たしかにいましたよね

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企画用です


エンドウさん

 

 エンドウさんは、いつも祖母の部屋にいました。

 

 そこは彼女の生家から遠く遠く離れた本家の離れでした。

 なんというか、座敷牢ですよね。ぼけた人って、何するか分からないんで。さいごまでそこに置いてこうって感じだったんでしょう。

 面倒見るって引き取ったくせに、実態なんか、ひどいもんです。

 私は、そん時、子どもだったんで。祖母をどうにかするとか、できませんでしたけど。

 こういう逃げ方、最悪ですか。

 

 うふふ。

 

 離れの様子なんですが。

 あまーい香りが立ち込めているんです。老人の病室特有の。

 それがベッド脇の簡易便器の消臭剤と尿の臭気と、明滅する蛍光灯の下ぐるぐる混ざって。

 本当に、まともな人間ならいられませんよ。

 

 祖母は文句ひとつ言いませんでした。

 というより、なにも分からなくなっていたんでしょう。

 本家に来たばかりはまだマシでした。まだらにボケてる感じで。

 ひどくなっていったのはそこからです。

 

 あの環境、今なら確実に介護虐待ってやつですよ。

 だから最初に祖母が「エンドウさんがきた」と騒ぎ出したとき、それは空想のお友達だと思ったんです。

 あれです。虐待に遭った子供とかが、想像力で友達を作る。

 

 うふ。

 

「エンドウさんがきてるの」

 

 祖母は、近くの薄暗がり見て言うわけです。

 

「エンドウさんよ」

 

 どんなに目を凝らしても私には見えない。

 

 エンドウさん?

 来た、って、どこから? 

 誰、っていうか、何、どうしちゃったの? 

 

「エンドウさん、きてるのよう」

 

 いやあ、たまらなく怖い。

 こんなおかしくなっちゃった人の所にいたくない。

 でも、当然大人たちも嫌なんですよね。だから、親戚中の子が当番で放課後本家の離れに行かされる。

 いやーもう勘弁してよって。

 

「エンドウさんよお。エンドウさんがいるの」

 

 祖母のたわ言を聞くんです。雑誌もテレビもない部屋で。

 最初は宿題とか持ち込んでたんですけど、ページに部屋のにおいが染み付くので、もう話を聞くしかなくなった。

 

 で、祖母の話を聞き続けてたら、出てきたんです。本当に。エンドウさんが。

 祖母の傍らの暗がりにね、なんの前触れもなく。ぬるって。

 

 あれっ? ってなっちゃって、私。

 

 慌てて親、呼びに行ったんです。

 両親は襖を開けて中をちょっと見て、ぼうっと座ってる祖母がいて、その隣にやっぱり、あれが立ってて。確かにいるのに「は?」って、何もないように首をかしげて、戻っていく。

 私の方が、は? って感じ。いやいやいや、見えないの? 嘘でしょ? 

 

 あら、やあ。

 うふふ。ごめんなさい。なんかおかしくって。

 

 で、怖かったんですが、中に戻ることにしたんです。

 怒られたくなかった。分かります? 

 子供は怒られることのが怖いですよね、オバケより。

 

 真夏なのに寒気感じながら、べとべと粘る襖の取っ手の指をかけて。

 そしたら、いる。

 するりと開いてく襖の向こう。エンドウさんが。

 えーっ、普通消えてるやつ。ちゃんと消えててよ。困っちゃうじゃん。

 

 うふふ。

 

 エンドウさんは、3メートルくらいの、たぶん男の人でした。

 そんなんじゃ、当然頭がつかえますよね、天井に。

 だからこう、こんな。首を真横に折ってたんです。

 私がやるよりきつい角度、もう直角です。片耳、天井にぴったりついてて。

 

 それがず────っと、私と祖母とを見下ろしてニコニコ笑ってる。

 

「まんが日本昔ばなし」って知ってます? 

 人間っていいなって言いながら走ってくるやつ、いるじゃないですか。あれです。

 とりあえず目鼻だけ書いときましたよって、無造作な顔。

 でも、口元だけがすごく人間なんです。

 真っ赤な傷口みたいな唇がつやつやしてて、乱杭歯の上にはみ出した歯茎まで生々しくて。

 

 私、おかしくなっちゃったんだと思いました。

 他に来させられている子に聞いても「知らん」「わからん」と言うばかりでした。

 妙なこと言う私を怖がってるんだと思ったので、以上何か聞いたりすることもできなくなって、私は素直に本家の離れへと通うしかなくなった。

 

 そんな風に私が素直なので、ああ、この子に任せておけばいいなとなったのでしょう。

 最後の方、ほとんど毎日私が来ていました。

 

 そう、最後。

 

 秋でした。

 軽い風邪ひいたと思ったら、祖母の身体はあっという間にガタガタになってしまいました。

 いやあ、歳とるって怖いですよ。

 

 搬送先の病院で、これはいよいよダメかもしれないぞ、となった時、私たち、初めてエンドウさんが泣くところを見ました。

 

 お医者は奇跡だと言ってました。

 もう目を覚ますこともないって言われていた祖母が、ある日ぱちりと目を開けたんです。

 人間の体って不思議ですよ。その日の祖母は、いたってまともだったんです。

 

 はっきりした口調で、祖母は、病室に詰めていた1人1人に言葉をかけていきました。

 

「あんたは最後まで私の面倒を見てくれたね」

 

 言われて、私、ホロっと来ちゃった。

 

 穏やかな時間でした。もしかしたら、ここから祖母は回復するのかも──そうとすら、思えました。

 

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんんんんんんんあああああああああああああんんんんん

 

 いや笑わないでくださいよ。

 違う? 

 あ、引いてる? ツボ入るの、私だけですか? 

 

 うふ。それまで病室の天井に頭をつかえさせて立っていたエンドウさん、急に大声上げて泣き始めたんです。天井にごんごん頭ぶつけて。

 

「だれ」

 

 祖母の呟きを、私、はっきり聞きました。

 そして祖母は、また意識失って、それきりでした。

 

 長い長い祖母の苦悩に反して、その後はとんとん拍子に進みました。

 いろいろ忙しくして、ふと落ち着くと、祖母の遺体を火葬場に運び込む時でした。

 

 そこで、あれっ? て。

 あれからエンドウさん見てないな。って。

 

 ああ、やっぱり私、祖母の臭気が充満した部屋の雰囲気に当てられていただけなんだって思いました。

 

 ですが最後の別れを言おうと祖母の棺の小窓を開けます。

 いました。

 もちろんエンドウさんですよ。

 

 笑ってました。

 

 天井につかえるほど長い身体を、でたらめに。ストローの包み紙みたいにぐちゃりと折り畳んで、何重にとぐろ巻いて。

 祖母と一緒に入っていました。

 

 祖母の顔なんて見えない。エンドウさん、内側から小窓に張り付いてるから。

 それが最高のすっごい笑顔。

 

「ああ、死んでほしかったんだね」

 

 なんでそんな言葉が出てきたのかはわかりません。

 

『うふふ』

 

 でも、確かに聞こえた。

 エンドウさんが頷いて、大きい頭が棺おけにつかえて、ごつ、って音を立てて。

 気付けば私、火葬場の外にいて、エントツから立ち昇る祖母の煙を見ていました。

 

「せいせいするよ」

 

 少し離れた場所にいた父の呟きが聞こえました。

 さすがに無神経でムッとしたんですが、父と一緒に煙草吸ってた人たちも、頷いているんです。

 へんなのって思いますよね。

 

 うふ。

 

 焼きあがって出てきたものを見て分かりました。

 火葬場の人たち見てると、彼らの葬式みたいなムード。よくないものを見せられているって感じかな。

 それなのに、当の私たち親族はすっごく和やかな雰囲気なんです。

 

 棺を載せていた台。

 黒く焼けた鉄板の上にね、こんもりあるんですよ。骨が。もう明らかに1人分の骨の量じゃないの。

 

 うふ、うふふ。おっかしいの。

 

「俺だけじゃないよなあ。やっぱりかあ」

「怖かったよなあ、いたよなあ、あれ」

 

 とかね、みんな、真っ白な骨の山を前にしてニコニコしてる。

 

 うふふ。ふふ。

 みいんな、見えないふり、していただけなんですね。

 

 いいんじゃないですか。

 あれがどんなものでも、もう焼いて骨にしちゃったんで。うふふ。

 


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