2017年12月24日、大規模な呪術テロが新宿と京都で発生した。首謀者は夏油傑とは似ても似つかない何処の馬の骨ともしれない呪詛師である。
日時といい場所といい妙な運命を感じるこの事件、呪詛師は討伐済みなのだが、流石にこの後処理を呪術界のみで行うのには無理がある。公安警察との協力のもと、復興が進められているようだ。
表向き、この件は宗教テロによる爆発と報道されている。しかし、ネット上では“化け物を見た”や“祟りだ”などの声もちらほら見られている。残念なことに、呪術界の上層部は、そのほとんどがインターネットどころか携帯電話の操作もおぼつかないご老人だ。今のところは結月が個人的に火消しをしているが、これから公安がどう動くのかはわからない。
ちなみに、羂索の脳味噌は一昨年の暮れに結月が秘密裏に処理したため、この世界の2018年は平穏に終わる可能性が高い。だが、今回、百鬼夜行の代わりのような事件が起きている以上、慎重に行動すべきだろう、と結月は思った。
「へー、忙しそうだね。」
「他人事だと思って。」
結月の気の抜けた声に伊地知が溜息を吐いた。
「しばらくは研修医だもの。呪術師とは関係ないね。でもまぁ、私も結構忙しいのだよぅ、これでも。」
結月はグラスを傾けた。こぢんまりとした雰囲気の飲み屋の一角に二人は座っていた。今日は予定を合わせて、久しぶりに同期で飲みにきたのだ。
「なんか、枷場さんがお酒飲んでるのを見てるとちょっと不安になるな。」
「失礼だなぁ、これでも成人しているし、車の免許だって持っているのに。まぁ、濃い化粧が似合わないから薄化粧しかしていない分幼く見えるのかもね。」
「どう見ても中学生、いて、蹴らなくてもいいじゃん。」
結月は伊地知の足を軽く蹴った。結月は髪を手櫛で整えるふりをして、店内を確認した。
『吾子や、五人だ。』
魔王がそう呟いた。グラスがかいた汗が、机に丸い染みを作っている。
(『ええ、ありがとうございます。』)
「そういえば、警察と協力って、大丈夫なのー?」
「大変だよ、上層部の態度が悪かったみたいでさ、僕たち下っ端まで睨まれてんの。ほんと、勘弁してほしいよね。胃に穴が空きそうだよ。それに、こっちを詐欺師扱いしてくる人も多いし……あ゛ー、仕事辞めたい……。」
「あら、かわいそうに。」
結月はそう言って、皿に盛られた軽食をつまんだ。
「研修期間はあと一年だったよね。それが終わったら枷場さんも
「そうだね。まぁ
結月がそう言うと、伊地知は机に突っ伏した。
「あっ、これ美味しいよ、伊地知くん一つあげるー。」
「なにこれ?」
「んー、ライスペーパーで生ハムとトマトとクリームチーズを包んだ感じの何か?」
「へぇ、あ、ほんとだ美味しい。」
「だよねー、これ、もう一つ注文しようか。」
「いいね。」
「伊地知くん注文お願ーい。」
「はいはい。」
伊地知が店員を呼び止めて注文をするのを聞きながら、結月はポケットからスマホを取り出した。
“話を合わせて
見られている 心当たりはある?”
メモ帳アプリに素早く入力すると、結月は注文を終えた伊地知の袖を軽く引いた。
「ねぇ、これ、この間撮った写真なのだよ。綺麗に撮れてるよねぇ?」
「えっ、ああ、うん、そうだね。」
伊地知の顔が引き攣った。
「蛇の死骸ー。うちで飼っていた子なのだけれど、寿命でねぇー、大往生だよー。」
“顔 少しは取り繕え”
「……よく撮れてるけど、ちょっと、食べてる時にそんなの見せないでよ……あぁ、写真といえば、僕も見せたいのがあったんだ。ほら、これ。」
伊地知も携帯を取り出して文字を打った。
“確認 見てるのはどんな奴?”
「綺麗な夕日でしょ。」
「どこで撮ったのー?」
“訓練されている印象 店員に紛れている奴 客に紛れている奴 おそらく五人”
“多分公安警察 どうする?”
「あぁ、ええと、たしか……どこだったかな。」
「んー、職場?」
「そうかも。」
“当たり障りのない流れで一緒に店を出る 店から出たあとで尾行を撒く 伊地知くんは私に着いてきて”
“わかった”
結月はグラスに残った酒を飲み干した。店員が運んできた料理を、それぞれ分けた。視線はまだ感じるが、それに気づいていないふりを続ける。結月は慌ただしく見えないよう気をつけながら急いで料理を口に運んだ。
「明日も仕事だし、そろそろ帰るー?」
「そうだね。これ食べ終わったら帰ろうか。駅まで送ってくよ。」
「ありがとうー。」
「お会計お願いしまーす!」
伊地知が店員に声をかけた。
「いつも通り割り勘で……細かく分けるのは面倒だし、端数は私が払うよ。」
「いいの?」
「別に、注文はほとんど伊地知くんにしてもらったもの。」
「そっか、ありがとう。」
「どーいたしましてー。」
会計のため二人がレジの前に並ぶと、そのすぐ後ろに男性が並び、次に、若い男女が並んだ。
(こちらを見ているのは男女だな。……訓練されているのは確かだが少々
現に、伊地知は気づいていなかった。これが五条や夏油、九十九などの特級術師ならすぐに気づいたのだろうか。結月は脳裏に思い浮かべた顔に眉を寄せた。彼らと個人的に食事なんて考えただけでも疲れる。
(まぁ、眼鏡をかけて来ていてよかったよ。なーんか、今朝から嫌な予感がしていたのだよねぇ。)
結月が今使っている眼鏡は、以前天内と黒井に渡した眼鏡の改良版で、一定以上の呪力を持たない相手に対してのみ、認識阻害の効果があるものだ。もちろんこの効果はカメラや録音機などの無機物に対しても発揮される。
店を出て、夜でも眩い街を二人で歩いた。冷たい空気を吸った鼻の奥がツーンと痛む。尾けてくる足音を気にしながら、監視カメラがない入り組んだ道を選んで進んだ。角をいくつか挟んで、完全に相手からこちらの姿が見えなくなったところで、結月は口を開いた。
「ラピス、友人をお城に招待したいの。」
小さな声で囁くようにそう言った結月の目の前には扉があった。先程まで存在しなかったそれは、まるで最初からそこに在ったかのように堂々としている。銅色の金属で出来た、繊細な装飾が施された扉が宙に浮いているのを見て、伊地知は思わず後退りした。
結月はそんな伊地知に構わずに、扉に手をかけた。ガチャリ、という音とともに、扉はあっさりと開いた。
「伊地知くん、おいでよ。」
*
彼女はいつもこうだった。穏やかで優しいはずなのに、猫のように気紛れで、得体の知れない何かをもっていた。彼女の術式はトランプに
「それ、なんなの。」
「まぁ、どこでもドアみたいなものかな。他の人には秘密だよ。」
砂糖菓子のような甘い声で秘密を囁く彼女の瞳は、いたずらっ子のように輝いていた。
「こないの?」
暗い中、宙に浮いた扉だけが薄ぼんやりと光っている。そんな扉の光を受けて、無邪気に微笑む彼女をみて、潔高はなぜか海月を連想した。
「……行くよ。五条さんと違って枷場さんなら、酷いことにはならないだろうし。」
「そんな伊地知くんに、扉の向こうで私の秘密を教えてしんぜよーう。」
「なんか今日テンション高いね。」
悪い人ではない。むしろ善人の部類だ。人を傷つけるような嘘は吐かないし、人が嫌がることはしない人だ。
扉の向こうは真っ白な建物の中だった。
「他の人には内緒にしてね?」
枷場はそう言った。潔高は頷いた。
「そうだねぇ……私の秘密、何を話そうか。んー、私の能力、実はトランプだけではないのだよ。本当はもっと色々なことが出来るのだけれど、上層部に睨まれると家族が危ないから秘密にしてるのだよね。重ねて言うけれど、絶対に秘密だからね?」
「たしかに、前から変だとは思ってたけどさ。」
潔高は自分が特別な人間ではないことを誰よりも知っていた。呪術師になれず、補助監督になることを選んだ。それに後悔はないけれど、それでもやはり呪術師となった同級生を羨むような気持ちがないわけではない。
「どうして僕に秘密を話そうと思ったの?流石に扉を潜ったことだけが理由なわけじゃないでしょ。」
「この人生で初めて出来た友だちだからかなー。」
そう言った彼女の顔はいつもより幼くみえた。幼い子どもが友だちを信じるように、当たり前のようにこちらを信頼しているのが伝わってくる。
「枷場さん、酔ってるの?」
「……そうだね、たしかにそうかもしれない。いつもより少し気分が高揚している気がするよ。おかしいね、毒は効かなかったのに、お酒は効くのかな。」
「なにそれ、へんなの。」
毒だなんて、物騒なことを言うような人だっただろうか。でも、思い返してみれば、彼女は凄惨な状態の遺体を見ても顔色ひとつ変えたことがなかったような気がする。いつも優しそうに微笑んでいるのに、刃物のような鋭さが垣間見える瞬間があるのだ。
「ねぇ、伊地知くん。」
「何?」
「秘密って、友だちに話すときが一番楽しいね。」
そう言って微笑んだ彼女の顔が綺麗で、なんとなく直視出来なかった。「ああ」とか「うん」とか自分でもよくわからない相槌をしたような気がする。
「帰ろうか。」
「そうだね。」
枷場が再び扉を開けると、そこには東京都立呪術高等専門学校の校門があった。
「なんでここ?」
「わかりやすいから。それじゃあまたねぇー。」
あっけらかんとそう言った彼女の姿は、振り返ってときにはもう見えなかった。
「せめて挨拶くらい言わせてよ。」
彼女は学生の頃よりも、やや強引になったような気がする。よく言えば、自由になった。
「なんか良いことでもあったのかな?」
潔高は悴む手を擦りながら、やや足早に家までの道を歩き始めた。
伊地知さんのタメ口わからん……一文書いて二文消すのを繰り返してようやく完成したこの話も後からサイレント修正か消去かするかもしれません。