貴族を追われたあの日から幾日か経った。私にコネはない。路銀の減り方が私の焦燥感をより大きなものにしている。これでも節約しているつもりだが、まだ浪費が激しいのかもしれない。
日記を書けなかった間に初めて女の味を知った。半分自棄になって遊郭に立ち入りそこで一夜を過ごした。翌朝裸で目を覚ました時の気分は何とも言えない。一炊の夢にふわふわした気分と、あるまじきことをしたという罪悪感。正反対の感情が自分の中で渦巻くあの感覚は吐き気なしには語れない。気に入った遊女がいて、彼女に大金をはたいたことが逃亡の旅を厳しくしている。我ながらバカなことをしたものだと思う。
彼女の名前をヤヨイといった。踊りのうまい遊女だった。極東の血を引いているのか王国ではあまり見かけない顔立ちをしたトールマンだった。齢は20代ぐらいだろうか。貴族はまずしない艶やかな化粧をした彼女から年齢を読み取るのは難しい。どうやら彼女は自由になるべく金を集めているらしい。そこに現れた私が図らずも彼女に自由の切符を渡したという事だろう。遊郭とはそういう世界だと分かっているもののダシにされたと考えると何とも煮えくり返るものがある。朝も散々だった。目を覚ますや否や店から放り出された。学んだことは一つ、女とはただ甘いだけの存在ではない、必要以上に入り込むな。女性をバラに例えたのが誰かは知らないがまさしくその通りだと実感した物悲しい一夜だった。
その後、船に乗せてもらって王都から脱出した。もちろんとここでいうのも悲しい話だが密航だ。密航屋のコネで運河を通る船の手配をしてもらった。世の中に犯罪を生業とする職業自体があることに当初驚いたものだが、お抱えではない暗殺者だと考えると上流階級も下町も大して変わらないのだと実感さえられた。いざ密航と内心おびえながら船に乗ったのだが驚くほど簡単に脱出できた。水路を警備している兵士は見るからにやる気がなく、「乗員」が1人増えていても何も言わなかった。これが王国の警備かと亡命者ながら心中落胆したものだ。くだらない派閥争いをしている暇があるのなら犯罪者を捕まえるための政策を一つや二つ打ち出すべきではないか。とはいえ、その手薄っぷりのおかげで脱出できたのだから何とも複雑な心境だ。今思い返すと遊郭に一晩いられた時点でおかしいのではないか。つまり、遊郭としては憲兵に突き出すよりも私を一晩泊めておいた方が金が入ると踏んだのか、それとも情報がまだ出回っていなかったのか。改めて王国の警備問題に疑問を呈さずにはいられない。なぜ今まで王国は滅びずにいられたのだろうかと。
船の上ではサイコロやコインを使った賭けが船員たちの娯楽になっていた。かけるのは仕事の担当だったり食事の配分などだ。勝った者は楽な仕事や、少しばかり量の多い食事などを楽しめるというわけだ。私も多少遊ばせてもらったのだが残念なことに大負けだった。私にギャンブルは向いていないようだ。だが娯楽としては確かに面白いものが多かった。ルールも教えてもらいながらであったが十分に楽しめるものだった。船員たちの盛り上げ方も特徴があった。誰かが賭けるものを宣言した時、声援を徐々に大きくしてはやし立てていくのだ。声を上げた後、「はい!はい!」と調子を取りながら手を打ち鳴らしたり足を踏み鳴らしたりするのだ。手札の見えるゲーム、例えばカードゲームなどではその拍子の取り方も情報の一つになるのだ。船長曰く「船員の足並みをそろえることで、非常事態の団結を強くする」とのことだ。その言い方には明らかに言い訳めいた節があったが考え方は確かに一理あるだろう。
王都を脱出してから10日が経過したところで町が見えてきた。ヘンドラースタットと呼ばれる最も貿易の盛んな都市だ。王都は内陸に位置しているため、直接貿易は難しい。そこで海沿いに都市を建設し、貿易の窓口として多くの船を迎えている。リスクの分散もかねて作られた都市だ。町が見えたとき、私の手のひらは慣れない作業のせいで血まみれだった。ロープを結わえ、帆を張り、甲板掃除までやらされた。特につらかったのは帆の修繕だ。何度針で自分の手を刺したか分からない。これだけの重労働を生涯やっているのだから船乗りというのは実に逞しい。町に入って船上の生活からようやく解放された。屈強な海の男たちはつかの間の休息の後船に戻る。亡命中のご身分である私にはもう縁のない話となってしまうのだが。彼らとの旅はここで終わりだ。そして今、近くの屋台で簡単な食事を食べながらこれを書いている。父の手記の空いたページに書いているので正直余白が心もとない。私の日記を書く媒体も変わってくるだろう。ひょっとしたらどこかの遺跡に眠っているゴーレムの体にも書き記すかもしれないのだ。そう考えると少しワクワクする気持ちも出てきた。
父の手記を見るととても悲しくなる。手記は研究の事も、私の事も、私の母の事も書いてあった。率直なことが書かれている文章に父らしさが透けて見えた。貴族の交流にうんざりした様子が書かれていたり、私の成長を楽しみにしている心情が書かれていたりと。とにかく胸がいっぱいになるような文章だ。今書いているこの手記に大半の事が書かれているので詳しくはそれを見てほしい。どうやら父の書いているうちにブルーな感情になってきてしまっている。これ以上書くのはなんだか申し訳ないというか、否定的な書いてしまいそうだ。前の日記が長かった分、より短くなってしまったかもしれないが今日はここ
<最後の文字からインクが伸びている>