元便利屋は呪術と推理の世界で嘆く   作:鹿蹄草

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21 休日

 

 

 青い空を電線が蜘蛛の巣のように覆っている。東京は鴉が多い。そして、それ以上に人が多かった。待ち合わせ場所の駅のベンチに座った結月は、鞄から取り出したスマートフォンを見てSNSアプリの通知を確認した。

 

「や」

「……お久しぶりです、五条先輩。」

「いやー、僕って見ての通り最強だから忙しくってさぁ。中々時間が」

「何のご用ですか?わざわざ休日に呼び出すなんて。」

 

結月は五条の言葉をわざと遮った。五条は頬を掻きながら結月を見た。学生時代よりもやや柔らかくなった口調と雰囲気は夏油の教育の賜物なのかもしれない。

 

「……ちょっとくらい会話を楽しまない?」

「そんなことをする暇があるなら少しでも寝たいのですよ。私が過労死したらどう責任をとってくれるのですか。」

「いや、枷場なら大丈夫でしょ。要領いいし。」

「そう見せているだけですよ。用がないならこのまま帰らせていただきます。」

「わかった。手短に話すよ。」

 

五条が結月の隣に座った。

 

「星漿体のときに天内が使った眼鏡、アレみたいなのを作って欲しい。」

「何に使うつもりですか?」

「ちょっと匿わなきゃいけない人間がいるんだ。信頼できる奴に任せるつもりだけど、まぁ念には念をってことで。」

 

羂索が居なくても虎杖悠仁が宿儺の指を飲み込む未来は変わらなかったらしい。京都校の学長や上層部の人間が騒いでいたのを結月はぼんやりと思い出した。

 

(宿儺の器は死んだという噂だが、例の漫画通りの展開なら生き返っているのだろうな。)

 

そう考えながら結月は口を開いた。

 

「分かりました。効果が同じなら眼鏡以外の形でも構いませんよね。」

「うん。あー、それと、特定の人間には分かるようにしてほしい。出来そう?」

「できますよ。形はサイズが調節できるリストバンドにしましょうか。」

「いいね。」

「それと……五条先輩の要望に応えるには、認識阻害の効果が発動する条件を設定する必要があるのです。どうしますか?」

「とりあえず、カメラには認識されないようにして、あとは装備者本人に対して害意を持って行動しようとした場合のみ効果が出るようにしてほしいんだけど。」

「……いいですね、その条件。」

「できる?」

「ええ。五条先輩の考えた条件、他の道具に使っても良いですか?」

「べつにいいよ、僕には関係ないし。」

「ありがとうございます。……出来ましたよ、確認お願いします。」

 

亜空間の中で作り上げたリストバンドを、結月は鞄の中に作った歪みから取り出した。結月が五条にそれを手渡すと、五条はサングラスを外してリストバンドを見た。

 

「OK、報酬は何がいい?」

「いりませんよ。いいアイディアを頂きましたから。」

「わかった。」

「それでは、失礼しますね。」

「おー。」

 

結月がベンチから立ち上がると、五条がふと思い出したように顔を上げた。

 

「枷場ぁー、最近虫が多いと思わない?」

「……ええ、まぁ、そうですね。去年のクリスマスあたりから、随分とこちらを探っているようです。」

「やっぱあそこか。いい加減うざいんだよね。今日も付いてるし。」

 

五条がそう言って空を睨んだ。結月は少し考えてから口を開いた。

 

「あちらのお上はこちらとも癒着しているというのに、どうしてあれを野放しにしているのか不思議でなりませんよ。最近は加茂や禪院の御老公も煩わしい思いをしていらっしゃるようですから、圧力がかけられるのも時間の問題ではありませんか?」

「あっそ……そういう情報、流してくれたりとかしないの?」

 

五条の声が低くなった。結月はスマートフォンの画面を見ながら口を開いた。

 

「んー……少しなら。知りたいことをまとめてメールで……今チャットに送ったメアドに送ってください。時間のあるときに返信しますよ。」

「わかった。」

「それでは、また今度。」

 

五条と別れてから、結月は適当な喫茶店に入った。紅茶とケーキを注文して席に着くと、知っている顔が視界に入った。

 

(裕也兄さんか?)

 

喫茶店の奥の方のテーブルで、深緑色のスーツを着た裕也が誰かと話していた。

 

(あの人、年々父親に似てくるな。仕事中のようだし見なかったことにしておこう。)

 

結月は運ばれてきたケーキを一口食べて目を瞑った。

 

(うん、中々美味だ。ここからだと高専も近いし、妹たちへの手土産にでもするか。)

 

たしか受付で持ち帰れるケーキも販売していたはずだ。鞄に入れていた懐中時計を確認すると、時間は午後二時少し前だった。ケーキを食べ終え紅茶を飲み干した結月は、使った食器を指定の台に書かれた通りに置いたあと、受付の前に並んだ。

 

「お持ち帰りで、えーと、チョコレートケーキ二つとショートケーキ二つ、モンブラン一つと……期間限定のケーキを三つお願いします。」

「かしこまりました。ホールケーキもございますが、どうされますか?」

「あー……ええと、そうですね、人数がわからないので……このベリーチョコレートのホールケーキも買います。」

「カットケーキとホールケーキ、どちらもご購入されるということでよろしいでしょうか?」

「はい、どちらもお願いします。」

「かしこまりました。」

 

テキパキとケーキを箱に入れていく店員を眺めていると、なんとなく悪いことをしたような気持ちになる。店内はそこまで混んでいるわけではないし、結月が買ったケーキが最後の一つというわけでもなかったが、ここまで大量のケーキを買う客は珍しいかもしれない。

 

(……まぁ、もう後の祭りだし堂々としておけばいいさ。ここで変な態度をとったら疾しいことがあるようにみえるだろうし。)

 

店員にお金を払って、大きな箱を二つ受け取った。結月は箱の中身に気を遣いながら人気のない場所まで歩いた。

 

(ここなら監視カメラもないな。……魔王さん、誰も見ていませんよね?)

『ああ。』

 

ケーキ箱を二つ亜空間にそっと入れた。結月は身軽になった体で呪術高専までの道を歩いた。たった10年でも、町の景色は大きく変わっていた。

 

(前来たときはここにラーメン屋さんがあったような気がするけど、潰れてしまったのだろうか?寂しいなぁ。)

 

一度も入ったことがないラーメン屋を偲びながら、結月はラーメン屋跡地のすぐ横の角を曲がった。しばらくそのまま歩くと、だんだんと灰色の人工物よりも緑の自然のほうが多くなってくる。

 

(たしかこの道に入ってすぐ……)

 

結月の予想通り、色褪せた鳥居がそこにあった。正門ではないが、高専の校舎へと続いている近道だ。

 

(懐かしいなぁ。とは言っても、まだたった10年だけれど。)

『吾子は幼いからな。瞬きの間であっても長く感じるのだろう。』

(そうかもしれませんね。ミヤとして生きていた頃のことは覚えていても、実感があまりありませんし。)

『そうだな、まぁ千年というのもあまり長いとは言えないが。』

(そうですか?)

 

 魔王にとっての人間なんて、おそらく人間にとっての蚊か蝉のようなものだろう。そんな魔王が、結月の家族や友人のことを(自分の子どもが虫籠で飼育している生き物程度に)大切にしようとしてくれている。結月はそれがありがたくて、申し訳なかった。そして、そう思いながらも家族を守るために魔王を利用する自分が悍ましかった。自分は結局利己的で弱く醜い人間なのだと思い知らされる。

 結月は陰鬱な気分を振り払うように首を振った。鳥居の向こうの階段を登っていくと、古びた木造の校舎が見えた。

 

(あれ?)

 

建物の一部が崩れた。魔王の気配が刺々しいものに変わった。結月は足音を消しながら校舎の方に向かった。

 

「何、やってんのー‼︎」

 

何かを殴った鈍い音とほとんど同じタイミングでそう叫ぶ声が響いた。結月が破壊された建物の辺りにたどり着いたとき、そこにいたのは負傷して地面に座り込んだ伏黒恵と、彼を庇うような位置に立った狗巻棘とパンダ。そして、伏黒恵を負傷させた張本人であろう東堂葵だった。

 

「あらまぁ。」

 

結月は現場の状況に既視感を覚えた。たしか、交流会の前に京都校の生徒が宣戦布告のようなことをしに来た話があったはずだ。おそらく今まさにそれが起こっているのだろう。

 

「枷場さん……⁉︎」

「やあ、恵くん、狗巻くん、久しぶりだねぇ。恵くんは怪我をしているようだけれど、治した方がいいかな?」

「しゃけ!」

「お願いします。」

 

結月は恵の傷に手を翳して反転術式を使った。恵の傷が塞がったのを確認して、結月は手を離した。

 

「終わったよ。頭の怪我は念のため家入先輩に検査してもらったほうが良いかもね。」

「ありがとうございます。」

「どういたしまして。」

 

恵が立ち上がって礼を言った。結月は恵に微笑みかけた後、辺りを見回した。

 

「おや、さっきまで東堂くんがそこにいたような気がしたのだけれど。」

「アイツなら帰ったぞ。相変わらずマイペースだな、結月。」

「しゃけ」

 

パンダが呆れたようにそう言った。その横で狗巻が頷いていた。

 

「パンダくんも久しぶりだね。夜蛾先生はお元気かな?」

「正道は元気だぞ。美々子と菜々子に会いに来たのか?アイツらなら多分もうすぐここに来ると思うぞ。」

 

パンダが首を傾げながら結月にそう言った。

 

「んー、それならここで待っていようかな。……あ、そうだ、みんなにケーキを買って来たのだよ。」

「しゃけ。昆布、明太子?」

 

結月は異能力の一つである言語能力補助(げんごのうりょくほじょ)を使って狗巻の言葉の意味を読み取った。どうやら狗巻は、手土産を持ってきたと言っている結月が、その手に何も持っていないことが気になったらしい。

 

「ああ、ケーキはあとで寮の共用の冷蔵庫まで運ぶつもりだったから今は手元にないよ。置いておくから好きなときに食べておくれ。」

「共用の冷蔵庫だと五条先生が全部食べるんじゃないですか?」

 

恵がそう言った。仮にも担任に向かって酷い言い草である。

 

「……しゃけ」

「ま、たしかにな」

 

生徒たちの言葉を聞いて結月は苦笑した。

 

「そうかなぁ?ああでも伊地知くんが五条先輩のために買ったものと混ざってしまうかもしれないね。」

「今みんなで食っちまおうぜ。よぉし、休憩だ休憩。恵、食器出しといてくれ。人数分なかったら紙皿でもいいぞ。俺と棘で真希たちを呼んでくる。先に結月と一緒に寮の方に行ってくれ。」

「わかりました。枷場さん、こっちです。」

「はぁい。」

 

寮の中は結月が在籍していた頃と何も変わらなかった。恵が談話室のエアコンをつけるのを横目で見ながら、結月は小さな鞄から紺色の風呂敷を取り出した。

 

「なんですか、それ」

「んー、まぁ手品みたいなものだよ。……さん、にぃ、いーちっと。」

 

ふわりと広げた風呂敷の下から箱を取り出したように見せる。机の上に置かれた二つの箱を見て、恵は目を丸くした。

 

「今のって……」

「私、式神を戻すような感覚で荷物も仕舞えるの。高専にはそこまで詳しく報告はしていないけれどね。小道具を使えば手品か呪具に見えるから、風呂敷は便利なのだよー。」

「……なるほど」

 

結月は箱を冷蔵庫の隙間にねじ込むと、食器棚の扉を開けた。

 

「何人いるの?」

「枷場さんを入れて八人です。俺がやりますから座っててください。」

「私はさっき食べたらから要らないかな。んー、それじゃあフォークは私が運ぶから、恵くんはお皿をお願いね。」

 

結月がそう言うと、恵は少し苦い顔をした。五条と夏油よりはマシだが、結月もわざと相手の話を聞かないところがある。恵は諦めて溜息を吐いた。

 二人が人数分の食器を机の上に置き終わった頃に、談話室の扉が開いた。パンダと棘がみんなを連れてきたようだ。

 

「ケーキどこー?」

「姉さん、連絡してくれたらよかったのに。」

 

菜々子と美々子が続けてそう言った。結月は微笑んで彼女たちの方を見た。

 

「久しぶり、美々子ちゃん菜々子ちゃん、ケーキは冷蔵庫の中だよ。偶然こちらに用事があってね。二人に会えるかどうかは分からなかったから連絡はしなかったの。」

「ふーん。」

「どのくらいこっちに居られるの?」

 

美々子の問いに結月は少し悩んでから答えた。

 

「んー、明日は仕事だから、20時くらいまでは東京に居るよ。京都に置いてきた式神で対応出来ない事があれば予定よりも早く呼び出されるかもしれないけれどね。」

「そっか。」

 

結月は妹と話し終わると、妹と一緒に部屋に入ってきた真希たちの方に顔を向けた。

 

「真希さんも久しぶりだね。そちらの子は一年生かな?」

「おう。釘崎、この人は枷場さん。美々子と菜々子の姉で東京校(うち)のOGだ。来年から京都校の校医になる予定だから仲良くしておいて損はねぇ。」

「はじめまして、よろしくねぇ。枷場結月ですー。妹もいるから呼びやすいように呼んでね。よかったら、貴女の名前を教えて欲しいな。」

 

結月がそう言うと、彼女はハキハキとした口調で答えた。

 

「はじめまして、釘崎野薔薇です。よろしくお願いします!結月さん!」

「ありがとう。釘崎さんと呼んでもいいかな?」

「はい!」

「妹たちと仲良くしてくれてありがとうね。何かあったら気軽に連絡しておくれよ。」

 

野薔薇は漫画の中の彼女よりも幾分か素直そうに見えた。結月がスマートフォンを取り出して連絡先を交換したところでパンダが声を上げた。

 

「おーい結月、ケーキってこの箱か?同じようなのが二つあるけどどっちだ。」

「あ、パンダくん、両方私が持ってきた物だよ。ケーキはカットケーキとホールケーキ両方あるから好きなものを選んでね。」

 

パンダが冷蔵庫から取り出した箱を見て、真希が呆れた顔をした。

 

「買いすぎだろ」

「今食べられなかった分はまた後でお腹が空いたら食べたらいいよ。人数が分からなかったから沢山買ってきてしまったの。余ったら五条先輩が食べるだろうし。」

「おし、お前らあのバカの分を残すなよ。」

 

真希がそう言うとみんな一斉にケーキを取り始めた。

 

「あっ、私ベリーケーキ!伏黒アンタはモンブランでしょ。さっさと取りなさいよ。」

「うるせぇな。あとなんでモンブランだよ、選ばせろ。」

「そんな顔してるじゃない。」

 

釘崎の言葉に菜々子が頷いた。

 

「分かる。伏黒ってそんな感じの顔してるわ。」

「私もベリーケーキがいい……でもショートケーキも欲しい。」

「二つ取れば?まだありそうじゃん。姉さんは何にする?」

「私はもう食べたからいいよ。」

「そう?それならいいけど。」

 

育ち盛りの高校生の口に消えていくケーキを見て、結月は感嘆した。

 

「今度はもっと買ってきても良さそうだね。」

「やめてよ姉さん、太っちゃう。」

 

菜々子がそう言った。

 

「次は日持ちするやつかフルーツがいい。」

「りょうかーい。」

 

美々子の要望にそう答えた結月が鞄を持ち上げたのを見て、菜々子が尋ねた。

 

「もう行くの?」

「うん、あまり長居しても迷惑だろうしね。」

 

結月はそう言って席を立った。

 

「ケーキありがとうございました!」

「美味かったです。」

「しゃけ!」

 

結月は微笑んで彼らに返す言葉を選んだ。昔から、結月はこういう瞬間が苦手だった。賑やかで優しい空気に慣れていないから、自分が正しく振る舞えているのか不安で仕方がなくなる。橘小夜として生きていた頃に比べて、曖昧に笑って誤魔化すのが上手くなったものだと自嘲した。

 

「ん、どういたしまして。」

 

結局、結月の口から出たのはそんな月並みでどうしようもない社交辞令だった。

 

「今度はいつ帰ってくるの?」

「うーん、お盆は忙しいからね。いつになるかは分からないかな。」

「そっか。」

「それじゃあ、またね。」

 

そう言って、結月は部屋を出た。高専を出てしばらく、あてもなく意味もなくただ歩いた。

 

「暑いな。」

 

嫌な緊張をしたあと特有のじっとりした汗が気持ち悪かった。額をハンカチで軽く抑えていると、ふわりと結月の周りの空気が冷えた。

 

「……『ありがとうございます。』」

 

柔らかい膜に覆われたように、内側と外側の空気が隔てられているのは魔王が何かをしたからだと結月は自然と諒解した。

 

『構わない。吾子のためならばこのくらいどうと言うことはない。』

(『そう、ですか?』)

 

本当に、そうなのだろうか。結月はハンカチを鞄に仕舞った。そのまま二歩、三歩と歩いたところで後ろから声をかけられた。

 

「あの、落としましたよ。」

 

鞄に仕舞ったと思っていたハンカチは、男性の手の中にあった。

 

「顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」

 

そう問いかけてくる男性は、随分と端正な顔立ちをしていた。彼のミルクティー色の髪と健康的な小麦色の肌を見て、結月の眉が一瞬動いた。引き攣りそうな顔を自然な笑みに変えて、結月は口を開いた。

 

「ああ、いえ、多分疲れているだけですよ。大丈夫です。お構いなく。ご親切にどうも。」

「そうですか。……そう言えば、先程誰かと話していませんでしたか?」

「いえ……ただの独り言ですよ。」

 

きっと良い人だ。でも苦手だった。アイスブルーの瞳を直視出来ずに、結月はそっと目を逸らした。

 

(こんなにも似た人がいるのだね。世界は違うというのに。)

 

もう忘れかけていた人でなしの顔が、目の前の男と重なって見えた。

 

「なんだかとても綺麗な響きでしたね。外国語でしょうか?」

 

結月の内心を知ってか知らずか、男はそう言って一歩結月に近づいた。

 

「あー、まぁ、おまじない、みたいな……もしかしたらそうなのかもしれませんね。私自身、どこで覚えたのかもわかりませんし。」

「へぇ、よかったら僕に教えてくれませんか?そのおまじない。」

「まぁ、はい。ええと、その、ハンカチ……」

「あっ、すみません、すっかり忘れてました。貴女と話すのが楽しくて、つい。」

 

男が照れくさそうに笑った。表情が、アイツとは違った。アレはもっと酷薄で人を蔑むような目をしていた。そのくせ、それを隠して慈悲深そうに振る舞うのだ。

 

「そうですか。」

「僕は安室透、私立探偵をしています。よかったら、これ、僕の名刺なんですけど。」

「はぁ、ええ、どうも。」

 

ハンカチと一緒に渡された名刺を受け取って、結月は口ごもった。

 

「よかったら貴女の名前を教えていただけませんか。」

 

冷や汗が出た。動悸がする。口の中が粘ついているような気がした。色褪せた地面のレンガを見た。それからゆっくりと相手の顔を見上げた。極力相手の鼻だけを見るように意識して、結月は何とか口を開いた。

 

「枷場、です。」

「ハサバさん……珍しい名字ですね。」

「ええ、まぁ。手枷足枷の枷に場所の場でハサバと読みます。」

「下の名前はなんて言うんですか?」

「結月です。結ぶにお月様の月です。」

「結月さん、素敵な名前ですね。」

「……ありがとう、ございます。」

(偽名を名乗っている奴に言われても嬉しくないがな。)

 

 話しているうちに思い出したが、安室透(コイツ)名探偵コナン(あの漫画)の登場人物じゃないか、と結月は心の中で悪態をついた。それにしても嫌いな奴に似た顔のせいで、嫌なところばかり目につくような気がする。嫌悪感を表に出さないように、結月はより一層笑みを深めた。

 

「手、冷たいですね。」

「そうかもしれませんね。ハンカチありがとうございました。」

 

そう言って礼をして、結月はハンカチと名刺を鞄に仕舞った。

 

「なにかこの後用事でもあるんですか?」

「いえ……ええ、まぁ。これから京都まで行かなくてはなりませんから。」

「えぇっ、随分遠いですね。出張ですか?」

「いいえ。」

「ではなぜ?」

 

安室がまた一歩結月に近づいた。それに比例するように、結月は一歩後ずさった。

 

「秘密、です。」

 

そう言って、結月は小さなビー玉を五つ地面に落とした。

 

(“爆花弾”!)

 

コルクの栓を抜くような音とともに広がった煙の中で、結月は猫のようにしなやかに動いた。自分の背後で単純な()に引っかかった安室のうめき声が聞こえた。これでしばらく時間が稼げるはずだ。結月はそう考えながら人気がなく入り組んだ路地を選んでとにかく走った。

 

『右だ。左の方にはアレの仲間が三人。』

(『ありがとうッ、ございます!』)

 

全身に一気に血が巡って頭が痛くなる。それを過ぎると寧ろ心地よい熱が体に篭った。そうして走り続けて、そのままの勢いで、ビルとビルの間に足をかけ屋上まで一気に駆け上がった。

 

「バナナの皮五つはやりすぎたかな……頭を打っていなければいいのだけど。」

 

爆花弾で出したバナナの皮のため、しばらくしたら跡形もなく消えてしまうはずだ。ビルの屋上で息を整えた結月は下の方で右往左往する男たちを眺めながらそうぼやいた。

 

「そう思うなら、やらないでくださいよ。」

「うわ」

「傷つくなぁそう言う反応は。ね、枷場結月さん。」




安室さんならこれくらいできるはず。
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