ハロウィンから一ヶ月もすると、渋谷の一般人がほとんど避難を終えたか、もしくは亡くなったため、運ばれてくる患者が目に見えて減った。おかげで家入と枷場は二人揃って休憩が取れるようになった。とはいえこれから怪我人が出ることは充分考えられるので、休める時にしっかり休むべく、結月は待機所に持ち込んだクッションに顔を埋めて目を閉じた。時刻は深夜である。
「うわ」
家入の声を聞いて、結月は顔を上げた。高専からの連絡はほとんど家入の持つスマホに来るようになっているのでおそらくそれだろう。
「どうしたのですか?」
「いや、入り口の方で警察と揉めてるって今連絡が来た。」
スマホの液晶に指を滑らせて、家入が気怠そうにそう言った。
「つまり、缶詰になってしまった、ということですね。」
「そゆこと。」
結月は眉を寄せた。できれば近くのコンビニでチョコレートでも買いたかったのだが。
(こんなことなら早く行っておけば……いや、揉めている中割り込んでここまで帰ってこなければならないのも嫌だな。)
結月は小さく呻いてまたクッションに顔を埋めた。ドタバタと遠くの方で騒ぐ音が聞こえる。結月は首を振って寝床から起き上がり、部屋の鍵を内側から閉めた。次の瞬間、ドアノブがガチャと勢いよく音を立てた。
「先輩」
家入が頷いた。急患なら、無言で扉を開けようとするのはおかしい。ドンドン、と扉が叩かれている。トランプカードを握りしめて、結月は息を殺した。
(ダイヤのA、2、それぞれ私と先輩の周りに結界。スペードのA、2、3は扉の前に待機。ダイヤの3は扉を抑えて、部屋の外側と内側を覆うように結界を張って。ダイヤ4、5、6はスペードA、2、3の後ろに付いて結界。ダイヤ4、5、6は必要に応じてダイヤA、2、3の補助。)
クラブとハートが全て出払っている今、カードの修理はジョーカーにしか出来ない。結月は盾役のダイヤを普段よりも多く出した。家入の手を引いて、窓と扉の死角、家具の影に蹲った。しばらくすると扉の音が変わった。拳ではなくもっと重い音だ。おそらく蹴破ることにしたのだろう。結界に阻まれていることも知らずに愚かなことだ。結月はハンカチで口を抑えた。幸い、ある程度治療を終えた患者は近くの病院に運ばれており、今ここにいる患者は一人も居ない。このまま二人で避難すれば問題ない。
「籠城」
スマホの液晶を見ながら、家入がそう言った。高専からの指示だろう。結月は少し眉を寄せた。
「了解です。ただ、一応荷物はまとめておきましょう。」
「わかった」
急いで窓のカーテンを閉じて鍵を閉め、貴重品や私物などを風呂敷にまとめて亜空間の中に放り込んだ。上着のチャック付きポケットにスマホを入れて家入の方を見れば、そちらもあらかた身支度は終えたようだった。互いに頷き、また元の場所でじっと外の様子を伺った。
扉を叩く音はしなくなり、代わりに誰かが言い争う声が聞こえるようになった。扉一枚挟んでいるとはいえ簡易的なプレハブ小屋なので、外の声はほとんどそのまま耳に届く。
(片方の声は伊地知くんか。)
もし危険なら助けに入る必要があるだろう。
(スペードA、ダイヤ4、ダイヤ5、表に出て伊地知くんを守れ。他はそのまま待機。)
式神はその姿をカードに変えて、扉の下から外に出ていった。
しばらくすると、扉がノックされた。
「失礼します、家入さん、枷場さん。開けてください。」
結月は家入を手で制して一人で扉の前に立った。
「君の名前は?念のため言ってみておくれよ。」
「伊地知潔高です。」
「それでは、潔高くんに問題を出します。女子生徒のスカートを履いたことがある、東京校に勤務している男教師は誰でしょうか?君なら知っているはずだよ。ヒントは甘いものが大好きな先輩。」
無言だった。そもそも結月は伊地知を下の名前で呼んだことなどない。伊地知なら「なにその呼び方?」「五条さんそんなことしたの?」と呆れたような怯えたような嫌悪感をほんの少し滲ませた声で返事をするはずだった。
「答えられないの?それなら、君はだあれ?」
式神を通して外を視た。扉の前にいるのは伊地知潔高の姿形をしている全くの別人だった。
『男のように見えるが女だ。』
魔王の言葉を聞いて結月は頷いた。
「女の人だね。詰め物で体格を誤魔化しているようだけれど。連絡にあった警察というのも貴女の変装かお仲間かな。いやはや、見事なものだ。」
本物の伊地知の元に辿り着いた式神を確認して結月はほっと息を吐いた。伊地知は下着姿に剥かれてトイレの個室に放置されていた。どうやら強い睡眠薬を嗅がされたらしい。
「酷いなぁ。この寒い中、パンツとタンクトップで放置だなんて。毛布くらい付けてあげてよね。」
僅かに動揺した様子の彼女を視て、結月はにやりと笑った。バンッ、と何かが結界に弾かれた。
(窓……狙撃か。)
「おやまぁ、危ないな。」
「……防弾ガラスじゃなかったはずだけど。」
伊地知の声ではない艶やかな女の声がした。
「んふ、教えてあげなぁい。」
「大人しく着いて来てくれないかしら。できれば手荒な真似はしたくないのよ。」
「んー、そうは言ってもねぇ。」
君たち非術師だけど、と結月は首を傾げた。呪術師に対して非術師が武力で脅そうだなんて臍で茶が沸かせそうだ。呪術師がその気になれば非術師などいとも容易く殺せてしまうというのに。
「困ったねぇ。」
二発、三発と銃弾が窓の外の結界に当たった。
「核爆弾くらいなら耐えられるけれど、どうする?」
「……そうね、諦めるわ。」
「おや、それではさようなら。」
はっきり言って蟻に噛まれた方が痛いくらいの襲撃(笑)だったが、彼らとしては頑張ったのかなぁと結月は思った。部屋の前から人が居なくなったのを確認して、結月は溜息を吐きながらしゃがんだ。
「多分もう安全だと思います。寝ましょう。無駄に疲れました。」
「……そうだな。」
結月は上着を脱いで、また元のように寝床に戻った。そうして風呂敷で隠しながら亜空間からクッションを取り出して、それに顔を埋めた。
「なぁ」
家入の声が聞こえた。
「はい」
「五条、そんなことしてたのか。」
「……はい。」
結月は心の中で五条に謝った。
*
「くしゅっ」
「ごめんよ、伊地知くん、私としたことが君のことを忘れて寝てしまっていた。本当にすまない……これ、生姜湯だよ。熱いから気をつけてね。」
「うん」
鼻声で頷いた伊地知を毛布で包んで、温かいマグカップを手渡した。
「とりあえず服……私のやつで申し訳ないけど」
結月がそう言うと伊地知が眉を下げた。
「ありがたいんだけど小さいんじゃ……」
「大丈夫、男物のLだよ。」
「逆になんでそんなサイズ着てるの?」
小柄で華奢な結月なら、子ども服でも充分だろうに。
「大きくて布が余っている方が落ち着くからね。秋冬の部屋着と寝巻きの上はL以上しかないよ。ズボンは流石にMだけれど。男物なのは、生地が気に入ったのがそれしかなかったからだね。」
結月はそう言ってスエットの上下を渡した。
「いやぁ命と下着は取られなくてよかったねぇ。」
「まぁ……たしかに。」
暖房の効いた部屋にいるおかげで、紙のように真っ白だった顔に色が戻っている。
「ここの飲み物に睡眠薬が混ぜられていたそうだ。」
家入がそう言ってスマホの画面を結月と伊地知に見せた。
「おや、まぁ。」
「ペットボトルの麦茶……あれ、二人は飲まなかったんですか?」
「自分で買ったものしか口に入れてないよ。」
「私も、だな。」
「なるほど」
扉が開かれた。結月はぱっとそちらを見て溜息を吐いた。
「ノックくらいしてくださいよ、伏黒さん。」
「悪い」
甚爾が面倒臭そうに頭を掻いた。
「サツが来てるぞ。」
「本物ですか?」
「さぁな。俺はお前らの護衛。」
「あら、贅沢ですね。」
結月はそう言って微笑んだ。