7月21日木曜日。
今日から、夏休みが始まる。
将来の夢なんて無いし、今までそんなこと考えたことも無い。
ただ平凡に暮らして普通に生きて、平均的に死ぬことくらいしか頭の中にはなかった。
俺の17年間の人生なんてなんの取り柄もなかったんだ。
「君と夏」
小学生の時から、周りと自分が違うということに気が付き始めた。
周りの子は文字も書けるし、人と話すこともできる。外で元気に走りまわることも、放課後友達と遊ぶことも。
でも俺が何より悔しかったのは、友達と一緒に笑えないことだった。
小さな頃から病弱で学校を度々休んでいた小学生時代、体育を毎回見学していた俺をよく思わなかったやつたちが俺のことを虐め始めた。
最初は陰口、次第に俺の机と席が無くなったり、暴力を振るってきたりもしたけど、親にその事は知られたくなかった。
母を悲しませたくなかったから。
そんな日々を5年生になるまで送っていたある日、母の見舞いに行く事にしたんだ。学校を無断で休んで。
もちろん父は仕事に、妹は学校へ行ったけれど、俺は行けなかった。
体育があったんだ。たった四限、午前中で学校が終わるとしても、いつもと違う、あの先生の体育があると思っただけで身がすくんだ。
俺は病院に着くなり、母の病室まで走って行った。いまでも、あの日の事は鮮明に覚えてる。
いつも笑顔の母が、初めて俺の前で泣いたんだ。
全てを察したのか、全てを悟ったのか。俺にはわからなかったけど、確かに母は俺に向かって何度も何度も謝った。
「ごめんね。私が、病弱なせいで......ごめんね......」
そんなこと望んでないのに。
そんなこと、してくれって頼んでないのに。
俺は謝罪なんて欲しくなかった、慈悲なんて欲しくなかった。
ただ、母には笑っていて欲しかったのに。
そんな母の姿を見るために、お見舞いに行ったのに。
家に帰ると、妹が玄関の前で腕組みして俺の帰りを待っていた。
「おにいちゃん、今日学校休んだでしょ!?ダメなんだから!明日からはチヨと一緒に家出てもらうからね!」
妹に玄関で怒られている兄という構図は今思い出しても恥ずかしいものがある。
そんなこともあって次の日からはまた、学校へ行ったんだ。
父は何も言わなかったけれど、怒ってはいなかった。
ただ、優しい目で、優しい顔で、俺と千代のことを笑顔で送り出してくれた。
その日からは何も無いけれど、何かあったような、そんな曖昧な日々を高校生になるまで送ってきた。
中学生の時も、周りは変わらず俺のことを揶揄ってきたけれど、お陰で俺は強くなった。
病弱では無くなって、普通に毎日学校に行けるようになったし、小学生の時から虐めてきていたヤツとも思いっきり喧嘩ができた。
高校受験も適当に近いところを選んだけど、俺の実力よりかは遥かに下だった。
高校に受かっても母のところには行かなかった。
あの日の事がどうしても忘れられなかったから。
また、母は俺のせいで悲しい思いをするかもしれないと思うと、どうしても母のところへ行く勇気が出なかった。
毎週日曜日に必ず行っていたお見舞いも、あの日から行けなくなった。
父は「行かないのか?」程度で済ませてくれたが、妹はしつこく俺を連れていこうとした。
でも高校生になってから一年と半年が経ったある日、父が
「いつまで結衣を悲しませるつもりだ。お前は結衣の息子だろ。」
って、俺を初めて叱った。
その一言で俺の心のどこかに詰まっていた何かは一瞬で消え去った。
母は俺を愛してくれているって。なぜか思えた。
そこからは俺もあまり覚えてないけど、一心不乱で駅まで走った。
父は一言、「気をつけてな」と言って送り出してくれた。
いつもは速いと思う快速も、その日だけは遅く感じた。
病院のある駅に着くなり、急いで改札を抜けて病院へと駆け込んだ。
そして、あの日のように走って母の病室に駆け込んだんだ。
でも、
「結衣さん!しっかりしてください!」
「いつから心臓が止まっていたんだ!」
「緊急手術だ、手術室を今すぐ空けろ。」
「モタモタするな!緊急だ、急げ!」
他人事に思えた。
だって、俺が6年前に見た母の顔は悲しい、泣いた顔だったんだ。
こんな最期、信じたくなかった。
話したかった。色々あるんだ、話したいこと。
俺、高校に受かったよって......
俺、初めて先生に褒められたよって......
俺、テストで100点とれたんだよって......
だから、褒めてよって......笑ってよって......
病室から運ばれていく母の顔は、ようやく苦しみから開放されて喜んでいるようにも見えたし、何か寂しさが残っているようにも見えた。
急いで駆けつけた父と妹は手術室の前で下を向きながら座っている俺を見つけるなり、隣まで駆け寄ってきた。
「結衣とは話せたか......?」
俺は無言で首を縦に振った。
母の望みで葬式は少人数で行われた。
棺の中の母を俺は見ることができなかった。
母の最期の姿を見ることを拒んでしまったんだ。
そして、葬式が終わったのが昨日の夜。
終業式も終わり、俺は4階の屋上でこれからどう生きようか悩んでいた。
夕焼けに染る東の空を見ながら。
フェンスって案外低いんだな......
校舎も割と低い......
「怖く......ない。」
「ねぇねぇ!何してんの?」
うるさいな。俺は今お取り込み中だ。
「ねぇねぇ!ユウキってば!」
チッ。だから。俺は今お取り込み中なんだって。
「ならこうしてやる!」
なにすんだよ。何したって僕は......
「うわッ!あぶねぇ、後ろから押すな!」
......やっぱり、この高さは怖いな。
にしても、またこいつかよ。
「舞夏、何の用だ。」
「いやね、ユウキ元気ないから励ましてやろうと思いまして。」
そんなもの要らない。
僕はそんな事をされるほど弱っちゃいない。
「まぁ、涙拭きなよ。私のハンカチ貸してあげるから。」
......。
コイツはいつもお節介を焼いてくる。
幼稚園からの腐れ縁で幼なじみという難癖を点けて、小学生の時から俺の周りをウロチョロしたり、中学生の時には勝手に俺の家でご飯作ったり、挙句の果てには俺と同じ高校に進学してきた、そんなどうしようもないヤツ。
ほかにもクラブに入っていない俺を無理やり「天文部」とかいう訳の分からん部に引きずり込むわでコイツには散々なことをされている。
今度はどんなことをされるのやら。
でも、おかしいな。
いつもなら突発的に何か閃いたみたいに馬鹿な提案してくるのに。
やけにモジモジして......
「......ねぇ。ユウキ。私、あなたの嫁になるわ。」
「......は?」
夏休みが始まる7月21日。
その日から、長くて短い俺の一年間の物語が始まりました。
僕と夏、それは夢を叶えるための一年間を記した物語。
悲しみのどん底にいる彼は、一年後どんな顔をしているのでしょうか。
それは、この物語の最後のページで語るとしましょう。