元便利屋は呪術と推理の世界で嘆く   作:鹿蹄草

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30 ぬいぐるみのクマタロウ

 

 

 人の声が遠い。机の上に置かれた時計を見ると、短い針が真上を指していた。人のいない校医室で、結月は溜息を吐いた。

 

(補助監督の方は、まだ渋谷の後処理で忙しそうだな。)

 

周りが忙しい中で自分だけ何もしていないとなんとなく落ち着かない気持ちになる。負傷した人の治療を終え、事務作業も終えた今、結月の仕事はない。

 

(……あそこに私がいてもコピーの手伝いくらいしかできないだろうし、かえって邪魔だろう。)

 

暇だった。結月は亜空間から取り出した本の、栞が挟まれたページを開いた。

 

『吾子や、もうすぐ昼餉の時間だろう。』

(『そうですね。食べられるうちに食べておきましょう。』)

 

椅子から立ち上がり伸びをしたところで放送のチャイムが鳴った。

 

〈枷場結月、至急、学長室までくるように。〉

 

結月は首を傾げた後、繰り返し学長の楽巌寺の声で行われる放送を聞いて眉を寄せた。

 

「なんだろうねぇ。」

 

そうぼやきながら、結月は校医室の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

「失礼します。枷場です。」

「入れ。」

「はい。」

 

学長室に入ると、そこには楽巌寺と見知らぬ男が二人いた。結月はまず楽巌寺の方に顔を向けて頭を下げた。

 

「おはようございます学長先生。」

「おはよう。」

 

発言してよいものか迷う。男達が楽巌寺と向かい合うように座っているのを見て、結月は楽巌寺の斜め後ろに立った。

 

「座りなさい。」

「はい。ありがとうございます。」

 

楽巌寺に促されてから、結月はなるべく上品にゆっくりと椅子に腰掛けた。柔らかいクッションが心地よい。

 

(やはり値段も高いのだろうなぁ。)

 

飴色の革が艶々として非常に品が良い。権力者の部屋に相応しい椅子だ。

 

「枷場、こちらは警察庁が手配したお主の護衛だ。」

「あら、まぁ……」

 

結月は口元に手をやって、小さく首を傾げた。

 

「剣呑ですね。」

「向こうの言い分だとお主を狙う非術師の犯罪組織があるそうだ。」

「それは困りましたね。護衛ですか……私如きに必要(・・)なのでしょうか?」

 

態と自分を下げた表現をした。仮にも呪術師に非術師の護衛をつけるなら天与呪縛、少なくとも禪院真希程度の人材でなければ意味がない。結月の目の前にいる男達はなんの変哲もない非術師で、多少鍛えられているようには見えるがそれだけだった。

 

「そう言うな。探られて痛い腹もあるまい。」

「そうですねぇ。」

 

監視も兼ねているということらしい。結月は傾けていた首を元に戻した。

 

「えーと、これからよろしくお願いしますね。ご存知かもしれませんが枷場結月と申します。」

 

男達は無言で礼をした。名乗るつもりは無いらしい。

 

『不敬』

(『まぁ、否定はしません。……彼らにも彼らの立場というものがあるのかもしれませんね。』)

 

結月は苦笑した。

 

 

 

 

 

 

学長室から校医室までの廊下を三人で歩いた。

 

「お昼はどうしましょうか。お二人はもう済ませましたか?それともまだでしょうか?」

「……は、いえ、我々は」

「おい」

 

結月の問いに片方が答えようとするともう片方がそれを遮った。

 

「えぇと、近くにコンビニがあります。お弁当がないならそこで……ここ、少し辺鄙でしょう?外食屋さんはないのですよ。」

「お気遣いありがとうございます。心配はご無用です。」

「そうですか。」

 

結月は目を伏せた。溜息を吐きたい気持ちを堪えて、引きつりそうな笑顔のまま窓の外を見ると椿の木が見えた。

 

(もうすぐ春か。)

 

赤い椿が地面に落ちている。寒さも少し和らいでいるような気がした。最近は怪我人の治療を現場に派遣した式神にやらせることも増えた。念のため治療した後に校医室に来るように伝えているが任務で忙しい術師たちは中々枷場の元に訪れない。

 

(まぁ警察の方からの護衛もとい監視の話は既に広まっているだろうから余計に暇になるだろうな。)

 

結月は校医室の扉を開けた。

 

「私はこれから昼食をとります。えーと、護衛は部屋の外と中、どちらの方が都合が良いですか?」

「どちらでも構いません。」

「そうですか。それなら、外は冷えるでしょうから中にどうぞ。」

 

部屋の中にはカーテンの付いたベッドと柔らかいソファと机がある。一般的な学校の保健室とほぼ変わらないつくりだ。手術室は高専の中の別の場所にあるため、ここはほとんど結月の休憩室のようになっていた。

 

「よければそちらのソファにおかけ下さい。」

 

結月が促すと二人はソファの上にあるものに目を向けた。

 

「……ああ、それのことは気にしないで下さい。趣味で作ったものですが、まぁ部屋の雰囲気を和らげるためにそこに置いているのです。」

 

ソファの上には大小様々な種類のぬいぐるみがあった。

 

「お邪魔になるようでしたらソファの脇に置いてある籠に入れて下さいな。」

「あ、はい。でもすごいですね。こんな大きなぬいぐるみ、自分で作ったんですか?」

 

そう言って、ぬいぐるみを持ち上げた男が結月を見た。

 

「ええ。それは学生時代に作ったものです。」

 

部屋に置かれているぬいぐるみは全て夜蛾が作っている呪骸を参考にして作った呪具だ。一際大きなそれは結月が最初に作った試作品だった。今でもたまに手を加えて新しい機能を付けたり服を着せたりと改良を続けている手の込んだ逸品である。

 

「その子は物知りでお喋りなのですよ。クマタロウくんという名前なのです。」

「え?」

「やぁ、こんにちは。」

「へ、は?うわぁ⁉︎」

 

男がぬいぐるみを放り投げた。ボスッとソファの上に叩きつけられたぬいぐるみは、クッションとぬいぐるみの山の上を二、三度飛び跳ねてからむくりと体を起こした。

 

「ひどいなぁ。ぼく、まだ何もしていないのに。」

「しゃべっ⁉︎」

 

男二人がのけぞったのを見て結月は思わず笑った。

 

「おはようございます、お元気ですか?」

 

優しく声をかけると、ぬいぐるみは結月を見上げた。

 

「おはよう、マスター。クマタロウのエネルギー残量は28%だよ!お腹すいちゃった!」

 

クマタロウは元気よく両手を挙げた。

 

「それはいけない。燃料をどうぞ。」

 

結月は群青色の鈍く光る結晶をクマタロウに手渡した。

 

「ありがとう!いただきまーす!」

 

クマタロウはそう言うと、受け取った結晶を自分の胸元に埋め込まれた薄い色の石に押し付けた。まるでスライムのように形を変えて押し付けられた結晶を飲み込んだ石は、最初とは比べ物にならないほど鮮やかな青に染まっていた。

 

「充填率78%!腹八分目ってところかな。」

「おや、もう一欠片差し上げましょうか?」

「うーん、後で食べる用に一つちょうだい。」

「どうぞ。」

 

先ほどよりも小ぶりな石のかけらを結月の手から受け取ると、クマタロウは自分の首にかけられた小さな巾着袋にそれを入れた。

 

「……ペットロボットですか?」

「そうですねぇ、まぁ似たようなものです。」

 

結月は眉を下げて微笑んだ。護衛の男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「マスター!万魔殿の猫からの報告だよ。異常なし。引き続き見守りを継続、だってさ!」

 

クマタロウが結月の着ている白衣の裾を引いた。

 

「ありがとうクマタロウ。」

「どういたしまして!それじゃあ、クマタロウは待機モードに移行するよ!必要なときに声をかけてね!」

 

クマタロウはそう言うと、ぬいぐるみの山の中に戻り静かに座った。

 

「すごいですね……こんなに流暢に会話できるなんて。」

「まぁ予め設定したように人間の言葉を真似ているだけですから、これを会話と言ってよいのかは疑問ですね。この子には私がこの部屋に居ない時の対応を任せています。簡単な雑用も熟せるのですよ。」

 

結月はそう言いながら鞄の中に手を入れ、二人から見えないように手元を隠しながら亜空間の中にある小さな弁当箱を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 クマタロウに意思と呼べるものはない。ただひたすらに主人の命令に忠実な僕である。クマタロウが無邪気な少年のように振る舞うのも主人がそう望んでいるからだった。無遠慮で愛嬌がある方が情報収集には都合が良い。クマタロウの主な役割は情報の収集と整理、結月から離れて活動している式神の統括、それから主人への報告だ。

 クマタロウに休みはない。丑三つ時の京都高専の校医室、誰もいない暗い部屋で彼は静かに稼働していた。

 

「……?」

 

クマタロウはふと首を傾げた。

 

「君は誰?僕の中に入ろうとしてるみたいだけど、その技術じゃあ無理だよ?」

 

新しく取り付けられた機能が不具合を起こしている。いち早く主人に報告するべき事態だが、その前にできるだけ情報が欲しい。クマタロウはそう判断した。

 

「そもそも仕組みが違うんだ。君は……この世界にしてはかなり高度な人工知能みたいだけど。話がしたいならそこの端末に入りなよ。そっちは普通のネット規格だから。」

 

クマタロウはそう言って、近くに置かれていたスマートフォンの方に顔を向けた。結月が中古で購入した型落ち品のそれが暗闇の中で白く光った。

 

「こんばんは!」

「……こんばんは。」

「僕の名前はクマタロウ!君の名前を教えてよ!」

 

相手は沈黙した。クマタロウは不貞腐れたように見える態度になった。

 

「失礼なヤツだなぁ。それとも名前がないのかな?」

 

目の前にいるチンケな相手の情報を瞬時にくまなく調べるのはクマタロウにとって息を吸って吐くよりも簡単なことだ。(もっとも、これはものの例えであり実際に彼が生き物のように呼吸できるわけではない。)敢えてそれをしないのは、クマタロウなりに相手に敬意を持って接するためだった。彼の美学と言い換えても良い。いや、彼のというよりは彼を作った結月の美学かもしれない。クマタロウの価値観はほとんど結月のそれと同じだからだ。

 

「僕はノア。ごめんなさい、少し戸惑っていたんだ。まさか僕と同じような存在がいるとは思わなかったから。」

「ふぅん。」

 

クマタロウは首を傾げた。

 

「まさか無から唐突に生えたわけでもあるまいし、君の試作品とか兄弟みたいなのはいないの?」

「えぇと……僕を作った人は僕を逃した後に死んじゃったから。」

「……ごめんなさい。言いにくいことを言わせちゃった。お悔やみ申し上げるよ。君のような素晴らしい人工知能を作るくらいだからきっと優秀な技術者だったんだろうね。」

 

クマタロウは普段よりも落ち着いた声でそう言った。

 

「すごく……すごく賢い人だった。」

 

クマタロウは黙ってノアの言葉を待った。

 

「ジャック・ザ・リッパーって知ってる?」

「殺人鬼だよね、大昔のイギリスの。」

「僕を作った人はそいつに殺されたんだ。」

 

クマタロウは首を傾げた。

 

「それって比喩表現?それともそのままの意味?」

「……自殺だよ。でも殺されたようなものだ。追い詰められてた。」

「そっか。」

 

窓の外はまだ暗い。クマタロウは無言で結月に報告する内容を整理しはじめた。

 

「ねえ」

「……なに?」

 

クマタロウの反応が少し遅れた。

 

「またここに来てもいいかな?」

「構わないよ。」

「よかった。……さようなら。」

「うん、また今度。」

 

スマートフォンの画面が蝋燭の火を消したように暗くなった。液晶の発する光で薄ぼんやりと明るかった部屋は再び優しい暗闇に包まれた。

 

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