事が起こったその後に後悔する、というのは日本語として間違っている。「後悔」その字に既に「後」は入っており、意味は「後から悔やむこと」なのだから。
「その日」は突然訪れた。
教室のドアを開け、黒板に「無作為選出対象者無視法」の文字を書き、その法の監督を名乗る男は告げる。
「厳正なる無作為の抽選の結果、本日より1年間『
そのまま詳細説明を続ける男。ざわつく教室を無視し、彼は鳴り響くチャイムを背景に告げた。
「この予鈴の終了を合図に無視を開始いたします」
「開始」に対して最も早く動いたのは一人の女子……蛇泥理苑であった。
理苑は男に近づき問いかける。
「ねえ役人さん、皆『無視』するってことは、当然あなたも『無視』するってことですよね?『無視しろ』と命令するということは、自分も『無視する』覚悟があるってことですよね?」
この段階で、既に背中に怪しい物が昇って来ていたと後にこの時の監督、踏は語る。バリウム飲んだ時の胃の不快感がそのまんま背中を這い上がりながら耳元で蜂のホバリングの音を出している感じだったと。
命じた立場として、当然踏は理苑を無視し、教室を見渡す。これまでならば大抵現実が受けいらられずに抽選に選ばれた者に話しかける違反者が出たのだが、今回はその本人が動きに出たためクラスメートはその動きを見守る側に周っていた。
違反者が出たら逮捕で一気に空気が変わり、無視する方向に行く。そのセオリーが使えていない。言葉を続けるべきか。
一瞬。一瞬であった。一瞬であったが、監督、踏に迷いが生まれ注意がそれた。次の瞬間
「あばっしぇい!」
激痛。左足つま先を体重をかけてしっかりと踏まれていた。しかし無視。無視である。「分からせる」為には無視しなければならない。ここで怒りにまかせて「何をするだァーッ」とか叫ぶと無視の空気がくずれてしまう。男(漢)踏は無視を選択する!
「あらあら御免あそばせ。バランスをくずしてしまいました。しかしそうですか。このくらいであれば『無視』しないといけないって言う事ですねえ」
法として、当然全てを「無視」する訳にはいかない。自暴自棄となり、凶器を持ち道で暴れまわり通行人を次々と殺傷していくなどというケースを許してはいけない。その場合は、当然差し押さえる。その範囲が問題だ。。
例えば、無視による飢えから逃れる為の窃盗ならばある程度は許されるし、口で何かを言ったからと誹謗中傷で捕まえにいくと法としての説得力がない。基本的には無視せよ、というのが決まりであった。
基本的って、どこまでですか。役人の責任逃れもといどうとでもとれるその法律文章に恨みを唱えつつ、我慢する踏をさらなる悲劇が襲う。
「じゃあ、『これ』はどうですかねェ~?」
悪魔、蛇泥理苑が腰を落としてとるは正拳突きの構え!狙うは男の文字で言うと「と」の所。ようするに大事な所!
「ヒェッ」
繰り出される拳に、踏は悲鳴をあげる。
だが、痛みは無かった。拳は寸前で止められていたのだ。
「今の反応なら、セーフなんですか~?」
悪魔の笑みを浮かべる理苑を見て、その場の役人達は思い知らされた。どう考えても選出間違えた恐怖を……。ここまでのケースの概念に囚われていた過ちを……。
だがしかし終わらない。終わってくれない!
一人の男子が彼女の肩をたたき、そして親指でグッドポーズをとる。「無視」をしていない、違反なので当然逮捕の為に拘束する。そこから格好良く決めるはずなのに、その男子生徒は床に伏しつつ口を開く。
「やっぱり逮捕なんすね?『触れたら逮捕』なんっすよね~?」
男子生徒は笑う。笑っている!
ちょっと待って。確信犯なの。逮捕されるの覚悟でやったの彼。
この時にはバリウムはとっくに正体をあらわしトラウマ含む嫌な単語の皆が胃やら背筋やらで大合唱を開始していた。後に踏は語る。
「違反者は1年間拘束。ちょうど良かった。おれ、留年するとこだったんっすよ~。ってことで皆、ちょいと経験してくるわ~」
ダメだこいつ。早くなんとかしないと。
多分役人全員が思う中、今度は女子生徒の一人が動く。
「アンタのせいだからね!」
蛇泥理苑に対して罵言を吐く。当然逮捕、とまたとらえるのだが
「話しかけてもダメなの証明、ありがと」
笑っている!その女子生徒も笑っている!
「てことで私も1年拘束。ちょっと付き合ってくるわ」
「え~なんでだよ。お前成績良いのに。つーか話しかけるのダメなの当たり前じゃん」
「バカね。誰の為と思ってんのよ」
「え?」
気が付けば繰り広げられるラブコメの方にクラスが盛り上がっている。
もう開始はしたし二人つれて帰ったら良いのかな。大人(先生多分除く)達に流れる微妙な空気を知ってか知らずか、理苑は再度今回の一番の被害者、踏に近づく。
「やれやれ。あんなの見せられたら、しなきゃいけなくなっちゃうじゃない」
正拳突きを警戒する踏に対し理苑は何の構えもとらないまま近づいていき、そのまま「膝上げ」をあそこに決めた。
この時の悲鳴は到底言語に出来ないので、省略させていただく。
「て、てめえ何するんだあああ!」
思わず胸倉をつかんだその瞬間、踏は自身に視線が集まっている事に気づく。
「あなたのその行動、『予防』じゃないですよね。『攻撃』の後なんですから。それで、あなたは今『私に触れました』よね~?『私に話しかけました』よね~?」
この辺りでトラウマ達の大合唱はクライマックスを迎えていたので、正直詳細はあんまり覚えていない。後に踏は語る。
また、踏をとらえた黒服の皆はインタビューに対して明るい顔でこう答えたという。
「日頃の恨みです!」
「監督さんなら他にもいらっしゃるでしょうし。というかいないならそっちの方が問題だし。さて、1年か」
急所の痛みにたえつつ、トラウマ大合唱が皆で飲み会してるのを眺めつつ、連行されつつこれを確認したのは覚えている。後に踏は後略。
「これからが本当の地獄だ…」