風見のキャラが好き、という感想をぼちぼち頂いております。
オリ主が誉められるというのは嬉しいものですね。
感想をくださった皆様、本当にありがとうございます。
労働とは悪である。
世の中の大半の労働は、その辛さに対しての賃金が見合っていない。それは別にリコリスに限った話ではなく、サラリーマンを初めとするあらゆる職種がそうではなかろうか。
人ひとりがどれだけ生身を磨り減らして努力しようと、社会に与える影響など微々たるものにすぎない。はっきり言って、生身を磨り減らす価値がないとさえ言えるほどに。
つまり労働とは、誰もが少しずつ損をするシステムでしかないのだ。
「
ならばその短い時間が少しでも楽しく幸せであれと願うのは、人としてなんら可笑しくはないはずだ。
そもそも雇用と被雇用という関係が、使う者と使われる者という関係に変化しているのも気にくわない。両者共にそんな誤解をしているから、ブラック企業というのは何世紀経っても絶滅しないのだ。
それに加え──いや、よそう。つらつらと詭弁を語るのは私らしくない。ここはスパッと明朗快活に結論を言おう。
「私は! 働きたく! ないんだよ!」
魂からの絶叫は、客の一人もいないリコリコの店内に虚しく響いた。結果、私に残ったのは叫んだ反動で疼いた傷の痛みだけ。
「そこ! 意味分からない持論を宣教しない」
「風見は少し黙っていてください」
「親の脛を齧り続ける、クソニートみたいなこと言ってるわね」
三者三様の罵倒が満身創痍の体に染みる。半分が優しさの痛み止めがほしい。
もう私を拒絶しないのは君だけだよナットちゃん。……なんだ、ゲームしてるだけか。
──先日の地下鉄爆発に巻き込まれた私は、全身に酷い怪我を負っていた。裂傷に打撲痕、肋骨には皹まで入ったらしい。全身に生傷や痣を作った少女というのは、とにかく痛々しい見た目だ。
たきなちゃんにひざ枕をお願いしたら、渋々ながら受け入れてくれたことからも、その酷さが分かるというものだろう。
さて、そんなたきなちゃんのフトモモの柔らかさを堪能していたおり、千束ちゃんが次のお仕事の話を始めた。
…始めてしまった。始めやがった。
ふざけるなという話である。私はまだ完治してないんだぞ。叫んだだけで体が痛むのに、護衛の仕事なんて出来るわけがない。
ということで、私は非労働運動を展開していたわけだ。残念ながら誰も耳を貸してはくれなかったけど。耳は貸してくれないのに、白い目はくれたけど!
なんだろう……体勢が悪いのかな。まあ確かに寝そべってても話を聞いてもらえるのは、寝仏くらいなものだろう。むしろ寝仏も起きろよとすら思う。
…いやしかし、たきなちゃんのフトモモから離れることなんて出来るわけがない。下から見上げる和服たきなちゃんは、日本三景のひとつに数えられても良いくらい素晴らしい光景だ。絶景かな絶景かな。
「もっと私を労ってよ! 痛々しい私を労って! たきなちゃん私の頭を撫でてぇ」
「えっ…あっ、はい。よしよし…」
「ふぇぇぇ。バブバブ~」
ひざ枕からの頭ナデナデの赤ちゃんプレイコンボ。知能指数が下がっていく。だが、それでいい。
「わたしおおきくなったらたきなちゃんとけっこんするー」
「…確かに痛々しいわね」
「痛々しいっていうか
ミズキと千束ちゃんが絶対零度の視線を向けてくる。だが、今の私にその攻撃は効かない。こうかはいまひとつのようだ。
実際、痛みに対して幸福は特効薬だったりする。モルヒネ薬を筆頭に、鎮痛と多幸感は切っても切り離せない関係だ。
つまり全身を鈍痛に苛まれている私には、たきなちゃんにバブバブする権利がある!
「……まあいいや。説明続けるよー」
「どうぞー」
「依頼人は72歳男性、日本人。過去に妻子を何者かに殺害され、自分も命を狙われたために、アメリカで長らく避難していた」
「はい千束たいちょー」
「なんだね風見隊員」
「命を狙われたからアメリカに避難するってどういうロジックですか?」
「えっ……?」
妻も子供も殺されて、尚且つ自分も命を狙われたのなら、それは個人的な恨みか組織的な陰謀か……まあなんであれ、どこに避難したって危険度は変わらないはずだ。むしろ、表向きとはいえ「世界一平和な都市」の看板を持つ東京に留まるのが最良の選択に思える。
私の疑問に目を泳がせた千束ちゃんは「えっと」だの「んー」だの唸ったのち、諦めたようにスッキリとした顔になった。
「分かりません!」
「はい。では続きをどうぞ」
「えっ!? 良いんですか?」
あまりに不審な点をあっさり流した私の顔を、たきなちゃんが驚いたように覗き込む。
「まあ、護衛対象の来歴なんて気にしすぎてもね。ちょっと不審なくらいは目を瞑ってあげるのが、イイ女の度量ってもんだよ」
「イイ女、ですか?」
「そうそう。相手のことを何でもかんでも知りたいと思うのは悪いことじゃないけど、隠し事のひとつやふたつは受け入れてあげなきゃね。それができないからミズキは結婚でぎぃぃいだだだっ!? ──こ、このようにすぐ暴力をふるうのもモテな゛あ゛あ゛ぁぁぁっ! 痛い痛い耳千切れる!!」
「──ミズキさん。そのくらいで…」
たきなちゃんの一声でやっと解放される私の耳。危うく髪を耳にかけるという微エロ仕草が出来ない体になるところだった。耳って意外と簡単に千切れるから気を付けてほしい。
「はいそこ遊ばない! 話続けるよ」
どこまで読んだっけな、と千束ちゃんの指が端末をなぞる。
「…あっ、ここだ。えーと、現在は…きん…きん…」
「
「あー、ALSかぁ……」
筋萎縮性側索硬化症とは運動ニューロン疾患のひとつで、ALSと略される指定難病だ。
その症状は多岐に渡るが、今回最も問題になりそうなのは筋力低下や痙縮──すなわち自力で動けない可能性があるということだ。
「自分では動けないのでは?」
「そう! 去年余命宣告を受けたことで最期に故郷の日本、それも東京を見て回りたいって」
「観光、ですか?」
「泣ける話でしょう……要するに、まだ命を狙われている可能性があるためbodyguardします!」
「うわ……千束ちゃんが好きそうな話だ。それでやる気なのか」
まあ、そこまでやる気なら仕方ない。体の節々が痛んで気が進まないけど、千束ちゃんが張り切ってるなら我慢しよう。千束ちゃんの笑顔にはそれだけの価値がある。
◆
「ん……来たかな?」
リコリコの目の前に車が止まる気配がした。ひとつ間を空けて、控えめなドアベルが鳴る。開け放たれた扉から朝の陽光と共に現れたのは、車椅子に座った老齢の男性だった。
「遠いところ、ようこそ」
『少し早かったですかね? 楽しみだったもので』
最新の電動車椅子に電子ゴーグル、そして機械音声。車椅子と機械音声はおそらく体が動かないから、ゴーグルは眼球運動障害を補助するための器具だろう。
思わずぎょっとして不躾な視線を向けてしまう。
そんな反応も慣れたものなのだろう。敏感にそれを察した松下さんは、車椅子の向きを私たちの方に向けた。
『今や機械に生かされているのです。可笑しく思うでしょ?』
私は否定するために首を振った。確かに驚きはしたけど、可笑しくなんて思いはしない。
千束ちゃんも同じで、両手を胸の前で振りながら否定の言葉を紡いだ。
「そんなことないですよ。私も同じですから。ここに…」
『ペースメーカーですか?』
「いえ、まるごと機械なんです」
「えっ…」
たきなちゃんが驚いたように声を漏らす。私も声こそ出さなかったが、内心では驚いていた。
人間の運動能力と心臓には密接な関係がある。当然リコリスには強靭な心肺機能が求められ、定期検診でも特別重視される項目だ。
故に、千束ちゃんがライセンスを更新できているということは、その人工心臓は本物の心臓と遜色ない機能を備えているということになる。
心臓とは神秘の臓器だ。単純そうに見えて複雑怪奇。現代の科学力をもってしても、そんな強靭な機械心臓が作れるとは思えない。
──これはアレだな。あくまで学術的なアレのアレに興味があるから、直接触ってアレを確かめないとな。
「どれどれ…」
「こらっ!」
「つっ…!? …痛いじゃないか千束ちゃん!」
「痛いじゃないか、じゃないわ! いきなり乳を触ろうとするな」
「え……いや違う違う。乳を
「私は『揉む』なんて一言も言ってないけど?」
「あっ……やべっ、語るに落ちちゃった」
冗談はさておき、実は私は本当に千束ちゃんの人工心臓とやらに深い興味があった。
まあしかし、千束ちゃんのガードは鉄壁だ。不意を突くならまだしも、真正面から攻略するのはさすがの私も不可能。ここは大人しく引き下がろう。
「よしっ。できたぞー」
『おお! これは素晴らしい』
私と千束ちゃんがじゃれている間にナットちゃんが旅のしおりをデータ化してくれたようだ。仕事の出来る子である。依頼人さんにも好評のようで何よりだ。
「では! 東京観光、しゅっぱーつ!」
「しんこー!」
◆
浅草寺に五重塔、阿波おどり、etc…。
水上バスを使って移動しているといえど、それなりにハイペースで東京を巡った。一ヶ所一ヶ所の滞在時間はどうしたって短くなるけど、それでも満足感が高いのはこの旅のしおりのおかげだろう。観光雑誌なんて目じゃないくらいに作り込まれていて、千束ちゃんがこの仕事にかける熱量が伝わってくるようだ。
『あれが
麗らかな陽光美しく、隅田川の上を水上バスが滑るように移動していく。カモメの綺麗な歌声とキラキラと光る波立った水面が良い雰囲気だ。船体が大きいというのもあるだろうが、揺れも少なくて心地好い。
千束ちゃんが指差した遠くに見える高い塔は、延空木と名の付けられた新しい電波塔だ。次は爆破されないように気を付けていただきたい。
「11月には完成らしいです」
『設計に知り合いが関わっているんです』
「えぇ!? すごっ!!」
『そう、彼は未来に凄いものを残している』
「じゃあ完成したら、見に来てくださいね。またご案内しますよ」
『……』
「……」
『…ええ。またお願いします。君は素晴らしいガイドだからね』
その言葉に千束ちゃんは嬉しそうに目を細めさせ、とても大人っぽく笑った。
『今日は暑いですね。ちょっと中で休ませてもらいます』
そう言って、彼は船内に消えていく。その後ろ姿が、一瞬だけ消え行く蝋燭の灯火のように見えた。
「──どうぞ」
デッキに残った私たちに、たきなちゃんが缶ジュースを手渡してくれる。
「喜んでもらえてるみたいですね」
「私、良いガイドだって。才能あるかも」
「依頼者の警護が優先ですよ」
「そうだね……そうだった」
そう…すっかり楽しんでいたが、松下さんは命を狙われているのだ。私たちはガイドじゃなくてボディガード。
千束ちゃんもそれを思い出して、複雑な表情で天を見上げる。胸のキーホルダーが揺れた。
たきなちゃんはそんな千束ちゃんの胸に視線を注いでいる。分かるよ、たきなちゃん。揉みたくなるよね。
「…今朝の話、本当なんですか?」
「あー、胸のことね。本当だよ。鼓動なくてビックリしたけど、すごいのよこれ」
その言葉を聞いたたきなちゃんがおもむろに千束ちゃんの胸に手を伸ばした。
………いや、えっ!? 急に!?
あまりにもナチュラルなパイタッチ。私じゃなきゃ見逃しちゃうね。
「ちょいちょいちょいちょい!?」
「…確かめようと思って」
「良いけど。公衆の面前で乳を触るな!」
「そうだぞたきなちゃん。女の子の胸をいきなり触ろうとするなんてセクハラだぞ」
「どの口が言ってるんですか」
そこまで言わなくても良いじゃないですかやだー。
…というか今、さらっと凄いことを聞いた気がする。
「──えっ、てか千束ちゃんの乳触って良いの!? 今そう言ったよね?」
「あ、風見はダメ。たきなだけね」
「どうしてだよぉぉぉ」
「カイジっぽく言ってもダメ」
そんな……私は人工心臓の話を聞く前から何度も狙っていたのに。こんなにも一途に千束ちゃんのおっぱいを想っていたのに!
突然横合いからたきなちゃんに掻っ攫われるなんて……。これが巷で噂のネトラレか。
…ああ、でもなんだろう。この倒錯的な快感は……。すごく悲しいのに、ちょっとだけ興奮する!
「…なんでビクンビクンしてんの?」
「公衆の面前で奇行に走らないでください」
はい申し訳ありません。
◆
『さっきから付いてきてる奴、ジン、暗殺者。その静かな仕事ぶりから“サイレントジン”とも呼ばれてる、ベテランの殺し屋だとさ』
美術館に入ってすぐ、オペレーターのナットちゃんからそんな通信が入った。…半笑いで。
気持ちはよく分かる。黒ずくめの人かな、とか思っちゃうよね。ウォッカがいる可能性も考慮すべきかもしれない。
話は変わるが、私もお酒のコードネームがほしい。セックス・オン・ザ・ビーチとかどうだろうか?
──なんて冗談を言っている場合ではない。狙撃の可能性がある以上、ジンを放っておくわけにはいかない。
『予定変更。避難させてこちらからひとり打って出るべきだ。予備のドローンとミズキでジンを見付け次第、攻撃に出る』
『そっちが美術館出たら車回すよ』
「…分かった」
しかしてその作戦も上手くはいかず。すぐにミズキの悲鳴とインカムが壊れる音が聞こえてくる。アーメン。惜しいやつを失った。
『──ミズキと連絡が途絶えた。ジンが仕掛けてくるぞ!』
「私に任せてください」
「ちょっ、たきな!」
勇んで飛び出していくたきなちゃんと、車椅子から手が離せない千束ちゃん。
「千束ちゃんはここに。私が行く」
たきなちゃんの実力は分かっているが、相手はプロ。戦力を多めに投入するのは間違った判断じゃないはずだ。
銃を取り出して発射準備を完了させながら、インカムを小突いてナットちゃんに話しかける。
「ナットちゃん、状況は?」
『ドローンは今飛ばしたところだ。十分は掛かる。監視カメラをハッキングしたから今から顔認証にかける。二人は出入口に向かって、目視で確認してくれ』
「りょう──」
『ちょっと待て!』
「どした?」
『ミズキがジンに発信器を付けてた。死んでもこっちに情報を遺した!』
「よくやった故ミズキ。で、
『もう美術館には来てる』
「外ですか、中で──」
「やっぱ答えなくて良いよ!」
鋭敏に尖らせた感覚の糸に、男の気配が引っ掛かった。瞬間、背筋が粟立つような気配が襲う。
直感を信じてたきなちゃんを押し倒すと、頭があった位置を鉛弾が駆け抜けていった。振り替える手間すら惜しんで撃ち返すが、防弾素材の何かに阻まれる音が響くだけ。
「ちっ…」
私とたきなちゃんが銃を構えると、下手人は追撃せずに逃走を選択した。不利な撃ち合いには応じず、ターゲットの始末を優先したのだろう。さすがはプロ。冷静な判断だ。
だけど、それは悪手だ。
「えっ、ちょ!!」
私の強みは機動力だ。瞬発力に恵まれた私は、悪地形を走るのが何よりも得意。直線的なトラックを走るのならいざ知らず、都会のビル群で鬼ごっこして私に勝てる者はいないだろう。
「たきなちゃんは後で追い付いて!」
たきなちゃんを置き去りに走り出す。独断専行感は否めないが人命優先ということで勘弁してほしい。
アスファルトと鉄筋コンクリートのジャングルをしばし駆け回ると、暑苦しい黒コートの背中が見え始めた。私は足を止めずに銃を向けて、命中率度外視で乱射する。
「きゃー! サイレントジンさん待ってぇぇ! ファンなんですぅ~!」
「……」
「…もぉ~、照れてるのかしら? 仕方ないボウヤね。私がイイコトを手取り足取り教えてア・ゲ・ル」
「……」
「…何か言えやぁ!」
返ってこない軽口にイラッとしつつ、距離をじわじわ詰めていく。これなら直ぐにでも追い付くだろう。
しかし相手も名のあるプロ。逃げきるのが不可能と見るや、すかさず工事現場に駆け込んだ。
もちろん私も追って突入するが、シートに囲まれた屋内は薄暗く、積まれた鉄骨や資材のせいで視界が優れない。おまけにジンを見失ってしまう始末。
「工事現場……ゲリラ戦か…」
銃を正眼に構えたままゆっくりと進む。ジンは既に気配すら感じられなくなっていた。プロが本気で気配を消せば、これほどに察知できないものなのか…。
ここは慎重に──
「あぶなっ!?」
背筋を走った怖気。直感に全てを委ねて、地面を転がる。瞬間、弾丸の軌跡が煌めく。
危ない危ない。避けなければ、脳漿炸裂ガールになるところだった。実を言えばちょっと肌を掠ったけど、今さらこの程度の傷が増えたところで関係ない。
慌てて弾が飛んできた方向に銃を向けるが、ジンの影もカタチもありはしない。既に移動した後だろう。
今のは運良く避けられたが、これはちょっとマズイ状況だ。
「──ちっ!」
さっきとはまた違う方向から弾丸が飛んでくる。物陰に飛び込んでやり過ごし、負けじと撃ち返すが、やはり手応えはなかった。
…ジリ貧だ。悔しいけど、このまま続けても勝ち目はなさそう。たぶんこれは、ジンが得意とする必勝パターンなのだろう。
しかしもちろん、ただでやられてやる私ではない。じわじわ削られていくのを待つくらいなら、自分から打って出るのが私という女だ。女は度胸も愛嬌もあってこそである。
──とはいえ、まずはジンを見付けないことにはどうしようもない。
かといって、気配で居場所を探るのは無理だ。その分野はジンの方が一枚上手であることは良く分かった。
『どうしたんだ! 風見! 状況が分からない。応答してくれ!』
騒がしいインカムを外し、電源を切る。
…集中…集中。
自分の中のナニカが一段階深まるのを確認してから頭の右上で一発、左上で一発ずつ発砲した。
人間は情報の8割を視覚から得ているのは有名だが、実は聴覚が優秀な動物でもある。それは訓練すればエコロケーションを習得することもできるほどに。目が見えない人が「チッチッ」と舌で音を鳴らしながら生活しているのは、その音を反射させて周囲の状況を把握するためらしい。
リコリス流英才教育を受けて育った私は特殊な技能をたくさん持っている。例えばそれはトリックショットだったり、二丁持ちだったり……エコロケーションだったり。
私の頭上で発生した発砲音は無音の工事現場でよく反響した。その音は鉄骨や資材、そしてどこかにいるジンに当たって、私の耳に返ってくる。
全ての神経を耳に集中させるように音を聞き、脳内に図面を引いていく。さすがに3Dマップのような精密さはないけれど、ジンがどの方向にいるのかは簡単に分かった。
再度物陰から姿を現したジンが、銃口を此方に向けている。三度目の奇襲。
だが今回奇襲を受けるのは私じゃなくてジンの方だ。
「──今度は逃がさないよ」
決意と忠告、両方の意味で言葉にして、マインドを切り替える。より深みに落ちていくような感覚。
──私なら出来る。
全てを完了させた瞬間、サイレンサーを通した鈍い発砲音が五回鳴った。
放たれた弾丸。一発目と二発目は左右の退路を塞ぐための牽制。反応する必要はない。しかし三発目は眉間。当たれば即死。
四発目はサイドにステップしてかわし、五発目は下に沈み込んで避ける。
物言わぬヒットマンから僅かな動揺の気配が感じられた。一瞬だけ手元の筋肉がまごつくのが見て取れる。私はこれ幸いにと加速し、此彼の距離をさらに詰めた。
「…っ!」
半分やけくそ気味に至近距離で放たれた六発目も当然分かっている。発射寸前で大きくジャンプして飛び越え、勢いそのまま顔面にライダーキックをプレゼントした。
「ふっ…またつまらぬものを蹴ってしまった──あっ、たきなちゃん」
ヤバい、見られた……いや、五ェ門ごっこの方じゃなくてね。いやそっちも恥ずかしいんだけどね。
…。
「…今のは千束の──」
「たきなちゃん」
唇の前に一本指を立ててから、その指でたきなちゃんの耳を指差す。
私のジェスチャーにたきなちゃんは眉を潜めたが、自分の耳にインカムがあることに気がつくと、それ以上は追及してこなかった。
私はそれに満足げに微笑み、自分のインカムにも電源を入れる。
「ミカ? ジンは気絶させた。回収お願い」
『そうか……はぁ。それは良かったが、あまり心配させるな』
「ごめんなさいませー」
『…今ミズキを向かわせている。二人はミズキが到着し次第千束と合流。千束は念のため警護を続けろ』
『了解』
あ~、終わったぁ。もう体の至るところがジンジン痛い。ジンだけに。…はいごめんなさい。
患部を擦っていると、たきなちゃんがまだ訝しげな視線を向けてきてたので「また後でね」という意味を込めてウインクする。
しかし、たきなちゃんはキョトンと首を傾げた。キュートな仕草だ。でも残念。アイコンタクトは失敗したようだ。
◆
「いっぱい話して良いガイドって言ってくれたのも、全部嘘か…」
意気消沈とした千束ちゃんの声が、閉店後のリコリコに空鳴る。座敷に寝そべった千束ちゃんは全身をもって落胆を表現していた。
それもまあ、仕方のないことだろう。
松下さんが実は遠隔で操作されていただけの廃人でした、なんて、私ですらちょっとモヤっとする結末だ。今回の仕事に並々ならぬ熱意を持っていた千束ちゃんなら、私の比じゃなく傷付いたことは想像に難くない。
「良いガイドだったのは、嘘じゃないと思います」
…ふと思ったけど、たきなちゃんは結構丸くなったと思う。ちょっと前までなら、あの口からフォローの言葉が出ることはなかったはずだ。
たきなちゃんが良い方向に成長してるみたいで、私は嬉しい。
たぶんだけど、千束ちゃんも同じ事を考えているだろう。だから逡巡するように返答を遅らせて──
「…ありがと」
最終的に、それだけ答えた。
──という光景を、私は二階から覗き見していた。
なぜ覗き見していたのかと問われれば、特に理由はないと答えるしかない。なんとなく忍者ごっこをしていただけだ。我ながら何言ってるのか分からん。
…しかし何というかまあ……イイ。
以前、ノゾキは趣味じゃないみたいなこと言ったけど、それは完全に撤回しよう。これは素晴らしい。第三者視点で聞く密談。見てはいけないもの見ているという背徳感。
実に素晴らしい。ジャパニーズのヘンタイ文化には驚かされるばかりだ。無形文化遺産に登録すべきである。
そんな史上最もくだらないことを考えていると、たきなちゃんがおもむろに寝そべる千束ちゃんの胸へと頭を下ろした。おっとぉ…。
「ちょいちょいちょい…」
「今は他の人いませんよ」
「……」
あーね。人工心臓の話か。なら納得……ってそんなわけあるかぁ!
…と、一人遊びをしつつもやはりノゾキはやめられない。
おー…これはいい百合ですわ~。重なって寝そべる美少女の図。これも日本三景のひとつにすべきですね。
ありがたいので取りあえず写真に撮っておこう。これを人は盗撮と呼びます。
それでは。ハイチー…あ、千束ちゃんと目が合った。でも気にせずパシャリ。
「…なに撮ってる」
「およ? バレちゃったか…」
「居たんですか」
「ずっといたよー」
むしろ本当に気付かれてなかったことに驚きである。もしかしたら私、忍者の才能があるのかもしれない。アイエエエエ! ニンジャ!? ニンジャナンデ!?
「ていうか何で撮ったの? 何かハズいから消してよ」
「消さないよ。別に良いでしょ。ホーム画面の壁紙にするだけだから」
「盗撮写真をホーム画面にするとかストーカーか!」
なんのことだか分からない。
私はきょとんとした顔をした。
「いやいや。どうしてそこまで無垢な顔が出来るの」
「例えばさ、千束ちゃん。もし
「どういうことだよ」
「…まるで意味が分かりませんね」
今日も私は四面楚歌だった。
「…ぶーぶー。分かったよ。壁紙の変更はしない。それでいい? 千束ちゃん」
「それならよし」
「マジで!? やったー!!! 公認だー!!!」
「…なんですかいきなり」
バカを見る目で私を見てくる二人にドヤ顔でスマホの画面を向ける。気分は水戸黄門。この壁紙が目に入らぬか!
二階から見せてるから結構な距離があるけど、リコリスの視力なら普通に見えるだろう。
…千束ちゃんのギャン泣き写真が。
「あ、あぁぁぁぁぁ! 何でソレ持って……壁紙にするなー!」
「いやー……でもさっき、変えなくて良いって千束ちゃんに許可もらったしなぁ。ね、たきなちゃん?」
「はい、確かに聞きました」
「ズルじゃん! こんなの詐欺じゃん!」
「千束、あまり暴れないでください。揺れて気持ち悪いです」
「あっ、ごめ……いや、そろそろ頭どかしてよ」
「嫌です」
頑なに頭をどかさないたきなちゃんVS今すぐ私のスマホから写真を消したい千束ちゃん。美少女二人の組んず解れつを見ながら、私は幸せな気分に浸っていた。
◆
天を仰げど星は見えず。東京の賑やかさは嫌いじゃないけど、私はネオンより星空派だ。見上げた空に星がないのは、少し寂しいと感じてしまう。
天を仰ぐ、という慣用句は良くできた言葉だと思う。まさしく現在進行形で空を見上げている私は、確かに困っていた。
「……」
「……」
並んで歩く私とたきなちゃん。帰り道を行く私たちだけど、二人の間には一切の会話がない。
口が絶えず回り続ける私は、沈黙が何よりも苦手だ。苦痛といっても良い。だから、そ知らぬフリを続けたくても、勝手に口が動いてしまう。
「──聞きたいことがあるんじゃないの?」
言ってから、『楽になった』なんて考えが浮かんだ。なんだかスッキリしたような、気分が晴れたような気になってしまう。
黒いゴム風船のような空から目を逸らし、やっとたきなちゃんに視線を向けると、黒曜の瞳と視線がかち合った。綺麗な光彩を持った、魅力的な瞳だ。
魅入られたように目が離せない私は、たきなちゃんの言葉を珍しく緊張しながら待った。
「ありませんよ」
「…は?」
「風見が言いたくないのなら、私は無理に聞いたりしません」
「……そのこころは?」
首を傾げて私が問うと、たきなちゃんは柔らかく笑って、その可愛らしい唇を動かした。
「私、イイ女なので」
なるほど。それは一本取られた。
私の祖父は全盲で、よく舌を鳴らしながら生活していました。それがエコロケーションを使っていたと知ったのは祖父が死んだあとでしたが、それを知ったとき謎の感動を得たのを覚えています。
すごいですよねエロローション……じゃなくてエコロケーション