黒髪パッツンは正義
「……ちくしょう」
喉奥から絞り出した言葉は静かに空中で分解される。
悔しさだけが溢れ出る。
黒猫はーー橙は、まともにレーザーを喰らった。真っ正面から、今度はかわすなんてことはありえず、何がなんだかわからないままにレーザーに巻き込んだはずだ。
直後に、たまらず僕は能力を解除した。これ以上鈴仙と同調していると、僕の命に支障が出始めるからだ。
僕の命に危険が迫ればすぐさま能力解除とは酷い奴に見えるかもしれないーー何とでも言え、僕が死んだら鈴仙を連れ帰る奴がいない。
医者に連れていく奴がいない。
だけどそれも叶うのかが不安だった。僕の身体が数秒同調しただけで、死の間際を歩くことができたのだ。鈴仙の体力はとっくに限界を迎えているだろう。
しかし、それでも。
「ふしゃー!ふしゃー!」
黒猫は、単純に耐えていた。確かに当たれば一撃必殺な技だなんて聴いたこともないし、あの技がどんな技かも見た感じでしか知らないから、威力すらもわからないのだけど。
それにしても少し焦げただけというのは……あまりに不等価な交換だとは思う。
クソ、と、僕は毒づく。
「……にゃは、今のは危なかった気がするよ。おにーさん」
「……唸るのはお終いかよ? 猫は怒ってる時が一番いじりがいがあるんだけどな」
そんな軽口を叩きながら、じわじわと鈴仙に近付いていく。同時に橙も僕にジリジリと近寄ってくる。
僕に残された最後の手は、逃げることだった。
「にゃはは。余裕ぶっても、君が頭をフル回転させてるのはわかっているよ」
「……うん、まあ、朝食をどうしようかってね」
「何もかもどうしようもないよ」
何をしようと、どうしようもない。
そんなことは、やってみなくちゃーーわからないだろ。
やる前から諦めてるやつに、何かが成せるわけがないんだ。
瞬間ーー僕は橙自身と同調。その身軽さと速さを駆使して、足下の土を抉り蹴りあげ、橙の顔にふりかける。
直後に鈴仙に向かってダッシュ。なるほど、速い。ここまでの速度で走れるのかーーそのまま鈴仙を抱えて、永遠亭の方向はわからないけれども、少なくとも橙から離れるように走る。どうやら僕が全力で走れば、追い付かれることはーー
「にゃは。紫様の言った通りだー」
僕の脇腹に、膝が突き刺さる。胃からこみ上げてきた酸味のある液体を飲み込み、吹っ飛ばされながらも鈴仙をしっかりと抱えて、僕が下敷きになって地を滑る。
「あくまでも橙と同速なんだから、人を抱えて逃げられるわけないよ。それに……えいっ」
橙は僕の顔面をサッカーボールのように蹴り飛ばす。抱えていた鈴仙が放り出されて、少し離れた場所に転がる。手を伸ばしたけれど、数メートルの距離は果てしなく遠かった。
橙はチラッと僕の顔を見て、哀れむような、憐れむようなーーそんな目付きで見下して、一言。
「錯覚してるみたいだけど、紫様が言ってたよ? 体力が回復するわけじゃないって」
「はは、先に教えてくれよな……」
「じゃあね、夜明くん。藍さまー、今終わらせます」
一撃。僕の腹を思い切り踏みつけて、嘔吐する僕を見つめながら、鋭利な爪を喉元めがけて降り下ろしーー
ガサガサッと、後ろの竹藪が動いた。
「……っ、誰かいる!?」
それに警戒し攻撃を中止した橙。猫だからか警戒心が非常に強いのだろうか?
いや、それにしてもこの怯えようは何なのだろうか。“明らかに何かを恐れている”。なにかの影に怯えている。
僕に止めを刺せばよかったのに、それすらも中止したのが根拠の一つである。
偶然迷い込んだ一般人や、はたまた僕らを助けにやってきた誰かであろうと、僕への攻撃を中止する理由はない。
喉元を引き裂いて、ただ逃げればいいのだから。
それをしなかったのは、たぶんーー死ぬから。
1秒でも早く離脱しないと死ぬから、だろうか。
「……っ」
竹を掻き分けて現れたのは一人の男だった。目は虚ろで口から涎が溢れ出ている。農民のような格好をしていて、何日もさ迷っていたのか酷い悪臭がした。
一目見て異常だということは理解できる。餓死するまでの仮定で、こうなることは先ずないだろうといった様相だった。男は何も言わずーー(正確には、言えずに、だと思う。口は動いていたし、喉の奥から掠れた息はヒューヒュー音を立てていたけど、それは発音と呼べるものからはほど遠かった)一歩進んだ。
サク、っと小さな土の音。
「ゆ、紫様からここには入っちゃいけないって言われてたのに……に、逃げよっ!」
「っ……お、い……お前!」
橙は青ざめた顔をして、僕を放置して逃走する。あの強かな黒猫が僕らを無視して逃げたということ自体が、すでに事の異常さを証明しているようだった。
倒れていた僕が声を荒げたからか、男はギョロりとこちらを睨んだ。奈落の底を覗いたような瞳が僕を刺す。
何とか身体を起き上がらせるも、鈴仙を抱えて逃げる余裕もない。というか、同調する相手がいない。吐瀉物で汚れた口を拭い(永琳すまない。服はベチャベチャだ)、鈴仙に走り寄る。
しかし、相手は速かった。鈴仙の前に辿り着く前に肩を掴まれる。振り返ると、口をガバッと、皮膚が引きちぎれるほど大口を開けて、僕の首筋に噛みつこうとしていた。
「う、うわっ!?」
「何情けない声を上げてるのよ……って臭っ!? 何? 吐いたの? 吐いたのアンタ?」
グシャリとその頭を吹き飛ばしながら現れたのは、輝夜がだった。
ありがたいけれど、助けに来るのが遅いと苦言を呈したいとこだ。
というか、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。
「て、輝夜っ! それより鈴仙だ、鈴仙の命が危ないんだ!」
「ああ、あそこでぼろ雑巾みたいに転がってる子? 舐めプなんてするならそうなるのよ、本気出せばいいのに」
「何言ってるのかわからないけど、そんなことを言ってる場合じゃないだろ!?」
「あの子なら大丈夫よ。あの子の胸が大きいせいで、大事な器官に傷が届いてないわ。巨乳ってそんなとこでも得するのね」
「ああ、確かに言われてみれば輝夜にはない物だからな。知らなくても無理はないかもね」
鳩尾に食い込む拳。
再び込み上げる胃液をなんとか飲み込む。
「それに、いずれにせよあの傷は悪化しないわ。あの傷は今永遠にしてあるから」
「……永遠?」
「こっちの話よ。それよりも」
輝夜が僕の背後に目をやる。そういえばさっきの男性は、いったい何者だったんだろうか。輝夜が頭を吹き飛ばしてーーつまり殺してしまったとはいえ(その事実をとても冷静に受け止められている自分が怖い)、あの人物が平常だったとはとても思えない。
取り憑かれたようにおかしくて。
イカれてるとはまた違った、狂気。
だからこそ、僕を助けるためとはいえ、それを殺してしまったことは、果たしてどうなのか。輝夜は簡単に人を殺してしまって、正しかったのか。
人道的にも、戦略的にも。
そして振り返った僕の目の前にいたの、グチャグチャと音を立てながら、傷口から新しい頭が形成されていくように、再生を始めている男の断面だった。
声が漏れない。
少なくとも、哺乳類で頭が吹き飛んでも生存できる生物を僕は知らないし、そもそもこのグロテスクな再生を人間が行えるとは思えない。
人外。
輝夜はそれがわかっていたのかーー
「ふぅん、なかなかに不死ねえ。まあそれで不死身を名乗られちゃうと、私の名が落ちちゃうからやめて欲しいのだけどねーー難題『火鼠の皮衣 -焦れぬ心-』」
輝夜はそう言って、“あの”笑顔で微笑んで、僕の目の前のソイツを燃やした。
赤々と燃える炎が、朝焼けのようだった。
「もう薬の配達はいいわ。ほら、鈴仙担いで、帰るわよ」
そう呟いた輝夜の顔に影が射したような気がした。
やっとバトルシーンが終わるのか……さあてギャグギャグ!