『ほれほれ、なにをぼさっとしておる! もっと近う寄らんか!』
器用にてしてしと前足でつま先を叩かれ呆然としていた意識が覚醒する。なんで爬虫類が喋っているのだろうとか、自分以外にもこの声が聞こえている人はいないのかとか色々と疑問が頭に残っているが、言葉を無視するのもあれなので言われるがままにその場で屈む。
近くでまじまじと見ると滑らかに見えた鱗は意外にもごつごつと隆起していた。それにただ白いだけでなく若干鈍く光り輝いており軽々しく触れることを許されない神秘性を感じさせる。
目の前で首を傾げている爬虫類は自分の見知った爬虫類とは別種の存在なのだろうか。いやまあ、人語を理解して話しているだけで別種だと断言できるだろう。それに今の時代ダンジョンなんてモノがあるのだ。突然変異して喋るようになった爬虫類の一匹や二匹探せば出てきそうだ。
『どうした、そんなにじろじろと見て。我の美しい姿に見惚れているのか?』
ふふん、としたり顔をしながらその場で自慢げにポーズを決める爬虫類。確かに美しいは美しいのだが物陰に隠れていたのか所々くすんで見える。これでは自慢の美しさも半減である。
そのことを遠慮がちに指摘してみると、考える素振りを見せた後に不機嫌な声色で『それをはやく言わぬか』と言われたのですぐそこの昇降口にある水道で身を清めることを提案する。
返事はなかったが、さっさとしろと言わんばかりのムスッとした態度が答えなのだろう。そんな姿に思わず笑みが零れる。泣いたり喜んだり怒ったりと、ころころと感情が変わる姿がとても愛くるしく感じてしまう。
運ぶために手のひらの上へと乗せようと爬虫類を掴もうとして思わず手が止まる。白い生物というだけで神の使いだとか、縁起が良いだとか言われているのに加えて、こちらと意思疎通ができてしまうのだ。軽々しく触ることを恐れ多く感じてしまうのは仕方ないことだろう。
掴もうとした手を広げて近くに寄せれば特に警戒する様子もなく我が物顔で乗り込んでくる。あまりにも堂々とした姿に思わず「警戒しないのかな」と疑問を口から零せば『する必要あるのか?』とさも当然のように言い放たれる。ある、と言いたいところだが特にやましい気持ちもないので首を横に振る。決して、自分よりも小さい生物からの威圧感に怖気づいた訳ではないと誰に弁明するわけでもなく心の中でつぶやく。
手のひらに収まった爬虫類は長い尻尾を中指に絡ませて落ちないようにしっかりと固定していた。それを確認してから靴を履き替えて備え付けられている水道へと向かう。時々爪を立てているのかチクチクとくすぐったかった。
『どうしてここまで良くしてくるのじゃ? お主にとっては見ず知らずの得体の知らない存在だというのに』
蛇口を少し捻って指を濡らして優しく鱗を清めているとふと問われる。
どうして、と言われても声が聞こえたからとしか言いようがない。声が聞こえていなければ早々に立ち去っていたことだろう。
『お人よしじゃのぅ……』
とはいえ、声が聞こえてきたときに自分の近くに誰か人がいたならば聞こえていないように振舞った可能性もある。気のせいだったかなと思いつつも時々思い出して夜な夜な不安になること間違いなしだ。そう考えると自分の心の安寧の為だといえるだろう。
考え事をしているのか黙り込んでしまった爬虫類をハンカチで軽く水気をふき取る。おお、と綺麗になった姿を見て思わず感嘆の声を上げてしまう。ちょっとした汚れが落ちただけなのにまばゆく輝いて見える。
『そんなお主を見込んで頼みがある』
『我を助けてくれぬか?』
輝かしさに見惚れているといまいち要領を得ない問いが投げかけられる。
助けてくれぬかとはなんとも漠然とした内容だ。どうすれば助けになるかとか、もう少し詳しく話してほしい。
『なに、少しばかり面倒を見てくれるだけでいい』
『この世界に来てから災難ばかりでの』
そう告げた爬虫類は一つため息をついてぽつりぽつりと話し始めた。……なんだろう、雲行きが怪しくなってきたのを感じる。
話す気満々の爬虫類の邪魔をしないように日陰へと移動し腰を下ろして覚悟を決める。ぬるい風が吹き抜け、思わず顔をしかめた。
『あれは今から――』
「あれ? ヒトナリ君?」
『――なんじゃ?』
横から声を掛けられ思わず振り向く。
そこには自分の次の三者面談の相手だったクラスメイトの白峰さんが屈んでこちらを覗いていた。
「まだ帰ってなかったんだね、どうしたの?」
爬虫類から声をかけられて話を聞いていました、と素直に言えるはずもなく。無難に白い爬虫類が倒れていたから面倒を見ていたと伝え、手に乗っているものを見せる。それを見て一瞬呆けたが、すぐさま目を輝かせて触ろうと指を伸ばす。が、爬虫類がその指先を頭突きで払いのけた。
『触るでない!』
しゃー、と威嚇するが「可愛い可愛い」と言いながら喜んでいて全く気にしていないようだ。
「それにしても白いトカゲなんて珍しいね。アルビノってやつなのかな?」
『トカゲじゃと! 我をあんな下賤な奴らと同じにするでない!』
トカゲ、という単語に不満があるらしくじたばたと暴れだす。大きく動きすぎて手のひらから零れそうになるのを慌てて抑える。未だに指に巻き付いている尻尾の締め付けが興奮からか強くなってきているのか段々と痺れてきた。
『我こそは創世より連綿と受け継がれし由緒正しい血統、龍域を統べし祖龍が娘! ルーツ・ヴァイスドラグ・エルメディア!』
『地を這う事しかできぬ彼奴らと何処が似ているというのじゃ!』
ぐりん、と頭をこちらに向けられ問われるが、思っていることをそのままそっくり正直に言ってしまえば更に機嫌を損ねてしまうだろう。誤魔化そうにも何といえばいいのか。
この世界に龍種、すなわちドラゴンと呼ばれる存在は未だに夢物語でしか存在していない。
ダンジョンという空想上の生物が存在する場所はあるが、ドラゴンと呼ばれる――呼べるような生物は世界ダンジョン協会の公式の記録では確認できていない。現状、記録の中で一番ドラゴンに近いのはリザード種と呼ばれる存在だろうか。
大型犬ほどの体躯で地を這い鋭い爪と牙、それに加えて長くしなやかな尻尾を持っているトカゲである。生息するダンジョンによって見た目の色や属性が変化するため種類も豊富で、その数なんと百種類以上。ダンジョン黎明期に人々が龍種、妥協して翼竜種を追い求めた結果がこの登録数である。
しかしながら翼の生えた爬虫類はおろか火の息を吐くようなトカゲは見つからなかった。魔法を使うトカゲはいるらしいが、十年経った今でもドラゴンとしての基準を満たすようなモンスターが出現していないのは変わってない。
目の前にいる爬虫類の言葉を信じるのであれば、この世界に現れた初めてのドラゴンという事になる……なるのだが。見た目がどうしてもリザード種でしかないのだ。ツノや翼といった一目で明確にわかる違いがあるならよかったのだが、それが無いことには何とも言えない。もしかしたらブレスを吐くことが出来るのかも知れないが、こんなところでされても大惨事になること間違いなしだ。
『……お主も我をトカゲだと思っておるのか?』
何も言わない自分を見てか気を落とししゅんとなる。
『いや、よい。我も分かっておるのだ。こんな貧相な姿ではそう言われても仕方ないことはな』
『だが、お主だけでも我のことを信じてくれぬか?』
信じるも何も人の言葉を発するのだからトカゲではないのは確かである。というか、さっきから目の前で喋っているのにも関わらず白峰さんは全く反応していない。大人しくなっている爬虫類の身体を触っているだけだ。この声が聞こえているとは考えにくい。聞こえていてこの態度ならば中々に肝が据わっている。
どうして自分にこの声が聞こえているのかは分からないがこれも何かの縁だろう。目の前の爬虫類が龍種だと信じるぐらいならお安い御用だ。それにもしも本当に龍種だとしたなら世紀の大発見である。目標の金持ち、モテモテ、俺tueeに一歩どころか百歩ぐらい近づくだろう。公表して信じてもらえれば、だが。
返答の代わりに頭を少し撫でてやる。この場で声を出して返答したらおかしな奴だと思われてしまう。
『そうか信じてくれるか! やはり我が身を預けられるのはお主しかおらぬ! この眼に狂いはなかった!』
『真なる姿と権能を取り戻した暁には我が何でも願いを叶えてやろう!』
『嬉しいじゃろ? 喜んでくれるか?』
急に明るく話しかけてくる龍種に思わず面食らう。先ほどまでのしおらしい態度はどこへ行ったのやら。
願いを叶えてくれるというのは嬉しいのは嬉しいし、喜ぶものと言えば喜ぶのだろうが、何でもとは大きく出たが大丈夫なのだろうか。世界征服とか大それたことは願わないだろうが「我の力を超えている」と言われないか不安になる。
とはいえ、自分が生きている間に真なる姿と権能を取り戻すかどうかさえ分からないのだ。手に入れられるかどうか分からないものに不安を覚えていても仕方がない。
いつ来るのか分からないが龍種のお姫様が力を取り戻すことが出来る暁を楽しみに待っているとしよう。
『それよりもこの小娘はいつまでベタベタ触るつもりじゃ!』
しゃー、と再び威嚇し指を払いのける。先程よりも気迫が強いからか驚いたように手を引っ込めた。
「あ、ご、ごめんね」
「私も家にホワイトリザードがいるから、つい……」
あはは、と笑いながら両手を合わせて謝罪する。クラスメイトからの人気も高い彼女がするその姿を見て、思わずあたりを見回す。
どうやら誰にも見られていないらしい。よかった、誰かに見られていたら大変なことになっていた。
当の謝罪を受けた本人はそんなこと知らんと言わんばかりに唸り声をあげていた。それが口にするのも憚られる悍ましい呪詛であり、耳を塞ぎたくなるような怨嗟の音だとしても聞こえていなければ意味もないだろうに。
意思の疎通がままならない二人に挟まれて胃がキリキリとしだす。何とも言えない緊張感に包まれてなんだか気持ち悪くなってきた。
「ヒトナリ君、気分悪そうだけど大丈夫?」
『貴様がおるからに決まっておるだろう! さっさと離れぬか!』
心配そうに白峰さんが聞いてくるがそんなに酷い顔をしているのだろうか。
しかし、これはチャンスではないだろうか? この状況を生かして白峰さんから離れれば、ご機嫌斜めなお姫様の機嫌も治まるはず。
ピンチはチャンス。なんとなく、それとなしにポケットから携帯を取り出し時刻を確認するとお昼ちょっと前。これならば空腹でちょっと気分がと言い訳ができる……はずだ。
いい時間だしそろそろ帰る、と白峰さんに一言伝える。
「そうだね、結構長く話しちゃったしお母さん心配してるかも」
取り出された板状の携帯電話――探索者御用達で最新型――のそれに何が映っていたのかは分からないが、彼女の表情から察するにあまり良いことでは無いみたいだ。
「ごめんね、ヒトナリ君! お母さんからいっぱいメッセージ来てたから帰るね!」
さっと立ち上がり、スカートを軽く叩き砂埃を落として親が待っているであろう駐車場へと足を進めた彼女が振り向く。
「あとで写真見せてあげるね! ばいばい!」
大きく手を振った彼女にこちらも小さく手を振る。その様子を見て彼女は軽く笑った後、駆け出した。
『なんじゃなんじゃ。お主、ああいった小娘が好みなのか?』
どうなんだろうか。確かに彼女の見た目も性格も良く、人気も高い。同学年だけでなく、他の学年にすらも彼女の噂が流れるくらいだが、好みかと聞かれると首を傾げてしまう。
『ううむ、そんな顔をするでない。深く考えすぎじゃ』
こんな顔をしておったぞ、と眉間にぎゅっと皺を寄せる。その顔を見て思わず吹き出す。
『ほれほれ、我らもさっさと帰ろうぞ。不要なエネルギーを使ったせいで空腹じゃ』
その言葉を聞き、緊張感が薄れてきて空腹感が襲ってくる。
さくっと面談を終わらせて帰るつもりが無駄に緊張したせいでなんだか疲れた。
お姫様を胸ポケットに避難させて立ち上がり、暑い日差しの照りつける中、自転車小屋へと足を進めた。