爆発させるイメージで強く息を吐く。

「フン……ッ!!」

 イマジン基礎技術、『喝破(かっぱ)』―――自身の中でイマジンを軽く暴発させることで、自分を中心に発生している術式(イマジネート)を打ち払う技術だ。さすがに攻撃系のイマジネートまで打ち消すことはできないが、自分の動きを封じる程度の水流と、思考をぼやけさせていた『乙女座』の魅了を打ち破るくらいはできた。

 水の牢が弾け、自由になった菫は、最後の力を振り絞るが如く、歯を食いしばって剣を大上段に構える。

 

 ここまで来たぞっ!!

 

 そんな声が届きそうなほど、強い力を瞳に宿し、菫は正純を睨み据えた!

 ………が、そこから先が進まない。

 菫は必死に上体を前方に向けて動かしているが、肝心の足が前に出ようとしない。

 誰もが菫の限界がここに来て達したのだと今度こそ思った。しかし、それにしては様子がおかしい。菫は必死に足を出そうと上体を激しく左右に振っている。そこには最後の一歩を踏み出す体力が残っていないようには見えない。いったい何が起こっているのか誰もが疑問に表情を歪める中、菫の足元に、その紋章が浮かび上がっていた。

 

 それは『(蟹座)』の紋章だった。

 

「『黄道十二宮招来』『星霊魔術』…『蟹座』。効果は対象の行動制限。横移動以外の行動を強く制限する」

 無慈悲な正純の声が、その事実を告げる。

 『黄道十二宮招来』最後の『星霊魔術』が、菫の最後の一歩を完全に封殺していた。

「悪いがその最後の一歩……、踏ませるつもりはない」

 強く、強く、強く……、勝利を求め、足搔く目の前の少女よりも、勝利を求める執念を瞳に宿し、正純は『水瓶座』の津波を放つ。

 悔し気に表情を歪める菫は……そのまま津波の中に呑まれてしまう。

 ほどなくして、幻想的な光景となっていた水底での戦いは、両断されていた水流が物理法則を思い出したかのように崩れ、激流となり、元の湖の形を取り戻していった。

 

 

 2

 

 

 八束菫は、全力で呼吸をしながら、しりもち付いた状態で肩を上下させていた。

 用事を済ませて訓練場に立ち寄った東雲カグヤは、Aクラスの屍が山と積まれている状況に、驚きすぎて呆れた表情を浮かべていた。

「……お前は名実ともにAクラスのトップになれるんじゃないのか?」

 そんなことを呟きながら、歩み寄ったカグヤは、息も絶え絶えで(ろく)に返事もできない菫に、その辺の自販機で買ったらしいドリンクを二本差し出す。どちらでも好きな方を取れという意味らしいと悟り、菫は視線を向ける。

 

 右手『もうゴールしていいよね? ダイエット飲料水!』

 左手『別に倒してしまっても構わないのだろう? 超濃厚乳酸菌飲料!』

 

「カグヤは……、私に、負けてほしい、の……?」

「え……!?」

 菫の若干、本気の入った声に、元ネタを知らなかったらしいカグヤが割と真面目に驚いていた。

 とりあえず、喉が渇いていたこともあって右のダイエット飲料をもらいたいところだったが、試合に向けた意気込みとしては乳酸菌飲料の方をいただくことにした。受け取った缶を開けようとして、ふと手が止まる。普段下界で見慣れている缶とは形が違っていたので、どう開けていいのか分からなかったのだ。

 それに気づいたカグヤが、謝意を示すような苦笑いを浮かべて隣に座ると、ダイエット飲料の缶を開けて見せる。

 普通の缶は、プルトップを指先で引っ掛け持ち上げることで、テコの原理を利用し穴を開けるという方式(イージーオープンエンド)だ。それに対し、菫が今持つ缶には、プルトップがあるべき場所に、つまみのような物が取り付けられている。カグヤは、そのつまみ部分に親指を当てると、そのまま横方向に押して見せる。すると、つまみが取り付けられている中心部分を支点に回転し、カシュッ! っと言う聞きなれた音を立てて内側から飲み口を開けた。

「ギガフロート、って……、変なことしてるとこ、多い……よね?」

「まあ、これなら指に力が入らない人でも開けられるし、別に悪いことはないと思うが……」

 確かにスペックの無駄遣い感はあるので、下界でやろうとすると、無駄に原理が凝ってしまって、缶ジュースの物価が上がってしまいそうだとは感じた。そう苦笑いをしながら、菫の隣でジュースを煽った。

「んぐ……、ンぐ……ッ!? ……ぷはぁ……っ! なんてお腹にガツンと来る硬水だ……。しばらく固形物が喉を通らなくなりそうな触感に、味が二の次になってしまった……。何味だったんだこれ? もう一回飲む勇気が出ないぞ……」

 ジュース一本に何を大げさな、と、菫は無表情の中でくすりっ、と微笑み、自分も一口……。

 

 瞬間。

 世界が崩壊した。

 

 絶望が吹いた。

 秒速百メートルを優に超える超風。

 人が立つことはおろか、生命の存在そのものを許さぬ強風は叩きつける。

 

 “―――ついて来れるか”

 

「……赤い外套の騎士が見え、た……」

「は?」

 突然菫が妙なことを言い出すので。カグヤは菫の呑んだドリンクの味がどれだけ奇怪な物だったのだろうと首をひねった。

 なぜ菫は、その後も、「お前こ、そ……!」と言いながら残りのドリンクをがぶ飲みし始めたので、カグヤとしてはもはや呆れて見ているしかない。

 そうこうしてる内に目を覚ました他Aクラスの面々が、菫の下に集まり、勝手に話を盛り上げ始める。

「お前ら全員そろって菫一人にやられたのか?」

「はい、菫さんすごかったですよ? 私の『イマジンコネクト』では、第3形態まで持っていかないと相手にならないかもしれません」

 カグヤの質問に、自分の事のように微笑む、腰まである白い髪と黄金の瞳を持つ少女、リリアン・トワイライト・エクステラは、黒と蒼を基調とした可愛らしいゴシックドレスが汚れるかもしれないことなど気にした風もなく、二人の傍に腰を下ろした。

「ですね。私も、『鬼神顕現』が追いつかなくって……、菫さんは素質あると思いますよ?」

「希少性のない男の娘は、もう、いい……」

「ヒドイ……ッ!?」

 ポニーテールの黒髪で赤眼の男の娘である鏡刀也に、まったく関係ない方向で弄る菫。

「次は僕様のこのカードとコンビネーション組めば面白くない?」

「なるほど? 実用性は皆無っぽそうッスけど、面白そうだからありかもしれませんね! ……ところでミズチに山城? そろそろ睨み合うのやめない?」

 切城(きりき)(ちぎり)と面白そうなことを優先して菫に再度挑もうとか考えている、茶髪のオールバックに青い瞳を持つ長身の少年、紗倉(さくら)秀郷(ひでさと)だったが、自分のイマジン体二名が何やら火花を散らしているので、さり気なく諫めに入っている。

「次はもっと火力、次はもっと火力! 次はもっと火力ッ!!」

「なぜか神也(シンヤ)くんが壊れた機械の様に危ないこと言ってるんだが……?」

「文字通り菫に壊されたからねぇ~。治るまで時間がかかるんじゃないかい?」

 機霧(ハタキリ)神也(シンヤ)の壊れたような呟きに、ちょっと心配になった浅蔵(あさくら)星琉(せいる)だったが、ゴスロリ少年の水面=N=彩夏(ミナモ エヌ サイカ)に諭すように言われ、とりあえずそっとしておくことにした。

 他にも、時川(ときがわ)未来(みく)古茶菓(ふるさか)澄香(すみか)甘粕(あまかす)勇愛(ゆあ)伊集院(いじゅういん)三門(みかど)、ルブニール、code:Dullahan(コード:デュラハン)、メリアとティアナの夜刀神(やとのかみ)姉妹、武道(ぶとう)闘矢(とうや)緋浪(ひなみ)陽頼(ひより)、八雲日影、天笠(あまがさ)(つむぎ)織咲(しきざき)ユノリア―――、

「うわ……っ!? なんだこの大所帯? ……え? 菫に全員やられた? どうなってんのコイツ?」

 更には様子を見に来たレイチェル・ゲティングスまで加わり、大変騒がしい環境が出来上がりつつあった。

 そして、皆が皆、結局はただ一つの言葉で締めくくる。

 

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「がんばれよっ!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 

 皆が一斉にその言葉を送ったわけではない。むしろ、そんな直球な言葉ではなく、かなり湾曲した変化球の効いた言葉を贈られたのだが、一つ一つ上げていると本気で切りがないので、その辺は割愛する。とりあえず、まとめるとそんな感じになるのだと理解できる。

 最初は普通に会話していた菫だが、少しずつこの環境に()てられるようにぼ~っ、としてくる。

「菫?」

 その瞬間を目敏く見つけたのか、隣からカグヤが首を傾げながら名前を呼んでくる。

 菫は軽く頭を振ってから、何を言うべきか少し悩み口ごもる。

 すると、カグヤは逸早く何かに気づいたかのように口を開く。

「あ~~~……、あのな? 菫? たぶん、お前が考えてることな?」

「ん……?」

「みんな一緒だから、……まあ、気にするな」

 穏やかな表情になったカグヤは、瞼を閉じて薄く微笑んだ。まるで周りの喧騒を安らかに感じているかのような態度に、自然と菫は取り込まれる気分で周囲の喧騒に浸る。

 皆が笑い、みんなが楽しげにし、そして皆が、今、自分のために力を貸してくれている。目指すべき優勝に向けて、クラスメイトと言うだけで……。

(こんなの……、普通はありえない……)

 クラス一丸。……そんなのは夢物語であり、一丸となっている風に見えるクラスでも、あちらこちらに小さな亀裂が走っているのが普通であり、そして誰もがみんなそれを放置する。

 菫は“働きアリの法則”を思い浮かべる。働きアリの中にも、数匹、遊んでいる固体があり、それを排除すると、また新しく怠ける固体が生まれる。

(普通は……、それと同じ……)

 たった三十人以下の集団でも、一致団結などできない。カリスマや優秀なリーダーがいてもそれは同じだ。必ず集団があれば、そこにははみ出す固体が存在する。悲しいことに、それは怠けている固体であれば良い方、殆どの場合は周囲の者から蔑まれ、はみ出し者として追いやられる。

 嘗ては自分もそうだった。その学校のどのクラスになっても、自分は他人とは同列に話し合えたことはなかった。

 直球な言葉が相手を傷つけ、乏しい表情が恐怖や不安を抱かせ、聡明すぎる頭脳は、時として嫌悪に繋がることが多かった。

 故に爪弾(つまはじ)きとなり、いつだって彼女は孤独だった。一番困ったのは、大して自分が、その“孤独”を苦にしていなかったことだ。一人で生きる術も、周囲の敵意をいなす方法も、やろうと思えば排除する事すら、彼女にとっては容易だった。だから、本当に、彼女は孤独を感じても、孤独を苦しいと感じたことなどなかった。

 それでも、思い描かなかったわけではない。

 ありえない絵空事だとしても、作り話でしか実現不可能なのだとしても、クラス全員で、一人残らず笑い合い、仲良しクラスの一員として、いつか……、自分も……、その乏しい表情に笑みを浮かべて……。

(ああ……、そっか……。このクラスは、“ソレ”が皆(おんな)じなのかも……)

 膝を抱え蹲る。俯いたのではなく、カグヤの言った意味を噛み締める様に、幸せな夢に浸る様に……、彼女は目を細めた。

 周囲からは、そんな自分に冗談交じりで応援する声がする。自分に期待し、声援を送ってくれる。中には全く関係のないところで関係のない世間話を、脱線多めに繰り広げている者たちまでいる。

 溢れる想いが伝わってくる。誰もが望み、当たり前の様に『現実』っという言葉で、勝手に諦め『恥ずかしい』だけのくせに言い訳して、望むことも実行することもしなくなってしまったモノ。とても当たり前の、とても純粋な、とっても単純な、それでいて平凡な望み……。

 

 皆で仲良く―――。

 

 それを実行したくて、それを素直に行っている彼らに、菫は素直に言葉の全てを受け入れる。居心地の良い微睡のように受け取り、菫は思う……。

(こんなに、皆が協力的なの……、ちょっとプレッシャー……。なのに、なんでか心地良い……)

 そして願う。

 “ココ”を、ずっと守っていきたい。っと……。

 

 

 3

 

 

 

『上がってきませんっ!? まったく上がってきませんっ!? 八束菫選手! 既に水没して一分間が経とうとしていますが、浮上の気配はありませんっ! リタイヤシステムが発動していない以上、失格とはみなされませんが、これは絶望的でしょうかっ⁉』

 

 司会の声に合わせ、観客側からも不安げなものと、期待に満ちた二つのざわめきが次第に大きくなっていく。

「今のは……っ! 今のはもうダメでした……っ!」

 カルラのセリフに、他の友人たちも言葉を発せられない様子で黙り込む。表情にはほかの観客同様に、期待と不安の入り混じった気持ちが(あらわ)になっている。

 異音はノノカと両手を握り合ったまま、それでも期待に満ちた瞳を輝かす。

「でもさでもさ……っ!? 相手はAクラスだし、ここから逆転とか……?」

 半分以上、ただの期待と願望であったが、それでもイマジネーターであるなら、それは可能であるかもしれないという可能性を口にする。

 しかし、その期待に対し、カルラは難しい表情になって否定する。

「難しすぎます……。確かに菫さんはAクラスの筆頭、間違いなく一年生では最も優秀……と判断できるうちの一人です。ですけど、私の想像以上に正純さんも強かった。事前に取り入れた情報では、Dクラスのトップウィザード二名が互いに潰し合ってしまったがために、繰り上げになってしまっただけと言う話でしたが……、とんでもない。彼は間違いなくDクラスのトップウィザードですよ」

 正純の評価を低く見てしまっていたことに、僅かな自粛の念を抱きつつも、カルラは表情を硬くしつつ話を纏める。

「彼の実力なら、一年生の四強に数えたとしても、問題ありません。菫さんが弱いとかではなく、事、ここに至った時点で菫さんの勝てる見込みがなくなった(、、、、、)んです」

「で、でもさ……っ! 実はまだ余力残してるのかもしれないよ? ほら、水に沈んでてもリタイヤしてないし、実は勿体ぶってるとか回復を待ってるだけとか……?」

 なおも異音は願望が含まれた希望的観測を述べてみるが、カルラは静かに首を横に振る。

「もしそうであったなら、最後の悪あがきはもっと早めに終えていたはずです。その方が残しておける余力が大きかった。そうしなかったのは、できなかったからです。菫さんならあるいは、この状況でも浮上してくることはできるかもしれません。その可能性だけは残っています。ですが、それでも、それが限界……戦える余裕なんてあるはずありません……」

 例えイマジネーターでも、それはありえない。そう、カルラが断じることで、異音も口をはさめなくなり、不安に揺れる瞳を画面奥の水上へと向けた。

 ノノカは、そんな友人の手を、ただ強く握り返すことしかできない。

 

 

「惜しかったな≪剣群操姫(ソード・ダンサー)≫、しかし、()の星の魔術師は、同期のトップウィザードが二人掛かりで鍛え上げた逸品。貴様の剣舞をもってしても届きはせん!」

 ビシリッ! と片手で顔の半分を隠すようにして決めポーズをとる詠子。実は内心、クラスメイトであり、自分が直接訓練に付き合った正純が負けてしまうのではないかとハラハラしていたのだが、幸い正純は終始押し気味でここまで来てくれたため、ボロを出す心配もなく済んだ。なので、安心して全て最初から承知でしたと言わんばかりに決めポーズをとって見せていた。

「確かに、見事だったと誉めてやろうではないかっ!」

「くだらんな……。結果的に星霊魔術師が、剣舞使いを押し切った。ただそれだけの事であろう」

 オジマンディアスが上から目線で称賛するのに対し、プリメーラは実に興味無さげに吐き捨てる。

 二人の反応の違いに、若干自分の反応にどうするべきか迷った詠子だったが、ここは不敵に笑うことで流すことにした。ぶっちゃけ他に思い付かなかった。

 一方、サルナは、何やら難しい顔をしたままずっと水底を見つめ続けている。

(終わりなの? 最後にあれだけ足搔いたあなたの執念はそれで終わりなの? それで終わってしまっていいというの?)

 言葉はない。思念など送れるわけもなく、また送れたとしても伝えるつもりもない問いかけを、彼女はずっと画面越しの水底に向けて問い続ける。

(間違いのない強敵に、圧倒的不利な状況に、不可能と言えるほどの逆境に、ここまで抗い続けた。その思いは、執念は、……こんなところで本当に終わってしまっていいの?)

 

 ……ぱこんっ、

 

 刹那、決めポーズを決めていた詠子が、戦いは終わったと言いたげに笑っていたオジマンディアスが、興味無さげに見つめていたプリメーラが、最初にその異変に気づいた。

 それは小さな気泡。ともすれば、気のせいかもしれないと感じてしまう、本当に小さな一つの気泡。

(アナタが今、本当に何かを望んでいるのなら、譲れない何かを持ったというのなら、それを誰かに奪われてもいいの?)

 

 ……ぱこんっ……ぱこんっ、

 

 観客席の、あるいは控室の映像を見ていた生徒たちも、それに気づく。

 もしかして? まさかっ!? そんな思考が、表情に少しづつ表れ始める。

(そんなはずがないでしょう? そんなはずがあって良い訳がないでしょう? 譲れないから、譲りたくなかったから、だからアナタは、あそこで足搔いたのだから!)

 

 ばこぼこっ、ぼこぼこぼこぼこ……っ!

 

 次第に増える気泡の数に、ついに観客までざわめき始め、司会も『これは……っ!?』っと、言葉を漏らし―――、

 

 ドバーーーーーーーーンッッッ!!!!

 

 正純の『射手座』の矢が、大量に降り注ぎ、気泡の発生源を叩き潰した。

 油断なく構える正純の表情には、ここから先、一切の希望すら許さないと、如実に語っていた。

 再び巻き起こる静寂。

 そしてついに、水面からイマジン粒子のきらめきが、翡翠色に輝き上ってきた。

 誰もが悟った。今のがトドメになって、リタイヤシステムが発動したのだと―――。

 

(さあ、もう一度、立ち上がり! 見せてみなさい! アナタの“執念(理想)”を―――!)

 

 水が、爆ぜた。

 完膚なきまでに、まるで大地にできたクレーターの如く、半円状に弾け飛び、その水面にいた正純は、突然できたドーム状の穴に落ちていく。

「なぁ……っ!?」

 重力に従い落ちていく中、正純はその眼に映した。イマジン粒子の輝きが螺旋状に渦を巻き、とある一点から放出されているのを、そのイマジン粒子が、周囲の水を押しのけているのを―――。

「なにを……っ!? いったい何をしたんだっ!? 八束菫っ!!」

 正純は叫ぶ。渦の中心、イマジンの粒子を体に纏う、一人の少女―――八束菫に向けて。

「……ほえ? ナニコレ?」

 しかし、返ってきたのは間の抜けるほどのとぼけた声。自分に起きている現象が、まるで解っていないという状況を、乏しい表情の中、全力で表していた。

 

 この時、菫に起こっている状況を説明できるものはさすがに一年生の中にはいなかった。

 これに似た現象をCクラスの黒玄(くろぐろ)畔哉(くろや)VS甘楽(つづら)弥生(やよい)戦でも見受けられたが、菫が起こしている現象は、ソレとは圧倒的にかけ離れた、もっと上の段階であった。

 そもそも、イマジンの基礎技術にはいくつかの段階が存在する。

 

 第一段階【天頸(てんけい)

 第二段階【発頸(はっけい)

 第三段階【真言(マントラ)

 第四段階【曼荼羅(マンダラ)・開式】【曼荼羅・閉式】

 第五段階【発現】

 

 以上の五段階だ。

 【天頸】はイマジネーターなら誰もがやっている肉体の常時強化。

 【発頸】は天頸で纏ったイマジンに明確な役割を与える『強化再現』の段階。

 【真言】は全身に纏っている発頸を一点に集めて固定化する特殊な『強化再現』。

 【曼荼羅】は真言を複数作り出し、外、あるいは内で効果を発揮させるものだ。

 そして最後に【発現】をもって、曼荼羅に形を与え、現象として引き起こす。要するに能力として発動するに至る段階だ。

 これらの基礎技術は、言ってしまえば能力を使うまでの段階を数段階に分けて、詳しく説明したに過ぎない。いや、元々イマジンとはこういう段階を経て、能力を使用しているという仕組みなのだが……。誰もが気付いている通り、そんな順序や仕組みなど知らなくても、イマジネーターは能力を使えてしまう。使えてしまうが故に、イメージが分散し、特別強力な力が発揮されなかったり、思いもよらない暴走を引き起こしてしまったりなどがある。それを未然に防ぐために、学園では能力に制限をかけ、ゆっくりと技術を知る機会を与えているわけだ。

 そしてこの技術。全てを正しくマスターしてしまえば、登録した能力外の能力を“使用可能”にしてしまうほど、重要な技術でもある。いや、ソレこそが“基礎”。全ての能力の基盤となる物。

 しかし、この技術。能力の発動と違い、基礎技術一つ一つを実際に試みようとしても、難易度が高く、中々うまく使うことができない。精々一年生の間では【真言】に至れれば早い方だとされている。

 だが、この時菫は【真言】を通り越し、【曼荼羅】の【開式】に至っていた。

 通常、人体の強化は、肉体に強化の減少を与えるため、【曼荼羅】の【閉式】によって、内側に効果を発揮させるものなのだが、今の菫は、無意識に『強化再現』を【開式】で使用していたのだ。つまり、肉体の強化を通常の強化再現(閉式)と同時に【曼荼羅・開式】で、外と内から同時に強化を行っている状況にあったのだ。

 この技術は本来、二年生だけがいたることのできるとされる、特別な段階、『第六段階』とされる特殊技法であり、本来なら、ここで目に見えた変化が劇的に起こるのだが……、菫には、周囲にイマジンの粒子が渦巻いていること以外に変化はなかった。

 そう、惜しいかな、その技術を使用するに、菫はあまりにも早すぎたのだ。

 危機に陥った時、人は火事場の馬鹿力よろしく、思いの強さなどによって、思いがけない力を発揮し、漫画の主人公のような『覚醒』状態を発揮することがある。理想を体現するイマジネーターであれば、よく見られる現象であり、こういう形でレベルアップを果たす生徒も、決して少なくはない。

 だが、残念ながら、その『覚醒』と言うのは、皆が印象に残すほど都合の良いものではない。『覚醒』とはすなわち、潜在能力の発露に過ぎず、要するに力を引っ張り上げるための“下積み”がなければならない。血の滲むような訓練、必死に頭に焼き付けた知識、そういった過去の努力の積み重ねをまとめ上げ、一点突破で突き上がる。それが『覚醒』と言われるものの正体だ。

 今の菫は、まさしく『覚醒』と言われる現象の真っただ中にある。惜しまれるのは、それが本物の『覚醒』に至るほどの“下積み”が足りていないということだ。発言した力は中途半端であり、敗北寸前だった菫に、もう一度だけ戦えるチャンスを与えるのが精いっぱい。とてもではないが、急にとんでもなく強くなったなどの、パワーアップ現象には程遠い。

 いや、むしろそれが当たり前なのだろう。いくら成長が早いイマジネーターと言えど、まだ一ヵ月も経っていない段階で、そんな異常な段階にレベルアップするなど、土台無理な話と言う物だ。

 早すぎた『覚醒』の機会に、菫はパワーアップよりも『復活』と言う、再戦の機会を得るにとどめた。これはそういう話だった。

 

 そうとは知らず、菫も正純も、今起こっている現象に説明がつけられず、多少の戸惑いを見せてい。

 っとは言え、さすがはイマジネーター。解らないことにいつまでも悩まず、すぐに頭を切り替えると、互いに視線を交し合う。

 次の瞬間には、ゴングの無い最終ラウンドに突撃していた!

 

 4

 

 『復活』を果たした菫であったが、それは、自身のステータスを上昇させたというわけではなかった。分かり易くゲーム的な言い方をすると、一時的にHP(体力)の絶対値を上昇させたのと同じ状況にある。

 だから菫の速度が飛びぬけて速くなったとか、尋常ならざる力を発揮したとか、そういう現象は起きていない。無論、受けたダメージもそのままなら、疲労も回復していない。ただ単にそれでも頑張れば体を動かせそうだと感じている程度の話だ。つまり、これは単純に仕切り直しと言うことでしかない。

 そんなことはお構いなしに、菫は飛び上がり、剣を操作し再び空中戦を演じ、落下中の正純へと肉薄する。『蟹座』の効果がまだ解けていないので、肩を前面に出して体当たりでもするような動作で“横跳び”することになっているが、飛び回るだけなので、むしろ空中戦の方がやり易いようだ。

 対して正純も『水瓶座』と『魚座』の併用で足場を作り、津波に乗って移動し始める。そしてもちろん、『天体観測』により、菫の剣の位置を把握し、『射手座』による撃墜を開始した。

 正純の手に表れた『♐』の紋章から光の矢が飛び出し、目標を設定された剣群に向かって飛来する。矢の速度と、菫の能力で操作する剣の反応速度からして、これらに対処することはずっとできていなかった。故に、この時点で観客を含める誰もが、振出しに戻る光景を思い浮かべてしまった。

 だが、そうはならなかった。矢が命中する寸前、剣群はくるりっと身を翻し、己の刃によって向かってきた射手座の矢を迎撃して見せた。それも一本や二本ではない。菫が操作する剣群八本、その全てがまるで己の意志があるかのように動き、一波、二波、と放たれた全ての矢を叩き落として見せる。

「……なぁっ!?」

 今までになかった現象に、さすがの正純も驚愕を禁じ得ない。いったい何が起こったというのか、混乱している内に菫は猛スピードで迫り、正純の正面にまで躍り出ている。あまりの速さに戸惑いつつ、魚座の恩恵で素早く水の中に逃れる。

(いったい何が起こったって言うんだ!? 飛び抜けて能力が成長したようには見えない! なのにどうしてこんなにも対応力が上がっているんだっ!?)

 混乱の間際、水中移動していた正純の視界が突然開けた。菫の操る三本の剣が『糸切り』を行い、水を両断したのだ。再び空中に投げ出された正純に対し、菫が直接大上段から斬りかかる。

「『羊』! 『天秤』!」

 片手を突き出し、『羊座』と『天秤座』を即発動し、一撃を受け止める。甲高い音が鳴って菫の刃が弾き返された。

 逆の手を反対側に突き出し、『射手座』を射出。『天体観測』で捉えている菫と、集まりつつある八本の剣全てを標的に放たれる。矢は『射手座』の特性に従い、目標に向けてそれぞれ追尾をはじめ、爆発した花火の様に散り散りとなって飛来する。

「……んああぁっ!」

 それを察知した菫は、『牡羊座』の盾を踏みつけ、足場にすると、体を回転させつつ剣を振るい、飛来した矢を切り裂く。菫に向かっていた三本の矢と同時に、それぞれ八本の剣を狙っていた矢全てが、狙っていた剣に返り討ちに合い、切り裂かれる。更に猛攻止まらず。剣群が集い、四方から正純を狙い、正純が矢を放つために作った隙間に飛び込むようにして剣を突き出してくる。

 無数の剣に曝され、さすがに対応できないと悟り、楯を解除。山羊の脚力で菫の剣を受け止めつつ、逆にその勢いを利用して飛び退く。空中で『獅子座』を呼び出し襲わせるが、菫は剣すら使わず、その場でくるりと前転。獅子の頭に強烈な踵落としを決めて地上に落下させた。

(さすがに空中で『獅子座』を使っても効果はないか……)

 元々時間稼ぎのつもりではあったが、まさか剣すら使われなかったとは、これには苦虫をかんだような表情になってしまう。()いで気付く。菫の目が、若干輝いているように見えることに。

「! そう言う事かよ……! なんで気付かなかったんだっ!?」

 その事実に気づいた正純は、自分の迂闊さに歯噛みし、思わず憤りをあらわにした。

 何のことはない。菫が使っているのは、イマジン基礎技術『見鬼(けんき)』。その効果は、視覚以外で感じている情報を視覚情報としてまとめると言う物だ。

 『見鬼』は、決して見えないものが見えるようになるわけではない。視覚以外で感じ取っている物を、視覚情報として整理し直しているだけにすぎない。だが仮に、菫が正純の(射手座)を、視覚以外のところで―――例えば音、例えばイマジン粒子、例えば空気の振動、耳、肌、六感、どれか一つでもいい、感じ取ることができていれば、それは菫にとって“見えている物”になる。それが『見鬼』の効果だ。

(油断した……っ! 『天体観測』で俯瞰した視界を得ている自分がなぜこれを予想していなかったんだ!? 別に目に頼る必要はない。見えないなら、目以外の情報に頼ればいいだけの事じゃないか! くっそ……! 『星の痣』のデメリットで視力を失っていなければ、すぐに分かったことなのに……! 俯瞰した視界じゃ、広い範囲は見渡せても、小さく細かい変化までは気が回らない! 『星の痣』のデメリットさえなければ……っ!)

 自分で設定したデメリットに足を引っ張られた。そう感じた瞬間、その矮小な考え方に、正純は瞬時に首を横に振った。

(いや違う。このデメリットを設定しているおかげで、俺は『黄道十二宮招来』の星霊間魔術を全て使えるんだ。デメリットがデメリットになることくらいは承知の上だっただろう!)

 デメリットを設定したのは、その見返りとなるメリットを得るためだ。そして、デメリットの危険性を考え、それを補うための技能も新たに取得した。無理となった結果はしょせん起きた後の結果論でしかない。

(別に致命的なミスに繋がったわけじゃないだろう! しっかりしろよ小金井正純? お前はまだ! 戦っているんだっ!)

 正純は矢を放つ。もはや後先など考えない。事、ここに至って全力を出し尽くさない方が悪手だ。マシンガンの如く連続で放たれる射手座の矢は、全ての狙いが菫へと向かい殺到する。さすがにこれほどの連射となると、正純の中で練り上げたイマジンが枯渇し、すぐに弾切れを起こすが、そんなことは構うつもりはない。この一撃で倒すつもりだと言わんばかりの猛攻だ。

 しかし、それらは全て菫には届かない。正純の矢の全てを空間事把握し、それを計算して迎撃するなど、Aクラスの菫にとってしてみれば、容易い芸当だ。今までは見えないが故に、対処できず、必死に“対処”する方法にばかり思考がとられていた。だが、今や正純の矢は、菫の目には一本残らず把握されている。見えているのなら行動に移すのは容易だ、何しろAクラスと言う集団は、皆が皆、常識はずれの天才集団だ。計算の分野なら、途中式を無視して答えを算出してしまうような異様な人種だ。解っている物の対処など、もはや片手間に等しい。

 全ての剣を操り、八本の剣で次々と矢を叩き落とし、足場を作り、時には自ら迎撃も加えながら、矢の雨の中を、流星と見紛う閃きの中を突き進む。途中、何本か、剣の強度が限界を迎え、折れてしまったモノもあったが、その都度、菫が生徒手帳から予備の剣を補充するのでやはり隙はない。

 流星をいとも容易く抜け、肉薄する菫。

 正純は咄嗟に花形に揃う射手座の星(ディバイン・サジタリウス)を発動しようとするが、接近された時点で既に菫に軍配が上がる。

「あああああああぁぁぁぁぁっ!!!」

 体を回転させ、遠心力を加えた剣激が、袈裟懸けに斬り降ろされる。咄嗟に『強化再現』で両腕の耐久を最大まで強化し、クロスして受け止める。幸い『糸切り』を併用する余裕まではなかったようだが、衝撃に吹き飛ばされた正純は、そのまま地面に向かって叩き落されてしまった。

 さらなる菫の追撃。剣を足場に物凄い勢いで急降下。体を回転させながらの斬り付けが、今度は『糸切り』で振り下ろされる。

「……くぉんのっ!!」

 声が淀みながらも、必死に上体を起こし、何とか立ち上がりつつ僅かに仰け反る。

 ズドンッ! っと言う衝撃がすぐ目の前で炸裂した。

 躱したっ!? 紙一重の領域でそう悟った事に安堵する暇もなく、蟹座の影響で前進できない菫が、まるで剣舞でも舞うかのように回転しながら、さらなる追撃の一撃を放ってくる。今度は躱す暇などない。

「『劣化再現』『牡羊』!!」

 『劣化再現』により、小規模展開された牡羊の盾が、正純の右腕にスモールシールドの様に装着される。無論、このままで菫の『糸切り』を受け止めることはできない、実際に盾に接触した刃は、紙切れのように盾を切り裂き、両断しようとしていく。

「あああああーーーーーーっ!!!」

 裂帛の気合を乗せ、腕を振るい抜く。盾が両断され、右腕を切り裂かれ、少なくない血を流すことになった。だが、渾身の力で押し返した刃は、狙いを逸らされ、正純から外れる。

 すかさず左の手を広げ、更に魔術を発動する。

「『劣化』!『獅子』!」

 呪文は短縮し、獅子の頭だけを手を包むように召喚し、獅子座の出現と牡牛の膂力(りょりょく)を纏めて乗せて打ち出す。

 正純の反撃に、咄嗟に上体を逸らし、獅子の牙から逃れようとする菫。しかし足りない。僅かな差が、菫の喉元に獣の牙を届かせる。

「……んあっ!?」

 そうはさせまいと、短い声を上げつつ正純の左手を蹴り上げる菫。攻撃が上方にズレ、狙いが外れる。すかさず後転する様に回転し態勢を立て直そうとする菫に―――、

「『射手』!! 『蠍』!!」

 傷ついていることなど知った事ではないと言わんばかりに振りぬいた右手に、射手座の矢が灯り、加えて蠍の毒を乗せて放たれる。

 その一撃は菫の左肩に命中し、血飛沫と共に彼女を吹き飛ばす。接近戦において、苦手とする正純が菫に打ち勝った! そう観客が歓声を上げようとした瞬間、菫の手にする剣が弾丸の如く射出される。

「その程度……っ!」

 予想できていた反撃に横跳びに逃げようとした正純を―――、剣は、まるで見えない誰かに握られているかのような軌道で易々と正純の左足を深く切り裂いた。

「ぐああああああぁぁぁ……っ!!」

 この試合で初めて感じる痛烈な一撃。さすがに斬られたという痛みに耐えかね、声を上げてしまう。地面を転がり、踏ん張りがきかなくなった足を庇いつつ、それでも正純は召喚した獅子座に縋りながらも立ち上がる。

 一方の菫は、同じく何とか立ち上がろうと足に力を込めたが、その足がカクンッ、と突然力を失ったように折れてしまう。『蠍』の毒が回り、肉体的な弱体化が引き起こされている。

 菫は地面に手を付き、必死に歯を食いしばるが立ち上がれない様子だ。ここで決めるべきだ! 咄嗟に判断した正純が獅子の力で投げ飛ばしてもらい、山羊と牡牛の二つを全力で込めた踵落とし見舞う。

「『糸巻き(カスタマイズ)』……! 24重(、、、)……っ!!」

 振り落とされた踵に、菫の剣が音を立てて受け止める。

「24から……っ! 28重(、、、)っ!!」

 さらなる強化。本来、今の菫では、身体強化能力『糸巻き(カスタマイズ)』を8重に重ねるのが限界だったそれを、自分でも良く解らない『復活』状態の恩恵に任せて無理矢理上書きする。

 急激な強化に、さすがの正純も弾き飛ばされ地面を転がってしまう。

 菫はよろめきながらも立ち上がり、しっかりと剣を構える。

「この……っ! しつこいぞっ!」

 正純が再び矢を放ち、菫はそれを剣群で迎撃しながら突貫していく。

 

 

 「はっ! これは驚いた! 止まらぬ。もはや止まらぬぞ! 奴は!」

 観戦していたオジマンディアスは歓喜を含んだ声で叫ぶ。

「僅かにしか絞れぬ力を、無理矢理強化の恩恵に任せて弾き返しよった! 恐らくは立っている事さえ強化の恩恵無しでは叶わんだろうに。いや、それほどの執念。もはや奴は、毒などで止まるようなものではない! 止めたければ、息の根を止めるしかないぞ!」

 オジマンディアスの評価は正しかった。押し返し始めているように見えて、菫の劣勢は変わっていない。先程から彼女の体は毒によって継続的な弱体化を余儀なくされている。それは『復活』を果たしたところで治ったわけではない。菫は敗北のタイムリミットに少しだけ時間を加算しただけにすぎない。

 だというのに、菫の気迫は衰えるどころが、炎のように爛々と輝いていた。

「誤算だったな『黒の英知(グリモワール)』? 貴様の手ずから育てた男とは言え、あの程度の小細工ではどうにもできんよ?」

 言われた詠子だが、今はあまり余裕がなかった。正純が優勢とは言え、確実に押され始めているのだと悟り、()()()()()()()()()()()からだ。

 だが、その辺を根性で隠しつつ、詠子は不敵な笑みを浮かべる。

「かような心配など不要。あの星の魔術師が、この程度の逆境で終わるはずがない。それに……、あやつにはまだ、“アレ”が残っている」

「ほう……? まだ奥の手を隠し持っているというかっ!」

 興味深そうに笑うオジマンディアス。プリメーラは相変わらず興味無さげではあるが、それでも視線は戦況を観察し続ける。サルナもまた、真剣な表情で戦いの行く末を見届けていた。

 

 

 菫が持っている剣に『剣弾操作(ソードバレット)』を使用し、神速の勢いで迫る。地上なら前後移動できないと思っていた正純だが、菫はあの手この手で移動制限の隙間を縫ってくる。むしろ、前後の運動ができないため、自然と移動に回転が加わりやすくなり、まるで剣舞でも踊っているかのような動きになっている。それが不規則な動きとなり、攻撃の予想がつけにくくしていた。

「よくもこんな土壇場で次から次へと対応して見せるよ!」

 双子座で分身し、『水瓶』『獅子』『射手』を同時に操り、絶え間ない弾幕を張る。分身を自分から離して、囮に使うのも忘れない。攻撃の手数が倍になり、まるで戦場かと見紛う破壊の雨が降り注ぐ。

 だが、菫は止まらない。剣を振るい、操作し、次から次へと攻撃の全てを切り伏せ、信じられない速度で空中を駆けまわり、あっさり囮に使っていた『双子座』を切り伏せてしまった。

「これは違う……っ! そっちが本物っ!」

 『剣弾操作(ソードバレット)』で飛び出す菫。

 正純は咄嗟に『射手座』の矢を七つ纏めて、一つの矢として撃ち出す。強力な一撃が菫の剣と激突して、刃を折った。が、それに喜ぶ暇もなく『繰糸(マリオネット)』で操作された剣が代わりとなって菫の手に収まる。減った分の剣はまた生徒手帳から補充される。

「何本持ってんだよ! 大盤振る舞いだなっ!?」

 さすがに悪態を吐きながら水瓶の激流を放つ。

 菫はその津波を剣で―――斬ることなく脇をすり抜け、激流の陰に隠れるようにして接近。見事に正純の懐に入り込んだ。

「うっそだろ……っ!?」

 慄く正純へと剣が乱舞する。舞うように回転を何度も加え、次から次へと一閃が引かれる。

 さすがに数太刀、決して浅くはない傷をもらってしまいながらも、正純は必死の形相で射手座の矢弾(しだん)を地面にたたきつけた。

 巻き起こる爆風に乗り、上空高くに逃れる。地上に立ち、八本の剣を従える菫を睥睨し、正純は決意を固める。

「こいつだけは決勝に取っておくつもりだったが……、そう言ってられないよなっ!」

 『天体観測』には、もう一つの隠された能力がある。それはデメリット効果でしかない『星の痣』の力を、開放するための役割だ。『天体観測』を使用している状況下で、黄道十二星座全ての『星の痣』を刻んでいる時、彼は最大にして最強の“必殺技”を放てる。

「“我が身に刻まれし十二宮の刻印 この身の呪縛より解き放たれ 今こそその力を現せっ!!”」

 刹那、正純の全身に刻まれた『星の痣』全てが輝きを放ち、正純の全身を包む。その光はイマジンが変換された魔術の光。星の輝き。流星の閃光。光は爆発的に広がり、質量を持っているかのように周囲に風を巻き起こす。常人では立っている事さえ困難な強風が吹き荒れ、菫によって両断されていた水が、更に押し返されて広がる。

 纏う輝きはさらに強さを増し、まるでそれに呼応するように、空が闇に覆われていく。真昼の日が闇に隠れ、夜闇となった空に輝きが灯る。一つ二つではない、いくつもいくつも現れる輝きは、やがて十二の星座を空に刻む。星座の星が、光の戦を放ち、それぞれの形に結ばれる。星座一つ一つが輝きを灯し、その淡い光が柱となって正純へと降り注ぐ。

 輝きの力なのか、既に空中で静止状態にある正純は、手を掲げると、自分の背に巨大な魔方陣を形成する。

 

【挿絵表示】

 

 それは黄道十二宮の全てを現す星座の紋章。それは巨大に、巨大に、巨大に空を埋め尽くし、まるで湖さえも超える壁となろうとしていた。魔方陣のあっちこっちに、真っ白な光が灯り、それらは複数個所で収束していき、巨大な光弾をいくつも作り出していく。あれら全てが砲撃に使用される。それを悟った誰もが、その破壊の規模を想像してしまい、絶句する。空一面に広がる魔方陣、その範囲全てを攻撃対象とするのなら、アレは一体どれだけの範囲を破壊しつくすというのだろうか……?

 それと向かい合う菫は、絶句する観客以上のプレッシャーを感じ取っていた。なぜなら、あの輝く紋章に神格(、、)の気配を感じていたからだ。

 

 

神秘学(オキュルティスム)における、黄道十二宮……ッ!? 天使の階級を持ち出したのですねっ!?」

 観戦していたカルラは、思わず立ち上がり、その事実に声を張り上げた。

 神秘学における黄道十二宮には、16世紀ドイツのオカルティスト、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパによって関連付けられた12の天使が存在する。

 黄道十二宮には神獣、霊獣の類が存在する“宮”が存在し、それらを十二の“宮”を守護する天使が階級毎に当てはめられている。正純は、『星の痣』を開放することで、これらの存在を引っ張り出してきた。

 天使、つまり神格。魔術と言うレベルでしか力を発揮できなかった正純が、今、神格と言う領域を手にした。残念ながら、本来の『黄道十二宮』の主である、各星座の神獣・霊獣の力までは完全に開放するには至れなかったが、それをおいて余りあるほどに、今展開されている輝きは、圧倒的な力を見せつけている。

 

 

「はんっ! これよ! これこそが、奴が≪星霊の魔術師≫と呼ばれる所以(ゆえん)! 星々の輝きを代表する十二宮の座! その守護者達の加護を受け取り、魔術師として圧倒的な力を手にする! これを見て、奴こそが勝つと、何故言えぬというかっ!?」

 手を交差させて、ビシリッ! とポーズを決めた詠子が、まるで自分の事のようにはしゃぐ。それも無理からぬこと、この光景にはさすがのオジマンディアスも興奮に目を輝かせ、仏頂面を通していたプリメーラが上体を起こし、輝きを凝視する。菫贔屓に見えたサルナに至っては、圧倒されたかのように目を見開いていた。

(そうっ! 私と美冬を相手に、ついに勝利を収めて見せた切り札! これこそが、小金井正純の勝利の布石―――いや、勝利の烽火(ほうか)っっ!! その名を―――!)

 

十二宮の流星(コンステレイション・メテオール)―――ッッ!!!」

 高らかにその必殺の名を叫ぶ正純。それに呼応した輝きの流星―――、それは一瞬力を収束させ、次の瞬間には極太の光の柱を数多降り注ぐ。

 一本一本が必殺。それはもはや雨と呼称するには相応しくなく、文字通りの流星群となって菫を襲う。その輝きは、仮にジーク東郷の『ドラゴンボディ』を()ってしても防ぐことは叶わなかっただろう。

 空一面が光に包まれてしまったかのような光景に、菫は薄く笑みを漏らす。

「……これは、さすがに防ぐのは、ムリ……」

 嘗て、同じように神格の炎を相手に、『剣の繰り手(ダンスマカブル)』で防ごうとしたことがあった。あの時は、相手が神格の使用に慣れていなかったおかげで助かったが、防御することができていなかった。もしあのまま続けられていたらと思うと、未だに冷や汗が流れる。

 眼前の流星は、あの時の比ではない。神格の柱をいくつも落とされているようなものだ。とても防ぎきれるものではない。

 

「だから、できることは一つ……だよね?」

 

 操剣と共に剣を構え、菫は正面から挑み出る!

 元より、防御不可の攻撃に、“防ぐ”などの選択肢などありはしない。

 元より、劣勢だったのは最初からずっと、フィールドが決定した時から続いていた。

 ならば今更、敗北の恐怖に絶望することもない。

 ただ勝利の可能性を望み!

 ただ勝利するために行動し!

 己が執念こそが勝利の道だと、勝手に決めつけ、邁進するのみ!

「生憎……、私にはもう、そんな隠し玉、ないよ? だから、私にできるのは……っ! 今持てる全てを、出し尽くすことだ、け……っ!!」

 飛ぶ!

 地を蹴り、剣の助けを借りて、絶対的な攻撃力を誇る光の奔流に向けて、正面から堂々と―――菫は八本の剣を従え、正面突破に躍り出る。

「『糸切り(イトキリ)』!!  『糸巻き(カスタマイズ)』多重……っ! 『九つに彩る装飾曲(ナイン・アラベスク)』!!!!!!」

 螺旋状に展開された剣群が全て『糸切り』で強化され、いかなる阻みも切り伏せる。

 互いに防御不可の攻撃。最強の矛と最強の矛のぶつかり合いが開始される。

 正純の流星は、いかなる守りも打ち砕く貫通性の効果を持つ砲撃系の攻撃。

 菫の剣群は、いかなる守りもイマジンの結びと判断し断ち切る切断系の攻撃。

 どちらの術式(イマジネート)にも攻撃手段に耐久値を上げるものではない。純粋な攻撃の徹底的強化タイプ。菫にとって、それはある意味功をそうしたというだろう。

 最初の光の柱が菫に衝突した時、その光の攻撃全ての恩恵を受ける前に、菫の剣が光を切り裂く。……っが、菫の剣も一撃を受けた瞬間に刃に激しい罅が奔り、次の瞬間には砕け散ってしまう。バラバラに砕けた剣の破片を背に、菫はさらに前進する。その前進が軌道に乗る前に、間髪入れずに二つ目の光が降り注ぐ。

 全身を取り囲む光の前に、菫の剣は一気に耐久力を削られ、同時に菫の剣もまた、光の柱を切断していく。互いの攻撃が攻撃力のみに特化しているが故に起こる現象。

 だが、ここでも劣勢を強いられているのは菫の方だ。打ち破られるとはいえ、正純の攻撃は砲撃。一発が打ち砕かれたのなら次のを撃てばいい。弾数こそ無限に等しい数を有した流星群。温存する意味もない以上、撃てるだけ撃ってしまうのが定石。

 対する菫は刃。剣の数は、自分が携えている物を合わせても九本。一撃から二撃あたりで一本の剣が砕け散り、菫を守護する力は失われる。失った剣を補充したいところだが、さすがに攻撃に曝されている間にそんな余裕を見せれば一瞬で呑み込まれる。見た目からは光の雨を刃で受けながら突進しているだけのように見えるが、この突進にも全神経を集中していて初めて叶っている状況だ。気を抜けば、それが同時に敗北へと繋がる。故に弾数は九本。その内三本の剣が、正純との距離を半ばまで詰めたところで犠牲となった。

 砲撃の数も尋常ではなく、同時に二つの柱が直撃する。あっさり二本の剣が犠牲となり、一本の剣に亀裂が走った。更にもう一本、押し返されて僅かに減速するものまで出る。

 残る剣は四本。菫は連続で『剣弾操作(ソードバレット)』を撃ち出し、さらなる加速を強制する。それを阻むように突き落とされる光の柱。避けようにも、極太の流星群全てを避け切る空中戦技術(マニューバ・テクニック)など持ち合わせてはいない。仮にできても、今はそんなところに気を回せる余裕もない。もとより突貫する覚悟で挑んだ。今更そんな器用な事など望む気もない。

 

「うああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」

 

「うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」

 

 菫の絶叫が、正純の雄叫びが、二つ重なり、それを爆音がかき消していく。

 光に呑まれるたびに砕けるのは、剣だけではない。一撃一撃、光に曝される度に、相殺しきれなかった流星の光が菫の身を焦がし、既に全身傷だらけになっている。それは、剣の数が減る事で、更に顕著になっていく。だが止まらない。もはや菫をこの程度の負傷で止めることはなど叶わない。そもそも肉体はとっくに蠍の毒で参ってしまい、動ける余力も残っていない。それをイマジンで無理矢理動かし、小さな力を能力で無理矢理強化しているのだ。死に体から放たれる死斬(しざん)の一撃。それに全てを託して、菫は飛ぶ。

 正純も、既にこの程度の負傷で落とせるなどと思い上がってはない。切り札を切った時点で、彼の中に疲労や負傷で勝つなんて考えは、完全に捨てきった。勝つからには完全に倒しきる。その覚悟をもって流星を撃ち出す。剣の数が減ることに勝利を抱かない。菫自身が負傷していても、それを勝機などとは感じない。菫本人が倒れ、リタイヤシステムによってこの場から消えない限り、自分に勝利は訪れないのだとはっきりと悟る。だから正純は撃ち続ける。接近され過ぎて、砲撃の恩恵を全て得られるずとも、そのいくつかは操作し、確実に菫に中てていく。

 必殺と必殺がぶつかり合い、ついに菫を守護していた剣が全て砕け落ちる。残るは彼女が手にする一本のみ。そして距離は―――正純に後一撃放てるチャンスのある最後の距離。

「これで……っっ!! どうだぁーーーーーーーっっっ!!!」

「ぶった切れぇぇーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」

 自分が巻き込まれる可能性も無視して、正純は五つの流星を菫に向けて同時に放つ。案の定、砲撃同士はぶつかり合い、衝撃波に正純本人も巻き込まれる。だが、菫に対する威力は絶大。その代償をおして余りあるほどの威力が彼女を晒し、全身に火傷が奔り、服はズタボロに裂かれ、剣に纏うイマジンが削り取られていく。

 この時、勝敗を分ける要因が一つ発生する。それは、イマジン変色ステータスだ。まったく同レベルの力がぶつかり合った時、その勝敗を分けるのは変色ステータスに依存される。

 正純の流星は、『イマジネーション300』と『魔術400』、更に『属性攻撃力150』も追加される。その合計値は『850』。

 対する菫は『イマジネーション230』『物理攻撃力200』『剣術70』と言う風になる。この合計値は『500』。350も足らない。

 菫は正純と違い、自らが突進することで更に『身体能力308』『属性耐久5』も追加できるのだが、それでも合計値は『813』、僅かに届かない……。

 剣が砕け散り、押し負けた菫は光の奔流に曝されることとなる。折れた剣の切っ先を視界に捉えながら、菫は刹那の間に思考する。いや、それは思考と言うほど考えている物ではない。後になってみれば、自分はいったい何をどう考えた末に、そんな結論に至ったのか解らないほど、刹那の間に思考能力だけが高速で働きかけていた。

 そう、それは偶然ではない。ましてはご都合展開におけるトンデモでもない。

 菫はちゃんと持っていたのだ。この状況下において、ここで終わらないための最後の一手。そして、伏線もすでにあった。東雲カグヤとの対戦中に発揮された『予測再現』の一つ―――。

 瞬間、世界が一瞬停止したような錯覚を受け、まるでそれが本当に錯覚であったかのように動き出す。

 しかし、菫はその時には既に動き、僅かに身を逸らし、イマジンを集中させた左腕を盾にするように構える。光に曝され、左腕が焼き切られる中、その衝撃を利用し、僅かに上方に弾かれる。結果、左腕一本の犠牲の代わり、菫はこの必死の状況に生き残って見せた。

 菫のイマジン変色体ステータス『見切り100』が追加され、合計値が『913』の扱いとなった。数値的に上回ったことで、元々素養のあった『予測再現』の一つを、このタイミングで発動することに成功した。思考をすっ飛ばし、『直感再現』の重ね掛けで直感を加速させることで答えだけを強制的に引っ張り出す基礎技術。『回答再現(アンサー)』。菫はこれに助けられた。

 衝撃で体が回転し、もみくちゃになる中、必死に自由な右腕を、慣性の法則に逆らうようにして懐へと伸ばす。新しい剣を取り出すためだ。腕を伸ばしつつ、菫の視界が正純を捉える。

 

 正純が翳す手に、流星が集っていた。

 

 菫に『回答再現(アンサー)』があったように、正純にも『直感再現』があった。本来性能としては菫の再現の方が上位の技術だ。実際、それでカグヤは菫との戦いに敗れた。だが、今回は事情が異なる。菫は圧倒的な窮地に立たされ、状況的には正純に勝利が目前だった。

 故に菫の『回答再現(アンサー)』が先に発動し、ソレに触発されるように正純の『直感再現』が働いたという仕組みだ。

「これで……っ! 俺の勝ちだっ!!」

 菫の手に剣は現れない。そもそも懐の生徒手帳に手が届いてない。完全に出遅れ、間に合わない。

 光の奔流が迫る。菫の『直感再現』が瞬時に発動し―――理解する。

(ああ……、間に合わない、か……)

 悔しさはなく、ただの理解のもと、菫は表情から力を抜き去った。

 それを目にしながら、正純は手に集わせた流星を撃ち出す!

 

 ドザバンッ!!

 

 鮮血が飛び散る。全身を傷つけられ、確実に急所にも負傷し、致命的な負傷を得た。

 光が弾け飛び、流星は星の粉となって宙に霧散する。

 空中で態勢を保てなくなり、正純(、、)の体が揺らいだ。

(………。……え?)

 一瞬、何が起こったのかを理解できず、再び体を激痛が襲ったことで、ようやっと現実に思考が追いついた。

(なんだ……っ!?)

 完全に空中でバランスを崩した正純が目にしたのは、菫の周囲を飛び回る謎の物体。

(いや、アレは……っ!?)

 それは小さな刃。殆ど状態を保てず、砕け散ってしまった剣の破片(、、、、)、その切っ先(、、、)。もはや5㎝ほどしか残っていない剣の切っ先が、菫の陰から出現し、正純を切り刻み、更に旋回して菫の元に戻るついでに再び切り裂いていったのだ。

 正純は口の端を歪め、落下を始める中で菫に笑いかける。

「……お前、そんなになっても、操れるのかよ……?」

「私が、剣を操るイメージ、は……、“剣”そのもの、を、対象に操ってるんじゃなくて……、イマジンの糸を伸ばして、有線で操ってる。そんなイメージだから……」

 無事な右手を掲げ、その手に刃の切っ先だけを集めた菫は、落下速度が上がり始める中、乏しい表情の中で、僅かに微笑んで見せる。

「操る上で、剣の形状は……、あんまり重要じゃない、よ……?」

 振り被る。八本の剣の切っ先を手に集め、最後の一撃とばかりに構える。

十二宮の流星(コンステレイション・メテオール)に砕かれた剣を、操作から外さず、切っ先だけ維持して自分の体の陰に隠していたのか……。なるどな、さすがにあれだけコンパクトになって、菫自身の体で隠されていたんじゃ、『天体観測』でも感知できないわけだ……。ちくしょう、言っても仕方ないとは解っていても、自分の視界が残っていれば、気付けたかもしれないのに……)

 悔しさを口の端に浮かべ、正純は歯噛みする。

 彼女に接近を許してはいけなかった。だから全力で砲撃に集中した。

 一朝一夕では倒せそうになかった。だから切り札まで使って迎撃した。

 それでもなお、八束菫はここまでくらいついてきた。

(完敗だ……、やっぱ()ぇな、Aクラス……)

 正純は全身をひねり、態勢を立て直すと、その手に『♐』の紋章を輝かせた。

「それでも……っ! 俺にだって、執念があるんだよ……っっっ!!!」

 菫は動揺しない。とっくの昔に、こうなるだろう可能性は考慮していた。

 正純は迷わない。菫が揺らがないのは、ずっと見せつけられていた光景だ。

 二人は、今度こそ最後の一撃を同時に放つ。

花形に揃う射手座の星(ディバイン・サジタリウス)!!」

八剣小即興曲(インベンション・エッジ)!!」

 互いに手の中で集わせた最後の一撃。

 同時に放たれ、衝突し合い、イマジンエネルギー同士の激しい接触が臨界を超え、爆発を起こした。

 イマジン粒子が起こした爆発により、薄緑色の煙が立ち込める。小さな煙の中に隠され、二人の行く末が確認できない。観客が、審査員が、実況席が、誰もが視線を集中させ、二人の行方を捜す。

 やがて煙が薄まっていく中、一つのシルエットが見え始める。

「あそこ……っ!」

 誰かの声がかけられ、全員の視線がそれを捉える。

 人影は一つ。ボロボロの様相を纏った少女の姿。しかし、正純も女性的な綺麗な顔立ち。まだ判別できず、皆が息をのむ中、それが少年の物であることが次第にはっきりしていく。

「………っ!!」

 思わず息を呑み、口の端に喜色を浮かべる詠子。

 しかし、それは次の瞬間には失われた。

 

『け、煙が晴れました! これは……っ!? ………小金井正純選手―――っを、片手で抱き留めている八束菫選手ですっ!!』

 

 新しく出した剣を足場に、八束菫は、気を失っている正純を右腕一本で何とか支えながら、その存在をもって証明した。

 

『小金井正純選手は……完全に意識喪失……! 審判席にいる教師陣の判断は“再起不能”……! つまりこの瞬間、八束菫選手の勝利が決定しました~~~~~~~~~っっっ!!!!!』

 

 ワアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッっっ!!!!!!!!!!!!!!!

 

 試合会場全てを激震させるほどの大歓声が上がる。演出効果なのか、それとも観客達が用意していた物なのか、大量の紙吹雪が会場に舞い散る。

 勝利アナウンスを耳にした菫は、フィールドが揺らめきと共に消滅していくのを虚ろな目で見つめ、完全に空間が戻ると同時に意識を失い、落下した。

「おっと、危ない」

 落下しかけた二人を片手ずつでしっかり抱きかかえたのは、治癒系を専門としている女性教師、≪鉄血の白衣≫マザーナインであった。さすがは教師であり、能力的に空中浮遊などできるはずもないのに、何らかの基礎技術を用いて空を浮いていた。

「まったく……、八束さん無茶をし過ぎですね。毒を受けた体でここまで無茶を通すなんて、さすがに褒められた行為じゃありませんよ? あとできつく折檻です」

 そう言いながら、片頬を膨らませて、ぷんっぷんっと、可愛らしく怒って見せる。しかし、次の瞬間には慈愛に満ちた瞳で、二人の生徒を見つめる。

「でも……、お二人とも、最後まで立派に頑張りましたね」

 治癒術師として、怪我をすること、無理をすることを怒る彼女だが、同時に教師として、彼ら二人の雄姿を褒め称えるのであった。

 

 

 5

 

 

 焔山(えんざん)、あるいは焔山(ほむらやま)と呼ばれるこの地には、本物の神様が存在する。それが猛姫ノ神であり、彼女をまつる神社は一つしか存在していない。最新の神として存在する彼女は、この焔山に於いてのみ、多大な信仰を受けている。

 そんな彼女にとって、この焔山こそが家であり、その領域内であれば、その辺の道端で寝る事さえおかしいと思ってはいない(さすがに、それは廊下で寝るのと同じ感覚ではあるらしいので、本気でやろうと思ったことはないらしい)。

 それでも、お気に入りの場所、自分の家の中でもっと狭い自分だけのテリトリーとして定めているのが、自分を祀っている神社、悲姫埜神(ひめのかみ)神社である。その奥、“奥の間”と言われる特別な場所が存在し、そこには限られた人間しか入ることが許されていない“間”が存在する。そこは本来、あまり人前に姿を見せない猛姫が、頻繁に訪れ、巫女や神職者達と語らうことを許している場所であり、何より、自分の子で津崎(つざき)(たける)と家族として接するために設けた場所でもあるわけだが……、

「貴様……、誰がここまで入っていいと言った……?」

 額にこれでもかと言うほど不機嫌マークを表している猛姫に対し、勝手に入り込んで、勝手にくつろぎ始めている闖入者に、無駄と分かりつつも我慢できなかったらしい声音で質問する。

 問われた青年、斎紫(いつむらさき)(かえで)は、カラカラと笑い飛ばしながら、畳の上に胡坐をかき、軽く膝を叩いて見せる。

「その反応が見たかったっ!!」

「ぶっ殺す……っ!」

 無茶苦茶煽られ、本気でキレた神が、その権能を全力で振るってでも天罰を与えてやろうとする猛姫。来客を含め、お世話をするために進んで集っていた巫女達が、神の逆鱗が降り注ごうとする姿に、この世の終わりを目前にしたような絶望に襲われ、部屋の隅に集まり身を寄せ合って震えていた。その中には、彼女の息子であるはずの猛の姿があり、そのお側役である小太刀を持った少女が、彼を守るために悲壮に満ちた表情で抱きしめ、自分の身を挺して守ろうとしていた。

 そんな恐怖一色に染め上げられている中で、平然とお茶を汲んでいる巫女が一人、御茶を()てながら細い声で宥めに入る。

「そんなに御怒りにならないでください。このお方はそもそも存在自体がこう言う方です。いちいち気にしていては、胃が持ちませんよ?」

 可愛らしく小首を傾げ宥めるのは、黒くて長い髪を持った小柄な女性。見た目は若く、とても小柄で、知らない者がみれば中学生の高学年か、発育の悪い高校生かと見紛う華奢さだ。

「楓部長も、昔とは違って猛姫も立場と言う物があり、それを(まっと)うしていらっしゃいます。他の巫女達もいる中では弁えてください」

 女性は点てた御茶を猛姫に渡した後、楓にも御茶を差し出しながら窘める。

「これは悪いね♪」

 まったく悪びれもしない態度でお茶を受け取った楓は、胡坐をかいたまま、手つきだけは立派な茶道に則って御茶を啜る。もちろん音を立てるような無粋はしない。

 猛姫も、御茶はすぐに傷んでしまうと知っているので、片手で(あお)って一気に飲み干す。

 それで人心地付いたのか、猛姫は鋭い視線を女性の方へと向ける。

「奥に引っ込んでるように伝えたはずだが? (なぎ)?」

「猛さんはちゃんと伝言を伝えてくださいましたよ。ですけど、元部長が相手では、二人だけで穏便に、っとはいかないでしょう?」

 にっこりと微笑む女性。見た目は間違いなく幼いのに、纏う雰囲気は妙齢の女性のそれを感じさせる。柔和で温和、それでいて大きく感じる存在感には圧迫感はなく、包容力を感じさせる。怒りに対して容赦のない猛姫に対して、相性の良い緩衝剤のようなオーラの持ち主だ。

「いや~~~っ! あの純粋無垢にして、猪突猛進! 無知にして直球の薙特派員が、こんなにも包容力溢れる女性になるとはっ!! これも、私の教育の賜物だね!」

 それを正面からぶっ壊しにかかるのが斎紫楓と言う男。誰もがそれを思い知らされた気分で顔を青ざめた。

 巫女達の中には、「薙様がいらっしゃるのなら大丈夫……」「薙様が仲介してくれる限り、猛姫様の怒りを受けることはないはず……」っと、絶対の安心感を抱く相手なのだが、この楓と言う男のぶっこみ具合に、ずっと緊張させられっぱなしである。

「楓部長……、昔のことを言うのはやめてください。これでも薙は大人になるため、日々努力した結果で―――」

「草薙特派員との馴れ初めを思い出すと、どうしてこっちに傾いた? っと、未だにこの話題を振り返りたくなるほどだと!」

「そ、そそ……っ! そちらの話は、よろしいでありましょう~~~っっ⁉////////」

 包容力溢れる女性が、突然雰囲気を壊して慌て始める。まるでまだ若い少女が羞恥に頬を染めて慌てるかのような動揺ぶりに、むしろ巫女達の方が動揺を露わにしていた。

「おいっ、楓……? お前、薙の昔の男の話をするために来たんだったのか……っ?」

 どうやらこの話題が鬼門だったらしい猛姫が、盛大にドス黒いオーラを放ち始めたのだが、楓はからからと笑った後、真剣な表情になる。

「ぶっちゃけ違ったけど、薙()特派員の昔通りの反応見てたら、もうこっちでもいいかと思えぶおばぁーーーっっ⁉」

 最後まで言い切る前に、楓は薙と猛姫、二人の居合切りを同時に受けて吹き飛んだ。障子を破って庭に出て、それでも収まらない勢いに押されて空の彼方にまで吹き飛び……そのまま星となって光った。

「良き男を失った……っ!」

 そしていつの間に戻ってきて、空の彼方に向かって拳を握りながら涙を浮かべていた。

 もう、何から何まで無茶苦茶な存在に、巫女達の中に訳も分からず発狂し出すものまで現れ始めた。中には年甲斐もなく漏らしてしまったり、幼児退行化して泣き叫んだり、猛姫を称える祝詞を祈るように唱え始めた者までいる。それでも逃げだしたりしない辺りは、やはり彼女に仕える巫女としての意識故だろう。

「……っで? 本気で何しにきやがったこの存在自体が異常現象眼鏡野郎……っ?」

 もはや怒りが突破して雑になっている猛姫はとっても切れ味の鋭そうな刀を、片手で無造作に振るい、楓の頭を叩き続ける。薙の方は、直接攻撃は無駄だと悟ったのか、ちょっとだけ不思議そうな表情を楓に向けつつ、猛姫の背後に陣取る。彼女の背に隠れるというより、元々そこが彼女の定位置であるかのように自然な立ち位置だ。

 楓は頭を刀で殴られても、カンカンと音を鳴らし、結構激しく血飛沫を上げるだけで平気な顔で笑っている。

「いやいやすまない、久しぶりに旧友と会話するものでね? つい、本題よりもそっちを優先してしまった!」

「俺は、お前とは世間話するのも本気で嫌なんだが……? おまけになんだこの異常性に輪をかけた仕様は? 殺せないとかもう、性質(たち)悪いとか言う問題ですまされないだろ?」

 本気で嫌っているらしい猛姫は、冗談抜きで刀をぶっさしているのだが、激しく血が出る割に効いてる感じがしない。完全なギャグ補正による無敵状態にあるらしい。それは、猛姫により完全に支配されている土地では異常であり、仮にイマジネーターであっても、ここまで領域の深くにまで入り込まれて、無敵を継続できていることが不可思議であった。これはもう、“異常”と言うレベルではない。同じ世界の法則に存在しているという考え自体が間違っていると判断できる。つまり―――、

「もう建前はいい。さっさと答えろ。“オリジン”とはなんだ? ギガフロート創設時代から生きている俺が知らない、それはいったい何を意味している物だ?」

「ああそうそう、それね? まじめな話、君に話しておいた方がいい気がしたんだよね? その方が過程はともかく、結果としては良い感じに収まりそうな気がしたからね」

 そう、あっけらかんと返す楓だが、話し始めた内容は、実に重大な事であり、退出を求められなかったが故に、それを聞かされる羽目になった巫女達も、猛姫の手前あからさまに喋り出したりはしなかったが、不安げな様子を見せ始めていた。

「―――っと、ここまでが“オリジン”についての、今解っているだけの情報かな? それじゃあ、そろそろ本題を話そうか?」

「やっぱりまだあるのか? 貴様がわざわざ持ってきた内容だ。この程度の事ではないだろうと思ったが……」

「当然さ。これで終わったら、君もゆかりくんに会う口実がなくなってしまうだろう?」

「くだらん……。そんな事はどうでもいいから、さっさと用を済ませて消えてくれ」

「やれやれ、大人になってもまだまだ子供だねぇ~~」

 そんなやり取りをしながらも、二人はまたまじめな話を始めようとする。そこに待ったをかけたのは意外にも薙であった。

「あの、お二人とも? 話をするのは構わないのですけど……」

「ん?」「おおう?」

「そろそろ、その刀で叩く状況、どうにかなさいませんか?」

 まじめな話をしている間中、猛姫はずっと楓の頭を刀の刃で叩き続けていたのだった。




≪あとがき≫

▼必殺技解説
・“必殺技”は、イマジネーターにとって重要な必須科目ですが、これは『必ず相手を殺す技を持つこと』が重要なのではなく『いかなる局面も、その技をもってひっくり返す技を思いつくこと』が重要とされている物です。なので、今回、菫や正純が披露した必殺技が、今後も使われるかどうかと言うと、首を傾げるような内容かな? 出オチ結構でバンバン出てくるのが“必殺技”だと思ってください。
 ちなみに、カグヤの使っている炎法や啓一の剣術、金剛の鬼手も、同じ必殺技扱いです。



●『九つに彩る装飾曲(ナイン・アラベスク)
・菫の考案した技。
 『剣の操り手(ダンスマカブル)』で操作し、自分の持つ剣の攻撃に八本の剣を連動して操るパターンの総称として扱っている。現在このパターンで発動できるのは螺旋状に配置して突貫するスタイルのみ。となっている。極めれば、もっといろんなスタイルを持てそうだとは認識している模様。

●「花形に揃う射手座の星(ディバイン・サジタリウス)!!」
 『星霊魔術』射手座の光弾を花が咲いているような配置に展開して、腕を突き出すモーションに合わせて一斉射することで、初速のインパクトを強力にした近接専用の攻撃手段。例えるなら、至近距離からショットガンをぶっ放すイメージで放っている。
 距離が離れると、威力が霧散してしまうので、ただの弾幕と変わらない。ホーミング性能がある所為で、近すぎると弾同士が接触して誤爆する可能性もあるので、この配置だと至近でしか効果が発揮されない。

●『八剣小即興曲(インベンション・エッジ)!!』
 折れた剣の切っ先だけを集めて、正純の花形に揃う射手座の星(ディバイン・サジタリウス)!!」っぽく手のモーションに合わせて『剣弾操作(ソードバレット)』で撃ち出している技。近接専用にも見えるが、実際は普段操っている剣がコンパクトになったというだけだ。正直、剣の重量が落ちたので、威力はむしろ低下している。あの状況下で、何とか勝利しようと菫が頭をひねった末に開発できた、即興の必殺技。正直、その場の思い付きなので、改良の余地はいくらでもある。


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