結月と悟たちが、話し合いで決めたことは以下の三つだ。
1.枷場結月は天内理子の偽物を作り、五条悟、夏油傑、天内理子、黒井美里の四名に提供すること。
2.五条悟、夏油傑、天内理子、黒井美里の四名は、枷場結月が霊力を持っていることを枷場結月の許可がない限り他言しないこと。
3.枷場結月は、天内理子の護衛任務が終了するまでの間五条悟の指示に従うこと。ただし、指示の内容が不法・不当である場合はこれを拒否することができる。
「……この内容で、縛りを結ぶということでよろしいですか?」
結月が尋ねると、悟は頷いた。
「ああ、いいぜ。……傑も天内たちもそれでいいよな?」
「うん、かまわないよ。」
「かまわんぞ!」
「私も大丈夫です。」
全員が納得した瞬間、空気がピンと張り詰めた。
「縛り……初めて結びましたが、その……いつもこうなのでしょうか?」
明らかに縛りを結ぶ前とは何かが違うと感じた。結月は慣れない感覚に眉を寄せてそう言った。
「いや、これはお前が霊力持ちだからだと思うぞ。普通はこうならねぇし。……破ったときのペナルティもすごそうだな。」
「そうですか。」
結月は悟の言葉に曖昧に頷いた。まぁ、約束を守れば良い話である。
*
喫茶店の会計を済ませたあと、監視カメラが設置されておらず人目につかない場所で、結月は理子の偽物を悟に渡した。縛りを結んだ時点で、収納用の亜空間の中に理子の偽物の肉体を作り出していたため、亜空間からそれを取り出すだけの簡単な作業だ。
ぐにゃり、と陽炎のように歪んだ空間の中に腕を入れた結月を傑がぎょっとした目で見た。結月は構わず偽物の腕を掴んで偽物の体を亜空間から引っ張り出した。
「天内さんの肉体を完全に複製したものですから、DNA検査をされても本物と見分けがつかないと思いますよ。ただ、魂は完全に複製できませんから、廃人のようになってしまいますけれどね。」
結月の異能力、神器生成で作り出した肉体だ。本物の肉体を忠実に再現しているため、神器としての機能は全くないが、囮としては十分過ぎるくらいだろう。
(……ま、なんとなく彼らが嘘を吐いていることはわかるけれど。)
悟たちは結月と理子に対して、この偽物を星漿体の暗殺を企てている存在に対する囮として使うと説明していた。しかし、実際にどう使われるかは縛りの内容に含まれていないため、結月には関係のない話だ。
「すごいね。」
傑が引き攣った顔でそう言った。
「……呪力もそっくりそのままだな。天元様も騙せるんじゃねーか?」
そう言って、悟が興味深そうに偽物を見た。
「なんか、変な感じじゃな……。」
理子がそう言って複雑そうな顔をした。美里は何も言わなかったが、偽物を見て不快そうに顔を顰めた。
「お洋服はサービスですー。」
「おー、サンキュー!」
偽物は虚な目をして何もないところを見つめていた。
上品な紺色のワンピースを着ているため、本物との見分けはつくが、もし同じ服を着ていたら分からないかもしれない。ただ、表情豊かな理子とは違い、常にぼんやりしている様子なため、彼女と親しい者が見れば一目瞭然だろう。
「天内さんは、何か変装をしたほうが良いかもしれませんね。」
「あー、なんか道具作って貰えるか?貸してくれ。」
「ええ、わかりました。べつに惜しむような物でもありませんから差し上げますよ。」
「たすかる。」
使用済みの鬘などを返却されても正直困る。結月は亜空間に再び手を入れて、使えそうな道具をコスプレ道具が収納されている棚から取り出した。
*
「化粧ってすげー。」
悟がそう言って、ショッピングモールの多目的トイレから出てきた理子たちをまじまじと見つめた。
「……、あー、まぁ、髪型が変わって目元が隠れると印象が変わりますよね。制服は偽物に着せておきましたよ。」
「マジで便利だなー。お前の能力。」
「秘密ですよー?」
「わかってるって。」
花柄の大人っぽいワンピースを来た理子が落ち着かない様子で鬘に触れている。理子と美里は同じデザインの眼鏡を掛けて鬘の髪色を揃えたので、一見すると歳の離れた姉妹のように見えた。
「目の前に自分とそっくりなのがおるし、なんだか自分が自分じゃないみたいじゃ。」
理子が少し不安そうに店にあった姿見を見た。
「理子様は理子様ですよ。」
「黒井〜!」
戯れ合う主従を横目に眺めながら結月は五条に声をかけた。
「眼鏡に認識阻害の効果を付与しているのですが、分かりますか?動力を呪力にしたため、呪具になっていると思うのですけれど。」
「……あー、たしかに術式が見えるな。……呪具をこんな簡単に作れるとか、上層部にバレたらマジでやべぇぞ?」
「秘密、ですよ?」
「わかってるよ。」
「……あれが、本当に理子ちゃんと黒井さんなのか?」
傑が目を見開いて悟と結月の顔を見た。
「ああ、そうだけど?」
悟が怪訝そうに傑を見た。
「悟が言うなら信じるけど、あれが理子ちゃんたちだとはとても……。」
傑はそう言ってもう一度理子たちのほうを見た。
「……全くの別人にしか見えない。……というか、彼女たちに注目しても詳しい容姿や声や服装が覚えられないんだ。認識したそばから忘れていく感じがする。かろうじて女性ということは分かるけど、それも中性的な男性と言われてしまうと納得してしまう……なんだか気味が悪いよ。」
「え、ワンピース着てるのに?」
「彼女たちはワンピースを着ているのかい?」
悟がぎょっとした顔で結月を見た。
「本来、そう言う効果のものです。カメラなどにもモザイク処理された状態で映りますよ。鬘や服はあくまでも念の為ですね。夏油さんの反応が正常ですよ。」
「……やべーな。」
悟が真顔になった。
「製作者である私には効きませんけれどね。……六眼って本当にすごいですねぇ。」
「天内たちはお互いのこと分かってるみてーだけど?」
「眼鏡をかける瞬間を見ていれば効果はありませんからね。」
結月がさらりとそう言った。
「さて、これからどうしますか?」
結月は悟に微笑んだ。
「ケータイかして。」
悟がそう言って結月のほうに手を出した。
「あー、すみません。その、携帯電話を持っていないのです。」
「……マジ?」
「本当ですよ。」
悟が唖然とした顔で結月を見た。そんな顔をされてもないものはないのである。
「高校入学前には買う予定ですね。」
「じゃ、俺のヤツ貸すから。傑の連絡先はこれ……ここから指示を出す。」
「分かりました。」
「連絡するまでの間は、このショッピングモールで待っててくれ。天内たちを頼む。」
悟はそう言うと、偽物の手を引いて歩き始めた。傑がその少し後ろを歩く。
「お気をつけて。」
「ああ。」
悟たちは振り返らなかった。
*
「先輩ー、連絡はまだですか?」
「うん……困ったね。私もそろそろ帰らないといけない時間だし。」
ショッピングモールの時計を見上げた。時刻は五時を少し過ぎたくらいだ。
「……そもそも、同化のタイムリミットも、」
理子がそう言いかけた瞬間、携帯電話が鳴った。
「先輩!早く!」
「うん。……もしもし、五条さんでしょうか。」
〈ああ、いや、夏油だよ。〉
「はい、夏油さん……その、指示を伺いたいのですが。」
〈今、どこにいるのかな?〉
「皆さんと別れたショッピングモールのフードコートにいます。」
〈……そっか。枷場さんは時間大丈夫?〉
「んー、六時までには帰りたいですね。」
〈わかった。すぐに悟がそっちに向かうから、それまでは理子ちゃんたちと一緒にいてくれるかい?〉
「はい。分かりました。」
〈頼んだよ。〉
そう言うと電話はプツッと切れてしまった。
「夏油さんはなんと?」
美里が結月に尋ねた。
「すぐに五条さんがこちらに来るそうです。」
「そうですか。」
「一体いつまで待たせる気じゃ!」
理子がそう言った瞬間、すぐ後ろに人が立った気配がした。結月はパッと振り返ってカードを手に取り自分と理子たちを守るように結界を張った。
「よ、待たせて悪かったな。」
悟がそこに立っていた。結月は肩の力を抜いて溜息を吐いた。
「……驚かさないでくださいよ。」
「悪い。……天内たちは無事みたいだな。」
「何をしておったのじゃ!早く妾を天元様のところに……!」
「必要ない。」
「え?」
理子が呆然としている。
「枷場が作ったお前の偽物、あれが天元様と同化したから必要ない。……お前は自由だ。これからも学校に行けるし、友だちにもまた会える。」
淡々とした悟の言葉に、理子は口を開けたり閉じたりしてなんと言えばいいのかわからない様子だった。
「だって、そんな、急に……でも、私は、妾は天元様で、そうでなきゃ、だめなのに。」
「理子様!」
理子の体を美里が抱きしめた。
「黒井……?」
「よかった、よかったです、理子様……!」
「黒井、まだ黒井と一緒に暮らせる?いっしょで、おわかれしなくてもいいの?」
「ええ!ずっと一緒です!」
理子が泣いていた。美里も泣いている。結月はさりげなく二人のそばから離れた。
「枷場、ケータイ。」
「あ、はい、どうぞ。」
携帯電話を手渡して、悟の顔を見上げた。
「あのー、そろそろ帰ってもよろしいですか?」
二人に聞こえないように小声でそう言った。
「べつにいーけど?縛りの内容は達成してるからな。」
「……そうですね。」
そう言うと、結月は悟に頭を下げた。
「それでは、さようなら。」
「ああ。」
天内に渡した眼鏡と同じ効果の眼鏡をかけて、結月はショッピングモールの中を歩いた。
「『疲れましたね。』」
小さく精霊語でそう呟いた。
『吾子があのような約束をする必要はなかったと言うのに。』
魔王の声が聞こえた。結月が人間と話している間、魔王が結月に話しかけることは少ない。今日は一日中結月と話すことが出来なかったためか、ひどく不機嫌そうな低い声だ。
「『……人間を殺すのは駄目ですよ、魔王さん。』」
『少し忘れさせるだけだ。』
「『手加減を間違えると廃人になってしまうでしょう?』」
『べつに良かろう?』
「『……もし、友人が話せなくなってしまったら悲しいです。』」
『そうか。』
自動ドアを通ってショッピングモールから出た。結月は軽やかな足取りで、柔らかな雨が降る薄暗い道を進んだ。
「『良い天気ですね。』」
『ああ、そうだな。』
濁った水溜りに足を踏み入れた。靴の中まで雨水が染み込むのを感じる。
「『雨、大好きです。』」
『私も雨は好きだ。』
「『優しい雨も好きです。でも、激しい雨のほうが好きな気分です。』」
『ふふ、吾子がそう言うなら変えてやろう。』
糸のように細かった雨は徐々に勢いが強くなり、すぐにバケツをひっくり返したような大雨になる。雨は強くなったときと同じように徐々に小さく弱くなっていき、最後にはふっと止んでしまった。
そうして、雨が止んだ頃になると、まるで最初から何もなかったように少女の姿は消えていた。